龍樹菩薩 【第1講】 鍵主 良敬 師
2009年2月14日
西暦紀元前後、大乗仏教の運動がうねりを高め始めていた。仏滅後四、五百年頃のことである。釈尊の生身の説法は遠くなり、残された言葉の分析を事とするように時代はなっていた。出家者は僧院にこもって専門の学問や修行に励むばかりで、一般社会とは遊離した存在になった。そのような自利のみを求める特定の人にしか開かれていない仏教を小乗であるとして批判したのが大乗仏教であった。拡大しつつある教団はリーダーを求めていた。
AD150~250年頃、楞伽経の予言に違わず南インドに出世したのが龍樹大士である。龍樹大士は般若経の空の思想を論理づけ、存在の実体性を説く小乗を論破し、大乗を確立した。
中論は龍樹の主要な著書の一つである。にもかかわらず宗祖は教行信証にこの中論を一言もご引用なさらない。なぜだろうか。内容があまりにも哲学的に緻密で、極めて難解であるため誤解と混乱の起こることを憂慮されたのだろうか。
しかし龍樹について語るとき中論ははずせない。
そこで宗祖は正信偈に楞伽経から「悉能摧破有無見」を引かれて、中論のいわんとするところを代表させられたのではなかろうか。「ことごとく、よく有無の見を摧破せん」これが中論のテーマだと宗祖は言っておられるのだ。また龍樹を徹底的に読みぬいた曇鸞の「讃阿弥陀仏偈」を和讃して「有無をはなるとのべたまう」ともおっしゃっている。
では有無とはなにか。ここでいわれている“打ちくだかれ、はなるべき有無”とは、実体としての「有」か、実体の否定としての「無」しか構想できない凡夫の心に虚構された“有るか、無いか”のことである。
それはしかし存在の真実ではなく、仮設されたことにすぎないと中論はいう。あるがままの世界を人間が言葉によって観念的に分別し、その自らの分別に執らわれて「業」と「煩悩」が起こる。だから言葉と分別で虚構された有無を離れて、「妙」なる「有」である「空」に帰れと説くのである。
菩薩はしかしこのように深く思惟に沈潜して「空」を論じながら、論理を超えて浄土往生を願われたことは次の楞伽経の一節にうかがわれるのである。
「よく有無の見を破りて、人のために、我が乗、大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して、安楽国に往生せん」。
龍樹菩薩 【第2講】 鍵主 良敬 師
2009年3月14日
中論にはいろいろ難しいことが云われていますけれど、要のところを一言で云うならば「悉能摧破有無見(ことごとくよく有無の見を打ち破る)」であり、ご和讃ならば「有無をはなる」ことです。打ち破るべき、あるいは離れるべきことは「有無」と表現されていますが、「自他」でも「是非」でも「善悪」でも「愛憎」でも「損得」でもなんでもいいのです。私たちはそのように二つに分けないと分からないのだと云っておられるのです。分けて分かるのです。それが私たちの知り方の現実です。
存在全体を直観的に把握する prajnaプラジュニャ(仏智)に対して私たちの知識は vijnana ビジュニャーナといって vi(分割)と jna(知)で成り立っていると古代インド人は考えました。二つに分けた結果、分けられて対象化されたどちらかに必ず偏り、実体化し固定化して、私たちはそれにひたすら執着します。龍樹菩薩はそこから離れなさいとおっしゃいます。「業と煩悩は分別(分けること)から起こり、業と煩悩の止滅により解脱がある。〔中論〕」からです。
親鸞聖人は解脱の光輪(智慧)に觸れてこそ無明が破れ、有無をはなれて繋縛の鎖が断ち切られるのだと、曇鸞大師のお心を和讃にされました。
テキスト109ページの往生要集に引用された中論の一節「因縁所生の法は 我説かく、即ちこれ空なりと また名づけて仮名となす またこれ中道の義なり」に云われている因縁所生の法というのは、縁次第で何にでもなるものごとの在り方のことです。何にでもなるということは元々何ものでもないからです。何ものでもない在り方が「空」です。何ものでもないものが、何にでもなったり、何でもなくなったりするのが「仮」です。仮に現われているにすぎないものを実体化し執着する私たちの顚倒した妄想を空ずる見方を「中観」といい、解脱して自由に歩む道を「中道」とおっしゃっています。
龍樹菩薩 【第3講】 鍵主 良敬 師
2009年6月13日
お釈迦さまがお説きになった「すべての存在は縁起であるからこそ無常・苦・無我である」という縁起の思想を、龍樹菩薩は「一切法無自性空」として明らかにされました。これが般若の「空」の思想です。それが詳しく展開されているのが主著の中論です。
すべての物事は縁起であるから関係性において存在するだけである。他のものを必要とせず独立して存在するものは何一つ無い。だから無自性であり空である。しかし空だからといって何もないのではない。仮という形をとって存在するのである。一切法は虚無ではなく仮として存在しているのだから、「空」であると同時に「仮」である。そのように観ずる見方を「中観」であると中論は云っています。
このようなことを源信僧都が往生要集に引用された中論の偈「因縁所生の法は 我説かく、即ちこれ空なりと また名づけて仮名(けみょう)となす またこれ中道の義なり」と「空なりといへどもまた断ならず 有なりといへどもしかも常ならず 業の果報の失せざる これを仏の所説と名づく」を手がかりにしてこれまで模索してきました。
つまり一切法は相依相待だから物事を実体化して見てはいけない。それと同時に実体はなくても仮なる存在としてあるのだから虚無化してはいけない。そのような両極端の邪見に陥らない歩みが中道であるということでした。
しかしどれほど時間を費やし、言葉を重ねてみたところで中論の意味するところはあまりにも深く広く難解です。これに対してより具体的で実践的に表現されている智度論により、源信僧都のご了解を通して、親鸞聖人の受けとめを教えていただくことになります。
龍樹菩薩 【第4講】 鍵主 良敬 師
2009年7月11日
今日は龍樹菩薩の有名な『大智度論』を考えてみます。初回にも云いましたように、仏滅後4~500年頃には釋尊の教えは文字になって残された概念の解釈に熱中するあまり、生身の人間の胸に響く言葉の力を失っていました。龍樹菩薩は部派(小乗)仏教のこのような傾向を否定して、空の思想を以て大乗仏教の基礎を確立されました。
主著の『中論』は説一切有部の煩瑣哲学に対する反論といわれています。その手法は相手の哲学的論理を逆手にとることによって徹底的に論破することでした。ですから中論は綿密な哲理で構成されていて、私たちがたやすく理解できるようなものではありません。宗祖が中論を一切ご引用にならず、正信偈の中の一句「悉能摧破有無見」(聖典205頁)と讃阿弥陀仏偈和讃3(同479頁)でこの深遠な論書の核心を代表させるに止めておられるのは、私たちを混乱させないようにとのご配慮かもしれません。
一方『智度論』は化身土巻に一度ご引用があります。「法に依りて人に依らざるべし、義に依りて語に依らざるべし、智に依りて識に依らざるべし、了義経に依りて不了義に依らざるべし」(357頁)の四依の釈です。
またご和讃では龍樹菩薩和讃8~10(同490頁)があります。この三首は「智度論にのたまわく」と始まりますが、智度論から直接引かれたものではありません。信巻に引かれた『安楽集』にある道綽禅師の解釈(同246頁)を展開して詠われたものなのです。
こんなことから宗祖はこの智度論を念仏の恩徳を明らかにするための論書としてお読みになっていたことがはっきりしますし、四依の釈も単なる修道の規範として挙げておられるのではないのではないかと考えられます。
次回12月は『十住毘婆沙論』に入ります。
龍樹菩薩 【第5講】 鍵主 良敬 師
2009年12月12日
釈尊ご在世の頃、人々は直接お会いしてお姿を仰ぎ見ながら、お身体から溢れ出る慈愛に満ちた教えを六識を総動員して信受することができました。それがお釈迦さまの対機説法だったのです。仏滅後人々の記憶に残された「真理」は言葉になり、文字に記録されました。しかしそれはもはや生き生きと人の心に響く力を失った、干からびた文字の羅列となり、文字の意味の詮索をこととする煩瑣哲学の時代が5、6百年も続きます。そのような状況下、2、3世紀の頃出世されたのが龍樹菩薩です。龍樹菩薩は釈尊の「縁起」を「中」と云い当てられました。その理論的集大成が、7月までに学んだ『中論』でした。辺見に執われる迷いを正そうとする哲理は極めて難解です。だからといって避けて通れないのは、これが龍樹菩薩の中心思想だからです。
そこで宗祖は『中論』の引用はなされませんが、楞伽経の表現をかりて、「中」を一言でいえば「悉能摧破有無見」(聖典205頁)<有無の見を打ち砕くことだ>と仰います。また龍樹菩薩を徹底的に勉強された曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』を和讃(聖典479頁)して、<有無をはなれることだ>と教えて下さいました。中観については『中論』の文はご引用なされずにこれだけに止めておられます。
ところが菩薩の別の論書『十住毘婆沙論』は教行信証の行巻にしっかりと引用されています。今日はそこに入ります。
『十住毘婆沙論』は『十地経』の註釈書です。『十地経』はもと独立した経典であったのが、後に『華厳経』に組み込まれて、いまは『華厳経』の中の『十地品』になっています。『十地品』は菩薩の修行の状況を十段階に分けて説かれたものです。ですから「空」の註釈書である『中論』が理論であるのならば、修行の十地の註釈書である『十住毘婆沙論』は実践に当たります。行巻に『十住毘婆沙論』が引かれるゆえんです。行巻は難度海を泳ぎきるための実践論だからです。
十地とは1. 歓喜 2. 離垢 3. 明 4. 焔 5. 難勝 6. 現前 7. 遠行 8. 不動 9. 善慧 10. 法雲です。十地を解脱する論書ならば『十住論』は全地に及ばなければならないはずですのに、何を思ってか菩薩は初歓喜地にあまりにも大きなスペースを与え、第二離垢地の半ばで筆を措いてしまわれます。宗祖のご引用も初歓喜地に集中しています。
入初地品(聖典161頁)<どうして入地するのか、どんな人が入れるのか> 地相品(聖典163頁)<どのような世界なのか> 浄地品(聖典164頁)<自己を浄化させる行は> 易行品(聖典165頁)<難行に耐えられない者の上にどのようにして菩提心が成就するのか>の四品です。
入初地品の引文に注目すべきところがあります。「問うて曰わく、初地、何がゆえぞ名づけて『歓喜』とするや。・・・」(聖典162頁)です。菩薩が初地に入れば、仏果に至ることが約束されて、心は大きく歓喜し、どんなにボンヤリしてずぼらであっても迷いの世界(二十九有)に戻ることはない。それはあたかも小乗の行者が悟りの最初の位(初果、須陀洹道、預流)に入り、聖者の流れに加えられた感激や歓喜のようなものだというのです。宗祖はこの言葉を大事にされて、七高僧の論釈の引用が終ったところで、御自釈(聖典190頁)でご自身の言葉として述べられます。小乗の初果の聖者でさえ二十九有に顚落することはない。ましてどんな凡夫であっても、本願の行信を獲れば摂取不捨の利益にあずかることができるのだと。
二十九有の次の「一毛をもって百分となして・・・」のところも普通は「一毛をもって百分となし、一分の毛をもって大海の水の若しくは二三渧を分かち取るが如し。苦のすでに滅するは大海の水のごとく余の未だ滅せざる者は二三渧のごとし。心大きに歓喜す。」と読みます。それを宗祖は「一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。」とお読みになります。
さぁあなたはどのように読まれますか?
龍樹菩薩 【第6講】 鍵主 良敬 師
2010年1月9日
前回は時間の都合で、『十住毘婆沙論』の「入初地品」、「地相品」、「浄地品」をざっと見るだけに終わりましたがこの部分は宗祖が「易行品」を展開される重要な前段階に当たりますので、もう一度要点だけを拾ってみます。
菩薩が生まれるべき家が清浄であるのは、「六波羅密、四功徳処、方便般若波羅密、善、慧、般舟三昧、大悲、諸忍」を法とするからであると、難しい言葉が聖典161頁の終りに並んでいますが、これは菩薩の修行の方法論です。
余談ながら天親菩薩の『十地経論』では『十地経』は釈尊の成道から二週間目に、他化自在天宮の摩尼宝殿において、仏の威神力を受けた金剛蔵菩薩によって説かれたものだとされています。仏の自内証はとても人間の手の届かないところにあるということです。しかし仏伝によれば釈尊が人間の言葉によって初めて五人の弟子に向かって説かれた初転法輪の内容は苦集滅道の四諦、四つの真理でした。人生の現実は苦しみ悩みであるという現実認識(苦)から始まって、なぜ苦しいのか、なぜ悩まなければならないのか、それには理由があるはずだ(集)。理由が分かれば必ずそれを消滅し解決することができる(滅)。そのためには道理を方法としなければなりません(道)。正しい方法によれば必ず苦は消滅し、涅槃を得ることができるというのが初転法輪でした。
もう一度「入初地品」に戻りますと「六波羅密」は「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」であり彼岸に渡る方法です。「四功徳処」は「諦、捨、滅、慧」であり、功徳を獲るための行です。四諦の別な云い方です。そこで「世間道を転じて出世上道に入るものなり」(聖典162頁)という言葉が出てきます。
方法論であり実践論であり行であると云ったところでそれは実際の生活の中における物の見方、生き方でなければなりません。そのとき我々の立場が「世間道」であるならば、とんでもない錯覚をするはずです。いかにもやればやれるように一見みえるけれども、いざ本気でやろうとすれば不可能に近い。できるわけがありません。それは「業」と関連しているからです。だから難行道だと龍樹菩薩は仰います。「凡悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからず」(歎異抄第三章)の自覚をたまわることが「慧」であり、そこに新しい世界が開けて歩みを行じてゆく方向性が与えられる。それを「功徳」だとここではいっているのです。
次の大海の水と水滴のたとえは前回読んでおいて下さるようにお願いしておきましたが、いかがでしたでしょうか。
「初歓喜地に入ることができて、大海の水ほどあった問題が解決できた。もはや毛先にたまった二三渧のしずくぐらいが未解決の問題として残っているだけだ。だから心がたいへん歓喜するのだ。」が普通の読み方です。
宗祖の読み方、親鸞読みは「ほんの二三渧のしずくぐらいではあるけれども、初めて問題解決の手がかりを得た。大海の水ほどもある困難で未解決の問題をかかえている身ではあるが、その二三渧の心が歓喜にふるえるのだ。」となります。
なぜこのような読みかえをされたのか。次回「易行品」に関連してたずねたいと思います。
龍樹菩薩 【第7講】 鍵主 良敬 師
2010年3月13日
釈尊がお亡くなりになった後、教えはことばを憶持するという形で大切に伝えられました。その反面ことばにとらわれるあまり、本来悩み苦しみをこえて、生きる勇気を人々に与えるべき教法が活力を失い形骸化していきました。
こんな教団のあり方に疑問を持ったのは出家者ばかりではありません。在家の大衆をも巻き込んだ大乘仏教の運動が興ってきました。
小乘が出家者個人の解脱を最終目的とするのに対して、「他を救うことがみずからの救いである」と大乘は自利利他を宣言しました。そして完全な利他が成り立つための「空」という思想が見出されました。
こんな中、二、三世紀ころ南インドに出られたのが龍樹菩薩です。龍樹菩薩は当時依然として仏教の本流であった「説一切有部」が「法の自性」を認めるのに対して、「一切法無自性空」(あらゆる存在に自性<実体>はない。自性は空である。)を主張されました。しかし「空」といわれると何もないことかと思いますが、それは単なる虚無ではなくて、相依相対する縁起であるがゆえに「仮」として存在する。つまり一切法は「空」なるものとして実体化されることなく、同時に空ではあっても「仮」として存在するから虚無ではない。実体化と虚無化の両極を離れた「中」に真実がある。そのことを「中観」と呼び、龍樹菩薩の中心思想である、ということを昨年は学びました。(『顕浄土真仏土文類』窃以 鍵主良敬 東本願寺109頁参照)
しかしこの難解な哲理を説く龍樹菩薩の主著『根本中論』はとても私たちの手に負えるものではなく、宗祖も『教行信証』には一度もお引きになりません。そのかわり『正信偈』には「悉能嶊破有無見」(聖典205頁)の一句で「中観思想」を代表させておられます。さらに噛み砕いて一言でいうならば「有無をはなれることだ」と和讃(聖典479頁 讃阿弥陀仏偈和讃3)で教えて下さいました。
これはしかしあくまで教理であって方向を指し示すものです。私たちが本当に必要とする方法論、つまり有無をはなれるにはどうすればよいのかという要求に対して、龍樹菩薩は『十住毘婆沙論』を遺して下さいました。
宗祖が『教行信証』に引かれた「入初地品」(初地に入るためにはどうすればよいのか)、「地相品」(初地の菩薩はどのような状態にあるのか)、「浄地品」(初地の菩薩はどのような努力をするのか)、〔以上聖典163頁~165頁〕は前回学んだ所です。
今回は「易行品」(聖典165頁)です。教行真証へのご引用は途中からですが、易行品の出だしはこんな問答で始められます。
「初地に至るための道程が長ければ長いほど、険しければ険しいほど得られた結果は素晴らしいにちがいない。その代り脱落の可能性は限りなく高いはずだ。二乘地にでも落ちれば菩薩の死でありすべての望みは完全に断たれる。もし長時間の難行を経ないで、すみやかに不退転を得る道があるのならばお教えいただきたい。」
これに対して龍樹菩薩は激しく叱りつけます。
「なんというなさけない、弱々しいことを考えているのか。まともな求道者が口にすべきことではない。愚かな卑怯者め。」
これは難行の肯定でも、易行の否定でもありません。易きにつくといったような打算心を無意識に抱えている私たちに即答はなさらず、なにより大事なのは強固な菩提心であることを説いていかれます。そしてやむにやまれぬ再度の要請に答えて、難易二道が説き出されるところ(聖典165頁)から宗祖は引用しておられます。正信偈でいえば「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」(聖典205頁)です。
ここで注目したいのは、ご引用以前のところで「二乘」が問題にされていることです。二乘とは「声聞」と「縁覚」です。声聞は自分のさとりだけを目指して励む聖者です。縁覚は自分なりのさとりを開きながら、それをひとに説こうとしない仏です。教えを忠実に実践することも、自らの努力で仏果を得ようとすることも、それ自体になにも悪い意味はありません。しかし問題は目的とするところが自利に止まることです。目的に到達すればそこから動こうとしない利己性、雑草のように生きる人の悲しみを見ようともしない自己関心のみに陥ることなのです。ひいては自力の成果を誇り、他者を蔑むような憍慢という煩悩にとらわれます。それが修道に一歩を踏み出したところに待ち受けている宗教的エゴイズムという危険な落し穴なのです。難行には必ずこの危険性が附随するため、『十地経』にはない「易行品」を特に立てて、信方便によって不退に至る道をお示し下さったのが『十住毘婆沙論』のお心だと思います。
「易行品」に次いで引かれる『浄土論註』(聖典167頁)で曇鸞大師は「易行品」にふれながら難行の欠点を五つ挙げられます。その理由はそれらが二乘に根ざすものであるからです。
宗祖も二乘を、外にあって修道を障げるものではなく、ご自身の内に潜む“二乘性”として問題にされていることは諸著作に明らかです。
龍樹菩薩は難行を説く『十地経』から信方便の易行道を読み取られ、曇鸞大師は龍樹菩薩の視点を通して『浄土論』を註釈され、親鸞聖人は『浄土論註』によって初めて『浄土論』のご真意が領解できたと述懐される(聖典492頁曇鸞和讃11)ところに七高僧に伝統する本願念仏の流れを感じます。
これで一応龍樹菩薩は終りになりますが、次回からの天親菩薩の中でも関連で触れていただけることになると思います。