『教行信証』の化身土巻を読む(44) 一楽 真 師
2019/ 11/15
どうつながるのか、三願転入と聖浄二道判
一応三願転入のところまで区切りをつけまして、前回からそれに続く一段に入っております。一段と云いましても親鸞聖人は改行はしておられないので、ずうっと一連のお言葉として見て行くという必要があるかと思いますが、大谷派の聖典では357頁4行目「信に知りぬ」という、ここからの一段を前回読みかかっておりました。その右側に三願転入、親鸞聖人が阿弥陀の本願に出遇えた、その喜びを語っておられますね。ちょっと話は戻りますけれど、29歳の時に法然上人にお遇いして本願に帰したということははっきりと書いておられるわけですが、その時本願に帰したつもりでも、そこにまた我が身を当てにする自力の心が残っていたということが、帰依したところからいよいよ見えてくるわけであります。その自力の心を暴き出して、いよいよ阿弥陀の世界に返らせようとするはたらき、これが第19願・第20願という本願のおはたらきが既にあったというふうに云われる。そこを潜ってみると、阿弥陀の世界に出遇えたという喜び、これが29歳の時にもあるわけですけれども、それを更に吟味して下さる、それがまた本願のおはたらきだったということを云うていく、これが三願転入の文と云われる、ここに押えられていると思うんですね。自力の心というのは、ずうっと残り続けて行くんですが、それを材料としながら、それを縁としながらいよいよ他力の世界に導いていくという、それを潜っての喜びであります。357頁で云いますと最初のところ「至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり。」という言葉で三願転入のあとを結んでいました。だから本願のはたらきの深さというかね、我々の自力心に応答しながら呼びかける心を知ったところに「いよいよこれを喜愛し」と云っています。これが「能発一念喜愛心」の「喜愛」だという話をしておりましたけれども、喜んでこれを愛する、大事にする、めでる、ということですね。これをいただいていく、これを「特に頂戴する」と云ってます。だから29歳の時の感動と、またもう一つ潜ってからですね、仰るのは「いよいよ」という言葉が付けられてあると思います。念の為に云いますが、29歳の感動は本物じゃなかったという話じゃありません。初めて阿弥陀によって助けられて行く万人の上に平等に成り立つ教えとして、親鸞聖人は本当に感激なさったと思う。しかしその平等の教えを聞きながら、またそれに背いていく自力の根性ということが見えてくるわけですね。それを通した時に、それも含めて本願のはたらきの中にあったということを云われているわけです。そこを承けて前回「信に知りぬ」からの一段を読みました。前にも云いましたが、聖典は見やすいように改行してありますが、親鸞聖人のお書きになられた坂東本では一連のものです。だから「特にこれを頂戴するなり。信に知りぬ」と続いていくわけです。ですから前のことと段落で区切るんじゃなくて、特に頂戴するということを云ったところに、はっきりとこのことを知ることが出来ましたというふうに続いていく文章だということです。前回そこを読みましたけれども、そこから音読しましょうか。[信に知りぬ、聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。ここをもって経家に拠りて師釈を披きたるに、「説人の差別を弁ぜば、おおよそ諸経の起説、五種に過ぎず。一つには仏説、二つには聖弟子説、三つには天仙説、四つには鬼神説、五つには変化説なり。」しかれば四種の所説は信用に足らず。この三経はすなわち大聖の自説なり。」と、こういう言葉であります。この前半部分は前回読んでおりましたが、「聖道の諸教は、在世正法のため」と、つまりお釈迦さまがおられた在世の時代と、その教えがきちっと生きてはたらく正法、これが500年続くといろんなお経で云われておりますが、それがきちっと生きてはたらく時だけであって、全く像末・法滅の時にはないと断言しておられます。像末というのは形は残っているんですけれども実際には証る人がいなくなる時代、末法は教えは残っているけれどもどうやって行じたらいいのか、どうやって迷いを超えて行ったらいいのかという、その方法、行が分からなくなる時代であります。さらには法滅ですから教えがすべて滅し尽きて行く、そういう時も必ず来るということをお釈迦さまは予言しておられるわけですが、そういう時にはもはや聖道の教えは成り立たないと断言しているわけです。それを「すでに時を失し機に乖ける」と。お釈迦さまが居られたら成り立つけれどもお釈迦さまが居られない時には成り立たないと断言する。特に「機」というのは時と離れないわけですが、お釈迦さまに遇えない時代を生きている者の上には、もはや生きてはたらくことがないということを断言しています。これも前回云いましたが、ここに来て漸くこういう云い方を親鸞聖人はなさるんですね。聖道の仏教では助からない、迷いを超えられないということをここに来て云います。もしか宗派根性でですよ、聖道の仏教はダメで浄土の教えが素晴らしいんだということを云うなら、『教行信証』の冒頭にあってもおかしくないですよね。しかしそういう書き方をすれば、聖道の教えに縁を持っている人はもうその時点で読まないでしょうね。ワシ等の教えをバカにしとるのかとなると思います。親鸞聖人ご自身も聖道の諸教、まぁ云わば比叡山の教えという意味では、聖道の教えでずっと修行をして来られた方ですから、決して聖道の仏教をバカにしたくて云ってるお言葉じゃないんですね。自分もそれで迷いを超えようと励んで来たけれども助からなかったという、その中で、この本願の教えにようやく出遇うことが出来た。これは自力を立場にするんじゃなくて、自力を立場にすれば必ずどこまで出来たか、どれほど沢山お経を読んでいるか、長くやって来たかまだ短いかとか、こんなすぐに人を分け隔てする条件が付いてしまうわけです。でも本願の教えは誰の上にも今ここで成り立つということを知った親鸞聖人は感動をもって呼びかけていますね。だから聖道はつまらないぞと云って上から馬鹿にしている言葉じゃなくて、ありとあらゆる仏教と縁を持つ人の中で本当に迷いを超えたいのであればこの浄土の教えに依ってほしい、阿弥陀の本願に出遇ってほしいという願いを込めての呼びかけだと思います。ですから冒頭からこんなことは云わずにずうっと浄土の教えとは何かを云うて、ここまで来てようやくこの言葉が語れるということがあると思います。この辺は前回もしつこく喋っていたことでしたが、親鸞聖人に先立って中国で浄土教を立てられたのは道綽禅師でしたね。道綽禅師は聖道はもはや成り立たない。なぜならお釈迦さまが居られない、あるいはどれほど教理が整っていてもそれを理解する我々の力が及ばないという「時は末法機は凡夫」という面で浄土の教えを立てて行こうとなさいました。また法然上人もある意味で日本で浄土の教えを立てられた方ですが、そのやり方を踏襲なさったわけです。でもそれが何を生んだかと云えば、やっぱり聖道の修行を励んでいる人から見ると、凡夫のためには浄土の教えはあってもいいけれども、本来は聖道の教えだという考え方がずうっと残りました。もう一つは、まだ末法じゃないと。末法が来ればそうかもしれんけれども、まだ末法じゃないということが残るんですね。これは後で親鸞聖人は年代算定をしてもう既に末法に入っていると、もう聖道の諸教は成り立たないということを年代から押さえていくということになりますが、始めに浄土でなきゃならんということを、お釈迦さまがいないからだとか、凡夫の我々には及ばないんだということを云ったら、また聖道仏教が本来の道だという思いを描いて、それを理想とする人にはそれが残り続てけて行くわけです。ですから親鸞聖人は聖道仏教を批判したくてこれを云ってるんじゃなくて、聖道にいま縁を持っておられる方も本当に迷いを超えようとするのならば浄土に依ってくれと云いたい、こういう主旨の文章であるということを思うわけであります。そのことを「浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや」と、こういう感嘆詞で結んでいましたね。これはかつて広瀬杲先生が説明するなら「斉しく悲引したまうなり」と云えばいいと仰っていました。ボクは大学院の時、そのお話を聞いていたんですけれども「なり」と云わずに「したまうをや」と感嘆を込めて云うておられる。浄土の教えというのは正に時代を選ばない、それからどんなあり方をする者も分け隔てしないということを、時代の方は全部挙げてありますね。在世から正法・像末・法滅の時代です。そして濁悪の群萌というのは一番助かるはずのない者ということでしょうね、そういう者をも斉しく大悲をもって導いて下さるのが浄土真宗という仏道なんですと。これは時を選ばないし、人も選ばないということを云いたいがために、こんな言葉で語っておられるんです。前回も云いましたが、浄土真宗は像末・法滅の時代の教えですと云わずに、在世・正法をも貫いていると云っています。お釈迦さまが居られる時も、この教えは生き生きと働くんですよ。正法の時代でも生きてはたらく教えなんです。ただお釈迦さまが居られる在世と、教えがきちんと人々に伝わる正法の時代には、阿弥陀の本願の教えということがあんまり表に出て来ない、お釈迦さまの影響力云々より、お釈迦さまに直接聞いた方が速いわけです。だから見えないだけで、お釈迦さまが居られなくなって急に阿弥陀の教えでないといかんというような話ではないということを親鸞聖人はわざわざ在世も正法もという意味で、在世・正法と云っておられると思います。まぁお釈迦さまのお説法というのは正に相手に応じて法を説かれましたが、それは八万四千の法門と云われる通り説き方はいろいろです。しかし云いたいことは一つだというのが親鸞聖人の見方ですよね。阿弥陀の世界、あるいは本願を説いている経典は決して多くはないわけです。数から云えば少ないと云った方がはっきりするでしょうね。でも阿弥陀という単語が出ていなくてもお釈迦さまは阿弥陀の世界に出遇わせようとしている。これが『教行信証』では「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」という、あのお言葉に集約されているわけです。これは聖道の人たちから見ればバカなことを云うなぁ、そんなことはないぞという批判になることは覚悟の上だと思います。しかしお釈迦さまはいろんな教えを説かれたんじゃなくて、云い方はいろいろかもしれないけれども出遇わせたいのは阿弥陀の本願、一人も漏れずに迷いを超える道なんだということ。これが親鸞聖人の云い切りになっています。何回も云いますが、お釈迦さまは周利槃特には掃除しなさいとしかいってないわけです。阿弥陀の本願なんてあのエピソードの中には一回も出て来ない。しかし掃除しなさいということを通して何に気付かせたかと云ったら、物憶えがいいか悪いかで人間は価値付け出来ないという世界、まさに阿弥陀の世界にお釈迦さまは気付かせようとしているわけです。だから説かれた言葉尻じゃなくて、その言葉の向うに何があるのかということを見る時に、阿弥陀に出遇わせようとする釈尊のお心が既にずうっと前々からあるのに気が付くのです。これを浄土真宗は、あえて言葉を補えば、在世の時代も正法の時代も、像法の時代も末法の時代も、それから法滅の時代になっても成り立つ仏道だということを云っている。そしてどんな者も漏れないということを、「濁悪の群萌を斉しく悲引」して下さっているという言葉で親鸞聖人は押さえておられると思います。これが三願転入の文から続く親鸞聖人が出遇われた本願の仏教、阿弥陀のはたらきによって誰もが斉しく救われていくという仏道、ひと言で云えば浄土真宗の世界であります。親鸞聖人も感動をもって、よくぞこんな仏教が明らかになったものだというお心が、ここにずうっと流れてあると思います。五説を挙げて仏説を勧める
そこから話が転じていくわけです。先ずは仏説ということを押えようとしているのが次の今日読みたい言葉です。もう一遍そこを見ますと「ここをもって経家に拠りて師釈を披きたるに」と云います。経家というのは、お経の家と書いてありますけれども、これは基本的には釈尊を指しているお言葉ですね。『教行信証』でも何回か使われていますが、これは別に親鸞聖人の専売特許ということではありません。いろんな経典や論書の中で、経家という云い方でお釈迦さまを指す言葉であります。つまりお経を説いて下さる方ということです。そのお経を説いて下さる方のお心によってということです。その意味では釈尊と限定しなくてもいいかも知れません。それならここは釈尊によってと書いていいわけですからね。でも後で大聖という言葉がありますので、それと重複しないために、お経を説かれた仏ということですね。仏のお心に依って、そしてそれをいただかれた「師釈を披き」という云い方です。この師釈も限定してはいませんが『教行信証』では七高僧です。大智度論の中にこれが出るのですね。それから道綽禅師、それから善導大師と、こういう方々がこの五説ということに触れておられます。ここに注が付いていますが、42番です。化身土巻の42番は1042頁の上の段に出てまいります。2行目に「説人の差別」とあって「…変化説なり」という、これが「玄義分による」とまず云っています。つまりこれは善導大師の『観経疏玄義分』にこの本があると云ってます。ただその本はさらに遡ると、龍樹菩薩の『智度論』や『安楽集』にあると。これ大変勉強しやすいように『大蔵経』や『聖教全集』の頁まで載っています。調べようと思ったら龍樹菩薩の『智度論』、それから『安楽集』、さらには善導大師の『玄義分』を見ればいいんです。で、親鸞聖人がなぜこんなことをここに引かれるのかということですね。まぁ一遍読んでからにしましょうか。357頁に戻って、「経家に拠りて師釈を披きたるに」というのは、釈尊によって、釈尊を根拠として、それを受け止められた先達のお言葉を披くならば、ということで、ここに「説人の差別」というふうに云われます。誰が説いたのか、ということ。それを弁えるという意味で「弁ぜば」と。弁ずるというのは述べるという意味もありますが、はっきりさせるということです。「おおよそ諸経の起説、五種に過ぎず」と。いろんなお経があるけれども五種類にまとめられると云うんですね。これを出るものではないと云ってます。「一つには仏説、二つには聖弟子説、三つには天仙説、四つには鬼神説、五つには変化説なり」と、こう云われる。まぁいろんな者が説いた経典があるわけです。基本的には仏説、お釈迦さまが説かれた、これが経典の本でありますけれども、弟子がお釈迦さまに代って説くというものもあるわけですね。有名なところでは「維摩経」であるとか「勝鬘経」であるとかはお釈迦さまの教えに遇うた人がお釈迦さまに代って説いて下さっている、これが聖弟子説ですね。「三つには天仙説」天仙というのは人間を超えたような者が説く場合もあるわけです。「四つには鬼神説」鬼神が仏に代って説くということも出てまいります。「五つには変化説」それら以外のもの、例えば『阿弥陀経』でしたら、鳥が啼いておれば、それが仏法僧の声として聞こえて来るというのがありますね。ああいう形で別に人の形をした者だけが説くわけではないんですね。仏法僧、仏の世界というのは鳥たちが説く場合もある。そういうように経典と云うけれども、説く主の方は五つにまとめられると云っています。それを「しかれば」と承けて「四種の所説は信用(しんゆう)に足らず」と。まぁ信用(しんよう)という意味ですが、一応仏教読みで「しんゆう」と読んでいます。信じ用いるには足りないと。「この三経はすなわち大聖の自説なり」と、こういう云い方です。「四種の所説」というのは仏説の下にある聖弟子説、天仙説、鬼神説、変化説を四種の所説と云って、信用に足らずと云っているわけです。「この三経」、これは浄土の三部経、これがずうっと化身土巻では大経、あるいは大本、それから観経、そして小経小本とも云われる阿弥陀経を指しているわけですが、これを「大聖の自説」であると云っています。これちょっと見るとお経を分類しているように見えますね。仏説なのかどうなのかとね。これ結構現在でも強い関心であります。実際我々が日頃『仏説無量寿経』とか『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』と云ってるけれど、これは年代的に見ると、お釈迦さまが亡くなってだいたい500年から600年経って出来上がったお経だということになると、本当の仏説とは云えないんじゃないかという意見が強いです。これは今に始まったことじゃなくて、江戸時代の富永仲基という人が「出定後語」という本を書いて、大乗非仏説という論を展開しているわけです。大乗仏教なんていうのは後にまとめられたものであって、お釈迦さまが書いたものは勿論、語ったものもきちんと残っているものは少ないというわけです。まぁよう勉強しておられますわ。でもああいうことが、現代でも仏教の学問をやっておられる人の中から出て来るんですね。やっぱり古い方、お釈迦さまが直接喋ったのはどの言葉か、という研究であります。それはそれで仏教がどんなふうに展開して来たかということを見るには大事な研究だと思いますが、一つ忘れていけないのは仏説ということを釈迦が云ったか云わないかに限定しようとすることが起きる。そしたら、先程云いました周利槃特には掃除せよと云ったのが仏説だということになりますが、果たしてそうでしょうか。周利槃特はそのことを通して自分は物憶えが悪いから価値がないと思い込んでいたことに気が付いたところに、その掃除しなさいという言葉は生きてはたらいたわけですよ。だから仏説というのはお釈迦さまが云ったということだけを探していくとものすごく薄っぺらいと云うか、その言葉自体で云えば、なんでこれが周利槃特の心を開くのかということが分からなくなることが起きるかも知れませんね。仏説と云うのは実は聞いた方、受け止めた方を抜きに、云った言葉だけかき集めてみても仏説にならないという問題が必ず残るんです。聞いた方、頷いた方がいないならば、お釈迦さまがこう云うてますけれどという本を一冊作ったとしても、なんでかなぁということは残ると思います。それも含めて親鸞聖人は分類したいわけじゃないんですね。仏説と聖弟子説と天仙説と誰が喋っているかということを云いたいのではなくて、親鸞聖人の問題は仏説以外のものは信じ用いるには足りないと云っている。その時にどういうことになるかと云ったら、下手をすると私たちは仏説と云いながらも仏説と思わないということが起きるんですよ。これは『教行信証』に出て来る人で云うと提婆達多とか、あるいは提婆達多の友だちであるクカリとか、これ皆んなお釈迦さまの弟子です。お釈迦さまの下で直説を聞いた人たちです。ところがお釈迦さまのお心を受け止めきれずに結局は背いていくんです。仏説を聞いたはずですよね。でもその仏説を仏のお言葉としてはいただけなかったという人の代表なんですね。結局どうなったかと云えば、お釈迦さまはそう仰るけれども自分の掴んでいるものの方が確かなんです、どっかで。提婆達多はその最たる人でお釈迦さまの教えを大分学んで、もうお釈迦さまとほぼ等しいという思いまで登りつめたんですね。でもそれはお釈迦さまと自分との立ち位置の違いと云うか、立場の違いということを錯覚したと云わねばならんでしょうね。自分はそのうちお釈迦さまになり代わるというふうに思った。それぐらい私は努力を積み重ねて勉強もしたんだからと、こういう自負心はあったと思います。だから云ってしまうんですよ、後は私に任せて下さい。この教団、サンガは私に託して下さいと云うてしまう。つまり仏になり代われると思った時点で、これはどうなんでしょうか。この聖弟子説というのは極めて大事なんですが、そこにはお釈迦さまが居られるということが大事です。『維摩経』にしても『勝鬘経』にしても。そのお二人とも、私はもうお釈迦さまに代って説けるぐらい力を得ましたとかね、もうお釈迦さまいなくても大丈夫ですとか、そんなこと云う人たちじゃないですよ。弟子は弟子という立場で、私はこう聞かせてもらってます、私はこういうふうにいただきましたということを語るのが聖弟子説でしょう。でも提婆達多のように、私が代りますから任せて下さいというのは全然立場を履き違えていると云わなきゃならんでしょうね。これがたとえお釈迦さまが仰ったことを一から百まできちっと憶えて、それを語ったからと云って、お釈迦さまはこう仰ってました、これは間違いない仏説ですと云うたとしたら、これ仏説でしょうか。結局仏説とは何かということをここで問おうとしているお言葉だと私は思うんですね。善導大師の深心釈の第六
だから仏説ということが大事なんであって、聖弟子説以下は、いくらお釈迦さまが説いたのと同じ言葉が発せられたとしても、なり代われるものではないということを云おうとしている。それが「四種の所説は信用に足らず」という言葉であると思うんです。これはさっき注で見ていただいたとおり善導大師の『観経疏』に出る言葉だと云うていますが、それは実は「信用に足らず」という言葉まで含めて『観経疏』のお言葉がもとにあるからなんですね。これ似た言葉があるから『観経疏』だと云ってるわけではなくて、信用に足らずということが『観経疏』で示されているのが大事なんですね。で、直接の部分ではありませんが、信用に足らずということを云っている言葉、それを挙げてみましょうかね。聖典216頁6行目です。これは『観経疏』に展開される深心釈というもので、本は『観経』に至誠心・深心・回向発願心という三つの心、三心ということが云われます。これを具えて浄土に往生を遂げるのであるということを善導大師は非常に大切に押えておられる。この三心釈というのは無茶苦茶分量が多いんですよ。ここが本当に大切ということを、例えば法然上人はこの三心釈を殆んど『選択集』に丸々引用しておられますね。親鸞聖人も信巻と化身土巻に引き分けておられますが、三心釈によって信心とは何かということを確かめていかれる非常に大切な部分であります。その深心釈、善導大師は全部で七つの深心ということを云います。一つ目が有名な「機の深心」、二つ目がまた有名な「法の深心」。この二つを「機法二種深心」と云われて、特に七つの深心の中でも着目されるわけですが、いま読みたいのはその6番目に当るところであります。216頁の6行目。「また一切の行者、ただよくこの経に依って行を深信する者は、必ず衆生を誤らざるなり。」と、こういう言葉で深心ということが6つ目を数えます。「この経に依って」というのは善導大師が解釈している『観経』を特に指しているわけですが、「この経に依って行を深信する」念仏という行を深く信ずる者は「必ず衆生を誤らざるなり」とこういうふうに云ってます。面白い言葉ですよね。衆生ということを本当に誤らずに見ることができる、あるいは受け止めることができるというふうに云っています。逆に云えばこの経に依って念仏ということを深信することがなければ、我々は衆生ということも分からないのです。実際、私たちつながりを生きてますね。衆生として生きているわけですが、日頃はどうでしょう。そのつながりは、例えばあの人は使えるか使えないかだったら、メリットかデメリットみたいな世界しか見てないわけでしょ。いのちとして全然見ていない。あるいはもうちょっと、衆生というのは別に人間に限りませんので、私たちがここに息をしているということは植物たちの力にも支えられている。あるいは作物が稔るということは虫たちの力にも支えられているわけです。ボクも正確にはまだ知らないんですが、何十年後かで昆虫が9割死に絶えるんじゃないかということを云っている方がありますね。昆虫が死んだら、虫がいなくなってきれいになると、そんな話じゃなくって、ボクらももうものを食べられなくなるんだそうですね。50年後にそういう時が来るんじゃないかという予測があるんだそうです。ま、大変な世界でありますが、実際私たちはその虫と共に生きているわけです。また私たちのお腹の中で云えば、これは生物学者が云ってますね、ボク等は60兆個のさいぼうで成り立っているんだそうですが、お腹の中には100兆から150兆の腸内細菌がいるんだそうです。私たち、そういう虫のようなものたちと共に生きているんですね。その腸内の細菌がいなかったら食べた物は全部垂れ流しであって、全然消化もしないし分解もしないんだそうです。すごいことが起きているわけです。だから生物学者は我々の身体は小宇宙みたいなものだと云っている人もいるんですが、そんなことに支えられながら生きているなんて思ってもいません。だから本当に繋がってこのいのちが成り立っているという世界、これが衆生だということが現代の科学でも云われているわけなんですが、それを見る眼をいただくのが、この『観経』によって念仏を深信するところに成り立つんだと云ってるわけです。まぁ今ほんの一例で生物学的なことを云いましたけれども、そんなことで測れるわけじゃなくて、本当にいのちをどう見るか、このつながりをどういただくかというところに本願の教えが関わっているわけです。それをどうしてか「何をもってのゆえに」と云って「仏はこれ満足大悲の人なるがゆえに、実語なるがゆえに。」と先ずこう云っています。つまり仏の教えをいただくということが何故大事なのかと云ったら、大悲を満足していると云うんですね。一人も漏らさない、傷つけ合うあり方を本当に悲しむという、その大悲を満足しているのが仏であると。まぁ仏についていろんな定義がありますが、これも大変大事な定義であります。仏ってどんな人ですかと云うたら大方は覚った人と云うでしょう。でも覚ったと云っても何を覚ったんですかと云うたら、何故人間が傷つけ合うのかということを覚ったんですよ。人間は自分のことをあんまり痛ましいなんて思ってないですよね、一所懸命生きている時は尚更です。自分はまぁまぁ世の中のレールにも乗っかってますわという話です。世間からも評価されていますし、みたいな。でもその全体が傷ましいことになっとるぞということを本当に教えて下さるのは仏の眼(まなこ)しかないんですよね。だからその仏から発せられる言葉は実語と書いています。如実言という言葉もありますね、まことの言葉なんです。我々の上に生きてはたらく、実を結ぶような言葉なんです。決して評論家が悪いとは云いませんけれど、決して批評して評論した言葉じゃないんですよ。まぁ評論の言葉でも、この世の中のあり方を云い当てた大切な言葉もありますけれども、それが私の上に実を結ぶということがなければ、結局分析して終りです。だから仏の言葉は大悲に根拠する実語である、というふうに云われる。この仏の言葉に依ることの大事さをこの経に依って行を深信するというふうに云っているわけです。さっきも云いましたが、善導大師は「深い心」を「深く信ずる心」と云って、それに七つあると云って、その6番目をいま読んでいるわけです。深信の中味をいろんな面から押さえて下さっているわけですが、それをまず「満足大悲の人」、そして実語であると押さえています。そしてその後に「仏を除きて已還は、智行未だ満たず」と云ってます。「已還」というのは、それよりも前ということです。菩薩道で云えば52の段階のうちの51より手前、これはまだ学ぶべきことがある位なんですね。51の段階は「等覚」と云われて、ほぼ覚りに等しいんですが、まだ為すべきことが残っているんです。代表的な方で云えば、弥勒菩薩はそこまで行っていると云われます、等覚の弥勒と。しかし弥勒菩薩はいま兜率天で天人に説法していると云われる、これが最後になされなくてはならない修行なんですね。だから「仏を除きて已還」というのは、たとえ51段まで上がった人でも、仏に成ったとは云えないということを云うんですね。これが「智行未だ満たず」と。智慧とその行はまだ満足したとは云えない。「それ学地にありて」というのは、まだ学ぶべきことがあるんです。これは「有学」と云われます。仏教用語の面白いところですが、「有学」と云うのは学が有ると云うんじゃなくて、学ぶべきことがあるんですね。それに対して仏は「無学」と云われます。これは学がないと云うんじゃなくて、もう学ぶべきことがない。これがさっきの「満足大悲」と繋がってますよね、もうありとあらゆることに通じている。その意味では、まだ学ぶことがあるのが「有学」なんです。これつまらんという意味じゃないんですが、ここに大きな断絶があるということです。これが「智行未だ満たず。それ学地にありて」と。正に有学の位で「正習の二障ありて」と云ってます。「正習」というのは悩とその習気であります。正しくはたらいている煩悩が「正使」と云われる。それから「習」は習気(じっけ)。煩悩の本体そのもの、貪りとか瞋りという心は菩薩の中ではかなり滅し尽すことができるんだそうです。しかしその煩悩の本体、正使を滅したとしても、その残り滓があると云うんです。これが習気であります。習い性となるという言葉もありますが、今までやって来たことというのはなかなか直らんでしょう、習気というのはそういうものです。だからこれがまだ残っているということを「正習の二障ありて」と云うんですね。煩悩を断ち切ったつもりでも、そこに習いが気となって残っていると云うんですね。それを「未だ除からざるに由って、果願未だ円かならず」覚り、あるいは涅槃ということをまだ完全に満足したというわけにはいかないと云うのです。で、「これらの凡聖は、たとい諸仏の教意を測量すれども、未だよく決了することあたわず」と云ってます。まぁ凡夫も仏の教えのお心を知るということもある。それから聖者の位に上ってかなり教えのお心を分かって来たということもある、しかし未だに決定的に了解したというわけにはいかない、決定的に覚るということは出来ない。要するに51段階まで上ったとしても、仏とは決定的な違いがあるということを云うわけであります。「平章ありといえども」というのは、述べていくことができるようになるとしても、そこには「かならず須らく仏証を請うて定とすべきなり」と、こう云います。だから形としては仏に代って説くということはあるかも知らんけれども、そこに仏の証明を求めなければいけないと云うんです。先ほどチラッと紹介しましたが、維摩詰とか勝鬘夫人という人は仏に代って教えを説かれるのですが、そこには仏がおいでになるのですね。お釈迦さまは言葉を発しはなさいませんけれども、それをよしよしというふうに見ておられる。それを仏証を請うて間違いないということが定まると云うのです。その次が面白いですね。[もし仏意に称えば、すなわち印可して「如是如是」と言う。]と。仏のお心に適えばそうだそうだと、かくのごとし、かくのごとしというのは、間違いない間違いないというふうにしるしを与えられるわけですね。で、[もし仏意に可わざれば、すなわち「汝等が所説この義不如是」と言う。]と。仏のお心と違うならば、そうでないと云われるわけです。これがさっき例として云いましたけれども、お釈迦さまのお弟子で仏のお心に背くようなことが起るとお釈迦さまはそうではないと厳しく叱るわけです。でも提婆達多であるとか倶迦利というような人は、いやそれはお釈迦さまから聞いたんですけどと、同じことを自分も云ってるはずですけどと云うかも知れません。しかしどこからその言葉が出るか。文字の並びは合うているかも知れませんが、何からその言葉が出るかによって全然その趣旨は変って行きますよね。それをいくら位に上った者が説いたとしても仏意にかなわないものは、不如是であるというふうに仰るわけであります。それで印可しないものは「無記・無利・無益の語に同じ」と云ってます。これは認可を得られないということなんですが、それによって無利・無益と書いてます。利益がないんですよ、やっぱり。だから始めに申し上げたとおり私たちは仏説を暗記することは出来るかも知れません、お釈迦さまの言葉を暗記することは出来る。しかしそれを一字一句間違いなく語ったとしても、それが仏説と云えるかという問題が残るんですよ。仏意にかなわずに、例えばお釈迦さまはそれこそ場面に応じて説かれるわけでしょう。皆んなに同じことを云うわけじゃない。それをお釈迦さまが云ったことだから間違いない、これは正しい仏説だと握って語れば、場面の違うところでは意味をなさないかも知れませんね。かもと云うより、無利・無益に止まらずに相手を傷つけるかも知れません。これちょっと遠いかも知れませんが、蓮如上人のお言葉にもありますね、「たとい正義たりとも、しげからんことをば、停止すべき由候う。」(聖典879頁蓮如上人御一代記聞書134)とね。正しい意味を語っていると云っても、何遍も何遍も同じことばっかり繰返していたら、それは結局相手を傷つけることになると云うんです。だから私の云ってること理屈として間違ってないでしょうとかね、これお経にちゃんと書いてありますよとそんなこといくら云っても、どういう状況でそれが語られるかということがなければ、お経の言葉ですら人を傷つけることも起きるでしょうね。仏説とは何かという問題、これが仏のお心にかなわない者であれば、51段階まで上っていても、それは仏説にはならない。それぐらい質が違うということです。「もし仏の所有の言説は、すなわちこれ正教・正義・正行・正解・正業・正智なり。」と。まぁこれ、ここまで言葉を重ねんならんかというぐらい重なってますね。仏の説法というのは正しい教えであり、そこには正しい意味があり、そしてそこには正しいはたらきがあり、そして正しい理解を生んで行くんですよ。そしてそれが正しい行ない、正しい生活にまでなり、そしてそこには正しい智慧が生み出される。これさっきから云っている実を結ぶんですわ。理屈として正しいと、そんな話だけじゃないんです。我々の側に生きてはたらくということを持っています。そして「もしは多・もしは少、すべて菩薩・人・天等を問わず、その是非を定めんや」と。人・天が正しいなんてことは出来ないんですね。で、これ後の話とも繋がりますが、次に[もし仏の所説は、すなわちこれ「了教」なり、菩薩等の説は、ことごとく「不了教」と名づくるなり、知るべしと。]とあります。これが今日始めに読んだ化身土巻に出て来る菩薩以下の四種の説は「信用に足らず」というふうに云われる、これが了教と不了教の分かれ目であります。仏説か仏説でないかは、これだけ違うんですね。そして「このゆえに、今の時、仰ぎて一切有縁の往生人等を勧む。」と。迷いを超えて行こうとする、往生を遂げようとするすべての方々にお勧めしますと云ってるのが「ただ仏語を深信して専注奉行すべし」と、仏語を信じなさいと、こういうことです。でもどうでしょうか、さっきからお話していますけれども、仏語というのはお経に載っているから、これ仏語でしょうと云いたくなりますよね。でもそれは仏のお心にかなわずに発せられたら、それはもはや仏語にならないわけです。その意味で云うと、仏説と聖弟子説以下の四説に分けてありましたけれども、私たちは仏説の言葉を使って結局鬼神説に陥ったり、他のものに変って行ってしまうということがある。本当に仏説を語れるのは仏しかないし、そこに仏説と仏説以外のものを明確に峻別しておく必要、これを既に信巻で確かめておられるわけです。ただ仏語を深信して、唯信仏語ということですが、唯深信仏語とここでは云われます、依るべきは仏語なんですよ。で、「菩薩等の不相応の教を信用して」と、ここに信用という言葉が出てるでしょ、これは聖弟子説以下の四種を指しているわけですが、「菩薩等の不相応の教」、不了教とも云われますが、これを信用して「もって疑碍を為し」、そこで疑いや障りが起って来るんです。で、「惑を抱いて自ら迷いて、往生の大益を廃失すべからざれとなり。」とこういうように呼びかけてます。仏説によるところに迷いを超えることができる。逆に仏説以外の四種に依れば必ず疑いが出て来るし、惑いが出て来るし、そこに往生の大益を廃失することになると云われています。だからどの経典が仏説かどうかの分類を親鸞聖人はしているわけではない。私たちはついつい本物の経典とそうでない経典の分類みたいになりますけれども、それがどういう状況、どういう環境の中で語られるかによって、仏説にならないことがあるんです。これを承けて先ほどの言葉が展開しているわけです。「大聖」という言葉の意味するところ
357頁に戻りますと、パッと見には親鸞聖人は説法の主体には五種類あって、この三部経は間違いなく仏説ですよと分類しているように見えます。しかしそういう話ではなくて信巻にあった記述が本だとすると、依るべきは仏説であるということで、それ以外のものに惑ってはならないということを我々に呼びかけて下さっていると思います。でも現在どうでしょうか。その意味で云うとボクら仏説を見ても、これホンマにお釈迦さんが説いたんかいなと云うてみたり、もう仏説ですら仏説でなくしていくわけでしょう。そこは受け止め手の関係の中で本当にそれが仏説になるかならないかという大きな問題が残されていることが分かります。区分けして分類するというような話と全く違うのです。その時に「この三経はすなわち大聖の自説なり」と。これ釈尊と云ってもいいんだと思いますが、この「大聖」という言葉が使われていることに、私は大きな意味があると思っています。それはくっつけ過ぎやとお叱りを受けるかも知れませんが、これはどこに出て来る言葉かと云うと、実は153頁、「大聖」と云うと私は先ず念頭に浮かぶのがここであります。これは阿難がお釈迦さまを改めて呼んだときの言葉なんですよ。このやり取りというのは阿難はずうっとお釈迦さまの話を聞き続けて来たわけですが、この日初めてお釈迦さまのお心に頷いた、気が付いたと、こういう展開でしょ。その時に呼ばれている名前が「大聖」なんです。だから「大聖の自説」という云い方がもうお釈迦さまのお心に頷いたということを語ろうとしている言葉なんですよ。逆に先ほど例に出した提婆達多なんかはお釈迦さまに遇うても「大聖」とは見ていない。オレもなかなかの者やと、お釈迦さまと肩を並べる位のつもりなんですよ。だから後を私に任してくれと、私に任してくれればあとは大丈夫ですよということを平気で云えるんです。念の為に云いますが、提婆達多も不真面目な人だったとはボクは思いません。大真面目にお釈迦さま亡き後、このサンガがどうなるかということを考えた時に、未来の仏教教団のことを憂えて云ったかもしれません。しかしながら後を任して下さいではなくて、私では全く至りませんけれども、お釈迦さまのお手伝いをさせていただきたいと思いますと云うたら話は変ったと思います。でも提婆達多はそういう立ち位置じゃないでしょう。後は私に任して下さいと云った時点で、もうお釈迦さまになり代わろうということが出ており、最後にはお許しを得ることができなかった時に、釈尊を亡き者にしてでも奪おうとしたわけです。そこに正体が出ているでしょう。つまり釈尊とわたしはまぁまぁ同等だという思いがあるから、あんなことになるんですよ。だから少なくとも「大聖」というふうにお釈迦さまを仰ぐ立ち位置じゃないということが分かりますね。逆に阿難は「大聖」と仰いだ、その言葉なんですね。これはお釈迦さまを一人の人間として見るという見方じゃなくて、人間が修行して上り詰めて行ったという人ではなくて、如の世界から来ておられたということがここで確認されます。今ここのところを長々とお話はできませんが、有名なところで云うと、五つの徳を述べられる中で5番めが3行目にあります。「今日、天尊、如来の徳を行じたまえり。」と云っています。如来さまだったんですねと云うんです。如の世界から我々のために来て下さっていたお方だったんですねというわけです。阿難はこの日までどう見ていたかと云うたら、人間であるゴータマ・シッタルダが修行を重ねて高い位にまで上がり詰めたと見ていたんですよ。そう思った時に阿難はまだ謙虚なんですが、自分はお釈迦さまと比べたら全然ダメだと思ってるんですよ。でもこれ提婆達多と云い方は違いますけれど、人間の物差しの延長上で、修業の目盛の中で測ってますよね。提婆達多は殆んど同等だと云ったんですが、阿難はお釈迦さまはこの辺で、私はこの辺ですと云うているんです。でも目盛は一緒でしょ、人間的な発想で見ているんです。でも全然違いましたというのは、如の世界からはたらいて来て下さったんですねというのは、人間が上り詰めて覚りを開いたという話と違うんです。それを全然勘違いしていましたということを云う時に「大聖」と改めて呼んでいる。この言葉を親鸞聖人は「大聖の自説」というところに化身土巻では引いておられると思います。これは出遇い方、どう仰いでいるのかということを抜きに仏説ということもあり得ないということを云っている。仏説ということが明らかになるということはどれほど立派な舎利弗目連が説かれても、それは弟子がいただいたところを語っておられるのであって、そこにお釈迦さまがいて、それは間違いないと仰らなければ、それは仏説として機能するわけにはいかないんです。この辺が親鸞聖人が仏説ということをどう見るかということを改めて押えていかれる、そういうお言葉になっているのが、この化身土巻の今読んでいる一段かなと思うわけであります。ちょっと一服しましょうかね。
仏説が仏説であるためには
いま読んでいるのは化身土巻ですけれども、先程の「信用に足らず」というところは、信巻の「ただ仏語を深信しなさい」ということと重なっている。そしていまご質問のあった、じゃぁ仏説とはなにかと云えば、お釈迦さまが口から発したかどうかというそんな話には終らないんですね。例えばお釈迦さまが仰った言葉を間違いなく切り取って来て、これが仏説だといくら云ったとしても、それは場合によっては相手を傷つけることになる。お経に書いてあるこれは正しいんだと振り回して、仏教の言葉で人が傷ついていくことだって起る。そこから云うと、聞いた人の上に仏説はあるんですね。それはまぁ次の話にも展開して行くことなんですが、私自身もさっきの五説というところね、パッと読むと、このお経は間違いなく仏説ですよとみんな箔づけをしているような権威的なものにも見えなくはないんですが、そんな話をしているんじゃなくて、仏説というのはいただいた人にあるということを云いたいのです。「大聖の自説」というのは、大聖と仰いだところに初めて成り立つのが仏説なんですね。それを代表として教巻の阿難の姿で申し上げておったわけです。もう一遍云いますが、阿難もお釈迦さまのいとこですからね、歳は35違うと云われていますけれども、従兄のすごい人がいると見ていたら、自分もいつかああなりたいというように思うのも無理ないですよね。自分の身内からすごい人が出たという話ですから。ところが長年勉強してみても一向にお釈迦さまに近付いていると思えないものですから、お釈迦さまが身体を壊されて亡くなっていく、もうダメかも知らんという時に、阿難は待ってくださいボクはまだまだ勉強も足りないんですからと云うわけですよ。でも結局それはお釈迦さまと同じ者にならねばならないというこの辺に理想を置いてますよね。でもお釈迦さまの教えは、阿難は阿難として生きたらいいんです、阿難はお釈迦さまのようになる必要はないんですよ。さっき云った周利槃特も周利槃特として生きて行けばいいんであって、周利槃特がお釈迦さまのようになるという話と違うんです。でもこれを勘違いしたのが提婆達多でしょ、だいぶ私はお釈迦さまに近付いてきたとなる。この辺に理想を置いて、結構いけてるとなってしまっているのですね。となると仏教というのは、夫々の現場、誰の上にも夫々に道を開いてくるというのがお釈迦さまの一番云いたいことであって、これをひと言で表現すれば、それが阿弥陀の世界なんですね。人と比べる必要のない、上下を競う必要のない、そういういのちなんです。ただこれ人間からすると一番遠いですよね。比べてしか喜ぶ道を知らんからです。比べなくてもいいと云われても分からない。あなたはあなたでいいと云われたって、どれが私という話になる。やっぱり人を見て、目標を決めて、そうなってこそ自分が価値を手に入れられると思っていますから、あなたはあなたとして生きたらいいと、どれだけ云われても分からないというものを持っているわけです。これが、お釈迦さまの法が頷き難いということを難信のところで大分云いましたが、教えが難しいんじゃなくてこっちが始めに予想していると云うかね、思い描いている救いとか覚りというものがあるもんですから、あなたはあなたに返ればいいと云われても、そんなもの有難くも何ともないということがあるからいただけない。こういう構造なんですね。この大聖という言葉を阿難のところで教巻の始めの方に挙げておられますが、これが今日のところに響いて来ておると見当付けをせんならんと思います。繰り返しますが、これは私なりの受け止めであって、大聖と書いてあれば全部そうやというわけにはいきません。でも出世本懐を語る教巻で仰がれる釈尊のお名前、これが非常に大事だと思うんですね。ちょっと先取りしますけれども、後の方でも大聖という言葉が出ているところがありまして、気になっているのは364頁の1行目。「これ大聖の旨破なり」と云うてます。これはお釈迦さまが旨として、そして破というのは喝破するというような時に使いますよね。本当に決定した、これ以上のことはないということを云う時の言葉なんだと思うんですが、「これ大聖の旨破なり」とある。これ何のことかと云うと、例えば正法の時代にこれは戒を破ることですよと戒める。しかし像法や末法になったら、それを戒めないということがある。片方では戒めて片方では戒めない。これは矛盾じゃないですかという問いなんですね。ボクらの中にある先入観、予定観念もそうかもしれませんね。仏教は一つで一貫してほしいわけですよ。でも片方ではこう云い、片方ではこう云うというのはおかしいじゃないですか、と云うんです。でもそれは大聖の旨であって、極まるとことであって、我々が判断する話と違うと云うんです。ある時には戒めないといけないことがある、ある時はそれは戒めじゃない。でもこれ仏説にはよくある話で、例えば実体的なことに縛られている人間には、さっき無自性という言葉も出ましたけれども、そんなものに実体はないよということを云う時に空とか無自性という言葉で否定する表現をとるわけです。あなたが掴んでいるものは何もないと、これを「空」と云う。ところがそれが行き亘ってきたりすると、今度は「空」ということにまた縛られて何もないんやと、まぁニヒリズムみたいなことになることもある。そんなときにもう一遍云い直して本当の「有」とはこれだと、本当の存在はこれだというふうに云う。それに始め「空」で馴染んで来た人は涅槃経の「有」とか、「常楽我浄」なんて聞いたら、これは外道の説じゃないかと云うたそうであります。四顚倒という誤った考え方に執われている者がこんなことを云い出したんじゃないかと云うんですが、片方では無い無い無いと云わなきゃいけない。しかし「無い」ということに執われてしまう人間には「有る」と云わなければいけない。これ矛盾してませんかという話です。でもこれは私たちの執着を離れるためにある時は「無い」と云い、ある時は「有る」と云わなければならないということで、執着を破るための説法でしょう。相手を見てこの人にはどっちを云わないといけないかというのは、お釈迦さまにしか分からないですよね、これ。それを仏教は「無自性空」だと振り回したら、また訳が分からないことになるんですよ。また仏教は「常楽我浄」と云ってるから、本当の常なるものを説いているんだと云い出すとまた分からんようになる。これがさっきからお話している、それによってこちらの執着が破れるということが実際に起きる。実を結ぶところに教えが生きてはたらいたということがあるんであって、言葉尻だけ切り取ってきても仏説にはならないという問題なんですね。でもこういう仏説の見方というのは、善導大師それから親鸞聖人の受け止め抜きに、他にないように思うんですね。やっぱりお経としてこれが本物かどうかみたいな発想、これ現在の我々にもあるんじゃないですか。これが一番始めに云いましたが、仏教を本当に研究しておられる方々でも、このお経は大分後になってから出来た、まぁお釈迦さんが亡くなってから700年ぐらい経ってからだ、だからこんなことお釈迦さんは云うてないんやという話になるんです。それは実際には言葉を発したとは云えないと思いますが、しかしそれを聞いてきた人の歴史が生んで来た経典であることは間違いないわけです。この教えによって私の執着が破られましたということを云っている、それがお釈迦さまから何と教えられたか、いただいたかという形で経典は新たに生み出されて来たのですね。だから2500年前にこの表現で云ってあるかどうかという問題ではなくて、お釈迦さまが私たちにどう教えて下さったかということが、逆に年代を経ることによって明かになったということもあるんですね。身近なところではどうでしょう。私たち身近な人が亡くなると、もう前のようにはその人に会えないということがあります。しかし亡くなったということで、あり方が変っただけで、その人の言葉が前以上に響いてくるということがある。つまり生きている時は何かガミガミ云われてうるさいなぁとしか思えなかったことが泌々と聞こえてくる。これを云いたかったのかとね、届いて来るということがある。それは同じ一言でも、こちらの受け方が変って真意が段々といただけて来るということがあるわけでしょ。でもこれ、さっき何で証明するんですかとうご質問もいただきましたが、どれが真意だったかとうのは誰も判定できません。だって当の本人がそれで何を云いたかったか、これは分からない時だってあるわけです。ところがその一言を通して大事なことをいただいたということがあれば、いただいた方には間違いのないことじゃないですか。当の本人の言った意識の問題以上に生きてはたらいたところに、その言葉が意味を持つということがあるわけです。それが仏説と云うた場合には狭い世界に閉じ籠もっていくような、いよいよ固定観念に執着していくような、これが迷いと云われるわけですが、この迷いのあり方を破るような、狭い世界から広い世界へ導き出される。そして執着に雁字搦めになっていたものが砕かれる、そこに仏説の実際はあるわけでしょう。で、話戻るとお釈迦さまが云ったか云わないかというのは真面目な研究のようですけれど、親鸞聖人からすれば、実は仏説ということを基本的に勘違いしているというふうに云わなきゃならんのです。それは仏説と云わずに釈迦説ですわ、釈迦が発言したかどうかというふうに一回云うた方がはっきりすると思います。そしたらお釈迦さまは阿弥陀という言葉は実際使ってなかったでしょうねと。しかしお釈迦さまの云いたいことが時代とともにはっきりしてきた。それを敢えて言葉で表現すれば阿弥陀の本願という言葉になるんですという、まぁ親鸞聖人が説明すれば、そうなるかも知れません。でもそれは繰り返しますが、頷いてそれによって執着が破られた、狭い世界から広い世界に引き出された人の歴史が証しして来たんですね。これを仏説と云わずして何を仏説と云うのかと、ここまで話は行くと思います。それを親鸞聖人は説明的にお書きになりませんので、そんなことどこにあるんやとまた云われるかもしれませんが、まぁ生きてはたらく、さっき実語という言葉がありましたが、我々の上に実を結ぶということがものすごく大事なんですね。信心こそが「如実修行相応」
でもうひと言、さっきの善導大師の言葉を本にして親鸞聖人が仰っているところを見ておきたいのですが、信巻の「三一問答」と云われる、信心の中味を問い尋ねていく、その信心が我々にどうやって起きるのか、起きるところに何が与えられるのか、こんなことを問答をもって確かめておられるものがあります。それを結論的に云っておられる部分が242頁「三一問答」の解釈であります。後ろから6行目[かるがゆえに知りぬ。一心、これを「如実修行相応」と名づく。]と先ずこう云います。これ実は信巻の始めの方に天親菩薩の一心を曇鸞大師の註釈を通して確かめておられるんですが、一心というのは「如実修行相応」という言葉で云い直されているんですね。でも曇鸞大師の言葉ではその二つが簡単に結びつくとは云えないんですが、ここまで述べてきた後に、信心こそが如実修行相応だということを親鸞聖人は云います。ご和讃では「如実修行相応は/信心ひとつにさだめたり」という曇鸞大師讃がありますが、あれがここで長々と確かめられているんです。逆に云えば天親菩薩が如実修行相応と仰っているのは一心というようにはなかなか見えないですよ。信心を起こして、それから少しずつ五念門の修行に励むというふうに見えてしまう。だから私は第一段階まで行きましたとか、第三段階まで上りましたという人も出て来るんです。信心が明確になること以外に如実修行相応はありませんと、結論的に云っているのはここなんです。その次に善導大師の言葉が出ているんですね。「すなわちこれ正教なり、これ正義なり、これ正行なり、これ正解なり、これ正業なり、これ正智なり。]とありました。さっきこの言葉はどういう文脈で出ていたかと云ったら、これは仏の諸有の言説はですからね、仏のお語りになるお言葉は正教であり、正義であり、正行であり、正解であり、正業であり、正智であると云われたわけであります。その同じことが今度は一心でしょう。教えに頷いて、あぁこれだったかと、これが本当に大事なことだったのかと。逆に云えば今まで大事でないことに振り回されておった、迷っていたことに気が付いたという、その一心に全部親鸞聖人はそれを入れておられます。これがさっきから申し上げている仏説が正教であり、正義であり、正行でありというのは分かり易いでしょうが、一心が正教であり、正義であり、正行であるというのは簡単に頷けないんじゃないですか。でも頷いた心以外に教えはどこにもないんですよ。これが先ほど紹介した阿難で云っても、お釈迦さまがいくら大事なことを言葉で発しられても阿難がそれに気が付かなかったら届かずに仕舞いでしょう。お釈迦さまが大事なことを云うても、それは空中に消えて行った。お釈迦さまは独り言を云ったのと変わらないことになります。受け止め手がいた、阿難がそれに気が付いたということが、その教えが文字通り生きてはたらいたということです。そしたら教えを正教・正義・正行・正解・正業・正智というふうに六つの言葉で云うてましたけれども、それが同時に信心の内容として云われているという、これすごい押えだとボクは思うんですよ。まぁ呼応する、響き合うところにしか教えはないと云ってもいいでしょうね。教えによって目覚めたという、そこに目覚めさせる言葉が生き生きとはたらいているということです。そこまではっきりすれば、そういうことが云えるとすれば、仏説とは仏が語った、仏が説法をしたのを仏説と思いがちですが、それは頷づいた人の上にしかないんです。ボクらのことで云えば、大経は仏説無量寿経ですけれども、仏説としていただければ、これが仏説ですよ。でもいただけなかったら、ただの漢字の羅列です。何か難しいことを云わはって、というようなものです。だから仏説は聞いた人の上にあると云いたい。頷いたところにあるんですね。これは前には良く分からなかったことなんですけれど、信心の内容のところに仏説の内容がそのまま出ているということ、六つを一つもはずさずに親鸞聖人が出しておられることの意味を私は今はいただいているんですね。ついでですが、いま開いていただいたところ、あと2行だけ見ておきますと、それを「三心すなわち一心なり、一心すなわち金剛真心の義、答え竟りぬ。知るべしと。」と。これが本願の三心が取りも直さず衆生の一心であるというふうに云い、その一心こそが金剛真心であるというように押さえられます。実は金剛心というのが親鸞聖人にとっては非常に大きな課題でして、ダイヤモンドに譬えられますが、何によっても壊れない、これを信心に付けているんですよ。本当は金剛心というのは菩提心に付けられる言葉なんですね。菩提心がどんな苛酷な状況でも壊れないということ、これが確保されませんと仏道を歩むと云うても、すぐに世間の誘惑に負けたり、あるいはその時の状況によって道半ばにして終るようなことが起きるんですよ。その菩提心を日頃ははっきりさせましょうと、揺れ動かないように堅いものになるように私たち頑張りましょうと云われる。いわゆる自力の菩提心というのはそういうことなんです。しかし親鸞聖人はご自身が比叡で一所懸命仏道に励んでいたけれども、やっぱり心が折れそうになるんですね。これ親鸞聖人だけじゃないでしょう。同年代で云えば明恵上人なんかも修行に破れそうになって、自分の耳を切り落として自分を叱咤したというエピソードまで伝えられています。あるいは興福寺の解脱房貞慶という人も、解脱坊と云われるぐらい鎌倉時代では真面目に仕事に励んだ人ですよ、あの人が解脱しなかったら誰が解脱するのかというお名前でしょう。しかし解脱房貞慶は自分の歩みが全然実を結ばないということで悩んでおられる。最晩年まで今生では無理かもしれんと最後には観音さまの浄土を願っていったと云われる。今回の人生では実を結ばなかったというぐらい、金剛心というのは難しいんですよ。そうしたらこの金剛心というのは、先程の質問にもありましたが、教えられてこれだったかというところにいただくものであって、私が頑張ってブレないようになるのではない。だから親鸞聖人で云えば29歳の時に決まりますが、その後も揺れ動くことがあった。でも立ち返って行くことができる、原点がはっきりしているから、私が頑張って金剛になるんじゃなくて教えに返れば、いよいよこれだ、やっぱりこれだったということに歩みを確保するものがあるわけです。だからこれは本願による金剛心なんですよ。他力の金剛心と云ってもいいでしょうね。これでなければ私たちは必ず心も折れますし、道半ばで投げ出すことにもなるんです。でも世間を生きるということはなかなか厳しいわけです。世間の誘惑に呑み込まれ易いしね。いつも思いますが、よくこれだけの方がこんなややこしい話を聞きに来られると思ってるんですが、でも仏法を聞くというのは、世間ではあんまり褒められんでしょう。今日奈良の専念寺まで行ってくると云ったら、あんたすごいねぇとなかなかならんわけです。そんな暇があるんやったら家のことしてよぐらい云われるんですよね。本当にね、これ世間から評価されるようなことじゃないですよ。それをね、歩み続けることができるというのは、やっぱり何か出会いがあって引張られるということがある。自分からの発心ではとても続かんものがあるんですね。まぁ私なんかもこういう場所をいただいているから、お話するために考えさせていただくという時間をもらえるわけです。自分独りやったら、もうとっとと家へ帰ってビールを飲んでいるかも知れません、そんなもんなんですよ。私好きでやってるように見えるかも知れませんけれども、そんな人間と違うんです。そういう意味で賜りものなんです。それを親鸞聖人は原点を阿弥陀に見定めて阿弥陀によって歩み続けることが成り立つ金剛心、それが本当の意味で信心が金剛心だと、ここまで云うていかれるわけです。これが教えに頷いた心、それを正教・正義・正行・正解・正業・正智なりとここまで云って、これがすなわち金剛真心と云われているわけであります。話がだいぶ前の方まで遡ってしまいましたけれども、化身土巻へ戻りますと、357頁。この三部経が分類上仏説ですというような話では全然なくて、誰の上にも仰ぐところに仏説として機能していく。いただけば、それが仏の教えとして生きてはたらいてくるということを云おうとしていると思います。その意味で聖道の諸教というのが成り立たないのに対して、時を選ばず、機を分け隔てせずに成り立つということを云っています。「浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅」と云ってね、これ時代については全部云ってますが、機については「濁悪の群萌」と云ってます。これを大小の聖人善悪の凡夫というような云い方をしてもいいと思うんです。『教行信証』の他のところではそんな云い方もしていますから。しかし最も助からない、こんな者は迷いを超えるはずがない、そんなものを代表として挙げることを通して一人も漏れないということを云う文章にしようとしていると思います。呼びかけのときは大小の聖人重軽の悪人というような云い方も他のところではあるんですが、一人も漏らさず救い遂げる、これが斉しく悲引して下さっておることであると感嘆を込めて云ってるわけです。四つの依りどころ
そしてここから更に続いて次のところが仏説のいただき方・受け止め方にまつわることが、「『大論』に四依を釈して云わく」というふうに述べられて行くんですね。ここがないとさっきの五説ということで、三部経は仏説ですよと云うているのが分類に見えるかも知れません。しかしそういうことが成り立つのは、そこに智慧という問題があると親鸞聖人が押えて下さってあると思います。先にまず四依のところを3行ほど読んでみましょうか。[『大論』に四依を釈して云わく、涅槃に入りなんとせし時、もろもろの比丘に語りたまわく、「今日より法に依りて人に依らざるべし、義に依りて語に依らざるべし、智に依りて識に依らざるべし、了義経に依りて不了義に依らざるべし」と。]とこうあります。『大論』というのはそこに書いてあるとおり『大智度論』のことです。四依というのは四つの依り方でありますが、実は「涅槃経」に「四依品」という一節があるわけです。いま読んだところはその「四依品」に出る言葉を引いているわけであります。「涅槃経」というお経は、まさにお釈迦さまが涅槃に入ろうとなさる時に説かれた説法でありますが、面白いのはこの『大般涅槃経』というのは涅槃するぞ涅槃するぞと云いながら全然涅槃なさらない。結局涅槃とは何かということを課題にしている経典なんですね。もっと云うと涅槃というのは釈尊の入滅でありますけれども、入滅なさっても釈尊が目覚めた法は決して消えないということです。肉体は滅しても法は消えない。つまり法身は常住であるということを云っている。法身は常住ということは我々から云えば、その法に出遇った誰もが迷いを超えて行くことができる。だから釈尊にお遇いしたかどうかは問題じゃないんです。法にお遇いするかどうかが迷いを超えるかどうかの分かれ道なんですね。釈尊の入滅ということを通してこれを語るわけであります。まぁよくもこんなことを課題にして下さったと思いますけれども、これがなければ釈迦教という、お釈迦さまに近かったか遠かったかで覚れるか覚れないかが決まるような話になるでしょうね。お釈迦さままで行かなくても、私たちどうでしょうか。私は誰々先生に会いました、みたいな話を聞くと、あぁいいなぁ、あの先生の話を直接聞けてと思いますよね。そしてその先生に遇うた時の方が本物のようで、遠ざかっていると私は所詮二番煎じかみたいな意識が抜けない。でも直接お会いしたからと云って、その法に遇うたかどうかは別問題でしょう。ここをはっきりしておかないといけない。余談ですけれど、もしか私は誰々先生にお会いしましたと自慢なさる人があったらね、まぁ一応それは良かったですねと云うて上げて下さい。でもその次に、会うてどうなりましたかと聞いて下さい。でなければ私は誰々先生の顔を見たことあるとか、直接講演を聞いたことがあるという、ただの自慢話である場合が多いんですよ。本当は遇うたと云うたら遇うた者の責任ありますから、簡単に遇うたなんて云えないと思います。だからお釈迦さまに遇うたという人がもしか居られたら、同じ話ですよ。お釈迦さまに遇うたらその後どうやって引き継いだんですかという話になるでしょう。お釈迦さまに遇うた者の責任があるんですよ。で、親鸞聖人は法然上人に遇うたということをはっきり云うておられる。でもその時には自慢話じゃないでしょう。だからとても担い得ないような大きな責任をいただきましたということを同時に云ってると思います。ですから涅槃ということをよく確かめて下さったと思いますが、涅槃を通して明らかになる法なんですね。これが『涅槃経』というお経が課題にして下さっているわけです。涅槃の姿を文字通り扱ったお経もあるわけです。これは「マハーパリニッバーナスッタンタ」と云って、これも『大般涅槃経』と訳されますが、私たちがいま読んでいる『涅槃経』とは違いまして、正にお釈迦さまが生まれ故郷に向って旅する姿を順番に述べたものです。これは『ブッダ最後の旅』という中村元先生の翻訳が有名で岩波文庫にあります。あれは文字通りお釈迦さまの最後の旅を描き、入滅して行く姿、更には入滅された後の火葬、そしてその遺骨がどうなったかまで、入滅の姿を語ってくれています。これはこれで大事なお経やと思いますが、それに対する大乗の『涅槃経』は、涅槃とは何かということを課題にすることを通して、お釈迦さまの目覚められた方を確かめていくものなんですね。その中に四依品と云うのがあって、そこに「四依を釈して涅槃に入りなんとせし時」と。この「入りなんとせし」というのは親鸞聖人の訓点です。入涅槃の時ということですから「涅槃に入る時」と云ってもいいわけです。あるいは「涅槃に入りたまう時」と敬語をつけてもいいと思いますが、「いりなんとせし」というのは「なりなんとする」ということです。「今まさにそうなろうとする」というのが本の言葉です。これを敢えて漢字で書く時には「垂」という字を使います。水滴がポトンと落ちるあの垂れ方です。「垂々(なんなん)とす」と読みますね。涅槃に入りなんとせし時ですから、まさに今涅槃に入ろうとするその時に、云わば最後のお言葉だということを云いたいわけですよ。お釈迦さまが最後に残して下さったお言葉、それを親鸞聖人は「入りなんとせし時」という訓で仰ろうとしていると思います。繰り返しますが、この訓点は親鸞聖人が振られているんですよ。その時に、「もろもろの比丘に語りたまわく」と。さっき申し上げた実際の語録を伝えるものでは諸行は無常である、怠ることなく励めよというのが最後の言葉であったというのが、『阿含経』に出て来る釈尊の遺言とされています。それはそれで大事ですね。諸行は無常、つまりいつまででも居れるわけじゃないぞと、明日やろうと思っていたら明日は来ないかも知れんぞと、本当に怠ることなく勤めよと。迷いを超える修行に励めよというのが釈尊のお言葉だったということですが、大乗の『涅槃経』はそれを、少なくとも親鸞聖人の受け止めは、励めとはどう励むのかということを云っているんだと思います。念の為云っておきますが、『阿含経』に伝わっている言葉が良くないということじゃないですよ。でも、励めよと云われてもボクらは何をしたらいいのか分からんということが起るでしょう。こちらの方は課題が非常に明確になっていると思います。お釈迦さまが最後に遺してくださった言葉はこれですよと。「今日より法に依りて人に依らざるべし」。これが一つ目の依るべきものです。依るべきは法であって人に依ってはならないと云うんです。これ自分は居なくなるということでしょう。先ほどご紹介した阿難はまさにお釈迦さまに縋ろうとしているんですよ。お釈迦さまもうちょっと居って下さいと。でも遇うべきは法であって、私の顔を見ることじゃないと云うんです。私があなたを救うんじゃなくて、法があなたを救うんだと、ここなんです。でも近くにいた人ほど、なかなかいただけないんじゃないでしょうか。お釈迦さまの教えを聞くこと、そこに何か道があるように思いますよね。お願いですから私のためにもうちょっと居って下さいと、こういう声が聞えていたでしょうね。だから依るべきは法だと、はっきり仰る。それを今度二つ目に「義に依りて語に依らざるべし」と。これは私が云おうとした意味のことですよね。さっき読んだことでは仏意に適う、その意味です。正義に依るべきであって語に依ってはならないと云うんです。お釈迦さまがこう云ったと切り取る。それは間違いなくお釈迦さまはそういったかもしれませんが、その意図を勘違いすれば、それは人を傷つける言葉にすらなるんですから。だからお釈迦さまはその言葉を通して何を云おうとしたのかに依らなきゃならん。言葉を握って振り回すのは仏説に依っているということにはならない。これが「義に依りて語に依らざるべし」であります。これはなかなか難しいですよ。特に私たちお経を詠んだりお聖教を読むという時には、やっぱりここにこう書いてあるやないかと云いたい。親鸞聖人のものでもそうです、親鸞聖人が云ってるか、云ってないかということが鬼の首取ったような話になるわけです。でも云ってるからと云って、その意味をきちっと受け止められるかどうかは別問題でしょう。言葉として云っておられなくても、親鸞聖人はこういうことを仰りたかったに違いないといただくことはあり得るわけです。でもどうしても言葉を通して学ぶことからしか始まりませんが、言葉を学べば学ぶほど、義に依るということから離れていくことも起きるんです。そして「智に依りて識に依らざるべし」これが三つ目の依るべきものですが、この「識」というは我々の日頃の常識です。日頃判断しているいろんな意識によることでありますが、それは状況によってコロコロ変わるんですね。判断基準も時代やら国が違えば変ってきますよね。もうちょっと云うと「識」というのは自分のフィルターを通してますので、教えですらここはいただけるけど、ここはいただけんとやるんですよ。前にもお話しましたけど、学生と輪読会していると本当に面白くて、彼は感動して云うてくれたのですが、『大経』の五悪段を読んでいる時でした。ビンビン響いたらしくて彼はその言葉に自分のことを云われているようで感動したんやと思いますが、その云い方がね、なんと云うたか。釈尊もいいこと云いますね、と云うたんです。ちょっと待てと、ボクは思わず噛みついてしまいましたけれども。響いたということは大事なんですけれど、結局響いたことはいいことで響かないこといっぱいあるわけですよ。釈尊も難しいこと云わはりますね、みたいなことになるわけでしょう。結局自分のフィルターでいただけるところといただけないところを分け隔てすることになる。お経を読んでいてもそうなんです。だから「識」は自分の常なる日常意識ですわ、これを本にして読んだんであれば、読んだことにならないのですね。「智」というのは、云ってみれば前の法に依り義に依るところに開かれてくるものでしょうね。私が身につけた智なんてそんなものはあてになりません。教えられて気付かされた智慧によっていただいて行かなければならない。これはいただき方に関わるところです。そしてもう一つが「了義経に依りて不了義に依らざるべし」と。義を明らかにした経に依るべきであって義に明らかでないものに依ってはならないと云っています。これがさっき後とも関連しますと云いましたが、善導大師の言葉で既に信巻で押さえられていたことと重なるでしょう。今日の五説のところと、この四依というところに関わるのですが、もう一遍信巻を開けていただきますと、216頁の後ろから3行目でしたが「もし仏の所説は」と、もし仏がお説きになったものであれば[すなわちこれ「了教」なり]と云ってました。[菩薩の説は、ことごとく「不了教」と名づくるなり]と。善導大師のすごい云い方ですね。仏説とそれ以外のものはもう全然質が違うということを云っているわけです。仏の説いたものは「了教」、これが「了義経」という言葉と重なってきますね。勿論これは「教」という字であっちの方は「経」という言葉ですが「菩薩の説は、ことごとく不了教」、一つ残らず、どれもこれも不了の教えであると云っている。だからこの菩薩等の不相応の教えを信用してはならない、不了教に依るな、それを信用すべからずということが云われてあるわけであります。これ、くっつけ過ぎかも知れませんが、今日の五説のところがまず善導大師の指南に依りながら仏説ということを確かめていくということがあるもんですから、もう一遍見ていただいたわけでありますが、さっき申し上げたとおり、仏説というのは分類の話じゃないと。どういうふうに聞くのかという時には四つの依るべきもの、これの聞き方をしなければいけない。逆に云えば四つの依ってはならないもの、こういうものでは仏説をも仏説では無くしていくんです。お釈迦さまの説いた言葉でも仏説でなくしてしまう。私の云い方では人を執着から開いていくもの、狭い世界から広い世界へ導くのが仏説であるはずなのに、開いたことでいよいよ自分を固めていく、そして人と切れていくとかね、自分の執着を分厚くしていく、これは教えを聞いたとは云えんわけでしょ。これは聞き方としては難しいところですね。勉強したらしただけ、オレは分かった、アイツは分からんと云うて間を切ったりね。でも共々に助かって行く教えを聞いているはずですね。私だけが分かって、私だけが往生できる、そんな教えどこにも説かれていないと思います。聞けば聞くほど、あの人はいま外を向いているけれども本願の中である、あの人もいまは謗っているけれども本願はあの人をも漏らさないということが見えてくるはずなのに、私はいけてるみたいになったら、これ変でしょう。教えを聞くというのはそれぐらい難しいんですね。でもこれ、念の為に云いますが、勉強はせん方がエエという意味とは違うんですよ、せんならんのですよ。でも勉強するとどうしても自分を固めるような方向に動いてしまう。それは何かと云えば結局人に依る。この人というのはお釈迦さまに依るということが中心ですけれど、これは自分を当てにするということも入れてもいいと思います。私は分かった、私ほど勉強してきた者はおらんと、能力を過信する、そっちです。でも依るべきはそうじゃないでしょう。それを気付かせてくれた法をいただいていく。いよいよ法のはたらきを仰いでいくということになるはずですね。勉強したことがあの人について行けば大丈夫とか、オレほど勉強した者はおらんとか、こうなると全部、人の能力を当てにする話に落ちて行くわけです。そして「義に依りて語に依らざれ」。これはさっき云いました仏の言わんとする仏意に依るべきなんですよ。仏のお心に遇わんならん。言葉尻に捉われてはならん。そしてそれをいただいていくのは常識に立つのではなくて、日常意識で読むのではなくて、それが破られたところの智に依ると。まぁこれは全部連関してますね。始めっからハイ今日から智に依ります、識は止めときますとか、そんなことは出来るはずないんで、ボクらはどうしても日常意識から聞いていくしかないんですよ。それがいつの間にか日常意識の方が破られて来るということがある。そして四つ目が「了義経に依りて不了義に依らざるべし」と。これもさっきの話と一緒で何が了義経で何が不了義なんですかとついつい分類したくなります。どれが了義経なんですか、どれが不了義経なんですかみたいな。でもここは親鸞聖人はものすごく注意して引用文を引いておられます。これはもとの『大智度論』にないような文章になっているんですね。これが親鸞聖人のどういうお心なのかということはあとの解説を読んでからと思いますが、それは次回に譲っておきたいと思います。一応今日は五説と、それを承けての四依ということで、本当に仏説に依らなきゃならんと。仏説というのは私たちの聞き方、どういただくかということに関わる、ここまで話が進んで来ているかと思います。一応ここまでとさせていただきましょうか。
ありがとうございました。