『教行信証』の化身土巻を読む(42) 一楽 真 師
2019/ 09/20
第20願の問題をもう一度振り返る
前回から三願転入の文というところを読みかかっております。前回も大体のことは申し上げていたのですけれど、いろんなご質問もいただいて、やっぱりここが皆さんにとっても大きな課題になっているなぁと感じさせていただいたことでありました。大谷派の聖典では356頁です。後ろから6行目の「ここをもって」というところからでありますが、前から続いておりますので、もう一回振り返っておきたいと思います。真ん中辺の「おおよそ」という、ここから読みたいと思います。「おおよそ大小聖人・一切善人、本願の嘉号をもって己が善根とするがゆえに、信を生ずることあたわず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、報土に入ることなきなり。」と云って、「ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って」と続いています。これは第20願の問題をずうっと押えてきた最後の処であります。これも何遍も申し上げておりますが、第19の願も第20の願も人間の持つ努力意識というか、積み上げて行ってそして覚りに至る、あるいは往生を遂げるという努力意識に応答して立てられた願であります。これは18願で云えば、ただ念仏一つでいいということが始めに云われているわけですが、その第18願の念仏一つということが、何か積み上げていきたい右肩上がりの向上的発想の人間には一番遠いんですね。だから念仏一つということが、なかなか受け止められない。そういう私たちに対して、じゃぁここからやれということで、第19の願はさまざまな功徳ですね、修諸功徳の願と云われていました。これを積むことを我々に勧める。ただ功徳を積み上げることを達成せよと呼びかけてはいますけれども、達成できないところにも道はあるという形で念仏に出遇わせていこうとすることが第19願の背景にあるわけです。これが顕彰隠密と云いまして、顕の義は修諸功徳と云ってるわけですが、それが成り立たないところにも道はあるという形で、一人も見捨てないという本願のお心に出遇わせようとする。だから願文が二重になっているわけですね。決してこれ、表向きと裏向きとか、建前と本音というふうな話じゃなくて、努力をせずにおれない私たちの意識に応答して呼び掛けるわけであります。しかしそれが成り立たないところにも道はあるぞ、一人も見捨てないぞという本願のお心が初めていただけるということであります。これは親鸞聖人で云えば比叡山の上にいる時、修行を積み重ねて覚りに至ろうとしておられたけれども、それが成り立たないというところに、お釈迦さまが既に説いておられた、ただ念仏の道があったという形で出遇われますね。親鸞聖人ご自身の歩みがそうであったわけです。ただもう一つ問題なのは、念仏一つということをいただいたところにも、私たちの努力意識は抜けないわけですね。それが念仏に帰したと云いながら、植諸徳本の願と云われる第20願がそうですが、功徳の本として握っていく、自力の念仏という問題が見えるわけです。これ親鸞聖人で云えば、比叡山の上にいる時は、始めは念仏の教えは修行ができない人のものだと思ってましたね。なんか脇道のように、あるいは修行する仏教からすれば一段下に見えていたと思います。でも修行が成り立たない我が身が見えた時に、ただ念仏の道は私のためだということがはっきりしたのでしょう。そこで念仏に帰依したわけです。ところが念仏に帰依したところにまた出て来るのが、同じ念仏でもやっぱり長年やって来たか最近始めたかとかね、あるいは同じ南無阿弥陀仏を称えるにしても、お経の意味をよく分かって称えておるか分らずに称えておるか、あるいはもっと云えば人間が一番思うところですが、あの人は勘が鋭いがワシみたいな鈍いものはダメだとなると、やっぱり鋭い人の念仏の方が本当じゃないかというようなことが抜けないんですね。だから同じ南無阿弥陀仏に触れていながら、出来たか出来ないか、やれているかやれていないかというランクが付いてくることになる。この問題を明確にするのが第20願でありました。だから第20願は念仏一つに立ったところから見えて来る人間の自力の問題を浮き彫りにして行くということに主旨があるわけです。そして本当の意味で比べる必要のない、皆平等に迎え取られるただ念仏一つというところに導いて行こうとする。そういう意味では、これも方便、如来のおはたらきの願なわけです。ですから一言で云えば、第19願は念仏に立つのか、諸々の功徳を修するのかという行の選びですね。何をするのかということを我々に問うてくる願であるのに対して、第20願の方は念仏一つという中にも、やっぱり積み上げて功徳を修しているという発想で行くのか、それともこれは誰もが平等に迎え取られるはたらきであるといただくのか、同じ南無阿弥陀仏でも違うわけです。ですからこれは行の選びというよりは信心を吟味してくるおはたらきを持っている。こういうお話をしていたわけでありました。で、今読んだところ、これが第20願のまとめになりますが、「おおよそ大小聖人・一切善人、本願の嘉号をもって己が善根とする」と云ってますね、結局南無阿弥陀仏しながら私はどれだけやったかということを握って行くという問題です。我が善根、我が功績にしてしまう。自分の手柄にするんですね。だから阿弥陀を信じて浄土に生まれるということには決まらないんです。これが信を生ずることあたわず、あるいは仏智を了らず、更にかの因を建立せること、というのは浄土をお建てになられたそのお心を了知することができない。だから皆平等に迎え取られる阿弥陀の真実報土に入ることはありませんと云ってるわけです。これがどれほど根深いか、自力の信は云うほど簡単じゃないんです。このことを述べていたわけです。このことを承けて次が始まっていた。これが三願転入の文でしたね。前回も読みましたが一応通して読みましょうかね。愚禿の名告りで始まる三願転入の文
「ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり。」と、こういうお言葉でした。まず始めに名告りが出ていますね。親鸞聖人ご自身のお名前が出て来る。教行信証では5ヵ所であります。大事なところへ来るときちっと自分の名前を名告ってそして書いて行かれるんですね。一番詳しくは「愚禿釈親鸞」であります。ここでは親の字を省いておりますね、「愚禿釈の鸞」と。前にも見てもらいましたが、信巻の悲歎述懐というところでは仏弟子としての資格を有していないという思いを込めて「釈」の字を外しておられましたね。「悲しきかな、愚禿鸞」と。ですから「愚禿」というところが阿弥陀の本願をいただいていく立脚点でしょうね。これもさっきの話と重ねれば、比叡山にいる時はやっぱり我が身の行を有効だと思っておられます。そう思わなかったら修行は続けられませんよね。やればいつか必ず覚りに到達できる、迷いを超えられるのだという信念の下に修行に励んでおられたわけです。ところがそれが20年経っても腹立つ心一つが消えない。この中で法然上人との出遇いを果されます。その時に「愚禿」という名前、これ結果的には流罪以降とみなきゃなりませんが、この「愚禿」と名告って生きて行く親鸞聖人は誕生します。だから自分は何でも出来ると思っている時には、阿弥陀の本願に助けてもらうなんてことは必要ないですよね。愚禿というところに本願をいただいていくということになるわけです。これが教行信証全編を貫くお名前であります。冒頭から最後まで、愚禿親鸞、この名告りで書かれてあるのが教行信証という本ですよね。愚禿のところ、細かく云えば「愚」と「禿」は分けてお話せんならんのですが、まぁいま仏のおはたらきをいただかないと生きる方向も見えない。すぐに世間の価値観、勝ったとか負けたとか、役に立つか立たないかというところに呑み込まれてしまう、そういう愚かさであります。人と比べて愚かというふうに云ってる話と違います。世間の謙虚だとかね、そんな話じゃ全然ないですね。論主の解義、宗師の勧化
「論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って」と。これも限定してないという話を前にも申し上げていますた。論主というのは代表させれば天親菩薩ということが出来ます。しかしここでは天親菩薩限定ということではなくて論主と、まぁこれはやっぱり菩薩の論ということを念頭に置いてこう仰っていると思います。宗師も曇鸞大師に使ったり善導大師に使ったりいろいろありますが、ここでも誰かということを決める必要もないと思います。でも一応教行信証の文脈からは一心帰命ということを云うて下さった天親論主、このことが一番大事ですね。それをちょっと振り返ってみますと、信巻の冒頭に序が置かれていましたね。ここからずうっと長い長い論述というかね、文章の流れがあるわけです。210頁真ん中辺に「愚禿釈の親鸞」と自らの名前をきちっと記して「諸仏如来の真説に信順して」と。諸仏如来ですから、お釈迦さまだけではありませんね。ありとあらゆる仏さまの真の説法でありますが、これに信じ従って「論家・釈家」これは七高僧全体を一応摂めていると思います。論家の方には、龍樹・天親、釈家というのは、曇鸞大師以降の方々と、七高僧全部を摂めていると思いますが、様々なお経の説法をいただいて、それを論じて下さり註釈して下さった、そういう方々の受け止めを聞きますということがここにまとめられています。その中で特に「広く三経の光沢を蒙りて」と。これは特にお釈迦さまが説かれた浄土三部経を指してますね。これを詳しくいただいて、そして「特に一心の華文を開く」と。これが天親菩薩の浄土論を指してますね。一心の花を開いた文章。だから沢山のお経、そして沢山の論、釈を親鸞聖人はご覧になっているんですが、中でも浄土三部経を受け止めて、そしてその受け止めが華を開いたのが天親菩薩の浄土論、一心帰命ということを語るあのお書物なんですね。端的に云えば三部経を本当に読んだらどうなるかと云うたら、あるいは一心帰命一心願生というね、そういう生き方が実を結ぶと云わなきゃならんと思います。ここに立って信巻の序ですが、「しばらく疑問を至してついに明証を出だす。」という言葉が出てました。これをパッと読めば信巻の序ですから、これは信巻の話だろうということになるかも知れませんが、疑問というのは実は信巻に二つと化身土巻に二つが出て来ています。ですから私たちの先達で云うと、曽我量深先生は、この序文は信巻の序であるけれども遠く化身土巻まで包んでいる、そういう序文だということを早くに押えて下さっています。前にもご紹介しましたが曽我先生は教行二巻を伝承の巻と云って、信巻以降の信、証、真仏土、化身土を己の上に証したという意味で、己証の巻と呼んでおられます。親鸞聖人が先達の教えをいただいて、それを今度は自分の課題を潜って確かめるという、これが己証という言葉でした。教行二巻が伝承、自分にまで伝わって来た教えですね。そして信巻以降が己証と呼ばれる。私は曽我先生に直接お話を聞く縁はなかったです、なかったって変です。聞こうと思ったらいくらでも聞けたんですが、中学2年の時に曽我先生は亡くなっておられます。子どもの時から聞法する縁があればお聞きできたかもしれませんが、私はそんな縁ありません。ただ曽我先生の教えを本当に聞き抜かれた安田理深先生に何回かこのことをお聞かせいただきました。安田先生仰ってましたね、伝承なき己証は、これ独断だと仰ってました。つまり伝統されて来た仏教に遇わずに、仏教とはこれだということを自分勝手に云ったとすれば、これは独断だと仰るんですね。しかし逆に己証なき伝承は、これはただの習慣だと仰ってました。もっと云えば悪しき習慣かも知らんと仰っていた。これは仏教ではこうなってますとかね、先輩はこう云うてますと云うだけで自分を通してないんです。だから己証なき伝承は形骸化する、ひょっとすると教条主義、権威主義に陥るかも知らんということを仰っていました。なるほどなぁと思いました。だから曽我先生は親鸞聖人の教行信証は両方あると云うわけです。先達の伝統を受け止められた伝承がある。しかしそこで終らずに今の時代、自分が直面している課題を通したらどうなるかという己証があるんですね。で、この間にあるのが正信偈なんです。だから曽我先生は正信偈というのは伝承の巻のまとめであると同時に己に証していくことの先駈け、後を引き起していく、そういう位置にあると云うんですね。曽我先生からするとなぜ教行の巻のそこに正信偈が置かれているのかというのが一番疑問の発端なんでしょうね。だって偈文なら一番冒頭にあっても良さそうでしょ。だって天親菩薩の浄土論も偈文が一番始めにありますわ。それから善導大師の観経疏でも観衆偈は一番冒頭にありますね、道俗時衆等から始まっている。だから自分の信念を表明するなら、教行信証の冒頭にある方が分かり易いですよね。ところが、それが間にある。曽我先生はそこをなぜここなのかと考えられて教行二巻のまとめ、自分の受け止めた仏教を集約して述べた、これが正信偈。しかしただのまとめだけではなくて、後半を開いて来るような内容を持っているというように見ておられるわけです。すごい見方やと思います。ただ曽我先生は常々自分の見方は一つの今の考えであって、それは決定打というかね、教行信証はこう読まんならんという、そんな絶対化するようなことは仰らない。それが曽我先生ですね。ですねと云ってもボクも直接知らないんですけど、先輩方からよく聞かされました。一つだけ云うと、曽我先生の教えを親しく受けておられた、いま生きておられたら95歳ぐらいになられる方ですが、僕より30以上も上の人なんですが、曽我先生の教えを何年も聞いておられた。そして前に曽我先生が仰ったことを確かめたくて、「曽我先生あのことについてはこうですよねぇ」と、曽我先生が云っておられたことを復唱する形で云ったんだそうです。あれはこうですよねと。そしたら、いや違いますと仰った。だから聞いた人びっくりしたそうです。曽我先生前にこう仰ってたのにと思って、いや先生、前にこう仰ってましたよねぇと云うたら、「その時の曽我量深を連れて来なさい」と仰ったと云うんです。まぁすごいことを仰る先生やと思います。人間というのはやっぱり課題をもらったら、その中で考えて、考えが展開するんですと。何十年も前のものを同じということがあるはずがありませんと。だから私はいまはこういただいてますと。こういうことを仰ったと云うんです。それがその時の曽我量深を連れて来なさいというビックリするようなお言葉だったそうですが、一つの答えに腰を下ろしていたのは私の方だったということを、その先輩は教えて下さいました。先生が云うたからこれが正しいなんて、そんなこと握っちゃいかんということを曽我先生は教えて下さったんだということをね、ま、これも20年も前に聞かしていただいた話ですけども、まぁそういうお出遇いをなさったのかということを思いました。ですから、曽我先生はこれを一つの教行信証はこう読むべきだという決定版の答えとして仰っているわけではないです。しかし非常に大事な押えですね。で、いま云いたかったのは、この信巻の序分と云うのは正に化身土巻まで貫いているような課題が出て来るわけです。それで信巻の問いについては今触れることはしませんが、化身土巻で出ていた問いは、『観経』の三心と『大経』の三心とは一つなのか、異なるのかでしたね。その後もう一つ出ているのが、大経・観経の三心と阿弥陀経の一心とは、一つなのか異なるのかでした。その時もお話してましたが、結局は一つだと云うんですが、結局同じことを云うのならば何故違う説き方をしたのかと云うのがこのお経を尋ねていく問いなんですね。『大経』というのは三心というのはね、他力の信心を表わすわけです。それに対して『観経』の至誠心、深心、回向発願心という三心は、やっぱり私たちの努力目標、ここからやれということを勧めて下さる説き方なんですよ。だから始めっから他力の信心が大事なら、『観経』でも他力の信心を云えばいいでしょ。でもこれ、さっき云ったとおり始めから他力と云われても、なんか私にやらしてくれと、なんか実践項目がなかったら理解しにくいという人間に応答しながら、じゃぁここからやれと、自力の目標・課題を示しているのが『観経』なんです。そしてそれが立ち行かなくなったところにも道がある、立ち行かなくなったということでいよいよ一人も見捨てない本願に遇うということを示そうとする。これが『観経』の語り掛け方なのだというのが親鸞聖人の受け止めなんですね。だから『観経』と『大経』と、敢えて違うように説いた、これが大事なんですよ。同じことを云うてるなら、お経は一つでいいんですね。南無阿弥陀仏で一人も漏らさないと、これだけを云うのならば『観経』も同じように云えばいいんですが、それに頷かない人間を見据えたからこそ違う云い方をしなければいけない。で、『阿弥陀経』もそういう主旨で『阿弥陀経』の一心と『大経』の他力の信心と、どう違うかと。これも敢えて南無阿弥陀仏ということは同じでも違うように説かないといけない理由を云うて来たわけであります。そういうことを通して結局は何を見ておられるかと云うたら、お釈迦さまの一代教には当面説いておられることと、これを通して出遇わせたいことがあるんだということを確認したいのですね。その時に『観経』と『阿弥陀経』ということを例に挙げながら述べておられる。これは他宗教の大事にしておられる経典を俎上に載せるというようなことは親鸞聖人はしないですよ。大日如来とか薬師如来のお経、このお経はこんなことを云うているだなんて云うたら、そっちから違うと云われるかも知れませんね。アンタの解釈はおかしいと云われるかも知れません。だから他宗派の大事にしている経典を価値判断するようなことはしない、一切なさらない。しかしお釈迦さまの説き方には出遇ってほしいものと、それに導くためのもの、これが真実と方便ということですが、そういうものをちゃんと持っているということを云う。その時に『観経』、『阿弥陀経』の説き方を通して真実と方便ということを云って来ているわけであります。出遇わせたいのは一人も漏らさないという阿弥陀の本願の世界であります。しかしそこに導くためには努力しなさい、ここからやれという実践項目を与えるということもあるんですね。この間も私たまたまなんですが、保育に携わっている先生方との研修会に縁をいただきました。私はどうしてもね、阿弥陀さんの本願の世界と云うて、どんな者も迎え取られるみたいな話してましたら、幼稚園の先生から質問が出ましたわ。そんなこと云うていては子どもは育てられませんと云われた。やっぱりこれはやりなさい、これはダメですと云わんならんと。本当にそうですね、私も至りませんでという話をして、その時に化身土巻のお話を念頭に置きながら話しました。その時に先生方に聞いたんですよ。では目標としてこれをやりなさい、これはいいことです、これは大切なことですとお勧めになさるけれども、その時出来なかったら、その子はもうアウトですかと。もう私の園には置いてあげられませんとなりますかと云うたら、いや、そんなことありませんと。やっぱりいい子になってもらうために、他人との関係を学んでもらうために約束守りましょう、これはやって下さいと云わんならん。しかし出来ないからと云って、それで終わりということはありませんと、そう云って下さったもんですから、それが真実と方便の関係やと思いますという話をさせてもらっていたことなんです。始めっから真実だけでいいと云うわけにいきませんね。子どもが育つときには、やっぱり社会のことも学んでもらわなあかん、約束も知ってもらわなあかん。しかしそれが出来なかったら、もう人間として終りと云うのか、そうじゃない世界を云うてくれている面もあるんですよと。その時に今日お話ししてきた阿弥陀の本願は一人も漏らさないという世界なんですと云うたら、ちょっと共感していただいたことでした。お経も全部そうなんです。ちょっと読むとお経にも道徳的なこと、社会の決まりを守りなさいと云うのがあるんですよ。でもそれを通して何に出遇ってほしいかということを語らなかったら、よく守れているから立派な仏弟子ですとかね、そういう決まりを守っていることが仏弟子であるかないかの別れ道に見えてしまうということがあるんですね。もう一遍云いますが、方便、これは真実に出遇ってほしいための様々なあの手この手のお勧めでありますが、それを通して出遇ってほしいこと、これをきちっとしておきませんと、方便のところに腰を下ろす。私ほど善根功徳を積んだ者はおらんということを握って行くという、そこに居着いてしまうということがあるわけです。いま見てほしかったのは、信の巻から「疑問を至して、ついに明証を出だす」という言葉がありまして、これは信巻の問答と、化身土巻の問答を通して親鸞聖人がいただいておられた、そこから云えば「特に一心の華文を開く」とありますので、やっぱり天親菩薩のお言葉に私たちが立つべきところが示されている。教えに遇うとこういう生き方を天親菩薩がお示し下さっと親鸞聖人がいただいておられると見当付けが出来ると思います。もう一回戻りますが、356頁の「論主の解義を仰ぎ」というところを限定しなくていいと思いますが、やっぱり信巻の冒頭からいくと、ここは天親菩薩の一心ということに極まるというふうに見ることが出来ます。それを受け止めて下さった方々のお言葉に依りながら、お勧めに依りながら、というのが「宗師の勧化」、これはねカッコして、これは誰のことだと云っているところもあるんですが、ボクはここは敢えて云えば、その一心を他力の信心と云って下さった曇鸞大師、化身土巻は特に善導大師のお言葉によって進んで来ます、だから曇鸞大師と善導大師が一番前面に出ると思いますが、お二人に限らなくてもいいと思っています。万行・諸善の仮門を出て、双樹林下の往生を離る
もうちょっと行きます。「愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って」と、その次がいわゆる第19願のあり方を捨てて、そして第20願のところに入ったという云い方でありました。「久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る」これは第19願の中に説かれることを挙げております。「万行・諸善」というのは念仏以外のさまざまな行、それから善を積んで行くということ、でもそれは仮の門だと云うんですね。でもそれを仮だと知ったからこそ、そこを出たわけです。それによって永く双樹林下の往生を離れる、とあります。双樹林下というのは元々はお釈迦さまが沙羅双樹の下で入滅なさって行きました、その故事が元にあるわけですね。いわばお釈迦さまが入滅なさったような、それにあやかって理想的な往生を遂げたいというのが双樹林下の往生でしょうね。ある意味ものすごく真面目なお心でありますが、ややもすると、それは形に縛られますね。こういうふうにいのちを終えないといけないという臨終の姿の問題になるかも知れない。ですから善を積んで、それによって往生を遂げて行くというあり方は、必ずそうなるという意味では未来の救いのあり方、苦しみからの解放、迷いからの解放ということを投影して行くようなことを免れないと思います。そのあり方を離れたというのが「久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る」と、こういういふうに云ってます。これも親鸞聖人ご自身のことを踏まえて云っておられるのは間違いないことです。自分の名前をきっちり示していますから。だからと云って、これはいくつの時かということを限定していいのかに私はずうっと引っ掛かっています。そう云うふうに解説してある本が非常に多いんですよ。まぁ分かり易いのは、これは親鸞聖人29歳の時のことだと。比叡山の修業を棄てて、法然上人の念仏の教えに帰した時だというのは分かり易いです。しかしながら親鸞聖人は万行・諸善を出たと云っても、万行・諸善と無縁になったかと云ったら、42歳の時にも三部経千部読誦するということもなさっておられます。だから方向を示された、何が大事かということがはっきりしたという意味では、これは29歳の時だと云ってもいいでしょうが、もう万行・諸善とは無関係になったと云うわけにはいかないと思います。だから私はこれは29歳の時だと限定するという意見には引っ掛かるんですね。そういうふうに決めつける必要があるのかと思います。これは宗祖ご自身が体験を踏まえて語っておられることは間違いありませんが、これを29歳の時点というふうに限定していいのかという問題です。もうちょっと云うと、29歳の「本願に帰す」というお言葉も何年何月何日何時何分という、そういう瞬間の話じゃないですよね。一年かけて六角堂に百日籠り、その後百日法然上人の元に通う。その時に私の本願に帰して生きるということは決まりましたというふうに云っておられますから、まぁ大抵一年や二年ぐらいの長さは見ておかなければならないと思います。何月何日というような限定的な話にはならないでしょう。まぁたとえ29歳と決めたとしても、そこには巾が有ると思います。でもその巾が29歳で、もう万行諸善を卒業して全く無縁になったと云い切れるのかと云うと、そうではなくて、万行諸善では助からないということがはっきりした、と、そういうことです。そこにお釈迦さまの亡くなり方を理想化していつかそのうちにというようなあり方を離れましたと。善本・徳本の真門に入り難思往生の心を発す
次に「善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき」とあります。これが第20願の内容を述べておられますね。「善本・徳本の真門」というのは名号の一つです。善の本であり、徳の本である名号に入られたわけです。でも真の門と書いてますね。さっきは仮門、仮の門でしたが今度は真の門と書いてある。でも門は潜って出遇うものがその先にあるんですよ。門は到達点ではありません、そこを潜って出遇うべきものがある。だから第20願はどこまでも第18願に引き入れるための門であるという云い方をしておられます。回入というのはひっくり返って入るわけです。だから今までのあり方を翻して入る。回というのは元々方向転換という意味で、向いていた方向が変ることを云うわけです。普通使われるときは自分が積み上げたものを今度は人に向けて行くという時に、他者に対してご回向するという文脈で使うことが多いわけです。親鸞聖人の場合は自力のあり方が転換して翻すという意味で、この回という字を読んでおられるところが多いわけであります。だから善を当てにし、徳を当てにするということに見えますが、しかしこれは万行諸善を出て、そしてここに入ったということなんですね。ここは前回も大分云い淀んでおりまして、特に三願転入を親鸞聖人の何歳というふうに当ててはいけないという話をしていました。いま第20願の呼びかけのところに入ったんですけれども、そこにひとえ難思往生の心を発したと云います。その後に「しかるにいま特に方便の真門を出でて」と。はっきりと方便の真門と云ってますね。ここを出て「選択の願海に転入せり」とある。これがどうでしょうか、何歳の時にと当てはめようとすると、これがいつのことか分らんようになるんですね。三願転入という云い方が大体その誤解を助長すると思うんですが、第19願のあり方から第20願に入って、第20願から今度は第18願だというと、法然上人の下で本願に帰したあの29歳のことは第20願に入ったという話なんでしょうか。どうでしょう。本願に帰したという意味では、本願を依り処として生きることがスタートしたと読まなきゃならんと思います。ところが、その時に本願に帰して生きると決ったところからいよいよ見えたのが、その本願の世界を自分で握っていくという自力心の根深さなんですね。それまでは気が付かなかったような自力の問題であります。本願に帰したというところからいよいよ見えて来たんですね。だからこれ、第19願から第20願、第20願から第18願と一応書いてありますけれども、本願に帰したそこから今度いよいよ第20願に説かれるような自力の問題が自分の課題でありましたということを云うために、ここは第19願から第20願、第20願から第18願というふうになっていると私は思います。だからここは何歳の時だと決めたらダメなんだということなんですね。これは親鸞聖人がずうっと抱えて行かれる生涯の課題だったと思います。方便の真門を出て、選択の願海に転入する
それで前回も見ておりましたが、第20願の往生については「ひとえに難思往生」とあって、第18願の往生が「難思議往生」と書いてあるのとたった一文字しか違わない。どこが違うかと云うたら、難思議というのは思いにはかるという字が加わっておりまして、思い計ることが出来ない、そういう私たちの計らいを超えているような往生であります。思ってもみない往生であります。予想して得られるもんじゃないです。予想もしなかった、知りもしなかったようなことが与えられる、と云ってもいいと思うんですが、それが第18願の往生として語られております。もうちょっと読みます。「ひとえに難思往生の心を発しき」の後に「しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり」、「せり」ですから完了形です。願海に転入したのだと云ってます。その後に「速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う」と云ってます。ここは遂げましたとは決して云ってないですね。遂げようと思うと。だからここは得てしまった話じゃない、どこまでも難思往生というあり方、そこには心という字が特に付けられていますが、難思往生を願う心を離れて難思議往生を遂げようと思う、これが本願に転入したところに発る我々に与えられる利益なんでしょうね。それをまとめて「果遂の誓い、良に由あるかな」とありました。これは前回質問を頂戴したところですが、第18願に入ったんなら、ここは念仏往生の願が何ともありがたいと書いてあってもよさそうなのに、何故第20願なんですかと、こういうご質問をいただきました。ということは第18願と第20願というのは、ずうっと関係し続けている願文だと思います。つまり第20願をやめて今日から第18願だと、そんな話じゃなくて、念仏一つに帰したつもりが第20願に云われる善本徳本として握って行くわけだからなんですね。そう知らせて下さるおはたらきをいただくことに握る必要はなかった。出来たか出来ないか、やれたかやれないかで比べることは不要であったという形で、広い広い第18願の世界に返して行かされるという構造だと思います。だから自分とするといつでも念仏一つに立ったと云うた途端に全部第20願のあり方に陥っているんですね。自力、私はやれてる、あの人よりやれてると云うた途端に、それは全部自力で握っているあり方です。それを知らして下さるのが、この念仏は善本徳本として握る必要のない世界、一人残らず助けたいというお心、これが果遂の誓いと云われています。果し遂げずにはおかないという誓いでしょ。一人残らず往生させようという言葉であります。この果遂ということにも前に触れておりましたが、これは第20願にある言葉なんですけれども、それを真実行巻に引いておられるところがありました。聖典183頁であります。ここは新羅におられました憬興という方の、無量寿経の解説書『無量寿経連義述文賛』が長々と引かれるわけですが、その中の一つ、183頁の5行目、ここにこんな言葉が置かれています。「また云わく、本願力故というは、すなわち往くこと誓願の力なり。」と。則からちょっと字が小さくなっているのが分かりますかね。「本願力故」というのは、これ元々の『大経』に出る言葉です。それ『述文賛』が解説して「すなわち往くこと誓願の力なり」と註釈を加えているわけです。つまり往生するのは阿弥陀の本願のはたらきなんですよ、ということです。次に「満足願故」これが大経の言葉ですが、それは「願として欠くることなきがゆえに」と云ってます。満足しているというのは願いとして何一つ欠けることがないからだと。次に「明了願故」これも大経の言葉ですが、これについて「これを求むるに虚しからざるがゆえに」と。明了願ですね。明らかに了るという字でありますが、これを求めて行くところに決して虚しいものはないと。すべて漏らさないんですね。そして「堅固願故」これが大事な言葉ですが「縁として壊ることあたわざるがゆえに」何者によっても破られない。最後に「究竟願故」これも大経の言葉ですが、それを憬興師は「必ず果し遂ぐるがゆえに」と云うんですね。究竟というのは究極的にという意味でしょ、最後の最後までという言葉ですが、これを必ず果し遂げると云っているのです。どんな者も漏らさずに必ず往生を遂げさせる、果し遂げると。こういうことを本願のはたらきに見ておられる。これは真実行巻の引用文なんです。親鸞聖人はこの果遂というのは真実行のはたらきというふうに見ておられるということが分かりますね。だから果遂の誓いというのは第20願を呼ぶお言葉でもありますが、しかしそれは一人も漏らさず必ず往生をさせようという本願のはたらきを意味する言葉だと見ておられるわけです。果遂の誓いだからと云って、これは第20願、本当の第18願じゃないですよねと云うのでなくて、第20願を潜って第18願の一人も漏らさず、皆平等の往生を遂げるということが果たされて行くわけですよね。第18願と第20願はある意味で照らし合っていると云われることの意味であります。私たち第18願一つでは本当に阿弥陀を念じて生きているのかどうか区別付かない。阿弥陀を念じているのか、念仏している自分を当てにしているのか、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏という形だけでは区別付かないでしょ。あの人はすごいと云ってね、朝から晩まで南無阿弥陀仏しておられる、それは尊いことです。しかし、そのお心が私ほどしている者はおらんやろうということなら、それは第18願に云われる皆平等に助かる道ではありませんよと、結局自分の業績を握っているだけですよということを云う。それを潜らせて、潜ることを通して一人残らず往生させるというこの果遂の誓い、このはたらきを見ておられるわけであります。ですから前回のご質問にあった通り、ここは第20願のおはたらきによって難思議往生ということ、本当の真実報土の往生ということ、これを我々は知らされて行くんですよ。逆に云えば、善本徳本として念仏を握っている間は、結局どこかで皆平等に助かる道じゃないですね。抜け駆けして行く道ですわ。私は助かるだろう、あの人は無理だろうと。でもそれは阿弥陀に遇うたと云えるんでしょうか。私だけが特別に選ばれるというのは結局ランク付けの発想ですからね。それをずうっと歎いて来たこと、第20願で明らかになって来た自力の問題を承けて、この三願転入の文があるという、この流れが非常に大事だと思います。前回と同じようなことを申し上げたわけですけれども、三願が第19、18、20願と並んでいますから、ついつい親鸞聖人のいつの時点のことだと見てしまうのですが、私はもし当てるとすれば自力の諸行から本願に帰した、これは29歳の時のことと云えると思います。しかしそれも一年がかりのことです。何月何日とは決められません。しかもその本願に帰したところにも、なおいろんな行を当てにしようとする心は全く消え去ったとは、親鸞聖人でも云えない。行に迷う時にいつも私たちの前に立ち現われて念仏に立つのか、それ以外の行に立つのかと云う決断を迫るはたらきが第19願にあると思います。これは繰り返しますが、親鸞聖人でも42歳の時の三部経千部読誦、それが59歳の時に熱に魘される中にまた出て来たと云いますが、そういうこともあるんですよ。私らの中にもこういうことあるんじゃないでしょうか。念仏一つということが決まったからと云って、あれもやった方がいいんじゃないか、これもやった方がいいんじゃないかといろんな行に対するあこがれと云うか、色気と云うかね、世間からの評価も含めてこういう実践をやった方がもっといいんじゃないかという心が起きて来ると思います。その時にあなたは何によって助かって行くんですかということを問うて下さるのが第19願です。念仏一つとなったところに深い自力がもう一つ見えてくる。これには卒業がないとずうっと云うておりますが、そこからいよいよ果遂の誓いをいただくところに自力の心での念仏なのか、如来の呼びかけをいただきながらの念仏なのかと、これが問い続けられるということなんですね。ですから第20願に対しては、もうこれ卒業は一切ない。ここも「しかるにいま特に」という言葉があります。前回も云いましたが、この「いま」というのはこの本を書いている「いま」というような限定的なことではないと思います。それこそ第20願の呼びかけを聞き、第18願の成果をいただくところにいつでもの「いま」とか、念ずる「いま」、更には一声々々の念仏のところが「いま」、「いま」「いま」の連続と見ることが出来ると思います。自力の心というのはずうっと残っている、それを離れ続けていくというのが実際の歩みではないでしょうか。そんなことを前回も、三願転入とは云うけれども、三段階の階段と云うかね、梯子段を上るように上がって行く話じゃないということを繰り返し云うていたわけでありました。ちょっとまぁ前回のお浚いで、繰り返しでここの文章をどう読むかということを、先ずお話させてもらいました。ちょっと一服させてもらいましょうか。第20願を潜って初めて見える第18願
本当にもたもた話ですみません。なんかすっきりしたということにならないんですけれど、でもそれは私たちの中にある握ろうとする、掴もうとする心がずうっと生きてる限り消えないからなんですね。竹を割ったように、ここまでが第19願でここからが第20願で、ここからは第18願に入ってしまったと云えれば話はすっきりなんですけれど、そう簡単に行かないのが私たちの持っている執われの心なんです。でも云い方を換えれば、その執われの心が問題だったのだということがはっきりする、これが第20願によって見せてもらう世界ですよね。お念仏をいただいたところにも執われは残るんやという問題なんです。執われなくなって不退転にというのなら話は分かり易いのですけど、執われの心がある者がどうして道を歩み続けられるかと云ったら、これは私の心境と云うか、心情という心持の問題じゃなくて、本願の呼びかけが確かだから、それをいただくところにいよいよこれだった、やっぱりこれだったということがいただき直していけるという意味やと思います。私の方はやっぱり本願を忘れて世俗に呑み込まれることはしょっちゅうなんですね。でもそういうものも掴んで放さないのが阿弥陀の摂取不捨のおはたらきの大事なとこやと思います。摂取不捨と云いましたけれど、これも親鸞聖人は「もののにぐるをおわえとるなり」という左訓をわざわざ付けておられる。「もの」というのは衆生のことですが、衆生が逃げていくと云うんです。摂取不捨と云えば、なんか暖かく抱き止められるというイメージを持つ言葉ですが、一人も漏らさないという意味では、大悲のお心の暖かさを云っていると思います。しかし実際には衆生はその皆平等の世界、比べる必要のない阿弥陀の世界から逃げ続けて行くんですね。その者の逃ぐるを追わえ取ると。後ろから追いかけて行って掴まえるといういう左訓を付けておられる。ボクはこれ大事だと思うんですよ。かつて安田理深先生なんかは、本願に背く者という題でのお話にもなってます。ただ後でよく聞くと、本願には我々背けんのやと。本当は本願が教えてくれておる自分自身の本来のあり方から背くという意味で、自己に背くと云わんならんと云い直されたものもありますけれど、とにかく真実の世界にいつも背を向けて、そこを忘れて行くようなものを抱えているのが私だということであります。ですから第18願に入ってしまったということではなくて、その本願をいただくところにいよいよ自力の心と向き合って行く。執われの心、自分の手柄として握ろうとする、その心を見つめていくということが起きるんだと思うんですね。さっきの三願転入の文に返れば、356頁の後ろから3行目ですが、「しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり」と云っている。これを第18願のことだと云ってもいいですが、そうするとその後の「果遂の誓い、良に由あるかな」というのが、なんでやとなりますから。だから選択の願海というのは大きく云えば48願を建てて私たちを導こうとしている本願の海に転入したんだというふうに読むことも出来ますね。少なくとも第20願を抜けて第18願だけに転入したというのじゃなくて、第20願のはたらきをいただいて、いよいよ第18願の皆平等の世界に立ち返って行くという、そういう本願のおはたらきの中に転入したんだと読むところに「速やかに難思往生の心」これは自分で思い描いた往生を手に入れようとする心、それを離れて「難思議往生を遂げんと欲う」と、もう一遍原点のところに立ち返って行くということを、「遂げんと欲う」と表現されている。それがいつでも「いま」だということです。だから「いま特に」というのが「転入せり」で切るんじゃなくて、「いま特に、難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う」とここまでかかっていると見たいわけであります。それで….(ここで質問が入る)…ハイ…ハイ、そういう呼びかけにおいて、そういう心を賜ると云った方がいいでしょうね。欲生心は本願の心であると同時に、それによって我々に起る心ですわね。ある意味で「欲願愛悦」と、我々に与えられる意欲と読んでもいいと思うんです。でもそれは日頃の心の意欲じゃなくて、今仰るように呼び掛けに遇うて賜る意欲だというふうに云いたいと思います。それで前回もご紹介してましたが、「離れる」ということを云って下さってるところが341頁にありましたね。既に読んで来たところでありますけれども、これは第20願の文脈に入る前のところに押えられてありましたが、「二双四重の教判」と云われる、「横超・横出」、「竪超・竪出」という、親鸞聖人が一代仏教を四つに分けていかれる。その教相判釈ということの一つであります。その中に「横超」ということを述べておられる。これが真実の浄土の教えに立って行く歩みですよね。それが341頁の後ろから2行目にこんなふうにありました。[「横超」とは、本願を憶念して自力の心を離るる、これを「横超他力」と名づくるなり。]と。横さまに超えるんですね。だんだんと超えて行くのは「横出」と云われます。他力の教えを聞きながらも、そこに自力をあてにしようとする心が残っているあり方。これは横なんですけれども時間のかかる「横出」という言葉で押さえられています。それに対して「横超」は一気に超えるんです。これは私たちの予想を超えて起るもんですから、難思議の議ということ、私たちの思い計らいを超えているような超え方なんです。別の言葉では不可思議と云ってもいいし、他力と云ってもいいです。他力というのは私の思いからすれば全く予想もしなかったことがここに起る、これを他力と云っているのです。他力とか不可思議とか難思議ということは、全部「横超」ということと、云い方は違いますけれど、中身は通ずるような内容を持っていると思います。それが本願を憶念するところに「自力の心を離るる」と書いていますね。やっぱり離れるんです、これ。無くするとか、ましてや消し去るなんて書いてありません。だから、あるんだけれども離れていくと云う、これが「横超」の事実であります。しかも「離れき」とかいう過去形じゃないでしょう。憶念するところに離れること、と読めますね。憶念、これは一声一声の念仏とさっきも云いましたが、一声一声のところに執われの心を離れることができる。離れるというのは丁度眼鏡を横に置くように自力を止めたという話と違います。これは鏡を見ると自分の顔 が見える。これはここから一旦、離しているんですね。だから離れるということは、横に置くというよりも見えるということだと思います。鏡に映さないと自分がどうなっているのか分かりませんので、また執われていたのだなぁということが、離れてこそ見えるわけです。だから私はそれを止めましたと云うのと全然違う。いよいよ執われの心が根深いなぁ、幾つになっても消えないなぁということが見える。そこにいよいよそれを問題としながら歩めるわけです。その意味で云うと、自力の心を離れがたい、自分で無くせないということが分かっているからこそ、今度は人が自力に執われているのを見ても、あぁあの人はまだあんなことやってると、そんな話にならないわけです。自分と同じ問題を共に抱えるお仲間やということになるでしょうね。日頃は自力の心と云うことに問題があるとすら思ってないわけです。だって私たちは自分が執われてその答えを握ること、それを固めることで世の中をうまく渡って行こうとしていますから。その自分が掴んだ答えを問い直すなんてこと自体がなかなか難しいわけです。しかしそれが他者との間に壁を作っていくし、場合によっては敵と味方に分かれていく要因になるしね、握った答えというのは危ういということを本当に知らされるのが自力の心、執われの心が問題だなぁということが分かるということなんですね。それを離れるということです。で、さっきご紹介した42歳の時の三部経千部読誦も、59歳の時も熱に魘される中で出て来るわけですが、その時に人の執心、自力の心は深いなぁということを親鸞聖人は知って行かれます。「人の執心自力の心よくよく思慮あるべし」と。長年仏法を聞いてきたからと云って薄くなったとか、大分出にくくなったと云うんじゃなくて、そういうことはいつでも出て来るということを59歳の時に、改めて知らされたというのが『恵信尼消息』に書いてあるわけです。それは、はずれたわけですよ、その時に。またそれに執われていた、見えたからですよね。日頃は自力の心と、あるいは執心と一つになって生きてますので、どこがおかしいと、全く問題でないでしょうということになっているわけですね。この離れるということ、これこそが「横超」だと云っている。さっきも云いましたけどね、人を見ても上からお前はまだそんなことで迷っているのかと、そんな話と違うんですね。自分の中にもあるからこそ、共に課題とすべきこととして、それを通じ合って行けるような材料になると思います。話題であり、共に考えていくきっかけ、契機になると思います。このことを親鸞聖人は真実の仏道のあり方として、既に行巻に述べたとここに書いておられますね。その後もうちょっと読んでおきます。「これを「横超他力」と名づくるなり」と云った後に「これすなわち専の中の専」と。専修念仏の中の専と云うわけです。専修念仏でも積み上げてだんだんと助かろうという「横出」のあり方もあるわけですから。それはやっぱり手柄として、自分の積み上げた業績としての念仏でしょうね。そうじゃないんです、いまここでと云うんです。それが「頓の中の頓」速やかにという中でも、最も速やか、いま忽ちに助かる道です。それから「真の中の真」真の仏道というのはあちこちで云われるわけですが、その中の真であると。さらに「乗の中の一乗」と。これは言葉を略してありますが、大乗とか一乗ということは云われるけれども、その中に本当に平等に成仏することが成り立つ道であると云っておられる。「これすなわち真宗なり」と。これが真宗であると。これが法然上人が開いてくれた、法然上人が教えてくれた、親鸞聖人が出遇った仏教なんですが、そういう仏教をこの教行信証は掲げようとしてるわけです。それを[すでに「真実行」の中に顕し畢りぬ]と。行巻に既に顕しましたと云ってます。それをもう一遍取り上げているということは、ただ念仏と云いながらそれを握って行くあり方。他力と云いながらやっぱり自力を当てにしようとすることが抜けないからですね。それを潜ってもう一遍真実の横超ということを確認しているようなことになるわけであります。歎異抄に見られる自力の念仏
それでこれも前回ご質問との中でやり取りしていましたが、こういう自力の念仏ということを一番よく私たちに示して下さっているのが歎異抄の第9章のやり取りだと思います。前回も見ていただきましたが、もう一遍開いていただきたいと思います。聖典629頁でした。これは唯円と親鸞聖人との間の具体的なやり取りが記されていて、非常に臨場感がありますね。で、唯円の質問から始まっています。「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと」、もう一つは「またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」。こんなことはどのようなこととして考えたらいいんでしょうかということをお尋ねであります。念仏申しているけれども、躍り上がるほどの喜びの心はおろそかです。いそいで浄土へ行きたいという心はありませんと云ってます。二つ聞いていますね。でも唯円の中には念仏しておったら躍り上がるほどの喜びがあるはずだと思っています。おろそかと云ってますから、前はあったんでしょうね。前ほどではないということ、そして十分じゃないと云っている。だから、初めて念仏申すようになったその時ほどの喜びが薄らいて来たということが込められていると思います。もう一つの方は急いで浄土へ行きたい、これは阿弥陀の浄土は大事だと聞かされておっても早く行きたいという心はありませんと云ってます。やっぱりこの娑婆、この世界の方がいいんですね。でもお浄土の教えを聞いていながら早く浄土へ行きたいと思わないというのは、念仏者としてはどうなんでしょうか、という思いがあるわけです。はっきり云えば、いつでも喜べるような私、あるいは早く浄土へ行きたいと思うような私、そうなるべきなのにそうなっていない、これはダメなんじゃないんですかという問いがここには記されてあると思いますね。そういう心がある。聞かずに居れなかったのでしょうね。まぁこれ年齢関係から云いますと、親鸞聖人と唯円は大体50歳違いです。だから親鸞聖人が80歳半ばだとすると、唯円は30歳半ばという、それぐらいの歳の違いです。なかなかの差ですよね。そう簡単にお師匠さんには聞けないかも知れません。でもまぁ逆に若いからこそ聞けるということもあるかもしれませんね。近しいお弟子は、こんなこと聞けないかも知れません。唯円やから聞けたのかも知れませんね。でも聞く時はやっぱり勇気が要ったやろと思います。だって念仏しているんなら喜べるようになれと云われるに違いない。それから浄土に行きたいと思わんというのはどういうこっちゃと叱られるのを覚悟で聞かずにおれなかったと思いますが、それに対して唯円が思ってもいなかった一言が親鸞聖人から帰って来るでしょう。それが次の言葉ですね。このように申し上げたところ「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり」と。親鸞もこの不審がずうっとあるのだが、唯円房も同じ心であったかと、こういう言葉が返ってくるわけです。これも曽我先生の本に出ていますが、「親鸞もこの不審ありきに」とは書いていないと。曽我先生はえらい拘わっておられます。「ありき」だったら、昔そういう時もあったという過去形でしょうが、「ありつる」と書いてある。この完了形というのは今までずうっと続いているという意味にも読むことが出来るのですね。だから昔ある時点であったがと読めないこともないですが、その不信を私はずうっと持って来ておるのだが、あなたもそうかと。いわば念仏しておるからこそ出て来た問いでしょう。今日始めに申し上げたことで云えば、比叡山のあり方を棄てて法然上人のただ念仏の教えに帰したと。このこと一つ、誰もが平等に救われると大変喜んだはずです。でもそこに同じ念仏する人の仲間でもオレの方が長年やっとるとか、私の方が回数多いとか、あの人に負けたんと違うかとか、こう云うのが湧いて来るわけです。これ全部執心自力の心でしょ。これ念仏したからこそ見えて来たんですよ。だから他力の教えに帰する前には問題とならなかったような心が初めて露わになってきた。それは親鸞がずうっと抱えていたのを、唯円あなたもそういう問いにぶつかったか、ということです。これ親鸞聖人からすれば情けないどころか、よくその問いに出遇ってくれたと、念仏しておるからこそ出た問いです。ある意味で親鸞聖人には同じ問いを抱えておるという喜びを持ったかもしれませんね。しかしそこを握手して終りじゃないんですよ。お前も一緒かで終らない。その時にそれはどういうことなのかを確かめて行くのが次であります。「唯円房同じ心にてありけり」その時に「よくよく案じみれば」そのことをようく尋ねてみると「天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり」と云ってます。本当は躍り上がるほど喜ぶことを喜ばない。だからいよいよ往生は一定だと、こう云うんです。これだけだったら、ちょっと謎めいた言葉ですね。なぜかということがもうちょっと書いてあります。「よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり」と。煩悩の仕業によって本当は喜ぶべきことが喜べないんだと云うんですね。「しかるに仏かねてしろしめして」仏というのは阿弥陀はとっくにそのことをご存知であって「煩悩具足の凡夫」だと仰った。だからここは教えとすると、お釈迦さまはそういう者のために弥陀の本願があるぞと教えて下さっているということですね。そして「他力の悲願は、かくのごときわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」だから煩悩具足の凡夫を救うための本願だから、いよいよ私のための本願だということが分かって、頼もしく思われるに違いありませんと。煩悩具足の凡夫でもOKですと云われているようにね、よしよしと慰めてもらっているような感じがして、だって煩悩具足の凡夫のための本願だから、煩悩具足ならなおさら往生できる、いいじゃないかと、なんか逆切れのようにも聞こえるなぁとずっと思ってました。でもこのことを曽我量深先生の本を読んで初めてあぁそういうことかと知らされたのが、曽我先生はこの部分を唯円は自分が凡夫やということをどっかで忘れていると仰るんですね。念仏すれば喜べる私になる、念仏すれば浄土に行く殊勝な心が起きる、と云うのは凡夫でなくなる話なんです。しかし私たちは念仏の教えに縁を持ちながら、やっぱりいいか悪いか、徳か損かとこの世の中のこと大好きなんです。皆平等ということをよろこんだはずなのに、やっぱり差を付ける方に心が傾いていく。これが煩悩具足の凡夫だということです。だから唯円はどっかで立派なもの、心掛けのいい者、殊勝な人間になれるというように、どっかで思っているからこそ、こういう問いが出て来るんだと云うんですね。「信の初一念」に返れという、これが歎異抄の第9章だというんです。「信の初一念」に立つとこんな云い方を曽我先生はされますが、「信の初一念」というのは、この念仏の教え私のためやったかということがはっきりした、その時ですよ。親鸞聖人を例にとれば比叡山で助からずに法然上人にお遇いした時に、この教えは私のためだったのかということをいただいた、そのときです。その時は本当にびっくりもなさったでしょうし、心から喜ばれたと思います。それがいつの間にか、大分聞いてきたからとか、大分念仏重ねてきたからという中で、今度はその仲間同士で比べる心も湧いて来る。あの人の信心の方が深いんじゃないかとか、私の心掛けの方がましやとか、こういうことになるとその世界をいただいているのじゃなくなってくるんですね。結局は自分が凡夫であるからこそ本願に依らないといけないというふうにいただいたことすらボヤけてくるということが起る。これは我が身は煩悩具足の凡夫であるということを知らされた、その「信の初一念」に立つということを呼びかけておられるのだというふうに、曽我先生は『歎異抄聴記』で書いておられます。それを読んで初めてこれは甘っちょろい言葉でなくて、あなたどこに立ってますかということを云うて下さる。凡夫で亡くなろうとしてるんですかという呼びかけ、こういう言葉として初めていただくことが出来たわけであります。後の方、浄土へまいりたきこころがないということも同じことでありますけれど、一応読んでおきましょう。「また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり」と。所労というのは病気ですね、病気一つするだけで、このまま死んでしまうんやないかと不安に思うわけです。死ぬのじゃないかというのは、あぁいよいよ浄土に還る時が来たんだというように思えれば、一番いいです。みんな還った世界に私も還らせてもらおうと、南無阿弥陀仏となればいいんですが、なかなかそうはならんと云うんです。それがこの世の中に執着する心、離れ難い心があると云うんですね。それが「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく」と云うんですね。「いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろう」と云うてます。浄土に還らせてもらうということは聞いているんですけれど、早く往きたいと全然ならない。それよりもまだこの世とお別れし難いという心が深い。これが「まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ」と。これはやっぱり煩悩具足の凡夫だということを見せてもらうご縁ですよね。まだ死にとうない。浄土に還れると聞いてもまだ往きとうないというのが凡夫の証拠なんです。そういう者をことに哀れんで下さるのが弥陀の本願ですとこういうふうに続きます。「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」と。これが親鸞聖人もご自身の実感を仰っておられますね。どれほど名残惜しく思っても、娑婆の縁つきて力なくして終ると云うんです。正に臨終のことでしょう。そのいのち終わるときに阿弥陀の浄土にまいる。そこまでなかなか「まいる」なんて心は湧かんのやと云うんです。それを「いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり」と。阿弥陀の浄土になかなか心が向かない者にこそ、阿弥陀は呼びかけずにはおれないわけですよ。私浄土に往きたいんですと云うなら、阿弥陀さんは放っといていいんです。でもそんな人は居るんやろかということやと思いますね。「これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ」と。煩悩具足の凡夫というこの原点、この事実に立ち返るところにいよいよ阿弥陀の本願を頼もしいといただいて行くことが起るんですよね。私の心掛けで生れて行くという話と違うんです。これも先ほどご質問いただいてましたが、金剛心とか信心決定と云うと私が朝から晩まで阿弥陀のことを忘れないようになったり、いつでも浄土に生まれたいというような殊勝な心になるように思うんですが、そんな人間ならばお念仏も要らなければ、本願の教えもなくて大丈夫ですね。しかしいつもそこから離れて、阿弥陀の世界じゃない方に心が向いていくんです。この娑婆世界の優劣とか、勝ち負けの方に呑み込まれて行くんです。だからそういう者のための呼びかけ、本願なんですよと、お念仏の教えなんですよと確認していますよね。そういう私であるからこその念仏、本願を頼もしいというふうに云ってるわけであります。だから最後こうなっとるでしょう。「踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と。怪しいものだと云ってます。これ、「あしくそうらいなまし」悪いあり方だと云ってるのもありますが、一応怪しくの方が私は適切かと思います。これ注が付いていますが、「あしく」と書いているのは西本願寺に伝わる蓮如上人の写本であります。『歎異抄』は蓮如上人の写本が一番古いので、これが歎異抄の決定版だと云うか、一番大本だというのはその通りなんですが、しかし蓮如上人が慌てて写さざるを得ないような状況があったと思います。慌てていたというのは、蓮如本は字が乱雑ではありませんが、訂正箇所がかなり多いですね。写真版で本が出てますのでご確認いただくことも出来ます。かなり字を直しておられる、あるいは挿入しておられるところもありますね。どうも蓮如上人は幾つ目を写されたのか知りませんが、断定はできませんが『歎異抄』が伝持されているところで横に置いて、何日で写せと、そういう状況の中で写されたのかなぁということを思います。『永正本』というのは次に古い、永正年間、室町時代に写された者ですが、これはどうも蓮如上人の写本を手を加えながら、間違いじゃないかというところを修正しながら写本が出来上がっております。聖典は『永正本』を元にしていますので、ここは「あやしくそうらいなまし」となっています。ただここは意見の分かれるところで、やっぱり蓮如上人の写本が原形だと見る人は「あやしく」としたのは『永正本』の間違いだという人もいます。『永正本』は始めから気に入らんと云う人がいるんですよ、なんか勝手に手を加えてと云うてね。この聖典では注番号が付いていますんで、これが大体『永正本』と『蓮如本』との違いの部分にほぼ注が付いていますので、そんなことも見ていただいたらいいと思いますが、私は言葉とすると煩悩がないのであろうかと怪しく思われることでありますと、こういうふうに読んでおきたいと思います。三願転入の話に戻れば、親鸞聖人もこの踊躍歓喜の心がいつもあったとか、いそぎ浄土へまいりたき心があったとか、そんなこと云うておられないですよ。これは何歳の時のことか分りませんが80を越えておられると思います。その時になっても、やっぱり煩悩具足の私であるということを云っている。しかしそういう者のためにあるのが本願のおはたらきなんですよということを云っているのがこの文章です。そうなると三願転入の文とそこを重ね合わせますと、私はもう自力の心は卒業しました、もうこの世に執われる心もありませんと、そんなんじゃないですよね。いくつになっても消えない。しかしそのことを材料にしながら、いよいよ第18願の皆平等に往生するという世界をいただき直していくというところに立ち返り続けるわけです。『歎異抄』第9章で云えば、語っておられる親鸞聖人がまさに唯円と共々にということ、この課題を確かめておられるようなやり取りじゃないでしょうか。もしか親鸞聖人が唯円まだそんなところに居るのかと云ったら、親鸞聖人はどこかで自分は一丁上がりと云うかね、仕上がったようなことになってしまう。親鸞聖人はいつも、この凡夫の地平のところにおられると思います。上からボクらを導いて下さる、そういう指導者じゃなくて共に聞いておられる、此処におられる人だということを強く感ずるわけであります。で、もう一回戻っておきましょうね。「果遂の誓い、良に由あるかな」というのは、念仏しながら、そこに自力の心が湧いて来る。いろんな執われの心が湧いてくる。そういう私たちのあり方を見せて下さるのが、この第20願の大事な呼びかけですよね。ですから「難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな」というふうに、ここは第20願のおはたらきの大事さをことにいただいておられる言葉で結ばれています。で、その後もうちょっと読んでおきましょう。
ここに久しく願海に入る
356頁の最後の行です。「ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり。」と述べておられます。「ここに久しく願海に入りて」久しくというのは始めの方にもありましたね。「久しく万行・諸善の仮門を出でて」と。久しくというのは一番上についていますので、もうそれと永久の別れを告げたという意味です。しかしもうちょっと深読みしますと、長らく、ずうっと迷い続けてきた万行諸善の仮のあり方を離れることが出来たというふうに読むことも出来ます。いまのところもそうで、「久しく願海に入りて」というのは今からずうっと、とこしなえに本願によって歩んで行くという意味で、久しく…と云ってる言葉だと思いますが、でもとっくに本当は本願の中におったわけでしょ。本願の呼び掛けは始めからあったのに、その中に居ながら壁を作って、自分の思いの世界に生きて来たわけでありました。これは化身土巻の始めに第19願と第20願を挙げるところで「すでにして悲願います」という言葉がありましたね。真仏土の方では「すでにして願います」とありましたが、面白いのは仏土の願というのは、どっちも既にしてこの願がありましたと云っておられますね。教行信証の四巻の方は「この行は大悲の願より出でたり」と根拠を尋ねて行くような云い方です。それに対して出遇ってみればとっくにあったというのが「すでにして」という言葉なんでしょうね。親鸞聖人で云えば29歳から本願と縁を持って、阿弥陀の本願に帰して生きるようになった。それはその通りなんですが、29歳以前は本願と無関係だったかと云えば、そうじゃないですね。本願の教えがあるにもかかわらず、それで助かるんじゃなくてオレは自分のやり方で助かるという道におられた。気が付いたらとっくに呼び掛けられていた、とうの昔からはたらきかけられていたという出遇い方なんですね。その意味で真仏土巻も化身土巻も仏土の巻というのは私たちが気づくか気づかないかに関わらず、支え続け、呼びかけ続けているような世界、云い方を換えれば気が付いてくれるのを待ち続けているような世界と云っていいように思います。ここもね、「久しく願海に入りて」というのは永遠のこととして、永久のこととして願海に入るというのが元の意味でしょうが、これはずうっと変わらずにあった本願のはたらきの中に入ったということを云うておられるわけであります。だから一つ前の「選択の願海に転入せり」という、そこも第18願に限定しなくてもいいんじゃないんですかという、そういう意味で云えばここも第18願と第20願とに分けて語るんじゃなくて、本願のおはたらきの中に入ったというふうに見ることが出来ると思います。ここはもう一つ、そういうふうに読みたい理由があって、これは長らく第20願の問題の時にずうっとお話してきましたが、私たちがどうやってこの執われの心あるいは自力の心を離れるかと云うたら、これは諸仏のお勧めでしたよね。恒沙の諸仏のお勧めによって気づかされていくということが云われていました。これは第20願の時に出て来た「勧め、すでに恒沙の勧めならば、信もまた恒沙の信なり」というね、これはお勧めが恒沙の勧めであるから、沢山のお勧めをいただいて、いよいよこれか、これが大事だったのかということに立ち返って行ける。だから私たちの信心も恒沙の信だと、恒沙の勧めによる目覚めだということが書かれてありました。そして第20願の問題は最後に来たら、善知識釈というところがありましたね、自力の心、執われの心というのは私たちそういうお勧めをいただかないと、あぁまた執われておったなぁと分らないでしょう。さっき云うた唯円と親鸞聖人とのやり取りも、唯円は大真面目なんですよ、ホントに。念仏しているのに浄土に往きたい気持ちになかなかなれませんと云っている。それはあなた煩悩具足の凡夫ということを忘れてませんかというふうに云われる、こういうやりとりです。そこに、あぁそうか、私が殊勝な心になるんじゃなくて、殊勝な心になれない私のための念仏だったか、ご本願だったかということを、またいただき直して行くという、正に恒沙の勧め、端的には親鸞聖人のお勧めをいただいて原点に立ち返って行く姿が出てますよね。我々もほんとにそうやと思います。だいたい自分の答えを握っている時、あるいは何かに居ついている時には、おかしいと思わない。正解を手に入れたようになっていたりする場合もあります。それも含めて破って下さるんです。勿論唯円のように問いが出れば、なおいいんですよ。何か尋ねられればいいんですけれども、そこまで行かないことが多いかもしれませんね。大分わかって来たぞとかね、長年念仏していると大分落ち着いてきたとなると、なんか自力のまんまん中にいることになるわけです。それを砕いて下さるのが恒沙の諸仏のお勧めです。これは本願に返せば第17願でしたね。第20願の時にずうっとお話ししましたが、これは第17願とも関係しているということを申し上げておりました。だから第20願が単体であるわけじゃなくて、その恒沙の諸仏のお勧めというのは第17願の問題と重なっているわけです。となると、教行信証というのは立体的な構造やと思いますね。第17願というのは諸仏称名で真実行巻に出ているわけですが、それが第20願のところまでずっと来てるわけでしょう。第20願と第17願は別物と云うわけじゃないです。云い方を換えれば、第20願というのはどこで私たち出遇えるかと云ったら、諸仏の称名を通して、あぁこれに執われていたか、また執われなくてもいいことに振り回されていたかに目覚めさせられて行くという問題であります。なので、ここの「久しく願海に入りて」というのを多くの参考書は第18願のところに入ったと書いておられます。それは間違いだとは思いません、誰もが平等に念仏一つで往生を遂げて行く、そこに入ったわけですから。しかしそれは第20願を蹴散らして、あるいは第17願は関係ないというような話じゃないですね。願海というのは本願のはたらきの中に入ったと読みたいわけです。さっきの選択の願海というのも、一応さっきは第18願と第20願だと云いましたが、加えれば第17願もある。もっと云えば、真仏土の第12願、第13願もあるわけです。でもそれを全部だと云うと、何が何か分からんようになるので、先輩方はやっぱりその中でも特に大事な第18願ということで読み切って来られたと思いますが、私はここでは少なくとも第18願に加えて第20願のおはたらき、そしてそれを私たちに具体的に引き起すのは第17願の諸仏称名ということを切り離さずに見ておきたいと思うわけなんですね。それで「ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり」と。本願に入ったところに仏のご恩を知るということが起るわけであります。これもいつも仏はお釈迦さまですか、阿弥陀さまですか、あるいは諸仏ですかみたいなことを云われますが、まとめて述べてあると思います。根源は弥陀のご恩だと云えばいいんですが、ずうっと読んで来た善知識釈で一番強かったのは釈迦の恩を知れと。「長時に慈恩を報ずべし」という言葉がありました。だからこれ限定的に云えば二尊でしょうが、展けば弥陀・釈迦・諸仏という、さまざまな仏恩を知ると読む方がボクは妥当だと思っています。そのお徳に報いていく、特に恩徳にむくいていく、「至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す」と。これが親鸞聖人が果たして行くお仕事ですね。真宗の要の部分、特にその簡潔にまとめた部分を拾い集めたと云ってます。「摭」は、薪を拾うという意味だそうです。だから親鸞聖人が真宗の要の部分を想像するのではなくて、既に云われてある中から拾うていくわけですね。それを通して「恒常に不可思議の徳海を称念す」と。讃え念ずるという字です。称名念仏ということでもありますが、拾い集めることが仏恩の不可思議の世界を讃えることになるし、念ずることになるということでしょうね。あっちこっちしますが、この「恒常に」という言葉、これはちょっと珍しい使い方だと思います。なぜかと云うと、人間の側には「常」という字を親鸞聖人は基本的には用いられないんですね。534頁一念多念文意の冒頭の部分を開けていただきます。この本は隆寛律師の一念多念分別事に出て来る法語を親鸞聖人が解説を加えて関東のお同行に送られた本でありますが、その中に出て来る、例えば始めの「恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前」善導大師の往生礼讃の言葉ですが、これを親鸞聖人は次のように解説を加えておられます。[「恒」は、つねという、「願」は、ねがうというなり。いま、つねにというは、たえぬこころなり。おりにしたごうて、ときどきもねがえというなり。いま、つねにというは、常の義にはあらず。常というは、つねなること、ひまなかれというこころなり。ときとして、たえず、ところとして、へだてず、きらわぬを、常というなり。]とこんなふうに態々「恒」と「常」は違う意味だということを云っています。「恒」というのは無くなってしまわない、絶えないということであって、朝から晩までずっととか、365日片時も忘れずというような意味じゃないと云うんですよ。折に従って、時々も願えと書いてあるでしょう。だから忘れている時もあるということを押えたお言葉ですよね。しかし思い出せばそこに念じて下さい。あぁ忘れておった、こんな念仏じゃダメだ、とかそんなこと云わない。思い出した時が念ずる時なんですよ。忘れない私になろうというのは、またこれ、立派な私になろうとする執われの心じゃないですか、凡夫でなくなろうとする心ですよ。凡夫というのは腹立つ縁が来れば腹立つ、誘惑に呑み込まれそうな縁が来るとそっちに靡くんですよ。しかしそのことを忘れずに思い出していくことが出来る、これが折に従って時々も願いなさいと云ってる、これが「恒」の字です。「常」の方はずうっとです、いつもです、「つねなること、ひまなかれ」と。そして「ときとして、たえず、ところとして、へだてず、きらわぬを、常というなり」と。これは人間には成り立つのでしょうか。仏さんは「大悲無倦常照我」とか、「摂取心光常摂護」と云って、こっちが忘れておっても常にという時には「常」の字でしょう。だから私たちは忘れておってもまた思い出すことが出来る。包まれているから、またその世界に立ち返ることができるんです。だから私たちに「常」ということをやらなければ念仏者とは云えないなんてことは、親鸞聖人は云っておられないと思います。で、さっきのところへ戻ります。357頁。「恒常に不可思議の徳海を称念す。」ここに「恒」の字だけじゃなくて「常」の字も使っているんですね。これは親鸞聖人から云えば、私がその気になったという意味じゃなくて、「真宗の簡要を摭う」というところに、そういうことが与えられるんやと思うんですね。学んでいる側なんですよ。法然上人はこう仰った、善導大師はこう仰った、曇鸞大師はこう教えたくれた。それをいただいて行くところに不可思議の徳海をたたえ念ずるということ、これ利益なんです。私がその気になるというよりも、先達に学ぶところに、そのことをいただけて行くということだと思います。私がずうっと朝から晩まで24時間365日と、そんなふうにはいかんと思います。教えをいただいていく時に、それが恒常という、つねということになるのだと仰っているのだと思います。そのいただいたところ、摭い集めたところですが、それをいよいよ喜愛し、特に頂戴する。まぁ拾い集めたところでもあるし、それは不可思議の徳海ですよね、いただけばいただくほど、聞かせてもらえば聞かせてもらうほど、その大事さを確かめさせられるわけです。だから私が喜び愛する、あるいは私が頂戴するということなんですが、これも全部先達のお言葉に触れさせていただくところに賜わる利益というふうにボクは云った方がいいと思うんです。どうもこれね、私たちの果たすべき使命というか課題とかいうことになると、出来たか出来ないかと、また云い出しますよ。私らの仕事は先人の歩みを聞いていく、それに従うところにいただけるものがあるんですよ。聞法というのは、正にそうでしょうね。聞法してなんかいつでも喜べる私になるという話じゃなくて、聞法している時、そこに賜わることがあるんですね。聞法を通してこういう世界をいつも頂戴し続けるということが起きるということであります。まぁここまで「愚禿釈の鸞」という名前でね、我が身のこととして仰って下さった、そういう一連の言葉として見ておきたいと思います。
これを踏まえて、次からは大きく話題は展開して行きます。聖道と浄土ということです。いただいたところに立って見ると、聖道仏教はどうなっているかという、ここからはかなり聖道仏教に対する厳しい言葉も並んできますが、逆に云えばここにしか、特に頂戴すると云ったここにしか、本当に迷いを超える道はないぞと、これを自分のお身内だけじゃなくて、お仲間だけじゃなくて、聖道門の人にも訴えていきたい、こういうお心が次の文章に繋がって行くというふうに思います。
一応今日はこの辺にさせていただきたいと思います。ありがとうございました。