『教行信証』の化身土巻を読む(47) 一楽 真 師
2020/02/22
もう本巻の終り方に差しかかっておりますが、前々回から読んでおりますのは時と機の問題ですね。時機ということを押える中で『安楽集』の文章に依りながら述べておられる部分を読んでいるところであります。大谷派の聖典では358頁から359頁であります。ちょっと全体を確かめるために358頁の真ん中辺に108と科文番号が振ってあります。ここをもう一回読んでおきたいと思います。
で、ここで聖道の修行はいかに難しいかということが書いてありましたね。「しかるに修道の身、相続して絶えずして、一万劫を経て、始めて不退の位を証す」と。これだけ長い時間をかけて漸く得られる不退。そして[当今の凡夫は、現に「信想軽毛」と名づく]と。その修業を継続して、積み上げて、そして成就するなんてことがなかなか望めないというわけです。それで[また「仮名」と曰えり、また「不定聚」と名づく、また「外の凡夫」と名づく。未だ火宅を出でず。何をもって知ることを得んと。『菩薩瓔珞経』に拠って、つぶさに入道行位を弁ずるに、法爾なるがゆえに「難行道」と名づく、と。]だから修行して覚りを開いていく道というのはどうしても難行道であって、当今の凡夫にとってはこれは得られないということを道綽禅師が云ってる文章を、親鸞聖人は始めに置いておられます。じゃあ凡夫の仏道はどこにあるのかと、当然次に問題になりますね。
もう一回359頁に戻ります。前回ここを読んでおりましたが、凡夫が迷いを超えるためには浄土の教えでなきゃならんと云って、それを中味として押えているのが阿弥陀仏を一念称する、称名念仏を掲げていくのが『安楽集』の第2番目の文であります。前回ちょっと触れていたと思いますが、八十憶劫の生死の罪の除却というのは『観経』が大本ですね。そこちょっと確認しておきましょうか。『観経』の下品下生のところにこのことが出ております。121頁ですね。さっきも云いましたが、『安楽集』は基本的に『観経』に説かれる阿弥陀とその浄土について、これを勧めて下さるいろんな経典や論書の言葉を集められた、これが『安楽集』という書物の名前ですが、いまの部分は下品下生のところに出る『観経』の言葉がそのまま引かれております。120頁下の段最後の行、「かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ」称名念仏ですね。心を静めて心に仏を思い浮かべる観想念仏ではなくて称名念仏、これを『観経』は最後に勧めていくわけです。観想念仏だったら、そういうふうに状況が整っていなかったら心が落ち着けられないですね。雑念がいっぱいあるのを払ってからと云われたら、雑念が次から次へと起っている時にはもう間に合わない。そんな者でも名前を口で称えるこれなら出来るだろうと勧めて下さる。だからこの称名念仏というのは『観経』のこの場所に出て来るのですね。これを道綽禅師は見逃さずに取り上げました。これをきっちりと受け止めたのが善導大師でして、やっぱり道綽禅師のお弟子として『観経』の要はどこにあるかということを継承なさったんでしょうね。善導大師の方が大部の著作も残して、七高僧の中でも大事にされるわけですが、その善導大師を生み出したのは道綽禅師だということが非常に大事ですね。で、その次に「仏名を称するがゆえに、念念の中において八十憶劫の生死の罪を除く」とあります。一念一念の中に八十憶劫の生死の罪を除くと、こういうことが出て来ます。除くというのは消えてなくなるかのように見えますね。だからこれを実体化することも起ったのです。一念一念の中で八十憶劫の生死の罪を除かれると書いてあるから、十遍念仏すれば八十憶劫の罪の10倍が除かれるのかと、こういう話ですね。そうではない。『歎異抄』にも出て来るところであります。そうじゃなくて、どれだけ重い過去の業に苛まれておっても、そのことから解放されるということであって、過去が消えるという話じゃないんですね。この辺が経典の呼びかけでありますので「除く」という言葉はありますけれども、親鸞聖人なんかは「罪を消し失わずして」という云い方をなさいます。やった罪が消えるんじゃないですね、消すんじゃないです。消し失わずして、その意味が転ずる。だから今まで迷って来たことも大事な意味を持つとかね、過去のことに振り回されたり苦しめられることからの解放がある。「念々の中」ですから、一念一念において過去に苛まれることからの解放があるというふうに読んでおかないといけません。具体的に云うなら一遍称えたら八十憶劫分消えた、2回称えたらもう八十億劫と、そんな分量の問題じゃなくて、どれほど重い過去に追っかけられておっても、その追っかけられていることからの解放があると。だから一声一声ということが一念一念の中という言葉で云われていると思います。逆に云えば一念の念仏を忘れるならば、またその過去のことは自分を縛って来るものとして苦しみとなるでしょうね。念仏のところに苛まれていることからの解放があると、こういうように読んでおかなきゃならんと思います。まぁこの辺を前回見ていただいていたわけであります。もう一回359頁に戻ります。大変長い文章を引用しておられるのですけど、やっぱり最後の「白法隠滞して多くの諍訟あらん」後の「微しき善法ありて」という、これだけが迷いを超えて行く道なのだ。傷つけ合うことを超える道なんだということを「一念阿弥陀仏を称するに、すなわちよく八十憶劫の生死の罪を除却せん」という言葉で押えているのが道綽禅師のお仕事であります。
ちょっと休憩をさせていただきましょうか。
「如来、痛焼の衆生を悲哀して、特にこの経を留めて、止住せんこと百年ならん、と。」『大経』の文がこういう短い言葉になっておりますが、見ていただくとおりであります。親鸞聖人から云えば、この如来というのは釈迦如来お一人には止まらない。「如来というは諸仏をまうすなり」という言葉が親鸞聖人の著作にはあります。つまりお釈迦さまを始めとするありとあらゆる仏さま如来さまが皆こういうことを願われたのだというのが親鸞聖人の読み取りなんですね。だからさっき見てもらいました弥勒菩薩に語るところで云われていますことは、もしか弥勒菩薩が五十六億七千万年の後に如来さまとなってこの世に現れたとしても、何を云うかと云えば「阿弥陀の名を聞け」ということだと云うのです。阿弥陀に遇うてくれと、阿弥陀の世界に生れよというふうに勧めて下さる。これも折に触れてお話していますが、親鸞聖人は彌勒菩薩と同じだ、念仏する者は弥勒と同じと。これ偉くなるという意味じゃなくて弥勒菩薩の登場を待たなくてもいいということが一番の趣旨なんですね。親鸞聖人の時代は弥勒信仰が非常に盛んですから、お釈迦さまがいない今は次は弥勒さんだと思っている人がいっぱいいるわけです。奈良で云えば解脱坊貞慶という人も弥勒菩薩の熱烈な信者でありました。あるいは法然上人を批判した明恵上人も弥勒信仰の信者でありました。お釈迦さまを強く思う人は、お釈迦さま亡きいまは次の弥勒だという期待感が、鎌倉時代には渦巻いていたと思います。ところが親鸞聖人は『大経』を読んでますから弥勒が出て来ても何を云うかと云えば、阿弥陀の名号を聞いてねというわけですから。そうしたら五十六億七千万年先の話じゃないでしょう。私はいまここで聞けばいいんです。だからそれをいただいた者は弥勒と同じだと、親鸞聖人はここまで云うていかれる。でもそれを勘違いする人も出てね、親鸞聖人が弥勒菩薩と同じだと云ったから、オレは弥勒だという人も出るんですよ。でも自分は凡夫なんですよ。凡夫が立派な者になるんじゃない。でも念仏に生きるところに仏の智慧を賜わる、仏の広い世界をいただきながら歩むということが起こる。これは根性が直ったわけじゃないですよね。念仏を離れればまた自分の好きか嫌いか、役に立つか立たないかで人を量るんですから。だから自分は凡夫であると云うことは生きている限り消えないわけです。しかし凡夫が仏の覚りを賜るということが大きい。これがさっきの「凡夫念じてさとる」いうとということの意義でしょうね。この辺が『大経』の「流通分」が元になって展開しております。
で、次の言葉は道綽禅師の言葉です。「此にありて心を起こし行を立てん者は、すなわちこれ聖道なり、自力と名づく」と。者とありますが、これは「行を立てんは」と読んでもいい。者という字を読むかどうかは議論のあるところですね。「立てんは」と読むと、この娑婆世界で菩提心を発して行を立てて行く、これが聖道ですよ、という意味になります。そして「当今は末法にしてこれ五濁なり、ただ浄土ありて通入すべし、と。」ここにも「と」があるでしょう。これは「道綽和尚解釈して曰わく」のカギカッコ閉じるになると思います。だから正確に云えばさっきの『大集経』の所でも[「未だ一人も獲得の者あらじ」と。]として、いまのカギカッコは取ってしまうか、どうしても付けるならば『大集経』の上にもう一つカギカッコを付けておけばいいんですね。道綽禅師はこう仰いましたということですから。いずれにしてもカギカッコの付け方に対応がもう一つなんですね。ここを読むと「通入」と云っても「覚りに」と云えんじゃないかと云われるかも知れませんが、『二門偈』は幸い道綽禅師と善導大師の間に挟まれているんですね。そこを見ると完全にこの「通入」というのは曇鸞大師を受けているし、次の善導大師につながっていくような内容を持っていると思います。例えば道綽禅師で云うと464頁の後ろから2行目を見ましょうか、「この信心をもって一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、煩悩を断ぜずして涅槃を得しむ。」とあって「すなわちこれ安楽自然の徳なり。」つまり浄土の徳として「不断煩悩得涅槃」ということが起きるんだと云ってます。だから浄土に行けることが利益と云うじゃなくて、浄土に生まれるところに涅槃を得るということをキチっと云っておられますよね。そういう意味で云うと、この道綽禅師のところの「ただ浄土ありて通入すべし」は浄土に通入するとは読まない方がいいと思います。涅槃に至る、覚りに通入すると読むべきだと思っています。もう一つ、善導大師のところにも併せて見てもらいますと、466頁ですね「善導和尚義解して曰わく、念仏成仏する、これ真宗なり」と。ハッキリここに念仏成仏これが真宗だと云ってるでしょう。これも何遍もお話したかもしれませんが、善導大師の著作の中にはこの言葉は出ないんですよ。法然上人という善導大師の跡を継いだ人の言葉に「念仏成仏是真宗」が出て来ます。ただその法然上人を生み出したのは善導大師だという思いで親鸞聖人はいつも善導大師のところにこの言葉を仰います。だから「念仏往生是真宗」じゃないんですよ。浄土に往けると云うんじゃなくて、往生するということは成仏という課題に応えているんだというわけです。それを次に「すなわちこれを名づけて一乗海とす、すなわちこれをまた菩提蔵と名づく。」と。これ覚りの蔵でしょう。覚りの智慧の蔵と云って行く。それで、しつこいかも知れませんが、道綽禅師のところでは「唯有浄土可通入」という言葉なんですが、この「通入」は覚りに至るというふうに見ておきたいと思います。
今日は358頁のところから繰り返すようなことになりましたが、この末代というね、正像末ということを受け止められた道綽禅師の言葉を通して我々に呼びかけているのは最後のところ、「今の時の道俗、己が分を思量せよ。」と。これ時代と我が身はどんな者かということを本当に知るということがないと、出来ないことが出来るような錯覚に陥ってしまう。末法ということを知らずに正法の時代の影を追い求めて行くということが起きるわけです。その正像末ということを詳しく云うて行くのが次の話になります。これが今日始めにも申しましたが、わざわざ伝教大師最澄さまの著作を本当に長々と引いて、天台宗の祖がこう仰っているのですよと云って行く。こういう意味では天台の方にも読んでほしいという思いもここにあると思います。これは何時も気をつけなくてはと思うんですが、そう云うと天台宗の人を説得するために、これを引張ってきたかのように見えるんですが、親鸞聖人ご自身が聞いているお言葉だと思います。すでに伝教大師が正像末ということをここまで云うて下さっているという、そこをまぁちょっとずつ読んで行きたいと思います。
一応今日はここまでとさせていただきます。
ありがとうございました。
2020年2月22日の第47回をもって本講座はコロナ感染症対策のため休止となり、現在に至っています。伝教大師の『末法灯明記』に入るところまで辿りつきながら、未だに再開の目途も立たない状況にあります。従って第48回以降の講録も、申し訳ございませんがお休みということになります。
しかしこれも空過を転じて再読あるいは精読の時間にするチャンスかもしれません。一日も早い疫病の終息と皆さまのご健勝を念じつつ、講録休載のご報告とさせていただきます。
聖道・浄土の真仮顕開と時代勘決
「しかるに正真の教意に拠って、古徳の伝説を披く。聖道・浄土の真仮を顕開して、邪偽・異執の外教を教誡す。如来涅槃の時代を勘決して、正・像・末法の旨際を開示す。」お釈迦さまのお経は沢山あるわけでありますが、その中でお釈迦さまが亡くなった後のことをちゃんと残して下さっている部分、これが時機相応という問題であります。その問題は357頁に既に出ておりましたが、聖道の諸教というのは在世正法のためのものであって、お釈迦さまが亡くなった後、像法、末法あるいは法滅の時代には、もういくら真面目に修行をしたからといって、それで迷いを超えられないのだということを云い切っておる。それを承けて今読んだところが、ご自分の入滅の後のことを見越して説いて下さった教えがある。そこを尋ねて行こうというのが、この「正真の教意に拠って」というところであります。特に「古徳の伝説」、これは先達が伝えて下さったところということで具体的にはここには『安楽集』の文章と最澄の『末法灯明記』の文章が出てまいります。これを通して正像末法ということを確かめようとしておられるわけです。その確め方がその後、「聖道・浄土の真仮を顕開して」とありましたね。聖道はどこまでも浄土に導くための仮の教えであるということを親鸞聖人は化身土巻でずうっと云ってこられました。念の為に云っておきますが、「仮」というのは軽いという意味ではありません。程度が低いとか、そういう意味ではありません。「仮」を通さないと私たちは「真」ということに出遇いようがないんですね。形を敢えて取って下さる、私たちを導いて下さる、それが「仮」の大事な意味であります。ただその仮のものを真のものと握ること、これは教えのお心に違って行くわけですから真と仮をはっきりとさせるのが「聖道・浄土の真仮を顕開して」ということです。その後「邪偽・異執の外教を教誡す」これは本当でないものを握ってしまうという意味で、「邪偽・異執の外教」という言葉が出てまいります。これは具体的には化身土では末巻の主題ということになって来ますが、これを前もって真仮ということと、もう一つは誤っておるもの、偽ですね。真と仮と偽が三つ出ているわけであります。出遇わせたいのは「真」ですね。出遇わせるために説かれたのが「仮」、そして拠ってはならないものが「偽」、こういう三つであります。でも「仮」は大事なものを持っているんですが、「仮」のものを本物だと握れば、執着すれば、それはもう偽物に転落するわけです。勧めて下さっているその教えを受け止めないということが起るわけです。でもこれがなかなか難しいわけですね。仏法と云いながら結局自分の思いや計らいで握ることが殆んどでありまして、仏法を聞いているつもりで自分の思いと云うかね、それを固めているだけということがあるわけであります。だからここに真と仮と偽ということが前もって出ておりますが、この偽の問題は詳しくは末巻に展開されることになります。その後「如来涅槃の時代を勘決して」と。勘決というのは考えて決定するという意味でありますが、如来はいつ入滅なさったのかという時代をきっちりと考え定めて、それによっていつが正法の時代、いつまでと云った方がいいでしょうかね。そして何時から何時までが像法の時代、更にはいつから末法にはいったのか、この旨際、むねきわを明らかにしますと云っています。で、前にもチラッと云いましたが、後で出て来る伝教大師最澄さまの『末法灯明記』にこれが出ているわけでありまして、最澄自身がいつから末法だということをその中で語っておられるんですね。なんでわざわざ最澄の著作を引くかと云えば、比叡山の僧侶たちが未だ末法じゃないということを云っている、これは親鸞聖人が52歳の時に、まだ末法じゃないから末法になれば念仏の教えも仕方ないかも知らんけれどもまだ早すぎると、比叡山の僧侶が朝廷に訴えたものですから、親鸞聖人はそれに応答するために比叡山を開かれた伝教大師最澄さまがこう仰っていますよという形で『末法灯明記』を引かれたということになります。それは具体的には『末法灯明記』のところですが、「正像末法の旨際を開示する」と今からこのことを述べて行きますよということを云っている。これが後半の大きな区切りになっているわけであります。それを通して一つ目が『安楽集』の文章でしたね。ここには『安楽集』の中から上に番号が付いて、109、110、111、112と四つの文章が引かれております。『安楽集』というのは阿弥陀の浄土について述べられた言葉を集めたものなんですね。特に観無量寿経という教えを中心に据えながら、それ以外の経典や論書のことを集めておられます。つまり阿弥陀の浄土でないと私たちは助からないぞということを示していく。これがこの本をお書きになった道綽禅師のお心であります。ただ『安楽集』はちょっと見ると、どう云う順序で進んでいるのかということは目次を作ってみても良く分かりません。だから何か咎めたことがあって、それに対してお答えなさったのか、一貫して文章を解説しているわけでもないし、主題ごとに大きくまとめてあるという形は取っておりますけれども、なんでこれの次がこれなのかというのは読み手にはそう簡単に分かりません。だから親鸞聖人は『安楽集』の元々並んでいる順番にはある意味で捉われずにですね、この「聖道・浄土の真仮を顕開」するということを云うために『安楽集』の文章を並べておられる。これが原文の順序とは違うんですね。そういうことを見ることができます。じゃぁどこが違うかということになると、この聖典大変便利に後ろに出典が全部書いてあります。いまの109はどこに書いてあるかと云うと、1008頁を開いていただきますと注という形で小見出しですね、読んだ方がこんな小見出しを付けて下さったわけですが、それが載っております。1008頁の下の段後ろから5行目のところです。二項として「『安楽集』の時代判」という言葉があります。一科から四科まで四つの文章がありますが、一科というのは『安楽集』の巻下の第五大門の文、これは聖教全書の421頁だということがちゃんと書いてあります。だから元を調べたい人には便利な科文が付いているわけですね。そして2番目の二科というのが巻上の第一大門の文だと。だからこれは『安楽集』で云うと第一章のお言葉なんですね。これを親鸞聖人は二つ目に回しています。これが聖教全書の378頁と書いてあります。三つ目に引かれるのが巻下の文の第六大門の文、聖教全書の427頁。四番目がまた巻上に戻って第三大門の文、聖教全書の410頁と。これ順序は全然バラバラでしょう。でもこれは、わざわざ適当に並べたと云うんじゃなくて、親鸞聖人からすると、次第をもって読んでほしいということがあるから後のものを前に持って来て、前にあるものを後ろに回すということをしておられるのだと思います。だから大きく見当付けをしますと第一科に『安楽集』の課題を読み取って、第四科が総決というふうに見ることができる。四番目が『安楽集』を通してはっきりすること、云いたいことと読んでほしいという親鸞聖人の思いがあるということですね。是非とも気になる方は真宗聖教全書の第一巻の頁でありますので、開いていただいたらと思います。『安楽集』の引文、第1
で、前回は1と2を読んだんですが、さらっと見ておきますと、358頁に戻りまして科文番号の109の文章を先に読みます。「ここをもって、玄忠寺の綽和尚の云わく」と。道綽禅師は曇鸞大師の事蹟を訪ねて玄忠寺で曇鸞大師の浄土の教えに出遇ったのでした。もう50歳を過ぎていたと云います。その歳までずうっと、どこにお釈迦さまの教えの中心があるのかということを求め続けておられた。これは既にお話ししましたが、ずうっとお寺で勉学を続けるような状況になかったんですね。北周武帝の廃仏がものすごく厳しくてお坊さんは全部還俗させられる。或いはお寺が壊されるとか、お経が焼かれるということがあった。道綽禅師はそこにいよいよこれはお釈迦さまの云う末法の時代が近づいているなぁということを実感なさったと思いますし、もう一つは緩々と徐々に修行を積み重ねてそのうちに助かると云うのでは間に合わないわけですね。今ここで助かる仏法でなければ自分には道は開けないという思いを強くされた。だから修行出来たか出来ないかを超えて、誰の上にも開かれる仏教が浄土の教えだということを曇鸞大師の事蹟から学ばれるわけです。直接にはお会いしておられません。亡くなられた後に玄忠寺を訪ねてということでありますが、まぁその後ずうっとそこに居られたものですから特に玄忠寺の和尚と云う時には道綽禅師のことを指します。因みに善導大師は玄忠寺におられる道綽禅師に弟子入りした人です。10年から15年ぐらいは学ぶことができたんじゃないかと思います。これも何歳で入門したのかはっきりしませんので断定はできないんですけれども、まぁ10年ほどは一緒に居られたのではないかと思います。でもお師匠さんである道綽禅師が無くなっていくと別のところへ移って行かれる。曇鸞大師も玄忠寺に晩年は居ましたし、道綽禅師は一番長いこと玄忠寺に居た人です。善導大師は道綽禅師が亡くなるまでは玄忠寺に居たということで3人とも関係があるのが石壁の玄忠寺と伝えられています。大谷大学も今年は中国の研修を予定していたのですが、大変募集しにくい状況でね、ちょっと難しいですね。アナウンスできない感じですね、でも4月に登録してもらわないと旅行は8月なんです。4月の登録は呼び掛け難いんです。高校生でも修学旅行がなくなったところがいっぱいありますしね。入試のやり方を考えないといけないと云うておられる大学もあります。それぐらい皆さん気を使っておられて、なかなか大変ですね。いろんな会議やら、合宿なんてようできたと思います。うちらの大学でギリギリやったのかも知れません。一泊で濃厚接触がもう許されない、そういう状況が来ております。まぁ余談になりましたが、玄忠寺とはそういう三人の方のご旧蹟だということを知っておいていただいたらと思います。で、ここで聖道の修行はいかに難しいかということが書いてありましたね。「しかるに修道の身、相続して絶えずして、一万劫を経て、始めて不退の位を証す」と。これだけ長い時間をかけて漸く得られる不退。そして[当今の凡夫は、現に「信想軽毛」と名づく]と。その修業を継続して、積み上げて、そして成就するなんてことがなかなか望めないというわけです。それで[また「仮名」と曰えり、また「不定聚」と名づく、また「外の凡夫」と名づく。未だ火宅を出でず。何をもって知ることを得んと。『菩薩瓔珞経』に拠って、つぶさに入道行位を弁ずるに、法爾なるがゆえに「難行道」と名づく、と。]だから修行して覚りを開いていく道というのはどうしても難行道であって、当今の凡夫にとってはこれは得られないということを道綽禅師が云ってる文章を、親鸞聖人は始めに置いておられます。じゃあ凡夫の仏道はどこにあるのかと、当然次に問題になりますね。
『安楽集』の引文、第2
それに応答する形で前回読んでおりました二文目があると思います。「また云わく、教興の所由を明かして」と。この「教興」というのは浄土教が興る所以という意味です。これは『安楽集』の第一章、第一大門に出て来る文章なんですが、これを親鸞聖人は2番目に譲って、凡夫のための仏教、そのために興って来なければいけないのが浄土教だと読める流れにして下さっています。「教興の所由を明かして時に約し機に被らしめて」と。時と機ということが問題なんだと云うのですね。お釈迦さまがおられない末法の時代、修行を完成することができない凡夫、そういう者のためにこの浄土教が興って来なければいけなかったんだというわけです。それが「浄土に勧帰することあらば、もし機と教と時と乖けば、修し難く入り難し。」と。機と教と時が乖離したならば修し難く入り難いとありました。これちょっと余談になりますが、昨今文献を研究しておられる仏教学者の中には、浄土の教えがどこから来たのかということを研究しておられる方が非常に多いです。それはなぜかと云うと、元々お釈迦さまの時代には阿弥陀とか浄土とか、そんな言葉もないんですね。とすると阿弥陀の浄土に生まれるとか、往生して迷いを超えるなどというのは後からの思想だと云う見方です。それは恐らく外来の宗教の影響を受けたのではないかと云ってる人もいますしね、とにかく仏教の本来は自分が迷っていることに目を覚ましていく、覚りの智慧を獲得することにあるという立場からすると、浄土に生まれるというのは後からの付け足しだという見方が強いのです。だから一所懸命どこから浄土教は興ったのかという本まで出ていますけれども、道綽禅師のこのお言葉をいただけば聖道の難行道では助からない者のために浄土教は興って来たという云い方なんですね。どっかの外来の宗教の影響を受けて、浄土教は仏教に付け足された、そんなことではなくて、元々云われていた教えでは助からない、そういう人間をほっておけないという問題なんですね。だからこれを私たちにまで引き付ければ、浄土教はどこから来たのかと云えば、この私のためやった、とまでいうのが親鸞聖人でしょう。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり。」と云うわけです。なんで浄土教でなければならんのですかと云えば、その教えでないと助からない私のためだったのです、とまで云うわけです。だから今の文献の整理の上で仏教がどう展開したかという研究も大事でないとは云いませんが、それは外から客観的に見る方法かも知れません。そうすると2,500年前には阿弥陀もいなければ浄土ということも云われていない。それはそれで確かでしょう。しかしそれでは助からない私が本当に迷いを超える道であり、仏教が歴史を重ねる中で明らかにして下さったことなのだと云う受け止め、これが親鸞聖人にまで来るとハッキリすると思います。道綽禅師のお言葉でもそうですし、視点が全然違いますよね。今日大谷大学で門脇健という人が、今年定年になるので最終講義をされて、私も聞かせていただいて面白いことを仰っていましたね。研究には二つあって客観的な研究と、そして研究しているうちに自分自身が変えられていくという研究と二つあると云うんですね。学生には一応客観的な論文書いてねと云ってるけれども、本当にやり出したら書いている途中で問いも深まっていくし、自分が変っていくということもあると。客観的なことって本当にあるのだろうかと非常に面白いお話をしておられました。一つの例として仰っていたのは完全に客観的なんてことが云えるのなら、それを待つと云うのなら、私たちは例えば結婚なんてできないだろうという話をしておられました。この人と結婚することは自分にとっては絶対幸せなんだとか、そんなことが証明されるのを待っていたら、いつまで経っても出来ないと。そこに自分にとってはと、自分がその中で変わっていくということが身近なところででもあるだろうということを一つの例として仰っていました。まとめて仰ったのが、今日はヘーゲルの話が中心だったのですが、哲学すると云うことは自分がどんどん変わるということであって客観的なことをやるんじゃないと。で、どういう話になったかと云うとシャーロックホームズよりもハードボイルドというのが最後のお言葉でした。ホームズは客観的に研究する立場で状況証拠も含めてあれでしょうこれでしょうと押えていく立場ですが、でもヘーゲルはそういう意味で云うとハードボイルドだと。そこがちょっとよう分からんかったんですけれど、門脇先生は非常にワクワクして喋っておられました。この客観的というのは研究方法としては大事な面です。仏教を今から客観的に見てですね、こういうふうに展開して来たと、そういう研究も当然あります。しかしそれが私とどこで関係するかとなった時に、これは客観的に正しいから信じますと、そんな話じゃないんですね。これでないと助からないというのはそういう自分が見えるのと同時なんですね。だから「親鸞一人がため」という言葉にしても、他から見ればですよ、なんで他にも仏教があるのにもかかわらず、なんで「無量寿経」を選ぶんやと。独断やないかと、こういうことがいくらも見えると思います。しかしこれでないと助からない私ということが見えてるということが親鸞聖人にはあるのです。遡れば道綽禅師のお言葉も同じだと思います。浄土教が何故興って来たかと云えば、そうでないと助からない凡夫があるという問題です。それがここで云われているんですね。前回読みましたけれども、ちょっと音読だけしておきます。[『正法念経』に云わく、「行者一心に道を求めん時、常に当に時と方便とを観察すべし。もし時を得ざれば方便なし、これを名づけて失とす、利と名づけず。いかんとならば、湿える木を攢りて、もって火を求めんに、火得べからず、時にあらざるがゆえに。もし乾たる薪を折りてもって水を覓るに、水得べからず、智なきがごときのゆえに」と。]湿った木は燃やすことができないと云うんですね。乾いてしまった薪はどれだけ折っても、そこから水を得ることはできない。智慧がなくそれがどういうものかということが見えていないからだと云っています。で、これを承けて『大集経』のお言葉ですね。[『大集月蔵経』に云わく、「仏滅度の後の第一の五百年には、我がもろもろの弟子、慧を学ぶこと堅固を得ん。」これが正法の時代であります。智慧を学ぶこと堅固を得ん。確かにこれ迷いを超える智慧を獲得することができると云うわけです。次の第二第三というのは像法の時代になります。「第二の五百年には、定を学ぶこと堅固を得ん。」一応三昧に入る行は出来る。でもその結果としての智慧を得るというところまでは行かない。「第三の五百年には、多聞読誦を学ぶこと堅固を得ん。」沢山聞いたりお経を読んだりは出来るんだけれども、そこから智慧を得ることにはならない。これが像法の問題ですね。で、四番以降が末法に入るわけですが、「第四の五百年には、塔寺を造立し福を修し懴悔すること堅固を得ん。」お寺を建てていくんですね、造寺堅固というふうに云われています。つまり形として仏法の学ぶ場所を作っていくこと、あるいは供養のためと云ってお寺を寄進したりは出来るんだけれども、それが実際に迷いを超える行であるのかということは分からないんですね。で、第五の五百年になると今度は「白法隠滞して多く諍訟あらん」と。争いばっかりになります。で「微しき善法ありて堅固を得ん」と。この「微しき善法」というのは何ですかというご質問もいただいていましたが、これがその中に残る教えなんでしょうね。だから正法の時やら像法の時の真似をしていても、それでは決して迷いを超えることはできない。この「微しき善法」と云うというところを展開して末法の教えということが明らかにされることになります。前回お話した後にご質問いただいたのですが、正像末というのは三つの分け方ですね、三時教と云って一番大きな括りです。それを五つの五百年とされているのが今の『大集経』の言葉であります。ただもっと詳しいものになると百年毎のことを云っておられるんです。だからこの三時の教えと五百年毎に五分割されているのがどう重なるのかということはちょっと分かり難いかも知れませんが、一応始めの五百年は正法、次の千年が像法、でそれから後はずうっと末法に入っていくんですが、それを四番目五番目の五百年と云っているわけであります。ちょっとそこ読んでおきましょうね。「今の時の衆生を計るに、すなわち仏、世を去りたまいて後の第四の五百年に当れり」と云ってます。これは道綽禅師が仏滅の時代を算定しまして自分はここに居ると云っているわけです。で、「正しくこれ懴悔し福を修し、仏の名号を称すべき時の者なり」と。自分がどれぐらい罪業が深いか、迷いを超えるつもりでも迷いを深めて行くか、そういうことを懺悔するというのは自覚するということですね。懺悔というのはどうしても行の一つに見えて、懺悔するとね、許されるようなイメージが付いています。特に昨今はこれをザンゲと読んでね、キリスト教の方で云われるところに拠れば、自分の犯した罪を告白すればやったことが許されるようなイメージがくっ付くんですが、そういう意味じゃないです。どういう罪を犯して来たかを自覚する、そこに「福を修す」とありますが、これは「仏の名号を称する」ということに尽きると思いますね。これが先ほどの「微しき善法」と重ねて読むことができます。だから「一念阿弥陀仏を称するに、すなわちよく八十憶劫の生死の罪を除却せん。一念すでに爾なり、いわんや常念を修するは、すなわちこれ恒に懴悔する人なり」と。阿弥陀仏を念ずる、もっと云えば阿弥陀の名を称えるという、これしかないということを道綽禅師は明言しているわけです。ですから一つ目の文章は凡夫は聖道門では迷いを超えて行けないということを云って、だから浄土の教えでないといけないというのが二つ目。それを『正法念経』と『大集経』という二つのお経に依って確かめて、そして称名念仏に行けと、それが恒に懴悔することであるという云い方で押さえ切っていると思います。で、さっきの五つの五百年を更に詳しく云っているのが後に出て来る『末法灯明記』のところですが、少し先取りして見ておきますと360頁後ろから2行目に、ここは『賢劫経』というお経を「引きて言わく」とあって、[「仏涅槃の後、正法五百年、像法一千年ならん、この千五百年の後、釈迦の法滅尽せん」と。末法を言わず。]と書いてあります。もう1,500年経ったら釈迦の法は滅し尽きるのだと云っているお経もあると。次には『涅槃経』が出ていますが、それを細かく云うのは361頁の3行目からですが千五百年の中はどんなふうになっているかということを『大術経』というお経で押えておられます。[『大術経』に依るに、「仏涅槃の後の初めの五百年には、大迦葉等の七賢聖僧、次第に正法を持ちて滅せず。」]これが正法がきちっと持たれている時代だと書いてありますね。で「五百年の後、正法滅尽せん」と。500年経つと正法は滅していく。覚るとはどういうこと分からなくなる。そして「六百年に至りて後、九十五種の外道競い起らん。馬鳴、世に出でて、もろもろの外道を伏せん」と。馬鳴菩薩がこの六百年の時に出てくると書いてあります。で、「七百年の中に、龍樹、世に出でて邪見の幢を摧かん。八百年において、比丘縦逸にして、わずかに一・二、道果を得るものあらん。」まぁここでは一人二人その結果に至る者があるが、ほんのわずかだと云います。そして「九百年に至りて、奴を比丘とし、婢を尼とせん」と。これは仏法を求めて歩んでいる人のことを奴婢にたとえて、貶めることが起こる。これは言葉として日本においても坊主という言葉が悪い方で使われる,なんとか坊主というようにね、あれもこれと重なると仰っている人もありますね。そういう日本語の歴史のことはボク今辿れませんけれども、仏教徒と云えば普通は尊敬を受ける者、比丘・比丘尼というのは周りから敬われる存在であったのに、それがもう奴婢の扱い、下に見られていくということが起こる。つまり仏法を敬うということが分からなくなる時代をこういう言葉で云われています。親鸞聖人も和讃に詠っておられますがね。そして「一千年の中に、不浄観を聞かん、瞋恚して欲せじ。」不浄ということを教えてもらうんですが、腹立ててそんなこと聞きたくないというわけです。例えばあなたは汚れているぞ、罪が深いぞと教えられても、要らんこと云うなとなるわけですね。教えに遇うてもそれに腹を立てるわけです。そして「千一百年に僧尼嫁娶せん」と。嫁をとると書いてあります。出家ということが見えにくくなってくるわけです。この辺もうちょっと丁寧に見なければなりません。後になると子どもの手を引いて酒家から酒家を歩いているという話まで出て来ます。そこにも仏教徒としての生き方はあるんだというのが『末法灯明記』の云いたいところです。結婚したらアカンと云ってるんではなくて、仏法か分からなくなっていくという状況を先ずこう云っています。そして「僧毘尼を毀謗せん」と。あんな者は仏教徒じゃないということですね。「千二百年に、もろもろの僧尼等、ともに子息あらん」これは子どもがいるという話です。「千三百年に、袈裟変じて白からん」と。これ元々は糞掃衣と云って、泥まみれの布を衣にしていたわけでしょう。それが白いきれいなものを着るようになるということです。現在の僧侶には一人も免れませんね。絹織物を身に着けたりしていますからね。「千四百年に、四部の弟子、みな猟師のごとし、三宝物を売らん」と。猟師はこれ譬えとして出していますけれども、云いたいのは三宝の物、本当は仏法僧の宝物でしょう。それが売られていくということです。「ここに曰わく、千五百年に拘睒弥国に二の僧ありて、たがいに是非を起こしてついに殺害せん」と云っています。仏教を求めているはずの人がお互いに殺し合うんですね。オレの方が正しいということでしょうね。これがさっきの5番目の五百年には闘諍堅固ですね、言い争いばっかりなんです。正当性を云うばっかりで最後には自分の意見が通らないと相手を殺すことまで起きる。これは仏教とだと云えるだろうかと云われてますね。最後は「仍って教法龍宮に蔵まるなり」とありました。だからこれ五つの五百年の説を更に細かく百年毎にこういうふうに云っているのです。三時という教えと五つの五百年の説とそしてこの百年毎の説といろいろあるなぁと思われるかも知れませんが、詳しく見るとこういうお経がちゃんとあるということであります。五つの五百年がそこにまとめられてありましたね。361頁の後ろから5行目[『大集経』の五十一に言わく]とあって[「我が滅度の後、初めの五百年には、もろもろの比丘等、我が正法において解脱堅固ならん」と。]解脱堅固というのが、この第1の500年です。「初めに聖果を得、名づけて解脱とす。」と。第2の500年に「次の五百年には禅定堅固ならん。」とこれです。「次の五百年には多聞堅固ならん」と。多く聞くことは持たれているんですね。第4の500年が「造寺堅固ならん」お寺は建つんですが仏教は分からなくなる。そして「後の五百年には闘諍堅固ならん。白法隠没せん」とありました。これを親鸞聖人は和讃にも詠っていかれるので五つの五百年の説、『大集経』の言葉を用いられていることが分かります。この辺は先ほどの道綽禅師のところにも出ていたわけであります。もう一回359頁に戻ります。前回ここを読んでおりましたが、凡夫が迷いを超えるためには浄土の教えでなきゃならんと云って、それを中味として押えているのが阿弥陀仏を一念称する、称名念仏を掲げていくのが『安楽集』の第2番目の文であります。前回ちょっと触れていたと思いますが、八十憶劫の生死の罪の除却というのは『観経』が大本ですね。そこちょっと確認しておきましょうか。『観経』の下品下生のところにこのことが出ております。121頁ですね。さっきも云いましたが、『安楽集』は基本的に『観経』に説かれる阿弥陀とその浄土について、これを勧めて下さるいろんな経典や論書の言葉を集められた、これが『安楽集』という書物の名前ですが、いまの部分は下品下生のところに出る『観経』の言葉がそのまま引かれております。120頁下の段最後の行、「かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ」称名念仏ですね。心を静めて心に仏を思い浮かべる観想念仏ではなくて称名念仏、これを『観経』は最後に勧めていくわけです。観想念仏だったら、そういうふうに状況が整っていなかったら心が落ち着けられないですね。雑念がいっぱいあるのを払ってからと云われたら、雑念が次から次へと起っている時にはもう間に合わない。そんな者でも名前を口で称えるこれなら出来るだろうと勧めて下さる。だからこの称名念仏というのは『観経』のこの場所に出て来るのですね。これを道綽禅師は見逃さずに取り上げました。これをきっちりと受け止めたのが善導大師でして、やっぱり道綽禅師のお弟子として『観経』の要はどこにあるかということを継承なさったんでしょうね。善導大師の方が大部の著作も残して、七高僧の中でも大事にされるわけですが、その善導大師を生み出したのは道綽禅師だということが非常に大事ですね。で、その次に「仏名を称するがゆえに、念念の中において八十憶劫の生死の罪を除く」とあります。一念一念の中に八十憶劫の生死の罪を除くと、こういうことが出て来ます。除くというのは消えてなくなるかのように見えますね。だからこれを実体化することも起ったのです。一念一念の中で八十憶劫の生死の罪を除かれると書いてあるから、十遍念仏すれば八十憶劫の罪の10倍が除かれるのかと、こういう話ですね。そうではない。『歎異抄』にも出て来るところであります。そうじゃなくて、どれだけ重い過去の業に苛まれておっても、そのことから解放されるということであって、過去が消えるという話じゃないんですね。この辺が経典の呼びかけでありますので「除く」という言葉はありますけれども、親鸞聖人なんかは「罪を消し失わずして」という云い方をなさいます。やった罪が消えるんじゃないですね、消すんじゃないです。消し失わずして、その意味が転ずる。だから今まで迷って来たことも大事な意味を持つとかね、過去のことに振り回されたり苦しめられることからの解放がある。「念々の中」ですから、一念一念において過去に苛まれることからの解放があるというふうに読んでおかないといけません。具体的に云うなら一遍称えたら八十憶劫分消えた、2回称えたらもう八十億劫と、そんな分量の問題じゃなくて、どれほど重い過去に追っかけられておっても、その追っかけられていることからの解放があると。だから一声一声ということが一念一念の中という言葉で云われていると思います。逆に云えば一念の念仏を忘れるならば、またその過去のことは自分を縛って来るものとして苦しみとなるでしょうね。念仏のところに苛まれていることからの解放があると、こういうように読んでおかなきゃならんと思います。まぁこの辺を前回見ていただいていたわけであります。もう一回359頁に戻ります。大変長い文章を引用しておられるのですけど、やっぱり最後の「白法隠滞して多くの諍訟あらん」後の「微しき善法ありて」という、これだけが迷いを超えて行く道なのだ。傷つけ合うことを超える道なんだということを「一念阿弥陀仏を称するに、すなわちよく八十憶劫の生死の罪を除却せん」という言葉で押えているのが道綽禅師のお仕事であります。
『安楽集』の引文、第3
で、今日は三つ目の引文を読んで行きます。「また云わく、経の住滅を弁ぜば、いわく釈迦牟尼仏一代、正法五百年、像法一千年、末法一万年には衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅せん。如来、痛焼の衆生を悲哀して、特にこの経を留めて、止住せんこと百年ならん、と。」ここは釈迦牟尼仏が一代かかってお説きになった教えが、正法として500年は保たれるのですね。次の像法、像という字は似ているという意味ですから、正法に似ている、正しい教えがあるかのように見える、そういう時代なんですが、これが1000年続く。形としては仏法が保たれているように見えるんですが、それは中味を伴わない。従って実際に覚りを開くことにならないわけです。それがいよいよ行ずる方法すら分からなくなっていく。それが末法一万年と云われていますが、ここは「衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅せん」と云われます。生きているものがだんだん減っていくと云われます。『正像末和讃』なんかでもこのことを詠って行かれますが、501頁であります。ここは「衆生減じ尽き」という言葉はありませんが、衆生の有様が変っていくということであります。上の段5番「数万歳の有情も/果報ようやくおとろえて/二万歳にいたりては/五濁悪世の名をえたり」こんな和讃であります。有情は数万歳というこういう寿命を持っていると云われてあるのですね。それがだんだん果報が衰えていくと二万歳に減っていく。「減じ尽き」という言葉は衆生のいのちが減じていくということが云われているところであります。二万歳もあったらすごいやないかいう話にもなりますけれども、これは形が変っていくというところに意味があると思います。いま私たちどうでしょうか。昔の平均寿命、若くしてなくなった人も多いから平均寿命は昔はものすごく短かったわけですが、80,90まで生きて居た人も勿論あるわけです。親鸞聖人もそうですしね。でも今それが大体平均になって来たということになってくると、結構な時代やということになるかも知れません。いま生物学者の中で、このまま医学が進むと元々細胞は130年で分裂しない、人間のいのちの限界は130年だと云われて来たのですが、ヒョットすると後100年近く経つと150年は生きられるようになるかも知れないと云ってる人がいるんだそうですね。ところがその時の死因は何だと思うかというテーマのテレビ放送があったそうです。ボクは見なかったんですけど聞かしてもらってビックリしました。死因の第一は自殺なんだそうです。それも予想ですから分かりませんが。だから150年生きられるようになってよかったやないかと云うわけにはいかない。もうこれ以上生きていたくないという、自分の人生を自分で終えて行くということが増えるかも知れません。ボクも聞かせてもらっただけで、この番組のことを詳しく云えませんけれども、そういうあり方、いまは伸びていく方向ですから結構じゃないかと云ってますが、そうじゃなくなって来たでしょう。あれ何年前だったですかね、永六輔さんが「大往生」という本を書いたのは。あれがベストセラーになって、あの時は未だ長生きしていのちを完結していく大往生ということは、ある意味で明るいニュースだったわけですよ。でもいまはいのちを早く、どう閉じて行けるかという、なかなか死ねなくなった時代が来て、その中でどう自分のいのちを終って行けるかの方に関心が移ってきている。まぁそういう意味で云うと百歳ということがめでたいと云われた時代がだんだんそうじゃなくなってきているということ、こういうことも変わってきていることの一つですよね。だからこれ数万歳とか二万歳と書いてあるとめちゃ長いという話ですが、これは衆生のあり方が変っていくということを云われている和讃だと思います。もう一つは身体の大きさのことが云われていますね。『正像末和讃』の6番でありますが、「劫濁のときうつるには/有情ようやく身小なり/五濁悪邪まさるゆえ/毒蛇悪龍のごとくなり」とあります。「劫濁」というのは時代が濁っている。それが段々だんだん移り変わって行くわけですが、その時に有情の身体が小さくなる。背が高いか低いか、そんな話じゃない。これもあり方が変っていくわけです。まぁ身というのは仏教では環境と一つでありまして、昔からの云い方では「身土不二」というのがあります。身を持っているということは環境を抱えて生きているということです。しかし実際どうでしょうか。私たち環境といっても自然環境のことは云うかも知れませんが、自分に関係する時だけですよね。自分の生きている土はたいへん狭いことになっているかも知れません。だからこれ身が小さいということだけでなくて世界が狭い、世界が小さい。いまの時代正にボクはそうなっていると思いますよ。もう4,5年前に流行りました、あれ嫌な言葉ですけれど、「今だけ金だけ私だけ」と云ってね、現代人のあり方を批判的に云うた言葉でしたが、その通りやとえらく支持されたことになってました。今だけ金だけ私だけ、見ている世界がものすごく小さい。自分が死んだら後のことは知らんというようなもんですね。でもこれはつながりということで云えば、門脇先生の言葉も思い出しますが、歴史と云えば死者と繋がっている。過去と繋がっている人は未来とも繋がれる、こういうことも教えていただきましたけれども、見ている世界が本当に狭い。死者とつながる、亡き人とつながるということが亡くなると今度は自分が亡き者になっていくと云うことは、居らんようになるだけなんですね。未来の人と繋がれないということが起こる。そういう意味で云うと身が小さいというのは身体の問題じゃないですよね。世界が小さいんです。それが「五濁悪邪まさる」いよいよ濁りがひどくなって、邪なこと、傷つけ合うことがどんどんどんどん増していく。それをたとえて「毒蛇悪龍のごとくなり」と。姿形は人間のように見えるけれども毒蛇悪龍のような生き方になっとるぞということです。この辺は道綽禅師のお言葉そのものじゃありませんが、衆生減じ尽きというようなこと、そしてそれを導いて下さる教えがあっても誰も聞かない。「諸経ことごとく滅せん」という時代なんですね。これが「如来、痛焼の衆生を悲哀して」とありました。この辺までお話をさせてもらっていました。この「痛焼」という言葉がどこにあるかということまでお話していたかと思いますが、痛ましい、焼かれる苦しみ、これ三毒五悪段のところですね。代表的なところを見ましょうか。66頁下の段4行目、「今我この世間において仏に作りて、五悪・五痛・五焼の中に処すること最も劇苦なりとす。」とあります。私はこの世間において仏になって、五悪、傷つけ合うこと、それから五痛、痛ましいこと、それから五つの焼かれることでありますが、まぁ悪ということを痛と焼という言葉でおさえておられます。その中にいることが最もはげしい苦であると。お釈迦さまはこの五悪・五痛・五焼ということをほうって置けないから一所懸命説法なさるわけですよ。そんな生き方、いつまで続けるつもりかと教え導いて下さるわけですね。だから佛教はここから始まっているのですね。五悪・五痛・五焼、そんなもの当り前やというところから仏教は起きません。世の中てそんなもんや、どうしようもないんやと云うたら、もう仏教は興って来ません。このあり方何とかできないのか、なんとかそういうあり方を離れられないのか。それが先に目覚めたお釈迦さまのお仕事なんです。それが最も劇しい苦だと、そこに居れないということですが、だから衆生を教化して「五悪を捨てしめ五痛を去けしめ五焼を離れしめ」と云ってるでしょう。五悪・五痛・五焼を離れさせるんですね。それが衆生を教え導く理由です。「その意を降化して」ですから、これは五悪・五痛・五焼を起すようなその心を降すわけです。降化の化は教化の化、変化させるわけですね。それによって「五善を持たしめて、その福徳、度世・長寿・泥洹の道を獲しめん」と云っています。五つの善、これは五悪・五痛・五焼に対する者ですね。それを持たせる。それを中国の人にも分かり易い言葉に翻訳されてますが、福徳と云われる。度世とは世を渡ることです。或いは長寿、これはさっき云うたちょっと長生きするというような話と違います。本当の意味の喜びを持った長寿でしょうね。そして泥洹とは涅槃のことです。そういう道を得しめようというわけです。そこから始まりまして[仏の言わく、「何等か五悪、何等か五痛、何等か五焼」]と述べて下さいます。それに対して今度は何が善であるかということを「何等か五悪を消化して、五善を持たしめて、その福徳、度世・長寿・泥洹の道を獲しむる」と。これは自分で何が五悪・五痛・五焼かということを仰って下さる、これが大変詳しいわけであります。テキストのことで云いますと、これは中国で入れられたんじゃないかという説がかなり強いのです。現存するサンスクリット本にはこの五悪段という部分がないのです。中に出てくる福徳とか長寿という言葉一つとってみても、インドの仏教から出たというよりは、中国の人が求めてきたことに応答して説かれているだろう。だからこれは中国で入れ込まれたんだと、特にインドの仏教をやっておられる方は仰います。ただこれはお経がね、何が痛ましいことかを教えるために、元々云われていたことが膨らんだと見ることは出来るとボクは思います。いま現存しているサンスクリット本もいま残っているのであって、この無量寿経の大本があのサンスクリット本の原本だとは云えないんです。ま、『浄土三部経』にいわゆる原本としてサンスクリット本が載っていますけれど、あれが一番大本の形だということは誰も分かります。お経というのは人間の問題に応答しながら展開すると云うか、歩むということがあるんですね。その意味でこんな言葉の表現になったのは中国かもしれませんが、中国で入れ込まれたのだから本の大経ではないと、そこまでは云い過ぎやとボクは思っています。もうちょっと見てみましょうか。仏の言わくとあって、「その一つの悪というは、諸天人民蠕動の類、衆悪を為らんと欲えり。みな然らざるはなし。」と。まぁ悪を作ろうと思いながら生きている人はないかもしれませんが、そういう生き方になっているということです。そして「強き者は弱きを伏す。転た相剋賊し残害殺戮して迭いに相呑噬す。」と云っています。「強者伏弱」これは強い者が勝つのは当り前やないかと、現代そのものですね。そして「相剋賊し」これは相手を敵とみなしていくわけです。そして「残害殺戮」残虐な害を為して殺し合う、つまり自分にとって不要なものは全部切って排除していく。これも正に今のままですね。「相呑噬」呑み込むわけです。利用できるものは呑み込む。これは生き物が食い合うということを云っていますので「殺生」の罪が第一悪に云われていると解釈されています。殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒の五戒に当てはめて、この五悪を読んで行くことも出来ると思いますが、特に殺生を繰り返している痛ましさを第一悪として読むことも出来ます。でも中にはいろんなことが混じって出て来ますので、あんまり当てはめることに執われなくてもいいと思います。まぁそれが痛ましいぞと云ってるわけですが、どうなんでしょうね。「強者伏弱」強い者は弱いものを伏し、従えていくという云う。こんなもの当り前やないかと云うのが現代かもしれません。でもお釈迦さまはそれが悪ですよ、痛ましいあり方ですよと。お互いに炎で燃やし合っているようなことですよと云うわけです。これが痛焼という形で悪ということを押えて下さっているお言葉です。だからお釈迦さまから見れば痛ましいのですが、我々はこの真只中にいても痛ましいとすら思っていない。こんなことに陥っているかも知れません。そういう意味でここをずうっと読んで行くのは大事なんですが、大谷派ではここが音読からは外されています。実際音読が難しいです、どれだけ練習しても上達しませんわ、ボクは。本当に難しい。それもあったかも知れませんがお経を短くするというのは、大谷派では昭和法要式と云うて、昭和35年ぐらいに定められました。その理由を一遍だけ読んだことがありますが、法要の時間の適切化と書いてありました。要するにこれ全部読んでいたら長過ぎるという話です。でも昔は『三部経』読んでくれといわれたら、昔の人というのは昭和法要式が出来る前までは、これ読んでたんですね。それを読むお坊さんもしっかりしていて、じゃぁ本気で聞くのなら読むぞといって、きっちり読むならば2時間はかかるのです。2時間じいっと聞いておられた。でもなに云うとるのか分からんということになって、まぁ法要の時間の適切化となってギューっと縮めたんですね。だからこの部分があることを知らないお坊さんもある。聖典を開いてここを見ないと分からないですからね、この辺り案外読まれていないんです。でも学生と輪読会をしていると非常に面白くて、自分に思い当たることがあるんでしょうね。お釈迦さまいいこと云いますねと云うたのがいました。キミ何者やとボク云うとったんですけど、自分に響いたのでしょうね。自分のことを見透かされているんです。これ五悪段を読めば必ず当てはまらない人はないと思います。どっかで自分のことが云われています。なんで自分のことをお釈迦さまは知っているんやろうという思いになります。それを痛ましいぞ、そのあり方を離れてくれよというのがここに説かれるお心なんですね。これを「痛焼の衆生を悲哀して」という言葉で『安楽集』はまとめておられるわけです。その部分を親鸞聖人が抜いて来られたということは、こんなあり方をどう超えて行くかという問題ですよね。これが浄土の教えでないと我々は超えられないぞというところに決着していくということになるわけであります。ちょっと休憩をさせていただきましょうか。
釈尊が弥勒に託されたこと
86頁の5行目に[仏、弥勒に語りたまわく、「それ、かの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念することあらん。当に知るべし、この人は大利を得とす。すなわちこれ無上の功徳を具足するなり。」と。]これ親鸞聖人が非常に大事にしていかれる言葉であります。未来を担う弥勒に何を託したか、これを「弥勒付属」と云われます。「ふぞく」というのは「付属」と書きますが、今はふぞくというと付属物と云うて付け足しのような話ですが、付属というのは託していくということですね。弥勒に何を託したかというと、阿弥陀の名前を聞きなさいと。一度でも念ずることがあれば、そこに大きな利益、無上の功徳が具わると云っているわけです。他のことじゃなくて、阿弥陀の名を聞く、その一つのことを弥勒に託していった。すごい言葉やと思いますね。お釈迦さまは生きておられる時には相手に応じていろんな説き方をなさったわけでしょう。ところが一つだけ残すとなると何かと仰ったか。阿弥陀の名を聞けという、この一点なんですね。それがこの次にも云われています。[このゆえに弥勒、たとい大火有りて三千大千世界に充満せんに、要ず当にこれを過ぎてこの経法を聞きて、歓喜信楽し、受持読誦し、説のごとく修行すべし。]ま、これ親鸞聖人の和讃の方が有名ですがね。「たとい大千世界に/みてらん火をもすぎゆきて/仏の御名をきくひとは/ながく不退にかなうなり」世界を覆い尽くすような火があったとしても、それをすぎて仏の御名を聞く人は長く不退にかなうなり、とあのご和讃であります。あれもね、一番始めは仏の御名じゃなくてね、如来の本願を聞くという趣旨の文章で書かれてあるんですが、本願を聞くと云うてもどこで聞くのかということを思われて、仏の御名を聞くという言葉に字を直しておられますね。如来の誓いを聞く人はと初め書いているのが、仏の御名を聞くとお経の言葉を元にしてでしょうね。どんなことが起きてもそれを超えて何が残っていくべきかといったら、阿弥陀の名を聞くということ一つだと云っている、そんな文章です。特留此経 止住百歳
後もうちょっとありますが、飛ばして先ほどの「特留此経」のところ、86頁の下の段最後の行から読みます。「我が滅度の後をもってまた疑惑を生ずることを得ることなかれ」と。私が入滅にも、これに対して疑惑を生ずるなということをお釈迦さまが云ってますね。で、その次ですが、「当来の世に経道滅尽せんに」当に来るべき世、そこにすべてのお経が滅し尽していくということです。そんな中で「我慈悲哀愍をもって特にこの経を留めて止住すること百歳せん」というわけですね。この「経道滅尽」という言葉とあとの「特留此経」とはちょっと矛盾しているように見えますね。だってお経が全部滅し尽きて行くと書いてあるわけでしょう。なのにこのお経だけは残るのかと、そんなことを学生に聞かれたこともありますが、お釈迦さまはそう云ってるんですね。すべてのお経が滅し尽きる時が来たとしても、このお経だけは留めておきたいと。これが「特留此経 止住百歳」という言葉です。ここを初めに注目して下さったのが、今日読んでいる道綽禅師なんですね。曇鸞大師も勿論『無量寿経』あるいは『観無量寿経』については『論註』に引かれてね、いろいろな言葉を挙げておられますが、ここについては特に仰って居ません。その意味では曇鸞大師は未だ時代ということ、これ「無仏の時」と仰いますが、そこに成り立つ仏道として易行道を云いますけれども、それがお経に根拠があるという云い方までは『論註』ではしておられないですね。ところが道綽禅師は時代の問題をずうっと見ておられた。まさに「経道滅尽」ということを肌で感じておられた、そういうお方だからこそ ここの言葉が響いたんですね。だから『大経』で云えば、さっきの五悪段からだいぶ後でしょう。五悪段は勿論長いですが、あそこの「痛焼の衆生」ということを取って来て、その衆生のために特にこの経を留めて下さったと、お経をギューっと凝縮して云っておられるのが先ほど読んだ化身土巻の文章であります。「当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲哀愍をもって特にこの経を留めて止住すること百歳せん。」そして「それ衆生ありてこの経に値う者は、意の所願に随いてみな得度すべし。」と求める願いに応じで、みな迷いを超えて行くことができると。得度というのは「渡ることを得るという字ですね。迷いから覚りに渡ることを得る、これを得度と云っています。だからこの経に遇うならば、一人残らず迷いを超えることができるのだあとお釈迦さまが云っているのです。お釈迦さまが最後に残していかれるお言葉としてこの部分はあります。これを善導大師も受け止め、そしてそれを法然上人は『選択集』に一章を設けて、「特留章」という章がありますが、この経文の意味を読み取っておられます。親鸞聖人はそういう流れの中から先ほどの化身土巻の記述が出てくるわけです。道綽禅師がいて、善導大師がいて、法然上人がそれを受け止めた。だからこの言葉を非常に大事に受け取っていくという。だから親鸞聖人は『教行信証』を書いておられますが、自分一人で書き上げたなんてとても仰いませんよね。「愚禿釈親鸞集む」ですから。集める、先達のお言葉に聞いておられるのが親鸞聖人やと思います。ここがまぁ非常に注意されて来たということであります。善導和讃第9首と道綽和讃第7首
で、善導大師のことは前回チラッというていましたかね、和讃では親鸞聖人はこれを善導大師のお仕事のところに詠っておられました。もう一度場所を確かめておきますと495頁高僧和讃の善導大師についての9首目ですね。「経道滅尽ときいたり/如来出世の本意なる/弘願真宗にあいぬれば/凡夫念じてさとるなり」と。「経道滅尽」というのはお経そのものに出ている言葉ですが、それを如来出世の本意である「弘願真宗」と云った。善導大師のお仕事をこんなふうに受け止められたのですね。真宗という言葉は善導大師の書物の中に出て来ますよね。文類偈では「深藉本願興真宗」と詠っておられます。真宗を興したのは善導大師だという思いが親鸞聖人にはおありなのですが、それが如来出世ですから、狭く云えば、お釈迦さまがこの世にお出ましになった本意、これは弘願真宗にあるんだと云っているわけです。一人も漏らさない弘い願いですね。それが我々にとっての本当の依り処になるわけですが、それに遇うことができたならば「凡夫念じてさとるなり」とあります。これも難行道聖道門の方では、覚れない者が凡夫と云われるわけです。覚りの位にちょっとでも入ったら、それはもう聖者と呼ばれます。でも今日読んだ道綽禅師で云えば、外の凡夫だとね。聖者の仲間に入らないのが凡夫だと云うんですが、ここで親鸞聖人ははっきりと凡夫が念じて覚るなりと仰る。繰り返しますが、もとは覚らないものを凡夫と云ってるんですよ。でも凡夫がさとる、こういう仏教、これが弘願真宗だと云っておられるのです。これが如来出世の本意であるというのが善導大師のお仕事として親鸞聖人は受け止めておられるから、これは道綽禅師のお言葉と云ってもいいんですけれども善導大師のところで実を結んだとこういうように読むことができます。せっかく和讃のところを開いてもらっていますので、そこに道綽禅師の和讃7首ほどありますが、その7番目だけちょっと見ておきましょうか。これが道綽禅師の本願文の読み取りであります。「縦令一生造悪の/衆生引接のためにとて/称我名字と願じつつ/若不生者とちかいたり」こういうご和讃です。「縦令」というのはたとい~せしむとも、と読むことのできる字です。たとい一生悪を造るような者であってもという意味で「縦令一生造悪」と云ってあるわけですね。本願文にはこんなこと書いてありません、十方衆生と書いてあるんですよ。でも道綽禅師は『無量寿経』の本願に次のように云われていると云って、一生造悪の者が南無阿弥陀仏を称えるところに助かるのだと読み取っていくわけです。縦令一生造悪の者を導く、そういう衆生を引接するため、引張って親しく接して導くわけですが、そういう者のために「称我名字と願じつつ/若不生者とちかいたり」我が名字を称えよと願って下さった。我が名を称える者は一人も漏らさないと願って下さったと。こういうふうに本願文を読み取っていくわけです。これはどうです、善導大師も「本願加減の文」というのは有名でしょう。でもその元は道綽禅師のところにあるんですね。18願にこんな称名念仏なんて書いてないんですよ。18願は「至心信楽欲生我国乃至十念」と書いてあるわけです。称えるという字書いてありませんね。しかしもしか十念の念が心を静めての念仏だとすると、そういう状況が整ってない者は漏れて行きますので、一人も漏らさないということを明示するために称えるという字でそれを云い切ったわけです。これが善導大師まで来ると「称我名号下至十声」という本願の読み方になって行きますね。だから善導大師のお仕事なんですけれども、元は全部道綽禅師にあると云っていいと思います。だから「称我名字」ということで願って下さった。もし生れないならば、私も覚りを取りませんと誓って下さった。それが「若不生者とちかいたり」です。まぁこれ親鸞聖人の和讃もすごいと思います。元の18願を道綽禅師が読んで下さった、その漢文をこれだけにまとめられているわけであります。すごい和讃やなぁと思います。その意味で云いますと、道綽禅師のところでさっきの経道滅尽の話も入れてもいいんですけれども、それが如来出世の本意である真宗だという、これは善導大師を俟たないとこういう言葉は出て来ないということで善導和讃の方に譲っておられると思うんですね。でも凡夫の救いということ、これはもう道綽禅師以来課題になっていたことと見ておくべきだと思います。359頁に戻ります。「如来、痛焼の衆生を悲哀して、特にこの経を留めて、止住せんこと百年ならん、と。」『大経』の文がこういう短い言葉になっておりますが、見ていただくとおりであります。親鸞聖人から云えば、この如来というのは釈迦如来お一人には止まらない。「如来というは諸仏をまうすなり」という言葉が親鸞聖人の著作にはあります。つまりお釈迦さまを始めとするありとあらゆる仏さま如来さまが皆こういうことを願われたのだというのが親鸞聖人の読み取りなんですね。だからさっき見てもらいました弥勒菩薩に語るところで云われていますことは、もしか弥勒菩薩が五十六億七千万年の後に如来さまとなってこの世に現れたとしても、何を云うかと云えば「阿弥陀の名を聞け」ということだと云うのです。阿弥陀に遇うてくれと、阿弥陀の世界に生れよというふうに勧めて下さる。これも折に触れてお話していますが、親鸞聖人は彌勒菩薩と同じだ、念仏する者は弥勒と同じと。これ偉くなるという意味じゃなくて弥勒菩薩の登場を待たなくてもいいということが一番の趣旨なんですね。親鸞聖人の時代は弥勒信仰が非常に盛んですから、お釈迦さまがいない今は次は弥勒さんだと思っている人がいっぱいいるわけです。奈良で云えば解脱坊貞慶という人も弥勒菩薩の熱烈な信者でありました。あるいは法然上人を批判した明恵上人も弥勒信仰の信者でありました。お釈迦さまを強く思う人は、お釈迦さま亡きいまは次の弥勒だという期待感が、鎌倉時代には渦巻いていたと思います。ところが親鸞聖人は『大経』を読んでますから弥勒が出て来ても何を云うかと云えば、阿弥陀の名号を聞いてねというわけですから。そうしたら五十六億七千万年先の話じゃないでしょう。私はいまここで聞けばいいんです。だからそれをいただいた者は弥勒と同じだと、親鸞聖人はここまで云うていかれる。でもそれを勘違いする人も出てね、親鸞聖人が弥勒菩薩と同じだと云ったから、オレは弥勒だという人も出るんですよ。でも自分は凡夫なんですよ。凡夫が立派な者になるんじゃない。でも念仏に生きるところに仏の智慧を賜わる、仏の広い世界をいただきながら歩むということが起こる。これは根性が直ったわけじゃないですよね。念仏を離れればまた自分の好きか嫌いか、役に立つか立たないかで人を量るんですから。だから自分は凡夫であると云うことは生きている限り消えないわけです。しかし凡夫が仏の覚りを賜るということが大きい。これがさっきの「凡夫念じてさとる」いうとということの意義でしょうね。この辺が『大経』の「流通分」が元になって展開しております。
『安楽集』の引文、第4
それを受ける形、一応これがまとめになると思いますが、『安楽集』の四文目であります。これも前の方に出る言葉をこちらに回して、ここで結びの言葉に親鸞聖人はしておられると思います。[また云わく、『大集経』に云わく、「我が末法の時の中の億億の衆生、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得るものあらじ」と。当今、末法にしてこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり]と。『大集経』、つまりお釈迦さまが以下のように仰って下さっていますと道綽禅師は『安楽集』で云うわけです。「我が末法の時の中の億億の衆生」億憶ですからね、どれだけ沢山の衆生がいたとしても「行を起こし道を修せんに、未だ一人も得るものあらじ」、あらじというのは強い推量で、あるまいということですが、どれほど修行を頑張っても一人も覚りを得るものはあるまいと、お釈迦さまが仰っていると、こういう読みをしておられます。訓点は勿論親鸞聖人です。[「…あらじ」と]とここに「と」を付けておられる。ここまでが『大集経』のお言葉だということを明記しておられるんですね。親鸞聖人の時代にはカギカッコありませんのでね。でも「と」とすることによって『大集経』にこれだけのことが云われています、と。ここで区切りです。その後これは道綽禅師の言葉として読むべきですね。「当今、末法にしてこれ五濁悪世なり。」道綽禅師は今まさに末法に入った、これ五濁悪世であると云います。だから「ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり、と。」この「と」は、だから『安楽集』に云われています、という「と」ですね。「と」を二回振っておられる。これでどこまでがお経の言葉で、どこまでが『安楽集』の言葉であるかということを明示して下さっていると思います。正信偈では「唯明浄土可通入」になっていますね。この通入というのは浄土に通入すると解釈している本もありますが、道綽禅師は聖道と浄土を分けています。聖道の仏教ではもはや覚れないということを云っている。浄土のみが通入するということを考えれば、この通入は覚りに通入すると読まなきゃならんでしょうね。涅槃に通入していく、これを往生と読んでも間違いじゃないでしょうけれども、それだったら浄土の教えの内部の話であって、道綽禅師は聖道に対して浄土を立てていく時には浄土だけが覚りに通入できますということを云う。そういう必要があったと思います。もっと云えば、聖道の修行に励んでいる人にも、あなた方のどんな修行も結果には至れませんよということを呼びかけていく。だから浄土の教えに帰しましょうということの呼びかけ、これが道綽禅師にはあると思います。だから私は、ここは覚りに通入するというふうに読んだ方がいいと思っています。それを考えるのに「入出二門偈」を開けていただきたいんですが、465頁、ここに20句ほどあります。この「入出二門偈」もね、大谷派は日頃の勤行に全然読まないんですよ。だからお坊さんの中でも、こんなものあったんですかという人もたまにおられたりします。でもこれ親鸞聖人は84歳になってお書きになられた。「正信偈文類偈」に加えて三つ目の漢文の偈文です。一句七文字というのは同じですが、156句あります。「正信偈」よりはちょっと長いですね。でもこれをどうして84歳にもなってお書きになったのか。これ余ほど考えないといけないと思ってますし、ちゃんと読まなきゃいかん偈文だと思っています。「道綽禅師 玄忠寺」とあります。居られたお寺を書いておられるんですね。右の頁には「曇鸞和尚 大巌寺」とあります。次の頁には「善導禅師 光明寺」とある。それぞれ一番拠点となさったところを挙げておられるわけです。さっき三人とも玄忠寺に居られたと云いましたけれども、善導大師はやっぱり光明寺の和尚と云われるぐらい光明寺が中心なんです。ここは標題みたいなもので偈文と関係ないみたいにボク思っていたんですが、いやこれも七文字やから本文と読めないことないでしょうとある人から云われました。で「道綽和尚解釈して曰わく」禅師と云うたり和尚と云うたりしていますね。[『大集経』に言わく「我が末法に行を起こし道を修せん一切衆、未だ一人も獲得の者あらじと。」]と。これ皆さんの聖典どうですか。ここでカッコ閉じてますか、閉じてないですね。ここに本当は閉めのカッコが要ると思います。さっき云うたように、ここが『大集経』の言葉だからです。カギカッコを閉じて『大集経』の言葉はここまでです。聖典もね、編集の途上でちょっと修正しなければならないところあるんです。で、次の言葉は道綽禅師の言葉です。「此にありて心を起こし行を立てん者は、すなわちこれ聖道なり、自力と名づく」と。者とありますが、これは「行を立てんは」と読んでもいい。者という字を読むかどうかは議論のあるところですね。「立てんは」と読むと、この娑婆世界で菩提心を発して行を立てて行く、これが聖道ですよ、という意味になります。そして「当今は末法にしてこれ五濁なり、ただ浄土ありて通入すべし、と。」ここにも「と」があるでしょう。これは「道綽和尚解釈して曰わく」のカギカッコ閉じるになると思います。だから正確に云えばさっきの『大集経』の所でも[「未だ一人も獲得の者あらじ」と。]として、いまのカギカッコは取ってしまうか、どうしても付けるならば『大集経』の上にもう一つカギカッコを付けておけばいいんですね。道綽禅師はこう仰いましたということですから。いずれにしてもカギカッコの付け方に対応がもう一つなんですね。ここを読むと「通入」と云っても「覚りに」と云えんじゃないかと云われるかも知れませんが、『二門偈』は幸い道綽禅師と善導大師の間に挟まれているんですね。そこを見ると完全にこの「通入」というのは曇鸞大師を受けているし、次の善導大師につながっていくような内容を持っていると思います。例えば道綽禅師で云うと464頁の後ろから2行目を見ましょうか、「この信心をもって一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、煩悩を断ぜずして涅槃を得しむ。」とあって「すなわちこれ安楽自然の徳なり。」つまり浄土の徳として「不断煩悩得涅槃」ということが起きるんだと云ってます。だから浄土に行けることが利益と云うじゃなくて、浄土に生まれるところに涅槃を得るということをキチっと云っておられますよね。そういう意味で云うと、この道綽禅師のところの「ただ浄土ありて通入すべし」は浄土に通入するとは読まない方がいいと思います。涅槃に至る、覚りに通入すると読むべきだと思っています。もう一つ、善導大師のところにも併せて見てもらいますと、466頁ですね「善導和尚義解して曰わく、念仏成仏する、これ真宗なり」と。ハッキリここに念仏成仏これが真宗だと云ってるでしょう。これも何遍もお話したかもしれませんが、善導大師の著作の中にはこの言葉は出ないんですよ。法然上人という善導大師の跡を継いだ人の言葉に「念仏成仏是真宗」が出て来ます。ただその法然上人を生み出したのは善導大師だという思いで親鸞聖人はいつも善導大師のところにこの言葉を仰います。だから「念仏往生是真宗」じゃないんですよ。浄土に往けると云うんじゃなくて、往生するということは成仏という課題に応えているんだというわけです。それを次に「すなわちこれを名づけて一乗海とす、すなわちこれをまた菩提蔵と名づく。」と。これ覚りの蔵でしょう。覚りの智慧の蔵と云って行く。それで、しつこいかも知れませんが、道綽禅師のところでは「唯有浄土可通入」という言葉なんですが、この「通入」は覚りに至るというふうに見ておきたいと思います。
すでに引かれていた『安楽集』の文
359頁に戻ります。こちらはカッコの付け方はこの通りでいいと思っているんですが、この文章は実はすでに読んできました化身土巻のかなり前の方に一遍引かれてあるんですね。どこにあったか、そっちを確認しておきたいのですが、19願の話を展開する中でこのことが出ております。338頁後ろから6行目ですね、ここに『安楽集』から2文が引かれております。[『安楽集』に云わく、『大集経』の「月蔵分」を引きて言わく、我が末法の時の中に億憶の衆生、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得る者あらじ、と。当今は末法なり。この五濁悪世には、ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり、と。]ちょっと訓点が違いますけれども、一応「と」が2回出てくるのは同じですね。でもどういうわけか、こちらにはカギカッコつけてないんです。さっきの例で云えば、[『大集経』の「月蔵分」を引きて言わく]の後にカギカッコを入れて「未だ一人も得る者あらじ」の後にカギカッコ閉じを入れて、次の「当今は末法なり」というところに入れてもいいし、なくてもいいですね。さっきはない形でしたね。[『安楽集』に云わく、]ですから全部にカッコを付けたらうるさくなるかも知れませんね。少なくとも『大集経』の言葉がどこまでか、というカッコはあった方がいいと思います。これはなんでここに引かれていたかということですが、ある意味で浄土の教えでないと助からないということを始めに明示している、そういう位置でしたね。なんでこんなこと云えるかと云うと、もう一文読んでみますと次の文章、「また云わく」とあって「未だ一万劫を満たざる已来は、常に未だ火宅を勉れず」とあります。一万劫というのは今日読んだところでは修道は最低でも一万劫を経ないといけないというのがありました。とてつもない長い時間です。一万劫に満たない、その時には「火宅」迷いの世界を免れることは出来ないんだと云っています。そして「顚倒墜堕するがゆえに」逆さまになっている。逆さまになって仏道から堕ちて行く、迷いに堕ちていく。だから「おのおの用功は至りて重く、獲る報は偽なり、と。」この「用功は至りて」をどう読むかですけれども、積み上げた功というのは重いわけです。軽くないんです。大変な修行を重ねるわけです。ところが残念なことに「獲る報は偽なり」と。報いは本当に迷いを超えて行くことにはならない。いつも親鸞聖人の例で申し上げますが、親鸞聖人も20年修行をなさった。しかしどういう根性が湧いて来たかと云えば、アイツに勝ったとか負けたという妬んだり恨んだりする根性が湧くんですよ。これが仏道を学んだと云えるか、という思いが親鸞聖人に起ったと思いますよ。聖道の修行を経験した諸師方みんなそうでしょう。道綽禅師を始め聖道の修行をしていたわけです。曇鸞大師もやっていたわけでしょう。それでは助からなかったという思いがここで云うと「獲る報は偽なり」と。一所懸命積み上げて極めて長い間やって来るんだけれども、それで迷いを超えられないということ、これを云っていると思います。だからこの『安楽集』の二文は浄土の教えでないと助からないぞと、聖道の修行では一万劫を経ないと迷いは超え獲られないんだと、こういうことを始めに呼びかけて、だから聖道と浄土、あるいは難行と易行のことを述べていくのが後に続くわけであります。それが今日のまとめのところにもう一遍置かれてありまして、浄土の一門に依れということが『安楽集』の結論になっていると思います。『安楽集』のもとの文章とは順番が違うわけですが、親鸞聖人は少なくともこの四つを次第を以て述べておられると云うか、受け取っておられると思います。道綽禅師から聞いているんですね。だから浄土に依りなさいと。五濁悪世を生きる凡夫にはこの道しかないということを道綽禅師から聞いておられるんでしょうね。宗祖の勧誡
それを承けるところが359頁最後の行、「しかれば穢悪・濁世の群生、末代の旨際を知らず、僧尼の威儀を毀る。今の時の道俗、己が分を思量せよ。」と、こういう言葉であります。「穢悪・濁世」と。これは五濁悪世の真只中を生きている。穢し合うて迷いに沈んで行くようなあり方をしている、これを「群生」と云ってますね。「穢悪・濁世の凡夫」と云ってもいいんですが、凡夫だとどうしても個人的な能力のように思ったりしますが、凡夫の「凡」は平凡という意味じゃないんです。縁によってどうにでもなる、そういうつながりの中にある者なんですね。間違いを犯さないようなことを云うておっても、縁次第でどうにでもなるわけです。これあまりいい例じゃありませんが、昨日東京で仕事がありましてね、東京から返って来たと云うとなんか嫌な顔されるというとこありますね。ボクは大丈夫ですとボクは自分を弁護しようとするわけです。そういうこと云おうとすること自体が、勿論いま隔離しないといけないという大きな問題がありますが、もうこれヒョットすると、どれほど隔離して分けてもダメかもしれませんね、事実はこの世の中全体に蔓延しているのかも知れませんね。今はまだ何とか分けないといけないと云ってやっていますが、感染経路が分からない人がいっぱい出て来ているわけでしょう。そしたらボクは大丈夫ですと云いたくなる。でもそのぐらいのことありますね。昨日東京で仕事やったと云うと、いやぁな顔される。横浜の方行ってないやろかとかね、みんな冗談で云ってるのかも知れませんが、えらい神経をとがらせている雰囲気です。でもボクは違いますと云うて自分を護ろうとする根性が瞬間に湧きますよ。あの人たちと一緒にして下さいとか云いたがる。この間姜尚中さんでしたかね、アエラに書いておられましたね、コロナは中国で起った黄色人種による禍いだから「黄禍」という言葉が云われ出している、と云うんですね。そんな中で、いや日本は違いますよみたいなことを云うと、それこそ黄色い禍いだというところへどんどん嵌って行く。自分は違うんだと云えば云うほど、その「黄禍」だということを分裂させて、お互いに一緒に考えなくてはいけないようなことが壊れていくような、そういうことに載らないようにという趣旨のことを姜尚中さんが書いておられました。なるほどなぁと思ったんですが、それ読みながらですよ、ボクは違いますと云いたくなる。そういう関係の中でどうにでも動いてしまうという問題。これを自分のこととして考えさせられたんですが、凡夫というのはそういう意味なんですね。親鸞聖人はつながりの中にある者ということを群生、群がって生きていると云われる。関係の中で悩み苦しむということを明示する、この言葉を大事になさいます。それを「末代の旨際を知らず」つまり今はお釈迦さまが既におられない、もっと云えば在世正法の教えはもはや成り立たなくなっているということを知らないわけです。なんとかなるんと違うやろうかと。お経には書いてあるやないかと、在世正法の教えを握っているということがあるわけです。だから今は末法だ、修行が正しいかどうか判断できる仏はいないということを知らずにいるんですね。結果はどうなるか、「僧尼の威儀を毀る」と書いてあります。「僧尼」は比丘比丘尼のことでありますが、「威儀」というのは何が本当の仏弟子であるかということが分からなくなっていくという問題です。で、その一所懸命仏弟子としての道を歩んでいる人を「毀る」、こぼつという字が書いてあるでしょう、壊すという字です。違反すると云うだけじゃないですよね。仏教に生きている人を壊して行ってしまうということがある。これはお坊さんの方でも起きるわけです。私は修行者だと頑張れば頑張るほど、修行できない者は仏教徒じゃないということが起きてしまう。仏教者自身が仏教を貶めて行くということが起きるわけです。それから世間の方は世間の方で仏教の大事さが分からないと真面目に修行している人を見てもあれは奴婢という卑しいものに名づけるということが起きる。仏教に生きるとはどんなことかということが分からなくなると、仏教に生きている人をも批判してしまう、ないがしろにしてしまうということが起きるわけです。だからここ敢えてひと言云えば、何が本当の仏弟子かということが見えなくなっている、分からなくなっていくというのが、この「僧尼の威儀を毀る」ということの意味だと思います。僧尼の威儀を正しくしましょうというような型にはめるような話じゃなくて、本当の仏教徒ということは何かということが分からない。これが末代の旨際を知らない。そこに必ず「僧尼の威儀を毀る」ということが起きる。それを「今の時の道俗」ですから、今の時は末代ですよね、道俗ですから僧侶も俗人もです。仏教に縁ある人もない人も「己が分を思量せよ」と仰る。己が分を知れと云うとなんか変な我慢させるときに使われる言葉です。あんまりいい意味じゃない時がありますが「己の分を知る」というのは、これは自分という本当の言葉ですね。これを分際という言葉で云われることもありますが、何が出来るか出来ないかという意味では「己が能を思量せよ」という言葉もありましたね。出来ないものに出来るふりをしていたら、それは必ず道が見えなくなってしまいます。今日読んだところで云えば、湿った木から火を求めるようなもの、あるいは乾いてしまった木から水を得ようとする者という譬えがありました。自分がどういう時代を生きているのか、自分はいったい何が出来るのか、これを考えないと錯覚みたいな自分にできないことでもなんとかなると思っていくということであります。まぁここは親鸞聖人の呼びかけなんですね。今日は358頁のところから繰り返すようなことになりましたが、この末代というね、正像末ということを受け止められた道綽禅師の言葉を通して我々に呼びかけているのは最後のところ、「今の時の道俗、己が分を思量せよ。」と。これ時代と我が身はどんな者かということを本当に知るということがないと、出来ないことが出来るような錯覚に陥ってしまう。末法ということを知らずに正法の時代の影を追い求めて行くということが起きるわけです。その正像末ということを詳しく云うて行くのが次の話になります。これが今日始めにも申しましたが、わざわざ伝教大師最澄さまの著作を本当に長々と引いて、天台宗の祖がこう仰っているのですよと云って行く。こういう意味では天台の方にも読んでほしいという思いもここにあると思います。これは何時も気をつけなくてはと思うんですが、そう云うと天台宗の人を説得するために、これを引張ってきたかのように見えるんですが、親鸞聖人ご自身が聞いているお言葉だと思います。すでに伝教大師が正像末ということをここまで云うて下さっているという、そこをまぁちょっとずつ読んで行きたいと思います。
一応今日はここまでとさせていただきます。
ありがとうございました。
2020年2月22日の第47回をもって本講座はコロナ感染症対策のため休止となり、現在に至っています。伝教大師の『末法灯明記』に入るところまで辿りつきながら、未だに再開の目途も立たない状況にあります。従って第48回以降の講録も、申し訳ございませんがお休みということになります。
しかしこれも空過を転じて再読あるいは精読の時間にするチャンスかもしれません。一日も早い疫病の終息と皆さまのご健勝を念じつつ、講録休載のご報告とさせていただきます。
釈祐耕記