『教行信証』の化身土巻を読む(43) 一楽 真 師
2019/ 10/18
ご一緒に化身土巻を少しずつ読んでおりまして、前回で三願転入の文と云われるところまで来ました。少し振り返っておきたいのですが、ここは三願転入と呼ばれておりますが、親鸞聖人ご自身がそういうふうに呼ばれたわけではありませんで、第19願、第20願、第18願という三つの願に関わることが述べられているので、三願転入という云い方を宗学の上で先輩方がして来られたわけであります。ただその三願転入という呼び方は分かり易い面もあるんですが、どうしても一段々々階段を上るかのようなイメージがくっついておりまして、そのため第19願はいつだとか、第20願はいつだ、そしていつから第18願なんだというように区分けをするということが、ずっとこの文章を読む時にくっついて来たわけです。これは親鸞聖人ご自身のことであるのは間違いないのですが、年代で区切るというようなことはしない方がいいんじゃないかというお話をさせていただいていたわけですね。一応大谷派の聖典では356頁でありますが、上の段後ろから6行目からのところを前回読んだということであります。もう少しだけ尋ねておきたいことがあるので、今日はもう一遍そこを音読することから始めたいと思います。
357頁の3行目まで一応見たということにして、4行目に入って行きたいと思います。さっきも云いましたように一連の文章として「特にこれを頂戴するなり。」に続けて「信に知りぬ」と書いて進んでいます。[信に知りぬ、聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。ここをもって経家に拠りて師釈を披きたるに、「説人の差別を弁ぜば、おおよそ諸経の起説、五種に過ぎず。一つには仏説、二つには聖弟子説、三つには天仙説、四つには鬼神説、五つには変化説なり。」しかれば四種の所説は信用に足らず。この三経はすなわち大聖の自説なり。]こういう云い方です。大分主題が変っていますね。今までは方便のおはたらきとしての第19願・第20願、あるいはそれに基く観経・弥陀経の呼びかけ、これを通して私たちを真実の往生という真実の道に立たせようとすることをずうっと述べてきた。それに遇うた、いただいたというのが、さっきの三願転入の文と云われる部分であります。そこに立って見えて来たことがここで今度は切り出されることになります。これが聖浄二道の決判という形で先輩方は科文を付けておられます。言葉だけ当っておきますと「信に知りぬ」、これも親鸞聖人はいろんな字を使われますね。私も法則性はとても見出していませんが、「まこと」もいろんな字を使っておられます。どれがどうだというようなことはとても云えません、しかしこの「信知」というのは自分が頷いた、自分がいただいたということを抜きに語られる言葉ではありません。一番有名なところでは、信心を語る時に「信」という字が使われます。二種深信のところで善導大師が「信知」と云っていることを親鸞聖人は非常に大事にしておられます。場所を確かめておきますと行巻と信巻に善導大師の言葉を引いておられますが、一つは191頁行巻です。面白いですね、行巻なのに信心のことが既に顔を出しているんです。行と信は離れないというのが親鸞聖人の見方ですね。行は私たちを目覚めさせる如来からのはたらきかけです。名号の呼びかけ、阿弥陀に南無せよと。それによって目覚めるということが、行に備わる信なんですね。だから行信は絶対切り離さないですね。その流れでここに信心のことが既に顔を出すんですが、191頁の後ろから6行目に「智昇師の『集諸経礼懴儀』の下巻に云わく」と云って、本の名前は『集諸経礼懴儀』ですが、中味は善導大師の往生礼讃の言葉なんですね。だから「光明寺の和尚は」と、ここに連続して引用されています。ここに「深心は、すなわちこれ真実の信心なり」と二種深信の言葉が出ますが、それを真実の信心と押えた上で、一つ目が「自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして、三界に流転して火宅を出でずと信知す」と。これです、普通には深く信ずると書いてある方が有名ですけどもね、この「信知」という言葉、非常に親鸞聖人は注意をしておられる。二つ目の法の深信の方が「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし」と。これが本願のはたらきの方を信知すると云います。何遍も紹介していますが、安田先生はこの信知ということを目覚めと仰いました。あぁそうだったのかと、目が覚めるようなもんだと。逆に云えば、それまでは全然知らなかった世界なんです。こんなことがあったのかと初めて目覚める、そこに信知ということがあるんですね。でもこれは普通に信心とか、深く信ずると書いてあると、なんか私たちが頑張って信じないといけないようなイメージがくっ付きますよね。場合によっては私は深く信じているけど、あの人はもう一つやと云うかも知れません。人間の努力の度合いで深信とか信心が決まるように思うんですが、信知というのは本当に知りましたという字ですね。はっきりと分りました、あぁそうだったのかという、安田先生が目覚めと云う通りであります。こういう言葉が元になって、いまのところには「信知」が使われているわけであります。同じ文章が信巻にも引かれています。今日はそこを開いていただくことはしませんが、それぐらい信心について語る時に親鸞聖人はこの方を大事に引用しておられます。因みに、ここ折角開いていただいたので申し上げておきますと、善導大師のお言葉なら善導大師の本から引けばいいのに、わざわざ智昇師の『集諸経礼懴儀』経由で引くんです。これは孫引きでしょ、元に当れと普通なら云われそうなところですね。しかしこれによって確認したいことがあるので、こちら経由で引くわけです。特にどこか。ここで云うと法の深信の中で「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等」とあるでしょう、「聞」という字が入っています。これは善導大師の往生礼讃では「下至十声」あるいは「下至一声」と書いてあります。聞くということをここで親鸞聖人は受け止めたかったんでしょうね。だから声とあるとどうしても声に出たか出ないかが詮索され勝ちですが、いわば聞くだけでもですわ。もうちょっと聞くということに重要性を見れば、聞くところに名号を称えるということの意味があるんです。名号を称えると云っても、声の大きさがどれくらいだとか、何回口に出しましたという回数に執われるんではなくて、声を出すことを通して、そこに聞かせてもらうことがあるという、これを「聞」という字が入っているこの文章を大事にされたんでしょうね。この『集諸経礼懴儀』の下巻は善導大師の往生礼讃がまるまる引かれている、そっち経由で引いておるという、その意味も考える材料としてありますね。で「信知」というのはこういう文脈で使われております。話戻りますと、「信知」も「誠知」も「真知」も「良知」も、訓読すれば「まことに知りぬ」なんですが、どう違うか、私はまだ法則性はとても見つけ出してはいません。でも親鸞聖人は書く時には思いがあって書いておられるでしょうね。少なくとも「信知」は、はっきりと知りましたと、教えられて気付かされましたと、こういうようなことが込められている字だと思います。
後これが進んで行きますが、時機の問題がずうっと続きます。更には末巻の方に行きますと、今度は仏以外のものを当てにしょうとする心が問題になってきます。ここからは云うてみれば真実に返そうとするために、聖道では助かりませんよと云っている。末巻の方に行くと、魔物や鬼神に仕えては助かりませんよということを云っていくんですね。これも親鸞聖人が云うというよりは、それを我々に呼びかけて下さっている教えの言葉を通して確かめていくということになります。いままでのことを承けながら、本当に私たちの立つべきところはどこかという、これを示して下さるのが以下の論述になっていると見当付けはできると思います。いつ頃になるかも知れませんが、もうちょっと進まなければいけませんので、一番最後だけ読んでおきましょうかね。化身土巻の最後、401頁です。「しかれば末代の道俗、仰いで信敬すべきなり。知るべし。」とこうあります。その次に華厳経の言葉がありますが、これは後から付け加えられたものです。勿論これが最後ですけれども一旦区切られたのは、「しかれば末代の道俗よ」という呼びかけです。末代というのはお釈迦さまがいない時代、末法の時代のことでしょう。もうお釈迦さまに遇えない、しかしそこにもお釈迦さまは我々が依り処とすべきことを教えてくれたと。道俗というのは道も俗もでしょう。出家の僧侶も在俗のものも、両方に呼びかけています。今まで説いてきた浄土真宗の教えを仰いで信敬すべきなり、それを知るべきですと。こういうふうに結ばれて行くんですね。ここにまで至る一連の文章として見当付けをしておきたいと思いますが、それが今日読んだ三願転入の文といわれるあそこで大きな区切りがあって、そこに立って見た時に聖道では助からないということ、これ決して聖道門をバカにしてるんじゃないですよ、これは「在世・正法」のためのことであって、お釈迦さまがいない今のこの時のためにも教えがあるんだということを吟味していくためです。もう一つ、今度はお釈迦さまの教え以外のものを、もう世も末だと云って当てにしようとすることが起きるのですよ。仏法はもう末法だろうと。仏法は今の時代に通じないんじゃないかみたいな。これ学生にもよく云われますけどね。それに対して、仏法以外では助かりませんよと云うて行くんですよ。それが我々は何に依るべきかということに返らせるための方便という意味では全部が『方便化身土巻』です。外のことに迷うということが縁となって、立つべきところが明確になるのです。だから単に批判するためではないんです。聖道に縁を持っている人にも、そこには迷いを超える道はありませんということがはっきりすれば、浄土に帰依するご縁になるでしょう。その意味では迷ったことも無駄ではないんですよ。他宗教に走ったことも一つとして無駄なことはない。それが縁になって、いよいよ我々が何に依って生きるかが明確になればいいという意味では『方便化身土巻』というのは全部が如来からのお手立てであるというふうに見ることが出来ると私は思っております。
今日はこれぐらいにしておきましょうか。ありがとうございました。
「三願転入の文」を三願の願名と第18願の唯除の文によって読み直す
「ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり。」聖典は読み易いように改行してありますが、親鸞聖人がお書きになった坂東本では、これ全部一続きであります。例えば「ここをもって」というのは、その直前の「報土に入ることなきなり]に続いています。それから先ほど切りました「特にこれを頂戴するなり」は次の「信に知りぬ]に続いて行きます。改行があるとどうしてもここに区切りがあるように思ってしまいますが、親鸞聖人の文脈では一連なんですね。で、ずうっと第20願の問題、念仏することについて自力の計らいが雑わるということが述べられて来て、それをまとめる形でいまのいわゆる三願転入の文が置かれていたわけでありました。で、直前をもう一回見ておきますと、「おおよそ大小聖人・一切善人、本願の嘉号をもって己が善根とするがゆえに、信を生ずることあたわず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、報土に入ることなきなり。」そして「ここをもって」となります。ですから本願の嘉号、これは南無阿弥陀仏の名号のことですが、特に「嘉き名」という意味で「嘉号」という字が使われています。まぁ我々に対してはたらいてくる嘉き名という意味ですね。ところがそれは本願からのはたらきであるのに、いつの間にかそれをこちら側が握るという問題が起る。これが「己が善根とする」ということであります。私たちの努力意識、真面目さと云ってもいいかも知れませんが、どれだけやったかということを必ず握らざるを得ないようなものを抱えているわけです。我々のそのやれたかやれないかとか、長年やってきたか短いかとかね、そういう比べ合うことを超えさせるのがこの本願の嘉号、本願の呼びかけであるのに、そのご縁をいただいたことすら自分の功績にしてしまうという、厄介な問題を我々は抱えておるということであります。で、それを踏まえた上で、そのあり方では阿弥陀の真実報土には入れませんということを「報土に入ることなきなり」と押えて、「ここをもって、愚禿釈の鸞」となります。つまり親鸞聖人ご自身が本願の嘉号を己が善根とするということを潜っておられるということを思います。これを明らかにして下さる、これがずうっと述べて来た第20願のおはたらきなんですね。どうしても18,19,20という三つ立てられると、三つを分けようとするわけでありますが、親鸞聖人は第18願を「至心信楽の願」、そして第19願は「至心発願の願」、第20願は「至心回向の願」と、つながりが分かると云うか、つながりをよく示すために願文の中に出て来るお言葉でありますけれども、こういう名前で読んで行かれました。まぁこれは大体大経の本願文、四十八願では続けて第18、19、20願と十方衆生を呼びかけている願文でありますね。ところがその関連がよく分からなかったということを課題として親鸞聖人が受け止めたところにあると思います。例えば法然上人は第18願を「念仏往生の願」と呼んでね、誰もが南無阿弥陀仏を称えれば一人残らず往生できるということをお勧めになって、あまりこちらには触れられないわけであります。それは法然上人は一つのことを押し立てていく、あれもこれもいろんなことを問題にすればするほどこちら側が混乱するということを見抜いておられて、念仏一つだということに絞られた。これが法然上人の云い方だと思います。でも親鸞聖人はそこからなぜこの願文は第19,20と云う順序で立てられたかということを問われて、何遍も見て来ましたが、我々の執われの心、自力の心を暴き出す方便のおはたらきがあるのだというふうにご覧になったわけであります。だからこれを通してこちらに返るという、これが第18願の後に第19願・第20願という三つの願文が立てられることの意義としてご覧になったわけです。これは大きな見当付けをする時に始めの方でもお話ししましたが、至心信楽の願にだけ唯除ということが付いていました。すべての者を救わずにおかないという、四十八願の中心の本願に唯除ということが付いている。これを重要視したのが親鸞聖人ですよね。法然上人は敢えてこれを外しておられます。念仏すればみな往生するというお勧めとして取られた、だから唯除のことは云わない。念仏すれば皆往生すると、こういうことで押し切っていかれる。しかし、親鸞聖人は成就文にも唯除が付いているということに着目なさるんですね。本願は成就しても唯除という問題は残るんだということです。もう一遍云いますが、一人残らず救うまでは私は仏に成らないと誓っている。これが法蔵の本願ですね。それが成就したということはもう無量寿経の上巻できちっと確かめられています。とすると成就したということは、全ての衆生はもう救われたということを一応云ってるわけです。ところが下巻の冒頭に置かれる成就文にも唯除が付いています。なぜかということですね。本願が成就したらみんな救われていていいはずなのに、成就文にも唯除が付いている。それは本願は成就したけれども、その本願をいただかない者は漏れて行くわけです。いつも同じ譬えですみませんが、荒海を渡る本願の船は用意されている。しかし乗りたくないという者は、その恩恵に与かれないという問題です。だから救うか救わないか、これは法蔵菩薩のお仕事です。すべての者を救うという本願はすでに完成したということ、これはお経できちっと確かめています。ただしそれから漏れていく者が残念ながら残るんですね。それはその本願の船に乗りたくないという者が残るわけです。結局それは先ほど読んだところで云えば、己の善根の方を当てにするからでしょ。阿弥陀を念ずるというそのこと一つで、誰もが迷いを超える道が既にあるのに私の方が大分進んでいるとか、理解が深いとか、長年やって来たみたいなもので、自分の功績を握ることによって、本願のはたらきに依ろうとしないという問題があるからです。だからこの唯除、これが第18願に付いている。漏れた者をなんとか誰もが平等に助かる世界に導きたいということで、第19の願が立てられ、第20願が立てられたのだと見たのが親鸞聖人なのですね。第19願の話をすると長くなるかも知れませんが、19の願は中に修諸功徳ということが出て来ます。諸々の功徳を修める、このことを勧めている願なんですね。いわばこのこと一つ、念仏一つでいいということが頷けないから船に乗りたくないんですね。なんかやらせろということです。人間は努力目標というか、実践の非常に分かり易い項目を立てられないと、念仏一つと云われてもなんか頼りないと思ってしまう。こういう先入観のある者に対して、じゃぁここからやれということで、諸々の功徳を修しなさいと呼び掛けるんですね。これは唯除からの展開と見た方がいいと思います。ただ除くと云って、除きっぱなしじゃないですね。本願の船に乗らない者に対して、じゃぁここからやれと、功徳を積む、これなら分かるかという形で呼びかけて下さる。しかしそれは功徳をどれだけ積んだかという分量を査定して救われるか救われないかが決まるんじゃない。修諸功徳ということを本気でやろうとしたら、我々は必ず躓いていくということが見えてくるんです。これ全部に至心が付いてますけれど、これは我々が一所懸命に願を起すという意味の至心発願であります。至心ということ一つを取ってみてもなかなか難しい。徹底できない。心を至すとは徹底的にやれということですから。なかなか徹底できませんよね。私も来週、私の寺の報恩講をしないといけないんですが、まぁ掃除のために毎週帰ってね掃除をしてみるとよう分かりますわ。時間に追われて結局見えるところを整えて、見えないところはまぁこのぐらいでいいかみたいなことになる。毎年のように来年こそはきっちりすると思ってるんですけれど、また今年も同じような感じで一向に徹底できない。掃除一つにしても分かります、そういう意味で掃除というのは程度問題ですね。落葉を拾うこと一つにしても一枚残さず拾おうと心に決めて取り掛かってみても、時間に追われて結局まぁ前よりはきれいになったからいいかみたいな、そんな根性が湧いてくる。掃除というのは本当に自分の心を見せてくれる行ないやということを思いますね。徹底できない。これが仏道修行においても全てを徹底して、全てを仏道に向けて行けというのが至心発願というように要請される。でも本気でやろうとすると出来ない。だからこっちは念仏一つでいいよと云われる。それに対してはなんか頼りない、なんかさせてくれと云うのですが、やり出して見ると何一つ行として徹底できないということが起る。これは親鸞聖人で云えば比叡山で煩悩を断ち切る行に励まれた。しかしやればやるほど、腹が立つこと一つがどうすることも出来ない、修行する仲間で比べ合う根性も湧いて来る。これは一向に煩悩を断ち切るということにならないことが見えて来た。これが我が身を知れという思召しであったということが、この至心発願の願の一番の根っことして浮き上がって来たわけです。これは前にも読んだところですが、ちょっと振り返っておきますと、親鸞聖人は願文をいくつかの呼び名で仰っておりますが、326頁、化身土巻の冒頭のところです。後ろから2行目「阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまう」と。迷いに沈む者を教化して下さる、そのための本願なんですね。それが「すでにして悲願います」と。大悲から発された願いだと。ほうっておけないから第19願を立てられるわけです。第18願の世界になかなか頷かない者に「唯除」と云ってほうっておかない、なんとかしたい、そこからまずこれをやれと云うて勧めるのが修諸功徳の願、これ諸々の功徳を修せよと云うわけです。ところが功徳の修し方ですね、度合いによって救うか救われないかが決まるんじゃないですね。それが次です。[「臨終現前の願」と名づく、また「現前導生の願」と名づく、また「来迎引接の願」と名づく。]とありました。これはすべてどこで倒れても、どこで終りが来ても私の方が迎えに行くと書いてあるんですね。だから徹底できた人だけ、修行をやり遂げた人だけ救うと云うんじゃないんですよ。功徳を修せたものを迎え取るとは云わない。どこで倒れても臨終の時には私が現前しますよと書いてありますね。あるいは現前して導き浄土に生まれさせますよというのが現前導生の願でしょう。更には来迎引接ですから、阿弥陀仏の方から我々のところへ来て下さって、そして引っ張って連れて行って下さる、こういう願文です。これ仏が一人も見捨てないということを誓っている願なんですが、願文そのものは功徳を修しなさいと書いてあるわけです。でもどこで倒れても大丈夫ですよと、いわば修行をやり遂げられないものを見捨てないというお心がここに書かれてあるということです。これを第18願と照らし合わせる時には[「至心発願の願」と名づくべきなり]と親鸞聖人がつけられた願名でしたね。で、ここから念仏一つと、功徳を修しきれないところにも道はあるということに出遇わせようとする、その方便のおはたらきだということが云われていたわけでありました。同じように第20願の方は大分進んだところでありましたが、347頁でしたね。6行目から読みたいと思います。「阿弥陀如来は、もと果遂の誓いを発して、諸有の群生海を悲引したまえり」と。果し遂げずにはおかないという誓い。果し遂げるというのは必ず救い遂げるということです。すべての者を迷いから離れさせる、往生させようという、それが果し遂げるという名前で云われています。この誓いを発して迷いの群生海、迷いに沈む者を大悲を以って引っ張って下さっておる、とこういう言葉であります。その名前を「すでにして悲願います」と云って、第20願も何を我々に呼びかけているかと云ったら、「植諸徳本」と云っています。諸々の功徳の本を植えると書いてありますね。あれこれでなくて、このこと一つでいいと云って名号を勧める願文です。沢山の功徳をとても修せないという者に対して、あれこれに心を奪われなくてもいい、名号一つでいいと云うわけです。ただその場合の名号は功徳の本として、やっぱりいいことをしてるというね、私たちの努力意識に応じながら書かれてあるんですね。で[また「係念定生の願」と名づく]と。思いをかけて定んで往生するという願文としても呼ばれています。これもどちらにも読めますが、念をかけることを勧めるという意味では私たちの努力に応答しているでしょうね。しかし南無阿弥陀仏一つに集中させることを通して、それによって往生させよう、他のことに心を奪われるなという意味では仏の方のおはたらきというふうにも読めます。この辺二重に読むことが出来る願名であります。それを通して、一人残らず迎えとりたいというのが不果遂者、果遂せずんば正覚を取らじと云っている。そこを抜いて「不果遂者の願」と云われて、最後に[また「至心回向の願」と名づくべきなり]とあります。だからここは念仏一つということに決まるんですけども、その上でもやっぱり私たちはどれだけやったかとか、あの人と比べれば私の方がましだとかという意識が抜けない。でもそれを縁として、そういうことに気を付かせることによって比べる必要のない、阿弥陀の世界に引き入れようとする呼びかけを見ていかれたわけであります。この19も20も、どこまでも真実報土の往生、どんな者も迎え取るという平等の救いに引張るための方便のおはたらきを見ているというところが大事であります。でもどうしても分けてしまうと三つのあり方が、これが本物で、こっちは本当でないという見方が付いて回るんですね、私たちの中に。だから左の二つはダメなことだ、ひどいときには19ではダメだとか、20願ではダメだとか、こういう云い方をする人もいますが、第19願も第20願も阿弥陀仏のご本願ですからね、なぜ立てられなければならなかったのかということを尋ねようとしたのが親鸞聖人なんです。ただ親鸞聖人も、この三つの願を区分けして述べておられるものがないわけではありません。『三経往生文類』に三願を分類配当された意図
前に見ていただきましたが、『三経往生文類』という本がそういう述べ方になっています。全部読むことはとてもできませんが、468頁であります。これは三つを敢えて区別して、その意味を明確化するという意図で書かれている本です。だからそれぞれの本願を挙げるところに三つの往生ということが云われている。一つ目が大経往生、これが真実報土の往生だということを云うわけですね。ちょっとだけ読みましょうか。題名の後1行目からですが、「大経往生というは、如来選択の本願、不可思議の願海、これを他力ともうすなり。これすなわち念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定聚のくらいに住して、かならず真実報土にいたる。これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆえに、無上涅槃のさとりをひらく。これを『大経』の宗致とす。このゆえに大経往生ともうす。また難思議往生ともうすなり。」これが真実報土の往生を語る言葉として押えられているものですね。これを親鸞聖人はここに明確に押えて後の二つの第19願、第20願に説かれてあるような自力のあり方が雑ってるようなあり方は本当の往生じゃないということを仰る。この三つを整理して区分けするために述べているから、こういう述べ方なんですね。そこも一応見ておきますと観経往生については471頁であります。後ろから7行目「観経往生というは、修諸功徳の願により、至心発願のちかいにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば、『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏をときて、九品往生をすすめたまえり。」これは我々を、自力の心に立ってる我々をとにかく浄土の方に向けさせようとする、そのためのお勧めだと。これは方便の教えだということですね。そして「これは他力の中に自力を宗致としたまえり。このゆえに観経往生ともうすは、これみな方便化土の往生なり。これを双樹林下往生ともうすなり。」だから真実報土の往生じゃないという云い方です。これは方便化土の往生です。しかしだからと云ってダメだと云ってるんじゃない。こう云わないと自力に執われている我々はなかなか浄土往生という方に向かないからです。自力を縁として浄土を願えということを呼びかける。ただこれは方便でありますので、これを立ち位置というかね、これが浄土真宗の中心だというふうに読んではならないという、これも同時にあるわけです。これはずうっと化身土巻を読むときにお話してきました、方便というのは如来の方便ですから。如来が私たちを導くときに大変大事な意味を持っています。しかしその方便を握ってはいけないという意味で、どこまでも仮ですよということも云わなければいけない。これが方便化身土巻を読むことの難しさです。どうしても真実と方便を立ててしまうと、初めから方便ではダメだみたいになるのですけれども、その方便がなかったら真実に立ち返っていくことすらできないのです。ああ自分は自力の功徳に惑っていたなぁということを縁として南無阿弥陀仏に立ち返っていく。こういうことであります。同じように今度は弥陀経往生、今度は第20願を根拠として我々に呼びかけられるものですが、473頁にありますね。後ろから5行目。「弥陀経往生というは、植諸徳本の誓願によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号をえらびて万善諸行の少善をさしおく。」と。だから諸行を棄てて名号一つのところに立つわけです。「しかりといえども、定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず」南無阿弥陀仏一つで助かるということはなかなかいただけない。だからどうしても善を修したいということに執われるんですね。これが次の「如来の尊号をおのれが善根として、みずから浄土に回向して、果遂のちかいをたのむ」、如来が我々にはたらいて下さる呼びかけの言葉であるのに、自分は長年聞いて来たとか、毎日何遍やってますというようなことを握ってしまう。これを「みずから浄土に回向して、果遂のちかいをたのむ」と。自分がやってることを当てにするということが第20願の念仏なんですね。で、「不可思議の名号を称念しながら、不可称・不可説・不可思議の大悲の誓願をうたがう。そのつみ、ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあいだ、自在なることあたわず、三宝をみたてまつらず、つかえたてまつることなしと、如来はときたまえり。」七宝の牢獄から出られないのですね。「三宝を見たてまつらず」ですから、仏法僧の三宝に遇えないのが問題なんです。この他の楽は何でもあるんですけれども仏法僧には遇えないんですね。「しかれども、如来の尊号を称念するゆえに、胎宮にとどまる。徳号によるがゆえに、難思往生ともうすなり。不可思議の誓願、疑惑するつみによりて、難思議往生とはもうさずとしるべきなり。」難思往生と難思議往生、一文字違いですが、難思議の「議」は「はからう」という意味ですね。思いを超えた世界、これをいただいていると云ってもいいんですが、そこに尚も計らいが雑ってくるという問題です。だから難思議往生とは云わないと云っています。自分が念仏していることを当てにするあり方なんですが、それを縁として本当の意味の南無阿弥陀仏、私へのはたらきかけとしての、誰の上にもはたらく浄土の念仏に出遇い直していく。ここに返るということは、修諸功徳という行への執われからの解放ではなく、念仏一つということになっていながら、その念仏が自分が積み上げているという自力の心での念仏になっていたという気付きですね。これに気が付いて立ち返って行くという、こういう意味で方便は大変大事なんです。ただ、この『三経往生文類』は整理してますので、真実浄土の往生は第18願を中心に大経往生と云われています。あとの観経往生と弥陀経往生は本当の往生じゃないと読めるわけです。だからこれを本にして『教行信証』を読むと、どうしても『教行信証』までが三つを分けているように見えるんですが、同じ書き方ではではなかったですね。例えば『三経往生文類』で第20願の問題として引かれているのは、『教行信証』ではすでに第19願の問題のところに顔をのぞかせておりました。ということはこれは親鸞聖人の中では重なっているということなんですね。本当の往生ではないという意味では同じことなんです。しかし第19願は行に迷い、第20願は念仏しながら信に迷うというあり方です。だから行に迷い信に惑いというあり方が我々に残ってくるという問題です。この三願転入というのは決して一段ずつ上がって行って最後は第18願にということではなくて、我々が仏法をいただいて、浄土の教えをいただいて行く中にも行に迷うこともあれば、念仏一つと云いながらその念仏を自分で握って信心がはっきりしないという問題が起ってくるわけです。しかしそれが縁となって握る必要のない、真実報土の往生というところに立ち返らせようとするおはたらき、これを親鸞聖人は見ておられると思います。だから『三経往生文類』と『教行信証』は違うと云おうとしているんじゃないです。でも『三経往生文類』を元にして『教行信証』もこの三つを区分けして、そしてこれがいつのことか、これはいつのことか、そして第18願はいつからのことかみたいな見方が多いものですから、そうじゃないですよということを私は前回申し上げておったことであります。『三経往生文類』の文脈で『教行信証』を読むのは無理
ただそうは云いましても文章が過去形になっていて、第19願とはもうお別れしたということが云われるものですから、これは何時だということを云いたくなるところがあるんですね。もう一遍みましょうか、356頁「ここをもって、愚禿釈の鸞」、これは自力に迷うあり方を述べ終ったところで、わたくし親鸞においては、というふうに話が続いております。「論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る」と。「論主の解義」というのは絞れば天親菩薩論主になると思います。でもお一人に決めつける必要はないと思いますが、『教行信証』はずうっと天親菩薩の我一心の、あの真実信心を中心に展開をして来ております。ですからその論主の我一心という教えをいただいて、ということですね。「宗師の勧化」、これも絞る必要はないと思いますが、論主の一心を註釈して下さった曇鸞大師、更にはその一心の内容を三心と押えて下さった善導大師、このお二人のお仕事が特に大きいと思います。化身土巻を見ると善導大師のお仕事が特に大きいと見ることが出来ます。ただこれ限定できないので聖典はカッコを補っていませんね。場所によってはカッコして、これは誰のことですよと書いてあるところもあるんですが、そんなことをここはしていません。とても限定して語ると云うわけにはいかないと思います。はっきりさせろという思いをお持ちかもしれませんが、親鸞聖人がこう仰ったことをどういただいていくかです。だから宗師は曇鸞大師・善導大師というところに代表させられますが、一応化身土巻では善導大師のものが大きいと思います。で、過去形になって入るのが次でしたね。「久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る」と。「離れき」とは書いてませんが「久しく」とか「永く」という言葉がありますので、ここにも第19願のあり方を仮門として出て、そして双樹林下の往生を離れたというふうに読むことが出来ます。でもこれも教えによるところにそのあり方を離れるというふうに読めば、決して何歳の時点でもうお別れしたと決めなくてもいいと思います。繰り返しますが、行に迷うということは親鸞聖人にもあるわけです。何遍か例として挙げましたが、一番有名なのが42歳の時に三部経を千回読んで人々を助けようとした、あのことであります。42歳の時止めたからそれはもうお捨てになったかと云うたら、59歳になったらまたそのことが湧いて来たということが恵信尼消息に伝えられていますね。じゃぁ59歳が本当にこれを離れたと云えるでしょうか。59歳をこの第19願との訣別だと云ってる人もいますけれども、念仏以外の行にやっぱり依っていこうとする心、行に惑うという心は宗祖の中にもずうっと起こり得たと思いますね。だから「久しく」と書いてありますけれども、これは訣別すべきものとして教えられた。その時に離れていくというように読むことも出来るわけであります。で、次は第19願を離れて「善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき」と書いてある。このことについては前回も前々回も云いましたが、これを親鸞聖人が何歳の時だと当てはめようとすると大変無理がありますね。「雑行を棄てて本願に帰す」と仰ってるのは29歳の法然上人との出遇いを押えている言葉ですよね。だからあの時に第20願に入ったのかということが出来るのかという問題が残ります。そんなふうに書いてある本もありますけれども、私は雑行を修するあり方から阿弥陀の本願によって生きるというところに入られたという意味では、第18願に入ったと云っていいと思います。しかし入ったつもりのところに見えて来たのが、その念仏をもまた己が善根にして行く自力の根深さが見えて来たわけです。本願に帰したというそこにいよいよ自力と向き合うことが起ったと思います。云い方を換えれば、他力に依るということがない間は、私たちは自力ということもないわけでしょ。他力、本願力ということをいただいたところに自分の計らいの根深さ、自分の積み上げた功徳にしがみつこうとする自力の根性が見えてくるわけですよ。他力に帰すというところから、いよいよ自力の問題が明確になると云ってもいいと思います。だからこれが29歳の時だと、そんな話じゃなくて、行の選びというか、諸行に立つのか念仏に立つのかという、そういうことを潜って念仏に立つんですけれども、そこにまた残る自力の問題があるということを云うための述べ方になっていると思います。それが「善本・徳本の真門に回入して」、つまり念仏に帰した、本願に帰したつもりなんですが、それがやっぱり善本・徳本を勧めて下さる第20願のお心の中にあるということなんですね。それは難思議往生の心を発したとは云えない、「難思往生の心を発しき」と云ってます。これはさっきも云いましたが、計らいがまだ残っている、そういうことが見えて来たわけです。それを踏まえて今度はいよいよ「しかるにいま特に」と云われていました。その「方便の真門」善本徳本としての念仏のあり方を出て、「選択の願海に転入せり」と云ってるわけです。「いま特に」という言葉は何年何月何日何時何分というような「いま」じゃないと思います。それこそ教えを通して、本願のはたらきをいただいて、しかも念仏を握っていくあり方を離れて、そこを出て、そして本願に転入すると云うわけです。だからこれは「転入せり」という完了形になってますが、その後「速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う」と書いてますね。遂げました、ではない。これは今ずうっとね、往生は現生なのか死後なのかと、こういう問題が続いてますけれども、親鸞聖人は現生の利益は非常に大事に語られますけれども、しかし昨日からもう往生してますとは云わないわけです。そういう云ってしまったとかね、往生してしまったとは云わせないものが親鸞聖人の云い方にはありますよね。だからと云って、じゃぁ往生は肉体が滅した、死んだ後だとか、そんなことはここでは全然云ってないわけです。大事なのは「いま特に難思議往生を遂げんと欲う」という、ここにいま阿弥陀の真実報土を願う大経に依る往生ということを遂げようと欲う、というのは「いま」の話ですよね。これが三願転入と云われる文章でありますけれども、順序立てて一つ一つ上って行くという話じゃなくて、私は行に惑うというあり方を第19願を通して吟味される、そして念仏一つと云いながら、そこにまたそれを自力で握っていこうとするあり方が吟味されるという、こういう行の選びと信の選びということを確かめる、その歩みを親鸞聖人はこういう文章で云って下さっていると思います。ですからこれはご質問もいただいたところですが、最後に第18願がまことにゆえあるかなと云わずに、「果遂の誓い、良に由あるかな」と云っておられるわけですね。第18願がありがたいと云っても良さそうなのに、ここは「果遂の誓い」第20願のおはたらきがまことに立てられた理由でありますと、これをいただいておられるわけでしょ。これがなければ念仏一つと云いながら自力になっていることを吟味することが出来ない。これが始めに云うた、法然上人は第19願、第20願というところに重きを置くわけじゃない。特に第20願については親鸞聖人の独自の着目と云っていいです。法然上人は諸行に立つのか念仏に立つのかで、第18願、第19願の選びをなさいますけれども、第20願は念仏に立ったと思うところにも残る自力の問題ですから。それがよくこそ誓って下さってあったというお心でしょ。この第20願がなければ念仏を握っておっても、そのことに気が付かずに過ぎて行ったかもしれない自分、これを「愚禿釈の鸞」という名前を名告って書いて下さっているということを思います。これは2回ほどかけて読んで来たわけですけども、ずうっともたもたしておりまして、スパッといかなかったもんですから、もう一遍振り返ってお話させてもらったことです。でもお聞きいただいてまだモヤモヤなさると思いますけれど、これは何時のこととは分けられない。私たちは行に惑うものも持っているし、念仏一つに立ったところにも、自力の執われが残っていくという問題があるからであります。重なって呼びかける三つの願
このことを押えて最後に「ここに久しく願海に」と云ってます。だからここは第何願という話じゃないと思うのです。方便のはたらきも含めて願海に入ると読んでいいとボクは思います。直前に「選択の願海に転入せり」とあるから、ここは第18願だと仰っている方もあります。しかし第18願というのは決して単体であるわけではなくて、なんとかそこに返すために第19・20願と呼び掛けているという、こういうことを思えば第18願に限定する必要はないと思います。だから平等の救いから漏れていく私たちを漏らさないために第19願と呼び掛け、第20願と呼び掛ける。面白いですね、三つの願文に「十方衆生」という呼びかけの言葉が一貫しているわけです。この三つの願文が十方の衆生よと呼びかけている。そこに宗祖が着目した結果だと思います。この方便のおはたらきをいただいて「深く仏恩を知れり」という言葉が出て来ると思います。この「仏」のご恩についても、お釈迦さまなんですか、阿弥陀さんなんですかとよく聞かれるところであります。しかし突き詰めれば根源は阿弥陀仏のご恩を恵みの徳だと云っていいと思います。しかし『教行信証』を読んでみると、その阿弥陀も単体ではいらっしゃいませんで、釈迦となって現われ諸仏となって現われる。釈迦諸仏を包んでいますよね。だから根源を押えれば阿弥陀仏のご恩ということでしょうが、それが釈迦となって呼びかけて下さり、沢山の諸仏となって我々に勧めて下さっているという、そういう意味で私は阿弥陀に限定する必要はないと思っています。その「至徳を報謝せんがために」お徳に報いていく、謝していくために「真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す」と云っています。これが親鸞聖人がいよいよこの『教行信証』を書いてきたことの総まとめになっているんです。広瀬杲先生の「三願転入の文」の位置付け
かつて大谷大学に広瀬杲という先生がいらっしゃいまして、先生は三願転入と云われているこの部分を、これから始まる後半の部分に向けての序文のような位置を持っているということを仰っていました。その話を聞いたときには良く分からなかったですね。序と云えば、一番初めに総序がありますし、信巻にも序がある。そこは序と書いておられますから分かり易いんですが、しかしながら序というものが次に始まっていくもののさきがけという意味で云えば、ここもいよいよ次からの文章の序の意味を持つと広瀬先生は仰ってました。云い方を換えれば、ここが今までの総まとめというようなところなんですね。『教行信証』6巻を通じて、浄土の教え、念仏の教えを説いてきましたけれども、それを区切る部分がここにあるというのが広瀬先生の着目だったと思います。いま分かったとは云いませんけれど、そのお心を少しはいただけるような 気がしています。ここはこう終っているでしょう、「いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり。」と。これは親鸞聖人ご自身のことで仰っていると思います。「愚禿釈の鸞」から始まった文章の中で、親鸞自身がこれを喜愛し、これを頂戴すると云っている。阿弥陀の仏道ですね、阿弥陀の仏道が釈迦諸仏によって勧められる。それをいただいたということをいよいよ喜愛し頂戴すると、自分のこととして云っています。自分のことというのは、別のところで見た方が分かり易いかも知れません。例えば、こういう云い方はいくつか出てまいりますが、証巻の終りが分かり易いでしょうかね。聖典298頁後ろから4行目です。「ここをもって論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍の群萌を開化す。」と。これは称讃浄土経に出る言葉です。我々のことを雑染と書いてますね。世間のことに雑って染まっているということです。堪忍というのは娑婆世界のことですね、堪忍土と云われます。そこを生きる群萌を開き教化して下さる、これが天親菩薩他利利他の深義を弘宣したまえり。」こう云っています。これを今度我々に対する呼び掛けとして「仰ぎて奉持すべし、特に頂戴すべしと。」と云っています。この「すべし」というのは親鸞聖人が自分を除いて誰かに云っていると云うのでは勿論ない。「すべし」というのはご自身もいただいておられると思いますが、ここはご自身だけではなくて、他に対しても奉持しなさい、頂戴しなさいと呼びかける言葉として読めますね。もう一ヶ所見ましょうか。真仏土巻にも同じような書き方があります。324頁後ろから2行目「経家・論家の正説、浄土宗師の解義、仰いで敬信すべし、特に奉持すべきなり。知るべしとなり。」こういうふうに云っています。これもお釈迦さまの教えを論じて下さった方々、特にここでは龍樹・天親菩薩が入っていると思います。浄土宗師というのはそれ以外のお経や論似ついての解釈を加えて下さった方々の解義、まぁ七高僧全部が入っているわけですが、それを「仰いで敬信すべし、特に奉持すべきなり。知るべしとなり。」このことを知りなさいと云っている。ここも「すべし」という形で、ご自身もいただくと共に他者への呼びかけの言葉ということが出来ますね。これらと対比しますとさっきの三願転入の文の最後のところは「愚禿釈の鸞」という言葉から始まるとおり自分自身のことを語っている言葉だと思います。357頁に戻ります。親鸞聖人ご自身が「至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭て」と。これは親鸞聖人の仕事でしょう。そして次に「不可思議の徳海を称念す」と云ってます。どれだけ讃えても讃え切れない、我々の思いを超えたその功徳の広海を讃えて念じます、と云ってます。そしていよいよこれを喜愛し特にこれを頂戴すると。「すべし」でなくて「するなり」という云い方です。自分がどこに立っているのかということを云っておる文章なんです。この云い方はさっき見ました証巻にもありますし、真仏土巻にもあって、大きな区切りにはいくつもあって、これは『教行信証』全体の中の非常に大きな区切りになっていると思います。もう一つだけ注意しておくと「喜愛」というのは、正信偈の「能発一念喜愛心」の元になっている言葉ですが、喜愛は単語として元々お経に出るわけじゃなくて、親鸞聖人がそういうふうに読み取られたお言葉であります。喜愛とはどんな意味であるかということなんですが、お経で見てみますと212頁に出てまいります。後ろから4行目を見ますと、ここに『無量寿如来会』という形で『無量寿経』に出る本願成就文を如来会で確かめておられますね。[『無量寿如来会』に言わく、他方の仏国の所有の有情、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念浄信を発して歓喜せしめ、所有の善根回向したまえるを愛楽して、無量寿国に生まれんと願ぜば、願に随いてみな生まれ、不退転乃至無上正等菩提を得んと。五無間・誹謗正法及び謗聖者を除く、と。]いま読みました歓喜愛楽という言葉、これが喜愛心の元になるお経の言葉であります。「よく一念浄信を発して歓喜せしめ」とあるように、阿弥陀のお名前を聞いてそこに頷くということがある。これを「一念の浄信を発す」と云われています。そしてそのことを喜ぶ心が一念歓喜なんですね。更には「所有の善根回向したまえるを愛楽」すると書いてます。つまり阿弥陀仏はさまざまな善根を我々に回向して下さっている、これを愛楽すると云うんですね。これは大経で云えば「至心に回向したまえり」と同じことでして、普通は我々が至心回向するのを如来から回向して下さっていると読むのと同じように、ここは私たちが善根を回向するとは読まずに、如来が回向して下さっていることを愛楽すると書いています。既にいただいていることなんですね。我々に与えられていることを喜んで大事にして行くというのが歓喜愛楽という言葉になっています。だから一念喜愛心というのは、その意味で云うとこういう如来のはたらきを身に受けて、それに頷くところにいよいよ大事にいただいていくということが込められている言葉だということが分かります。この喜愛とか頂戴というのは出遇ってない者が云えるはずのない言葉です。改めて云うまでもないですけれど、何となく喜ぶというような話じゃないです。思いを超えたようなことをこの身にいただいた、そのことを喜び、大事にし、いただいていくという言葉になっているわけであります。一応これが大きな大きな区切りとして、いままでの『教行信証』の記述をまとめる部分になっているということが出来ると思います。広瀬杲先生のこだわりもその辺にあったのかなぁと私はいま思っています。聖浄二道判
次から大きく話が変っていくんです。357頁の4行目、「信に知りぬ、聖道の諸教は」という言葉で始まりますが、「特にこれを頂戴するなり。信に知りぬ」と続くのです。親鸞聖人は改行していません。坂東本はわずかながらでありますが、改行をきちっとしてある箇所もあるんですよ、そこは親鸞聖人が段落を付けようという思いがおありのところだと思います。ところがここは一連なんですね。頂戴するということを承けて、だからこのことがはっきりと知られますという形で続いていくということです。ここは後を読んでみると分かりますが、聖道と浄土の持っている意味を改めて確かめ直していくような記述に入っていくわけであります。だから先輩方はここに段落を付けて見ていくということをして来ておられます。聖浄二道判ということが始まるんですが、そういうことが出来るのは自分が出遇ったからです。直前の三願転入と呼ばれる文章がどれほど大きいかということを今日も一遍繰り返し見ていただいたわけです。云い方を換えれば、親鸞聖人ご自身も出遇うまでものすごい時間がかかったわけでしょう、比叡山の修行をなかなか捨てられなかったわけですよ。法然上人がとっくに云っておられた、更に遡れば七高僧がありとあらゆる形で勧めておられるにもかかわらず、それをいただけなかったわけです。だから出遇うということがどれほど難しいかを知ったところに「信に知りぬ」と続いていくと思います。出遇ったからこそ云える「信に知りぬ」という云い方になっていると思います。まとめのつもりで喋ったんですが一応前回までお話していたことを振り返ったということで、「信に知りぬ」以下に入っていきたいと思います。じゃぁ休憩させていただきましょうか。357頁の3行目まで一応見たということにして、4行目に入って行きたいと思います。さっきも云いましたように一連の文章として「特にこれを頂戴するなり。」に続けて「信に知りぬ」と書いて進んでいます。[信に知りぬ、聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。ここをもって経家に拠りて師釈を披きたるに、「説人の差別を弁ぜば、おおよそ諸経の起説、五種に過ぎず。一つには仏説、二つには聖弟子説、三つには天仙説、四つには鬼神説、五つには変化説なり。」しかれば四種の所説は信用に足らず。この三経はすなわち大聖の自説なり。]こういう云い方です。大分主題が変っていますね。今までは方便のおはたらきとしての第19願・第20願、あるいはそれに基く観経・弥陀経の呼びかけ、これを通して私たちを真実の往生という真実の道に立たせようとすることをずうっと述べてきた。それに遇うた、いただいたというのが、さっきの三願転入の文と云われる部分であります。そこに立って見えて来たことがここで今度は切り出されることになります。これが聖浄二道の決判という形で先輩方は科文を付けておられます。言葉だけ当っておきますと「信に知りぬ」、これも親鸞聖人はいろんな字を使われますね。私も法則性はとても見出していませんが、「まこと」もいろんな字を使っておられます。どれがどうだというようなことはとても云えません、しかしこの「信知」というのは自分が頷いた、自分がいただいたということを抜きに語られる言葉ではありません。一番有名なところでは、信心を語る時に「信」という字が使われます。二種深信のところで善導大師が「信知」と云っていることを親鸞聖人は非常に大事にしておられます。場所を確かめておきますと行巻と信巻に善導大師の言葉を引いておられますが、一つは191頁行巻です。面白いですね、行巻なのに信心のことが既に顔を出しているんです。行と信は離れないというのが親鸞聖人の見方ですね。行は私たちを目覚めさせる如来からのはたらきかけです。名号の呼びかけ、阿弥陀に南無せよと。それによって目覚めるということが、行に備わる信なんですね。だから行信は絶対切り離さないですね。その流れでここに信心のことが既に顔を出すんですが、191頁の後ろから6行目に「智昇師の『集諸経礼懴儀』の下巻に云わく」と云って、本の名前は『集諸経礼懴儀』ですが、中味は善導大師の往生礼讃の言葉なんですね。だから「光明寺の和尚は」と、ここに連続して引用されています。ここに「深心は、すなわちこれ真実の信心なり」と二種深信の言葉が出ますが、それを真実の信心と押えた上で、一つ目が「自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして、三界に流転して火宅を出でずと信知す」と。これです、普通には深く信ずると書いてある方が有名ですけどもね、この「信知」という言葉、非常に親鸞聖人は注意をしておられる。二つ目の法の深信の方が「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし」と。これが本願のはたらきの方を信知すると云います。何遍も紹介していますが、安田先生はこの信知ということを目覚めと仰いました。あぁそうだったのかと、目が覚めるようなもんだと。逆に云えば、それまでは全然知らなかった世界なんです。こんなことがあったのかと初めて目覚める、そこに信知ということがあるんですね。でもこれは普通に信心とか、深く信ずると書いてあると、なんか私たちが頑張って信じないといけないようなイメージがくっ付きますよね。場合によっては私は深く信じているけど、あの人はもう一つやと云うかも知れません。人間の努力の度合いで深信とか信心が決まるように思うんですが、信知というのは本当に知りましたという字ですね。はっきりと分りました、あぁそうだったのかという、安田先生が目覚めと云う通りであります。こういう言葉が元になって、いまのところには「信知」が使われているわけであります。同じ文章が信巻にも引かれています。今日はそこを開いていただくことはしませんが、それぐらい信心について語る時に親鸞聖人はこの方を大事に引用しておられます。因みに、ここ折角開いていただいたので申し上げておきますと、善導大師のお言葉なら善導大師の本から引けばいいのに、わざわざ智昇師の『集諸経礼懴儀』経由で引くんです。これは孫引きでしょ、元に当れと普通なら云われそうなところですね。しかしこれによって確認したいことがあるので、こちら経由で引くわけです。特にどこか。ここで云うと法の深信の中で「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等」とあるでしょう、「聞」という字が入っています。これは善導大師の往生礼讃では「下至十声」あるいは「下至一声」と書いてあります。聞くということをここで親鸞聖人は受け止めたかったんでしょうね。だから声とあるとどうしても声に出たか出ないかが詮索され勝ちですが、いわば聞くだけでもですわ。もうちょっと聞くということに重要性を見れば、聞くところに名号を称えるということの意味があるんです。名号を称えると云っても、声の大きさがどれくらいだとか、何回口に出しましたという回数に執われるんではなくて、声を出すことを通して、そこに聞かせてもらうことがあるという、これを「聞」という字が入っているこの文章を大事にされたんでしょうね。この『集諸経礼懴儀』の下巻は善導大師の往生礼讃がまるまる引かれている、そっち経由で引いておるという、その意味も考える材料としてありますね。で「信知」というのはこういう文脈で使われております。話戻りますと、「信知」も「誠知」も「真知」も「良知」も、訓読すれば「まことに知りぬ」なんですが、どう違うか、私はまだ法則性はとても見つけ出してはいません。でも親鸞聖人は書く時には思いがあって書いておられるでしょうね。少なくとも「信知」は、はっきりと知りましたと、教えられて気付かされましたと、こういうようなことが込められている字だと思います。
時機を問わない浄土の教え
それで何がはっきりと知られたかという中味が357頁の4行目ですが、「聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。」と書いてます。これに対して「浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。」と、こういう云い方ですね。時と機の問題がここに現れるわけです。五つの時という意味で、五時と云われますが、在世、正法、像法、末法、法滅ですね。これが五つの時です。釈尊在世の時、それから入滅なさっても教えがきちっと保たれていく時、これが正法です。像法というのはその後、教と行は残るんですけれど、実際に証ることは成り立たないと云われる。末法になると教えだけが残るが行ずるということも分からなくなると云われる。ここでちょっと云っておきますと、教行証の三つが具わっているのは正法までなんですね。像法になると教行のみであって実際に迷いを超えるという証は実を結ばないと云うわけです。末法には教えだけ残っているんですけども、どう行じたらいいかも分からなくなると。最後の法滅というのは教法すらも滅していくという、そういう時代ですね。普通は正像末という、これはよくお聞きになると思いますが、これを親鸞聖人は三時教と云われます。三つの時を教えて下さっているというふうに。これまた親鸞聖人独自の受け止めであります。これを教えだと読む人はあんまり多くないですよね。だってお釈迦さまが亡くなってだんだん仏教が廃れていくという、だんだん情けないことになっていくという歴史観、これが正像末と云われた。しかし親鸞聖人は、それはお釈迦さまが云うて下さっている教えだと云うんですね。だから正法の時の教えが末法の時代でも成り立つと思わない方がいいと、ちゃんとお釈迦さまが云うて下さっている。ましてや法滅になったら良き時代を夢見てね、頑張ればなんとかなるとか、そんなことを思ったらいかんというふうにお釈迦さまが云うて下さっているというのが「三時教」として、仏の教えだといただかれた親鸞聖人の受け止めであります。これはまた後で出て来る言葉ですのでその時にしますが、たいがい真中のここだけ取り上げて語られることが多いのですが、ここではわざわざ在世の時も、法蔵の時も挙げてあるわけです。それで「聖道の諸教は、在世正法のためにして」と云ってます。だからここでは成り立つと云ってるわけですね。つまりお釈迦さまの教えが生き生きとはたらいている時には聖道の諸教は成り立つ。まぁ成り立つという言葉は出ていませんが、その時のためのものであると云っています。逆に像末、法滅の時には成り立たないわけです。「像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。」と。時と機の問題が出て来ます。お釈迦さまが居られれば、お釈迦さまに直接お聞きすることも出来ます。でも戒律一つとってみても、何故これを守るんですかと。これはどういうお心ですかと聞けなくなったら、形式は残っておっても意図が分からんもんですから、何のためにやってるんだろうということに段々なって行ってしまうのですね。これを「時を失し機に乖ける」と云ってます。それに対して浄土真宗の方は「在世・正法・像末・法滅」と全体を入れているでしょう。お釈迦さまが亡くなってからのこっち側が浄土真宗だと云っているんじゃないんです。これ全部が浄土真宗のはたらく時である、とまず押える。そして誰の上にもはたらくいうことを「濁悪の群萌」と云っています。五濁悪世を生きる群萌。群萌というのはつながっていることです。群がり萌えると草に譬えられておりますが、つながりのことで苦しんでいることです。別の云い方では群生海という言葉もあります。海に譬えておられる。こっち側に問題が起らないようにいくら気をつけていても、向こうの海が押し寄せてくるんですよ。平穏無事にと誰もが思っているかも知れませんが、そんなことが引っ繰り返るような目にいくらでも会うんです。そういうつながりの中で迷っている、苦しんでいる者をひとりも漏らさないと云っているのが「濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや」と感嘆詞で書いておられますね。そういう訓点を付けておられるわけです。悲引したまうなり、でも良さそうですが、「したまうをや」と、これは宗祖がつけられた訓点であります。この時と機の問題、時とその中に生きる衆生のことです。教えを受ける者、これが初めて『教行信証』では表に出て来ております。初めてというのはですね、例えばこれがもし『教行信証』の冒頭に書いてあったらどうなるでしょうね、これ。「聖道の諸教は、在世正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず」と一番始めに書いてあったら、もう聖道門の人はそれだけで何やこの本は、と云って投げ付けるかも知れませんね。読んでもらえないかも知れません、バカにするなと云うでしょうね。聖道の人たちは親鸞聖人がこの時代におられるわけですが、興福寺のお坊さんにしても、高山寺の明恵上人にしても、一所懸命修行して覚りを開こうとしておられるわけですよ。馬鹿を云うなと腹を立てられると思います。親鸞聖人は実際そういうことを潜っておられるわけでしょう。法然上人は念仏が大事ですよと云ったのが、修行しなくて覚れるなんて云うなと弾圧を受けるまでになりましたよね。だからこの時機の問題というのは親鸞聖人がずうっと思っておられても、始めから云うわけにいかなかったでしょうね。『教行信証』という本のすごさは段々と私たちが仏教とは何か、誰のためのものかということを受け止めることが出来るようになるまで育てるような書き方になっていると思うんですね。親鸞聖人は始めから結論として思っておられた、こんなこと云うたらどうなるのかということです。実際法然上人がお書きになられた『選択集』は、この時機の問題から始まっていますね。『教行信証』には引いてないので、今聖典でご紹介することは出来ませんが、聖道浄土の二門を立てて時と機の面から聖道はもう成り立たないということを云うのが『選択集』の書き方です。道綽禅師が聖道浄土の二門を立てて、しかも聖道を棄てて浄土に帰すると云った道綽禅師の『安楽集』を引くんです。道綽禅師がなぜ浄土教を立てられなきゃならなかったのかと、そのお心をいただいていくわけですが、我々が迷いを超えるには聖道と浄土の二種があると。もうちょっと前から云いますと、一切衆生にことごとく仏性ありと云うけれど、なぜ迷ってっいるのかという問いを立てて、それは私たちが聖道と浄土という二種の正法に依らないからだと。この二種の勝法に依らないといくら仏性があっても迷いは超えられませんよと始めに云うわけです。一応聖道仏教を認めています。しかしその聖道の一種は「今の時、証し難し」と云うんですね。なぜかと云ったら一つが時の問題です。「大聖を去れること遙遠なるによる」と書いてあります。お釈迦さまが亡くなってから既にはるか遠い時間が経ってしまった、つまりお釈迦さまが居られないので導いて下さる方がいないという問題です。曇鸞大師まで遡ると「無仏の時」という言葉があります。仏がいらっしゃらないんです。この曇鸞大師の云い方は特に中国では誰も仏さまに遇うたことがないんですね。にもかかわらずこれが仏教だ、いやこっちこそ仏教だあとみんなやってるわけです。解釈ばっかりですわ。仏を知らないのに仏教とどこで云えるのか、これが曇鸞大師の問いとしてあるんですが、道綽禅師はそれを承けて、お釈迦さまが居られなくなって既に時間が経っている。だから聖道の教えではもはや迷いを超えて行くことはできないと云うんですね。もう一つは機の問題です。それは聖道の教えは大変理論も精緻で、教理体系もきちっと出来上がっているわけです、ところが私たちの理解力がかすかであると。「理深く解微なるによる」と書いてあります。聖道の教えというのは非常に大事なことが説かれてあるんですけれども、それを理解することが出来ないという問題。だからいわば時は末法ですね、そして機は凡夫。こういうところに立って、だから今は浄土しかないと云っている。これが道綽禅師の『安楽集』の云い方です。法然上人はそこを承けて『選択集』を開いて行かれるんですね。その文章から、だから浄土の教えによらないといけないと云って、その浄土の教えにも正行と雑行があるとか、次には念仏に依らないといけないのはなぜかと、こういうように論理を展開して行かれます。まぁ本当に枝葉を取り払って、要のところだけズバッと云ってるのが『選択集』という本だと思います。その意味でこれ読めば良く分かるというわけにいかないんですね。だから法然上人はわずか6、7人にしか写させてないでしょう。配れば浄土の教えが広まるという本じゃないんですよ。パッと読んだだけでは、これは何やと腹立てる人がいることが分かっているんです。本当に信頼できるお弟子だけに写させたという本でありました。やっぱりここから始まっているんです。でもそれが結果的にどうなったかと云ったら、聖道門の人たちは法然上人の主張を批判していきます。特に誰にも見せちゃいけないと云っていた本が、法然上人亡き後出版されるんですね。私も見せてほしいと云った人がいっぱいいるんですね。版木に彫って印刷されてしまうわけです。それを見たのが明恵上人です。法然上人と云うたら立派な仏教者だと思っていたら、ここに諸悪の根源があったみたいな、法然こそが仏教の敵だと、ここまで云うて、批判の『摧邪輪』という本まで書いて、これがまた大きな法難につながって行きます。つまり聖道の人たちからすると、末法の凡夫のためという、これだけであればそれもOKだと云うたでしょうね。ところが法然上人はそれを云う時に念仏一つと云い、他の行は要らんと云うたんですよ。そしたら一所懸命他の行を積んでいる人たちからすれば自分のやっている修行を馬鹿にされたと思いますよ。だから、あぁいう大きな弾圧が何回も何回も繰り返されていくわけです。親鸞聖人はその状況を見てますので、ここから『教行信証』を始めておられないんです。もしか一番始めに今は末法で我々凡夫ですから、浄土の教えでなければいけませんみたいに書き出したらどうなるかと云えば、やっぱり修行している人たちは、あぁそれは劣った者のための道だなぁと、私ら関係ないとなるんですよ。親鸞聖人はご自身が比叡山の修行で迷いを超えられなかったということを潜っておられます。だから浄土の教えでなければ成仏なんてことはあり得ないという出遇いをしている。これがさっき申し上げていた三願転入の文は、そういう結論になっているんですよ。ようこそこんな教えに出遇えた、私自身もこれに出遇うまでは長い長い時間がかかったという思いが込められている。それがあるもんですから、比叡山で修行している人にも、あなた方が目指している成仏は浄土の教え、阿弥陀の本願に依らないといけませんよと云いたいんですね。だから末法の凡夫のためには念仏ぐらいが丁度いいみたいな、そんな云い方は絶対しないのが親鸞聖人です。誰もが成仏を目指すなら南無阿弥陀仏でないといけません、阿弥陀の本願に依らないといけませんということを云う、そのために今までの長い長い記述があったと云えるんですね。ただここから大きく話題が変っていくんですが、それを改行なしに続けていくと云うのは、その前のことを踏まえて漸く言えるのが今の話なんでしょうね。ですから親鸞聖人からすれば、浄土の教えは末法という特定の時代の凡夫という能力の劣った者に成り立つ教えだと、そんなこと見てないんですよ。凡夫というのは誰の上にも成り立つというふうに見ておられる。末法というのはどんな時でもということを代表しておられるんです。親鸞聖人は時機相応という言葉を使われますが、それは末法という凡夫のためのという、そういう限定状況の時機相応じゃないんですよ。時機を問わない。さっきもご質問をいただいておりましたが、何時の時代とかいうこととは関係ない。誰というような人間の諸条件も問わない、そういうのが時機相応です。時機を問わない形の時機相応ということを親鸞聖人は云おうとしているんですね。それがここで云う「在世」から始まることの意味でしょうね。これは道綽禅師も法然上人も云っておられないことであります。念の為に云っておきますが、道綽禅師や法然上人が頼りないと云うてるんと違いますよ。その道綽禅師や法然上人が云いたかったのは、とにかくみんなに救われて欲しいから、いまは浄土だと訴えかけていく。ここに主眼があるわけです。でもそれはどうなったか。聖道の修行をしている人たちからはワシらは関係ないとなったわけですね。劣った仏教だと。本流はこっちで、あなたらは脇道だとなった。だから、それはいやいやあなた方の目指している成仏も浄土の教えにしかないですよということを云うわけですね。だから像法、末法、法滅の時の教えなんて云ってるんではなくて、在世正法を包むという、ここがものすごく大事ですね。ただお釈迦さまがおられるときには、お釈迦さまは相手に応じていろんな説き方をなさいます、対機説法でした。相手の状態に応じてお説きになるわけです。だから阿弥陀という単語が出てないお経がいっぱいあるんです。阿弥陀の本願を説いていると思えない、現代でもそういう議論ありますね。だって阿弥陀の本願を説く、この浄土の教えなんていうものは釈尊が入滅してから出来たじゃないかと、後から作られたお経やないかと。お釈迦さまは阿弥陀なんて云うていないと。じゃぁなんでこんな思想が仏教に説かれているかと云うたら、それは外来の思想が流入して来たんじゃないのかととか、他宗教との縁でこういう表現を取ったんじゃないかとか、そんな云い方をしています。それやったら、これは仏教というより諸宗教の入り混じった雑多なものと云わんならんでしょう。八万四千の方便
でも親鸞聖人からすると全く逆でして、お釈迦さまはいろんな説き方をしておられるけれど、その根っこにあるのは阿弥陀の本願を説くことだと云い切っておられるわけです。これも化身土巻で既に読んできたところですが、一応確認しておきますと釈尊の一代教をどう見るかという時にありましたね。341頁であります。4行目に[「門余」と言うは、「門」はすなわち八万四千の仮門なり、「余」はすなわち本願一乗海なり。]とこういうお言葉がありました。「門余」というのは元々の言葉は仏道に入って行く門、あるいは迷いを超えていく門は八万四千に余っているということを云ってる文章なんですね。右側の340頁に善導大師の元の文章が引かれています。「門八万四千に余れり」とね。沢山の入口があるということです。それを通して迷いを超えていく仏道に立つということが成り立つと云うんですが、それを親鸞聖人は門というのは八万四千の仮の門だと云われます。八万四千の法門と云われる、それを仮の門だと云い切っています。これを通して出遇わなきゃならないものは何かと云ったら、門を通して立つべきところは「余はすなわち」というように「余」という字をわざわざ別立てしまして、「すなわち本願一乗海なり」と。だから本願一乗海に導くために八万四千の門があるという云い方にしているわけです。後はよみませんけれど、「おおよそ一代の教について」とお釈迦さまが一代かかってお説きになった教えに聖道門と浄土門があるという形で全体を整理して行かれますが、説き方はいろいろですが、お釈迦さまは沢山のことを云いたかったわけじゃないんですよ。遇わせたかったのは本願一乗海、阿弥陀に出遇えというこのこと一つだと云うんです。そのためにあの手この手で勧めてくれたというわけです。有名な周利槃特の例で云えば、周利槃特は自分は物覚えの悪い愚かな者だということに悩んでいた人でした。じゃぁ言葉を憶えろとお釈迦さまは云わない、今日から掃除せよと云うたんですね。でも掃除している内に周利槃特は「塵を払い垢を除かん」と、何が塵であり何が垢かと考えるようになって、お釈迦さまは地面に落ちているゴミを掃除してほしかったのではなくて、私の心についている愚かな者はダメだという垢に気が付け、それを取り除けと仰ったのだと気が付くわけです。目覚めたわけです。それを周利槃特の覚りとまで云われるんですが、ここに阿弥陀の話は全然出ていません。しかし内容からすれば賢いか愚かか、物覚えがいいか悪いかと関係のない誰の上にも成り立つ法がお釈迦さまによって示されていますね。説いた言葉は掃除せよということやったかも知れません、でも出遇った世界は比べる必要のない阿弥陀の世界ですね。こういう視点で見ればどんなお経のどこを取っても、阿弥陀という単語が出ていなくてもですね、阿弥陀の世界が説かれていると見たのが親鸞聖人というお方だと思います。だから一つ一つの見方に執われてはいけないんです。でも今は沢山の残された文献が先にあるもんですから、どれが古いか新しいかというような研究は盛んでありますが、それを通して何に出遇わせようとしているか、それが門だということがはっきりしないものですから、門に拘ってしまうんですね。これが親鸞聖人の釈迦一代教のいただき方なんですね。正信偈では「如来世に興出したまうゆえはただ弥陀の本願海を説かんとなり」とあの二句になっているわけです。簡単に云えることじゃないでしょう。しかし突き詰めれば、お釈迦さまの願いはここに極まると見ておられる。これが宗祖の仏教観です。この時代にはいろんな説き方をしているんです。なんかそっちの方がお釈迦さまの説法の中心のように見えてしまうんですが、阿弥陀の本願はこの時代にもずうっと出遇ってほしい底流として貫かれている、それがここにも成り立つという意味ですよね。正法もそうなんです。お釈迦さまの具体的に説かれた教えが保たれておりますので、私はこう聞いた、いや私はこう聞いたといろんな仏教が花咲いているような時代です。阿弥陀の本願の真意というのは表に出ていないかも知れない、言葉として他の表現がいっぱいあるからです。しかしこの時も阿弥陀の本願の教えはずうっと流れているということです。一応浄土真宗という言葉ですから、浄土を真のものとするという仏教ですね。阿弥陀の浄土が本当の依り処ですよということを教える、これは釈尊在世にも、正法の時代にも成り立つ、変らない教えだというふうに云ってるわけです。で、いよいよ今度はここになると、お釈迦さまの教えは段々と衰えて行きますので、どういう意味なのかということが分からなくなってくる。その時代だから仕方ないかなぁと云ってるものもあるんですね。これは後の話になりますが、いつから末法かという時代を算定することまで親鸞聖人はして行かれますが、なんでそんなことをするかと云えば、比叡山のお坊さんの中には末法が来れば浄土の教えでも仕方ない、それしかないんだから。でもまだ末法じゃないという人がいるんですよ。親鸞聖人の時代にですよ。だから親鸞聖人はわざわざお釈迦さまはいつ入滅なさったかという年代の計算までして、もう既に末法に入って683年だということを云っていくことになります。あなた方まだ末法じゃないと頑張っておられるけれども、もうとっくに末法ですよと。だがそれは末法という限定された時代の教えという意味じゃなくて、実はここからずうっとはたらき続けている。しかし在世正法では阿弥陀の本願という言葉が前面に出てないわけです。表に出てない、そこを流れているだけだから分かり難いんですよ。でもこれは時を分け隔てしない。いつでも成り立つ教えだと云うんです。仏法が滅尽しても残る教え
すごいのは最後の法滅ですよね、こんな言葉がなんで云われるか。これも勿論親鸞聖人に先立っての押えがあるわけですけども、お経の言葉でそれを確かめておきますと無量寿経の最後に出て来ます。聖典の86から87頁のところです。86頁の6行目科文番号127、ここから流通分と云います。後世に教えを流通させて行く、仏法を流通して行くという願いで説かれている部分です。面白いのは弥勒菩薩に対して云いますね。「仏、弥勒に語りたまわく」と。お釈迦さまが未来の衆生を救うという課題を担っている弥勒に次のことを託していくんです。それが「かの仏の名号を聞くことを得て」阿弥陀仏の名号を聞くことを得て「歓喜踊躍して乃至一念することあらん。当に知るべし、この人は大利を得とす。すなわちこれ無上の功徳を具足するなり。」と云ってます。弥勒菩薩に何を託したかと云ったら、阿弥陀の名前を聞けということを託したのですね。これが未来の衆生の救いはこの一点にあるというふうにお釈迦さまが示しておられるんです。あれをしなさい、これをしなさいといろんなことを云わない。阿弥陀の名号一つ、これを弥勒菩薩に託していくんですね。ちょっと飛ばして後ろから3行目まで行きます。[仏の言わく、「吾今もろもろの衆生のためにこの経法を説きて、無量寿仏およびその国土の一切所有を見せしむ。当に為すべきところの者はみなこれを求むべし。」]と云うんですね。いまずうっと阿弥陀の本願とその浄土について説いてきた。そして無量寿仏とその国についてのことを見せて来たというわけです。で、今から迷いを超えて行こうとする、為すべきところの者は、これを求めなさいと云って、阿弥陀とその浄土を求めよということを勧めているわけです。それでここからなんですが、「我が滅度の後をもってまた疑惑を生ずることを得ることなかれ」と云ってます。私が入滅した後も、このいま説いたことについては疑惑を生ずるなと云っているんですね。そのことを疑うなと云っている。つまり私がいなくなったからと云って、もうこれは成り立たないんじゃないかというようなことは思うなということをお釈迦さまが云っているわけです。だからすでに仏の入滅ということがここで押さえられているのが分かりますね。それだけじゃなくてもう一つ、これが法滅に関わるんですが、さらに「当来の世に経道滅尽せんに」と云ってます。今まで説いてきたお経がすべて滅していく時が来る。滅尽ですから滅し尽きる時が来るであろうという、つまり法滅というのはお釈迦さまが予告しているんですね。私が説いた教えは無くなっていくであろうと。もっと云えば、これ何の意味か分からんというね、意味が全然取ってもらえない時が必ず来るであろうということです。教えとしてもう成り立たないということです。これもちょっとすごいですよね。釈尊は、私は永遠ですなんて云わないんです。私の教えは消えて行くでしょうと、無くなるでしょうと。こんな教祖というのは、だいたいおらんのやないですか。でも逆の云い方をすると、お釈迦さまは相手に応じて、その時の時代の中で説いているからです。だから時代が変れば意味が分からないということが必ず来るということを見抜いておられる。だからその時にどうするかということです。この経道滅尽する時にどうするかということです。この経道滅尽する時に何を残すかと云うたら「我慈悲哀愍をもって特にこの経を留めて止住すること百歳せん」と云ってます。この経というのは阿弥陀仏とその浄土を説く、この経です。逆に云えば、他の経は全部滅し尽きるだろうと云うんですね。さっき云いました、例えば周利槃特に掃除せえと云いました。時代が経ったら分からなくなるだろうと云うんです。お釈迦さまがいる時にはお釈迦さまとの関係の中で、このやり方でいいですかとか、これぐらいやればもう大丈夫ですかと聞けますよね。でも掃除すれば覚れるって、そんな話じゃないわけです。その掃除しなさいということだけが残ったら、これは形骸化ですよね。そういうことを見抜いたうえで掃除せよという教えを残すんじゃなくて、阿弥陀の浄土の教え、これだけを百年間だけは残しておきたい。百年というのは一人の人が生きてる間、その人生に寄り添うような形で、そのお経は残しておきたい、こう云ってるわけです。そして「それ衆生ありてこの経に値う者は、意の所願に随いてみな得度すべし。」と。迷い苦しみの中でこのお経に値う者は心の所願に随いてみな得度すべしと、迷いを超えて行くであろうと。迷いを超えて覚りに渡るであろうと、これを得度と云っています。度ることを得るであろうと。法滅ということがお経の中でお釈迦さまの言葉として述べられているところであります。この辺を根拠にして親鸞聖人は法滅の時までと云うんです。だから釈迦の教えなら、ここでもう終って行くんですよ。覚ることが出来なくなる、行ずることも分からなくなる。ついにはその教えすらなくなる。しかしその法滅の時に阿弥陀の教えだけは何とか残したい。これだけ残ればいいと。逆に云えば他のものは全部滅し尽きるだろうということを予め仰っているのがお釈迦さまなんですね。ここに五つの時を等しく悲引する浄土真宗という仏道、これが明らかになるということであります。これは三願転入の文と云われるところからの流れだということを前半にしつこくしゃべりましたが、親鸞聖人はそういうものに出遇っておられるんですね。三願転入と云うと、なんか個人の体験談のように見えますけれども、本当に三願をかけてですわ、真実の信心に立たせようとするおはたらき、云い方を換えれば念仏一つで誰もが平等に迷いを超える仏道に気付かせようとするために第19願があり、第20願がある。そういうおはたらきをいただいて私は真実の仏道に立つことが出来ましたという喜び、このことが「いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり」という言葉で締められていましたね。そこに立つからこそ今度は自分の出遇ったところの個人の話じゃなくて、聖道の諸教と浄土の真宗という形で対比して、本当に迷いを超えようとする方は是非とも浄土の真宗を求めて下さいというお心で述べて行くことになるわけです。後これが進んで行きますが、時機の問題がずうっと続きます。更には末巻の方に行きますと、今度は仏以外のものを当てにしょうとする心が問題になってきます。ここからは云うてみれば真実に返そうとするために、聖道では助かりませんよと云っている。末巻の方に行くと、魔物や鬼神に仕えては助かりませんよということを云っていくんですね。これも親鸞聖人が云うというよりは、それを我々に呼びかけて下さっている教えの言葉を通して確かめていくということになります。いままでのことを承けながら、本当に私たちの立つべきところはどこかという、これを示して下さるのが以下の論述になっていると見当付けはできると思います。いつ頃になるかも知れませんが、もうちょっと進まなければいけませんので、一番最後だけ読んでおきましょうかね。化身土巻の最後、401頁です。「しかれば末代の道俗、仰いで信敬すべきなり。知るべし。」とこうあります。その次に華厳経の言葉がありますが、これは後から付け加えられたものです。勿論これが最後ですけれども一旦区切られたのは、「しかれば末代の道俗よ」という呼びかけです。末代というのはお釈迦さまがいない時代、末法の時代のことでしょう。もうお釈迦さまに遇えない、しかしそこにもお釈迦さまは我々が依り処とすべきことを教えてくれたと。道俗というのは道も俗もでしょう。出家の僧侶も在俗のものも、両方に呼びかけています。今まで説いてきた浄土真宗の教えを仰いで信敬すべきなり、それを知るべきですと。こういうふうに結ばれて行くんですね。ここにまで至る一連の文章として見当付けをしておきたいと思いますが、それが今日読んだ三願転入の文といわれるあそこで大きな区切りがあって、そこに立って見た時に聖道では助からないということ、これ決して聖道門をバカにしてるんじゃないですよ、これは「在世・正法」のためのことであって、お釈迦さまがいない今のこの時のためにも教えがあるんだということを吟味していくためです。もう一つ、今度はお釈迦さまの教え以外のものを、もう世も末だと云って当てにしようとすることが起きるのですよ。仏法はもう末法だろうと。仏法は今の時代に通じないんじゃないかみたいな。これ学生にもよく云われますけどね。それに対して、仏法以外では助かりませんよと云うて行くんですよ。それが我々は何に依るべきかということに返らせるための方便という意味では全部が『方便化身土巻』です。外のことに迷うということが縁となって、立つべきところが明確になるのです。だから単に批判するためではないんです。聖道に縁を持っている人にも、そこには迷いを超える道はありませんということがはっきりすれば、浄土に帰依するご縁になるでしょう。その意味では迷ったことも無駄ではないんですよ。他宗教に走ったことも一つとして無駄なことはない。それが縁になって、いよいよ我々が何に依って生きるかが明確になればいいという意味では『方便化身土巻』というのは全部が如来からのお手立てであるというふうに見ることが出来ると私は思っております。
今日はこれぐらいにしておきましょうか。ありがとうございました。