『教行信証』の化身土巻を読む(8) 一楽 真 師
2016/ 11/ 26
胎化得失の文
今日は聖典では328頁6行目、先輩方によって「胎化得失の文」と呼ばれていまして、胎は胎生、化は化生でありますが、真実の往生を化生というのに対して、胎生というのは方便化身土に止まるあり方ですね、これを問題を明らかにする言葉として呼んできているわけです。だから胎生によって失うもの、逆に化生によって得られるものと云った方がいいでしょうね。得失というのは完全に胎生というあり方によって仏法に遇いながら失われていくものがあるということを云おうとする、そういう一段であります。後で見て頂きますが、これは無量寿経の末尾の方に長々と出て来るところでありますが、それを親鸞聖人がこれだけにギュッと縮めまして途中を中略しながら引いて下さっているところであります。ちょっと読んでみましょうかね。
「また言わく、それ胎生の者は処するところの宮殿、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。おのおのその中にしてもろもろの快楽を受くること、忉利天上のごとし。またみな自然なり。その時に慈氏菩薩、仏に白して言さく、世尊、何の因・何の縁あってか、かの国の人民、胎生・化生なる、と。仏、慈氏に告げたまわく、もし衆生ありて、疑惑心をもってもろもろの功徳を修して、かの国に生れんと願ぜん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかもなお罪福を信じて、善本を修智して、その国に生れんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生まれて、寿五百歳、常に仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ず。このゆえにかの国土にはこれを胎生という。」次に乃至とあるのが経文を中略してますよとわざわざ親鸞聖人がお書きになるわけであります。ですから抜いてあるから確かめたい人はちゃんとお経を見てくれということですね。しかしいまこの化身土巻の主題というか文脈ではこの部分については中略しますということを明示して下さっております。何度も申し上げておりますが化身土と云うと如来の方便、如来が我々を導くための方便だということが非常に大事でして、そこには二つの意味があります。一つには例えば、如に帰れとか云われても私たちは想像すらできない。それを敢えて形に表して下さったのが如の世界が浄土として荘厳されるとか、あるいは西の方に在りますよと方向を与えるとか、そういう形をとるというのが基本的には方便の大事な意味であります。それを通して私たちに浄土を願わせようとする、これが方便の元々の意味ですね。ところが今度はそれを実体化しますとお浄土は西に在るんだとか、往けば宝物があるんだというように実体化する。これはまた違うと云わねばならん。そこにもう一つ真実の浄土とはなにかということに引張って行こうとする。こういうある意味で二段構えになっているわけです。それもご方便なんですね。ですから西の方にあると云ったのは方便であって真実じゃないという意味じゃなくて、まず西の方にあるとか、宝の世界であると云わないと私たちが生れようとする気持ちにすらならない。仏さまの世界と云われても往きたいとも思わないわけですよ。そこへ行けば楽がある、極楽だと云われるとちょっと云ってみようかという気にもなるわけですよ。しかし私たちが思うような極楽に楽が転がっているわけではないということをもう一遍確かめておきませんと結局欲望の対象のようになってくる危険性もあるわけです。方便というのはね、何重にもね、一応いま二段階と云いましたけど、あの手この手で教えて下さって真実の浄土に生れるという意味の化生、我々のあり方が変化して、転換して、そして新しい生き方がそこに与えられる、ここになんとか導いていこうとするところに如来のご方便がある、まぁこういうことであります。
供養諸仏
それで今日入った文章の一番始めのところを無量寿経で確かめておきますと、聖典81頁に出て来る言葉であります。その前後を見ておきたいと思います。いま引用されているのは81頁の前から2行目ですが、前後の文脈を確かめますと、80頁の下の段8行目に改行されているところからが一区切りですね。お釈迦さまが阿難尊者と弥勒菩薩にお告げになりましたという言葉から始まっています。阿弥陀の浄土についていままで長々と説いてきたものですから、それをちゃんと見たかという確認をしておられるわけですね。すると阿難が代表してハイ確かに見ました、と答えています。無量寿仏が衆生を教化しておられるその声を聞いたか聞いていないかとお釈迦さまがお尋ねになって、阿難がまた答えていますね。ハイ確かに聞きました、と。三つ目、かの国、浄土に生れた者はすることが無くなって楽隠居しているわけじゃないんです。逆に仕事が与えられます。どんな仕事かというとありとあらゆる国に出かけて行くことができる宮殿に居て十方の諸仏を供養するのをあなたは見たか見なかったかと問われます。つまり阿弥陀の浄土に生れた者はいよいよ沢山の仏さまを尊敬して生きて行く、仰いで生きて行く、これを供養と云ってます。こういう仕事が与えられるんだということを云うているんですね。つまり浄土に生れた者はそこで腰を下ろすんじゃないんです。ありとあらゆる者を仏さまとして仰いでいくというような生き方が始まるんだということなんですね。往生浄土というと浄土へ往くことが目的のように聞えますが、実は浄土に生れるところに始まる新しい生き方があるんですね。これをひと言でいえば十方の諸仏を供養する、つまりあっちにも仏さんがおられる、こっちにも仏さんがおられるということですが、これは空間的な云い方であって、時間的に云えば昔にもおられた、今もおられる未来にもおられるという、まぁありとあらゆる方を仏として仰いでいくというような生き方なんです。つまり阿弥陀に遇うということはありとあらゆる者を仏として仰いでいけるような生活が始まるんですね。反対に云えば阿弥陀に遇わなければ私たちは役に立つとか立たないとかいう人間の価値観しかないですから、尊敬と云うてみても利用価値がある時しか尊敬しないですね。だからありとあらゆる者を仏として仰いでいくということがかの国に生れた者には始まりますよ。これをあなたは見ましたかと云うているんです。それに対して阿難がまた答えています。確かに見ました、と。これが三つ目の質問でした。胎生と化生
次四つ目、浄土に生れた者の中に胎児として生まれたような、つまり殻の中に閉じ籠もってるような生れ方をしたものがいるんだけれどもそれをあなたは見ましたかと云ってるわけです。そしたら阿難はハイ見ましたと答えています。それについてお釈迦さまは念を押すように胎生の者が居る宮殿は広さ百由旬、1由旬は20㎞と云われていますから2千㎞ぐらいですか、更に五百由旬、1万㎞もある大きな宮殿にいるというんですね。この宮殿は忉利天という天上界と同じような快楽を受けるというんですね。忉利天というのは欲界の上にある六欲天のうち下から数えて2番目の天です。1番下は四王天、持国・増長・広目・多聞という仏さまの四方を護る四天王がいる天です。忉利天というのはそのもう一段上にある世界でありとあらゆる苦しみから解放される天だと云われています。有名な逸話で云うと、お釈迦さまのお母さん摩耶夫人は実家に帰って産む予定だった旅の途中で産気づいて、早産だったんですね、それで野原でお産をしなくちゃならないことになって産後の肥立ちが悪く、お釈迦さまを産んで七日目に亡くなっていらっしゃいますね。しかし摩耶夫人は忉利天に上ったと伝えられています。ご苦労なさったけれども、その苦労から解放されたということを忉利天に上ったという云い方で仏伝は伝えてきたのです。でないとお釈迦さまを産んだだけで産後の肥立ちが悪くて亡くなったとそこだけ聞いたらものすごく辛い話になりますからね。でもそれだけで終わってないんです。これは別の仏伝でありますけれどもお釈迦さまが覚りを開いた後に忉利天におられる摩耶夫人にお会いになりに行ったと、こんな話も伝わっているんです。天上界の楽
お釈迦さまは天上界に上って忉利天におられる摩耶夫人に説法したというんですよ。天上界というのは苦しみから解放された場所ではあるけれども本当に大事な仏法に遇うたということにはならない。それが後々にくると天上界でも迷いの中だという意味で六道輪廻と云いますね。天に上っても脱出しきったわけじゃない。その時はたまたま縁が整って苦しみがないという状況なんですね。だからお釈迦さまが忉利天に上って摩耶夫人に説法されたという逸話も残されているんですね。ボクはまだ行ったことありませんが、南インドの方にお釈迦さまが忉利天に上がって行って、またそこから下りて来たという階段があるそうです。言い伝えでそういうものが作られたのでしょうね。まぁ苦しみから解放されたあり方が忉利天と云われる。人間が一番楽の内容として分かり易い。その上の夜摩天、兜率天、化楽天、他化自在天となると天上界で空に浮かんでいるそうですが、ヒマラヤよりも高いわけです。誰も行った試しがないというか想像がつかないというので、この忉利天は非常に近いところを掲げてあるのかなぁと思います。ここに書いてあるとおり諸々の快楽を受ける、つまり胎生の者は天上界に上ったのと同じような楽しみを受けることができるんだとかいてあるわけですね。でも面白いのはここが本当の仏法に遇うたのとは違うということが後で確かめられてきます。忉利天に上ればもう問題ないのか。私たちが日頃仏法を求めだすときは苦しいのが取り除かれるとか都合の悪いのが無くなるとか、あるいは願い事が叶うという意味で一所懸命神仏にお参りするということがスタートするかもしれません。しかしその願い事が叶えば本当に問題はないのかということです。逆に天から落ちる時というのかな、天上界に飽きる時が一番辛いのかも知れないですね。だから当面の問題はないという意味では天上界は非常に気楽で居心地のいい場所なんですが、そこからも落ちるんですよ。これは往生要集に詳しく書かれていますが、天人の五衰と云われています。冠の花が萎れてくるとか、羽衣が薄汚れてくるとか、腋の下が臭ってくるとか、目がしばしばしてくるとか、これ体臭とか老眼の話かも知れませんけれど、天人も長いことやっていると疲れてくるんですね。一番最後が不楽本居です。本座と書いてあるのもありますが、本来の居場所、自分の居場所が楽しめなくなってくる。天上界に上った時はいいんです。あぁこんな結構なところはない、こんないいことはないと云うんですが、長続きしない。飽きてくるんです。ボクは乏しい例しか思いつきませんが、例えば温泉で骨休みしたいなぁと思っていても、温泉に三日も一週間もいたらやっぱり飽きますわ。一年中温泉におれと云われたら、それは苦痛かもしれません。だから何にもせんでいいようになってあら楽やなぁというのは一時の話であって、やっぱりそこが自分の居場所というわけにはいかない。だから天上界から落ちる時の苦しみは地獄の苦しみを全部集めたものの12倍以上だと往生要集には書いています。なんにもせんでもいいというのは楽なようでも実は人間寂しい。そういうことも表している。でもこの忉利天というのは人間にとって一番近くて分かり易い天上界なんです。日頃はそれを求めているかもしれません。楽をしたい、願いごとが叶えば、これさえなければと、これらが全部叶った状態なんです。でもそれは本当の楽しみと云えるだろうかと、こういう問題が次に続いて行くんですね。だからこの胎生のあり方というのは浄土の教えに触れてないわけじゃないんですけれど、天上界に上ったのと同じようなあり方だとここでは云われているわけです。一応ここで大経は一区切りしていますが、いままでずうっと説いてきた浄土の世界を見たか、そこで阿弥陀仏が説法しておられるのを聞いたか、浄土に生れた人が諸仏を供養するようになるのが分かったか、そして最後にただ浄土に生まれる生まれ方には胎生という生まれ方があるんだけれども、それをちゃんと見たかとお釈迦さまが云われるのに阿難がハイ見ましたと答えるところまで来たのです。その胎生というのはまさに忉利天にいるようなもので楽しみを受け続けるんだと、まぁ一応こう書いてあるわけです。
弥勒の質問
ところがそこで弥勒菩薩がすかさず質問を起こしてきます。それが次のところです。まぁこれ阿難は尋ねないですね、やっぱり。何故でしょう。阿難は聞けないんやという人もいます。でもこれは弥勒はこれから後の仕事を担うわけですね。釈尊亡き後未来の衆生の救いということを担っていく、その弥勒菩薩が聞かずにおれなかったということがあると思います。つまり胎生の者がおりますよと云うただけでは、あぁそうかとなって終わりですが、なんでそんなことになるんですかと、そこをはっきりしておきませんと浄土に生まれると云ってもね、本当の生まれ方とそうでない生まれ方どこが分かれ道なんですかということを確かめておかなかったら未来の衆生の救いを担えませんよね。これが弥勒菩薩の役目なんじゃないかと思います。お経全体では阿難も未来の衆生のために質問をいくつもするんですけれども、阿難はお釈迦さまの教えを引き出す役割でありまして本当の未来の衆生のための問いは弥勒からしか出ないのかも知れません。阿難尊者はやっぱり声聞衆、お釈迦さまのお弟子でありますし、弥勒菩薩はお釈迦さまと同じ仏になっていくその役目を担っている方ということであります。「世尊、何の因、何の縁なれば、かの国の人民、胎生化生なる」、どういう因縁によって浄土の人民が胎生の者と化生の者と分れるのでしょうか。なんで胎生なる者と化生なる者がいるのでしょうか、と。胎生はさっきも云いましたように胎児のような生まれ方ですから、浄土に生まれたのにも関わらず自分の殻の中に閉じ籠もっているようなあり方です。釈尊の答えに
それに対して仏が仰いますね。お釈迦さまが弥勒に次のようにお告げになりました。ここに疑惑の心、仏智を了らないという言葉が出て来ます。なぜ胎生ということが起るかというと仏智を疑惑するとかね、あるいは仏智を了らない不了仏智であると云われています。で何を信じておるかと云えばここに「もろもろの功徳を修して、かの国に生ぜんと願ぜん。」と書いてますね。つまり阿弥陀の世界は念仏ひとつ、阿弥陀を念ずるそれ一つによって誰もが生れられる世界と云われているのにも関わらず、やっぱりもろもろの功徳を修した方がいいんだろうなぁという心が働くわけですよ。いくら念仏ひとつと云っても悪人より善人の方が助かるだろうとかね、善根功徳を積まん者よりは積んだ方が分かり易いんじゃないか、あるいはお経を一回しか読まんよりは沢山読んだ方が同じ念仏でも値打ちがあるんじゃないかとか、こちら側の予定観念ですわね、先入観で行くわけです。結局念仏ひとつで助けるぞということを疑ってしまう。受け止められないわけです。まぁなんか念仏を頼りなく思ってですね、ナンマンダブナンマンダブだけで助かるといくら云われてみても、なんかこれだけでいいんかなぁ…みたいなものです。やっぱり写経したりね、お寺を建てたり、仏像を刻んだり、そんなことの方が値打ちあるんじゃないかと。私たちはやっぱり自分の実践を積み上げるということに意識が馴れてますから昨日よりは今日、今日よりは明日という右肩上がりの発想にも慣れています。だから恒常的に何かを積み上げる話なら分かるんですけれど、ナンマンダブツナンマンダブツ、いくつになってもナンマンダブツ、何年聞いてもナンマンダブツと云われるかもしれません、そんなこと一つだけやっとったんではという心、これが実は仏智を疑っていることだとここでは云うわけです。その疑っているあり方では絶対こうなるんですね。浄土の教えに触れていても、仏さまの広い世界にありながら私の考えに閉じ籠もっているわけです。破れてみればもっと広い世界があるのに私はやってるということです。私ということは必ず人と比べますわ。あの人より私の方が上だとか、私の方が長年やって来たとか、平等に迎えとるという阿弥陀の教えに、聞いてはいるんですがね、本当には頷いていないわけです。例えば差別の問題もそうですけれど、差別されている時はそれが差別だと訴えることは得意なんです。ですけど自分らが差別している時には差別されている方の気持ちはなかなか分からない。だから不平等を感じたときには平等を求めるんですけれども、皆平等だと云われると今度はあんな奴まで助かるんかというような根性が湧いてくるわけです。皆平等に迎えとるということがやっぱり頷けない、これが問題なんです。「もろもろの功徳を修する」というこのことを信じているということが念仏ひとつという仏の呼び掛けを疑っている、これ裏表同じことなんです。ひと言でいえば仏智を疑うということなんですが、このお経ではわざわざこれを五つに開いてますね。仏智を不思議智・不可称智・大乗広智・無等無遍最上勝智というふうに全部合せて五つにしてます。これは仏智なんですけれどその内面を明らかにするために違う言葉を四つ挙げてあるわけですね。詳しくは曇鸞大師が「略論安楽浄土義」という本を書いておられて、そこで丁寧に述べておられることを簡単に申し上げておきますと、一つには仏智は我々の思い計らいを超えているということを不思議智と云ってます。さっきからの話で云いますと、念仏ひとつで助かるということは私たちにはなかなか頷けない。しかしこの念仏ということが実は要なんですね。あれもする、これもするというのは分かり易いようですけれど、それは結局仏に出遇ってないわけです。不可思議智
無量寿経で云うと最初に阿難とお釈迦さまとの出遇いの話がずうっと出てます。でも阿難という人は25年間お釈迦さまの身の周りのお世話をしながら一番説法を聞いた人なんですね。でもどう思っていたかと云えば、お釈迦さまは偉いなぁと思っていたわけです。私はまだまだやなぁと思っていたわけです。でもお釈迦さまは誰もが仏に成る法を説いておられるんですね。お釈迦さまからすると阿難も出遇ってくれれば必ず仏に成るんだと思っているんですけれど、阿難の方は私なんかまだまだ無理ですと云っているわけです。お釈迦さまは歯痒かったと思いますよ。あぁ今日も伝わらなかったか、今日も無理だったかとずうっと待ち続けの25年間やったと思います。その阿難がお釈迦さまがいよいよ亡くなるというときに改めて出遇い直すんです。お釈迦さまのお姿が光り輝いていると云うんです。つまりいままで自分が見ていたのは人間としてのランク付けでお釈迦さまは偉いと思っていたのです。でも質の違うものに触れたんですね。お釈迦さまは如の世界から来て下さった。如の世界を教えて下さっている如来さまだということに出遇い直します。そしたら誰もが仏に成る、そういう世界を説いておられたんですねぇと頷けたとき、ここに改めて仏に遇うんです。それまではお釈迦さまの隣に居ってもお釈迦さまを観ていたのではない、能力の勝れたお方を見ていた。偉い先生やなぁと見ておった。でも法を説いておられたということに改めて出遇い直した。これが大経の序分の大事なところであります。云い方を換えれば、お釈迦さまのお顔を見たからと云って仏に遇ったことにはならないということを教えてくれている物語なんですね。阿難のお兄さんとも伝えられる提婆達多という人は生きてる間にはお釈迦さまには遇えなかったわけですよ。お顔は見てますよ、話も聞いてますよ。でもお釈迦さまが誰もが仏に成る法を説いているということに遇えなかった。自分はお釈迦さまの跡継ぎにふさわしい、次は自分が指導者になるんやと、そんなことしか思ってないわけです。狭い世界を見ていた。だから仏にお遇いするという、これが根本なんですね、あるいは法を聞くという、これが根っこなんです。なんでもないことのようですが、これがなかったら何年聞いていてもダメです。何年お釈迦さまの隣に居てもダメだという話なんです。その問題が大経では一番始めに出ておりましたが、今度は浄土の問題でも同じことが起きるんですね。阿難に起こったことが今度はお釈迦さまが亡くなった後の私たちにも浄土の教え、阿弥陀の教えとして開かれているわけです。お釈迦さまが亡くなったからと云って法が消えるんじゃないですよ。仏がいなくなるんじゃないですよ。阿弥陀として、阿弥陀の教えとしていつの時代のどの国においても成り立つ道が既にあるということです。それが念仏ひとつということなんですが、その教えを聞いてもまた同じようなことを、阿難とおなじようなことをやるんです。あの人は救われるけれど私は無理だとかね、アイツはダメだけどオレはいけるとか、阿弥陀の法を聞いていながらランク付けを離れられない。こんな話本当に多いですわ。ウチの定例の会でもね、ありがたいことに何回に一遍必ず云うて下さる方があります。聞いても聞いても分かりません、私みたいな者は生きている間にはダメかもしれませんとね。それでボクは何と答えようかと考えていたら、ある人がこう仰いました。いや、あなたここで法を聞く場所に身を置いてること以外になんの利益もとめているのと。ここにいて聞かしてもろうとる以外にまだ何か利益欲しいんかと。何かにならないといけない、この境地に到達しないといけないという意識がずうっと私たちにはあるんですよ。必ず云うて下さる方あります。ですけどどこへ行こうとしているかという話です。ボクらは凡夫のままで比べる必要もなく、阿弥陀の呼び掛けを聞いて一日一日何が大事かを確かめながら歩むということが成り立つ、そういう教えをいただいているはずなんです。ところがまだ勉強したらもっとわかるはずだとかね、前よりもちょっと根性が直るはずだとか、いろんなイメージがいろいろあるわけですが、聞いても聞いてもそうなれませんという話がやっぱり出るんですね。でもこれはまたありがたいと思います。そういうことと重なっているんです、この胎生という問題は。みな平等に南無阿弥陀仏ひとつで迎え取る、と云われておりながらそのことをこっちが勝手に捻じ曲げていくんですね。だから仏智というものを我々の思い計らいを超えているとみて不思議智と云っています。我々の常識から云えばとても計れない、ナンマンダブツ一つでというようなことは。これは別の譬えを出しますと曇鸞大師が長い長い闇の世界を生きて来た者にたった十遍ぐらいの念仏で闇が晴れるというのはおかしいんじゃないか、或いはなが~い間業を作ってきた者は念仏十遍ぐらい称えてそれで助かるというのはおか しいんやないかと、こういう問いを立てておられて、それは光と闇というのは質が違うんだというお話を出しておられます。有名な千載の暗室の譬えであります。千年間闇であったところが明るくなるのに千年かかるかという話なんですね。今まで千年間全く光が射さなかった暗闇であっても、マッチ一本の火でね、一瞬にして明るくなる、闇は一瞬にして消えるわけであります。千年間の闇だから消えるのに千年かかる、これは分量的に比べた話です。でも光と闇は質が違う。こういうことを仰って我々の重ねてきた業あるいは迷いの歴史と仏法の光が灯るあということは質の違いであるから千年間きかなきゃならんとか千年間修業せんならんという話じゃないということを明確に云っておられるんですね。これが千載の暗室の譬えであります。これはでも我々にすればそんなこと起ることないやろとなります。いくら仏さまのはたらきがあるか或いは念仏のはたらきがあるかも知らんが、それは無理やと云うてしまう。だから仏の智慧を我々の思議を超えたというふうに戴けないんですね。これは我々の常識だけではありませんで、それこそ法然上人や親鸞聖人の生きられた時代、同時代の仏教者はただ念仏の教えをそうやって批判したわけでしょ。修行して覚りを開くと、そのことを仏教だと信じ込んでいる人は十遍念仏称えただけで善人も悪人も助かるなんてことあるはずがないと、簡単すぎると朝廷にまで訴えられて、最終的には処罰されましたね。そこまで行くんですよ。仏教を知らない人が念仏を疑うと云うだけじゃなくて、仏教を長年勉強してきた人でも分からん時は分らない。それは何かと云えば、こちら側に握っているものがあるからですね。やっぱり修行したほうが良いんだ、功徳を修した方が良いんだという発想でいくと念仏ひとつで迎え取るということはとても受け入れられないですね。だから仏智が不思議智だと云われることがなかなか受け取れないですね。不可称智
不可称智も同じ意味であります。称えることができない、言葉で云い尽すことが出来ないという意味です。思いを超えているだけじゃなくて言葉も超えている、これ言亡慮絶と云いますね。言葉も及ばれず、心も絶えたりと。これが不思議智と不可称智と両方併せて云って下さってると思います。これは仏の智慧と云っても結局は人間の発想の中に入れようとするんですね。人間の常識で仏の智慧を計ろうとする。こんなもんだ、とかね。仏さまがいくら賢いと云うても人間の賢さで計ろうとする。浄土についても同じことが起きますが、浄土と聞くとさっきから申し上げてきたようにどっかにある別世界というふうに考えるのが一番分かり易いんでしょうかね。そういうイメージです。だから往生すると云うた途端に死んだ後にどっか別の世界に往くという話になってしまうんです。これも仏の世界を不思議とか不可称とか云われている意味を分からないんですよ。自分のイメージで捕えようとするんですね。安田先生の云い方ではね、浄土というのはボクら見るもんやと思うとる、仏さまの世界を目で見たいわけです。でも浄土は目で見るんじゃなくて、実は我々を支えている大地なんや、とこういう云い方をしておられました。目で見る以前に我々を支えておる、そういう意味で浄土を見たというのは一番怪しいと仰ってました。浄土とか仏さまを見れば人間の目は潰れてしまうと、こんな云い方もしておられました。却って目で見る必要がない私を支えている世界なんだと。それをもっと別の云い方で浄土に触れるということは今まで踏みつけていたものがいただけることなんだと、こういうことも仰ってました。だから浄土と云えばどっかでね、光ったものを見るとか、宝物を見るとか、清らかな物を見るとか映画でも見るかのようなイメージありますよね。しかし浄土はそんなとこにないんですよ。私の足下(あしもと)に既にある世界なんです、私を支えている世界です。これを安田先生はまた、知るというのにも二通りあって、知識として知るのとそのものを知るのとは全然違うと仰ってました。頭で知るのと身をもって知るのとの違いです。これはなかなか良い例はないけれどもと云って、だいたい同じ例を仰ってましたが、一つには水を飲む例でしたね。水というのは説明しろと云われても難しいですね味の違いなんてなかなか分からない。今はpHで計ったりいろいろやってますけれど、けれど飲めば生き返るんやと仰ってました。それが水は何かということを説明するよりもはるかに飲まないと死んでしまうということが分かる、こういう知り方だと仰ってました。も一つは火は熱いということ、どれだけ聞いても熱いてどういうことやろか、手を出してこれが熱いということやと云う人はおらん、熱いと云うて手は引くんやと。それが火の熱さを知るということやとも云っておられました。火と水をそういう譬えで教えて下さっていました。でも浄土についてはなかなかそうはいかんでしょ。浄土のことは聞けば聞くほどあぁ浄土はこうなっているかとかね、どうやって往くんやろかとか、全部頭で聞くわけですよ。だからさっきから云うように私は見たとか見ないとか、近づいたとか近づいてないとか云うわけです。そういうことを超えていると云うのが不思議智であり不可称智なんです。気が付いてみたら支えられていた世界なんですね。踏みつけていたところに却って浄土はある、とこんな云い方をしておられました。大乗広智と無等無倫最上勝智
その後これまた二つセットで云うても良いと思いますが、仏の智慧を大乗広智と無等無倫最上勝智とあります。大乗広智というのは大きな乗物に譬えてます。広いという字でも書いてますね。つまりどんな者も漏らさない、どんな者も分け隔てしないという意味です。先程から仏教は法だと云いましたけれども、元々法というのは誰の上にも平等に成り立っている話なんですね。この世に生まれてくると云うのも因縁が整ってのことです。この因縁というのは仏教の根本の法です。迷うのにも法がある。覚るのにも法がある。全部法なんですね、これ。法で分かりにくければ法則です。苦しみ悩み傷つけ合うのにも法則があるのです。苦しみ悩み傷つけ合うことを超えていくのにも法則が要るんです。その法則に目を覚ましたのがお釈迦さまであって、お釈迦さまが法を作ったのじゃない。一旦その法を明らかにすればそれから漏れる者は一人もおらん。それをお釈迦さまはずうっと実践し確かめていかれたんですね。ですからこれインド限定の宗教じゃないですよね。時代も地域も民族も超えている、それが法そのものなんです。これを仏の智慧というのは大きな乗物であり、どれだけ乗せてもいっぱいになることがない。誰の上にも成り立つ、これを大乗広智という言葉で云おうとしているのですね。無等無倫は等しきものがない、そして並ぶものがない。なんでこんなことを態々云うかと云うと、比較の対象じゃないということを云おうとしているんですね。比べての話じゃないんです。これは仏の智慧が無等無倫最上勝智であると云っていますが、元と云えば無等無倫であり最上であることを明らかにするような智慧と云っていいと思います。これは阿弥陀仏のことを無等等とも云っていますが、あ、これご和讃に出て来ます(p480、小番号13)「光明月日にして/超日月光となづけたり/釈迦嘆じてなおつきず/無等等を帰命せよ」阿弥陀仏のことを無等において等しい、無等の等というこんな言葉であります。等しきものはない、並ぶものはない、そういう意味において皆平等なんですね。これは阿弥陀が照らす世界がそうであって私たち一人一人が等しきものはないし並ぶものはないし、もっと云えば比べるものもないんです。そういう意味においてみんな平等だということを無等等という言葉で表しています。そんなことを照らし出して下さる智慧だから無等無倫最上勝智と云ってます。だから阿弥陀さんが大乗広智あるいは無等無倫最上勝智というだけではなくて大乗にして誰が生まれてもいっぱいにならない、全部を平等に迎えとる、平等に迎え取るということを表すのが阿弥陀の智慧であり、同時にそれは並ぶものがない、比べる必要がないということを明らかにして下さる智慧だということです。でもこれ逆に云えば、私たちは浄土の教えを聞いても結局は大乗とならんわけでしょ。あの人は往けるかもしらんが私は無理だとか、私はここまでやって来たから往けるかも知らんけどあの人はいくら何でも無理やろとかやるわけです。平等の教えを聞きながらそれを捩じ曲げてしまう。そこにはたらいてるのは次の無等無倫が分かってないからです。比べるんです。比べ合うことでしか価値を量れないという、これが邪魔をしているわけですが、人間世界はすべてそれで動いているので身についてしまっている、癖になってしまっている。だから仏の智慧を四つに開いて内容を押えようとしているわけであります。
『如来会』の仏智
ちょっと後の方見てもらいますと、329頁には別の時代の別の方の無量寿経の翻訳が出ております。『如来会』とあります。「『如来会』に言わく、仏。弥勒に告げたまわく、もし衆生ありて、疑悔に随いて、善根を積集して、仏智・普遍智・不思議智・無等智・威徳智・広大智を希求せん。自らの善根において信を生ずることあたわず。」ここは疑いの心によって結局善根を積み上げていくということになって、それで仏智、普遍智、不思議智、無等智、威徳智、広大智、ここでは六つになっている、これを求めていくとと云うんですね。だから仏の世界を求めているようで結局は自分の積み上げた善根を根拠にするのです。結局はそれによって仏を信ずるということにならない。こういうことが出ております。いま見てほしかったのは、ここでは仏智が六つになっている、これを見てほしかったのです。これも度々ご紹介しておりますが、岩波文庫本浄土三部経の上巻がサンスクリット本の訳を載せてくれています。ここを見ますと仏の智慧というのが、今度は四つにまとめられています。ですから数が五つとか六つとか違いますけれども、数の問題じゃないんですね。どこまでも仏の智慧をいくつかの面から押さえようとする、そういうところに言葉が展かれているということです。根っこに返せば基本的には仏の智慧が何たるかを知らない、仏の智慧が明らかにして下さっている世界に頷いていないということ、こちら側に握っているものがあるということです。これが今読んだところで云うと、もろもろの功徳を修する「修諸功徳」、これを信じているわけです。その後のところに行きますと、罪福を信じ善本を修習して「信罪福修習善本」これがずうっと述べられている胎生ということの抱えてる問題なんですね。浄土の教えに触れながらも結局は修諸功徳、信罪福、修習善本に立っているもんですから浄土の本当に広い世界には出会えない。さっき云うた安田先生の言葉では私を支えているような世界としての浄土は知らずに上の方にばっかり浄土を見ている。いつか上っていく世界として、到達すべき浄土を思い描いているわけです。そして私はまだまだやというような話になっている。だから浄土の教えに触れるところに必ず起る問題かも知れませんね、かもと云うか、浄土に触れながら必ずこうなって行くことを見越してこれが大経の最後に押さえられてくるわけです。だから弥勒菩薩が聞いてくれたことによってこの生まれ方は本当の生まれ方ではありませんよということを確かめる。これによって逆に本当に報土に生まれて行く、真実報土に生まれて行くということを明らかにする、これがこの一段の持っている意味でありますが、これを親鸞聖人は方便化身土に引用することによって真実の往生を遂げてほしい真実の広い世界に出会ってほしいという形の呼び掛けとして受け止めていかれるわけであります。「つもり」の浄土
81頁に戻ります。「しかるに猶し罪福を信じ善本を修習してその国に生ぜんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生まれて寿五百歳、常に仏を見たてまつらず。経法を聞かず。菩薩・声聞・聖衆を見ず。このゆえにかの国土においてこれを胎生と謂う。」これが一番の浄土教の中では問題にされていることなんですね。例えば菩薩道、修行をして覚りを開く人の中では声聞・縁覚の二乗に落ちていくという退転が大問題でした。つまり遇うた積りの世界です、やっぱり。ここは菩薩道の話ではありません。凡夫においても成り立つ万人の道なんですけども、浄土の教えでもそういう危険性はあるんです。仏に遇うたつもりで実は遇うてないという問題。法を聞いたつもりで実は聞いていないという問題です。それが遡れば阿難がお釈迦さまの下に居ながら、遇うのに長い時間がかかった。でも遇えてよかったんですけれど、いつもある問題です。で、これまず仏法を全然知らないという人ならまだ白紙状態ですから、遇う縁はまだ近いかもしれません。でも一旦ここに落ちると五百歳と書いてあるとおりなかなか出られない。自分は遇うたつもり、聞いたつもり、分かったつもりというのが仏法から一番遠いんだということを云うために寿五百歳仏法僧を見ないという云い方をするわけです。だから全然聞いてない人より問題なんですよ。聞いてない人はまだ縁が整えば聞けますから。分かったつもりというのは一旦落ちたら本当に出られないと云いますね。化生
81頁に戻って後ろから2行目まで来ましたね。ここは今度は化生の話をしてます。化生というのは胎生でない本当の往生のあり方を云うてますから親鸞聖人はここを乃至(中略)するわけです。ここは化身土巻で云う必要はありませんということなんですね。これは本当の浄土へ往生を遂げたあり方なので抜いてあるわけです。方便化身土巻ですから私たちを真実の浄土あるいは阿弥陀に出遇わせるための教えとして経文が引かれているわけです。逆に云えば私たちが分かったようなあり方になるのを正すような、そこに批判を加えるような言葉として働いてくるものなんですね。方便化身土と云えば真実に対すると一段劣ったかのような、あるいは真実の前段階のようなふうに取られてきたことがあるんです。でも、もしかこの方便を通して真実ということなら方便化身土巻は第一巻目にあるべきだとボクは思います、方便を通して真実に行くという話ならね。しかし出遇ったつもりのところからいよいよ見えてくる問題があるんです。仏さまに帰依したと云うけれども、帰依していたのは実は仏さまではなくて自分の欲望を大事にしておったのが見えてくるということがあるんです。これは親鸞聖人にしてもそうですね、29歳の時に法然上人を通して阿弥陀の本願に帰したというわけです。でも帰したところにいろんな自力の心が次から次とまた見えて来たということがあるわけでしょ。一番分かり易いのは42歳の時の三部経千部読誦という問題です。念仏ひとつということではっきりしていたはずなのに、やっぱり自分のお経を読んだその功徳で人を助けてやろうとしていたということ、いつの間にか自分が助ける側の立場に立っていた。更にはもっときつかったと思いますが、84歳の時に息子の善鸞さまを義絶なさいますね。あれは善鸞に頼めば関東の混乱を治めてくれるという信頼があったればこそ善鸞を関東に遣わしたと思いますが、却ってひどくなった。失敗したなぁという話じゃないんですよ。やっぱり善鸞を頼りにしたことを反省なさったと思いますね。いよいよ我々は誰かに任せれば何とかなるんじゃないというところに立っていかれたのが84歳のあの出来事だと思います。でもあの人に頼めばとかね、こうすれば何とかなるというようなものは本願に帰したとか、阿弥陀にお任せするよりないと口では云いながらいろんなことが出て来るわけです。それは帰依したから見えるわけでしょ、やっぱり。始めから自力と一つになっているんなら、はからいのまま生きているのなら、そんなことは問題とも思わないわけです。その意味で方便化身土巻は帰依したところ、あるいは帰依したつもりのところにそこからブレて行く問題、これを改めて明確にする方便なんですね。真実に立ち帰らせるための教えとして、親鸞聖人は受け止めていらっしゃると思います。それで328頁に戻りますと、先ほど読みましたところの最後、かの宮殿に生まれて五百年、常に仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ずと云うてます。仏法僧と云いながら結局自分の想い描いた世界でしょうね。これも安田先生の言葉を思い出しますが、私らは現実問題とか、現実現実と云うけれども私らが見ている現実というのは全部解釈された現実だろうと仰ってました。全部自分の思いのフィルターを通した現実であって、現実そのものなんて人間には分からんのやと仰ってました。真理も分からんのやけれど現実も分からんのやと。真理は難しくて現実は詳しいと思いがちですけれど、それは違うと云うんです。真理が分からないと現実と云ってることが全部捩じ曲げた現実なんです。人を見てもあの人は良いか悪いかとすぐ云います、自分にもそれを当てはめますけれども。だから常に仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ずと云ってますが、仏法僧の三宝に遇えないということは結局は現実も見えてないということです。自分の問題も見えないということでしょうね。「このゆえにかの国土においてこれを胎生という。」と。一応生まれてはいるけれども殻の中に閉じ籠もっているあり方であります。そして次に乃至として中略して「弥勒、当に知るべし。かの化生の者は智慧勝れたるがゆえに、その胎生の者はみな智慧なし。」とここで化生と胎生とを対してますね。化生の者は智慧勝れていると、胎生の者は智慧なしと。だから化生というあり方を勧めておられるわけです。これが本当に仏にお遇いした、そこには必ず変わるんですよ。いままでの生き方が砕け、或いは自分の計らいを根拠にしていたことがくだける。胎生というのは自分を持ったままでの生まれ方です。世間というのは基本こうですわね。自分にとってのメリットはどうかと、こういう考え方しかできない。自分が砕かれるようなものは嫌なんですよ。だからあなたはそのままでいいよと云われて、それにプラスのご利益があればもっと嬉しいんですよ。そんな都合の良いようにはいきません。でも化生を勧め、胎生は智慧がない、ものが見えていないということをはっきり云うています。
七宝の牢獄
そして次に譬えを一つ引いてますね。転輪聖王とはこの世で最も勝れた王さまをこういう云い方をしているのですが、それを引き合いに出しまして、その宮殿には七つの宝でできた牢獄があって、いろんな物で飾り立てられている。この転輪聖王に王子があって、もし王に罪を為したとしよう、と云うんですね。罪を犯した王子は牢獄に入れられて金の鎖で繋がれると云います。これ何を云いたいかというと普通の者が入る牢獄とちょっと違うんですね。宝物もあるし、欲しいものはなんでも与えられる、こういう譬えです。次に「乃至」とあり、中略されます。実はここが大事なところでして、お経ではここはそんな世界を誰が望むだろうかという譬えが出て来ます。もう一遍だけお経、83頁1行目に戻ります。もう見ないつもりでしたが、ここだけは抜いたら意味が変ってしまいますものね。お経ではどうなっているかというと「金鎖をもってせん。飲食・衣服・床褥・華香・妓楽を供給せんこと、転輪王のごとくして乏少するところなけん。」王さまと同じような楽しみがその牢獄で与えられるんですよ。すきな音楽を見たり、好きな映画を見たりということでしょうかね、今で云えば。何も不足がない。ところが「意において云何ぞ。」心ではどうだろうか、その心はどう思うだろうか、と云います。このもろもろの王子は金の鎖に繋がれる牢獄を願うだろうか、それとも願わないだろうかと聞いています。答えて曰く「いななり。」いいえ願いませんと云うんですね。なんとかそこから出ようと頑張るんだと書いてあるわけです。親鸞聖人はそこをスポ~ンと抜いてしまうんです。なぜか。一旦宮殿の内に五百歳ということになったら出ようともしないという文脈にしてしまっておられるんですね。お経はこの胎生というあり方が傷ましい、だからなんとか出ようとするんだという譬えとして云うんですが、親鸞聖人はここを抜くことによって宮殿のような胎生に落ちてしまったら出ることすら望まないんだという文章にしてしまっているんです。ある意味でお経の主旨を変えてしまっているようなふうにも見えますけれども、しかし化生と胎生というあり方を対比させればそうなると思います。お経は化生を勧めるために体制を一連のこととして述べていますから、胎生と化生が交互に出て来てるでしょう。親鸞聖人は胎生の部分だけ抜き出す。ですから、出ようと願うだろうかと云えば、願いませんとその一段は抜いてしまうんですね。まぁこの辺が親鸞聖人のお経の読み取り方のすごいところであります。でも念の為に云いますが、これ恣意的に組み替えてる話じゃありません。だって乃至とちゃんと書いてるでしょう、これは抜いてますよということを態々書いているんですから。気になる人はそっちの方見て下さいねと云うんです。都合の悪いところを抜く、そんなんじゃないんです。我々への方便の教えとして見たときに胎生の傷ましさを云いたいときはこういう引き方をしなければ。お経も必ずこういうふうに呼び掛けるはずだという読み取りがこういう引用の仕方になるんです。328頁に戻りますと、結構な宮殿にひと度入ったらなかなか出ようとしない。これ500年の間なんですが、そこを願うだろうかという一段は抜かれてないわけです。繋ぐに金鎖をもってせん。乃至の次「仏、弥勒に告げたまわく、このもろもろの衆生またかくのごとし。仏智を疑惑するをもってのゆえに、かの胎宮に生まれん。」とここしか云わない。王様に対して罪を犯した王子と同じように仏さまの智慧を疑うという罪を犯した。だから胎宮という宮殿に生まれる。それは500年続くんだと、こういう文脈にして纏めておられます。本当に重い言葉ですよね。でもこれはどこまでも胎生の傷ましさを知らせるための教えなんです。つまり浄土の教えを聞きながら、自分の得手勝手に解釈して捩じ曲げていくということは結局浄土の教えに触れていても浄土に生まれたことにはならない。これを罪を作って500年、そこに止まる、こういうことになるんだと呼び掛けている文章なんですね。
胎生の悔責から化生への希求
そしてまた乃至があってその次、この衆生が元の罪、仏智疑惑の罪を認識して、深く後悔して自分を責めてという意味です、重い罪を犯していた、とんでもないことになっていたんだなぁということをしっかり知って、その罪を悔いるところに胎宮を離れることを求めるだろうということです。罪を罪と知ることがなければ、そこを離れようとすることにはならない。おかしいと思わなければ、このあり方はずうっと続くんですよ。そして最後に乃至として「弥勒、当に知るべし。」とあって、道を求める者が仏智に対して疑惑を生じるならば大きな利益を失うことになりますよと、こういう呼び掛けで収めています。已上抄出ですから、抜き出しましたと。だからお経全部じゃありませんよと云って、そして大経の全体の主旨は胎生というあり方がいかに傷ましいか、化生が本当の往生だと云って、胎生のあり方を翻して化生を我々に勧めている経文として読み切っておられるわけであります。何遍も云いますが、方便化身土というのは方便としての如来からのはたらきかけであります。これを親鸞聖人はものすごい数の和讃にして下さっています。正像末和讃の末尾に仏智疑惑和讃として23首作っていらっしゃいます。お経の流れを追っているのでありますけれども、この大経だけではなくて善導大師のお言葉やら源信僧都のお言葉やら、そういうのも含めて詠い込んでおられます。聖典では505頁下の段。「不了仏智のしるしには/如来の諸智を疑惑して/罪福信じ善本を/たのめば辺地にとまるなり」ここに1という番号が振ってありますが、これから仏智疑惑和讃が23首続きます。この直前を見て下さい。「如来大悲の恩徳は/身を粉にしても報ずべし/師主知識の恩徳も/ほねをくだきても謝すべし」の恩徳讃ですね。これいま本山でも報恩講勤まっていますが、28日の御満座でこの「如来大悲の恩徳は…」で終わるわけです。教えに出遇えた喜びを詠い上げる、そこでお勤めは終わるのですが、次の日29日のお朝事は「不了仏智のしるしには…」というこの和讃を読むんですね、なんでか。和讃の順番がそうなっとるからやという話もありますけれども、そうじゃなくてお勤めして如来はありがたいなぁと終わったとします。でもそれどういう心でありがたいと云うとるかが問題でしょう。そこをもう一遍確かめるかのようにここを読むんですね。これお浚えの勤行と云われています。蓮如上人のお浚えのお文も同時に読むから、それから来ているわけです。水を浚えるの意味です。復 習のおさらいじゃない。溝さらえの方です。この報恩講で信心を得た、それは何より大事なことだと蓮如上人はそんなお文を書いておられる。二帖の第一通です。ところが信心を得たからと云って、そのまま放っておいたら、その信心も消えていく、無くなるぞと云うんです。「細々に信心のみぞをさらえて」つまり泥がつまらんようにせえよ、垢がたまらんようにせよと、そして「弥陀の法水をながせ」教えの水を流しなさいと云うんです。私信心を戴いたと腰を下ろしたらえらいことになるとお浚えのお文は云うんです。そのことと合わせていまの仏智疑惑和讃を読むんです。だから前の日に如来大悲の恩徳はでおわってあぁよかったよかった、報恩講お勤めしたで終わらないですね。その次からがもっと大事なんですよ。教えを聞いて有難かったなぁという、その中に潜む問題を勤行の形式まで大事にしてきたんやなぁと思います。この仏智疑惑和讃は大谷派ではそういう時しか態々使いませんが、高田派は結構お勤めになられるでしょう。やっぱり報恩講のあとですか、(高田派のお方から報恩講に勤められるという返事)23首ありますけれども、ここに先ほど大経で見たこと以外にもいろんな言葉も引いておられます。第1首、2首の辺地という言葉も後の人のお言葉で大経そのものに出ているわけじゃありません。懈慢は源信僧都の往生要集に出てくる言葉です。3首目はさっき読みました。このような世界に止まっていては仏法僧の三宝に遇うことが出来ないと云います。6首目は自力で積み上げた念仏で往生しようとする人のことです。そんな人であってもと第7首目は如来大悲の恩に目覚めて称名念仏を励みなさいと云っています。励むというのは自力じゃないですかと云う人もありますが、これは努力のことです。一所懸命称名しなさいと親鸞聖人が勧めておられるのです。でもそれを今度は握って私ほどした者はおらんとか、人一倍頑張っていますと云うた途端に自力になるわけです。だから自力を努力とイコールにしたら絶対ダメで、努力を威張ることを自力と云います。努力を誇ること、自慢することが自力なんですね。だから自力の称名は必ず牢獄に入る、自分の宮殿の中へ閉じ籠もっていくわけです。しかし本当の念仏者であろうとするときは如来大悲の恩を知って、称名念仏励みなさいと云ってます。これ努力を勧めておられるお言葉ですよね。最後の23番目まで行きますと「仏智うたがうつみふかし/この心おもいしるならば/くゆるこころをむねとして/仏智の不思議をたのむべし」くゆるこころ、これが後悔の悔という字を親鸞聖人「くゆるこころ」と云ってます。お経では深く自ら悔責(けしゃく)して、でありましたが、くゆる心をむねとして仏智の不思議をたのむべしと。だから仏智不思議の罪は深いぞ、この心を思い知るならば、くゆる心をむねとしていよいよ仏智の不思議をたのみなさい、これを根拠にしなさいと仰っています。これいつも云いますが、「たのむ」というのは親鸞聖人漢字で書かれるときは「憑」必ずこの字を使います。本願をたのむとか弥陀をたのむというのは、この字です。いまはちょっと良い印象のある字ではないかもしれません。狐が憑くみたいなときの字ですから。でもこっちの字「頼」は絶対に使いません。これは本々「貝」という字があるようにお金に関っている字で、これだけあれば大丈夫だろうと当てにする心なんです。阿弥陀さんを当てにするんじゃないんです。阿弥陀さんを拠り所とする、馬という字が付いているように、身をあずける、身も心もお任せするというような意味がある字だそうです。だから結果の善し悪しに関係ないですよ、これ。「賴」の方はあなたのこと信頼してますよと聞こえは良いようですけれども、思い通りにならなかったとき何と云いますか。信頼してたのに裏切られた、みたいになるでしょう。結局自分の計算が先なんですよ。「憑」の方は結果がどうであろうとおまかせするということです。ここでも仏智の不思議をたのむと云うているのに対して「頼」の方は「~にたのむ」と云うでしょう。あの人にたのむとか神様におねがいするとか、仏様にお願いするとかそういうときです。「~に」と云うたときはなにか内容があるでしょう。このことをお願いしました、「~に~を」お願いしたということですね。しかし親鸞聖人の言葉使いは全部弥陀をたのむ、本願をたのむ、仏智をたのむ、ですね。それを拠り所とするという意味です。だから、それを根拠にする、立場にすると云っておいた方が分かり易いです。だから阿弥陀の本願の不思議なことになんかをお願いするというんじゃ決してない。仏智の不思議ということをいただいて生きていく、そのことを生きる根拠にする、そういうような言葉です。この仏智疑惑和讃は大谷派では日頃なかなか読まないということになっているんですが、非常に大事な教えを讃嘆する、仏さまのお徳を感謝するというのと同時にこちら側がいかに危ういかということを確かめていく、そういうご和讃なんですよね。親鸞聖人が23首も作っておられる、だから大変重んじておられたことがよく分かりますよね。この辺が先ほど見ておりました化身土巻と対応しているわけです。浄土三経往生文類と胎化得失の文との関係
も一つ、胎化得失の文について申し上げておかなければならないことがあります。化身土巻ではこれは第十九願のところに出てくるわけです。ちょっと戻りましょうか。326頁から化身土は始まっていますが、どういうことから化身土巻が起こされたかと云うとこんな言葉がありましたね「しかるに濁世の群萌、穢悪の含識」五濁悪世を生きる群萌、穢土の悪に染まった含識、これ有情のことでありますが「いまし九十五種の、邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといえども」つまり外道を離れて仏法の門に入ったんだけれども「真なる者は、はなはだもって難く、実なる者は、はなはだもって希なり。偽なる者は、はなはだもって多く、虚なる者は、はなはだもって滋し。」真実に仏道を歩む者は少ない。虚仮不実の誤った道に落ちていく者は多いと云ってるわけです。だからこれが大事なんだようということをお釈迦さまは「福徳蔵を顕説して群生海を誘引し」と誘って下さる、引っ張って下さると書いてますね。「阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまう。」この誓願というのは第十九の願ですね、修諸功徳の願です。もろもろの功徳を修しなさいという願を発して下さったと云うんですね。ここに胎化得失の文が引かれていたわけです。この胎生という問題を功徳を修するという問題で一応押さえようとしている。これが今日の引用文なんですね。浄土の教えに触れながらもやっぱり功徳を修めた者の方が助かるだろうとする問題として人間のあり方を見ているわけです。阿弥陀仏に帰依しますと云いながら修諸功徳に落ちていく問題を見ている。その流れの中で今日の胎化得失の文が出て来るわけであります。だから功徳を当てにするあり方、功徳を積もうとするあり方は結局は自力であって本当の阿弥陀の世界に出遇ったとは云えない。あるいは阿弥陀の浄土に生まれて行くことにはならないと、こういうことを今日の引用は云ってるわけなんですね。で、化身土ではこうなんですが、親鸞聖人はこのことを分けて述べられる場面もあるんです、聖典468頁を開いて下さい。『浄土三経往生文類』という本が載っています。親鸞聖人85歳の時にお書きになられた、晩年になってからお書きになられた本であります。ここでは大経、観経、阿弥陀経という三部経、これに従ってそれぞれが表す往生のお言葉を集めましたというのがこの三経往生文類というこの本です。一番始めに大経往生とあるでしょう。それから次が観経、次が弥陀経、この三経の往生がここでは分けて述べられるんですね。それぞれが明らかにしてくれている往生ということです。大経往生、これは真実の往生のことで親鸞聖人は難思議往生と云ってます。我々の思い計らいを超えておる。我々の予想したことが与えられるんではないんですね。思ってもみないような生き方が与えられることを難思議往生という言葉で押さえられます。これが468頁から471頁の中頃まで続いています。次に観経往生とあって、ここには双樹林下往生、双樹林下というのはお釈迦さまが沙羅双樹の下でお亡くなりになった、涅槃に入られたわけですが、お釈迦さまの入涅槃を理想とするような往生、それを双樹林下往生と親鸞聖人は云っておられます。ある意味で一つの境地、到達すべきあり方、理想を掲げてそれを目指して行くのですね。ですから観経というのは正に積み上げていく私たちの修行が段階的に説かれているのです。定善散善と云って、あの善もやりなさい、この善もやりなさいと、ものすごく分かり易い具体的目標を示してくれている、そういうお経です。でもそれは我々を導くための方便の往生だとはっきり云われるんですね。つまり目標もない、何していいのか分からない私たちに、じゃぁこう生きろと、こういうことを目指して生きろという形で教えるわけです。ところがこれ一つの理想として握ったらえらいことになります。だって死の縁は無量ですからね。どんな形で終るか分かりません。それこそ沙羅双樹の下で眠るように往けるかどうか分かりませんからね。そうなれんかったとなれば臨終の姿によって右往左往せんならんですわ。朝行ってきますと云ってそのままの場合もあるんですから。大事なのは私たちの人生に方向を与えるためにそう説いて下さっているわけであって、その亡くなる時の姿、臨終の行儀というか、その形に執われてはならないということを云うために、これは方便ですよと親鸞聖人は云うわけです。これが双樹林下往生、いろんな行を積んで善根も積んでというのがここです。
最後の弥陀経往生というのは難思往生。一番目と似ているんですが「議」の字はありません。思ってもみないようなということはあるんですが、そこに計らいが残るんでしょうね。難思議往生まで行かないです。これはあれこれしないんですが念仏ひとつ、いろんな行は出来ないけれど念仏ぐらいならできると念仏を一所懸命頑張る人が理想とすべき往生であるということになります。これは阿弥陀経に説かれているあり方だと。つまりいろんな善根功徳を修するんじゃなくて、念仏一つに立つんですが、それをまた自分の善根功徳として積み上げるという発想が残っているあり方です。だから難思議往生、真実の往生とは云わない。これも方便だという形で押さえられていくんです。元々難思議往生とか双樹林下往生とか難思往生というのは善導大師のお書物に出るお言葉なんですが、善導大師は決して今云ったような区分けはしておられません。往生して下さいとあの手この手で勧めておられるだけなんですが、親鸞聖人は明確に真実の往生である難思議往生と、我々に呼び掛けるための双樹林下、難思という方便のあり方と分けておられます。
何を云いたいかと云うと、今日読んだ胎化得失の文は弥陀経往生のところに引きます。ここには明確に観経は第19願で双樹林下往生と云う。弥陀経は第20願で難思往生と云うんですね。第18願、第19願、第20願が大経、観経、弥陀経に対応し、更に正定聚、邪定聚、不定聚という機に配当されているように整理して区分けしたのがこの本なんですね。こういう発想で見ると教行信証の化身土巻は非常に読みにくいんです。三つに分けてくれたことで云えば胎化得失の文は20願の問題じゃないのと自力の念仏の問題じゃないのということになるんです。19願は念仏一つでなくてあの功徳も積む、この功徳も積む、あの行もやる、この行もやるという、いわば雑行の世界じゃないのということなんです。で、これいつも議論になるところなんです。化身土巻は読みにくいと云われるんです。でもボクは明確に主題が違うと思っています。この三経往生文類は一つひとつのお経に表される往生について分けて述べればこうなるということです。でもボクらの前にこの三つが、どれにしようかなというふうにあるのと違うんですよ。ボクらはどう云うてみても関わるのはまずここからなんですが、区別なんかついてませんよね。例えばいろんな善根を積む、いろんな行を積む、その一つとして念仏も知ろうということになるじゃないですか。そこから念仏一つに定まるということは起るかも知れませんけど、初めから念仏だけは別の話で写経とは別やと、そんなことになりますかね。写経しとる根性と念仏しとる根性は一緒やと思います。他にもっと善いことがあるとなるとそれもやるかも知れません。要するに混沌としている私たちに、まず念仏に引張っていくためには雑行に立つのか念仏にたつのか、選びが要りますわね。そこからまず呼び掛けて下さっているわけです。だから分ければ三つですけれど、功徳を積むのと自力の念仏は実は分けられない。その意味で教行信証は私たちへの呼び掛けの言葉としてあるものですから、20願のところへ置いてないんです。この辺がいま第19願の話なのに、なんでここに20願の話が出てくるのかなぁというのは、これに縛られ過ぎなんです。同じ親鸞聖人の書物でも何を明らかにするかについて次第があるわけですよ。この辺のことを例で云いますと、教行信証の中で後で三願転入という問題が出て来ます。19願から20願、そして18願と書いてあるんですよ。これをね、親鸞聖人の生きられた年代に当てはめようとする人が出てくるんですね。19願は比叡山時代、法然上人に出会ったところが本願に出会ったけれど自力が残っている20願の時代、最後は完全な他力になっていく18願の時代だと。でもこれ、どう思われます?比叡山を下りて法然上人の下入ったときに、私は20願に入ると云うんでしょうかね。そんなことないと思いますよ。自力の行を捨てて念仏に帰しましたというこれだけでしょう。ところが帰したところにまた自力の念仏が見えてきた。そこから20願の問題が改めて戴けてくるということがあるんです。だからまず29歳の時は雑行に立つのか本願に立つのかの二つの選びですよ。でも本願に立ったところにまた自力の心がくすぶり続けてましたということが起る。だから19から20、20から18というような、段階的に考えようとするから話が却って見えにくくなる。三願転入というのも後から出て来ますけれど、順番でそう書いてあっても私たちの事実からすれば雑行に生きておった者が本願に出遇ったと、これしかないわけです。もっと云えば、本願に出遇ったところに今までの雑行が分かるわけですから、比叡山時代が19願であったと、そんなことは云えないわけでしょう。法然上人に出会って初めて今まで19願の呼び掛けをいただいていたのに知らずにおったなぁという話になるわけですよ。29歳まで私は19願でしたとそんなこと比叡山時代に云うはずないですわね。これは本物に触れたときに偽物が分かるというのと一緒です。本願に触れて初めて、今までは頭を剃り出家はしていたけれど行になっておらんかったなぁ、雑行だったなぁということがはっきりしたわけですから。それをなんか段階的に当てはめようとするから読みにくいというか、こっちが勝手に読みにくくしているだけなんですけれど。だから事実とすると、この化身土巻が具体的やと思います。まずは自力ん修行に立つのか、それとも本願に本当に出遇うのかと、胎生と化生として分けているわけです。だから19願と20願はある意味で分けられないところがあるということなんです。それを晩年の書物では三つのお経に従って整理されてこういう形になっているということです。同じ親鸞聖人の書物と雖も一色に染めて解釈しようとすると無理がかかるとボクは思います。その辺一応これは20願の内容を表わすものとして、他の書物にも出てますということだけ申し上げておきたかったわけです。
20願の話は念仏一つに帰したところにも残る問題として、またお話しをさせていただこうと思います。
一応、胎化得失の文一つ読みました。また如来会という異訳の経典の胎化得失の文が次に続けて出てまいります。我々を真実に導くための仏の呼び掛けのお言葉、そういう経文として親鸞聖人が読んでおられるということをお話ししたかったわけであります。
今日はここまでにさせていただきましょうか。ありがとうございました。