満講式「無辺の生死海を尽さん」 鍵主 良敬 師
はじめに
本日は満講式ということでお話をさせていただくことになったのでありますが、先ほどのご住職のご挨拶にありました松原先生が、すっかり忘れておりましたのに、私のアーラヤ識に蔵されていた経験の種子の中から昨日のことのように現れて下さいました。ご住職を初めて私にご紹介なさったときの学長室でのお姿です。有り難かったです。なんというご縁をいただいたことであろうか。33年間という思いもかけない尊いご縁の切っ掛けでありました。今、感涙にむせんでいます。しかも松原先生と一緒に、親友でもあられた恩師の山田亮賢先生まで現れて下さいました。そこで、今日で終りということになりますと名残惜しいですね。自分の人生を終るときもこんなものではないのか。なんともいえず名残惜しい。正直なところを申しますと、やっぱり未練が残るというのか、これで終りということにはなりたくないというのか、そのような気持ちだということです。ところで、さきほどご紹介のありました阿弥陀如来立像*につきましては、その第一号を私が頂戴いたしました。まさに思いもかけない、ありがたいことでありました。ご縁があるとは夢にも思えませんでしたことが、現実になるということであります。阿弥陀さまのお姿ならお姿ということになりますと、それは一つの形でありますから、その形が南無阿弥陀仏というお名号のあらわれということになります。そのあらわれ方の一つとして彫って下さったわけであります。(*讃仰講座を聴講された宇治市の仏師、柳浦伊和夫氏が、終講を記念して寄進された10体の阿弥陀仏立像のこと)
讃仰講座は過去3年間で竜樹菩薩と天親菩薩の話をさせていただきましたが、その前に専念寺では30年間「開華の会」としての学びがありました。「華を開く」とたまたま私が名前をつけさせていただいて発足した会は、花で飾りたいという『華厳経』のお心を表わそうとしたものでした。それが私にとっての『華厳経』であったということであります。つまり終るところから始まっていくと同時に、始まったところとしての『華厳経』との私の出遇いは、すでに完了したところからの始まりであって、まさに「初発心時 便成正覚」(梵行品第12、大正9.449c)でありました。その意味を改めて確認する、そういう満講式であることに、今気づかされました。
本願力との出遇い
私の人生もいずれ必ず終ります。終ることは終ることでいいわけです。「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるとき」(聖典630頁)であります。けれども、そのようにしてただ終ってしまって何もないというのでは所詮がない。そこから始まっていくことがある。無ければ困るということなのかもしれませんが、『歎異抄』では「かの土へはまいるべきなり」となっています。それを可能とするような確かな本願力といいましょうか「大悲の願心」との出遇い。要するに「無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」(聖典401頁)といわれているような「連続無窮」なるものとの出遇いです。つまり如来さまのいのちそのものというか、光そのものというか、そこから溢れ出るようにして私たちに呼びかけて下さっている名号としての「帰命尽十方無碍光如来」に、ほんの僅かとしか云えないとしても、確かにお遇いできた。まさに「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」(聖典490頁)ということでありました。しかもそれは「一心帰命」としての「真実の信心」の問題でもありました。よくぞお遇いできたものだ、危ないところだったと、しみじみと思わせていただくことであります。そのような意味で、出遇うということを、ただ今は「何か感じとること」と云わさせていただきます。いつもの通りの曖昧な云い方で申し訳ありませんが、先ほどのことでいえば、もうすでにお浄土に還っておられる松原先生にただ今お遇いできました。33年前の学長室のお姿ではありますが、その先生がありありと私の目の前に現れて下さいました。それは私自身のアーラヤ識という私を支えているいのちの底に蔵されているかつての経験の種子が、たまたまのご縁によって現行したにすぎないともいえるのですが、還相回向の菩薩として実感される先生からのご回向は、お姿だけでなく、お残し下さった文章などからも教えられることが多々ありました。まさかご住職が先ほどのような話をされるとは思ってもいなかったものですから、思いもかけないご縁をいただいたことで、つい感涙にむせんだことであります。この3年間の親鸞聖人の七百五十回御遠忌の勝縁ということで、専念寺において七高僧の教えをなんとかたどらせていただきました。本当にありがたいご縁であったということをつくづく感じさせていただいております。そこで開華の会にちなんでということでもないのですが、私自身としては、まさか今日のご縁にまでもつながってくるとは思えなかった「華厳」という言葉・・・それを初めて聞いたところから始まって、結局は私の運命を決定したほぼ60年前のことになります。高校三年の時の3月お彼岸のころです。その経験も私のアーラヤ識の中に種子として間違いなく記録されておりました。念仏の「念」、専念寺の「念」でもありますが、その定義は唯識では「明記不忘」となっていて、はっきりと記録されていて絶対忘れないということです。私の第六意識、ふつうの心ですね、すでに何度も申しましたが、『歎異抄』の「日ごろのこころ」(聖典637頁)です。これは全部忘れてしまうこともありますし、間断もあります。長続きもしないし、あちらを想いこちらを思う。そのようなことで我々の常識的な普通の心はまことに頼りないところがありますから、それだけでは本当に大事な問題は解決しないということで、「往生かなうべからず」といわれているのです。しかしそうはいっても、それはやむを得ないことでもあります。その心を拠り所にしてしか私たちはものごとを考えられないし、生きてもいけないからです。それにもかかわらず、その第六意識を支えているアーラヤ識というものがある。そのはたらきが問題になってくるのですが、それは生きているいのちそのものということにしておきます。それだけでは尽くせない面もあるのですが、その面はカッコに入れておいて、まずそのいのちのところへあらゆる私の業といいましょうか、煩悩といいましょうか、私自身がやってしまう、思ってしまう・・・どうしてもそういうことになってしまうというようなことですが、それらは全て経験でありますから、それらの経験を私自身は背負わざるを得ないということです。このままでは死んでも死にきれないというか、これで終りというのでは心残りで申し訳ないという気持ちが私の現在の心境ですし、皆さんの方でもそうであるかもしれませんから、その点をなんとかお話しさせていただきたい。ここまでははっきり出来ました、やっと私にもこの点だけはなんとか明らかになりました、この度のご縁において皆さん方と共に親鸞聖人のおこころをお尋ねしてきた結論といいますか、その問題をなんとしてでも納得していただきたい、共有したいですね。
そういうことになりますと、いまの『華厳経』、どうして私が華厳になってしまったかという、その点についてお話ししなければならなくなります。それは私の旦那寺の北見の聖徳寺というお寺ですが、今の住職のおじいさんに当る方とのご縁です。私自身は高校生の当時には念仏が大嫌いで、坊主になんかなりたくないという思いに駆られていました。高校の三年ですからやむを得ないと言えばやむを得ないけれども、そういう追い詰められた心境、しかも大谷大学でないと授業料は出してもらえないということで、まさに暗澹たる気持ちのままで聖徳寺にご挨拶に伺ったときに佐々木月樵先生、先ほどの松原先生の先生にも当り、私の恩師の山田亮賢先生の先生にも当る大谷大学の第三代の学長として「樹立の精神」を残して下さった方、「その佐々木月樵先生のもとで私は華厳を学んだから、参考書も多少ある、自由に使っていいからお前も華厳を専攻してはどうか」と、「やりなさいよ」とそう仰った。
この一言が私の運命を決しました。その華厳こそが菩提心の問題でした。「浄土の大菩提心」としての「真実の信心」、『浄土論』の主題として「一心帰命」に直結していたわけです。しかしその菩提心というのも、今にして思えばみんな他力としか云いようがありません。私が選んだのじゃないんです。旦那寺の住職の言葉に従って、仏教学科の第三講座というところへ行ってみたところが、そこの主任教授が山田亮賢という佐々木月樵先生の甥御さんに当る方でした。華厳と唯識の中の華厳を担当していらっしゃいました。そこで卒業論文ということになりました時に、何を書いていいのかどうしようもない。演習ということで『華厳五教章』だったのですが、チンプンカンプンでその発表の時に黒板の前で立往生している姿が、今でも目に浮かびます。ですからどうしたらいいのか困り果てて山田先生に相談しましたところ、先生は「それは菩提心の問題ですよ」と云われて、先ほどの「初発心時 便成正覚」をやりなさいと云われたのです。その菩提心の象徴が善財童子でした。五十三人の善知識に訪ねたずねて、なんとしてでも本物に出遇いたい、偽物だけでは生きることも死ぬこともできない、メッキ物じゃいやなのだと。
本物であるということは生きているということについて、本当に生きていることになること、「むなしくすぐるひと」からやっと脱却できた。逆立ちした人生ではなかったとはっきり云えるようになることと一応しておきます。私はこの人生を本当に生きることができました。区切りはつけるけれども、このいのちそのもの、つまりアーラヤ識は必ず続いていきます。そのことがはっきりする。ただ、続いていくといっても仏さまがお覚り下さって、それはないものであると断定された、なにか絶対的なものではありません。いわゆる常にあり、一つであり、中心になっていてあらゆるものを自由自在に左右できる、つまり常一主宰というアートマン。我々が無意識のうちに自分だと思い込んでいる私です。我々にも「私は私だ」ということがなんとなくわかります。それは無いものであるなどということは夢にも思えません。しかし、その私というものは妄想にすぎませんでした。つまりすべてが無我であるということをお覚りになって、お釈迦さまはブッダになられた。したがってそれまでは無いものを有ると思い込んでいた。偽物に騙されていただけだったというのです。
その問題を正しく観察する。たいへんな錯覚であったということになりますが、その錯覚を打ち破るためというか、気がつくためというか、そのためには何がそうさせていたのか。その正体を見破らなければならない。誰でも巧妙に騙されてしまっている手品のタネを見破ったようなものです。それがブッダの誕生でしたが、そこで明らかになった錯覚の正体とは無明煩悩でした。無明こそが驚くべき闇の心であるということになります。したがってその無明の謎を解くことが最大の課題になります。ただし簡単に納得できることでもありませんので、まず自分自身についてその手がかりを求めて見ることにします。そうしますと、何がわからないかといって自分が一番わかっていないのですよ。私にとっては私が一番の謎なのです。本物の私そのものということになりますと、正に「真」であり「宗」である私になり、いつまでも、どこまででもという私になるかと思いますが、その私は、今の私にとっては全く分からない。
転変と不変
そういう点で本日は、七祖を踏まえて、全体を通してということでありますから、その一例ということになりますと、先ほど申し上げました道綽禅師の『安楽集』のお言葉、序文の終りのところの「連続無窮にして、願わくば休止せざらしめんと欲す」(聖典401頁)、どこまでも続いていきたいものであるということになります。それが本当の私たちの願いであるということになりますから、開華の会もこれから加賀で続いていきます。33年間続いた専念寺の開華の会は一応終りますが、報恩講とかお彼岸など、さまざまな行事は連綿として続いていくわけです。その続いていくということになりますと、私たちはなにか一本の棒というか、線というか、常であり一であるような物を考えてしまう。ところが永遠に連続するという場合の連続は物が続いていくのではなしに、流れが続いていくのです。宇治川であろうと賀茂川であろうと流れとして続いていくのですから、その内容は一刻一刻異なっていて変化しながら続いていきます。だから唯識では「転変」といいますが、停滞することがないのです。ところが私たちにはいかにも一本の変わらない物があるように見えてしまいます。内実は変わっているのに外から見ると変わらないように見える。それは私たちの身も心もそうなので、すべては転変ですから、根本仏教でいえば「諸行無常・諸法無我」です。
どうしても変わらないものがあるように見えてしまうのが我々の邪見憍慢であり、無明であり、錯覚である。現に私には変わらない物があるように見えている。皆さんも私も変わりましたねぇ。33年前はもうちょっと若かったですよねぇ、シワもふえましたねぇ。しかし中身はすっかり変わってしまっているように外見も確かに変わってしまったという場合でも、声はあまり変わっていないということもあります。
五感の世界でも違いがあるわけですから、まして心の深い領域ということになると、全く変わっていないところもないとは言えない。どうして変わらないのか。しかも変わっていくものをしっかり支えていて、そこのところは変わらない。そのしっかりと支えてくれているところを先ほど少し言いましたが、執持すると言います。なにが支えてくれているのか、それはアーラヤ識が支えてくれていると唯識ではいうのです。「種子と及び諸の色根とを執持して壊せざらしむるが故に」とあります。種子はあらゆる経験の種子で色根は人間一人ひとりの約60兆の細胞によって成り立っている肉体のことです。アーラヤ識というのは、あらゆる業の種子の溜り場所であると同時に、私自身の細胞がバラバラにならないようにしっかりと支えてくれているはたらきのことでもあります。
この面は特にアーダナといわれ、訳して執持識となるのですが、しかもその支えていることは、私自身の拠り所になっていて、それを知らなければならないということで「所知依」ともいわれています。ですから第六意識という普遍の常識的な意識で、私というのはこんなものであろうかと捉えているような「自己自身」はまことにいい加減なものでしかない。私は今ちょっと反省させられています。
とにかく以上のようにしか云えない私であり、全く頼りにならない私なのですけれども、私はそのような私を頼りにするしかない。ですからそういう私にしがみついて有るの無いの、損だ得だ、善い悪い、それらを自分なりに判断して、いいと思ってそれを自分のものにしてみるのですが、自分のものになった途端にいい物でもなんでもなかったという経験は何度もありました。満たされる物でもなんでもないので必ず裏切られることなのに、それがいかにも素晴らしいものに見える。すべてはそのような形でしか成り立っていないのが我々の心ですから、その心について『歎異抄』では「日ごろのこころにては往生かなうべからず」と云われているのではないか。
したがって常識的に私にわかっている私は本当の私ではありません。その私を黙って支えている私にはまったく想像もつかない、そんな私があるはずがないとしか私には思えませんから無我です。その無我の「無」を唯識では「無覆無記」と押えてアーラヤ識の大切な性格であると云っているのですが、真宗的に云えば「ねてもさめてもへだてなく」(聖典505頁)とか、「常に仏恩報ずべし」といわれている確かなはたらきのことではないかと思っているのですが、どうでしょうか。
連続して無窮
ところで連綿として続いているものは流れとして続いているわけですから、一回一回きれているというか、水の流れと同じです。アーラヤ識は譬えとして恒に転ずること「暴流の如し」といわれていますから、強烈な流れです。私のいのちの流れ、意識の流れも、細胞分裂による新陳代謝の流れもそういう連続性なのです。そのような連続性がどこまででも続いていきます。いのちそのものとしてはどこまででも続いていく。お釈迦さまの「自内証」を支えていたいのちも、親鸞聖人の七百五十回忌といういのちに続いている。しかもそれは「本願力」という強力な「大悲の願心」を根拠にしている。そのいのちそのものに我々はやっと出遇わせていただいたのですね。それが華が開いたということだったのですね。それが華厳経だったわけです。私にとってはそうだったのかと、そうなると本当の自分もわからないし、そのことを教えようとして下さっている本当の華厳経もわからない。けれどもこれはしょうがないことです。そこで改めて気づかされたのは、さきほどの道綽禅師のどこまでも続いていってほしい、「先に生れん者は後を導き、後に生れんひとは先を訪い、連続無窮にして休止せざらくめんと欲す」。どこまででも続けていきましょうね。どこまででもいのちのあらん限り聞法していくしかないのですね、やっぱり教えを聞くしかないですね。そしてこの世を終ってもまた連綿として親鸞聖人のところへ還らせていただく。今度は直接親鸞聖人にお尋ねしたいものですねと「この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし。」(聖典607頁)この『末燈抄』第12遍のお言葉です。どこまででも続いていくいのち、それは本願力、本願の名号としての南無阿弥陀仏という「至徳の尊号」にこめられている「尽十方無碍光如来」の無量寿無量光という光そのものです。その光は「智慧のかたち」ですから、その智慧の光明は連綿として続いていきますし、いのちそのものも続いていきます。なぜかといえば「無辺の生死海を尽さんがためのゆえなり」だからです。私たちの現実は生きたり死んだりです。有ったり無かったりです。あるいは憎らしかったり可愛かったりです。是か非かです。そういう様々な形での二つに分かれていく、あれかこれかということになりますね。しかしそのような二の分別の中で、生と死というものほど重たいものはないでしょう。
そして生きている方がありがたいし死ぬのは困るというようなことになるわけだけれども、それだけではその問題の語っている本当の意味がわかっていないことになります。「真」の「宗」がわかっていない、真実が明らかでないからそういうことになるので、親鸞聖人が私どものために七高僧を正信偈の中にお述べ下さって気づかせようとして下さっている、その意味がまったくわかっていないということになります。
有と無をはなれる
問題の捉え方を間違えてしまう。落し穴に必ず落ちてしまうのです。そのような誤った形をとるといいましょうか。どうして間違うのか。もっとも大事なところがわかっていないということでしたが、つまり無明です。唯識でいえば「所知障」です。どうしても明らかにしなければならないその根拠としての所知依について思いもかけない障りがはたらいている。そのことに気づかなければならない。つまりは流れなんだけれどもそれが一つの変わらない固定化された実体としての先ほどのアートマンというように、私たちがいつの間にか思い込んでしまっていて、今でも現に我々自身の体質として、あらゆる物を支配している、そういう私があるような気がしている。なんとなくそういう気になっていて、それに騙されていて本当の意味の私自身というものにはなかなか気づけない。
けれども2500年前にそのカラクリに気づかれて、それは無いものであったというところをはっきりさせて、これこそが本当に有るものであったと云いきることができたそこのところを「有無をはなる」というのですと。それまでの私は無いものであったということが「自内証」された本当の私の確立です。そこのところではじめて、ああ確かにこれだけは認めるしかありませんねというその自覚は、それまでの驚くべき無明の正体を見事に見破ったことになります。その状態はなんといったらいいのでしょうか、言葉で表わすことはできないと仏さまも仰っていることですので、まあ「そのように有るもの」ということにしておいて、有るとか無いとかという問題を手がかりにしながら、それを超えたところで問題を明らかにしていく。そのようなまことの「真」そのものを「如」という文字で表しますから、これはそのように云うしかないものということで、宗祖聖人も「いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり」(聖典554頁)と云われております。
相分としての表現
ところがそのことも文字で表わすしかありません。どうしても文字になってしまうんです。そうしますと全ては対象になってしまいます。唯識では「相分」といわれます。「境」ともいわれています。それに対して見る方は「見分」です。その相分を生き生きした感じというか、生々しい感じで受け取るということはたいへん難しいことになります。対象化されてしまえばどうにもなりません。たとえば「火」は触れればやけどするものを示していますが、火という文字に触ってもやけどはしません。その点だけでも面倒な問題にぶつかってしまうことはなんとなくわかりますが、先ほど申し上げました仏さまの本当のこころそのものというような、言葉で表わすことのできないものもやはりあらわしたいんですと、なんとか表わせないものであろうか。ところが心という言葉、一応文字も文字になってしまえば我々の生きた心ではなくなってしまいます。唯識ではそれを「相分心」といって、対象化され抽象的になった心で、生きた心そのものではないとします。
では、文字や言葉に表れながら、そこで我々の生きた問題に応答するということは不可能なのか。我々の方からいえばどのようにして生きた問題に気づかせていただけるかという、その問題は非常に難しいですね。形になりますとどうしても抽象的になってしまいますから、そこで先ほどの道綽禅師のところで申しますと、今、私の話が難しくなっていっていますが、難しくなっていることを聖道門といいます。ところが「聖道浄土のかわりめあり」で浄土門とは別なのですが、「道綽決聖道難証」で、聖道門は証しがたいと決定されたのです。証ることはたいへん難しい。道綽禅師は聖道門と浄土門の変わり目をはっきりとさせ、どこまででも連続していって終りがないような本願に裏付けられた浄土門に通入すべきことを明らかにして下さいました。
そこで生きるか死ぬか、有るか無いかということでも、私たちは必ず二つに分けてしまって、一方を嫌い、一方に憧れる。しかしそれは一つのことですと。生きてることと死ぬことは清沢満之の云い方では「生のみが我等にあらず、死も亦我等なり」、死んだっていいんじゃないんですかと、死ぬことも有りがたいじゃないですかということになります。ところが簡単にはそういうことになりません。そのことを明らかにするためには安楽浄土・極楽浄土という生も死も一つになる素晴らしい世界に通入しなければならない。我々に先立ってその世界へお還りになられたみなさんは、宗祖聖人を始めとして「まちまいらせそうろう」ということでしたから、私もそこへ還らせていただくということは一応云えるとおもいますが、それが前向きで積極的な生命力に溢れる方向性を持ちうるかということになりますと、「唯明浄土可通入」と書いてみても、ただの文字になってしまいますので、本当の意味の生きた浄土ではなくなってしまいます。
理・深くして、解は微なり
そのような壁にどうしてもぶつかってしまうのですが、聖道と浄土との違いをはっきりさせて下さったという道綽禅師の『安楽集』の「理深解微」という言葉を御住職がいつかの年賀状に書いて下ったのです。安田理深先生の理深はここからいただかれたのでないかと私は思ったのですが、聖道門の教えというものは「理が深い」というのです。聖なる道ですから素晴らしい。とてつもないインテリ性というのか、哲学性というのか。道理が深すぎて我々ごとき凡夫に分かるわけがない。ですから先ほどもこれはお話ししなくちゃならないと始めた途端に聖道門になってしまって、しかも有るのでもない無いのでもないとか、有るといってもダメなんだし無いといってもダメなんですよということで、何が何だか分からなくなってしまいます。けれどもそのことも云ってみなければ分かるわけもないということで、まことに微妙でしょう。それが我々の現実の問題です。聖道門の教えは素晴らしい内容に満ち溢れている。けれどもその理は深すぎ、理解するには微妙すぎて私たち凡夫では手に負えない。その点がこの度の七高僧のお残し下さった教えを手がかりにしての最後の締め括りの非常に大事な問題になりました。それと同時にもう一つ、道綽禅師が仰っていますのは「大聖を去ること遥遠」です。もしもお釈迦さまにお会いできたならば、なあんだそんなことか、「アニャー」(已知・了本際)と私でも云えたかもしれません。ところが2500年も経っているわけで、残されたものがどんなに素晴らしいことであっても文字になってしまえば唯識で云いましたら、相分としての単なる対象でした。心だって対象になってしまっては生きた心ではないと先ほど申しました。どうしても向う側の話になってしまうのです。全部「画に描いた餅」になるのです。画に描いた餅じゃ食べられませんから、腹が膨れないのは当然じゃないですか。
そのときの見ているものと見られているもの、見分と相分の二つの関係の中で事柄の持っている最も大事なところを、非常に微妙ですけれども、その微妙なところをなんとか明らかに出来ないであろうか。そのぐらいのところなら私にもなんとなく納得できますというようにですね、どうすればこの問題の要点をこの私でも云い当てられないものか。非常にズボラというのか、品性下劣というか、ダラシがない。難しい話になるとすぐ眠たくなる。そのような始末に負えない凡夫そのものであるけれども、私なりにどうにかならないものでしょうかとなりましたときに、今回改めて竜樹菩薩のところから確かめさせていただきました。とても難しくて素晴らしい教えでしょうが、私にとっては手も足も出ません、そのことを難行道というのでした。竜樹菩薩は難行道、それを道綽禅師は聖道門と押え直されたわけです。難行道と易行道、聖道門と浄土門です。そのことを天親菩薩を通して曇鸞大師まできますと自力・他力という問題と同じことです。要するに自分勝手な、自分にだけ都合のいい思い込みによってしか物事を受けとめられない。どうしてそんなことになってしまうかと云えば、それはアーラヤ識をマナ識がひたすらに我と思うからでした。アーラヤ識は流れそのもの、滝の流れ、滔々たる流れそのものなのに、それが変わらないもののようにマナ識が思い込む。一本の棒のような物というか、線のような物と思い込む。流れは絶えざる転変で一瞬の停滞もなく変わっているのだけれども、変わらない我として思い込んでしまうからでした。
変わっているのにもかかわらず変わらないものがあるというのは、アーラヤ識をマナ識が変わらない物として思い込むのとは全く違う意味です。あらゆる物がしっかりと支えられている。アーラヤ識のアーダナともいわれる執持識によってしっかりと支えられている。そのためにバラバラにならずに統合されている。不散不失という言い方もあります。バラバラにならないという意味です。そのようにして我々自身が支えられている。そのことが識の自体分です。識そのものということですが、その自体分は自証分ともいわれます。自分で証明できていることにもなりますから、自覚できるということになります。そのこと、自分に気付くことができる。そしてその自証分が相分と見分に分かれて二つになっただけでした。「識体、転じて二分に似る」と云われています。もともと一つである識体が、いわゆる転変して見るものと見られるものに分かれているだけだというのです。そのような抑え方自体ができればいいのです。
地球の人口が70億になりましたが、50年前には60億でした。人類は約1万分の1の人口なのに地球上のどこかで絶えず争い事が続いています。我々の肉体そのものが一人約60兆の細胞で出来ているということでしたが、その1万倍の細胞の流れの私のこの身が何十年もの間見事に統一されてソコソコに健康を保っています。執持されているでしょう。私自身がバラバラにならない。そのはたらきを成しているのがアーラヤ識だというのです。アーラヤ識の自証分の問題です。しかも私の身の流れによって現在の私の肉体は何ヶ月かですっかり変わるというんでしょう。垢も出るし、大小便、新陳代謝、細胞分裂などによるのです。だからこの身としての眼耳鼻舌身の五根と意根によって構成されている有根身の面がアーラヤ識の所縁ということになっているのです。ただしこの身は縁が尽きたならば灰になって終ってしまいます。それで結構ですと言えるようになればそれに越したことはありませんが、煩悩と無明のために簡単にそうはならない。この点については『歎異抄』の第9章にある通りです。
方便法身の名号
ところが私を私自身として支えているこの身の身そのものは法身の身と通じるところがあると思われます。「法身の光輪きわもなく 世の盲冥を照らすなり」といわれるときの法身です。それはいのちそのものとしては無量寿・無量光でありながら、「大悲の願心」の表現としていのちそのものである一如それ自体のところから名乗り出てくる「名号」でもあります。「いろもなくかたちもましまさぬ」一如のところから、「かたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて」、「阿弥陀仏となりたまう」、「この如来を方便法身とはもうすなり」と『一念多念文意』にありますが、その意味での名号が『阿弥陀経』の「執持名号」であり、『十住毘婆娑論』の「恭敬心をもって執持して名号を称すべし」(聖典165頁)ですから、法身そのものが、方便としての「かたち」をしっかり支えている確かな執持になるわけです。方便法身が我々を支えてくれているとも言えるでしょう。どこまででも連続していって欲しい。休むことなしに続いていってほしいと願わずにいられないというのは、方便法身というある種の姿・形をとって、私たちに気付かせたいことがあるからだということになります。私自身が現にこの身として支えられておりますから、そのしっかり執持しているはたらきのところへ「かたちをあらわし、御名を示して衆生に知らしめたまう」その呼びかけに応答する衆生の身として私自身があることになります。
ただそこでの問題点はどうしても身である限りは宿業の身としての業識の問題になってしまいます。これはご院主さんがもう何度も何度もそこのところをもうちょっとはっきりさせてほしいと言い続けてこられた点でありますが、無明煩悩の満ち満ちている「この身」としての私自身ですから、どうしても業の身であり煩悩の身であるという、その事実は否定できません。したがってそのような面をもちながら、なおかつその面を転換できるという、全く思いもかけない現象が私の上に成り立つかどうか。煩悩具足の身であり、あるいは無明の身として肝心要のところがどうしてもわからない、どうにもこうにもならない私自身ですという、その私自身の逃げるに逃げられない在り方と申しましょうか、その事実は見れば見るほどその通りなので、誤魔化しようも何もない。まさにお手上げ状態です。どうしようもありませんから、それを認めるしかない。そのように認めるしかない私が私自身に認められれば、それはあなたはまちがいますねぇというか、どうしても錯覚しますねぇというか、必ず見失いますねぇというのか、そこのところをお見通しで先刻承知の上で、そのようなあなたをなんとしてでも助けたいのである、本物に気付かせて安らぎを与えたいのだと。
そのような願いを生み出すものが「他力の悲願」ということになりますが、その願は必然的に願力という「力」になっていくわけです。曇鸞大師の『論註』には「願もって力を成ず、力以て願に就く。願、徒然ならず、力、虚設ならず。力・願相符うて畢竟じて差わず、かるがゆえに成就と曰う」とあり、『行巻』に引用されます。要するに完成する。願と力とが呼応して確かな完結を成立せしめるということになります。そうしますと、あなたがその程度である、結局どうしても見失いますねぇ、本物がわからなくなりました。やっぱり聖道門になってしまって難しくなりました。また難行道になってしまっているという私の今の事実です。そのことをお見通しの上で、そこを踏まえて、なんとしてでも我々に手がかりを与えたいというように、今現に成就して下さっている何ものかを確かめなければならないことになりました。
難行道と易行道
安田先生は難易二道は横に並んでいるのではなく、「竪に連続しているもの」だと仰るんです。竪だとはどういうことかと云いますと「難行道の中から難行を食い破って、易行道というものが生れて来た」というご了解です。易行道に出遇って初めて難行道は自らが難行であることに納得できたというのです。竜樹菩薩の「易行品」は『華厳経』(十地品)の初歓喜地についての独特の解釈の中で論じられるものでした。そこでは、それまでの空しい流転の繰り返しの中にあって、初めて本物に出遇った喜びが主題となっていました。その歓喜は如来さまの家に生れることができたということからもたらされるものです。あゝ仏さまはそんな意味で私にとっての本当に大切な問題を仰っていて下さったのですかと、それまでの思い違いを正しさえすればいいはずのところを私なりに勝手に難しく考えてしまって、どこが頭か尻尾かわからないような、とんでもない迷路に落ち込んだ話になってしまっておりました。難しい話が難行道であるというほど単純なことではありません。しかし底の知れないほどの深い道理を直ちに納得できるような甲斐性は我々にはないのではないか。すぐ誤解する、すぐ執われる、眼の前に欲しい物をみせられるとすぐ飛びついていく、そんなところでウロウロしているような我々の日ごろの心で、意味の深い難しい問題が分かるわけがありません。それが難行道ということで、難行道に挫折してしまいましたと竜樹菩薩は仰っているというのです。もちろん私たちの難しい問題は分からないというのと、竜樹菩薩の云われる難行道とには雲泥の差はありましょうが、本当にこれこそがお釈迦さまの明らかにして下さったいのちそのものの世界であり、光そのものの世界である。こんな豊かで内容の濃いというか、底知れない深い世界は他にはないという場合であっても、それをいざ実際に手に入れようということになったならばとても難しい。それは当然のことであるともいえますが、何をどうすればいいのかとてつもなく難しくて太刀打ちできない。だから簡単な方法はありませんかと、簡単に助かる方法はありませんかとお尋ねせずにいられなくなる。本音を言えばそういうことになるのですが、何をアホなこと言っとるのかと、それは儜弱怯劣な者の言うことである。許せないような弱虫というか、下劣で甲斐性なしの言うことである。箸にも棒にもかからない、手がかりなしの状態なのでもうお前のことはあきらめたと、如来さまでも呆れ果てるようないい加減な劣等生、落第生の言うことであるという言葉で『十住毘婆娑論』の「易行品」は始められております。その点について安田先生は竜樹菩薩がご自身を叱っておられる言葉であると領解されるのです。私はそのようなケシカラン奴がどこかにいるから、そういう奴らは許せんと云って叱っておられるのだと読んでおりましたのでビックリしました。私はそうではないという立場にいつの間にか立ってしまっていました。
『中論』も『智度論』もたいへん哲学的というのか、それこそ難行道というしかない難解そのものの大論文です。しかもその内容は奥が深くて微妙です。その微妙なところがわからなければ折角の宝物も持ち腐れになってしまいます。しかしその素晴らしい物は有るのでもなく無いのでもない。それが中道としての空観で、すべてを空ずるのです。錯覚しているところを乗り越えるんです。今はやりの断・捨・離です。私の押し入れの中の要らないガラクタの断・捨・離ではないのです。一番大事だといつの間にか思い込んでしまって、これがあるからこそ私が生きているんですと錯覚してしまっているそのものを断ち切る。「横超断四流」の断です。それを離れるというんです。まさに「有無をはなるとのべたもう」の離です。
本当に大事なものから私たちは離れることができるものでしょうか。できません。捨てるに捨てられない問題であります。そこのところが今年のご院主さんの年賀状にありました。曽我先生の自力他力の問題です。自力の心から離れることは簡単にできることではありません。だからといって出来ませんと居直って、すましているわけにもいきません。どうにもならない行き詰まり状態になってしまいますが、そこで「仏智の不思議をたのむべし」となります。そうしますと、どうして離れたいのか、そのことに気付かされます。要するに楽になりたいのでしょう。苦労したくないのです。それは卑怯者の言うことです、だらしのない奴の言うことなんです。そんな甘ったれたことではないというのが難行・易行の問題だというのです。髪の毛に火が点いているのに、この火は消えますか消えませんかなどと呑気に尋ねている愚か者はいません。頭燃を払うが如く、死に物狂いで問題を解決しなくてはならない。難行でもなんでもない、死に物狂いになるしかないことなのです。それなのに全部他人事になってしまっている。向う岸の火事になっている。どんなご馳走も画に描いた御馳走になっている。
たとえば日本の国だって大変な借金国でしょう、莫大な借金でしょう、なのにちっとも恐くもないし、痛さも感じない。如来さまがご覧になったら血の涙を流しているでしょう。誰がこんな借金したんですか、政治家がしたのですか、嘘です。昨日テレビで財部さんとかいう経済評論家が、政治家が悪いとかなんとか云っている間はこの国は必ず滅亡する、私が借金してしまったんだと国民すべてが云えないと駄目だと云っていました。そのとき尋ねているアナウンサーの方が納得できない顔をしてそんなこと云ってもねぇと文句を云っていました。けれども、あれは道理だと思いました。私が借金したんだと、だけれどね、それは云えないでしょう。なかなかそんなこと本当には思えないでしょう。私は思えません。しかし、宗祖聖人はそう言われるのではないでしょうか。アーラヤ識もそう云っているのではないかと、ふと思ったことです。
そのような難しい問題は有りますけれども、その問題の非常に大事な点を叱り飛ばしながらご自分の中で確認しておられる。本当にだらしのない、申し訳ない、品性下劣、まことに女々しい、未練たらしい、いい加減としか言いようのない、それが我々凡夫の真の現実である。したがってそのことを認めたうえで、簡単明瞭にわかり易くこれだけなんですと、これだけでいいんですというような易行、信方便の易行、つまり信ずるということを方便としてまことに簡単という手がかりを我々に与えて下さった。それが竜樹菩薩の難行・易行の問題である。以上のようなことを仰って下さいまして、安田先生は竜樹菩薩ほどの天才的なインテリというか、思想家というのか、そういう意味においては聖道門の見事な偏差値の高いお方であったけれども、聖道門に挫折されてしまったんだと、そして信ずるということを手掛かりにしながら、易行として出来ることを明らかにして下さった。実際にできること、簡単に出来ることです。このような方法があるんですね。これならば私にも出来ないことはありませんと、方便の易行という手がかりを与えて下さっているんです。
称名念仏の意味
それが大事な道に展開するんです。適切に申し上げられるかどうか問題は残るのですが、最初に竜樹菩薩のところでお話していた内容ではまったく不十分で、私自身納得出来ておりませんでした。ところが今回改めて安田先生の仰り方のところで気付かせて頂きましたのは称名念仏の問題です。親鸞聖人が教行信証にご引用になっておられます『十住毘婆沙論』の易行、簡単な方法です。これは仏さまの名前を呼ぶことです。称名です。仏教讃歌の「みほとけは」にある「みなよべば」です。ナムアミダ仏と仏名をとなえることですが、その念仏は「一念」ともいわれ「すなわちこれ専念なり。専念はすなわちこれ一声なり。一声はすなわちこれ称名なり」(聖典404頁)「称名はすなわち憶念なり、憶念はすなわち念仏なり」(聖典403頁)ともいわれます。その称名念仏が方便の易行になります。つまり難行道には耐えきれませんということです。聖道門というレベルの高い深い道理、それはなんとなくわかります。けれども難しい。その謎を解くためにはその手がかりとしての方便が必要です。私にでも出来る簡単な方法を私にお教えくださいという切実なお願いというか、問いかけから始まるのが、竜樹菩薩の『十住毘婆娑論』の易行品だということになります。『華厳経』の初歓喜地において、初めて本物に出遇ったときの喜びの内容を明らかにするについての唯一最大の課題は、いつでも誰でもその喜びを獲得することのできる方法についての問いかけであり、その答がナムアミダ仏で、それが易行の大道だということになります。しかも『十住毘婆沙論』をご引用になるときの親鸞聖人のご自釈は称名は衆生一切の無明を破り一切の志願を満たすという驚くべき問いかけをも私たちに与えて下さいます。生きたり死んだりしている、有るとか無いとかに必ず執われて間違いだらけの中できりきり舞いをしている。衆生とはそのような我々であることはよくわかりますが、その私たちにとって何が一番のネックになっているかということについて、本当のことがわからないことに尽きるということになりましょう。
本物がわからないということ、真実がわからない、真宗がわからないのが無明です。「無明煩悩われらが身に満ち満ちて」(聖典545頁)というお言葉もありますが、結局我々は凡夫ですということで「凡夫というは」どうしても本物がわかりませんねということになる。無明といっても煩悩の中の一つに過ぎないともいえますが、最初に無明を出されて独立しているものと見ておられる。その無明もどうしたらいいのでしょうか、と、こうなりましたならば、それは称名・み名を称すること・南無阿弥陀仏が我々の無明を破ると仰るのです。それが親鸞聖人のご自釈です。称名は我々衆生一切の無明を打ち破るのだそうです。どうしてそういうことになるのか、私にはたいへんな疑問になりました。
南無阿弥陀仏という称名は仏さまの名前を呼ぶことで、念仏申すことですが、それは「専念」の「一行」であり、いわゆる「大行」なので、「凡夫回向の行にあらず。これ大悲回向の行なるが故に、「不回向」と名づく」といわれている点は非常に大事です。それが本願だからです。その本願に出遇った。私たちが出遇ったその本願は本願力です。願に力がある。だから必ず成就する。その本願力は先ほどから申し上げております通り、我々の自力ではない。まさに他力です。
「他力とは如来の本願力」です。如来さまに力がある。我々の自力はたかが知れているし、結局いい子になりたいだけでしょう。楽になりたいだけなのです、苦しむのが嫌なんです。その程度のことですが、どうしても執われてしまう。そのような自力の執われでは問題は解決しません。そうではなしに他力に力がある、他力でないと駄目なのです。如来さまそのものに強烈な力がある。だからしっかり支えてバラバラにしないわけです。私の細胞をしっかり支えていて、その執持する執持識が名号も執持する。先ほど申しました執持名号です。私が名号を執持するのとは違います。名号が私を執持しているのです。全く逆でした。だから念仏申すことが我々にできる唯一の方法でしょう。ところが念仏申すといったところで私たちは本当に念仏申しているのでしょうか。
「ねてもさめてもへだてなく南無阿弥陀仏をとなうべし」でしょう。寝ているときなど念仏なんか出ないじゃありませんか。「憶念の心つねにして」です。仏さまの心をいつでも常に憶念する。しかも一念であり専念である。念ということは先ほども申し上げました、はっきりと刻みつけて忘れない「明記不忘」でした。ところが我々は念仏を忘れます。ときどき忘れるでしょう。それは親鸞聖人の云われる念仏ではないということになります。じゃ、誰が念仏しているのですか・・・法蔵菩薩が念仏していらっしゃる、あるいは諸仏称名です。法蔵菩薩が私のこの身となって私を支えて下さっている。だから我々は念仏なんか出来ていないんだということに気付かされる。そのために「念仏申すべし」と我々に呼びかけていらっしゃる。だから他力というのである。その他力が本願力ですから、そのお心でもってその願いをもって我々のところへ呼びかけて下さっているということになります。
その意味での他力の大道、簡単明瞭な南無阿弥陀仏という名号に出遇わせていただくことによりまして、我々自身がああなりたいこうなりたいというのか、どう云いましょうか、今日の開華の会の私自身の尊いご縁ということで申させて頂きますと、南無阿弥陀仏というのがわからないとかありがたくないとかあちらこちらでいって来まして―加賀の聞法会では叱ってくれる人がいるのですが―事実だから叱られても已むをえません。けれど念仏というのはわからないけど、すごいですねぇ。如来さまがお心を私に気付かせてくださって、お前が称えている念仏はまことにお座なりなものでしかないことは充分わかっているのだから、私が念仏してお前を支えてあげるとね、それが私の心臓が動いていることであるし、肝臓が動いていることでもある。寝ているときでも血液循環していることでもある。そうしてあなたのあっちへうろつき、こっちへうろつきという日頃のこころ、その中でしか生きることができませんから、それでやむを得ないのですけれども、そういう私のままで私自身が確かに支えられている。私自身のこのようなご縁をいただきましたその時々のご縁によって60年前のことも思い出すし、33年前のことも思い出します。それらの思い出すものは私自身のいのちそのもののアーラヤ識の蔵の中にすべて刻みつけられていることです。それは条件を与えられなければそのことに気付かされません。
今日も最初に松原先生が頼みもしないのに現れて下さって、ご院主さんの言葉で33年前の学長室のようすが目に浮かんできました。それだけで私の念仏は完成しました。助からなくても結構ですと、地獄に行っても充分ですと安田先生は次のように云われています。「助からんもんだという時にやね。その深い痛みやね。それは我れが痛んどるんじゃない。如来の痛みや。それにふれたら、助かりたいというようなことは、もう撤回せんならんと、助からんということで救われる。助からん者が、助かるようになって救われるんじゃないんだ。助からんという痛みは、人間からは出てきやせんのですわ。それにおいて難度海を度するんだ。」(唯識三十頌聴記 巻八57~8頁)
曽我先生が言われたと聞いたことがあります。「極楽へ行っても誰もいませんよ。地獄へ行ってごらん、あの人もいるわ、この人もいるわ。みんな賑やかで、それを大会衆と云うんだ。」天親菩薩の「一心の華文」華のような一心帰命の信心によって、やっぱり地獄に行くよりしようがありませんねということで、「地獄は一定すみかぞかし」になります。ところがみんな地獄へ行くような業を果していながら極楽へ生きたい、幸せになりたい。地獄へ行けば親鸞聖人もいらっしゃれば山田亮賢先生もいらっしゃるかもしれない。そのような深い意味があるのに、極楽へ行って自分一人助かりたいなどというのは、自分だけチーンと覚りすまして助かったつもりになることですから二乘地に堕することになる。そのような声聞縁覚という聖道門の悟りの世界、そこではすべてが他人事にしか見えない。その方が地獄よりも恐ろしいと言われています。地獄に落ちても最終的にはお浄土へ帰ることができる。けれども二乘の独善的なからくりのところに迷い込んでしまうとどうしようもありません。「地獄の中に堕するも、畢竟して仏に至ることを得るも、若し二乘地に堕せば、畢竟して仏道を遮す」(易行品 第九、大正26、41a)といわれています。
そういうことではありませんということをおさえられて、だからといって「簡単に助かる方法はありませんか」という問いにももっともなところがある。そこで「なんという図々しいことを求めるのか」ということで叱り飛ばされながら、なおかつそこで「それが凡夫である」「よくわかる」と、すべてお見通しである。「仏かねてしろしめして」なので、あなたにとって一番簡単で、いついかなる場合でもなんとか手がかりになるものは何であろうかとなると、南無阿弥陀仏より外にありません。本願の念仏を信ずるという信方便の易行です。しかもあなたが南無阿弥陀仏と称名念仏しなければ助けないというのじゃない。この点がこの度のご縁によって、やっと少しはっきりしてきたことなのですが、いやあまりにもひどすぎる。日常的には口先だけの念仏が時々出る程度で、心の籠った念仏などほとんどありませんというしかない。こんな私なのにもかかわらずということなのですが、そのお前を「一念の念仏」、つまり一心専念の念仏で助けると仰っているようなのです。
おわりに
この間も動座式の阿弥陀さま、東本願寺の阿弥陀さま、11月29日の行列に並ばせて頂いた話をしましたね。先頭が御門首、次が参務さん達等々のようでした。後ろから二番目、4人ずつ4列、一番最後が幼稚園児、その前に80前後の私たち、その前が大谷高校の高校生。鉦・ひちりきの「楽」の着いた凸凹のある行列で阿弥陀堂から御影堂までお移しさせていただきました。ありがたくて行列の間中、涙がでて止まりませんでした。ありがたかった。ところが凡夫ですね、その前の親鸞聖人のお像を逆にお移しした時、御影堂から阿弥陀堂の方へお移しした時には、初めてのことだったものですか袴は反対にはくわ、足はひっかかるわ、そんなことに気をとられて全然ありがたくもなんともありませんでした。ひどいものです。そんなひどい私なのに、今回の阿弥陀さまのときは泰然自若として歩いていたのだそうです。お参りした私の教え子からの年賀状に私が凛然として歩いていたと書いてありましたので、びっくりしました。中身はあまりの申し訳なさに涙が出て涙が出ておろおろしながらの状態で、行列につき従っているだけでしたのに、素晴らしいお姿で思わず拝んだというのです。言うまでもなくお移ししている如来さまの「功徳の大宝」の余徳に預かったというか、お相伴にすぎません。しかし、拝まれた私がです。それが念仏なのではないかと思いました。声に出ている人もあり、そうでなくただ両手を合わせているだけの人もいました。
業の身の中身はグニャグニャだらしないというか、腰抜けというか、未練たらしいというか、そういう私そのものの業と煩悩の塊としての私なのにもかかわらず、ものの見事に泰然自若とした不動の何ものかをこの身に感じ取らせる。それは法性法身の一如の願心が法蔵菩薩として方便法身のところへ名乗り出られて、そのついでに私のところへまで来て下さっていたからではないか。申し訳ない、勿体ないご縁をいただいたものであります。それが今回の開華の会の33年間でもあるし、3年間の七祖、それぞれの同じ問題でありました。
たいへんな挫折の中で、中身はぐじゃぐじゃどうしようもない、すぐ迷うというか、見失うというか。ところが、その程度の私でしかないことを「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願はかくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」(聖典629頁)です。それを南無阿弥陀仏というのです。ですから南無阿弥陀仏という声が出た方がいいと思いますから、「一念」の「一声」で充分なのだけれども、せめて十遍ぐらい申したらどうですかというのが善導大師の『観無量寿経』の読み方です。声に表して、声に呼ばれて応答できる。私も皆さんも呼ばれて初めてハイと返事をするというか、声や文字に表わされている生きた呼びかけを南無阿弥陀仏という。それは聞える時もあれば聞えない時もあります。私の声になるときもならないときもあります。けれどもそれは法蔵菩薩が、あるいは親鸞聖人が私のために血の涙を流して下さっている、その「深広無涯底」のお心に通じている。私の現実の業識がそんな程度のことであることは承知の上で、なんとしてでもお前自身をしっかりと支えてみせる、それが執持名号の執持であり、アーラヤ識として我々自身が現実にこの有根身である肉体において生きていくしかないことを示している。私たちは自分のこの身において自らの業を果すしかありません。そこでその異熟の業の身を場所として生きたいのちの声を聞いていく以外に方法はありません。そうすると不思議なことに動座式における不動の願心が単純明快な南無阿弥陀仏という礼拝門の称名を生み出しますので、五念門の礼拝・讃嘆の念仏に自然に叶うことになる。称名念仏は他力不思議の念仏です。
親鸞聖人の『行巻』ご自釈は「大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり。・・・」から始められて、その次は「しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう。」あなたの願いを必ず満足させてみせますと云われ、続いて『十住毘婆娑論』の引用になります。称名・聞名・念仏、そして信方便の易行がその易行品で述べられて行くのです。それは方便になりますから、手がかりになるだけであって、問題はそこから始まるということにもなりますが、そこに不思議となにか七祖を含めての祖師聖人のお心が感じられます。勿体ないですねぇというようなこともたまにあります。・・・ありがとうございました。