『教行信証』の化身土巻を読む(40) 一楽 真 師
2019/ 07/26
三願転入の文に入る前に
化身土巻のだいぶ終りの方に差し掛かっておりますが、化身土巻は如来のご方便と親鸞聖人がいただかれておりまして、なかなか真実に出遇おうとしない私たちをあの手この手で真実に導いて下さる如来のおはたらき、これが如来の方便と云われます。方便化身土と云われる通り、私たちに分かり易い形を敢えてとって下さる。これが化身、化土でありますね。いまずうっと読んでおりますのは、第20願の問題を述べてくる中で最後の方に善知識釈、まぁ難信論とも云われますが、善知識のおはたらきによらないといけないという釈をずうっと読んでおります。大谷派の聖典の頁で云いますと、その最後の方の善導大師のお言葉でありますので、355頁辺りまで進んで来ております。20願というのは、念仏の教えをいただきながら、そこに自力を加えていくという問題であります。つまり念仏というのは仏を念ずるところに我々のいろんな思いや計らいから解放されていく、そういう道であるはずなのに、これだけしているから大丈夫だろうとか、長年やって来たことを誇る、あるいは同じ念仏するにしてもお経をよく理解している私の念仏の方が本物だろうみたいな、結局全部自分の功績として握っていくという問題があるんですね。それを破って下さるのは善知識のはたらきしかないという一段をずうっと読んで来ておるわけであります。善知識というのは分かり易く云えば、導いて下さる先生のことであります。しかしながら言葉を換えて云えば、私たちの思い込み、例えば私は正しく念仏しているんだということを破って下さるような、そんなおはたらきなんですね。だから善知識は優しく導いてくれるというふうに思わない方がいいわけで、例えば自分がいただいたことを語ってみると全然通じないとかですね、お仲間同志でも、それおかしいんじゃないかとか云われる。それによって問い直されるということも起きますよね。自分が先生と思ってない人でも、その人のひと言によって問い返されて、こちらが握っていたことが砕かれるということも起るわけです。だから誰が善知識だと、こんなふうに決めるわけにもいかないですね。勿論親鸞聖人の場合、法然上人が一番身近な方であった、これは否定できないことです。しかし法然上人を見た人がみんな善知識だと仰いだというわけではない。法然上人を仏法の敵だとまで批判する人もいらっしゃったわけですから。自分にとって仰ぐということ抜きに、善知識というのはどこにもないと云わなきゃならんでしょうね。そしたらどこで遇えるのかということになると、例えば親鸞聖人の場合、法然上人にお遇いになったのは29歳の時でありますが、それ以前からも法然上人のことは知っておられたでしょう。でも、なかなか行かないわけでしょう。ということは仰ぐまでに機が熟す時間がかかるということもありますが、気が熟してようやくその教えがいただけるということもあるわけであります。その意味で出遇ってみれば、あれもこれも全部大事なことだったなぁと、親鸞聖人にとって比叡山時代が無駄だったということはない。我々のことで云えば、いろんなことで迷ったり、いろんな回り道をしたりしても、出遇ってみれば、無駄なことはなに一つもない。しかし出遇うまでがなかなか難しいわけです。だからどこに善知識がおられるなんということは、決して決めることは出来ない。私にとって法然上人は善知識だと親鸞聖人は仰るでしょう、しかし同じように誰にとっても善知識たり得るか、これは別問題なんですね。善知識のおはたらき抜きに自分の思い込みが砕かれるということはないということ、これがずうっと長い一段であります。それで善知識釈の最後の方ですが、355頁の往生礼讃まではきちっと見たような気がします。「自信教人信 難中転更難」という言葉が出ておりました。今日はその続きの法事讃の文章、これもさらっと見ましたが、もう一遍見ておきたいと思います。法事讃の二文を振り返る
「また云わく、帰去来、他郷には停まるべからず。仏に従いて、本家に帰せよ。本国に還りぬれば、一切の行願自然に成ず。悲喜交わり流る。深く自ら度るに、釈迦仏の開悟に因らずは、弥陀の名願いずれの時にか聞かん。仏の慈恩を荷いても、実に報じ難し、と。また云わく、十方六道、同じくこれ輪回して際なし、修修として愛波に沈みて、苦界に沈む。仏道・人身得難くして今すでに得たり。浄土聞き難くして今すでに聞けり、信心発し難くして今すでに発せり、と。已上」こういう言葉であります。これは今まで読んで来た流れから云えば、善知識のおはたらきによって、その代表としてお釈迦さまの名前が今日のところにも出てますが、釈尊のはたらきによって仏法に出遇えたということ、いよいよ弥陀のおはたらきによって迷いを超えて行くということに立つことが出来た。これはある意味で喜びの込められたお言葉も、ここに見ることが出来ます。一応言葉を当たっておきますと、法事讃、これは基本的に善導大師が阿弥陀経をいただく形を定めて下さった、いわば儀式にまでして下さったんですね。善導大師はここがすごいところで往生礼讃という本は一日6回4時間毎にお参りをする。これはまぁ一日中阿弥陀の世界をいただいて行くことができる、それを4時間毎の法要に形にまで示して下さったということです。この法事讃、文字どおり法事と書いてますね、法のお仕事でありますが、これは阿弥陀経を例えば上座の者、導師でありますが、導師の云ったことを下座の者が復唱しなさいとか、導師の呼びかけに対して下座の者はこういうふうに応答しなさいというやりとりが書かれています。そうやって阿弥陀経の内容を頂戴していくという形なんですね。ただ面白いのは阿弥陀経は基本的に阿弥陀の世界をほめ讃えるということが主眼になっていますが、聞けば聞くほど、阿弥陀の世界について知れば知るほどどうなるかと云うたら、それに背いて生きていた我が身の罪の深さが見えるということが法事讃では展開します。つまり計る必要のない阿弥陀の世界、無量寿という世界を知れば知るほど物差しで計っていた有量の生き方、価値があるとかないとか、上だとか下だとかに執われていた日頃のあり方が見えてくる。これ本当に大事やなぁと思います。浄土の教えを聞くということは浄土に詳しくなることじゃないんです。浄土のことを聞けば聞くほど、それと逆になっている我々の迷いの世界、傷つけ合いの世界がはっきりするということです。だから法事讃は阿弥陀の世界を頂く、この阿弥陀経を読むことが修行になっているんですが、いただけばいただくほど自分の罪の深さ、その愚かさに気づかせられていくということなんですね。その中の一部を親鸞聖人はここに抜いておられます。これは教えに遇うたからということなんですね。始めが「帰去来、他郷には停まるべからず。」とありました。帰去来というのは陶淵明の有名な詩です。都での役人勤めを終えて田舎に帰ることができる、帰去来の辞という漢詩が大変有名なんですが、善導大師は敢えてその言葉を使っておられる。ただ陶淵明の場合はいよいよ田舎に帰れる、宮仕えを終えて故郷に帰れるという嬉しさを語っているんですが、善導大師は阿弥陀の世界に帰ることを云われます。生まれ故郷と云うてもね、私らも懐かしい面もないわけではないのですが、どんどん変わっていきますよね。親御さんが居られたころは懐かしい故郷でも、居なくなられれば、もう全然別の世界ということがあったりする。まぁ浦島太郎まではいかんかもしれませんが、ここはどこだと云わんならんようなことも起るかも知れない。これ大谷大学を出られた先輩方が昔の建物が一個も無くなったと云われる、赤煉瓦しか残ってないんですがね。これは大谷大学じゃないと、そこまで云われる先輩も中にはおられます。まぁ故郷というのは帰ってみたら、ここはどこなんだと云うようなこともあるかも知れません。善導大師は帰るべきは阿弥陀の浄土だということを云うために、「いざいなん」これは親鸞聖人の訓点であります。親鸞聖人は「さぁ帰ろう」というふうに読んでおられますね。「他郷には停まるべからず」つまり生まれ故郷であろうが自分のふるさとであろうが、それは他郷だと云ってるわけです。帰るべき本国は阿弥陀の世界だと、本来の国はそこだというわけですね。安田先生はこの辺のことをこう云っておられました。本当の意味での故郷、これは自分の田舎ということじゃないと、阿弥陀の国だったかと、これを求めて私は迷っておったと知らされる。そういう本国、ここでは本家という言葉も出て来ますね。「他郷には停まるべからず。仏に従いて、本家に帰せよ」と。そして「本国に還りぬれば」阿弥陀の国に帰ったならば、「一切の行願自然に成ず」云われております。これは仏道が完成するという意味ですね。「願」とあるとどうしても私たちの諸要求、さまざまな欲求が叶えられるのかと思ってしまいますが、そうじゃない。諸要求はどれだけ叶えても落ち着くことはないんですよ。根本の要求が満たされるというところに私たちは初めて落ち着くことができるのですね。これが仏道の願いが自然に成就するというふうに云われます。そこに「悲喜交わり流る」悲しみと喜びが交流すると書いてます。この悲しみとは何だろうか。いろいろ先輩方は解説しておられますが、教行信証の文脈では仏法に遇いながらそれに背いていく、そういう自分でしょうね。親鸞聖人は悲歎述懐ということを教行信証には2ヶ所ほど書かれます。悲しみというのは教えがありながら教えを聞こうとしない、結局ここで本国とか本家と云われているところへ帰ろうとしない、愚かな私ということです。仏法に遇いながらも結局娑婆の誘惑に振り回されていく、そんな私なんです。しかしそんな私を見捨てずに導くおはたらきがある、これに遇える喜び。これが悲しみと喜びが交流する、交わり流るという言葉になっていると思います。「深く自ら度るに」自分のことを思いはかってみると「釈迦仏の開悟に因らずは、弥陀の名願いずれの時にか聞かん」と云ってます。お釈迦さまの、閉じていたものを開く、そして迷った者を悟らせる、そういう教えの力によらなかったならば阿弥陀の名号の願、南無阿弥陀仏を称える、それによって迷いを超えて行けと教えて下さるんですが、その呼びかけに遇うことがなかなか起きないというわけです。最後に「仏の慈恩を荷いても、実に報じ難し」これは特にお釈迦さまのことを云うています。慈しみの恩でありますが、それをどれほど荷ってみても、誠に報ずることは難しいと。だからこれだけやったからご恩に報いた、そんなこと云えないと云うんです。どれほど報いても報い尽くせない、これほどお釈迦さまの開悟のお力は重いということを云ってます。この辺が善知識釈のまとめのところに置かれる理由でしょうね。代表させればお釈迦さまの教えのお力によらなければならんと云っているわけです。難得今已得 難聞今已聞 難発今已発
もう一つ同じように「また云わく、十方六道、同じくこれ輪回して際なし、修修として愛波に沈みて、苦界に沈む。」十方というのはどこに行っても、六道というのは地獄から天上界まで迷いの世界です。地獄は苦しみの極まりでありますし、天上界は楽の極まりであります。しかしそれは迷いを繰り返すということを「同じくこれ輪回して際なし」と云います。終りがないんですよ、尽きることがない、果てがない。天上界に上ったからと云って迷いを超えたわけじゃないんです。問題を先延ばししているだけなんです。「修修として」は長いという意味です。長い長い間、愛欲の波に沈んで、その結果苦しみの海に沈むと。愛欲というのは親鸞聖人のお言葉では貪愛、これは元々善導大師が使われた、貪り愛着と押えておく必要があると思いますが、欲しいものを掴んで離さないという愛着の心ですね。その波にいつも沈んで居る、その結果として苦しみがあるんです。次から次へと手に入れて、それがまた苦しみの種になるわけです。手に入ったことは今度は失う怖れに繋がりますね。だからどのようにしていても本当には落ち付けないということをこの言葉で云っています。そして「仏道・人身得難くして今すでに得たり。浄土聞き難くして今すでに聞けり、信心発し難くして今すでに発せり、と。」これは教えに出遇うことができたということ。甚だ難しいということが、前回読んだ「自信教人信 難中転更難」という言葉がありましたが、これが仏の教えの力によって、いま遇うことが出来たと云っています。面白いのは仏道・人身、これはどちらも得難い、しかしそれを今すでに得ることが出来たと云っている。浄土の教えは聞き難いんだけれども、いま既に聞くことが出来た。「信心発し難くして今すでに発せり」と云ってます。これピンとこられると思いますが、この辺の言葉が教行信証の冒頭の総序のお言葉と響きあってますね。一応念の為に確かめてみましょうか。総序の最後でありますが、親鸞聖人がなんと仰っていたか。聖典150頁3行目「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞き難くしてすでに聞くことを得たり。」とこういうふうに云ってます。この言葉と先ほどの善導大師のお言葉と重なり合って響いてきますね。これが教行信証を書く親鸞聖人の願いなんです。もう遇うことが出来た、こんな世界があったのかということですね。遇うまでは知らなかったんですよ。で、これに遇うのにどれほど時間がかかったか、いろいろ経巡ったかという思いがあるもんですから「遇いがたくして今遇うことを得たり。聞き難くしてすでに聞くことを得たり」と云っているでしょう。遇い難いとか聞き難いと云えるのは、それこそなかなか遇えなかったということがあるからですね。なかなか聞けなかったという実体験を潜ってますよね。遇えた人が云うんですよ、聞くことが出来た人が云うんですね。遇えないで難しいかどうか分かりません。遇うた慶びを思えば思うほど、どれだけ難しかったかということであります。明治の清沢満之という先生のお言葉にも「我が信念」という大変有名な絶筆、亡くなる前最後に、これを雑誌に投稿して亡くなって行かれるんですけれどね、その中に清沢先生は何を云ってるかというと、阿弥陀を信ずるということになるには自分の能力の思いが砕かれることが必要だったと仰っています。自力の無功ということです。そらそうですわね、自分で自分のことを助けられるとか、自分で問題を超えて行けるというような自信満々の時には、阿弥陀さんに助けてもらうなんていう心になるはずありません。阿弥陀を信ずるということには自力が無功であるということ、これに目覚めるということが不可欠だったんだと仰っている。ただそのことを「これが甚だ骨の折れた仕事でありました。」と云っておられます。いろんな壁にぶつかるんですけれど、それでも次こそはとかね、方法を変えればとか、やり方を換えればとかいうような思いがなくならないですね。自力では助からないという、これが甚だ骨の折れる仕事でありましたと仰る。これは自力が有功であることを捨てられなかった清沢先生のお言葉であります。これは絶筆でありますので、実際には39歳10ヶ月の時に書かれて11ヶ月で亡くなって行かれるんです。そのお言葉であります。だから遇い難いとか聞き難いというのは、出遇うことが出来た、それが甚だ骨の折れたことであったと仰る思いがここに詰まっていると思います。で、ここに書いてあるように「西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈」というのは、お釈迦さまを始めとする方々のお言葉ですね。西蕃はインドのことであります。月支というのは大月支国と云われる国が中央アジアにあったわけです、今でいうとウズベキスタン辺りですね。親鸞聖人はわざわざこういう国の名前を挙げて、そこを通って中国に入って来た仏教の辿ったという道筋を挙げておられます。インドから中央アジアを経て、そしてそこで大阿弥陀経とか平等覚経というお経に練り上げられて伝わって来るわけです。それを承けとめた東夏・日域の師釈というのは中国あるいは日本の先達の解釈であります。お経の受け止めを聞くことが出来た。でもさっきも云いましたが、浄土の教えは親鸞聖人が比叡山にいる時に、もう日本にも伝わっているんですよ。しかし親鸞聖人は、その時には阿弥陀によって助かるということを思わずに自分で磨き上げて助かる道に立っておられたわけです。その時には恐らく阿弥陀によって助けられる仏教というのは何か甘っちょろいと思っておられたんじゃないかと思います。阿弥陀さんお願いしますというような安直な道に見えていた、それより自分を𠮟咤激励して修行に励んで行くという道が本筋だと思っておられたと思います。それがとっくにあったのに出遇えなかったということも含めて「慶ばしいかな」と云っておられる。これは教行信証の冒頭でありますが、教行信証はどこから始まっているかと云うたら、慶びから始まっている。これ単に個人的な慶びではありません。それを我々に伝えるためにご苦労して下さった先達が西蕃・月支・東夏・日域という形でいらっしゃるわけです。そういう仏教の歴史に出遇ってくれという方々のお勧めに出遇うことが出来たという、ここから今度は親鸞聖人がその歴史に自分も参画する、自分もその歴史の一員となって勧めて下さっているのが教行信証やと思います。だから教行信証は親鸞聖人の個人的なお書き物じゃないです。長い歴史をかけて明かになって来た真実の仏教、誰の上にも成り立つ仏教を今度は後の人にお知らせしていこうとする、そういう使命を担った本だということを思います。だから最後こう云ってるでしょう。「真宗の教行証を敬信して」と。真宗の教行証を敬い信ずと書いてますね。親鸞聖人が書いてるんですけれども、親鸞聖人ご自身が敬って信じているところを書くんです。だから真宗という仏教を真実の教行証と云ってますが、これは親鸞聖人が開いたものではありません。親鸞聖人にまで伝わって来た長い歴史を懸けて明らかになって来た、そういう仏教なんですね。その時に「特に如来の恩徳の深きことを知りぬ」と仰ってます。これも釈迦弥陀二尊として云ってもいいかと思います。総序ですからね。しかし今読んでいる化身土巻で云えば、この如来は端的に云えばお釈迦さまということになると思います。しかし釈迦お一人に限定する必要はないと思いますね。お釈迦さまを始めとするありとあらゆる諸仏、十方の如来、恒沙の諸仏、これも入れていいと思います。更にその諸仏方を生み出す、まぁお釈迦さまを生み出した法は阿弥陀でありますがその根本として、阿弥陀の恩徳ということも仰いでいいと思います。この辺いろんな取り方ができると思いますが、直接的にはやっぱり釈迦を指すと書いてある本が多いと思います。でも釈迦お一人という話じゃないですよね。もし釈迦と云うなら、ここも釈迦と書けばいいんですよ。敢えて「如来」としている。お釈迦さまも如の世界から来て下さった、そういういろんなおはたらきをいただいている、それがここに込められていると思います。で、最後に「ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。」慶ぶという字と嘆ずるという字を書けば「慶嘆(きょうたん)」でしょ。慶嘆の書物なんですよ、慶んで、ほめ讃える、そういうお書物なんです。こんな世界があったかということです。こんな大事なことを今まで知らずに生きて来たのかということもある。まぁここは慶びが中心ですが、これが既にありながら背いて来たということを云うときには、さっきの「悲喜交わり流る」という悲しみの表現ということになるわけです。先ほどチラッと云いましたが、信巻にその悲しみのことを表現している文章があるので一応見ておきたいと思います。信巻の悲歎述懐
251頁139という番号が付いています。これは悲歎述懐と云われます。先輩方がこういうふうに名づけて下さったんですが、自らのお名前を挙げて、そしてその悲しみ歎きが表明されている部分だということですね。これは真仏弟子釈のまとめになるところなんですが、面白いですね。真仏弟子というのは如来より賜わりたる信心によって私たちに与えられる生き方であり、どこまでも信心の利益なんです。私が真の仏弟子の資格を具えると云うんじゃないんです。オレは今日から真の仏弟子なんだと威張る話と全然違います。安田先生の云い方に依れば、資格なくして加えられると仰ってました。真の仏弟子たる資格など私にはない、しかしサンガに召されるのだと、そういう云い方をしておられました。で、ここで何と云っているか。真仏弟子釈の結釈ならば、ここに慶びの表現を取ってもいいんですが、悲しみ、歎きという言葉が出ます。「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。」こう云ってます。悲しいことでありますと云った後に、自分自身を「愚禿鸞」と云ってますね。特にここでは「釈」の字が外されていることを先達は皆な注意しています。詳しくは「愚禿釈親鸞」でしょう。これは釈尊の教えに生きる者、仏弟子であるということを表明する時に、「釈何々」という名告りを掲げるわけですが、ここでは釈尊の弟子たり得ないという、安田先生の「資格なくして」と仰った言葉、その釈の字がここから外されているということです。「愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し」この愛欲は先ほどの善導大師のお言葉で「愛波」となっていましたが、これは愛着あるいは貪愛という言葉で押さえておきたいと思います。決して愛とあるからと云って、男女の性愛という問題じゃないんですね、そんな狭い範囲の話じゃありません。私たちは何に苦しんでいるかと云えば、自分に愛着するんです。自分の欲しいもの、これにずうっと愛着し続ける。だから物質の欲も入りますけれども、最後に「名利」という言葉が取り出されているように人からの評価、認められたいということ、これもなかなか強い愛着でしょ。いわばボクら睡眠欲とか食欲とか云うのも確かに強いですけれども、本当に自分が認められないとなったらもう食べる気もしないという状況になるんですよ。食欲よりも承認要求の方が強いかも知れませんね。食べる元気があるのは、なんかすることがある時です。しかし何もする気がしない、生きていても仕方がないとなったら、我々は食欲すらも失せていくということが起きますよ。ここ愛欲とか名利という言葉で云われますが、これは私たちの物に対する欲求よりも更に深いものを云ってると思います。でもその愛欲の広い海に沈没してと云います。深く沈んでいるのですね。で、「名利の太山」大きな山、太い山と書いてますが、名誉欲です。それによって利益を得ようとする、そこに迷い惑っていると書いてます。ただ大事なのはこの「悲しきかな」をここで切ってはいけないと私は思うんですよ。これだけだったら自分に煩悩があることが悲しい、愛欲名利という煩悩の心が消えない、情けないという話になるかも知れない。しかしそこに後半があるでしょう、そんな私を捨てない本願のはたらきがる。これが「定聚の数に入る」です。名利があるからと云って、愛欲の心があるからと云って除外するんじゃない。南無阿弥陀仏一つで必ず迷いを越せる道に立たせる。これ本願の力なんですよ。本願が我々を掴むんです。だから定聚の数に入るんですが、入っていながらそのことが喜べないんです。仏道に立ちながら、立たしめられながら、そこから外れて行こうとする。これが悲しいことの中味として云われていると思います。もう一つが「真証の証に近づくことを快しまざる」と書いてあります。真証の証というのは、真実のお覚りでしょ。これは阿弥陀の浄土に生まれるところにどんな者も迷いを超えて行くことができる、本当に完全にこの人生を燃焼して生き切ることができる、そういうところに近づいているんですよ。しかしそのことを喜べない、快しまないと書いてます。だから「悲しきかな」はここまでかかっているんです。単に煩悩があることが情けないという話じゃない。たまにそんなことを仰る方があるんですね、私は長年聞法しておりますが欲望が消えませんみたいな。人からよく思われたいという根性も直りませんと。しかしどこに直ると書いてあるんですか。直らない私たちのために南無阿弥陀仏申して生きていけという教えがあるんです。根性が直るようだったら、親鸞聖人が比叡山を下りる必要なかったでしょう。それを勘違いしてはいけない。この名利愛欲が消えない、でも消えない者を掴んで離さない者のために阿弥陀の本願がある。だから本願のはたらきによって正定聚の位に入るし、浄土の真実の証に近づくということも起るんです。それを楽しまない、喜ばない、これを最後に「恥ずべし、傷むべし」と云ってます。だからこの真仏弟子というのは、どこまでも本願のはたらきによって我々に与えられる生き方なんです。それを知らされていながら、またそのことが喜べない。やっぱりあっちがいい、こっちの誘惑も嬉しいみたいになっていくわけです。仏法に遇いながら、そこから外れて行こうとすることをここで悲歎述懐しておられるわけですね。だから「悲しきかな」という言葉がここに出るわけです。総序では慶びが先に表明されてましたね。そしてこの信巻で悲しみが表現されています。この二つを合わせて「悲喜交わり流る」というのが、先程の法事讃の表現になっています。ですからもう一遍355頁に戻りますと、これが善知識釈の結びに当たるというふうにお話をして来ているわけでありますが、やっぱり教えに出遇うことが、本当にその大事さを知らされたという意味で、ここに置かれていると思います。なんでかと云うと、ずうっとお話ししていますが、念仏のご恩をいただきながら、それを自分で握っていく、それを自分の功績にして行く自力の問題があると云いました。これは本願文では20願で暴こうとするおはたらきがあるわけですが、それを潜って我々が再び念仏に立たしめられる浄土の教えをいただき直すということが起る。これが善知識釈の結びのところにあると云っていいと思います。これずうっと繰り返すんでしょうね。直線的にもういただいたからあと大丈夫というわけにいかない。いただいたはずのことがまた世俗の方にも戻るし、自力の念仏するところにも戻ってしまう。行きつ戻りつしながら一歩一歩歩いていく、これ助かっていないじゃないかと見えるかも知れませんが、そういうふうに確かめ続けて、自力の心を離れていく、自力の心を離れるということが実際の歩みになるわけであります。横超釈を再確認する
ここで前回確かめておりましたが、本願の歩みというのは横超と云われますが、こんなことがありましたね。341頁、一応ここは19願の問題を述べる中で、二双四重の教判が出ておりました。聖道門・難行道に対して浄土門・易行道と云われる。その浄土門・易行道の中に、また「横超」と「横出」があるということを押えた上で、後ろから4行目[「雑行」とは正助を除きて已下をことごとく雑行と名づく。これすなわち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。]とあります。これ自力の努力意識に応答しながら掲げられるものに腰を下ろして行くあり方です。やっぱり自分の力で最後は迷いを離れようとする、これが念仏あるいは他力の教えに縁を持ちながらも自力に舞い戻っていくというあり方なんですね。それに対して横超というのは、本願のはたらきによって我々に起る超え方であります。[「横超」とは、本願を憶念して自力の心を離るる]と書いてあります。何遍読んでもすごい表現だなぁと思いますが、横ざまに超えるというのは、一気に超えると云ってもいいですし、我々の予定を破るような形での超え方なんです。予想なんかできないんです、この超え方は。こんなことが起るなんてと、起るはずのないような超え方が私の上に立ち現れるんですね。これを横超と云ってます。本願を憶念するところに自力の心を離れると云ってます。これは連体形になってますんで、敢えて云えば「離れること」と訳すことができると思います。つまり本願を憶念する、そこに自力の心を離れることなんです。でも離れてしまったとは書いてないでしょ。ましてや自力の心が無くなりましたとは云わない。生きている限りあるからです。あるんだけれどもそれに呑み込まれない、あるんだけれどもそれに振り回されない、これが「自力の心を離るる」というあり方であります。安田先生は自力というのは近すぎて見えんのやと仰ってました。だって日頃の生き方と一緒になってますから、丁度自分の顔が見えないのと同じ、あるいは自分の背中が見えないのと同じです。他人のことは分かるんですよ。あぁあの人は執われている、あの人はまた自力の念仏やと、人のことを批判するのは簡単ですが、そう云っている自分はどうなっているのかはなかなか見えない。だから離れるというのはちょうど鏡に映すように、ああこんな姿になっていたのか、こんな生き方になっていたかということが離れると象徴的な云い方をしますけれども、見えるということですよね。離れると云っても眼鏡を外すように自力を離れましたと云うわけにいかない。自力の心、執われの心があるということが見えたということです。これが本願のはたらきによるということです。でもそれは離れてしまったわけじゃない、ましてや無くなったんじゃない。だから離れ続けていく、自力のあり方を見続けて、認識し続けて、そしてそれによって呑み込まれることから解放されていくということなんですね。離れ続け、解放され続けてと、こんな歩みやと思います。これをまとめて[「横超他力」と名づくるなり]とありました。「これすなわち専の中の専、頓の中の頓、真の中の真、乗の中の一乗なり」専修の中の専だと。頓にはいっぱいありますが、その中でも最もたちまちに迷いを超えることができる教え。真と云ってる教えもいっぱいあるわけですが、その中の本当の真だと。誰もが乗ることができる教えの中でも、特に一乗。「これすなわち真宗なり」と云ってます。そして[すでに「真実行」の中に顕し畢りぬ」とありますので、内容はもう行巻。南無阿弥陀仏によって我々に迷いを超えるということが起きると行巻に云うてありますよ、と云うんです。でも行巻ではこの「横超他力」を主題として述べているわけではないですが、それはもう行巻で表わしたことですからと。南無阿弥陀仏、これによって我々に何が起るのかということが書いてあるわけですから。これが具体的に自力を離れていくというあり方ですが、さっき云ってましたように、もう離れてしまったから大丈夫ではなくて、離れてもまたそれに覆われて来る。ずうっと行きつ戻りつと云えばそうなんですが、円環運動ですね。何遍も執われることがあるから、またそれを離れていくということが今度また起きる。卒業というのは生きている限りないんです。でもこれ別に浄土真宗だけじゃなくて、卒業してしまったという教えは却って怪しいんじゃないでしょうかね。もう何年前になりますかね、永平寺におられた宮崎奕保というご老僧、104歳の時にテレビに出られましたね。104歳の雲水という番組がありました。元曹洞宗の管長まで務められた方です。その方がまた一介の修行僧に戻られたわけです。NHKの記者が、管長までお務めされた方がまた一介の雲水に戻られるのはどういうお心なんですかとお聞きになっていました。そしたら宮崎さん、すごいなぁと思ったのが、永平寺を開かれた道元禅師は座禅をしたら心が浄らかになると仰ったが、私はまだならないんだと仰る。ねぇ、それこそ永平寺で修行をある意味で完成なさったと見える方が、そんなことを云っていいのかなぁと思って聞いていました。でも、これは本物やと思いました。つまりやればやるほど執われの心を私は超越してしまいましたとか、分別の心も無くなりましたなんて云わない。そういう心が今でも出る。だからご飯炊いたり、掃除したり、座禅組んだりという雲水の行を重ねている。これは正に道元禅師が、ご飯食べることもお茶飲むことも喫茶喫飯これみな仏道だと仰った、生活の全部が仏道でしょう。だからこれを課題とすると浄土真宗の念仏して生きて行くというのと重なると思います。禅宗はどうしても出家の修行者というところがメインに見えるので、在家の信者にとっての道とは少し見えにくいところがありますけどね。やっぱりあすこに本来のものがあるとなると、行けない人はお導きに与かるという出家者と在家者の峻別というのが、どうしても立ってしまうということがあります。でも課題は重なっているなぁということは思うんですね。卒業してしまったという教えは怪しいとボクは思います。それでは何も変らんのかというと、そうじゃない。自力の心が問題だということは教えられたわけですから、それに呑み込まれることから離れ続ける。あるいは執われの心を中心にしたらとんでもないことになるということがはっきりしたわけですから、それが隠れてぼやけている時があるかも知れませんが、あぁまた執われて傷つけ合うようなことになっていた、また自分中心の愚かな生き方になっていたということを縁にして、いよいよ原点に立ち返って行く歩みが始まるわけです。だから教えに遇う前と、遇うた後は全然違いますよね。自力が問題だということが見えたのと見えないのとは違うんです。このことはよく云われるんです、念仏しても根性が直らんのやったら結局してもせんでも一緒やないですかとか、聞法してもケチクサイのも直らんのやったら聞法しても甲斐がないじゃないですかと云われる。それはやっぱり右肩上がりやと思うからですよ。なんかいい者になれというのが抜けないから、仏法もそうであってほしいと期待しているわけです。しかし人間の正体というのは根深いんです。30年や40年仏法を聞いたからと云って浄らかな心になってしまえない、分別も執われも無くならない。そこに開かれてくるのが、ここにもう一遍云われる喜びなんでしょうね。だから初めの出遇った喜びと同じようですが、もう一遍一潜りをしているわけです。自力の根深さを知る、これが本当に有難い、信じ難いという言葉に込められていると思います。それを潜っていよいよこれだということでしょうね。善知識釈の結びからご自釈へ
355頁の法事讃の2文目に戻ります。「また云わく、十方六道、同じくこれ輪回して際なし、修修として愛波に沈みて」とってつもなく長い間愛欲の波に沈んで苦海に沈む、それが我々の現実なんですね。しかしもう片方で、同時にと云った方がいいかな、「仏道・人身得難くして今すでに得たり」仏道を聞く身をいただいたということです。そして仏道を得ることが出来たと。そこに「浄土聞き難くして今すでに聞けり」仏道・人身というのは宗派を問わずいうことかも知れませんが、その中でも特に阿弥陀の浄土の教えに遇うことが出来た。そしてそれに頷きいただくことができたという意味で「信心発し難くして今すでに発せり、と」と。「発せり」ですから「発した」とも云えますが、これ「発った」んですね。自分に発るんですけれど、自分が発したとは云えない。まぁ信巻の云い方で云えば、如来よりたまわりたる信心ということですが、特に善知識のおはたらきから見れば、自力の心に沈んでいた者がもう一遍そこから呼び起される。自力の壁を作っていたのが破られるという形で改めて頂戴するということを云っている言葉だと思います。これが善知識釈の結びでありまして、これを承けて次に続いて行きます。[真に知りぬ。専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。かるがゆえに宗師(善導)は、「かの仏恩を念報することなし、業行を作すといえども心に軽慢を生ず。常に名利と相応するがゆえに、楽みて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆえに」と云えり。]と往生礼讃の言葉を挙げておられますね。本当に知りましたと。専修というのは形は専修念仏なんですね。ところがそこにいろんな心が雑っているわけです。つまり専修念仏というのは阿弥陀のことをいただく、阿弥陀の世界を受け止める。これが専修のはずですね。ところがそこにいろんな心が雑るわけであります。例えばこれだけやったから願い事が叶うんじゃないかと、自分の欲望をそこに投入していくわけです。それは阿弥陀さんを念じているんじゃなくて取り引きしてるだけでしょう。自分ほど真面目に念仏しているものはいないと、またそこに自力の心も介在してますよね。更には和讃で親鸞聖人は「現世をいのる」と仰います。これほど念仏して来たんだから現世利益、自分の願い事を叶えてもらえるはずだというのも全部雑行になっていくんですね。雑行と雑修、雑心とずうっと長いこと読んで来たわけです。これほど細かく云わなあかんかというぐらい云うてありました。それを振り返ることは止めておきますが、なんでこんなことを態々云うかと云うたら、親鸞聖人の周りには法然上人のお弟子がいっぱい居られたわけです。その方々は形は皆な専修念仏なんです。他の行もやっておられる方は少ないわけです。形は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と。正に法然上人が一日7万回となえておられたように、3万回とか1万回頑張っておられる人がおられるんですよ。ところがその心根はどうなっているのか、ということです。それは結局私ほど念仏している者はいないと自慢した途端に、それは阿弥陀を信じているんじゃなくて自分を威張っているだけでしょう。これでは助からないんですよ。だから「専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず」と書いてます。面白いですね、大慶喜心。大きな慶びの心は得られないと、でも小さな慶びはあるんでしょうね。小慶喜心という言葉はありませんけれども、大慶喜心を得られないというのは、やっぱりちょっとした喜びはあるわけです。いつも悪い例で云いますが、たまに仰る方があります、私は聞法してきたお蔭で家族みんな平穏無事で病気もしませんみたいな。喜んでおられるので、良かったですねとは云うてるかも知れませんが、結局それは家族がいま問題を抱えておったり病気で苦しんでいる人をどこかで貶めているわけでしょ。あんなふうにならなくて良かった、あんなお家じゃなくて良かったと誰かを下に見て喜んでいる。これは本当の喜びとは云えませんよね。でも往々にしてそういうことは起るんです。たまたま縁が整って都合のいい状況が来ているだけなのに、これは長年私が聞法したおかげでしょうか、やっぱり毎日お仏壇にお参りしてきたお蔭ですよね、みたいなことを云うてしまう。慶びがないとは云いませんが、その慶びは本当の慶びとは云えませんよね。そういう意味で形は専修であっても、その心根が問題なんです。心に阿弥陀を念ずるんじゃなくて、あれを手に入れたい、これが期待できるというような取引の根性がある。それは全部が本当の慶びとは云えないということを親鸞聖人は仰るわけです。
信巻の大慶喜心
この大慶喜心については前にも二つ紹介していたかと思いますが、この言葉どこにあるかと云うと212頁。これ遠く信巻からずうっと息の長い文章なんですね「たまたま浄信を獲ば、この心顛倒せず、この心虚偽ならず。ここをもって極悪深重の衆生、大慶喜心を得、もろもろの聖尊の重愛を獲るなり。」と云ってます。「たまたま浄信を獲ば」は如来よりたまわりたる信心のことです。本願のはたらきによって我々に起る目覚めなんですね。これを獲ればもうこの心は決して引っ繰り返ることはないと云うんです。逆に云えば、我々はいつも逆さまなんです。大事なことを大事だとも思わずに、大事でないことを大事だと思い込んでいる。「この心虚偽ならず」この心はうそ、いつわりではないと云ってます。だから本当に大事なことをいただいていくと共に、嘘偽りでない真実を頂戴していくわけですね。それをまとめるところに「ここをもって極悪深重の衆生」と云ってます。これわざわざこの言葉を入れてますね、十方の衆生といってもおかしくないでしょう。一切衆生とか一切の凡夫とあっても全然おかしくない。でも誰がこれをいただくのかと云ったら「極悪深重の衆生」と態々この言葉を入れておられます。誰のための本願かということです。やっぱり自分中心にね、傷つけ合うたり苦しめ合うたりしている者が、こんな道があったか、こんな世界があったかという大きな慶びを頂くことができると云うんです。それを本人が慶ぶだけでなくて「もろもろの聖尊の重愛を獲る」と書いてます。これは十方の諸仏です。そういう方々が重い愛、愛というのは愛でて大事にする、さっきの愛着の愛と違いますよ。愛の波の愛と違います。あれは煩悩のことですが、この重愛というのはめでたい、大事にしたい、本当に大切にして行ってくれよという、護って下さるお心です。重というのは重なるとも読みます。何重にも護って下さる、そういう諸仏に護られた生き方が始まると云ってもいいですね。ここに大慶喜心ということが云われています。だからこれずうっと信巻で、大慶喜心とか十方の諸仏に護られるというようなことが既に出ているわけですが、これがもう一遍化身土巻に来ると、たとえ形は専修念仏であったとしても、いろんな心根が雑っている者は大慶喜心を獲られませんよ、と云っている、こういうお言葉であります。これが一応善知識釈の括りとして、我々の自力の問題をここでは雑心というふうに押さえている、それでは本当の慶びは得られないということを押えていると見ておきたいと思います。(休憩後、再開の出だし部分録音遅れで欠落)
真門の四失
・・・姿として親鸞聖人は受け止められたということでしょうね。一つ目として別に区切る必要ないんでしょうが、昔から四つに分けて述べられていますので、始めの一つが「かの仏恩を念報することなし」とここで一区切りであります。二つ目が「業行を作すといえども心に軽慢を生ず」です。まぁこれ善導大師の元の文章では「心に軽慢を生じ業行を作す」そして「常に名利と相応する」と、ちょっと語順が変っているんですが、親鸞聖人が敢えて替えられたのか、断定はできませんが、さまざまな仏道の行を為すのだけれども心に軽慢を生ずと云ってます。軽慢というのは軽んずる、侮るということでしょう。やっぱりなんか比べる心ですよね。人と比べて自分の方がやっとるとなれば人を軽んじていく、侮るということにもなります。でも逆もあります、誰かと比べることによって自分は全然ダメやと云ったりね。でも南無阿弥陀仏は人と比べるネタではないんですね。阿弥陀の世界に触れさせていただく、出遇わさせていただくということが念仏の要であって、そこに比べる心からの解放があるはずなんですが、そこに軽慢ということが生じてくるということです。その結果として名利と相応すると。名利というのは偉そうにしたいということもあるし、えらくなりたいけれどなれないという、そっちの方で腐って行くということもあるでしょうね。だから名利というのは威張っている人だけじゃないんですよ。クシュンとしているところにも結局名誉欲で苦しんでいるということあるんですね。軽慢も人を軽んずるだけじゃなくて自分を軽んずるというふうにも読めます。まぁ親鸞聖人のこの書き方だったら「かの仏恩を念報することなし」ということを全体で代表させて、その理由を後で何々のゆえに、何々のゆえに、何々のゆえにと三つ続くと見ることが出来ます。一つ目はいま読みました。二つ目が「人我おのずから覆いて同行・善知識に親近せざるがゆえに」とあります。人も我もおのずから煩悩に覆われていく、人間の思い計らいに覆われると云ってもいいと思います。総序の言葉を借りれば「疑網に覆蔽せられ」とあるでしょう。疑いの網に覆われる、こんなことしていて助かるんかいなと。南無阿弥陀仏と先生は勧めてくれるけど、ほんまかいなみたいな。こんなものに覆われていくわけです。だから同行にも善知識にも近づかないと書いているでしょ。お念仏するお仲間があっても、あの人とわたしは違うみたいなということになる。まぁ仏道の歩みが止まっていくようなことがあるわけです。それが二つ目の「ゆえに」ですね。三つ目の「ゆえに」が「楽みて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆえに」です。「このみて」というのは「楽」という字ですが願うという意味です。「雑縁」ですから仏法以外の縁です。いわば世間の勝ったか負けたか、得か損かという縁はあっという間に私たちを呑み込んで行きますね。そっちに近づいて行く。比べる必要のない世界に立って迷いを超えて行こうということがどんどん見えなくなっていくというのが、往生の正行を自ら障るだけでなくて、他をも障えていくと。だから、折角大事な道に立ってる人がいても、その人を馬鹿にしたり、あんなことで助かるかいなと云って、助かる人の足を引っ張るようなことが起るわけであります。で、いま一応四つに区切りましたけれども、親鸞聖人の読み方では「かの仏恩を念報することなし」という、このところに代表させておられるように思います。仏のご恩をいただかない。なんでかと云えば、自分の思いが先立つからです。これだけしてるのになんで助からんのやとかね、いろんな思いが湧いてきますよ。その理由として「業行をなす」まぁこれは念仏と云ってもいいです、念仏を為すんだけれども、心に軽慢を生じて常に名利と相応するからだと。二つ目が「人我おのずから覆いて同行・善知識に親近」しないからだと。そしてこのんで雑縁に近づいて、往生の正行を自障障他するからだと。こういうふうに始めの一節に代表させて、後の三つを理由句として読むようにしてますね。これも前にちょっと説明しましたが、善導大師の元々の往生礼讃では専雑の得失として全部で13並ぶ、その中の後の四つであります。まぁ専修と雑修ですが、専修念仏かそれともいろんなものをまぜこぜに修して行くかという専修と雑修、これで得られるものと失うものという意味で、専雑の得失と仰います。専修の得
先に得の方から見ておきますと、これは親鸞聖人は同じ往生礼讃なんですが行巻に引いておられますね。聖典の174頁8行目、大変有名な言葉です。「しかるに弥陀世尊、もと深重の誓願を発して」と。これは阿弥陀仏が四十八願を発されたということを云っているのですね。「光明名号をもって十方を摂化したまう。」と。四十八願を発されるんですけれども、特に光明と名号をもって十方衆生を摂め取って下さる、教化して下さるわけです。だからそれを受け止める「ただ信心をして求念せしむれば」それを頷いて阿弥陀の浄土を求め念ずるならば「上一形を尽くし、下十声・一声等に至るまで」と。「一形を尽くし」というのは一生を懸けるような念仏です、これが一番多い方ですね。少ない方は「十声・一声」とあります。たった十遍の念仏、たった一声の念仏、これでも助かると云うんです。それを「仏願力をもって往生を得易し」と云います。「このゆえに釈迦および諸仏、勧めて西方に向うるを別異と為ならくのみと。」特別なこと、他と異なることと為して下さったと。いろんな教えを説かれたけれども、特にこれが大事だ、阿弥陀に出遇え、阿弥陀の名前によって助かって行けと、こういうことをお勧め下さったということなんですね。これが釈迦・諸仏の願いであります。そして「またこれ余仏を称念して、障を除き罪を滅することあたわざるにはあらざるなりと、知るべし。」決して他の仏さまを軽んじているということじゃないので、こういうことが付け足されています。この辺が善導大師が浄土の教えを立てていく時のご苦労ですよね。法然上人・親鸞聖人までくれば、流罪にも遇うてますので、ある意味で云いたいこと云うとかんならんということになるわけですが、この頃は一般の修行して覚りを開く仏教が全盛期ですから、そんな時に阿弥陀だけを云うというのはいかがなものかという批判があるのが分かってますから、決して他の仏を軽んじているわけじゃないということを付け加えなければいけないのですね。そしてその後、「もしよく上のごとく念念相続して、畢命を期とする者は、十即十生、百即百生なり。何をもってのゆえに。外の雑縁なし、正念を得たるがゆえに、仏の本願と相応を得るがゆえに、教に違せざるがゆえに、仏語に随順するがゆえなり、と。」これが専修によって得られるものを云うのですが、念々相続ですから、一声々々阿弥陀を念じて、それが続いて行く、それが一生涯に亘るということを「畢命を期とする」と云ってます。でも「畢命」と云ったって何歳までとか何年間という話じゃないでしょう。一人ひとりが命終えるまでという話ですから。それこそ期間の長さじゃないんですよ。生きている限り阿弥陀を念ずるということを大事にして下さいということを「畢命を期とする」と云っている。そこに十は即ち十ながら生じ「十即十生」、百は即ち百ながら生ず「百即百生」なりと。一人も漏れない、これが専修の得なんですね。そして以下、専修がこれだけの内容を持っているんだということが押さえられているわけです。雑修の失
で、これと並んで出る文章を、親鸞聖人は今度は化身土巻に引くわけです。今度は雑修によって失われる念仏以外のもの、もっと云えば、阿弥陀以外を念ずるところに失われるものを云う、これが化身土巻に引かれています。それが337頁でありました。これももう前に読んで来たところです。化身土巻に入って、もう何年ぐらいになるのでしょうね。あっという間ですね、本当に。3年ぐらい前にここを読んでいたのかも知れません。第19願の問題として云われるんですが、ちょっとだけ読みますと1行目から往生礼讃、「また云わく、もし専を捨てて雑業を修せんとする者は」と。これが雑修ということを云ってます。念仏以外のものを修しようとする者は「百は時に希に一にを得」と。ちょっとこれ遠慮してますね。百人いたら一人か二人は得られるであろう。「千は時に希に五三を得」と。千人居れば五人か三人は得られるかもという話です。でも本当のところは千中無一、千人の中に一人もなしという言葉でいいみたいですよ。善導大師は雑修では助からんということを云いたいんですが、少ないということを云います。それに対して「何をもってのゆえに」と云って「いまし雑縁乱動す、正念を失するに由るがゆえに、仏の本願と相応せざるがゆえに、教と相違せるがゆえに、仏語に順ぜざるがゆえに」と。これがさっき専修のところで全部「するからだ」とか「しないからだ」と云ったのとは逆のことが云われてますね。その後に五つ付け足してあります。「係念相続せざるがゆえに」念を係けることが相続しない。「憶想間断するがゆえに」これは阿弥陀を念ずることが途切れていくわけです。「回願慇重真実ならざるがゆえに」願いをめぐらせて浄土に生まれようとする心がねんごろじゃない、真実じゃないんですね。「貪瞋諸見の煩悩来り間断するがゆえに」煩悩によって念ずる心が途切れていくわけです。「慚愧懴悔の心あることなきがゆえに」。こういうふうに云われて九つなんですね。そして「懴悔に三品あり」と云って、これは親鸞聖人は後にある「三品の懴悔」ということをここにくっつけて、引いておられます。勝手なことをするなと見えるかも知れませんが、「懴悔に三品あり」善導大師は後で詳しく述べますからと云ってるんです。その後で詳しく述べてあるものを、親鸞聖人はここでくっつけておられるんですね。でもこんな文章でなくて「懴悔に三品あり」後で詳しく云いますと云った後に続くのが先ほど読んだ雑修の最後の四失であります。もう一遍戻ります、355頁。全部で13の雑修の過失がありますが、そのうちの9つが今の第19願の問題で云われる。そしてあとの四つが特に第20願の問題で云われています。第19願の問題というのは、念仏に立つのかそれ以外の行を修するのかという、行がまぜこぜの話なんですね。で、第20願の問題というのは、形は専修念仏なんです、しかしそこに自力が雑ざるという問題です。だが善導大師はその二つを区別しておられない。どちらも雑修の13失と云うんですが、九つを第19願の問題のところに出して、後の四つは第20願の問題なんです。これは親鸞聖人の読み取り方なんですね。ですから355頁後ろから3行目の「専修にして雑心なるもの」は、一応形としては専修念仏、しかしその心はべつのことを念じている、だから念仏になっておらんということなんですね。これを明らかにするのが第20願の呼びかけであります。まぁまとめれば全部自力の心なんですよ。自分の思い計らいを優先している問題なんです。しかし念仏とそれ以外の行をまぜこぜに修するということと、念仏一つというところに立ったというところにも残る自力の問題、これ重なっているでしょう、どうでしょう。私たちは第19願はもう卒業しましたと云えますかね。念仏の教えをいただくようになってから、私はもう雑行には心を奪われませんとなりますかね。だから第19願の呼びかけを通して念仏一つにまた立ち返るということも要るんですよ。第19願は卒業と云えるのかという問題があります。で、第20願の問題は、もっと尚更ですわ。さっきから申し上げているように、念仏一つやと云うていながら、オレの念仏の方が本物やとか、アイツはたいしたことないとか、やるんですから。これは阿弥陀を念じているとは云えないでしょう。この自力の問題は一番最後まで残る心の襞の細やかなところにある自力の問題です。これが浮き彫りになると見て、もう一回読んでおきますと、[かるがゆえに宗師は、「かの仏恩を念報することなし、業行を作すといえども心に軽慢を生ず。常に名利と相応するがゆえに、人我おのずから覆いて同行・善知識に親近せざるがゆえに、楽みて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆえに」と云えり。]と、こういう言葉でありました。
化身土巻の悲歎述懐
これを承けて「悲しきかな」と。今日は信巻の悲歎述懐をさっき見ていただきましたが、今度はここで第20願のところで「悲しきかな」と云うておられます。ただここは親鸞聖人お一人の名前ではありません。「悲しきかな」の後、「垢障の凡愚、無際より已来、助・正間雑し、定散心雑するがゆえに、出離その期なし。自ら流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。良に傷嗟すべし、深く悲歎すべし。」と、こういう呼びかけの言葉として置かれております。この内容は、親鸞聖人が云っていないとは云えないでしょうね。名前がないからと云って親鸞聖人は他の人に云うているだけやと、そんなことにはならないと思います。やっぱり自らをも含めてここに悲しみ歎くということがなされてあるわけでありますが、「垢障の凡愚」というのは垢に障えられているということでしょう。貪瞋痴というのは「三垢」とも云われますね。貪愛、瞋憎そして無明でありますが、垢というのは正に分かり易い喩えです。私たちにくっついているんですよ。それを身体の垢なら風呂へ入って落とせるかもしれませんが、心の垢とかね、物の見方の垢はそう簡単に落ちないんですよ。今日から心入れ替えますなんて云っても全然、一向に変わらない。その垢に覆われているような者、これを凡愚と云ってます。そして「無際より已来」ですから、いつから始まったと云えないほど、これ始りがないんですよ。これは後の話とも関係しますが、曽我量深先生が三願転入のことを云うときに、第19願の自力のあり方と云うのは、始めはないけど終りはあると仰ってます。諸行に別れを告げる日は来るんだと云うんですね。しかし、いつから迷ってましたかということになったら、無始よりこのかた無際よりこのかたとしか云えないわけです。たとえば自分のことで言えば、この世に生まれてくるのは何年の何月何日という誕生日があるわけですが、生まれた世界が始めっから勝ったか負けたか、損か得かという迷いの中でしょう。だから学ぶということ、これは世の中の考え方を身につけていくということになって、何千年か何万年か続いてきた、そういう考え方に染まっていくわけですよ、いつからでしょうね。これはやっぱり言葉を憶えるあたりでしょうね。生まれたての赤ちゃんというのは、そんなことを超えた本能の世界に生きていると思いますが、好きか嫌いか、あれは欲しい、これは要らないと云い出すようになる。その辺りから迷いの世界に呑み込まれる。その迷いの世界に一旦立ち入ったら、それはもう何時が始めとも云えない「無際より已来」あるいは無始より已来という迷いなんですよね。だがその迷いには終りが来るんだと仰る。これは後の三願転入の話とも関係します。しかし聞法というのは、そこからいよいよ始まる。そういう意味では第20願に卒業はないんですよ。第20願で自力のあり方を見つめ続けて行くというのは、始まりはあるけれども終わりはないんです。だから本願に帰したというのはスタートであって、本願に帰したところにもう自力の心は消えましたと、そんな話じゃないですね。これは三願転入のところで、もう少し詳しくお話したいと思いますが、始まりのないような時から、この迷いを繰り返して来たということを云うわけです。その時に「助・正間雑し」というのは、迷いを超えていく行の中で、特にこれは第20願の問題を承けてますから、正定業と助業をまぜこぜにしているという問題ですね。まとめて書きますが、読誦、観察、礼拝、讃嘆供養の四つの助業に対して、称名念仏が正定業だと云われるわけです。助業はどこまでも正定業を助けるものです。だからお経を詠むことも、仏像を見ることも、それを通して阿弥陀の世界に思いをはせることも、阿弥陀仏を礼拝することも、そしてそれを通して阿弥陀仏をほめ讃えることも、全部助業だと云います。どこまでも称名念仏が迷いを超えていく、正しく往生して、親鸞聖人で云えば成仏していく行いだと云われる。ところが私たち読誦も、観察も、礼拝も、讃嘆供養も分かり易いもんですから、お経読むだけでなくて写経もね、やったらしたという満足感に繋がりますよね、お寺もいくつもお参りに行ったとなったらね、何十何ヶ所みたいに行ったりすると、達成感がありますよね。だからこれ助業であるのにメインになり替わってしまうんですよ。これを助正間雑と云ってるわけです。何によって助かるかということが結局分からなくなる。これは私たちの努力目標になり得るからでしょう。宗祖による助・正の峻別
称名というのは教行信証ではしつこく云われてますが、名前を称えるということは、仏の呼びかけを聞くことなんですね。決して私たちが何回称えてやったという話じゃないんですよ。これは化身土巻でしつこく書かれていました。「名号を除きて已外の五種」と書いてありました。普通は助業四つと正定業一つに分けるんですが、親鸞聖人は私たちが達成目標とするような称名念仏は雑行だと云うんですね。場所だけ確かめておきましょうか。341頁でした。これが親鸞聖人のこだわりなんです。後ろから5行目。[「正」とは五種の正行なり。「助」とは名号を除きて已外の五種これなり。]とあります。五種の正行というのは、読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養の五つなんですよ。これは善導大師の括りですから分かるんですが、その後の[「助」とは名号を除きて已外の五種これなり]と云っている。これ称名と書かずに名号と書いてますね。名号を除いて已外と云いますから、称名念仏も実は助ける行ないなんだということを云おうとするために、こんな云い方をしているんです。だから名号というふうに云うとすると、これは正しく本願が私たちに名告ってくる。号の字は虎を付ければ「號(叫び)」でしょう。虎が叫ぶと云う。本願が私たちを呼んで下さるのが南無阿弥陀仏なんです。阿弥陀仏に南無せよと。何遍称えてもそれは私への呼びかけなんですよ。だから行巻ではこれを親鸞聖人は大変重視しておられます。私が称えたと云うけれど、称えたということは阿弥陀さんから呼ばれたということなんです。呼び声を聞くということがなかったら、結局私は今日10遍云いましたとか、昨日は百遍云いましたみたいな、結局助業にしてしまうのですね。親鸞聖人は名号以外の五種というのはこれを入れて助業と云ってます。でも言葉の約束事からすれば、善導大師はこの四つが助業で、称名が正定業だと云ってます。正と助をまぜこぜにするのは結局聞くべき南無阿弥陀仏を自分の積み上げる行のように思っている、こういう問題ですよね。356頁に戻りますと「無際より已来、助・正間雑し」と云ってます。要するに何によって迷いを超えるか、何が本当の迷いを超える行なのか、これが分からなくなっているということです。繰り返しますが、本願が呼び掛けて下さる、本願のはたらきかけが私たちを迷いから超えさせるんですよ。そうでなかったら私が10遍南無阿弥陀仏を云いまいた、これでOKですかと、そんな話と全然違うでしょう。あるいは私はお経を沢山読んで理解してから称えてますから、私の念仏の方が本物ですみたいな、そんな偉そうな威張る話になったら、それこそ南無阿弥陀仏すらも人の上に立つための材料にしてしまいます。違うんです。阿弥陀の世界をいただく、比べる必要のない世界に出遇わしていただく、これが南無阿弥陀仏の要のとこなんです。だから助正間雑というのは、何によって迷いを超えるかが分からなくなっているというあり方ですね。それから「定散心雑する」というのは「定善」と「散善」、いわば心が定まって行う善と心が散漫なままでも行う善、その心の状態には「定」と「散」の違いはありますが、どっちにしろ善いことを積み上げて行くという心です。これが念仏にも雑ってくると云うわけです。だから私は南無阿弥陀仏してるということは、本願の呼びかけを聞くことのはずなのに、私は今日も善根功徳を積みました、何年も積んできましたみたいな。これはまた結局自分の方の善根を当てにする心に落ちて行くわけです。だからそんなことでは助かりませんよと云ってるのが「定散心雑するがゆえに」の後に「出離その期なし」と。迷いを離れていく、迷いのあり方を出ていく、それがいつの時か、あり得ない、期待も出来ない、そういう時もなければ、そういう望みもない。そして「自ら流転輪廻を度るに」迷いのあり方を計るんだけれども「微塵劫を超過すれども」どれだけ長い微塵劫という時間をかけたとしても「仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。」と書いてます。なんでかと云えば、本願に帰しがたいのは当り前ですわね、自分の努力を当てにしようとしているからでしょう。阿弥陀さんに救ってもらおうとはしてないんです。阿弥陀によって助けてもらうということに決まってないんです、自分がどれだけやったかです。だから仏願力に帰しがたい。だからその本願に頷く大信海にも入りかたいと書かれてあるわけです。で、ここで「難い」ということが、下の段を見ていただくと「叵」の字を使ってますね。音読みで「ハ」、訓読みで「カタシ」です。これは可能の「可」を引っ繰り返した字だと漢和辞典では説明されてます。可能の「可」を引っ繰り返したということは不可能ということです。だから「カタシ」と云いたいときに「難」の字も書かれますが、親鸞聖人は特にあり得ないという意味で「叵」の字を使っておられます。まぁ厳密な使い分けがあるかどうか、それもなかなか難しいところです。場合によっては「叵」と「難」を両方使っておられる場所もあります。でも少なくともここは、本願のおはたらきに帰すこともあり得ないし、それに頷くこともあり得ないとかなり強調した言葉です。だから「良に傷嗟すべし、深く悲歎すべし」と悲しみ歎くという字が書かれているのはそのあり方だということですね。これは不真面目な人という意味じゃない。一所懸命念仏称えてるかもしれません、しかしその一所懸命ということが結局自分はやってるんだというところに腰を下ろして行くわけです。それでは助かりませんよ、そのあり方を悲しんで下さい、傷んで下さい、歎いて下さいと云ってるわけです。三毒段の「甚だ傷むべし」
でも、この傷嗟とか悲歎というのは実は如来に既に歎かれているからなんですね。その如来の歎きをいただくということでしょうね。この悲しむとか傷むという字がどんなことろに出るか、お経で少しだけ見てみましょうか。無量寿経の三毒段を開けていただきますと、58頁から三毒段が始まります。下の段の2行目。「然るに世人、薄俗にして共に不急の事を諍う」と。これは貪りに呑み込まれているあり方が傷ましいということをお釈迦さまが説いておられる部分です。お釈迦さまはこの世間のあり方を見てこうなっているぞと云うんですね。薄俗というのは文字通り薄っぺらいとこしか見ていない、俗というのは世俗の価値観です。得か損か、勝ったか負けたかと、それに流されています。で、お互いに「不急の事を諍う」急がなくてもいいことを諍っている。これが傷ましいということを云うのが、三毒段の一番目、貪欲の咎ですね。貪りによって、こうなっとるということです。左の頁に行きまして、今度は瞋りによってどうなっているか。これが下の段後ろから7行目、「世間の人民、父子・兄弟・夫婦・室家・中外の親族」家族と親族が「当に相敬愛して相憎嫉することなかるべし」と云ってます。お互いに敬い合って大事にして、憎んだり嫉妬したりすることがないようにと云ってます。ところが現実は逆だと云うんですね。家族であるほど憎しみやら瞋りの心というのはね、例えば他人なら見過ごせるんだけれども家族やったら見過ごせないということがあったりする。その傷ましさがここにざあっと書いてあります。いつまでそんなこと繰り返すのかと。それでもう一つ。いまのが瞋り憎しみの咎ですが、今度は60頁の後ろから5行目。「かくのごとく世人、善を作して善を得、道を為して道を得ることを信ぜず」こんな言葉から始まっています。これは愚かさ、愚痴の咎なんですね。無明という言葉の方が分かり易いかも知れません。本当のことが分からない生き方なんですね。これをまたずうっと云っておられます。そういうことを述べた後にまとめて仰っているところが61頁の後ろから4行目。「哀れなるかな。甚だ傷むべし」こんな言葉が出て来るでしょう。こういうことを傷んで下さいとお釈迦さまが呼びかけているんです。「ある時は室家・父子・兄弟・夫婦、一は死し一は生ず。かわるがわる相哀愍す。恩愛思慕して憂念結縛す」と。誰もがお別れして行かんならんのです。そういう時に本当に悲しくて憂いの心が湧いて来ると書いてあります。で、ちょっと進みますが、それをまとめるところ、62頁下の段の後ろから6行目「その中に展転して数千億劫なり」迷いに止まって、なかなか出られないということです。数千億劫も出られない。そして「出ずる期あることなし」さっき「出離その期なし」という化身土巻の言葉を読みましたが、親鸞聖人は本当にお経が全部ご自分のことになっとるぐらい読み抜いておられます。そして「痛み言うべからず。甚だ哀愍すべし」この痛みは本当に云うことが出来ないと。このことを悲しみ哀れむべきであると。このことを更に詳しく云うのが五悪段として展開します。まぁ大経というのは恐ろしいほど、この世のあり方を云い当てておりまして、学生とここを輪読しておりますと、」なんでボクのことを知っとるんやと云うてくれた学生があります。2500年も前のお釈迦さまのお言葉やのに、ボクのこと見てるみたいやと云うてくれました。それぐらい現代にも通ずる我々の姿なんですが、このことを承けて親鸞聖人は「良に傷嗟すべし、深く悲歎すべし」というふうに呼びかけておられるんですね。世間ではそれは問題にされないかも知れません、世間というのは本当にもっともっとという心と、足を引っ張り合うたり、比べ合うたりということが普通になっておりますから。しかしそんな生き方をいつまで続けるんだという中で、歎きなさいということが云われているわけです。この悲歎述懐という、親鸞聖人もこの中に居られる。すべしと云うてますけども、人に対してというよりも自分自身にも聞いている言葉、それはさっきも云いましたが、お釈迦さまが哀れむべし傷むべしと云ってるわけですから、その言葉を親鸞聖人も仏のお言葉として頂いたのがこういう表現になっていると思います。そしてそれを最後にまとめる形で、「おおよそ大小聖人・一切善人、本願の嘉号をもって己が善根とするがゆえに、信を生ずることあたわず、仏智を了らず。かの国を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、報土に入ることなきなり。」と云うてあります。「おおよそ大小聖人・一切善人」と、これ面白いですね。大小聖人というのは大乗の教えに縁を持って修行している聖人、そして小乗の教えに縁を持って修行している聖人。いわば仏道の修業をしている人をここでは聖人と云ってるわけです。それに対して「一切善人」というのは凡夫のことでしょうね。特別な修行をしてる者でない者、これを云ってるわけであります。面白いのはここに悪人が入っていないでしょう、悪人がないんですよ。悪人というのは善を誇ることは出来ませんよね。だからここでは敢えて抜いておられる。いわば修行することを当てにしようとする者、あるいは自分が善を為したことを頼りにしようとする者、そういう者のあり方を歎いていると云えます。でも悪人というのはそういう意味で云うと、悪人を自覚したところには、もう既に本願によるしかないということに決まるという面もありますね。これを正面切って云っているのが歎異抄の第3章ですね。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」と。あの悪人は世間で云う悪人ではなくて、本当に自分は悪人であるということを知った人のことです。だから他力を頼みたてまつる悪人というように後では云い直されています。それに対して善人は「自力作善の人」と云われています。要するに自分の力で善を積んでいると思っている人、その人は阿弥陀によって助けられようという心が欠けているというのが歎異抄です。だから悪いことをした方が助かり易いですよという意味じゃないんです。自分は助かる道はないということを自覚した人は本願によって助かる、これは当然の道理だということを云っているのが、悪人はなおさらだと云ってるだけなんです。そういうことを自覚しない者は善人のあり方を一遍翻す、そのあり方に行き詰まって、悪人ということを知ったところにみちは開けるんですね。歎異抄というのは言葉尻だけを取ったらなかなか読み難いと云うかね、受け取りにくいところあるわけですが、ここで面白いなぁと思うのは、すべての者と云うのならば一切の善人も悪人もと云ってもいいんですが、そうは云わない。悪人は自分が念仏していることを誇れないからです。でもその誇る心が一番問題だということを云ってる。それが「大小聖人・一切善人」が、「本願の嘉号をもって」と云う。これも特に名号と云っても良さそうなんですが、嘉号はいいお名前なんですね。だからいいことをしているという、第20願の問題では善の本、徳の本と云われて、善本徳本という言葉でも云われていました。悪い名前だったら善本にはしにくいですね。いいことをしている、これは価値があるんだと、これはご利益があるんだと、こう思うから善として握るわけです。だから「本願の嘉号」とわざわざ嘉き名前という言葉を親鸞聖人はここで使っておられます。それを己の積み上げた善根というふうにする、だから阿弥陀を信ずるということにはならないのです。どんな者をも救うという仏の智慧を覚ることもない。やっぱりいいことをした者が助かるだろう、善根を積んだ者が救いに近いだろうと思い込んでいるからであります。ですから最後には「かの国を建立せることを了知することあたわざるがゆえに」と書いてあります。これもいろんな解釈がありますが、「かの国を建立せる」というのは、浄土の因、どんな者をも迎え取る浄土を建立したと読むことも出来ます。でもそれをもう少し端的に云うと、名号をもって助けようとしているわけでしょう。名号は私たちへの仏からの呼びかけ、本願の呼びかけだということを云いましたが、その名号をもって助けようとする、そのことを特に知らないという意味では、名号を立てて我々に呼びかけて下さっている、そのお心を了知しないというふうに読むことも出来ます。この辺もちょっと含みがある、いろんなことを託して、一つのことに限定する必要がないというふうに私は思っております。結果的には報土というのは、阿弥陀の本願に報いた世界ですね、一人も漏らさず助けるぞという本願に応えた世界ですから、その阿弥陀の浄土に入ることはないということを「報土に入ることなきなり」と云ってるわけです。だから善を当てにしようとしている、自分が積んだ善根を握っている人は、自分だけが生れていく世界として浄土を思っているんでしょうね。あんな奴は善根積んでいないからダメやと思ってるわけですよ。そういうふうに折角阿弥陀の浄土があるのに、言葉としては知っていてもその世界に生まれて行くことはあり得ないという言葉で結ばれているんですね。で、ここを承けて親鸞聖人の「三願転入」というところになるわけです。そこでは大分いろんなことをお話せんならんことがあると思いますが、次回ということにしておきましょうかね。「ここをもって」と始まる親鸞聖人ご自身のこととして語られてきますので、親鸞聖人の生涯の歩みに重ねてみるという見方がよく為されるんですが、私はそんなふうに思っていません。親鸞聖人の何歳の時の出来事かというように当てはめて読むことはしたくないと思ってるんです。でも親鸞聖人のご生涯と重なることは確かであります。ここをどう読むかということは、また次回ということにしたいと思います。まぁ不十分ですけど、一応三願転入の前まで見た、ということにさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。