『教行信証』の化身土巻を読む(46) 一楽 真 師
2020/01/18
坂東本における改行と論調の転換
教行信証の化身土巻を少しずつ読むという時間を頂戴しておりまして、もう大分進んでまいりまして、前回で一応大きな区切りのところに来たわけであります。この大谷派の聖典で頁を申し上げますと358頁。前から7行目、ここに大きな区切りがあります。ちょっとだけ振り返りますと「しかれば末代の道俗、善く四依を知りて法を修すべきなりと。」とこう云われて、そこに坂東本では数少ない改行が置かれているんですね。聖典は見やすいように一々改行をしておりますが、ここで大きな区切りがあります。で、その前まではずっと聖道と浄土ということを述べて来て聖道の諸教はもはや成り立たないということを云い切って、浄土の真宗に依らなければ、この阿弥陀の本願の教えに依らなければ我々には迷いを超える道はないと云い切った。その最後のところに四依という四つの依るべきものと依ってはならないもの、これを明示して、それを末代の道俗よと全ての方に呼びかけて、四依をよく知って法を修すべきであるというふうに呼びかけて区切りになっているわけです。その一つが「法に依りて人に依らざれ」という言葉から始まっていましたね。お釈迦さまの教えをいただくということは、その教えが云おうとしている道理、人間が迷いを超えて行く道筋に依らないといけないんであって、お釈迦さまの人格に縋るということでないという。ただこれは仏教に限らないかも知れませんが、宗教という時にやっぱりこの人の魅力というかね、人の力に頼ろうとするものが必ず出て来るわけですが、それは既に仏教ではなくなっていくという視点が親鸞聖人にはあるわけです。これは決して他者を切り捨てるという意味で云ってるんじゃなくて、本当に迷いを超えるために依るべきものを「四依」として示したということであります。その四依を知って法を修すべきなりというのは、ありとあらゆる方々に呼びかけております。仏教に縁を持っている「道」という出家の方々だけじゃなくて、在俗の方々、出家という形をとってない方々にも、すべての人よと呼びかけている。ただその時に末代の道俗とあったように、お釈迦さまがもういらっしゃらない、その時代を生きているすべての方々よという、これがそこの大きな区切りになっておるところでありました。それを承けながらも、次には大きな転換があって、ものの云い方が変って来ていると思います。それを前回読んでおったわけですが、その三行をもう一遍読みますと「しかるに正真の教意に拠って、古徳の伝説を披く。聖道・浄土の真仮を顕開して、邪偽・異執の外教を教誡す。如来涅槃の時代を勘決して、正・像・末法の旨際を開示す。」こういう言葉です。「しかるに」という、そこから改行されているわけであります。逆に云うと坂東本というのは本当に改行が数えるほど僅かでありまして、なぜこのように一続きに書かれたのかと、ちょっと理解に苦しむようなところもあります。見易さから考えれば適宜改行を設けた方がいいんですけどね、親鸞聖人にとってはずうっと続いているんだという思いがおありになったんでしょうね。だから改行箇所に注目して、それで教行信証の段落を見て行こうとしている方もあります。でも段落だけで考えるというのもあまりにも形式的であるような気もします。というのは、この化身土巻の後半、末巻の方に行きますと弁証論なんか出て来ますが、この辺りは改行が多いんです。だから見られた本がそうだったのか、あるいは部分部分を抜いていくので、どうしてもそういうふうに受け取らなきゃいけなかったのか。例えば改行のやり方が後半に行くと大分変ってまいります。でもここはそれまでとこれ以降と大きく区分けするような位置にあることは間違いありません。一応言葉を当っておきますと、「しかるに」というのは「しかし」というような逆説にも読めますが、「そうであるから」という順説にも読めます。ですから「四依を知りて法を修すべき」であると云って、「そうであるから」と順説で読んだ方が意味がはっきりするように思います。「しかし」と逆説に読むとちょっとつながりが分かり難いです。以上のことを踏まえて、今度は「正真の教意」。これは釈尊が教えをお説きになったまことのお心ですね、これによるというわけです。仏教というならいろいろ沢山残されていても、その根源にあるものによろうというのが「正真の教意に拠って」ということです。「よる」は根拠の「拠」の字を書いていますね。そして「古徳の伝説を披く」。これも前回お話していましたが、その後に引かれてくるものを見ると一番直接には『安楽集』、その次には『末法灯明記』、この二つを指していると云ってもいいと思います。しかしそれらをあえて「古徳の伝説」と云っている。親鸞聖人のお気持ちからすれば、こういう形で伝えられて来たということが大事なんでしょうね。つまり伝統、仏教の云い方では伝灯という字が書かれます。現在漢字の書き取りでこういう字を書くと多分ペケになると思いますが、今では「統(すべる)」という字を書くのですが、灯を伝えるというのが「仏教の伝灯」という特に大事な言葉であります。つまりものを見せて下さる、光が点った。灯が点ったことによって暗闇にいたことがはっきり分かる。これが伝灯という言葉なんです。それは時代が違っても国が違っても民族が違っても、そこで生きてはたらいて来たということがあるわけです。だから「古徳の伝説」というのは、古からの大事なお言葉がいろんな形で伝えられて来たということがあるわけです。代表としては次に『安楽集』が引かれますが、『安楽集』が生まれるということは、中国で云えば曇鸞大師がいなかったら、こんなことは起らないわけですね。曇鸞大師の背景には菩提流支がおられますね。菩提流支が曇鸞大師に教えたのは天親菩薩の『浄土論』あるいは『観無量寿経』という浄土の教えですよね。だからすごい歴史の中から『安楽集』が生まれてきているわけです。『安楽集』が一冊だけ浮き上がってあるわけでなくて、それは親鸞聖人で云えば法然上人を通して『安楽集』をいただくことができたのです。だから脈々と伝えられて来たという意味での伝説ですよね。伝説という言葉を現代のボクらが使えば、なんか言い伝えというような、本当かどうか分かりませんというような文脈で使ってしまいがちですが、ここでは灯を伝えるような形でずうっと伝承されたということを親鸞聖人がいただくという立ち位置であります。で、この「古徳の伝説を披く」ところに「聖道・浄土の真仮を顕開して」とあります。一つ前のところでは聖道の諸教はもはや成り立たないとはっきり云われていました。じゃあ聖道仏教は意味がないのかというと、そうじゃないですね。私たちを真実に導くという意味では、大変大事な「仮」ということを持っています。でも仮と真実を混同すると依るべきものと依るべからざるものが分からなくなる。導くための教えにしがみついてしまえば真実に至らないということになってしまう。これが聖道浄土の真と仮を顕開するという言葉で押えられるわけですね。それを通して「邪偽・異執の外教を教誡す」と。邪な偽り、異なった執着、それに仏教以外の教えを誡めるということです。これも前回ちょっと触れましたが、元々『大経』に出る言葉でありまして、仏の教えが教誡という意味を持っているわけです。人間がこんなこと出来ると思ったら大間違いです。ここも勿論親鸞聖人が「教誡す」と云ってますから、親鸞聖人が教誡する立場にいるように見えてしまいますが、これはどこまでも正真の教意に拠って、古徳の伝説を披くという中から仏教でないものを教え戒めていく。だからそれはどれほど仏教的な装いを持っていても仏教ではないと云わなければならないことがあるわけです。仏教の言葉しか使われていなくても仏教じゃないということがあるんですね。それは何かという問題なんですね。最終的には化身土巻の末巻に長々と展開されることになりますが。私かつて古田和弘先生の『涅槃経』の教えを少し聞かせていただいたことがあって、『涅槃経』には「護法品」というところがあって、古田先生は熱く語っておられました。涅槃経はすごいことを云うているというわけですね。法を護るためには仏法でないものを殺してもいい、とは書いてないと云うんですね。殺さにゃならんと書いてあると云うんです。恐ろしい言葉です。仏法を仏法でなくしていくようなものは殺さにゃならんと。ボクらはそれを聞いてエーっと云ったんですが、ボクら知らず知らず仏法を護る側に立っていたわけです。そしたら古田先生はその後でですね、誰が仏法を殺していくのかという問題ですね。仏教者が一番仏教に近いとは限らない。仏教の言葉を使っているから仏教を護っていると思ったら大間違いなんです。結局『涅槃経』に法を護るということが云われているのは、近いと思われている者が一番危ういわけですね。だからそれを殺してもいいとは書いていない。殺さないかんと書いてあると仰って、でもそんなこと誰が出来るのかとなったら、自分が法を護る側に立った瞬間に、それまた危ういですよね。自分の好き嫌いで切っているだけかも知れない。法を護ると云いながら結局は仏教を自分の後ろ盾にして、気に入らない人を切り捨てているかも知れません。本当の法を護るということの厳しさと難しさを云うてあるのが、その「護法品」だということを教えていただいたことがあります。だから法もその意味では「教誡す」と云っていますけれども中味から云えば、親鸞聖人の教えを伝えたと云われているものの中では『歎異抄』なんかがそうですよね。異なるを歎くと書いてある。でもあれは外に異なった人がいるわけじゃないでしょう。仏法を護っているつもりで自分の狭い世界を固めていくような、そのあり方が歎かれているわけです。『歎異抄』というのは、曽我量深先生が仰った言葉では「歎異と改邪とは違う」と。改邪というのは、本願寺の三代目の覚如上人という方が邪を改めるという意味で本を書いていかれます。これは親鸞聖人滅後七、八十年経ってのことです。歎異抄は親鸞聖人滅後27,8年とみられますが、似たような感じでも全然違うということを曽我先生が仰る。改邪というのは自分に正しさがあって外に間違った人がいる、それを改めていくと云うんですね。でも歎異の場合は異なるのは他でもない、この私自身だという眼が唯円にはあるんだ、と云うのですね。折角親鸞聖人の教えをいただきながら誰が正しいかとか、どっちの念仏が本当かというようなことを云い合っている。阿弥陀の教えに遇うということは、そういう傷つけ合ったり苦しめ合ったりすることを超えるための教えのはずなのに、教えの言葉でまた人を裁いたりしていく。これを歎異しているのが『歎異抄』だと云うんですね。念の為に云うておきますが、覚如上人をこき下ろすために云っているのではなくて、覚如上人は覚如上人なりの課題があるわけですけれども、この二つは似ているようで実は違うということです。まぁ正しさを自分に持っているということがないと、邪を改めるなんてことはとてもできませんよね。だから覚如上人はどこに立ってそれをなさるかと云うたら、その前に書かれた『口伝鈔』で、私はちゃんと親鸞聖人の教えを直接口伝えに聞かせていただきましたと。ただ勿論親鸞聖人滅後の誕生ですので、親鸞聖人の孫であります如信上人を通してと云ってあります。法然上人、親鸞聖人そして如信上人の三人に保たれて来た教えを私は直接受け止めることができましたという立ち位置で『口伝鈔』を書き、そして『改邪鈔』を書いたと、こういう流れであります。そういう意味で云いますと『歎異抄』というのは異なるのは自分なんですね。「われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。(聖典640頁)」という言葉も出て来ます。結局善し悪しに執われるんですね。善悪を超える道を阿弥陀から呼び掛けられているにも関わらず、誰が正しいか誰が本当の弟子かと、誰が親鸞聖人の正当な継承者かというようなことに心を奪われているような状況であります。だから異なるのは自分であるというのが大事なんですね。で、ここは教誡が大変強い言葉でありますので、その意味で云うと、親鸞聖人が正しい立ち位置に立って間違っている人をズバズバ切っていくというふうに見えるかも知れませんがお心とすると違いますね。なんでそう云えるかと云うと、親鸞聖人は『教行信証』の中で何回も悲しみ歎く、悲歎ということを仰います。ちょっと細かいことになりますが、この「歎」という字、今は「なげく」というときに「嘆」という字が一番始めに出て来ます。親鸞聖人はこれを厳密に分けておられまして、悲しみなげく時は「歎」、「嘆」は讃めたたえる時の字として使われます。讃嘆です。だからお経ではほめる時にも「歎」が出て来る場合もありますが、親鸞聖人は『教行信証』に抜き書きする時には必ずと云っていいほど「嘆」に改めておられます。で、悲歎の時は「歎」です。一番有名なのは信巻に出て来ますね。真の仏弟子ということを述べた後、「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して」と、あぁいう言葉が出て来ます。自分の本にあぁいうことを書きつけるというのはなかなかですよね。つまり自分が遇った仏教の大事さを世間に訴えかけていく。他の仏教徒たちにも知ってもらうという本なわけです。私は出遇ったと云って、そして私のいただいた仏教はこれだと云って、私のいただいた仏教はこれだとほめ讃えることで貫かれてもおかしくない。これが大事なんです、これが真実なんですと云っても良さそうなんですが、その中に教えに遇いながらもそれに背いていくような、それを喜べないような私がいるんだ、というようなことを書いているわけです。その意味で云うと、『教行信証』に悲歎述懐の文があるというのは、『教行信証』の性格を決めるような眼を持っていると思いますね。つまり私がいただいた仏教はこれだと。いただいてしまったというような、そういう立ち位置からいただいていない人を見下すようなことじゃなくて、自分もそこに居るんですね。大事なことを教えられながらもそれに背いていくようなものを持っているという、あれは真の仏弟子のところに出て来ますので、ちょっと開いてもらいましょうか。真の仏弟子を述べた後に仰るわけですが、251頁であります。「誠にしりぬ。悲しきかな、愚禿鸞」とある3行を、先輩方は悲歎述懐のお言葉として読んできました。もうちょっと正確には「愚禿悲歎述懐」と親鸞聖人のお名前を付けて呼ばれる場合もあります。ここは「愚禿鸞」とあって、「釈」の字が抜けていますね。『教行信証』全体は「愚禿釈親鸞」と云う名前で書かれます。省略する時にも「愚禿釈の鸞」というところもありますが、「釈」の字を外しているのはここだけですね。ということは、悲しきかなと云う時には釈尊の弟子という資格がないと、とてもそんな釈なんて名告れない。私は仏弟子であると自分から広言できないというお心が釈の字を外すというところにあると、先輩方は仰って下さっています。この仏弟子というのは、安田先生の言葉を思い出しますが、資格を具えてからメンバーに入るんじゃないんだと仰るんですね。資格なくして加えられる、資格なくして仏弟子に迎え入れられる、サンガに召されるとそんな云い方もしておられました。オレは仏弟子だ、どこに出しても恥ずかしくない弟子ですとか、そんなこと親鸞聖人は云うてないんですね。でもこんな私の上にもはたらき続ける阿弥陀の本願があるという、この確かさを云って行くのがこの『教行信証』という本です。ですから、まぁ讃歎と悲嘆というのはいま分けましたけれども、ある意味で同時ですよね。裏表の関係です。自分のことが本当に見えたからこそ、それをも捨てない、はたらき続ける法があったということです。我が身のことが見えたからこそ、いよいよ法の大事さをほめ讃えるということになる。だから自分は救われた方に行ってしまってないということが大事ですね。その法をいただいた自分までが立派になるんじゃないんですよ。自分もいくつ、何十になっても危うい。すぐにその法を忘れて自分の愛欲とか名利というようなところに嵌ってしまうものを抱えている、このことをずうっと見続けているのが親鸞という人やと思います。こういうことを思いますと、今日の「教誡」のところですが、自分はもう卒業しましたとか自分はもう大丈夫ですというところに立って、あなたは仏教ではありません、あなたの考えは間違っていますと上から批評するような、そういうことではなくて、自分もこの教誡の言葉を聞くというところにおられるのだと思います。それがさっき申し上げた『歎異抄』が異なるを歎く、親鸞聖人の教えに異なっているのは誰かと云ったら、他でもない私自身もその教えに背くようなものを持っているという、あれが『歎異抄』の精神であるとして、曽我先生が大事にしておられるところだと思います。そういうようにこの教誡も読んでおきたいと思います。だから『大経』に仏のお言葉が教え誡めて下さるという、それを根拠に云っておられるんですね。どこまでも教えによって聖道・浄土の真仮を顕開するのであって、親鸞聖人が批評するんじゃないんですね。聖道も浄土も仏が説いて下さった教えですよね。聖道は浄土に導くための方便。方便というのは大事な意味を持っているんですよ。軽くない。方便なくして真実には出遇い得ないわけですから。しかし、その方便を真と握ってはいけないとこれを顕開する。方便を握ってしまうのが邪偽異執ということになるんでしょうね。仮のものを真実と勘違いすれば、そこに居ついてしまいます。真実でないものを真実というふうに執着してしまう、これが邪偽異執ということになる。そのあり方を教え誡めていくということが行われるわけであります。これが次の『安楽集』にもそうですし、後から引かれる『末法灯明記』にも仏の説法、お経の言葉として挙げられて来ますね。どこまでも釈尊の教えをもとに教誡と云っていると思います。その中味が「如来涅槃の時代を勘決して」と。しっかり考えてそして定めると云うのですね。これも親鸞聖人がというよりは後の『末法灯明記』でこのことが明確に述べられることになります。まぁ先達に拠るわけですよね。そして「正・像・末法の旨際を開示す」と。先ずは年代を明確にした上で、今度は正法の教えと像法の教えと末法の教えの旨際を明らかにする。旨際はムネ・キワという左訓もあります。そのムネを明らかにする。そしてキワ、正法の時代は聖道の教えなんですね。それを像法の時代になっても同じようにやればなんとかなるというわけじゃない。そこには明確に違い目、区切りがあるわけです。そのムネ・キワを開き示すと。これを親鸞聖人は「正真の教意に拠って、古徳の伝説を披く」という中で為して行こうということがこの一段であります。これが大きな区切りになっているというのは、直前までは我々が依るべきは浄土の教えだというところまで来たわけですよね。それを「四依を知りて法を修すべき」だと結んだ後に、今度は誤った者を教誡していくということです。でもこれはどこまでも教え誡めることを通して真実に立ち返ってほしいというお心があると思います。切って捨てるんじゃないんですね。お前はもう駄目だと排除するお心ではない。教誡はどこまでも私たちを導くための教えであります。そういうふうに見当付けをして次のところを見て行きたいと思います。『安楽集』の第五大門の文
いま聖典の358頁を見ていますが、その後ろから6行目から『安楽集』の言葉であります。先ず始めの4行を読んでみましょうかね。[ここをもって、玄忠寺の綽和尚の云わく、しかるに修道の身、相続して絶えずして、一万劫を経て、始めて不退の位を証す。当今の凡夫は、現に「信想軽毛」と名づく、また「仮名」と曰えり、また「不定聚」と名づく、また「外の凡夫」と名づく。未だ火宅を出でず。何をもって知ることを得んと。『菩薩瓔珞経』に拠って、つぶさに入道行位を弁ずるに、法爾なるがゆえに「難行道」と名づく、と。]この『安楽集』というのは『観経』のお心を明らかにする本であります。ただ善導大師の『観経疏』がずうっと前から順番に述べられているのと違って、いろんな問題が起っている、あるいは浄土教に対する疑いがある場合、それを項目別に整理して答えているというものですから、まぁ道綽禅師には順序次第があったと思いますが、読む我々からするとこれ何の話だろう、なぜ次にこれが来るんだろうと戸惑うことがやっぱりあるんですね。それに道綽禅師自身が禅師と云われるように、やっぱり瞑想ということも大事にしておられたその修業にも立っておられるんですね。だから古くからは道綽禅師の『安楽集』は聖道・浄土を決判してくれたという大事な面もあるけれども、どっかに聖道の修行ということの匂いが残っているという意味で法然上人は善導大師ほどははっきりしていないという云い方をされることも多かったのであります。実際法然上人はなぜ善導大師に依るのか、善導大師一師に依るのかという時に善導大師のお師匠さんは道綽禅師ではあるけれども、道綽禅師はまだ阿弥陀の念仏三昧がちゃんと得られていない、三昧発得の人じゃないと、こんな厳しいことまで云うています。ちょっと聞くとなんか善導大師を重んずるあまり道綽禅師を軽んじているような云い方なんですね。でもよく考えてみると法然上人という人は、あっちもこっちもと云ったら読む人が戸惑うということを見ておられる。だから依るべきは善導大師お一人でいいよと云うために「遍依善導一師」と云っておられると思います。決して道綽禅師を除け者にしているわけじゃないんですね。だって『選択集』の冒頭は『安楽集』から始まりますから。にも拘わらず、善導大師一人に依るとなんで云うのか。道綽禅師も勉強しなさいなんて云ったら我々はまたお聖教の言葉の森に迷うかも知れません。だから道綽禅師のお仕事は善導大師で実を結んでいる。善導大師で花開いているから道綽禅師に遡って全部をマスターしなければいけないということじゃないと。これが法然上人のお心だと思います。なんでそんなことが云えるかと云えば、もう一つ例を挙げると、親鸞聖人は本願をいただく時には第17願と第18願の二つをいただかれるでしょう。でも法然上人は第18願一つで押し切っておられるでしょ。念仏すれば皆往生すると云い切るわけです。ところが親鸞聖人はその教えを受けたにも拘わらず、さらに第17願を大事になさる。これちょっと見るとお師匠さんに背いたような、お師匠さんが足りないから親鸞聖人が補ったように見えます。でもよく尋ねていくと法然上人は既に第17願のことも指示なさっているし、法然上人門下では第17願も大事にされていたんだと思います。ところがそれを人に勧める時には第17願も大事やとは一々云わずに第18願一つ、念仏一つということが云われているということを押していく。こういう勧め方なんですね。だから法然上人という方はいろんなことに通じておられる、これは間違いないと思いますが、自分が勉強したことを全部出してしまうと、また次の人が迷うということで、あれこれ云わない、これ一つでいいと仰った。そういうお方であったろうと私はいただいております。そういう意味で、口が軽いということでは決してないんですけれど、法然上人が善導大師一人と云ったこともあって、どうも道綽禅師のものは丁寧に読まれるということはあまり為されてこなかったようです。七高僧のお一人であるにも拘わらず、道綽禅師よりも善導大師みたいな傾向がありました。余談ですが、うちの大学にマイケル・コンウェイという、シカゴ仏教会で仏教に出遇って大谷大学に留学してきて、そのまま専任講師をして下さっている先生がいます。アメリカ人でね、アメリカに生まれ育って、そして仏教に帰依したという人が出て来る。アメリカに仏教が伝わってから、まぁ150年ほどの歴史がかかっているわけですね。そのマイケルのために云いますね。もう今や専門家ですよ。いま大谷大学で一番道綽禅師に詳しい。大谷大学でと云うことは、もう世界でと云ってもいいんですが、一番道綽禅師に詳しいそのマイケルが、なんで道綽禅師を専攻したんでしょうかとたまに云うことがあります。つまりここから取っ掛かりにして、いろいろやりたいと云うのがあるんですけど、道綽禅師となるといろんなことがあって、そう簡単に他に手を広げられないtことになって、自分の構想からするとまだ道綽禅師をやり続けていますと云う、そういう感じも持っているということをちょっと漏らしてますね。決して奇を衒って道綽禅師に行ったわけじゃないんですが、先行研究がまず少ないわけです。善導大師や曇鸞大師だったらいっぱい本があります。ところが道綽禅師のはあまりない。だからそこを掘り起こして耕していくようなことを今マイケル・コンウェイ先生はやって下さっているんですね。浄土真宗の伝統の中でも道綽禅師のことを尋ねていくということは多くなかったということです。幸い大谷派では一昨年の安居で木村専精先生が『安楽集』を取り上げて下さいました。大変良い安居の講録が出ていますのでお持ち下さればと思うんですが、全編に亘って何を課題にしているかということを要点にまとめて下さっている本であります。木村先生は中国仏教の専門でありまして、決して浄土教だけのフィールドじゃありません、広い視野から道綽禅師の立ち位置、浄土教の果たした位置を見ておられる先生であります。この先生が仰るには善導大師を生み出すだけの背景があって、それがやっぱり凡夫ということですね、ここに着目したのが道綽禅師なんですね。で、特に今ここは凡夫のことも出て来ますけれども、時と機の問題です。ここに立ったときに聖道の仏教ではもはや迷いを超えて行けないということが押えられる、その言葉が引用されてくるわけであります。時は末法、機は凡夫と云ってもいいです。まず始めに『安楽集』で云うと真ん中辺りのお言葉なんですね。親鸞聖人は前後を変えて持って来ておられます。つまり始めの方から順番にこれも引いとけ、あれも引用しとけというんじゃなくて、ここはこの大きな『安楽集』を引く一段で、四つの文章がありますけれども、四つの文章をひと固まりにして云いたいということがあるわけです。結論をちょっと先取りしておくと次の頁の後ろから3行目に「当今、末法にしてこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり」とありますね。『正信偈』では「唯明浄土可通入」となっていますが、これを云いたいのですね。でもこれをいきなり云わずにまず修行の道とはどういうものかから始められる。ここでは聖道という言葉は挙っていませんで難行道という言葉になっていますが、基本的に仏道を行じて行くということはとてつもない時間をかけて、その上でようやく結果を得ることができる、そういうものだと云うふうに云っているわけです。ちょっと言葉を当っておきましょうね。「玄忠寺の綽和尚の云わく」、玄忠寺は曇鸞大師が晩年におられたところですね。道綽禅師は曇鸞大師が亡くなられた後に生まれられますが、そこに訪ねていくという中で浄土の教えに出遇われます。玄忠寺に一番長くおられたのは曇鸞大師です。道綽禅師の弟子として善導大師は弟子入りしますが、道綽禅師亡きあと善導大師は玄忠寺から去って行かれます。だから曇鸞大師は晩年にしばらくいた。道綽禅師はほとんどここに居た。善導大師は入門してから道綽禅師が亡くなるまでいますけれど、その後は別のところへ移って行く。三人とも玄忠寺に縁は有るんですが、居た期間が一番長いのは道綽禅師という意味で「玄忠寺の和尚」という云い方を親鸞聖人はされています。そして次が『安楽集』の言葉ですね。「しかるに修道の身、相続して絶えずして、一万劫を経て、始めて不退の位を証す」と云います。前の文章にはどんな修行をするかということを10項目にまとめて述べられておりますが、それをずうっと継続して行わないといけない。それがある意味で菩薩としての覚りに到達する道だと云われる、そんな文脈なんですね。だから修道に入るということは「相続して絶えず」ですから、ずうっとやり続けて一万劫と書いてあります。とてつもない時間ですね。それぐらいかけないと不退の位を証することは出来ない。ようやくそこに到って不退転と云う位に到ると云うのです。ところが「当今の凡夫」これが時を云うてますね。後でこれが末法と云われますが、「当今の凡夫は、現に「信想軽毛」と名づく」と云います。まぁ信心を起したと云っても、それが軽い毛のようなものだと書かれております。「信外軽毛」という言葉もあります。信心を起したと云ってみても、相続して絶えずなんてことはとてもできない。フワフワ縁次第で、仏教に志したと思ったらすぐに萎えていってしまう。心が折れるようなことになってしまうんですね。これを[また「仮名」と曰えり]仏弟子とか菩薩とか云うてみても、それは仮に名づけただけ、仮の求道者だということでしょうね。[また「不定聚」と名づく]これは不退転に到ってませんからまだ定まっていませんね。必ず仏になると、そういうことになっていない。そして[また「外の凡夫」と名づく]と。「外の凡夫」というのは未だ聖者の位に入っていない者という意味です。聖者の位に入った者を「内凡」と云うのに対して「外の凡夫」と云われます。で「未だ火宅を出でず」迷いのあり方を出ることができない。で、「何をもって知ることを得んと」どうしてそのことを知ることを得るかと云えば、[『菩薩瓔珞経』に拠って、つぶさに入道行位を弁ずるに、法爾なるがゆえに「難行道」と名づく]とあります。『菩薩瓔珞経』というのは、菩薩の五十二位が説かれたものですね。十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚と、菩薩の修道がこの五十二位で説かれております。このうちの十住、十行、十回向が内凡あるいは三賢と云われて、その前の十信が外凡と云われる。「外の凡夫」というのはこれを指していると云うことも出来ますが、「信外の軽毛」という言葉もあるので、信外というのはこの十信にすら入らないという意味から云えば、ここにも入っていない者も外凡という言葉で包んでもいいと思うんですね。一応五十二位で立てる時には、「外の凡夫」というのは十信を指していると云われますが、五十二位にも入っていない者も入れて「外の凡夫」ということも出来ます。『菩薩瓔珞経』というのは、この52段階を上がって行くのにどれほど課題があるのか、仏道を成就するのにはどれくらい厳しいものなのかということを示しているわけです。それが「つぶさに入道行位」道に入って行じて行く位、これが52の段階として示されていますが、これは「法爾」と書いてあるとおり法則によって段階を経るわけであります。だからどうしても時間もかかるし、完成することの難しい難行道だと云われるんですね。この全体が菩薩道と云われるんですが、特に菩薩の道と云われるのが41から50段の十地です。初観喜地から始まる10位です。特に不退の位というのはどこかというのは初地不退か、八地不退かという議論もありますが、基本的にここまで上りつめてようやく道が決まると云うのですね。そこから退転しないということになる。これを40段階上がらないと菩薩道からは転げ落ちてしまうという、そういう危ういもの、それをさっきの「信想軽毛」と云われています。ちょっと風が吹けばフヮフヮ~と飛ばされてしまうようなものを持っている。だから先ずこの難行道、これは道綽禅師では聖道門という言葉でも押さえられますが、修業というものがいかに成り立ち難いかということが書いてあるわけであります。まぁこれ難しいから止めとけと、そんなことを云ってるんじゃなくて、仏道の厳しさを先ず云うわけですよね。簡単に覚りを得られるなんていうことは考えたらいけないんです。しかしこれを実体化するとまたえらいことになります。例えば私はどのぐらい上ったと云ったらどうなるでしょう。私はここまで出来ましたと云うたら途端に大きな執着、仏道に対する執着を抱え込んでしまうことになるのでしょうね。菩薩道と云っても執着を離れるための行のはずなんですよ。私は行けてますとか、あいつよりましですと云うた途端に、それはもはや仏道の歩みを棄ててしまうようなことになるんでしょうね。だからどうしてもこの難行道に対して易行道が説かれなければいけなかった。難行道も課題は大事なんですけれどね、どういう課題を乗り越えなければならないかということを示すためには大事なんですけれどね、それを一つ一つクリアできると思ったら大間違いだと。その意味で私たちに易行道を披いてくる、易行道に立たせるのが難行道の意味でもあるんです。まぁこれは『教行信証』では大変長々とそのことが云われていまして、その全部をいま云うわけにいきませんが、例えば行巻で龍樹菩薩がこの難行と易行をお示し下さったということが云われています。聖典では165頁です。こんなことを『教行信証』はずうっと先に述べて来ておられるわけです。既にもう云うて下さっているんですね。165頁だけ読みますが、この前にも龍樹菩薩の引用はいくつもあります。龍樹菩薩はある意味で十地の位に入られた方として周りから仰がれている。自分では云うていませんよ、周りが仰いだ。あの方が菩薩でなくて誰が菩薩だと。でもその龍樹菩薩は難行に対して易行を説く、これが165頁の3行目に見ることができます。「また曰わく、仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなわち苦しく、水道の乗船はすなわち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進の者あり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至る者あり。」この「阿惟越致」が不退転であります。厳しい行をコツコツと積み上げて行く者もあるし、信方便の易行によって速やかに不退転に至る者もあると。そして乃至と中略した上で「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば」はやく不退転地に至ろうと願うならば「恭敬心をもって執持して名号を称すべし。」と云っています。謹んで敬う心をもって、それをたもって行きなさいと。そして「名号」、ここでは阿弥陀のとは書いていませんが、行巻でずうっと見ていくと阿弥陀の名号を称えていきなさいというところに決着するわけです。あの龍樹菩薩が、つまりコツコツと上がり詰めた龍樹菩薩が私のやったとおりにやりなさいと云わずに、速やかに疾く不退転に至ろうとするならば、阿弥陀の名前を称えなさいということを残してくれた。これを親鸞聖人は非常に大事になさいます。云ってみればあの龍樹菩薩が教えてくれた、それを私たちはこんな簡単な道じゃなくてやっぱり厳しい行をすべきやと、そんなこと云えますかということです。あの龍樹菩薩も浄土を願われた、我々は云うまでもないとこういう受け止めがあると思います。ここから始まって、龍樹菩薩、天親菩薩という菩薩が我々に阿弥陀の世界を勧めて下さっているかということを行巻では詳しく云うわけです。これを承けて、浄土の教えの大事さを述べて来たのが『真実教行信証』の巻であります。それを承けて、この化身土巻は聖道の難しさを潜ることによって、我々は浄土の教えに立たなければならない。そこに注意しなければならないということを勧める教えとして聖道の位置、難行道の持っている意味を親鸞聖人は押さえ切っていると見ることができると思います。決して安易な道じゃないんですね。安直に菩薩道は厳しいからこっちがいいというんではなくて、どこまでも本当にその道を実現しよう、不退転ということを獲得しようと云うのであれば、とてもこの難行道の教えでは間に合わんということなんですね。それが龍樹菩薩が説いて下さった意図を承けて、浄土教として花を開いていくのが中国での曇鸞大師、道綽禅師、善導大師になるわけであります。それでいま難行道の難しさ厳しさを挙げることを通して、次の言葉が出てまいります。358頁の後ろから2行目の二つ目の引用に入りたいと思います。『安楽集』第一大門の文
「また云わく、教興の所由を明かして時に約し機に被らしめて、浄土に勧帰することあらば、もし機と教と時と乖けば、修し難く入り難し。」とこういう言葉があります。これは『安楽集』で云えば一番始めの第一大門に出て来るお言葉であります。こっちの方が早いんですね。浄土の教えを道綽禅師は「教興の所由」教えが起って来る理由となるところ、これが一番始めの一段なんですね。第一章と云っていいのですが、親鸞聖人はそれを二つ目に譲るわけです。仏道の歩みの難しさを始めに挙げて、それを承ける形で浄土の教えが興って来たという文脈に組み替えておられるわけであります。さっきも云いましたが、道綽禅師の『安楽集』は道綽禅師には順序がそれぞれ意味があったと思います。それを一つの筋にまとめられているのが、この親鸞聖人の引用の仕方なんですね。だから『教行信証』を読むときにはなんでこの順番なのかとか、なぜこの部分なのかということを考えながら読む、これが私たちに残された宿題と云うか、それを読み取ってくれよという親鸞聖人からの願いがそこにあると思います。「教興の所由を明かして」と、この教興というのは浄土の教えが興ってくるという意味なんですけれど、その理由を明らかにする、その時に「時に約し機に被らしめ」ると云っています。ここに時機の問題が正面切って説かれておりますね。そして「浄土に勧帰することあらば」と云っています。で、「もし機と教と時と乖けば、修し難く入り難し」となっていますが、実はこの間に抜かれている言葉があるんです。「もし教が時機に赴けば修し易く悟り易い」という言葉がここにあります。それと対句になって、「もし機と教と時と乖けば、修し難く入り難し」とこうなっているんですね。だから教えが時と機に赴けば修し易く悟り易いと云っているのを親鸞聖人は抜いてしまっているんですね。勝手にそんなことしていいのかということになりかねませんが、道綽禅師からすれば聖道浄土というのは未だ分かれていない時代なんです。もっと云えば、仏教というものは修行をして悟りを開く聖道門であるし、一つ前の言葉を使えば難行であるのは当り前なんですよ。楽チンの道なんてあるわけないのです。そんなときに時と機に副うならばそれは成り立つ道だと云うんです。しかしそれが機と教と時とピタッと一致しないならば成り立たないと云う。こっちだけを取っているんですね。勝手なことをしたらアカンやないかと云われるかも知れませんが、親鸞聖人は道綽禅師の『安楽集』を全部読めばどうなっているかと云いたいわけです。聖道門ではもはや悟りを開けないということが云われておる。そのことを承けて、こういうふうにまとめていくわけであります。これ、親鸞聖人が都合の悪いことを引用しなかったみたいに云う人がいますけれども、そんなことだったら自分の意見に合うものばっかり寄せ集めたことになるかも知れない。でもこれは元を見れば明らかですから、親鸞聖人は『安楽集』にはこう云われてますよと云っている。元を隠してこれが『安楽集』ですと云ってるわけじゃない。そうじゃなくて、どうぞ元も見て下さい。全部読めば『安楽集』の結論がどこにあるか分るでしょうというお心があると思います。引用文ではなんでこんなことが云えるんかということもあるんですが、一つだけ例としてお示しをしておきますと、これはすごい読み方だと思うんですけれども、親鸞聖人の引用の仕方ということで注意されるのが235頁に引かれる善導大師『観経疏』のお言葉があります。これは二河白道の譬喩のお言葉を「欲生釈」に引いてその後に、この白道というのは涅槃に至る道だと云うている文章なんですが、5行目に「『観経義』に」とあります。私たち『観経疏』は4冊あるので「四帖書」と呼んでおりますけれども、親鸞聖人は『観経疏』とは云いません。『観経義』という。『観経』のお心を表わして下さる本だということなんでしょうね。一番始めの「勧衆偈」が引かれます。「道俗時衆等、各発無上心」「おのおの無上心を発せども、生死はなはだ厭いがたく、仏法また欣いがたし」と云う。まぁこれは無上菩提心を発す、それぞれがそれを発してみても迷いを離れることは難しい、仏法を求めるのは難しいと云っている。いわば個人個人の菩提心では間に合わんと云うのに「無上心を発せども」という訓点を付けておられるんですね。これも親鸞聖人の読み取りであります。「無上心を発しなさい」というのが普通の読みでしょうが、発してみても生死は厭い難い、仏法も欣い難いと。そして次です「共に金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。」と云うんですね。「金剛の志」というのは実は信巻でずっと述べられて来ております「本願力回向の信心」のことを云います。私が発す心じゃないんですよ。本願のはたらきによって我々に発って来る、いわば根本意欲と云ったらいいのでしょうかね。本願に出遇うところに、あぁこれだったのかという形で私たちは初めて自分の求むべきもの、あるいは立つべきものがはっきりするんです。これ「願力回向の信楽」とか、「他力回向の信心」とか、いろんな言葉がありますが、これが「共に金剛の志を発して」と云われます。共にと云っても隣の人と手をつないで、さぁ一緒に発しましょうと、そういうのじゃないですね。「発る」ということが共に発すと云う出来事なんですよ。自分一人だけ抜け駆けして仏道を歩むというのじゃない。共々に道を歩んで行く仲間として見えるようなあり方でしょうね。これを「共発の金剛志」と云われます。そして横さまにです。横というのは共にでしょ、本当に横並びですよ。一人だけ抜け駆けする道じゃありません。横さまに四流を超断せよと云われます。ここも乃至という言葉がないのにボーンと飛ばしています。で、「正しく金剛心を受け、一念に相応して後、果、涅槃を得ん者と云えり」と。ここがもとの言葉と全然違ってますね。「果得涅槃者」という言葉です。これを一々確かめることはしませんが、もとの『観衆偈』では果のお徳として涅槃におられる方、「果徳涅槃者」、こんな字なんです。これ要するに仏さまのことを云ってるんですね。だから修行の途上にある人にも帰命します、修業の進んだ人にも帰命します、そういうことが「十四行偈」にはずうっと並んでいます。煩悩を断ち切った人にも帰命します、まだ断ち切れていない人にも帰命します。つまり仏道を歩んでおられるすべての方々に帰命しますと云う一番最後に果のお徳として涅槃におられる方、仏に帰依しますということを云うのが「我等咸帰命」から始まる「果徳涅槃者」という言葉なんですね。ところが親鸞聖人はその「得」の字を「果として涅槃を得ん者と云えり」と字を替えてしまっているんです。結果として涅槃を得るであろう者と云うわけです。ここは帰命するという言葉を抜いてありますので、金剛心の志を発すところに正しく金剛心を受けて、その一念に相応して後に果として涅槃を得るであろう者ということが善導大師によって云われていると、こういう文章に替えてしまっているわけです。まぁここどう解釈するか、いろいろな意見があります。一番荒っぽい云い方をする人は、これは写し間違いだと云っています。でもこれはどう見ても仏のことじゃなくて、本願力回向の信心に立った者のことを云っているので、親鸞聖人はこの字に明らかに読み替えておられるわけです。でも勝手に字を替えていいのかということがあるので、字を替えたところには「抄要」という字が付いている。これは要点を抜き出しましたよということなんです。だから『観経疏』全体というかね、善導大師の全体を見れば「果得涅槃者」というのは高いところにおられる仏さまのように見えるかも知らんけれども、実は金剛の志を発す者が果として涅槃を得るであろう者なんだと、ここまで云っていいのだと要点を抜き出したということでしょうね。全部読まないと分からないと云うか、全部読めばこうなるはずだと、こういうお心が引文に見えるわけです。「抄要」とあるところはちょっと気をつけた方がいいです。文字が変っていたりします。でもこれは意図的にやっておられるということなんですね。まぁその意味で云うと、今日のところはボクとすると「抄要」とある方がいいんですが、ここは文字を替えてるわけではありません。全部を抜いておられる。「乃至」という言葉を置かずに中略しておられるということで、まぁこれは文脈がすっと通る道綽禅師のお心として『安楽集』で云いたいことをまとめるとこうなるというようなお心があるように思います。ちょっと余談になりましたけれども、引用の仕方ということで信巻を見ていただいたことでした。ちょっと休憩にします。
358頁の『安楽集』の引用文の二つ目を読みかかっているわけですが、「また云わく、教興の所由を明かして時に約し機に被らしめて、浄土に勧帰することあらば」まぁ浄土に帰することを勧めるということを云ってるわけですが、そこに中略があるんですが、それは全然示さずに「もし機と教と時と乖けば、修し難く入り難し」と云って、実はそのことを表す経文を道綽禅師は引くわけですよね。それが『正法念経』というお経と『大集月蔵経』というお経、要するに仏が仰っていると。釈尊の教説であるということでこれを示します。だから一般論として教えが時機に赴くならば修し易いし悟り易いと、一応道綽禅師は云っていますけれども、ここを読めばなくていいんですよね。もう修し難く入り難いことを云っている。それが一つ前の順序を変えたと云いましたけれども、コツコツと修行を相続していく道ではもはや間に合わない、こういう文脈になるように順番を入れ替えてですね、この文章が示されているということであります。先にちょっと経文を読んでみましょうかね。
『正法念経』の文
[『正法念経』に云わく、「行者一心に道を求めん時、常に当に時と方便とを観察すべし。もし時を得ざれば方便なし、これを名づけて失とす、利と名づけず。いかんとならば、湿える木を攢りて、もって火を求めんに、火得べからず、時にあらざるがゆえに。もし乾たる薪を折りてもって水を覓むるに、水得べからず、智なきがごときのゆえに」と。]これが一つ目の引用であります。ちょっと言葉を当っておきますと、「行者」道を求める者が一心に道を歩む時、常に当に時と方便とを観察しなければならないというわけですね。時とその方法ですね。で、「もし時を得ざれば方便なし、これを名づけて失とす、利と名づけず。」そこには利益はないと。どれほど修行を重ねてみても失うばかりであります。例として挙げられているのが「いかんとならば、湿える木を攢りて、もって火を求めん」と云っています。湿った木をどれほど集めてみても火は起きないと云うんですね。「時にあらざるがゆえに」まだ乾いてないからという意味でしょうね。時が要るわけです。「もし乾たる薪を折りてもって水を覓むるに、水得べからず、智なきがごときのゆえに」これは乾ききった薪を折って、そこから水を得ようとしたなら、水は得られるはずがない。これを智慧がないと云っています。もはやそこには勘違いをしているということがあるんですね。これが時を得ないということと方法が間違っているということです。時と方便とを観察しなければならないという経文であります。ここに注が付いておりますので、一応それも紹介しておきます。43番の注です。この聖典大変便利に編集をしておりまして、手を加えたところとか注意をしてほしいというところには後に注を載せているんですね。どこにあるかと云うと1042頁、上の段5行目、「行者一心に」という言葉、『正法念経』と云われていますg、これは『坐禅三昧経』だと。江戸時代に先輩方が典拠探しをして、ありとあらゆるお経を見て、このお経しかないと見つけて下さっているわけです。だからこれを引いているわけじゃないんですが、どうもここから取ったんじゃないかということで、ここでは「綽師の記憶の失か」と。要するに道綽禅師の記憶が間違っているんじゃないかと云っています。ところが先ほどご紹介申し上げた木村専精先生等は『坐禅三昧経』というのは大分後に作られた経典ということで、人に依ってはこれを仏説と見ない人もいると云うんですね。それを間違ったのではなくて、敢えて仏説としてゆるがないところの『正法念経』のお言葉だと示したのではないかという意見を云っておられます。そうなるとそういうもんかと私はお聞きするよりないんですけれど、単に間違って書いたというだけじゃないと思いますね。ただ道綽禅師もそうでありますけれども、経典・論書をどれほど読んでおられるかということで、記憶違いというよりは、これはもう仏説だという形で受け取っておられて、ほぼ自分の言葉になっていると云っていいと思います。だから一々どの本の何頁かと、そんなこと探してみてもあんまり意味のないことなんですね。これのもっとすごいのが日本の源信僧都でして、源信僧都になると「経に曰く」とあっても、どこにあるか分からないというのもあるんですね。江戸時代250年さがして来たけれども分からない。まぁ今の学生なんかもっと速くて『大蔵経』の一字索引をネットで調べられますので、これありませんとすぐ云いますけれども、それは索引を信じ過ぎなんですね。索引そのものがどれほど狭いかということをいまの学生は知らないということもあります。でもそれ位時代がかっているのですが、木村先生のお言葉を頂戴しておきますと、これは仏説に云われているということを示した、そういうこととして方便と時を弁えないといけないということを云っているのだと思います。で、359頁に戻りますと、これは後々展開されますが、正法の時代でないのに正法の時の修行をしても、もう間に合わないことがあるわけです。お釈迦さまがおられた時にはそれでよろしいとか、それは間違っているとか、直接指導を受けられるわけでしょう。お釈迦さまがおられなくなったらどうなるかと云うと、やっている者同士で、おいこれで大丈夫かな、たぶん大丈夫だろうみたいなことになるわけです。私は修行している人を貶めるつもりはありませんけれども、それを証明するのは自分たちしかないですね。これを道綽禅師の言葉で云えば「自力」です。自分で自分がやっていることの正しさを証明するしかない。本当かどうかお聞きする仏さんがいない、無仏の時だという問題であります。真面目か不真面目かという問題ではなくて、どれほど真面目であっても、それを以て仏教と云えるかという証明がないということなんですね。先ほど人に依るということの大事さということでご質問もいただきましたが、その意味でそれは先に迷いを超えた人に出遇わないといけないというのが、人と出遇うことの決定的なところですよね。しかしそれは仏に遇うというよりも、凡夫で助かったということを云うて下さるのが浄土教の歴史であります。私の上にも開けたということですね。私が導いてやると云うた人は基本的には居ないです。七高僧みんなそうです。私は大丈夫だなんて云わない。だから教えられた者がその教えを証しして来た、これに出遇ったということが先ほどの人との出遇いの中味でしょうが、それを勘違いすると正法の時代の教えをやればなんとかなると思っていくことが起るわけです。この『正法念経』というのは地獄極楽を描く、あそこでも詳しく出るんですが、やっぱり正しい教えを念ずる経という課題を持っているこの経題が道綽禅師にとっては大事であったのかも知れませんですね。まぁこれはこの経ではないということで先輩方が苦労しているところですが、私はとにかくいま木村先生のご意見によっておきたいと思います。『大集月蔵経』の文
で、もう一つ経典の言葉として引くのが『大集月蔵経』の言葉であります。長いですが読んでみたいと思います。[『大集月蔵経』に云わく、「仏滅度の後の第一の五百年には、我がもろもろの弟子、慧を学ぶこと堅固を得ん。第二の五百年には、定を学ぶこと堅固を得ん。第三の五百年には、多聞読誦を学ぶこと堅固を得ん。第四の五百年には、塔寺を造立し福を修し懴悔すること堅固を得ん。第五の五百年には、白法隠滞して多く諍訟あらん。微しき善法ありて堅固を得ん。」今の時の衆生を計るに、すなわち仏、世を去りたまいて後の第四の五百年に当れり。正しくこれ懴悔し福を修し、仏の名号を称すべき時の者なり。一念阿弥陀仏を称するに、すなわちよく八十憶劫の生死の罪を除却せん。一念既に爾なり、いわんや常念を修するは、すなわちこれ恒に懴悔する人なり。]と、こうあります。『大集月蔵経』というたいへん大部のお経であります。「大集経」と云う名前が付いておりますが、曇鸞大師はこの経を註釈するには寿命が長くないといけないと云って『仙経』を学んだという伝説もある。このお経は大乗仏教が展開してきた後にいろんな課題を集めての者でして、どうしてもドンドン部厚くなるわけです。訳したのは曇無讖、『涅槃経』を訳した曇無讖の訳と伝えられますね。曇無讖訳の『大集経』と『涅槃経』と『悲華経』は大乗仏教がだいぶ展開して来た時の大事なお経なんですが、その時に時代ということが云われるわけですね。道綽禅師はこの『大集経』を非常に大事にしておりまして、『安楽集』の中で自分が末法に入った時の者であるということを云っています。「仏滅度の後の第一の五百年」これは始めの五百年です。「我がもろもろの弟子、慧を学ぶこと堅固を得ん」と云っています。後に出る言葉では「解脱堅固」と云われていますね。こちらの方が一般的です。始めの五百年は迷いを超えることが実際に成り立つという意味で解脱堅固の時だと云います。これが正法の時ですね。お釈迦さまが亡くなっても五百年は実際に覚りを得るということが成り立つと云われるのです。ところが次の五百年になると、形は残るけれども中味を伴わないと云うということになって来る、これを像法の時代と云われます。「禅定堅固」とも云われる。堅固とはそれがきっちりと保たれているということであります。でも像法ですから、正法とは似てはいるんですけれども実際に覚りを得るというまでは行かない。修行はやってるんですけれども、修行の結果までは行かないんですね。行を学び三昧に入るという形としては出来るんですけれども、その後覚りにまで辿り着かない。それから第三の五百年、これは像法の後半でありますが、「多聞読誦を学ぶこと堅固を得ん」と云われます。数え方もいろいろですが、正法は五百年、その後像法は一千年という説が後で示されてきます。「多聞読誦」沢山読んで学ぶということは出来るんですが、実際の覚りに至るということは成り立たないという時代です。だから形として仏教は盛んな様相も呈するのでしょうね。お経をいっぱい読んだり、坐禅組んで三昧に入るということは出来るのですが、実際に知恵を獲得し迷いを超えるということまでは行かない、こういう時代です。その次、ここに道綽禅師はここに居るということが後で分かりますが、第四の五百年は「塔寺を造立し福を修し懴悔すること堅固を得ん」と書いています。これは「造寺堅固」と後では云われます。お寺が立つんですね。お寺が立つのはいいじゃないかと云うかも知れませんが、これはいよいよ形ばっかりです。大仏建立というようなことも、そういう時になるんですね。仏さんが大きい方が利益も大きいんじゃないかという、その発想がもう仏の利益を勘違いしていますね。量的に見てるでしょう、人間の欲望に応じて利益をもらえるようなことになるとすると、やっぱりお経は沢山の方がいいんじゃないか、でかい仏さんの方がいいんじゃないかとなって行く。だから「造寺堅固」というのは、このことに一所懸命なわけですけれども、中味が伴わない。だからこれを仏教の行と云えるか、教えはあるけれども行じていることもはっきりしない。そういう時代なんですね。ただここでは「塔寺を造立し福を修し懴悔すること堅固を得ん」と云いますので、道綽禅師は後で大事な言葉として取って行きます。「福を修し懴悔する」というふうに自分のあり方を振り返らなきゃいけない、これを呼びかけて行く時にこの言葉を使われます。これは後で見ます。そして第五の五百年には「白法隠滞して多く諍訟あらん」と。争いが起るんですね。で「微しき善法ありて堅固を得ん」と云ってます。白法隠滞多く諍訟ですから争いばかりですね。ここでは「闘諍堅固」という言葉が、後でまた出て来ます。これが末法ですね。正法が500年像法1000年に対して一万年続くと云われるんです。私たちお釈迦さま亡き後2500年ですから「闘諍堅固」の真只中です。私が正しい、オレの方が間違うておらんとね。でもここも面白い言葉があって「微しき善法ありて堅固を得ん」と云ってます。この「微しき善法」というのが後で展開される浄土の教えのことであろうと先輩方は読んで来ているのですね。他の教えは全部滅して行くけれども、阿弥陀の本願の教えが残る。そこになんとか保たれていくということです。これをまとめる形で「今の時の衆生を計るに、すなわち仏、世を去りたまいて後の第四の五百年に当れり。」第四番目だと云うんですね。「造寺堅固」の時代なんですが、お寺が沢山建つという、そっちの方を云わずに「正しくこれ懴悔し福を修し、仏の名号を称すべき時の者なり。」これ道綽禅師の言葉であります。道綽禅師の時代には廃仏が何遍も起ってますね。お寺が壊されお経が焼かれ、お坊さんが還俗させられるというようなことが何遍も起っています。中国には皇帝によって仏教を大事にしたり、逆に道教を大事にすると仏教が排斥せられる。あるいは儒教が大事にされる時代も仏教が軽んじられるということが起きます。道綽禅師の時には、前の時代に仏教が非常に大事にされて来た。それは曇鸞大師の時代ですが、その後隋という時代になった時にどうしても中国全体を統一していく中で、お坊さんだけが優遇されているということに目を付けられるんですね。現代もそうかもしれません。あの人たちが全部税金を納めてくれたら、もうちょっと国費が潤うのにというようなことを国王が考えた時代がありまして、全部還俗させられる。だから労働力としてお坊さんを見た面もあるんですね。仏教が好きだとか嫌いだというより国策という面の方が強い。だからお寺が沢山建つという状況じゃないんですが、どういう時代かと云ったら、正しく懴悔すべき時だと云うんですね。懺悔とは自分が作って来た罪、あるいは自分の今までの生き方を振り返る時だという。それによって「福を修し、仏の名号を称すべき時」と云っています。これは元の『大集経』にはないでしょう。だから道綽禅師の云いたいことは阿弥陀の名を称えるというところに収斂していくような、これが『安楽集』の主題なんですね。だって『観経』を註釈していく、『観無量寿経』のお心を明らかにしていくのが『安楽集』ですので、他の修行ではもはや迷いを超えられないと云っている。その「福を修し」の中味が「仏の名号を称すべき」という言葉になっていると思います。ここでは第五の五百年のことはこれ以上云いませんね。その後称名の功徳を「一念阿弥陀仏を称するに、すなわちよく八十憶劫の生死の罪を除却せん。一念既に爾なり、いわんや常念を修するは、すなわちこれ恒に懴悔する人なり。」だから自分の生きている時代を第4番目の500年だと云って、どういう時代かと云ったら称名念仏すべきだと云い切っていく。ここに難行道ではもはや助からない、我々は阿弥陀の名を称するところに立つんだと云い、勧めて行くような文章になっているわけであります。で、八十憶劫の生死の罪を除くというのは『観経』に端的に示されるものですね。一応頁を見ておきましょうか、聖典121頁であります。『観経』の終りの方に「九品往生」と云って、人間の九つのあり方が示されます。その下品下生のところにたった十遍の念仏でも八十憶劫の生死の罪を除くということを道綽禅師は読み取っていくわけであります。具体的にどこに出ているかと云うと120頁下の段後ろから4行目、「かくのごときの愚人」とあります。一所懸命生きて来たんですが、傷つけたり苦しめ合うたりすることを止められなかった、そういうあり方の人がいのち終わる時に「善知識の、種々に安慰して、ために妙法を説き、教えて念仏せしむるに遇わん。」と云うわけです。阿弥陀を念じなさいと云う人に遇う。これがいままでの生き方を振り返る中で愚かであった、欲望に振り回されてエライことになっていたのだなぁということを経て、この善知識の教えに頷けるわけであります。だから苦しくて、ゆっくり心を落ち着けて仏さまを念じられない、ということなんですね。これを「この人、苦に逼められて念仏するに遑あらず」と書いています。余裕がないんですね。だから「汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし。」というふうに、その善知識が教えてくれます、善友となってますね。善き友として心が静まらないならば口に称えるだけでいいと教えてくれる。そして「かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。」称えさせるわけです。「仏名を称するがゆえに、念念の中において八十憶劫の生死の罪を除く。」一念一念において八十憶劫の生死の罪が除かれると書いてあります。ここを取っているわけですね。だから阿弥陀の名号を称えるところに罪の束縛、罪に苛まれることからの解放があると云っています。念の為に云っておかないといけませんが、やったことが清算されたとか消えてしまったという意味ではありません。却って自分の仕出かしたことを本当に受け止めるところに、いままでの生き方が転じられるということがあるわけです。一番近いところでは、この1月8日から相模原事件の公判が始まりました。期待されるところは、裁判を通して19人の人を殺してしまったあの被告が自分の罪に向き合うということが願われるところであります。遺族もそれを一番願っていると思いますが、現在の裁判ではなかなか難しいかも知れませんがね。でも我々にとってもっと問題なのはこの一人の被告が裁かれて、あの事件終りと云うわけにはいかないと思いますね。同じ発想が我々の中に無いとは云えない。やっぱり価値のあるものとないものとを色分けしていく、この発想が問われている。そういう我々のものの見方、考え方が社会を作っていくし、若者を生み出しているということがある。だから彼だけを裁いて終りということには全然ならないと思います。私たちの中にも動ける時には価値があるけど、動けなくなったら生きて居ても仕方がないという思いが湧いてくるわけですから。それは一所懸命であっても、いのちをランク付けるということに必ずなるわけであります。そのものの見方が本当に愚かだったなぁと知られるということ、これがここで云う道綽禅師の言葉に返せば懴悔でありますし、そこから今度はその同じ生き方を繰り返してはいけないということが起る。これが今まで縁のなかった人にも念仏において起るということを、生死の罪が除かれるというふうに云っているわけであります。「念念の中において八十憶劫の生死の罪を除く」というのは、一念一念に罪の思いから解放され続けていくということでしょうね。これまた実体化すると変な話になって『歎異抄』にも出て来ますが、一念に八十憶劫の罪を滅するなら、十回称えれば十八十憶劫の罪が除かれるだろうと書いてありますが、どれだけの罪を私たち作っているのでしょうね。八十憶劫の罪を十個作っているんでしょうかね。十回称えたら十八十憶劫が除かれる、そんな話じゃない。一念一念において、本当に限りないような罪が転じられていくというような意味ですよね。逆に云えば、その一念一念の念仏を離れれば、またその罪を作ったことも忘れてしまうし、愚かだったなぁと知らされたことも消えて行くでしょうね。この念々の中においてというのは一念で八十憶劫の罪というように、数式で結ぶような話じゃない。一声一声に限りないほどの罪が除かれる。これを自覚するところに自分のこととして受け止めることが起きると云っていいと思います。道綽禅師はこれを「一念阿弥陀仏を称するに、すなわちよく八十憶劫の生死の罪を除却線。一念既に爾かなり、いわんや常念を修するは、すなわちこれ恒に懴悔する人なり。]とこう呼びかけています。一念に対して十念ではなくて、常念です。数じゃないでしょう。常に念ずると書いてあります。ずうっと念じ続けていく、それが常に懴悔する人なんですよ。私たちはそういう時代を生きているんですよと。だから修行積み重ねてもう間違いを犯さなくなるとか、自分で覚りに近づけるような、そんな時代じゃないんだということ。先ほど云いました「微しき善法ありて堅固を得ん」というのは、阿弥陀仏のお名前を称えるところに成り立つ仏道があるということを云おうとしている、そんな言葉だと思うんですね。で、この五つの500年ということ、これをすぐ後ですが『末法灯明記』のところでも親鸞聖人は伝教大師に拠りながら引いておられまして、361頁を開けてみて下さい。後ろから6行目です。「これらの経文に準ずるに、千五百年の後、戒・定・慧あることなきなり。」と、ここまで云います。千五百年というのは始めの正法と像法が終ったら末法に入るんですが、その時代にはもはや戒・定・慧という仏教の基本的な修行のあり方ですが、戒も定も慧も成り立たないと云うわけです。そして[かるがゆえに『大集経』の五十一に言わく、「我が滅度の後、初めの五百年には、もろもろの比丘等、我が正法において解脱堅固ならん、初めに聖果を得、名づけて解脱とす。」こう云っています。「次の五百年には」これが2番目ですね。「禅定堅固ならん。」そして次の五百年には「多聞堅固ならん」そして次の五百年には「造寺堅固ならん」そして第5の五百年というのは「闘諍堅固ならん。白法隠没せん」と云っています。「白法」というのは迷いを超えて行く教えが白、迷いが黒に譬えているわけですが、その白法が隠れてしまうと。堅固という言葉は一応盛んだという意味にとれますが、いい言葉では決してないと思います。ただ解説の中には議論が盛んだからいいじゃないかという人もいます。でもその解き方はどうかなと思っています。議論で好きなことをみんな云えていいじゃないかと。でもそれは白法隠没ですから、迷いを超えるということがいよいよ見えなくなる。議論が盛んだというのは本当の意味で大事なことが明らかになる議論ならいいんですが、私たちのやる議論というのは殆んど負けたくないとか、勝つための議論になるわけですよ。諍論と云っていいです。そういう意味ではどれほど議論が盛んでも、仏法は隠れて行ってしまうと云わなきゃならんと思います。それを確かめるために、ご和讃を見てみましょうか、501頁。これが今読んだ『大集経』を元に作られている和讃であります。『正像末和讃』でありますが、前の頁の下から読みますか。2番から行きます。「末法五濁の有情の/行証叶わぬ時なれば/釈迦の遺法ことごとく/龍宮にいりたまいにき」海の中にある龍宮に入ってしまうと。安田先生はこれを図書館に収まると云うておられました。図書館というのは大事な意味を持っていますよ。でも図書館に宝物があると云ってみても、読む人がいなかったらその図書館も力を発揮できません。時代が経つと大谷大学の図書館もいま80万冊と云われるほど本があるんですが、収納場所が無くなってくると二冊、三冊ある本は一冊でいいとなってしまってね、エライ大量処分ということも起っています。もうその大事さが分からなくなった時代、正に安田先生が云っておられた図書館に入るというのも最後には不用品として処分される、そういうことも起るなぁと思いながらボク見ていますが。まぁまぁ釈迦の遺法が全部龍宮に入ってしまう、読む人、それをいただく人がいなくなるということです。次に「正像末の三時には/弥陀の本願ひろまれり/像季末法のこの世には/諸善龍宮にいりたまう」弥陀の本願は広まる。でもその他の善は全部龍宮に入ってしまうと。先ほどの道綽禅師の言葉で云えば「微しき善法ありて」ということで、「正像末和讃」では弥陀の本願が広まるということが同時に云われます。だから今までの聖道の仏教は成り立たなくなる。だからこそ弥陀の本願の教えでなきゃならんという時なんですね。もう一つ。「大集経にときたまう/この世は第五の五百年/闘諍堅固なるゆえに/白法隠滞したまえり」これは丁度道綽禅師が第四の五百年に当れりと云ったので、今度親鸞聖人は自分の時代が第五の五百年だと云ってます。実際道綽禅師からは600年ぐらいの時が経っているわけですから。「闘諍堅固なるゆえに」つまり議論は盛んかも知れません、オレは正しい、アイツは間違うとる。そう云うことは云うかも知れませんが、仏法は見えないうなっていくという時代なんですね。そしてもう一つだけ。真ん中の段の10番まで飛ばします。「末法第五の五百年/この世の一切有情の/如来の悲願を信ぜずは/出離その期はなかるべし」こう詠われています。親鸞聖人はご自分の生きた時代を「末法第五の五百年」と見ておられますが、この世の一切有情が如来の悲願を信ずることがなかったならば、迷いを超える、出離の期は決してあるはずはありませんとここまて云うています。だから親鸞聖人にすれば、末法というのはお釈迦さまの教えが段々衰えて来るという歴史観でもありますが、だからいよいよ阿弥陀の本願に拠らないといけないということが確かめられている歴史観でもあります。これは実は道綽禅師の引文の後半がそれに当るわけです。道綽禅師もただ単に末法になって情けないと云ってるんじゃない。それが先ほどのところ359頁に戻りますと、末法に入って始めの500年なんですが、もう元の教えである修行して覚りを開くと云うことはとても及びが付かない、そういう時代である。でもそれは仏の名号を称すべき時だと云ってるでしょう。それが恒に懴悔するということになるんだと云っている。懴悔から始まる仏教と云ってもいいかも知れませんね。これが基本ですよね。自分が間違っていないと云う時には、仏法なんか聞くはずないですから。自分の生き方、これまでの来し方に思いを馳せるときに、これを問われるということがあって、生き方をまた尋ね直すということが起きるわけです。順風満帆で行っている時というのは仏法なんか聞くはずないですよね。だからその懴悔という、これが今の時代仏法をいただいていく大事なキーになるんだということを道綽禅師は云って下さっているのだと思います。常に懴悔と云っても、毎日毎日反省するとか、自分で自分の罪を振り返るという話じゃなくて、阿弥陀の名前を称えるところに懴悔ということが成り立つわけです。阿弥陀の教えをいただくことを抜きにして懴悔と云うてみても見える程度の罪、仕出かした覚えのあることだけで、気が付いていない罪は懴悔なんてするはずがありませんからね。だから阿弥陀の教えをいただく、南無阿弥陀仏のところにこの懴悔ということがある。これを道綽禅師が云っていると思います。だからそれを承けて、後半の方は阿弥陀に拠れということをいうていく、これが道綽禅師の『安楽集』からの引用ということになるわけです。『安楽集』第六大門の文
途中になるかも知れませんが、もうちょっと見ておきますかね。「また云わく、経の住滅を弁ぜば、いわく釈迦牟尼仏一代、正法五百年、像法一千年、末法一万年には衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅せん。如来、痛焼の衆生を悲哀して、特にこの経を留めて、止住せんこと百年ならん、と。」こういうふうに云われています。「経の住滅」というのは、お釈迦さまのお説きになられたお経が止まるか滅するかということです。釈迦牟尼仏が一生かかって説かれた教えが正しく伝えられる正法は500年だと。これ最初に書きました解脱堅固の時代。それが形だけ残っているが覚りを開けない、これが像法です。正法に似ている時代ですね、これが一千年。それが終ると今度は末法一万年、覚りどころか教えすら滅していくと云うのですね。ここは「減じ尽き」と書いてあります。滅し尽きるが元の字なんですが、親鸞聖人は「衆生減じ尽き」という言葉で読み取っておられます。そして「諸経ことごとく滅せん」と。滅するのは末法一万年の後と云うのもありますが、もう末法に教えが滅して行くのだ、つまりお釈迦さまの教えはもはや生きてはたらけなくなるのだと、こういうわけです。だから「如来、痛焼の衆生を悲哀して、特にこの経を留めて、止住せんこと百年ならん、と。」こう云いますね。これ実は『大無量寿経』の心をいただいてこういうふうに押さえられています。まず「痛焼の衆生を悲哀して」から見ておきたいと思いますが、これは『大経』で云うと、「三毒五悪段」と云われる下巻のところなんですね。「痛焼」という言葉が特に出てくるのは「五悪段」でありまして、66頁を開けていただくとそれが分かり易い形で出て来ます。[仏の言わく、「何等か五悪、何等か五痛、何等か五焼、何等か五悪を消化して、五善を持たしめて、その福徳、度世・長寿・泥恒の道を獲しむる」と。]ここから五悪が始まるのですが、いま読んだ直前のところに、お釈迦さまの説法のお心が出ますね。66頁の下の段4行目ですね。「今我この世間において仏に作りて、五悪・五痛・五焼の中に処すること最も劇苦なりとす。」と。つまり悪とか痛とか焼というのは人間同士が傷つけ合っていること、この世界が苦しめ合うて痛ましいことになっている。これを「五悪・五痛・五焼」と云っています。悪を痛みにたとえているわけです。そして焼き合うと云うか、実際私たち嫉妬の炎やら憎しみの炎で焼いていますよね。そういうあり方を痛ましいと。これが最も劇苦なりと。激しい苦しみだと云うのです。何が苦しいかと云っても、この娑婆世界の中に痛ましいことを見ることが苦しいのですね。だから「群生を教化して、五悪を捨てしめ五痛を去けしめ五焼を離れしめ、その意を降化して、五善を持たしめて、その福徳、度世・長寿・泥洹の道を獲しめん」と。迷いを超えて本当に生き生きと生きる方向であります。それをここでは私たちに分かる言葉にしていますね。「福徳」これは人間が求めて止まないものですね。それから「度世」というのは世を渡ることです。「長寿」分かり易いですね、長生きしたいという。そして「泥洹」これは涅槃のことです。だから我々に涅槃の道を教えると云ったって誰も魅力的に感じません。そこに福徳とか長寿という利益があるぞということを示すわけであります。ただ長寿と云ってもちょっと延びるという話じゃないんですね。無量寿の話ですから。だから短く寿命が尽きたとしても、そこに無量寿という世界をいただくという形の長寿なんですけどね。ここまで詳しく何が「五悪・五痛・五焼」であるか、何がその逆である五善であり、福徳であり、長寿であるのか。まぁそんなことが示されるのが次の五悪段であります。ここを「痛焼の衆生を悲哀して」という言葉で道綽禅師は押さえているわけであります。どこまで続くかと云うと、ものすごく長いんですが、78頁までずうっと続きます。最後だけ読んでおきます。79頁の2行目。お釈迦さまの説法を聞き終わった弥勒菩薩が次のように云います。[ここに弥勒菩薩、掌を合わせて白して言さく、「仏の所説甚だ苦なり。」]苦しみという字に「ねんごろ」と書いています。たいへん懇切丁寧に説いて下さったと云うんですが、聞く方から云えば厳しい教えなんですね。耳が痛いということですよ、だからこういう字になっています。そして「世人実に爾なり」「五悪・五痛・五焼」がそうだと云うんのです。それを「如来、普く慈みて哀愍して、ことごとく度脱せしむ。仏の重誨を受けて敢えて違失せざれ」とこういうように云ってます。この辺りが先ほどの道綽禅師のお言葉のようにまとめられてくるわけであります。最後にあります「この経を留めて」というところまで行っていませんけれども、このようなあり方を痛んでおられる、この如来の教えを聞かなきゃならんということです。これが一つ前の文章で云えば、私たちはもうここに居るんですよと、こんな時代を生きているんですよと。もう正法の時代を夢見ても解脱は得られませんよということを云ってるわけです。痛んで下さって、説いて下さったこの教えを受け止めることが大事だと、道綽禅師は勧めている。そんなお言葉なんですね。これが『教行信証』に引かれることによって、全体がもはや聖道門、難行道の仏道では迷いを超えられない。浄土に拠りなさい。これが「唯明浄土可通入」というお言葉に集約していきます。ここをもう少し読まないといけませんが、今日はここまでとさせていただきます。
ありがとうございました。南無阿弥陀仏。