『教行信証』の化身土巻を読む(20) 一楽 真 師
2017/ 11/ 18
観経に説かれる方便の意味
今ずうっと読んできておりますのは観無量寿経のお心を善導大師に依りながら述べられたところでありまして、観経はパッと見れば題名もそうですが、西にいらっしゃる阿弥陀仏を念じなさいと、心を静めて阿弥陀仏を心に思い浮かべなさいと云ってる経典です。しかしそれが観経の方便だと善導大師はお示し下さる、それを承けたのが親鸞聖人なんですね。どういう意味かと云うと、ただ念仏一つということに頷けない私たちに実践項目を与えて下さっているわけです。じゃあここからやれと、徹底してやれと呼び掛けられている。しかし本気で徹底しようとすると必ずそこに徹しきれないという自分の問題が見えてくるはずなんですね。だから西を観ぜよ、阿弥陀仏を観よというのは徹底できない我が身に目を開かせるご方便だということです。そこに、では徹底できない私は仏教からアウトなのかと云えばそうじゃない。そこに既に待っていて下さった念仏一つという道が、これ私の道だったんだなぁということが改めていただけるということであります。結局念仏なんですけれど、そこへ行かない私たちの問題に寄り添いながら述べて下さっているのがここの方便なんですね。だから化身土巻はある意味で、読む前から最後は念仏なんでしょうというのは分かっている話なんです。しかしその結論に落ち着かない自分が、念仏一つでなくて他のものが有用であるような、他のものを達成できるような我が身を思い描いている間は、念仏は有難くもなんともないということなんですね。その意味で結論ははっきりしていると云ってもいいですが、そこに導くのにあの手この手で教えて下さるお釈迦さまの説法がある。これを観経中心にずうっと述べて来ておられるわけです。如来の異の方便
前回読んでおりましたのは往生礼讃から観念法門、法事讃そして般舟讃まで見ておりました。まぁ善導大師のお言葉をまとめるところを見ていたわけですね。始めは観経疏が中心でありましたが、その後善導大師が様々な儀式の形を取って我々の生活全体を仏法に向けて行けというお勧めをして下さった。その書物からの引用であったのであります。全部また振り返っているとエライことになりますので、一つ前のところだけ見ます。聖典では338頁の前から6行目ですね、般舟讃であります。「また云わく、定散ともに回して宝国に入れ、すなわちこれ如来の異の方便なり。韋提はすなわちこれ女人の相、貪瞋具足の凡夫の位なり、と。」こういうお言葉でした。般舟三昧というのは諸仏が目の前に現れる、諸仏現前三昧とも云われますが、阿弥陀仏にお遇いするということは諸仏にお遇いすることだと述べる、その般舟三昧を説く経典などに依りまして、阿弥陀の世界を誉め讃える書物であります。その中に「定散ともに回して宝国に入れ」とありました。これ定善散善ともに回(めぐ)らしてと書いてますね。これはこのままストレートに取っていいと思うんですが、それを振り向けて浄土を願えと、定散を積み上げて浄土に入って下さいと呼び掛けているわけです。しかしそれを、「すなわちこれ如来の異の方便なり」というふうに云ってます。それは如来の特別の方便ですよと。「異」はことなるという字ですが、特別のという意味です。つまりそういう形で呼び掛けないと、私たちはなかなか浄土に気が向かない。阿弥陀の世界を願おうともしないということがあるので、分かり易いところから定善散善を通じて浄土に入れと云って下さった。それはしかし如来の特別のお手立てですよ、と云うんですね。その後に「韋提はすなわちこれ女人の相、貪瞋具足の凡夫の位なり」とありました。そこではっきりするのは、定散ができるんであれば、善根を積んでそして浄土に生まれるんであれば、観経は称名念仏を説く必要ないんですね。そのために凡夫のための教えがどうしても要るのだということを後半では示そうとしているわけです。だから徹底的に善を積みなさいというのは如来のご方便であって、それが徹底できないところにも道はあります、凡夫のための道はちゃんとありますということをこの言葉で押さえようとしていたと思います。前回も云いましたが、この「回して」というのを「翻して」と読む読み方も当然ある。定散では助からないから定散を翻し捨てて、そして浄土に入りなさいと読むことも出来ます。それで読むならば、それは観経の表の意味ではなくて背景に隠された深いお心だということになると思います。だから「回する」というのはそのままストレートに善をめぐらしてと読むべきか、それとも善を振り捨ててと読むべきか、に解釈が分かれるんです。私はまぁ前回、「回して」というのは「如来の異の方便」という言葉があるので、私たちを導くための如来のお手立てだと読みたい、だから文字通りストレートに「めぐらして」と読んでおきたいと話していたつもりであります。しかしそれはどこまでも定散を積むことができなかったらアウトですという話じゃなくて、凡夫のところにも道があるということをちゃんと観経は示してくれている、善導大師はそれを教えてくれているというのが、親鸞聖人が長い引用で示して来てくれたことだと思います。それは今日のところにも続くのですが、お経は善ができなければダメだと云っているわけじゃないという、我々の方の問題を抉り出す、それが論註の文章になると思います。その論註に入る前にですが、教行信証はだいたい経論釈という順番で並ぶんです。お経が始めで、その次には菩薩の論が並び、その次に経・論を釈した解釈の書物が並ぶという順序です。そして同じ論釈であっても基本的に七高僧の順序を追って来ていると思います。でもここはそういう順序から云えば、曇鸞が先で道綽が続いてますから、その後に善導大師となるべきかも知れないですね。でもここはどうしても善導大師のお心によって、善導大師の受け止めに依って観経を読むということから始まっていましたので、まずは善導大師の引文が先でありました。順序で云うと異例というか、他とは並び方が違っているのですが、親鸞聖人からすれば、まず善導大師のお心によって観経を確かめましたということでしょうね。それを曇鸞も云ってます、そして道綽も云ってます、こういうような引用の順序ではないかと思います。教行信証は全編が引用文でありまして、なぜこの文章をお引きになったのか、あるいはなぜこの部分を抜かれたのか、あるいはなぜこの順序なのか、まぁこういうことは一々説明がないんですね。その意味では親鸞聖人はどうしてこの引用の次第なのかということは読み手に託されていると云わねばなりません。沢山の解説書は今までに出ていますけれども、これが決定版というものはないと思います。またそれを云う人があると、それは怪しいと思います。オレの読み方が絶対間違いないと云うとするとちょっと待ってくださいと云いたくなります。今も大谷派の方では、教行信証の全編の解説書として読み継がれているのが『教行信証講義』という本ですね。山辺習学先生、赤沼智善先生の著作で、もうほぼ100年になるような本です。でもそれ以上の教行信証の基本的な参考書はないと云っていいと思います。でもあの二人の先生が30歳と29歳ぐらいでしょうかね、そのぐらいの年であの本をお書きになったのですが、これが正解だという思いで決して書いておられませんね。教行信証を読み解いていく、全編通じて読む上での指針となればという思いで書いておられる。だからあの解説書自身がまた文類なんですね。変な云い方ですけれど、教行信証の本文と書き下しと現代語訳がしてありますけれど、その後で何が出て来るかと云えば、例えば、存覚上人の六要鈔ではこう受け止めておられます。江戸時代の講録ではこう受け止めておられます、と代表的なあるいは二人の先生が一番妥当と思われる解説を必ず挙げておられます。自分たちがこう読んだというような自分の見解である前にどう読まれて来たか踏まえておられる、ここがこの本の特徴です。この教行信証も解釈になってしまってはいけないので、結局このご文から何をいただいたかによって私の上に何が起ったのかというようなことを抜いて読むと教行信証もただの解説あるいは教義の羅列になるような気がします。ですから親鸞聖人ご自身が先ずは観経を善導大師に依って読む、それを論註も押え、安楽集も受け止めておられますと、こういう文類という形が大事なんだと思うんですね。論註の真実功徳相
で、今日のところに進んで行きたいと思います。338頁の真ん中辺りです。37という番号が付いていますが、まずこれを読みます。「『論註』に曰わく、二種の功徳相あり。一つには有漏の心より生じて法性に順ぜず。いわゆる凡夫・人天の諸善、人天の果報、もしは因・もしは果、みなこれ顚倒す、みなこれ虚偽なり。かるがゆえに、不実の功徳と名づく、と。已上」『論註』は今までずっと出てますので曇鸞大師のお言葉であることは分かるようになっていますが、いきなり「三種の功徳相あり」と始まるわけです。何のことやと誰もが思います。しかし功徳の形に二種あると云います。そしてやっかいなのはここに「一つには」とあるのに「二つには」がないんです。だからある意味で親切な記述と云うわけにはいかないかも知れません。しかし親鸞聖人からすれば、もう既にこれは云ったという思いがあるのですね。どこにあるかと云うと、行巻にすでにご引用になったところであります。聖典では170頁の7行目、ここに[「真実功徳相」は、二種の功徳あり。」]とあります。元々の浄土論のお言葉は2行目に挙がってますね。「我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応」と。これは天親菩薩の偈文であります。何のために浄土論をお説きになるかと云えば、修多羅、真実功徳相に依って願偈を説いて総持、大事なことをすべて保って、それによって仏教と相応しようというのが天親菩薩の願いであります。だから修多羅、すなわちお経に依る、それが真実功徳に依るということを述べている部分です。これを曇鸞大師が修多羅とは何かとか、真実功徳とは何かとか一々解説を加えておられるのですが、その真実功徳相のところに先程の文章が出るわけです。一回読んでおきます。[「真実功徳相」は、二種の功徳あり。一つには有漏の心より生じて法性に順ぜず。いわゆる凡夫人天の諸善・人天の果報、もしは因・もしは果、みなこれ顚倒す、みなこれ虚偽なり。このゆえに、不実の功徳と名づく。]化身土巻の方にここまでは引かれていますね。ただもう一つここに「二つには」とあって「菩薩の智慧・清浄の業より起こりて仏事を荘厳す。法性に依って清浄の相に入れり。この法顚倒せず、虚偽ならず、真実の功徳と名づく。いかんが顚倒せざる、法性に依り二諦に順ずるがゆえに。いかんが虚偽ならざる、衆生を摂して畢竟浄に入るがゆえなり。」とあります。この行巻の方は真実の功徳ということを云いたい。だから後半を引くのは当然ですが、そこに前半の不実の功徳も並べてあるわけです。だから真実を表わすのに不実と対比して述べておられる、これが行巻ですね。そしてそれに対して化身土巻の方は不実、真実でない方を引いておられる、こういう関係であります。真実功徳ということは不実を明らかにするというはたらきを持っているわけですね。真実が真実単体であるというわけにいかんと思うんです。真実に触れるということは不実が明かになるという面を持っています。逆に云えば、真実に触れるまでは自分が不実であるとは思わない。間違ってないと思っていますからね。本物に触れたときに自分は本当じゃなかったということが分かるわけです。「如」に対する「不如」であります。でも不如の世界で日頃生きているわけです。それが逆さまですね、勘違いしていながら勘違いとも気付かない。それを「顚倒」と云っているわけですね。真実は不実を明らかにする意味を持っていることで、真実功徳のときには必ずこれをセットにして述べておられると云えます。だから化身土巻と行巻に分けるのならば不実の方は向こうに回してもいいということもあると思いますが、これを併せて行巻に述べておられるところには真実がはたらくということと、この場合は不実の功徳というのは言葉とすると成り立ちませんね。功徳というのはすぐれたはたらきのことでしょう。不実の功徳というのは言葉として本当に成り立たないと思うんですが、こんな言葉よくありますよね。例えば迷信。迷っているのを信じているって、おかしいでしょう。この信は本当の意味の信じゃなくて迷っているということを信じ込んでいるという意味で迷信といっているだけなんです。信とは本当のことが明らかになったこと。これが大事であったかということが自覚されたことだと思います。だから迷信は迷う心と書いた方が分かり易いのですが、本人は迷ってないと思ってますから、こういう字で語られて来たのです。この不実の功徳というのも、すぐれたはたらきという意味では不実というのはあり得ない。矛盾概念ですよね。でも、不実なんだけれども功徳に見えるということはあると思います。これを明らかにするのが真実功徳なんですね。それは本当ではありませんよということを暴き出す、これが行巻ですでに云われていたんです。教行信証は順序に依って、次第をもって読んで行くと、段々内容がいただけて来るということになっていると思うので、いま6巻目を読んでいるわけですが、2巻目を当然承けて仰っていると考えるべきだと思います。だから、さっきの化身土巻の文章単体ではちょっと読み難い気もしますが、元に遡って確かめてくれよと、一応筋だけ示すからというお心も親鸞聖人にはおありだと思います。全部を云い出したら一つひとつの意味もだんだん間延びして来ますね。主眼がどこかということが分かり難くなることを思って最小限に削っておられると思います。そう思ってさっきのところへ戻ります。二種の功徳相
338頁です。そう思って読むとこっちはね、行巻とは一点だけ違っているところがあるんです。お気付きでしょうか。338頁の37。「『論註』に曰わく、二種の功徳相あり。」と書いてあります。行巻には「二種の功徳あり」と云ってますね。こちらは「二種の功徳相あり」と云ってます。元にはない字なんですよ。勘違いして付けたと云えるでしょうかね。論註も親鸞聖人は本当に全部が頭の中に入るぐらいに読んでおられたと思いますし、教行信証で向こうとこっちを突き合わせれば分かる話ですからね。ボクはこれ偶々一文字が入ったとは思えないですね。「相」は形を取るということでしょ、姿なんです。だから不実功徳というのは本当の意味では功徳ではないんですけれど、それが功徳に思えるということがあります。功徳と見えるんです。価値がある、大切なものというふうに見える。本物に触れればそれはそうじゃなかったことが明らかになるわけですが、本物に触れない間はそれがいかにも大事なような形を取る。これは今論註の話をしていますが行巻ではこういう言葉がありましたね、「外道の相善」。形ばかりの善という言葉が行巻では既に出ておりました。「外道の相善は菩薩の法を乱る」と曇鸞大師は云うんですが、形ばかり、見せかけの善、これが人間にとっては本当に迷いを超えて行く道筋よりも目の前のメリットのように見えたり、得をするように思ったりすると、そっちに心が動いていくという意味で外道の相善というときにはこの字が使われております。表向きということです。これに人間は踊らされるんじゃないでしょうか。行巻の方には元の言葉で真実功徳と不実功徳という言葉でしたが、ここでは「二種の功徳相あり」と云って、後は不実の功徳としか云ってません。不実功徳の相とは云いませんけれども、それが見せかけの功徳であるということを示唆するような云い方になっているように思います。ちょっと言葉を当たっておきましょうかね。338頁の37番ですが、「二種の功徳相あり。一つには有漏の心より生じて法性に順ぜず」有漏というのは煩悩があるということですね。漏らすという字ですが、これは何を聞いても漏れて行くということです。煩悩が漏れ出てくるということでもあります。いかにもきれいなことを云っていても、そこに本心が滲み出て来るということがある。そういう漏れ方です。格好つけておっても正体がバレる、これが煩悩が漏れるという字なんです。だから逆に仏さまの位を無漏と云うわけでしょ。大事なのは有漏はどれほど重ねてみても無漏にはならない、質が違うんです。昔からの議論で聞法は無漏か有漏か、というのがあります。仏さまの智慧の世界を聞かせていただくんだから、無漏に触れさせて頂くということがないとは云えない。しかし残念ながら器が濁っているときれいなものが入っても全部が一瞬にして濁っていく。だから聞法という経験も有漏を固めて行くことになるんですよ。しかしそう云ってしまうと聞法が成り立たないと云われるかも知れませんが、器そのものが壊れるような聞き方が起るときがあるんですね。だから自分の器の中で、聞いた聞いた、今日はいい話やったとか、これは感動したとか、これは大事やと云うている人の聞き方ではいつまで経っても有漏なんです。自分の考えを補強するために先生を選んだり、あるいは読む本を決めたりするかもしれません。でもその器自体、そういうことを云うている器が問われるということがある。これが無漏がはたらいて来ることによって、その有漏を破ることがあると云うんですね。だから頑張って聞いていてもそれは全部有漏の経験にならざるを得ない。これは蓮如さんの身近な言葉で云えば「意巧に聞く」ということがありますね。あるいは「得手に法を聞く」こんな言葉がありますね。意巧(いぎょう)というのは、心に合わせて、心たくみにです。自分の心に合わせながら聞いているんですね。だから都合の悪いところは入って来なかったりする。「得手」というのは得手勝手です。これを蓮如さんはちゃんと云うておられます。五人いれば五人とも得手に法を聞くんだと。みんな違った聞き方をする。その後が面白いんですね。今日から得手に聞かないように気をつけなさいとは云わない。今日から意巧に聞くことは止めなさいとは云わない。必ずそうなるに決まっているから、五人いれば五人で談合して下さいと。今日の話はどうやったかと、あるいは自分がどう受け止めたかと、これを付け合わすことによって、ああ全然違うところが大事やったと見えてくる。あるいは自分はほんの一端だけを握り込んでいたんだなぁということが見えてくるということがある。だから意巧に聞くことを止めなさいと云わずに「寄合い談合せよ」というのが蓮如上人がお勧めになった理由なんです。これやっぱり人間の正体を押えてますね。これが先ほどから云うように、自分で有漏は止めましょうと云っても止まらんのです。教えの力によってその器に入れ込んでる聞き方が破れることが起る。こういうことが昔から議論されてきたわけです。有漏は気を付けたら何とかなるというような程度の話ではありません。気をつけているという根性そのものがまた何か打算が混じってますわねぇ。あいつよりはましだというふうに比べているかも知れません。その有漏の心は必ずこうなるというのが次ですね。「法性に順ぜず」です。法を法たらしめている、存在を存在たらしめている、それが法性と云うわけですが、それに順じていない。結果的に「凡夫・人天の諸善」つまり凡夫や人や天が善として積んでいることも、それによって得られる果報も顚倒し虚偽だと云うわけです。仏道を歩んでいるから私は浄らかな者に段々なっていると、そんなわけにはいかない。仏教用語を使いながら虚偽顚倒を塗り固めて行くんです。親鸞聖人で云えば、ご自身の比叡山時代のご修行が全部そうやったということでしょうね。浄らかと云いますが、仏さまの覚りに近づいているなんてことが証明できないという問題であります。そういう意味で不実の功徳を知らされた。これが法然上人との出遇いでしょうね。でもこれはオレの20年返せという話にはなりませんで、間違いだったと本当に気が付けば、あぁこれだったかと、見当違いをしていたということが分かれば、却って誤りを教えられたことに満足がありますよね。誤りをそのまま何とか固めてそれを意味あるようにしようと構えると、いよいよ遠ざかって行きますが、誤りが破られてみればこれだったかという形で落ち着くところが見えるわけです。これは蓮如さんふうに云えば「負けて信を取る」という言葉がありますね。自分がいいものになって助かるんじゃない、自分が砕かれて大事なものが見える。こういうことを明らかにする、こういうことがはっきりする、それが方便の意味として云われていると思います。一つ前の言葉と合わせますと「定散ともに回して宝国に入れ」とのつながりで読みたいわけですが、一所懸命頑張れと云っていくれているわけです。浄土に生まれよと云っている。しかし本気でそれをやろうとすれば必ず其れが徹底できないという問題に直面するわけですね。これが韋提希のことで云うと「女人の相貪瞋痴具足の凡夫の位」と押さえられていました。本当に徹底できないという問題。だから曇鸞大師の言葉が仏道修行に関って云われていますけれども、因も果もどちらも顚倒であり虚偽であるということが必ず見えてくるわけであります。逆に云えばそういうことがはっきりしないということは、自分はまぁまぁ出来ていますわという、何かと比べている、安田先生は程度問題とよく云っておられましたが、質の違いではなくて分量で比べて、あいつより自分の方がましだと思って腰を下ろしてしまう。徹底していないんです。本当に徹底して善を為そうとすれば、出来ないことが必ず見えてくるはずであります。方便で我々をそこまで引張って下さる、そういうおはたらきがあるのです。これが前回からの流れで曇鸞大師もこのように押えて下さっていますというふうに見ることができると思います。機(人間)の問題
そういうことで般舟讃から論註、この辺りは「機」の問題ですね。仏道を歩もうとする我が身はどんな者か、を教えて下さる。そこに如来の方便がはたらいているということです。もう一遍云います。徹底して為そうとすれば、必ず徹底できないことにぶつかるはずなんです。それはやり遂げたのではない。やり遂げられないという形で限界にぶつかるはずです。実際心意気はあっても身体がついて来ないこともある。親鸞聖人は29歳のお若い時に、20年やって覚りに近づいている実感が持てないということが、いつまでやればいいのか。それが一向に実感できないことを、若くして持たれたと思います。あれが親鸞聖人のいのちの限界といろんな本で書かれますが、一つの臨終やったと思いますね。この間も知り合いの方からこんな話を聞きました。その方、いま50歳なんですが、2年前に脳の中に動脈瘤が見つかった。これは手術できる場合はいいんですけど、出来ない場合はうまく付き合って行くよりない。ストレスかけたり、身体に負担をかけると破裂するかもしれない。即死の危険がある。クモ膜下出血もその一つですね。それをご家族に話すと、お祖母ちゃんから聞いたりして遺伝的なこともあるんだそうです。それを宣告されたのは48歳やったと云うんですが、もう自分は人生を終って行かんならんと、ある意味で目の前が真っ暗になったそうです。ところが自分が生まれたときのことをお母さんが話してくれたのをハッと思い出したと云うんですね。体重1300グラムくらいの極小未熟児で生まれたのだそうです。よう大きくなったなぁと云うてお母さんはそれを本当に喜んでおられた。会う度にですわ、あんた本当に元気で生きとるなぁと云うてくれてたら、48まで来られたということになったと云うんですね。48で終らんならんと思ったら、もう自分は先がない、終りだと思ったけど、48まで来られたということを母の言葉で思い出したら、まぁここまで来られたのなら、次の日にいのちがあったら何にこれを使わしてもらおうか、もう一年いのちがあったらそれをどう生きようかと、いのちを見る視点が全然変わったと。だから私にとっては48歳のあれが臨終やったんですと、そんな話をして下さったんですね。臨終というのは、言葉は終わりに臨むということなんですが、それこそベッドで寝たきりになって、それでもなかなか臨終に向き合えないということもあるかも知れません。逆にいまの方、あれが私の臨終でしたと仰った、その意味で云うと、親鸞聖人は少し早く思えるかも知れませんが、29歳でも臨終を実感するということがあるのです。何歳でと決められませんね。ある意味で宗教的に早熟だと云われる人はみんなそういうところを潜っておられますね。子どものときに自分の死に直面したという方もいらっしゃいます。まぁそういうことを聞かしていただいて、見る眼が大転換するということがありますねぇということを聞かしていただきました。こういうことはパターン化できないので、幾歳になればとかね、何をすればそれが実感できるかというようなことは決められないわけでありますけれども、少なくともそういう我が身の限界を突き付けられることがなければ、あぁそのうちにいつか仏に成るみたいな、この修行はいつか必ず達成できるからということを離せない、それをやっぱり握ったままということになると思います。でもそういう私たちに、本当に徹底せよと呼び掛けることを通して徹底できないことを知らせようとする、これが如来の方便です。そういう意味で観経はそうなっているでしょ。西に沈む太陽を見よから始まって、ずうっと観法を勧めますけれども、あれは一段ずつ上がって行く話ではなくて、本気でそれをやろうとすると心を集中できない我が身が見えて来るんですね。雑念が入って来る我が身が見えて来るんです。行けてますという話には絶対ならない。ここに観経のお心があるというふうに受け止めたのが善導大師です。だから仏を心に思い浮かべるということができない者の上にも道はある、その道こそ私のための道であったと改めて受け止めることが起るという、こういう関係でありますね。だから般舟讃から論註にかけて、如来の方便を通して我が身という機の問題、般舟讃で云えば貪瞋具足の凡夫の位なり、こういうものが明かになる、そこに何を積み上げてみても全部虚偽不実、顚倒虚偽ということが明らかになるはずだということですね。時の問題
それを承けて今度は安楽集の言葉ですが、もう少し行きます。ここに引かれている二つの文章は、敢えて分ければ個人的な能力ではなくて時代の、時代というと時代のせいにするようになっていけませんが、どういう時を生きているか、個人では超えられない、そういう問題を明らかにするのがこの安楽集の言葉だと思います。これも有名な言葉ですが、まず一つ目を読んでみましょうか。[『安楽集』に云わく、『大集経』の「月蔵分」を引きて言わく、我が末法の時の中に億憶の衆生、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得る者あらじ、と。当今は末法なり。この五濁悪世には、ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり、と。]大集経というのは大変長いお経でして、いろんな要素が組み込まれていくんですが、その中に「末法」という問題を取り上げてくるところがあります。これに依って末法の年代算定なんかもされるのですが、先にちょっとそれも見ておきましょうかね。和讃がいいかも知れませんね。501頁、正像末和讃の4番。「大集経に説きたまう/この世は第五の五百年/闘諍堅固なるゆえに/白法隠滞したまえり」大集経には次のようにお説き下さっています。つまりお釈迦さまがお経の中でこんなことを云って下さっています。闘諍とはあらそい、戦いという意味です。自分の正しさばっかり主張して、結局争いばかりが行われている時代だ。それによって人間が傷つけ合うことを超えて行く、迷いを超え覚りに至る道、それを白法と云ってますが、それが隠れ滞ってしまう、こういうふうに云ってます。大集経というのはそういうことことを説いている経典なんですね。これを親鸞聖人も教行信証の中でも引いて行かれますが、それをいち早く注目されたのが道綽禅師、その著作が安楽集であります。曇鸞大師も時の問題ということを仰るんですが、いまの末法ということはそこまで云わないんですね。曇鸞大師の場合は「五濁の世 無仏の時」と仰る。仏がましまさないということは私たちを導いて下さる、迷いを超えることを教えて下さるお方が最早おられないということです。これは曇鸞大師のすごい確認の言葉だと思います。仏がおられないのに仏に遇うたような気になっているわけですね、みんな。仏に遇うたこともない、見たこともないのに、仏さんとはこんなものだとかね、覚りとはこんなことだと、全部自分の思い計らいで仏教の覚りも救いも描かれていくわけです。その中で初めて無仏の時を生きているということを断言したのが曇鸞大師であります。この曇鸞の教えに従って浄土教に帰依したのが道綽禅師だと云われております道綽禅師の時代に末法思想がかなり共有されていく、そういう時代なんですね。ここから末法ということが云われて行きます。これもなんでかというと「廃仏」云うてね、皇帝が変ると仏教が迫害されるということが起るんですが、道綽の時代には大変それがきつくて、お坊さんというお坊さんは全員還俗させられるとかね、お寺は焼き討ちにあう、お寺は燃やされるという時代になる。だからもう世も末だと、末法とは正に今のことだという感覚が大変中国では共有さえて云った時代なんです。今から1,400年前ですけどね。日本よりは500年ほど早くそういう感覚が起ったわけです。日本では1052年が末法の入口だと云われて宇治の平等院が立てられたりするのを末法思想ということで行き渡った時代ですが、それよりも500年ほど早い。そんな時代でありますが、その時に大集経の言葉などが取り上げられて行くわけですね。それで今のご和讃は第五の500年ということしか云ってませんが、それを全部挙げてあるのが聖典361頁化身土巻に出てまいります。いろんなお経に依りながら、末法とはいつからかということを算定している部分ですが、これは伝教大師最澄がお作りになられた末法灯明記という本であります。親鸞聖人は少なくともあの伝教大師最澄さまが末法の灯明ということを記して下さったお釈迦さまのいない時代、さらにはお釈迦さまの教えが消えて行くような時代に灯明となる教えを残してっ下さったと教行信証では書くわけです。だから最澄を尊敬している人はみんな読んでほしいということでしょうね。あの伝教大師が仰っているんですからとね。ただ現代の研究ではこの末法灯明記の制作は最澄がいた年代よりは下っていると見られて、最澄作とは云えないだろうということになっていますが、少なくとも親鸞聖人はそんなことでなくて、最澄の制作として伝わって来たそのことも含めて大事にしてここに書いているわけです。で、いま読みたいのは361頁後ろから6行目のところです。「これらの経文に準ずるに、千五百年の後、戒・定・慧あることなきなり。」千五百年経ったら、もはや末法に入ってしまって戒を持つとか、定を修していくとか、そしてそれに依って智慧を獲得するということは成り立たないと云います。戒・定・慧というのは仏教の基本の学び、戒・定・慧の三学とも云われますが、それがもはや「あることなし」と云います。強めた否定です。ないというだけなら、今日はないけど明日はあるかも知らんとなりますが、あることなしですから、あるということがない、全くないということをこんな云い方をします。それを承けて大集経の言葉を引いておられます。[かるがゆえに『大集経』の五十一(巻五五)に言わく、「我が滅度の後、初めの五百年には、もろもろの比丘等、我が正法において解脱堅固ならん」]500年間は解脱ということがちゃんと持たれていくと云います。これ他のお経に当てはめると正法の時代です。お釈迦さまが亡くなっても500年は迷いを超えて解脱を得ることが成り立つんだと云ってますね。「次の五百年には堅固ならん。」禅定とは心を静かに集中していくことです。三昧の境地に立つことが成り立つ。「次の五百年には多聞堅固ならん。」お経をよく聞く、沢山読んで学ぶ、これがちゃんと持たれていく。これを二つ合わせて1000年間、他のお経に当てはめると像法の時代と云われます。像は似ているという意味です。形はいかにも仏法が保持されているように見えるのですが、形ばかりだと云うんです。この後末法に入ってこれが一万年続くと云われています。「次の五百年には造寺堅固ならん。」お寺を建てることが盛んになるんです。せめてもということでしょうかね。ご利益を思い描く人は大仏を造ったり、いろんなことが起る、そういう時代に入る。その次になる最後には、これもう末法に完全に入ってしまうんですが、「後の五百年には闘諍堅固ならん。白法隠没せん」もう争いばっかりであります。迷いを超える白法は隠れて没してしまう。別のお経では竜宮に入ると書いてますね。竜宮は海の底にあるとも云われます。安田先生はそれは図書館に入ることやと云ってました。図書館というのはいろんなものを蔵していても死蔵されるということがありますね。誰も読み手がいない。生きてはたらいた教えとならない。それを譬えて図書館には入るようなものやと云っておられました。図書館を否定しておられるわけじゃないんですよ。大事なものを保っているという意味はありますけれど、お宝というのはそうやってどっかに閉じ込めておくものじゃないですね。人々の上に生きてはたらいてこそなんです。隠没というのはそんなふうに云われています。かつてこの闘諍堅固ということを、これは議論が盛んになることだと仰った方もありますけれど、ボクはどうしてもそうは受け取れない。議論が盛んなのはいいじゃないかと云うかも知れませんが、議論というのは事実を明らかにする議論ならいいんですけれど、大概は自己主張に終って行くんです。負けたくないという煩悩も起るんですよ。だから本当のことを明らかにする議論なんて人間にはあるのかなぁと思います。歎異抄でも「相論をたたかいかたんがために」とか「おおせにてなきことをも、おおせとのみもうす」という言葉が出て来ます。あれ親鸞聖人がなくなった後、闘諍堅固が実際あったということの例でしょうね。だから闘諍堅固は決して褒められる話じゃなくて、議論してるのはいいじゃないかではなくて、結局何が本当かが分からなくなっていく時代、これが末法であります。ここを取ってさっきの「大集経にときたまう/この世は第五の五百年」という和讃が出来ているわけです。順序とすると、これは伝教大師の文章ですから道綽禅師より後ですよ。後ですけれど親鸞聖人は先に読んでいたかもしれませんね。もちろん善導大師のお師匠さんですから道綽禅師より先に読んでいたかもしれませんが、この大集経の文章は非常に大事にして安楽集の言葉として引いておられます。末法の時
338頁に戻ります。[『安楽集』に云わく、『大集経』の「月蔵分」を引きて言わく、我が末法の時の中に億憶の衆生、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得る者あらじ、と。]我が末法の時というのは、仏滅後1500年経った後は億億の衆生ですから、どれほど沢山の衆生が行を起こし道を修したとしても、一人も迷いを超える、この覚りを得る者はないであろうと予測しておられるのですね。お釈迦さまが末法をそのように予言しておられる。そしてそれを承けて道綽禅師が次のように続けます。「当今は末法なり。この五濁悪世には、ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり、と」これは正信偈で云うと「道綽決聖道難証 唯明浄土可通入」に相当しますね。ですからこれは今まで読んで来たことから云えば、修行を重ねて覚りを開こうとしてみても一人も覚りに到達する者はいない、だから浄土の教えに依らなければならないと道綽禅師が仰っていますと親鸞聖人が書き止めておられるわけです。善導大師、曇鸞大師そして道綽禅師の順に引かれていますけれども、これは修業によっては覚りは開けません。なぜかと云えば、一つには機の問題。我々は凡夫であるがゆえに徹底出来ないということを持っている。しかしそれはさらに云うと導いて下さる仏がいないという問題です。我々が頼りなくても仏さまが目の前にいらっしゃれば、こうしなさい、ああしなさいと手取り足取りということが成り立つかも知れない。しかし分からない者が分からない者を導くというのは、お互い分からないままにこれでいいのだろうかというところへ落ち込んで行くわけです。そういう「時」の問題を道綽は押えているんですね。親鸞聖人も末法に入るのはいつからというような算定もなさっていますが、それも何が大事かと云うたら、もう末法に入って久しいということを仰りたいわけです。何年ということを決めたいとか、そういうことよりも、もはや無仏の時で、正法の時の教えは成り立たないということが云いたいのでしょうね。でも、お釈迦様はちゃんと末法の時の教えを残して下さっているというのが、時の問題をあげる道綽禅師が末法には末法の教えがあると主張する理由なんですね。先程読んだところによると「当今は末法なり。この五濁悪世には、ただ浄土の一門ありて通入すべき道なり」。これは道綽からの呼びかけですよね。しかし、同じ時代の人でもそう思っていない人もいる。まだ早いという人もいるでしょうね。何云ってるんだ、修行を頑張りさえすれば絶対覚れるはずだという人にとっては、正法も像法も、そういう時代区分が受け付けられないのでしょうね。親鸞聖人はこの末法ということも前面に打ち立てて浄土の教えによれと云っていくわけですが、これは多数派か少数派かということになると、決して多数派ではなかったように思いますね。同時代の比叡山の方々は、まだ早いと云ってますね。そういう時がいずれ来るかも知れんけども今はまだその時じゃない。だから、修業すれば絶対覚れるに違いないと云ってますから、そういう方々にとっては「正像の二時は終わりにき」ではないでしょうね。これは親鸞聖人の時代に終わらないですね。私たちの中にも一応今は末法だと云われてもいやいやと、だってお経にはこう書いてあるからやればなんとかなるでしょうという正法意識は残り続けるんじゃないでしょうか。そういう意味では正像末というのも一応年代区分はしますけれども正法の修行に敗れ、像法でも助からないということを潜って末法の仏教がいただけるということになるのでしょうね。この辺が、教行信証は末法ということを6巻目に来ないと云わない。もしか、第1番目のことろに今は末法だから浄土の教えだと書いたとしましょう。そしたら浄土の教えというのは、末法限定の劣った教えになるかも知れない。本来は、お釈迦さまがおられた頃の、出家して修行する教えが本当なんだけれども、出来ない今は仕方ないみたいな。仕方がないから浄土やとか、仕方がないから念仏やになってしまう可能性がありますね。だから、教巻では云わないんです。凡夫のためにこの教えがあるというのはかなり早いところから出ますけれども、それも云い方に気をつけておかないと、そうじゃない修行できる者には阿弥陀の教えは関係ないとまたレッテルを貼られてしまう。だから、この機の問題と時の問題というのは、よっぽど押えて云わないと修行できないから念仏なんや、修行できない劣った者やから浄土なんやというふうになると、浄土の教えはだいぶ限定的な話になると思います。それこそ出家の修行者限定の仏教があったのと同じように、今度は末法の凡夫という限定の中での仏教になると思います。親鸞聖人は少なくともそういう時代も問わないし、どんな人をも分け隔てしない、そういうものとして浄土あるいは念仏の教えを説こうとしておられると思うんですが、そこにまず引張っていく浄土の教えがそういう大事さを持っているということを云うために化身土の巻では順々に如来が我々を導くご方便ですよと云うところまで来ている。だからここで修行では覚りを開けない、浄土なんだと云うことまで来てるわけですね。それが、次の文章も前回からとも関係しますので、読んでみます。338頁の後ろから3行目です。「また云わく、未だ一万劫を満たざる已来は、恒に未だ火宅を勉れず、顚倒墜堕するがゆえに。おのおの用功は至りて重く、獲る報は偽なり、と。」「未だ一万劫を満たざる已来は」というのは、前回もお話ししていましたが、菩薩道でいうと、十信十住十行十回向、そして十地に入って等覚妙覚という52段階が立てられている。そこから、仏道の歩みが始まる。つまり、凡夫として仏道を聞いてそして修行に入って行く。そこに入って行くまでに一万劫と云う長い時間がかかると云うのです。例えば、前回読んだところでは338頁の1行目もそうでしたね、「万劫功を修せんこと実に続き難し。」と。「一時に煩悩百たび千たび間わる」こんな話がありましたね。万劫の間、仏道を修して行かないと聖者の位に入れない。聖者とは凡夫に対して聖者なんです。凡聖というのがそれです。凡夫と聖者。でも、親鸞聖人の仏教すごいでしょう。凡聖を一つにしますわね。もう凡夫も聖者も依るべきは阿弥陀の本願ですよと一気にまとめます。普通ならこれだいぶ違う話なんです。この段階で考えれば。でも、聖者であっても、覚ってないという意味では一緒だと云うんです。で、十住十行十回向の上に十地があって、そして、等覚、妙覚と52段階立てられますね。十信は一万劫ですけれど三賢位を修するのに一阿僧祇劫かかる。そして、十地に入ってから、七地に至るまでにまた更に一阿僧祇劫、その次がまた一阿僧祇劫と全部合わせて三大阿僧祇劫かかると云われています。これは、菩薩道の課題の重さ深さをこう表現する。云い方を換えれば、人間の迷いがそれぐらい深いわけです。断ち切ったと思ったものがまた付いてくる。例えば煩悩、我々を迷わせるものを煩悩と云いますが、断ち切ったところにも残り滓があると云うんですね。線香が燃えてしまっても香りが残っているようなもんですね。煩悩を断じ尽したと云っても今までの習慣がずうっと残っている。これを「習気」と云うんですが、その根深さをこのように云うんですね。まぁここは始めの部分です。仏道に入ることが決まるまでに一万劫の功徳を積まねばならない、これが万劫功を修すると云われていましたね。それを承けて「未だ一万劫を満たざる已来は、常に未だ火宅を勉れず」。次の十住に入っしまうまでは迷いに戻ってしまうと云うんです。十住に一旦入ったら今度は少しずつ課題を乗り越えて行くのです。迷いを免れないですね。「顚倒墜堕する」と云ってます。ひっくり返るんですね、墜落する。分かったと思ったことが分からんようになる。見えてたはずのものが見えなくなる。これが、退転するという危険です。この退転もすごいんですが、本当の不退転は八地から等覚のここ、ここが本当の不退転というわけです。もう二度と退転しないというのは、ここだと云うわけです。ここまで、たとえ上って来たとしても、菩薩道の歩みが水の泡になると云うようなものを持っていると云うんですね。仏道を歩むのを止めてしまうことが起る。これを七地沈空の難と云われていますけれども、浄土の教えがすごいのは「等覚の弥勒と等し」と言います。凡夫でありながら信心獲得して生きる、金剛心に立って生きる者は等覚の弥勒と同じだと親鸞聖人は云うわけです。一足飛びです。でも上ったと思ったらいけない。南無阿弥陀仏によってあちらの世界をここでいただきながら生きて行くんです。南無阿弥陀仏によって覚りの世界、教えが届いて下さるんです。だから等覚の「弥勒に同じ」と云われるのは、私が立派になった話じゃ全然ない。棖性は自分中心にしか物を見られないし、すぐに心折れたり、戸惑ったりするんですが、教えが確かだから、これを大事に生きて行くということが起きる。そこで、自分で上りつめた弥勒菩薩と我々は等しい歩みを頂戴すると云うんです。これ、具体的に云えば、日頃の生活全部が仏道になると云うことでしょうね。迷ったり苦しんだりしてることが、全部自分の人生を生き切って行く、そういう仏道修行の場になると親鸞聖人は云って下さっていると思うんですね。続いて「おのおの用功は至りて重く」と云うのは、自分が積み上げた功徳を用いること。ですから、一所懸命頑張って来た、一所懸命積み上げて来た、脇目も振らず修行に励んできた。しかし、それが全部顚倒墜堕ということになるから「獲る報は偽なり」と云われています。結果として得られる報いは偽物であると云ってます。だから、仏道を歩んで来たはずのことが迷いを超えることに一向にならない。私は、この言葉は親鸞聖人が実感をもって聞いておられたんじゃないかと思います。20年頑張ったら20年分の効果が出たらいいんですけど、逆に、いろんな執われが出て来るわけです。オレほどやった者はいないとか、私ほど知っている者はいないとなれば、却って人のランク付けをやっているのかも知れません。仏教を知る前よりも却って人を切り捨てるようなことも起るかも知れません。知った自分が知らない人をバカにするということになったら、これは仏道を学んだとい云えるんでしょうか。だから、仏教の用語で人を責め立てるようなことがあるとすれば、それは、仏教用語を学んだかも知れませんが、仏法に触れたとは云えない。しかし、これは教行信証全体の問題で一番初めに出てくるのが阿難とお釈迦さまの物語でしたね。教巻の冒頭に出ています。阿難は25年もお釈迦さまの説法を聞いていたんですが、聞いてどう思ったかと言えば、ああ自分は覚りなんて到底無理やと。お釈迦さまが立派過ぎて自分はまだまだやと。あなたも仏に成るという法則が説かれているのに、聞けば聞くほどお釈迦さまが立派に見えて、自分は劣っている、とこうなったんです。でもそうじゃなかったということに気が付く、これが教巻に引かれる、阿難がお釈迦さまに出遇い直したと云うべきか、初めて遇うたと云った方がいいかも知れませんね。いままでからお釈迦さまの顔も見ているし、話も聞いておりますけれども、仏としてのお釈迦さまには遇うてなかったんですね。偉い人間だと思っていたのでしょうね。だから能力のあるすごい人だと思っていた。そして自分は全然ダメだと。でもお釈迦さまは誰もが仏に成る法を説いておられた。どんな者にも迷いを超えて行く道筋があると教えて下さっていたのだとなったときに、阿難の思いは破られたわけです。だから阿難は20年も25年間もお釈迦さまのお話を直接聞いた人なんですが、「獲る報は偽なり」だったんでしょうね。聞けば聞くほど自分はダメだ、仏に成るなんてとんでもないと思っていたわけですから。だから聞けばなんとかなると云うほど簡単じゃない。これがさっき云うていたことで云えば、有漏の器でいくら浄らかな教えを聞いても聞いた途端にそれを汚して行くわけですよ。得手勝手に解釈して捩じ曲げていく。念の為に云いますが、これ、そんなら聞かん方がましかと云うと、違うんです。聞くということがなかったら、器が破れるということもないわけですから。聞くしかないんですけれど、聞けばなんとかなると云う程浅くない。これが仏法の厳しさですよね。これが凡夫としての仏法を聞いて行くあり方、これが一万劫と、ものすごく長く難しいと云われているのですが、最早そういうことなら私たちはとても歩めない、成り立たないということ。それは歩んでいるつもりでも必ず偽物ですね。「獲る報は偽なり」に堕ちて行く、こう道綽禅師が呼び掛けているわけです。だから全体とすると、修行を勧めるというのが如来からの方便でした。でもそれは勧めて何段階か上ることを期待しているのではなくて、勧めることを通して躓くこと、徹底出来ないということ、そういう我が身に目覚めるということが一つ、そしてもう一つはお釈迦さまがいない今、導いて下さる方がおられない今、「時」という問題を挙げて個人だけのことでなく時代全体の問題、これに対して末法の時代に成り立つ仏道を遺して下さったのだ、とそれを確認して行きます。ここではそれを浄土の一門が通入すべき道だと云ってますね。
入出二門偈
この言葉いろんなところで引かれますが、親鸞聖人が晩年にお作りになった偈文にも同じことが云われてますね。聖典465頁。これは『入出二門偈』でありますが、84歳の時にお書きになった。漢文の偈文は正信偈と文類偈、この二つが有名ですが、親鸞聖人は晩年になってこういう偈文を作っておられます。正信偈より長いんですよ、正信偈と違うのは4人の方に絞ってます。天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師と善導大師であります。これはなんでか。まぁいろいろ考えないといけませんが、いま前後は無視して、道綽禅師のところを読みます。「道綽禅師 玄忠寺」と居られたお寺の名前までここに書いておられます。[道綽和尚解釈して曰わく、『大集経』に言わく「我が末法に行を起こし道を修せん一切衆、未だ一人も獲得の者あらじと。」これ先程と同じものが引かれています。ちょっとここに注意しなければならないのは、ここにほんとは括弧閉じがなければいけませんね。大集経の引用はここまでなんです。その2行後に括弧閉じが付いていますが、まだ修正できていないですね。ボクこれはだいぶ云ってるんですが、聖典はそう簡単に修正できないんですね。お経が云っているのはここまでです。次の2行は今度は道綽禅師が云ってるんです。[「此にありて心を起こし行を立てん者は、すなわちこれ聖道なり、自力と名づく。当今は末法にしてこれ五濁なり、ただ浄土ありて通入すべし」と。] 最後の「と」は道綽和尚が云っておられるという括弧閉じです。大集経のお言葉と道綽禅師のお言葉とがこの聖典の括弧では分かり難くなっているということを申し上げたわけです。で、ここでは大集経の言葉を承けて「此にありて心を起こし行を立てん者は」と云ってるのは、この娑婆世界です。この娑婆の真只中で心を起し、つまり菩提心を起してそして行を立てて行こうといくらしてみても、ということです。これは聖道門だというんです。そして当今は末法の時で、五濁の世だから、浄土の教えに通入しなさいと親鸞聖人はまとめておられます。聖道と対比する形で浄土だけが覚りに通入できるんですよと云ってますね。これは安楽集にはないのですが、親鸞聖人が他と合わせてこういう偈文に作っておられるわけです。その後「今の時、悪を起こし衆罪を造ること、恒常にして暴風駛雨のごとし。」と。これすごい風と速い雨であります。私たちが悪を作り傷つけ合って行くことが暴風駛雨だと云ってます。たまに、じゃないですよ。毎日のように本当にすごい風を吹かせて激しい雨を降らせておる。さっきの闘諍堅固という言葉も思い当たりますね。毎日々々そんなことになってるわけです。勝ったか負けたか、善いか悪いか、生きる価値があるのかないのかと、もう風に曝され雨に曝されているようなものでしょ。そして次「本弘誓願に名を称せしむるは、これ穢濁悪の衆生のためなり」本弘誓願というのは阿弥陀の本願、そこに名前を称えて下さいと云われているのは穢濁悪の衆生、穢土の中の五濁悪世を生きる衆生のためです。すぐに何が大事かが見えなくなる、そういう者のために名前を称えて、それに導かれて生きて下さいという教えがあるんですよというわけです。逆に云えば暴風駛雨の中に曝されて生きる方向も見えなくなってくるし、自分自身も風に倒れていくんじゃないでしょうかね。「ここをもって諸仏、浄土を勧めたまえり。」お釈迦さまを筆頭にありとあらゆる仏さまが阿弥陀の浄土を勧めて下さった、と道綽禅師は教えて下さいました、とこういうふうに親鸞聖人はこの偈文では述べていらっしゃいます。この入出二門偈というのは、入出は浄土に入ったり出たりということです。さらに遡るとそれは菩薩道の自利と利他の課題に応答するのですが、一言で云えば、菩薩道で云われて来た自利利他ということを、私たちがやろうとしてもそれは無理ですと親鸞聖人は云おうとしているのです。自利利他というのはとっても大事な願いなんですよ。私も迷いを超える、そして他の人の迷いも超えさせる。これ非常に大事な菩薩の願いです。しかしそれを徹底できると思ったら大間違いだというのが、親鸞聖人が84歳にもなってこの偈文を作られたお心だと思います。あの天親菩薩も阿弥陀に帰依なさいました。それを承けた曇鸞大師も阿弥陀の世界を勧めてくれてます。それを承けた道綽禅師も善導大師も阿弥陀の浄土でないと助かりませんということを云ってくれている。こういう偈文だと思っています。非常に荒っぽい云い方ですがね、84にもなって、またこういうものをお作りにならないといけなかった。この矢先にと云いますかね、これは3月の日付を持っていますが、この5月には息子の善鸞を義絶するということが起ってきます。関東は大混乱をしている、そんな状況の中でこの偈文を作っておられる。親鸞聖人が何を抱えておられたかということを考えるときの材料かとも思いますが、これは我々がいつの間にか念仏一つをここでいただくという話をしているのですが、やっぱり上がって行く発想が出て来るんだと思いますね。長年聞いて来たらオレの方がましやという根性が出るかも知れません。そしたらいつの間にか指導者側になるわけです。自分が導いてやる側になるわけです。でも親鸞聖人は違いますね。共に凡夫、弟子一人も持たず、共に阿弥陀によって導かれながら歩んで行く、これが親鸞聖人が立たれたところでしょ。そこがぼやけるのが関東の混乱でもあり、ゆくゆくは混乱の要因の一つである善鸞のことも視野に入っているかも知れません。そんなことを思う偈文なんですね。これは教行信証よりさらに詳しく述べられているということで見ていただいたことであります。三経の真実
ここまで長らく善導大師の観経理解を承けてお経には顕の義と彰の義があると云うて来ましたね、勧めていることと、それを通して気が付いてほしいことと両方ある。その顕の方は、観経は定散二善を修しなさいと云ってるわけです。しかしそれを本気でやれば必ず徹底できないことに気が付く。直面するはずなんですね。そこにいよいよ出来ない者はダメだと云うんじゃなくて、念仏一つですべての者を救おうとする本願のお心がいただけるはずなんです。もっと云えば、観経を説いたお釈迦さまの心もいただけるはずなんです。そこまで行かないと、観経だけ読んでいると、善根功徳を積めと書いてあるやないか、だから頑張ってるんですと、こういう話になるんでしょうね。あるいは本願文を見ても18願の念仏ひとつでというのはよう分からんけれども、沢山の功徳を修しなさいという19願の方が分かり易いですわとなるかも知れません。そういうふうに本願のお心と、大経・観経をお説きになったお心を併せて確かめて行くというのが、いままでの引用になっていると思います。それをまとめたところに入っておきます。338頁の最後の行から5行ぐらい読んでみましょうか。「しかるに今『大本』に拠るに、真実・方便の願を超発す。また『観経』には方便・真実の教を顕彰す。『小本』には、ただ真門を開きて方便の善なし。ここをもって三経の真実は、選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、すなわちこれもろもろの善根を修するを要とするなり。」ちょっとここで切りましょう。「しかるに」とは、以上のことから、そうであるから大無量寿経によると「真実方便の願を超発す」と云われています。これは先ず真実の願を発して、それから方便の願が発されたと云おうとしているのですね。分かり易く云えば真実の願というのは18願、念仏一つでどんな者も平等に迷いを超えさせる、これ18願で云われているわけです。ところがそれに頷かない者の問題があるという話をしましたね。なぜかと云うと、念仏一つと云うと簡単すぎる、そんなもので迷いが超えられるはずないじゃないかということもある。あるいはもうちょっとオレには何かやらせろと、磨き上げて自分を高めて行く教えの方が分かり易いということがある。それに応じて19願が説き出されたということが真実から方便の願が発されたというこの順序であります。パッと見れば真実方便としか書いてませんから、真実方便の願て何ですかと一つのものと見る見方もありますが、聖典は一応中黒を入れて真実そして方便の願と、読み易いようにしてますね。私はもうちょっとそれを補って、真実の願を発して、そして方便の願を発したと、これが真実方便の順序だと思います。次は「また『観経』には方便・真実の教を顕彰す。」とあるでしょう。こちらの方は完全に方便から真実なんですね。これはずうっと読んで来たとおり、観経ではまず定散二善を修しなさいという方便がありました。しかしそれを通して、それを出来ない者はアウトだというためじゃなくて、出来ない者にも道がある、ただ念仏一つに引き入れるための教えでありました。だから方便の教えから真実の教えが顕彰すると、顕も彰も当てはめていますよね。今まで読んで来ましたが、顕の方が方便の教えでしたね。彰の方は言葉には直接彰われてないけれども、奥に隠されているものと、こういう教えでした。彰は詳しく云うときには彰隠密と親鸞聖人は仰いますね。隠されている教えなんですよ、これ。だから文字通り表に顕れている顕の義と、その奥に隠されている彰の義であります。例えば親が子どものことを本当に思うときに「出て行け」と云うことがないわけじゃない。これいい喩えじゃないですよ、でもこれ本当に出ていって欲しいということではない。出て行けと云う程怒っているということを伝えたい、それを通して気が付いてほしいことがある。人間世界でもそういうことあるでしょう。その言葉尻だけ捕まえて出て行けと云うから出ていくというのは売り言葉に買い言葉と云うだけの話です。それは表現としては十分じゃないかも知れませんが、そう云わないと気が付いいてくれないというぐらいのことがあります。ここはお釈迦さまの教えで云うと、やっぱり本願の教えは18願で、ただ念仏一つで助けると云ってるんですが、それに気が付かない者をどうするかと云うたら、唯除、ただ除くと云ってるわけです。あんたは助からんと云ってるわけです。つまりただ念仏の教えを疑う者は除かれていくわけです。これ除くと云うているやないか、助からんのでしょうという話じゃないんですね。除くということを通して自分は罪を作っていた、愚かなことになっていたと気が付かせるための呼び掛けだと云ったのが親鸞聖人です。唯除というのは唯除くという呼びかけなんだと読んだのが親鸞聖人なんですね。除くと云って知らせたいことがある、気が付いてほしいことがあるというふうに唯除を読んでおられます。だから18願に唯除が付いていますが、その展開で唯除で終りじゃないです。ただ除くと云って、じゃぁここからやれという形で、実践項目を与えたのが19願の修諸功徳なんですね。菩提心を発してもろもろの功徳を修しなさいと呼び掛けて行くわけです。ところがそれを通して見えて来たのが功徳を徹底できない、積み上ることが難しいとなったときに、念仏一つと呼び掛けられていたことの意味が自分のためだというふうにいただけるということが起るわけですね。これ何遍も云いますが、親鸞聖人ご自身でもそうだったと思いますよ。比叡山の上は菩提心を発して功徳を積む道だった。その時には念仏一つということはなんか修行出来ない人の道だろうと思っておられた。あるいはなんか弱い人間のための教えじゃないかと思っておられたと思います。ですから29歳までは只管修諸功徳であった。法然上人が唯念仏と云ってるということはとっくに知っておられたと思いますが、なんかあれは仏教と云えないんじゃないかと思っておられた。ところが20年修行して近づけないとなった自分を引っ提げて法然上人に尋ねたところ、そういうあなたのために念仏一つと云う道があるんだ、どうぞ念仏して生きて下さいという教えが飛び込んで来たと思います。これが機が熟したということでしょうね。熟さない時はいくら念仏一つと云われて帰依出来なかったんですね。これを大経には真実の願から方便の願に展開したということ。観経じゃそれが逆になっていて、方便の教えから真実に導こうという順序になってますよと、言葉を入れ替えることによって親鸞聖人は示そうとしておられるように思います。次が「『小本』には、ただ真門を開きて方便の善なし。」真門というのは名号一つ、名号以外の善は立てていないという意味です。南無阿弥陀仏一つでいいですと。ただ面白いのは次です。「ここをもって三経の真実は、選択本願を宗とするなり。」つまり一人残さず助け遂げたいというのが選択本願ですから、これが中心になっているのは大経も観経も阿弥陀経も一緒だと云ってるわけです。そこに願いがあるんですよ。ただそこに引張って行く、引張り方が違います。観経はもろもろの善を修しなさいという方便の善を掲げました。阿弥陀経は名号一つです、南無阿弥陀仏一つでいいというのですが、そのつぎ、「また三経の方便は」と。アレっと思いませんか。阿弥陀経には方便の善なしと云ってるのに、また三経の方便はと云うわけです。「すなわちこれもろもろの善根を修するを要とするなり。」結局阿弥陀経が勧める名号は善根を修するという形の念仏なんです。だから19願はいろんな善根功徳を修しなさいと云っている。でも、そう云われても全部は無理ですわとなったら、じゃぁ全部とは云わん、念仏だけやりなさいというのが阿弥陀経の勧め方なんです。でもそれを通して本当の念仏へ引張って行くのが阿弥陀経のおはたらきなんですね。だから善根功徳としての念仏と、そうでない念仏と、これが阿弥陀経と大経の対比と云うことに今度は話が移っていくことになります。まぁもうちょっと先ですけれどね、でももうここに既にそれが出ているわけです。どう違うかと云うと、ひと言で云うならば第18願の念仏は親鸞聖人が仰るように何遍称えても私への呼び掛けであります。南無阿弥陀仏というのは阿弥陀仏に南無せよとの呼び声なんですね。自分が称えた念仏でも、阿弥陀から呼ばれたということです。10遍称えたということは10遍呼ばれるのです。どっち向いて生きとるんやということです。阿弥陀を大事に生きよという呼びかけ、これが南無阿弥陀仏なんですね。だから隣の人の南無阿弥陀仏にドキッとさせられることがありますわ。誰が称えるかで値打ちが変る、そんなことないんです。誰が称えようがです。南無阿弥陀仏、そのものが私への呼び掛けなんです。ところが20願あるいは阿弥陀経が説く念仏は一遍唱えたら一功徳積んだというような念仏なんですね。今日は100遍出来た、通算で一万回来ました見たいなことです。だんだん自分が積み上げて高みに上って行くようなものを持っております。だから発想とすると、積んだ念仏によってというような聖道門的発想が残ってるわけです。呼び掛けの念仏の方は、覚りの方からこっちに届いてくる念仏です。同じ南無阿弥陀仏でも全然違うんですね。功徳を積む念仏。でもそこからやれというのは分かり易いでしょ。頑張って念仏してくれと呼び掛けるんですよ。他の功徳は要らんから、他の善根功徳に執われんでいいから、念仏一つでいいから、これが善の本、徳の本として、善本徳本としての念仏というふうに云われることが出てまいります。
いままでは観経にいろんな功徳を積むということを中心に読んで来ました。これがも少し後に行きますと、今度は念仏一つを善根功徳として捉えることが出て来ます。これもまた難しい話ですね。勧めているという意味として善本徳本としてやれと云うてるわけです。でもそれを通して本当の弥陀の呼び掛けとしての念仏に出遇ってほしい、これが阿弥陀経の底に流れている教えです。やっぱり顕と彰があるんですね。これは善導大師が観経について云われたんですが、阿弥陀経にも同じようなことがあるといわれたことを親鸞聖人は後になって出してこられます。
ええ、また本当にややこしい話でいつも恐縮ですが、一応これで観経をどういただくかという区切りになります。善を勧めている観経、しかしそれは善をどれだけやったかということをランク付けするためではなくて、本気でやれば必ず壁にぶつかる我が身が見える。それが機の問題であり、時の問題だというところまで来たわけであります。それを通して見えてくる問題が展開されてきますので、次回はそこに入って行きたいと思います。