『教行信証』の化身土巻を読む(10) 一楽 真 師
2017/ 01/ 20
方便は如来の慈悲
親鸞聖人の教行信証は文類でありまして、引用文が非常に多いわけですね。これは何遍も申し上げておりますが、親鸞聖人は引用文を読んでほしいわけです。引用文を通して大事なことを確かめようとしているわけですね。だから自説を滔々と述べるという話じゃなくて、お経にはこう書いてある、或いはそのお経を受け止めた方々がこんなふうに述べて下さっているという、まぁ親鸞聖人が先達に聞いているという、これが教行信証という本であります。しかし逆に云うと引用文でありますので、どういうお心で引かれたのであろうか、なぜこの部分なんだろうかとかね、あるいは順序を変えてある場合もありますので、なんでこんな順番で引かれるのだろうかということを考え出すと、まぁいろいろ切りがないことになるわけですね。だから始めの予想通りでありますが、多分ややこしいことになるやろなと思いながら、私はその辺を気にしながら自分なりに受け止めたいと思っているもんですから、毎回の話しが大体ややこしいことになっているわけです。でもこれは教行信証という書物そのものの性格というものもあると思うんです。念の為に云いますが、親鸞聖人のせいだという意味じゃありませんで簡単に分けられないということです。例えばこの方便ということ一つを取ってみてもですね、真実に導く方便だけなら真実の前に置いてあれば話は簡単なんですね。真実に導く前に方便があって、方便を通して真実に帰入しました、出会いました。それでいいわけです。でもその場合の方便は真実に帰依したらあとは用なしになりますね、不用であります。真実に入るまでの方便ということです。ところが親鸞聖人がこれを6巻目に置かれてるということは、方便は真実に帰依したところにも大きな大きな意味を持って来るという、こういう思し召しがあると思われます。つまり真実に出会うためにも要るんです。けれども、出会った時にあれは方便だったなぁと後からいただけることがある。これ宗祖ご自身の歩みで云えば、例えば比叡山時代20年の修行を励んでおられたときに、これは方便だなんて思ってやっておられないですね。ここに仏法あり、これが真実の道だと思ってやっておられるわけです。ところが20年重ねてみて、なかなか覚りに近付けない、こういう中から山を下りる決断をして法然上人に出会ってみたところが比叡山では助からなかったということも、これが大事な意味を持つと息を吹き返してきたわけでしょ。法然上人に会わなかったら、ただ単にあっちでもダメこっちでもダメと迷い続け、そういうことで終わったかもしれません。でも法然上人にお会いしてここに真実があったか、本当の仏教があったかとなったときに、あぁ比叡山で納得できなかったことが法然上人のもとにまで行くことになった、あれは正にご方便だったなぁと受け止めることになったと思います。だから真実に遇わないと方便もないという問題なんですね。後からいただいてみれば、既にしてあった世界。これが教行信証では既にして悲願いますと書かれていました。とっくに本願の中に居ながら、その本願をいただけずに右往左往しておったなぁと、こういう出会い方なんですね。だから始めっからこれが方便だなんてことは云えない。私たちが例えば人に対して道を教えるときに、まぁやってみろ、方便だからと、こんなことあるはずないですわ。その時は一所懸命やるしかないですね。そのうちそれがダメなことに気が付くだろうと、そんなこと軽々しく云えない。これはお釈迦さまでも云えないことやと思います。ましてや親鸞聖人は私が誰かに云うてやる方便とは云わないので、これが何遍も繰り返しております如来の方便、方便はどこまでも如来からのはたらきかけと読まなければなりません。出遇ってみればあれも方便だったかなぁと云う面もあるんですが、しかしそれが本願に帰して終りだったかと云うと親鸞聖人の場合終りじゃないですね。法然上人にお出会いし念仏一つに立ったつもりのところ、念仏一つで生きるんだという中にもいろんな計らいの心が起ってくる、自力をたのもうという心も起ってくる、そのために何に立ち返るのかという形で方便の呼び掛けがまた響いて来るということがあるわけですね。だから29歳のときに卒業しましたという、そういうふうには云えない。方便と真実はいつも共にある話で、真実に呼び返そうとする、導こうとするおはたらきかけを29歳の後も頂いて行かれたと思います。この辺をはっきりしておきませんと、方便というと真実に入るまでの準備段階のような非常に軽い話になってしまうんです。しかし帰入したところにもいよいよ要るんですね。それが化身土巻では後半が特にそうでして、念仏一つに決まったところにも、それが自力の念仏に落ちていくという問題があるわけです。念仏することを何か善根功徳を積み上げているような意識になっていく、そういう我々の信心を問うものとしての方便も大変大事な意味を持っています。その意味で帰入する前のことが方便といただかれることも一つです。しかし今度は帰入したところにもいよいよはたらきかけてくる方便がある。こういう二段構造になっているわけですね。
依るべからざるものをえらびすてる「簡非」
もうちょっと云うてしまいますと、後半の方は外教邪義の異執を教戒するという問題が出て来ます。そこに行きますと別に仏教だけじゃないんですね。仏教以外のそういうものも方便化身土巻に位置付けられます。昔からの云い方では非を簡ぶと云うてね、本当でないものを選んでいくと云って簡非の意味だと昔の講者方は云われます。本当でないものを簡んでいく方便だというわけです。言葉としてはある意味そうです。依ってはいけないものをはっきりする。それによっていよいよ依るべきものがはっきりする。でもそれは単に真実か、真実でないかというようにこちら側から見て決めるわけにはいかない。極端な云い方をすれば私たちは仏に帰依してるつもりでも、仏を仏でなくしていくということがあるのです。本当は仏のはたらきかけはね、如来の方便というのは我々を目覚めさせるためのはたらきかけでしょうね。でも目覚めさせるためのはたらきかけに遇いながらも腰を下ろしていくという問題があるんです。だから依ってはならないものが初めから恐ろしい魔物の顔をして現れてくれたらいいんですけれども、いかにも我々を救うぞという仏さんの顔をしてやって来るということがある。そこに仏に依るのか魔物に引きずられているのかが区別がつかないという問題が起ってくるわけです。どうやってそれを超えるか、これが非常に大きな問題になります。これが20願からの展開として私はいただいておりますが、一言で云うならば、これは念仏に生きておられる、自分に先立って仏法の世界を生きておられる人々のはたらきかけ、無数の諸仏のはたらきかけをいただくほかないと思います。自分独りでこれが本物かこれが偽物か、そんなこと決められないです。我々に先立って悩んで下さった、或いは迷って下さった、そういう方々のお言葉が我々が依るべきものはこれだというところに連れて行って下さるわけですね。その意味で化身土というのは我々に先立って迷い苦しみ求めて来られた歴史の産物と云ってもいいかもしれません。この辺を先人は化身土の課題は第17願の諸仏称名と響き合っていると示して下さっているのですが、教行信証って厄介でしょ、立体構造なんです。17願の次は18願だと一応そうなっているが、それが実は20願の問題、更には外道の問題とも重なるんです。仏法に依っているつもりで仏法でないものを仰ぐという問題に落ちていくことを踏まえながら、もう一遍依るべきものを確かめる、こういう展開なんですね。だがそれはだいぶん先の話でありまして、大きく云うと「簡非」という依ってはならないものを簡んでいく言葉なんですけれど、どの部分がそれなんだとそう簡単に決められないんです。どの部分が引っ張って下さるところでどの部分が簡んでいるところか、そんなこと決められない。一つのことが我々にそれを気付かせる場合もあるし、逆に引張ってるはずのことが今度は誤解して腰を下ろしていくという問題があるのです。どちらもあるから、この化身土が読みにくい理由だと思っています。読みにくいのは親鸞聖人のせいじゃなくて私たちの問題なんですね。だから方便だと云われたときに、これは真実じゃないんですよと決めつけてしまったら、もう第6巻目を読む意味ないでしょうね。5巻目まで読めばいいんですわ。しかしその本当の仏さまに依っているつもりが真実を捩じ曲げていくこちら側の問題があるもんですから、そこに寄り添う形でもう一遍呼び返そうとする、これが第6巻目であります。小行、少功徳、少善根
それで前回読んでおりましたのが329頁の如来会のところでして、そして終りの3行目の所へ差し掛かっております。始めに二つのお経の文章を音読します。「『大経』に言わく、もろもろの小行の菩薩、および少功徳を修習する者、称計すべからざる、みな当に往生すべし、と。
(如来会)また言わく、いわんや余の菩薩、少善根に由ってかの国に生まるる者、称計すべからず、と。已上」
この二つは小行の菩薩とか少善根という言葉があるとおり、本当の仏にお会いするということが出来ていないあり方なんですね。仏にお会いするということを抜きに浄土に生まれるということはあり得ません。もっと遡れば、仏にお会いするということ抜きに目が覚めるということはないんですね。にもかかわらず仏に会うたつもりになって、仏教分かったというところに腰を下ろしていくという問題はお釈迦さまの時からずうっとある。ここでも何遍もお話ししておりますが、ボクは提婆達多がその例だと思 います。彼は誰よりもお釈迦さまのことが分かった、お釈迦さまの教えを理解したと思っているわけでしょ。ところが跡継ぎを私に任せて下さいと云った時に、それはお釈迦さまから拒否されます。それを逆恨みしてお釈迦さまを殺しにかかる、なんとも仏典の中では悪人として出るわけですが、しかしよく考えてみれば提婆達多はある意味生真面目な人やったと思いますね。お釈迦さまが年取ってこられた、あとどうするか、一所懸命考えて後は私に任せて下さいと云ったんでしょうね。しかしその発想そのものがお釈迦さまからすれば一番仏法から遠いんです。なぜかと云えば、私が一番分かっていますということでしょう。私が後継ぎに相応しいということは、あの人ではダメですと云ってることですね。あいつに任せたらとんでもないことになりますという根性でしょ。それが実はできる人とできない人、やれる人とやれない人というふうに人をランク付けしていくことになる。お釈迦さまはそういうふうに人を見ませんね。例えば愚か者と云われた周利槃特でも覚りを開いていく者として接せられます。どんな人とでも平等に向き合われたお釈迦さまからすれば、私に後任せて下さいというのは、いくら真面目な心から云ったとしても、人間的な責任感から云ったとしても、仏法を任すわけにはいかなかったでしょうね。でも提婆達多は自分が一番仏教を分かっているつもりなんですよ。でもそれをここでは、少善根とか少功徳と云われます。つまり仏にお会いしてないんです。仏教の伝統的な言葉で云えば見仏ということが一番の問題ですね。仏にお会いする。或いは我々が日頃使う言葉では聞法と云います、これが難しいんでしょう。聞法というのはお座に坐って教えを一緒に聞くことを聞法と云ってますけれど、そこで法を聞いているかどうかということは大問題ですね。私自身のことを思い出しました。
私、安田理深先生のお話4年間ほど聞くご縁をいただきましたけれどもね、もうとにかく難しくて何を仰っているのやらよう分からんかった。でも先生の譬え話だけはよう憶えています。「あり得ない概念はあるんだ、たとえば三角形の馬があるとしよう」とかね、三角形の馬ってなんやろうと思いましたわ。でも言葉とすると三角形の馬、そんなものあり得ないと云えない。三角形の馬という言葉はあり得るという譬えなんです、これ。その譬えは憶えているんですけれどあり得ないことの譬えとしてこれを仰った。言葉は何でも云える、概念はどこにでも立つというんです。それを通して目覚めるということにはならんという話ですね。そういうことを後から気付かさせられましたから、また三角形の馬が出たなということは憶えてましたけれど何の話やらよう分からんかったですわ。譬え話は憶えてるんですけれど、法を聞いたことにはならなかった。仏法というのは簡単なようで簡単じゃないですよ。仏教用語を聞いて覚えるということは出来るかも知れませんが、そのことが何を云おうとしているのかという、その法に出会うのが難しい。聞法という言葉はありますけれど、聞法しているかどうかは分からんのです。もっと難しいのは見仏。お釈迦さまの顔を見ても提婆達多みたいなことになるんですから。仏にお会いするなんてことは成り立たない。だからそういうところで自分は分かったとか掴んだとか云うてみても全部それは思い描いただけの話です。それをここでは少善根とか小功徳と云われるわけです。それでは仏の世界に生れることにはならない、あるいは仏道を歩むということにもならない。これは本当に親鸞聖人の実体験から云えば比叡山時代はそれこそ真面目に沢山の行をお積みになられたと思いますよ。それこそ寒い冬も暑い夏も身体をいとわずに修行に励まれたと思います。しかし親鸞聖人はそれを後では雑行と仰るわけでしょ。いろんなことをしたけれども行にはなっていなかったと断言なさいます。つまり仏を知らないにもかかわらず、これはきっと仏に成る行だとどこでいえるんですか。法を聞いたと云えないのに、これが仏法に適っているとどこで云えるんですか。だから雑行というのはものすごく厳しい言葉だと思います。いろいろしたけれど行でなかったという意味ですよ。ご自身のことを本当に深く反省なさったお言葉です。云われてみればそうなんですけれど、仏に遇うたこともないのに、これが仏だと勝手に思い描いている、そしてこれが仏に至る行だと勝手に決めている。その自分の勝手な思い込みで仏道を歩んでいると思ってるだけなんです。それが前回からのここの文脈で云えば、いくら積み上げてもそれは少功徳なんです。どれほど励んでみても少善根なんです。ひとつ前の無量寿如来会の言葉で云えば「もろもろの功徳を修習することあたわず」結局功徳を積んだことにならないという言葉がありました。さらには「かるがゆえに因なくして無量寿仏に奉事せん」と云っています。無量寿仏にお事えするという因がないんですよ。にもかかわらず事えている格好だけしとるんです、これは。仏さまに事えてます。仏さまを仰いでますと云うけれども、結局何を仰いでいるか実は分かってないんです。こういうところに落ちるんですね。ですから我々が積み上げた行というのが真面目か不真面目かという問題じゃない、長年やったか、そんなことも問題じゃない、結局行になっていないという問題なんです。迷いを超えることに繋がらないということです。これは教行信証の文脈で云えば、どこまでも教行信証が語るのは如からのはたらきかけ、如がこちらに届いている、それに導かれるしかないと云うんです。逆に我々からどれほど如来の世界に、仏の世界に行こうとしても天空に梯子を懸けるようなものだと昔の説教者はよく云ってました。どこに向って行くのかも本当は分かっていない。しかもその梯子もいつ倒れるのかも分からない。天空に向って梯子を懸けてるようなもので、きっとこれは仏道に至るに違いないと一段ずつ登り始めるんですけど倒れるんです。でもそれしかこちら側からできることはないでしょう。真面目にやっているということしかない。でもそれが本当に仏道であることが証しされるのは如来からのはたらきかけ、親鸞聖人の言葉では如来の回向です。仏がこの道を歩めと示して下さる、そこしか本当の仏道はないんです。でもこれ親鸞聖人も20年かかりましたけれどもね、親鸞聖人が出遇うことができて、それを周りの人にお伝えしようとしてもどうなりますか?如来の回向によって助かるんだと云うと、なんか甘えているようだと云われる。如来がナンマンダブツ称えて下さいと選んで下さった行だといくら云ってみても、それは簡単すぎるというわけです。やっぱりこちら側からいろんなことをやってる方が意味があるように見えるんですね。これは現在に至るまで続いているやり取りだと思います。こちら側から梯子を懸けてる方がなんか真面目に見えるんです。逆に如来から南無阿弥陀仏を称えなさいと云われても、このことをいただくことはなんか甘えているんじゃないかと見えてしまう。全然意味が違う。楽しようと思って南無阿弥陀仏じゃない。本当の迷いを超える道はそこにしかないということなんです。これが親鸞聖人の時もなかなか受け容れられませんでした。現代でもナンマンダブツで助かるというのは、そんなことあるはずないという話になっているんですね。それぐらい人間はこちら側から少しずつ積み上げるということの方に意味を見出す、それしか発想がないんですね。それがここに書いてある「因なくして無量寿仏に奉事する」、全然仏道とも何とも云えない、根拠がない、証明もない、これが浄土教の話で云うと阿弥陀の本当の世界に生れるわけにはいかない。本当の世界というのはどんな者も分け隔てしないという世界ですよ、だれもが平等に迎え取られる世界、そういう世界には生れずに、浄土の教えに触れながら端っこ、片隅、想い描いた自分の殻の中に閉じ籠もっていると云われる。これが始めに云われた懈慢界とか疑城胎宮という言葉で云われている浄土のことであります。だから生まれないわけじゃないんですけれど、本当の広い世界、誰をも分け隔てしない浄土とは甚だ質が異なっているあり方なんですね。ただそういう者をも仏は見捨てない、これが小行の者も皆往生する、あるいは少善根の者もかの国に生まれる者は数え切れないほどだと云っていました。
歎異抄16、17条の教え
ただこれ前回最後の方で少し触れていましたが、歎異抄のお言葉をいただくと、これはどういう意味かというと我々を見捨てないためにあえて仮の世界、方便化土に一旦生れさせようというお心が見えるというお話をしておりました。これは歎異抄の作者が誤った考え方として云っているところなんです。聖典638頁第17条にこんな言葉がありましたね。「辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ。」こんなこと云う人もあるわけです。辺地というのは本当の浄土ではない。浄土の端っこだということは歎異抄も歎いているんですね。直前の第16条でもそんなことが出て来ます。折角親鸞聖人のお導きに遇いながら本当の往生を遂げずに端っこに止まっている、自分の殻の中に閉じ籠もっているのは何とも悲しい、歎くべきことだと云われる。しかしそうだからと云って辺地の往生はダメだという話じゃないんですね。それがここの辺地往生の人はついには地獄に落ちるんだという人が出て来ている。これもさっき云うた方便の難しさでしょ。辺地往生は本当の往生じゃないという意味では批判されているわけです。簡非という問題です。しかしでは辺地はダメだと云ってそれは地獄に落ちるようなあり方だと、本当の往生じゃないんだと、ただ単に批判されるばっかりかと云うとそうでもないという話です。ここに二面性があるでしょう。決して辺地の往生が勧められるわけじゃないんですよ。本当の往生を遂げてください。誰をも分け隔てしない阿弥陀の世界に出会って下さい、これが一番の勧めです。しかしそれを勘違いして辺地に止まるあり方、浄土の片隅に腰を下ろすあり方、それはダメだと頭ごなしに蹴散らすわけでもない、それを第17章は云うんですね。だから「辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ」これは誤った考え方なんですが、それに対して「この条、いずれの証文にみえそうろうぞや」こんなことどこに書いてありますか、お経にそんなこと出てないでしょうというわけです。お経には辺地の往生のことが書いてありますけれど、それも沢山の人が生まれられるというふうに書いてある、そういう文脈なんですね。どういうふうに云っているか。2行飛ばして「信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいのつみをつぐのいてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ。」一旦辺地、浄土の端っこ、本当の浄土ではないんだけれどそこに生まれて、疑った罪を償った後、真実報土のさとりを開く、そう承っておりますと、歎異抄の作者が云っているのです。そしてその後「信心の行者すくなきゆえに」なかなか真実信心に立って生きて下さる方が少ないから「化土におおくすすめいれられそうろう」とあります。つまり方便化土、辺地であってもとにかく浄土を志してほしい。阿弥陀の世界に触れてほしいと云っている。始めから真実報土じゃないと許さないというのではない。誤解でも良いからとにかく浄土に心を懸けてくれという、これが如来さまのお心だ。なんとか導こうとする如来のご方便なんですよ。だから真実信心じゃなかったら許さんと、そういうんじゃないんです。結局如来さまが化土を勧めて下さっていることをむなしくなると云うことは如来に虚妄を押し付けることになりますよと、ここまで云うているわけです。これがさっきもいいましたが、真実報土が一番出会ってほしい世界なんです。しかしそれはそう簡単にいかないので化土、方便の世界にでも生まれてほしいということを勧めて下さっている。とにかくまず浄土を願えという。勘違いはその後でだんだんあぁまちがっていたなぁ、本当の世界を知らずにそむいていたなぁという疑の罪を償うということが起こってくるはずです。だから白か黒かじゃない、誤解でもいいからまず仏法に縁を持ってほしい、浄土の教えに縁を持ってほしい、こういうことが説かれているんです。その意味で今日読んだ文章がどうなるか。329頁に戻ります。方便の二面性
大経の言葉では「もろもろの小行の菩薩、および少功徳を修習する者、称計すべからざる、みな当に往生すべし」。小行の菩薩、小行というのは自ら積んだ善根なんですね。少功徳というのは本当に阿弥陀に遇うたとは云えない。自らの善根功徳を当てにしようとする、そういうあり方です。しかしそういう者であっても数えられないほど沢山の者が往生するに違いないと云うて下さっています。まぁこれは化土に生まれる者は多いと勿論読めます。真実報土の往生が少ないと、こう読める文章でもあります。しかしただ単にそういう批判として読むのではなく、まずは化土に勧め入れて下さっている文章としても読めるわけです。だからさっき云いました誘引するという方と、それは本当の往生じゃないよと教えようとする面と両方ある。だから一つの文章が二つに読める。先ずは往生してほしいという意味では我々を導く如来の大悲からの方便の呼び掛けなんですね。しかしそこに本当の往生とは云えないということも見えております、両面読めるんですね。まぁこれ片方にしてくれと云われるかもしれません。いろいろな解説本ではここは引張る面だとか、こっちは批判する面だというふうに分けてある解説書もあります。非常に分かり易いんですけれどボクは一面にはならないと思います。それはさっきの歎異抄が方便化土の往生を歎いていると同時に方便化土は勧めて下さったんだといただく言葉が出るのと同じであります。勿論それはお経のお言葉の受け止め方が両面あるということです。だから私みたいな者はダメやと云うとる人に対しては、いやそんなことはない、とにかく念仏すればみな助かるよと云わんならん時があるわけです。しかし念仏しておれば助かるんでしょうと云うのに対しては、そんな念仏では助からんと云わんならん時もあるわけですよ。そういうように仏の説法には二面あるんです。だからまずは縁を持って下さい、浄土の教えに出会って下さいという方便の面、これが先ずこの経文のところでね、いただいておくべきことかと思うんですね。19、20両願に関わる問題
次の如来会のお言葉も読んでおきます。「また言わく、いわんや余の菩薩。少善根に由ってかの国に生まるる者、称計すべからず、と。」これは大経と同じ部分、相当するところを如来会からも引いておられますが、こちらでは「少善根」という言葉が出てまいります。これは阿弥陀経の「不可以少善根」という言葉と結びついております。「少善根を以てしては生まれることはできない」という、この言葉です。だからここに出るのは全体、19願と20願を包むような如来からのご方便のはたらきを云わんとしているのでありまして、その内容が詳しく述べられるのは後に分けていかれます。第19願の方はいろんな功徳を修するのか念仏に立つのかといういわゆる行の選びです。これは親鸞聖人といえども29歳でね、念仏一つに帰した親鸞聖人が42歳の時三部経千部読誦しようとする、読誦を行じようとする、当てにしようとすることが起こるわけです。念仏に帰したところにもやっぱり他の行を積もうという揺らぎが起る。そのときにやっぱり功徳を積むのか、念仏一つに立つのかというこの19願の呼び掛けが親鸞聖人には改めて響いたと思います。だから19願は29歳の時に卒業だというわけにいかないことが宗祖の上にもあると思います。まして我々は云うまでもありません。念仏に帰したつもりがやっぱりいろんな功徳に次の日からでもね、心が行くわけでしょ。同じ念仏するにしてもやっぱり写経したほうが功徳あるんと違うかとかね、あっちこっち八十八ヶ所回ってきたと云う方がおられます。行くのはいいんですけれど、その根性は何なのかということですね。たとえ念仏一つに帰したところにも、それが今度善本徳本として修する、つまり善いことをつみあげて積み上げて行こうとする心なのかそれとも仏の呼び掛けをいただくのか、如来さまからのおはたらきかけをいただくのかという信心の受け止めが20願の問題であります。念仏一つに決まったところにも自力を立てようとするのと如来からのはたらきかけを戴くのかという大きな別れ道があります。これが20願の問題なんです。これは生きている限り終わらないと思います。念仏一つに帰したというその中にもそれを善いことをしているつもり、私ほど立派な念仏者はおらんという根性が湧けば、それは完全に自力の念仏ですからね。どういう念仏に立つのかということを厳しく問うてくる20願の呼び掛けは生きている限りはたらき続けると思います。その意味でここは19願20願を包んでの方便全体を押えてるところでありまして、あとで分けて述べられることになってまいります。こんなこと云うと、あとの三願転入どうなるんやという話が出て来そうなので、ちょっとだけ見ておきましょうかね。三願転入
いまの19願20願18願の関係が後に述べられるのが三願転入と呼ばれる文章でありますが、この聖典では356頁であります。「ここをもって、愚禿釈の鸞」親鸞聖人は自分自身のことを語る時には必ず名前を入れますね。「論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って」これ誰と云って特に限定してはありませんけれど、特に一心帰命を掲げて下さった論主と云えば、やっぱり基本的には天親論主でしょうね。宗師は曇鸞大師を指す場合もありますが、ここでは特に善導大師が観経から阿弥陀経を読むところに戴かれておられますので、まぁ限定すれば善導大師ということになるかもしれません。しかし曇鸞、道綽、善導その辺りの天親菩薩のお言葉をお勧めとして戴いて次のことを云うわけです。「久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。」万行・諸善の仮門は19願を指していると云われますね。双樹林下は沙羅双樹の下で入滅なさったお釈迦さまの涅槃の姿になぞらえまして、そういう往生を遂げたいと願うあり方です。云わば理想的な往生の姿でしょうね。形として理想的なあり方を決めると云ってもいいかもしれません。しかし親鸞聖人はそれを離れると云っています。その次に「善本・徳本の真門に回入して」とこれが第20願。真門の念仏と云われるそのあり方。「ひとえに難思往生の心を発しき」難思往生というのは弥陀経往生として語られるものであります。「しかるにいま特に方便の真門を出でて」いま方便である真門をも出て「選択の願海に転入せり」これが第18願を指すと云われるわけです。「速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。」果遂の誓いとは第20願のことであります。これは大体親鸞聖人ご自身のことだと受け止めて時期に当てはめるのが長らく行われてきました。例えば万行諸善の仮門を出でて永く双樹林下の往生を離るというのは、これは29歳。法然上人の門下に入った時なんです。そして善本・徳本の真門に回入、これ念仏一つに入ったわけですが、「難思往生の心を発しき」、これが法然上人の下で念仏一つに立ったその時から始まったということですね。「しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。」これがいつのことか、いろんなご意見があります。例えばさっき申し上げた三部経千部読誦をお止めになった。しかしそれも難しいでしょう。あれ42歳の時ですけど、59歳の時にもう一遍うなされる形で出てきたといいますから、それを踏まえて59歳以降だという人もいますね。それも難しいと思います。だって親鸞聖人、最晩年に至るまで浄土真宗に帰すれども真実の信はありがたしと仰いますからね。私はもう絶対他力一つになりましたとかね、もう自力の心は消えましたとは云わないんです。そうなるとこれはキリがないんじゃないかということになって、時期を当てはめるのは難しいなぁと云ってる人もあります。しかしこれは果たして時期を当てはめんならんことなのか。確かに久しく万行・諸善の仮門を出でてというのは自力の行を捨てて念仏に入った、本願の教えを戴いたということでしょうね。29歳の時とこれは一応決められるかも知れません。しかしこれもさっき云ったっとおり、万行・諸善と永遠に訣別したと云い切れるかどうか、残るんです。そしてもう一つ問題なのは法然上人の下に入った時はこれは20願に入ったのであって18願に入っていないと、こんなこといえるのでしょうか。ただ念仏一つということに帰依したことが、これは20願に入ったという話なんでしょうか。やっぱりここは本願に帰したということはただ念仏一つという、どんな者も平等に助かる世界に帰依したはずです。しかし帰依してみたところ、そこからそれを頼りとしようとする善本・徳本として頼みとしようとする自力の心がいよいよ見えて来たということですね。だから19から20に入って、20から18と段階論的に見るから話が厄介なんで自力を棄てて本願に帰したという、これは29歳の時の出来事でしょう。しかし帰してみたところが、またそこに様々な善根功徳に執われる心もあれば念仏を徳本として握りしめようとする心も見えて来たということなんです。そうするといよいよ第18願、念仏一つということはいつも帰り続けるようなことなんですね。たとえば2年前から18願ですというようにはいかないと思います。その根性そのものが私こそ誰よりも分かってるというような、なにか握り締めてますよね。だからここに非常に特徴的なのは「しかるにいま特に」という言葉がありますが、これ何年何月何時何分というような話じゃないと思います。この本願のお心をいただく時にいつでも今という形で帰っていく。また自力の心に呑み込まれておったか、また執われなくてもいいことに振り回されておったなぁという形でいよいよ立ち返っていく、いつでもの今だと思います。親鸞聖人における“いま”というのはそういう使い方なんじゃないんでしょうかね。例えば後序に出てくる「聖道の諸教は行証久しく廃れ浄土の真宗は証道いま盛なり」のいまは何年何月何時何分という話なんですか、そういういまじゃないでしょう。つまり教えをいただく人がいる限り、いつでも“いま”ですよ。頷く人がいれば、そこに浄土真宗は盛んですという“いま”だと思います。このいまも「いま特に方便の真門を出でて」というのは本願の呼び掛けをいただくその時ということです。それが選択の願海に転入するときであります。その後にこう書いてあるでしょう。「速やかに難思往生の心を離れて」自力によって往生しようとするその心を離れて「難思議往生を遂げんと欲(おも)う」と書いてあります。遂げましたとは書いてない、いま欲うということです。いつでも本願をいただく時に人間の計らいを挟む必要がない、平等に迎え取られる難思議往生を遂げていこうと思う如来の本願にお任せするところに立ち返るということがいつでも“いま”だと思います。そしてもう一つ興味深いのは、その後「果遂の誓い、良に由あるかな」と書いてあるでしょ、これ20願のことです。18願に入ってしまったというのであれば、18願まことにありがたいと書いた方が良いんじゃないですか。念仏往生の願まことに有難いと云えば良いのに「果遂の誓い良に由あるかな」と云う。つまり念仏往生の願、18願に返し続けようとする、果し遂げようとする、本当の往生に返し続けようとする、そのご本願のおはたらきがありがたい、という言葉でしょう。となると19,20はほんまもんに入りますというような段階論じゃないんですね。本願のおはたらきを戴いたということを云うておられるわけです。ですからさっき云いましたが行の選びを迫ってくるのが19願です。諸行に立つのか念仏に立つのか、諸々の功徳を修することに立つのか念仏一つを本当の功徳と戴くのか、どっちやということです。念仏一つを戴いたところにそれをどんな根性で称えとるんや、やっぱり善いことをしとるつもりか、それとも如来の呼び掛けをいただいているのかと心を取る、信心を取るのが20願であります。本願のおはたらきによっていつでも立ち返り続けるという動きを表わしておられるんですね。19から20、20から18というのはもうこれ停まってしまっておりますわ。もう階段が決まっている話です。だから私何段目でしょうかと、そんな話じゃないんですよ。親鸞聖人でさえそうなんですから私は云うまでもないと思います。もう19願卒業したという人おられます?ボクはやっぱりそういうこと云えないと思いますよ。念仏一つと聞きながらもやっぱり人間があれもせんならんこれもせんならんと、人間のいろんなことを積上ることに意識が行くでしょう。でも何が本当のことかということをいただき続けるということが、この三願転入と云われているところにあるとボクは思っています。三願転入の転が順番を予想させるから厄介ですけれど本願に回入する、願海に転入するという出来事、ここに自力を離れて本願に転入するということが問われているわけです。ま、敢えて云えば、三往生と云うた方が分かり易いかもしれませんね。往生と云いながら、やっぱり自力の往生に止まるか、それとも本当に本願のおはたらきによって迎え取られる他力の往生に立っていくのか、この別れ道を問うている文章として読んだ方がいいかもしれません。「いま特に」という言葉と「遂げんと欲う」という言葉、これはもうしてしまったとは云えない、何歳の時からというようなことはとても云えない、そういう言葉として読んでおきたいということであります。ですから、まぁ話しややこしくなったかもしれませんが、方便ということはもう卒業したということを云わせないという意味ではまずは私たちを浄土に向けさせようとする、仏法に引き入れようとする如来からのご方便だということが大事です。しかしそこに腰を下ろすということになれば、それに対しては真実の往生とは云えないということを厳しく呼び掛けて来るという面もあるわけです。それが次の言葉に続いているわけですね。330頁、善導大師のお言葉でありますが、「光明寺の『釈』(定善義)に云わく、華に含まれて未だ出でず、あるいは辺界に生じ、あるいは宮胎に堕せん、と」観経蔬定善義のお言葉であります。地想観に正しく阿弥陀仏の浄土を見る者と間違って浄土を見る者に大きな違いがあると云われています。間違った方を邪観と云いますが、浄土を見ていると云いながら自分なりに捩じ曲げてしまうんですよ。そういうあり方では生れられない、本当に阿弥陀の浄土に生まれることにはならないということを云う文脈の中でこの言葉が出て来ます。華に含まれて未だ出でず。華に包まれて蓮華に保たれて浄土に迎え取られるわけですが、浄土に生まれてもその花が開けないというんです。要するに仏に遇えない。阿弥陀の世界に往ったのに華の中にいるもんですから仏さまに遇えない。仏さまに遇えないということは法にも遇えないということです。そして仏法が開いてくる世界、サンガですね、それにも遇えない。仏法僧に会えないという問題なんですね。これが華に含まれ未だ出でず。こういう云い方で誤った浄土の観察を押えています。或いは辺界に生じ、浄土の端っこですね、かたすみであります。あるいは宮胎に堕せる、宮殿あるいは胎児の胎の字に譬えています。これ観経の中では胞胎という言葉もありますね。エナと云われる、元々は胎盤のことですよね。お母さんの中にいる胎児のような状態ですが、胞胎にはもう一つ大きな意味があると思われますね。エナという場合、血のつながりを云いますね、同胞とかね、一族となると結束が強くなることもあります。逆も起ります。あいつは一族じゃない、あるいは同胞じゃない、同じ国民じゃないとかになる。血で繋がるということは仲間外れを作っていくことにもなる。浄土はそうじゃないですね。いままでの経歴、背景を一切問わずに誰もが浄土のお仲間という世界であります。だからこの宮胎に堕するという意味は殻に閉じ籠っているという意味もありますけれども、血で一族ということを限定していく問題もあるわけです。ここにはそのことは出ませんが善導大師は大経の宮殿と観経の胞胎とを合せて宮胎という言葉を使っていらっしゃいます。これ全部譬えでありますけえれども本当の阿弥陀の世界ではないということであります。浄土にふれてはいるけれども浄土に生まれたとは云えない。だからそれを宮胎に堕すと大変批判を込めた云い方ですよね。堕ちると、仏道から堕ちるという意味です。更にそのことを明確にいうのは次の言葉です。これは憬興という新羅の方であります。生没年ははっきり分かっておりませんが善導大師と同じ位の時代を生きられた朝鮮半島の唯識の学者と云われています。この方が無量寿経の註釈書を書いて親鸞聖人は大変それを大事に教行信証にお引きになります。ただ引かない部分もあるのでね、親鸞聖人は本当に取捨をなさっています。唯識系の言葉は殆んど引かないですね。唯識はそもそも自分を磨いて智慧を獲得していく行を説いていますのでそちら側の部分は引かれないです。大経の趣旨を述べる部分については引いてくるんですね。ここでは前の辺界、宮胎を受けて「仏智を疑うに由って、かの国に生まれて、辺地にありといえども、聖化の事を被らず。もし胎生せば、宜しくこれを重く捨つべし」(聖典330頁)浄土に生れて端っこに居るんですけれども、結局仏さまの教化にあずからないということです。さっきのことで云えば、華に包まれて未だ出ないということです。要するに仏に遇えない、仏の世界に往ったはずなのに仏に遇えない。ここでは浄土に生まれたからまぁいいじゃないのとは云わない。このあり方は本当の往生ではないので、これを重く受け止めてそして捨てなさいと呼び掛けています。ここまでくると端っこに生まれることは決して褒められてませんね。先程は端っこに居る者は沢山いますよ、とにかく浄土に生まれて下さいという呼び掛けにも読めるんですけれど、こちらまで来ると、それは真実報土の往生とは云えませんという形で呼び掛けられています。この辺が交互に出てくるんですよ。やっぱり浄土往生を心掛けてほしいという意味では、ある程度誤解でも良いと、勘違いでも良いと云う位浄土を勧めてくる面もある。しかし勘違いしたままで終わったらいけない。真実の仏にお会いするということ、その法をお聞きするということが要るんです。往生要集における懈慢界
いま読みかかった善導大師と憬興師のお言葉は辺地のあり方は傷ましいということで、重く捨つべしと仰っているところでした。それに引き続いて親鸞聖人は源信僧都の往生要集を引いて来られます。大変長い文章でありますけれども、懈慢界という言葉を中心にして辺地のあり方、あるいは辺界、宮胎、胎宮というようなあり方を更に詳しく説明を加えて下さっています。「首楞厳院の『要集』に、感禅師(懐感)の『釈』(群議論)を引きて云わく、「問う『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界あり。乃至 意を発せる衆生、阿弥陀仏国に生れんと欲する者、みな深く懈慢国土に着して、前進んで阿弥陀仏国に生まるることあたわず。億千万の衆、時に一人ありて、よく阿弥陀仏国に生ず」と云々。この経をもって准難するに、生を得べしや。答う、『群疑論』に善導和尚の前の文を引きてこの難を釈して、また自ら助成して云わく、「この『経』の下の文にの言わく、「何をもってのゆえに、みな懈慢に由って執心牢固ならず」と。ここに知りぬ、雑修の者は「執心不牢の人」とす。かるがゆえに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずして専らこの業を行ぜば、これすなわち執心牢固にして、定めて極楽国に生まれん。乃至 また報の浄土に生ずる者は極めて少なし。化の浄土の中に生ずる者は少なからず。かるがゆえに『経』の別説、実に相違せざるなり」と。」
ご存じのとおり源信僧都は親鸞聖人が比叡山時代から浄土の教えに縁を持たれる大変大きな影響を持たれた方であります。法然上人も浄土の教えを学ぶなら源信僧都に依れ、特に往生要集に依りなさいと仰っておられますね。だから源信僧都のものは親鸞聖人がお経を読み解いていく扇の要みたいになっていて、そこからずうっと拡がっていろんなものを見ていかれたということがあります。ここだけでも例えば、『要集』に、感禅師の『釈』を引きて云わくと、ここから始まるでしょう。往生要集のお言葉なんですけど、それは懐感禅師、善導大師のお弟子さんである方が書かれた群疑論、正しくは釈浄土群疑論、浄土についての沢山の疑いが呈せられている、それに対してそれを釈して答えていくという書物の言葉なのです。善導大師以降浄土の教えが盛んになってくる一方で逆に批判もいろいろ起ってくるわけです。それをどう会通するかという問題を引き受けたのが、この懐感禅師なんですね。この方の論に引かれている菩薩処胎経の第二に説かくとあって、ここだけでも菩薩処胎経も読まんならんということになるんですが、ここにも菩薩のさまざまな行が書いてあるんですが、特に引かれている第二というのはいろんな世界について示されている部分であります。その中にここを去ること十二憶那由他に懈慢界という世界があるというのです。その次に乃至とあって中略がありますが、ここにはその世界の説明が書かれております。云わばとっても楽しい世界だというわけですね。それが阿弥陀の世界へ行く手前にある。目的地に向って行ったらメッチャ楽しいところがあって、そこに腰を下ろしてしまう、こういう問題なんですね。それが乃至の部分に書かれている。何一つ不自由ない国だそうです。阿弥陀の国を願って生まれようとした者が結局どうなるかと云うと、懈慢国に執らわれて、その楽しい世界に居着いてしまう。だからそこを後にして阿弥陀の国へ進む者はおらんと云うんですね。稀にあったとしても億千万の中の一人ぐらいしか阿弥陀の浄土に生まれることは出来ないのだ、と。殆んどは懈慢界に腰を下ろしてしまうと菩薩処胎経に云われるわけです。これは菩薩道の厳しさを書いているお経でありまして、必ずどこかで挫折をしていくわけでしょう。これは世界の話で云われますけれど、一番有名なのは菩薩は第七地まで上がってもね、そこに居着いてしまうという七地沈空の難というのがありますね、そこが越えられないと云うんです。これは菩薩道の五十二段階からいうと47段目まで上がっている。もう殆んど上りつめたと云ってもいいぐらい、でもそこに大きな大きな落とし穴が待ち受けているということを云います。