源信僧都 【第1講】 一楽 真 師
2009年1月23日
《開講にあたって》
教行信証の総序に「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。」と宗祖は七高僧との出会いを、感動をもって語っておられます。 しかし数ある高僧の中からなぜこの七人の方を選ばれたのか。
古来先学の諸学説がありますので便宜上箇条書きにします。
【著作の有無と宗義の発揮(独自の見解)による選定】
龍樹 易行品 十二禮 難易二道
天親 浄土論 一心帰命
曇鸞 浄土論註 讃阿弥陀仏偈 自力他力
道綽 安楽集 聖浄二門
善導 観経蔬 往生禮讃等 正雑二行
源信 往生要集 報化二土
源空 選択本願念仏集 浄土宗の独立
【法機による分類】
法 上三祖 大経宗
機 下四祖 観経宗
【時機による分類】
時 龍樹 道綽 源信
機 天親 善導 源空
時機 曇鸞
【廃立・隠顕による分類】
廃立 道綽 善導 源空
穏顕 龍樹 天親 曇鸞 源信
以上学説に一応目を通しておきましたが、七祖を貫通するものはなにかといえば、それは名号の仏道です。
そもそも仏教は釈尊の初転法輪から始まります。しかし成道の後しばらく沈黙の期間があります。お説法されることをためらわれるのです。お覚りの内容そのものは人間の言葉にすることができないからです。これを宗祖は「いろもなし、かたちもましまさず、しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。」(聖典554頁)とおっしゃいます。そこに梵天があらわれて、言葉という手段によってしか真実を聞くことができない人類のためになんとかお説法くださいとお願いします。そして語りえないものを語るという根本の撞着を超えて45年に亘るご教化が実現したのです。
では仏滅後の人類はどうすればいいのでしょうか。
その答えを教えて下さるのはどなたであるのかという観点から宗祖が私たちのために選定されたのが七高僧です。
真宗の本尊は言葉の名号であり名号となった言葉です。それが言葉による仏教といわれる所以です。
人類の行為(身口意の三業)は言葉そのものであり、言葉があるがゆえに言葉に迷います。またそれからの離脱も言葉によるほかありません。
七高僧に一貫していえることは人間の知的努力すなわち言葉、論理性をもって仏智に到達しようとする態度の否定です。智慧は人間の側にあるのではなかったとする信知です。向う側からわざわざ私たちがそれでしか理解できない言葉となって贈られてきた名号を生きられたのが七高僧でありました。
源信僧都 【第2講】 一楽 真 師
2009年2月28日
親鸞聖人は、一代仏教の中から念仏門の流れを継承された我が国最初の祖師として、源信僧都をお選びになりました。僧都は少年期に出家され若くして学僧としての名声をうたわれましたが、三十歳を過ぎた頃隠棲して修道と著述に没頭されました。宗祖は多くの著作の中から特に「往生要集 三巻」に注目されたのです。その内容についてはおいおい学んでいくことになりますが、まずご生涯を歴史的にたどろうとしますと、著書に比べて資料が極めて少ないということもありますので、一応の略年譜をあげておきます。
【源信僧都略年譜】
942年(天慶5) | 1歳 | 大和国葛城郡当麻郷に生まれる。 |
956年(天暦10) | 15歳 | この頃までに出家。良源の弟子となる。 |
974年(天延2) | 33歳 | この頃、広学竪義を勤め、名を挙げる。その後、隠棲。 |
978年(天元1) | 37歳 | 『因明論疏四相違略注釈』3巻を著わす。 |
981年(天元4) | 40歳 | 『阿弥陀仏白毫観法』1巻を著わす。 |
984年(永観2) | 43歳 | 『往生要集』3巻の著述に着手。翌年4月に完成。 |
985年(寛和1) | 44歳 | 師の良源(元三大師)が没する。 |
986年(寛和2) | 45歳 | 慶滋保胤が出家(法名は寂心)、源信の弟子となる。二十五三昧会発足。根本結縁衆に加わる。 |
988年(永延2) | 47歳 | 『横川首楞厳院二十五三昧起請』十二個条を作る。この年、来朝の宋僧に『往生要集』を託するか。 |
993年(正暦4) | 52歳 | 慈覚大師(円仁)門徒と智証大師(円珍)門徒の争い激化。智証門徒、叡山から分離。 |
1000年(長保2) | 59歳 | 長年の隠棲を破って宮中の仁王会に出て、法橋位に叙せられる。 |
1004年(寛弘1) | 63歳 | 権少僧都に任ぜられる。 |
1005年(寛弘2) | 64歳 | 『大乗対倶舎鈔』14巻を著わす。 |
1006年(寛弘3) | 65歳 | 権少僧都を辞し、一介の隠遁僧に戻る。『一乗要訣』3巻を著わす。 |
1007年(寛弘4) | 66歳 | 『観心略要集』1巻を著わす。(56歳の説もあり) |
1014年(長和3) | 73歳 | 『阿弥陀経略記』1巻を著わす。 |
1017年(寛仁1) | 76歳 | 示寂(6月10日) |
これによっても僧都が天台宗総本山の真只中にあって才能を認められながら、終始名誉栄達に背を向け、誠実に仏道を歩もうとされたことがうかがわれます。では師の天台座主良源とも逆のような生き方を選ばれたのはなぜだったのでしょうか。そこには母上の深い信仰心と、息子源信にかけられた強い願いがあったからだと思われます。
その説話が「今昔物語集」に出ていますので概略をご紹介しておきます。
「宮中の法華八講(法華八巻を講讃する法要)に召された源信は、ごほうびに下賜された引き出物を大和の母君のもとへ送られた。すると次のような返書が来た。『世間の人はわが子の世俗的な出世を希むかもしれませんが、私はそなたがそのようになってほしいと思ったことはありません。娘は多勢いるのにたった一人の男子であるそなたに元服もさせずに得度させたのは、多武峰の聖人のような貴いお坊さまになってもらいたかったからです。そなたが有名人になることよりも、私の後世を助けて下さるようなりっぱな聖人になってくれることを念じています。』これを読んで源信は涙ながらにまた手紙を書いた。
『私には高名な僧になろうというような存念はさらさらございません。ただこのようなことがあったということをお知らせしたかっただけです。この上は修行を専一に励むことにします。母上の仰せのとおり修行が完成するまでは山を下りません。』
それに対してまた母君から返事があった。『それを聞いてやっと安堵しました。これで安心して冥土へもまいれます。返す返すもうれしいことです。ゆめゆめご修行をなおざりになさらないように。』
僧都はこの二通の返書を大切にしまっておいてときどき取り出して見ては泣いておられたという。
そして六年が過ぎ、源信はまた手紙を書く。『ながらくごぶさたして、一度お目にかかりたく、また母上も会いたく思っておられるのではありませんか。それならほんのちょっとだけお伺いするというのはいかがでしょうか。』その返事にも母君の決意は固かった。『本当にお会いしたく、恋しく思っているのは事実ですが、そうしたからといって私の罪が消えるわけではありません。私の方から申し出るまで山を出てはなりません。』
そしてさらに九年が経った。源信は年老いた母君のことがどうしても気になってしかたがない。叱られてもかまうことはない、とにかく行ってみようと決心して山を下り、馬で大和の国に入った。するとたまたま手紙を持った男に出会い、当麻の尼君から横川にいるお子さんの坊さまにこれを届けにいくのだという。源信は馬に乗ったまま披いてみると『ここ二三日体が弱ってしまって、最期かもしれないと思うと心細く、どうしても今一度お会いしたいと思い手紙を書きました。どうか早く早くおいで下さい。』とある。馬を速めてたどりつくと、母君はかすかな息の下からよう帰ってくれた、うれしいことですといわれるので、源信も涙ながらにお念仏しておられるかと聞くと、すすめてくれる人もなく念仏申す気力も失せたと仰る。そこで源信が尊い教えを説き、念仏をすすめたので、母君は心から菩提心を発し、念仏を二百遍ほど唱えて明け方に消え入るように息絶えた。〈私が虫の知らせできたからこそご臨終にも間に合い、お念仏をすすめることもできた。本願を信じ念仏して亡くなられたからには往生はまちがいない。ありがたいことだ。〉と源信は涙を流しながら横川へ向って帰って行かれた。」
源信僧都 【第3講】 一楽 真 師
2009年3月28日
源信僧都が生きられた平安後期、仏法は間もなく末法の時代に入ると考えられていました。
釈尊滅後の五百年を「正法」といい、教えが正しく伝わり、教えを実践することによって証りを得ることができる時代です。次の千年間が「像法」で、教えのままに行ずる人はあっても証りにいたることはありません。仏法の形骸化です。その後に来る一万年が「末法」です。仏法は名のみとなって、行ずる人もなければ、証りなど勿論ない混迷の時代になります。
源信僧都は「濁世・末代」曇鸞大師は「五濁の世・無仏の時」といわれます。五つの濁りとは時代の濁り(劫濁)考え方の濁り(見濁)煩悩による濁り(煩悩濁)人間の濁り(衆生濁)いのちそのものの濁り(命濁)です。濁りによって真実が見えなくなり、生きる上での本当のよりどころが見失われていくのです。そんな末法到来の予感の中で、人間の努力による修行の積み重ねが無効になるおそれや不安から、本願念仏の教えに光明を求める動きが芽生えていました。
西暦984年11月、僧都は43歳で往生要集三巻の著述に着手され、翌年4月には脱稿しておられます。八万数千字の三分の二以上を経論釈から縦横無尽に引用した大著を僅か五ヶ月で完成されたのも、こんな時代の背景があったからかもしれません。
冒頭の序文にも「仏教と一口にいっても、教理の数はあまりにも多く、行法もはなはだ簡単ではないので、知力にすぐれ努力精進する人にとってはむずかしいことではないかも知れないが、私のような愚かな者には、とても歩んで行ける道ではない。数ある教えの中で、こんな汚れた時代においては、浄土に往生するための教えとその実践こそがわれわれを導く目であり足である。出家・在家の別を問わず身分の高低も超え、誰の上にも成り立つこの念仏の大道に今こそ帰依すべきである」と選集の意図を述べながら「予の如き頑魯の者」という言葉で僧都の母君のような人をも代表させ、女性にも一般庶民にも開かれた道であることを強調されます。僧都の凡夫の自覚としての「頑魯」は法然上人の「愚癡」更には親鸞聖人の「愚禿」へと伝統されていきます。
宗祖が往生要集をどのようにいただいておられたのかは正信念仏偈の「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」(聖典207ページ)に集約されているように、天台の学僧として一切経に精通し熟知された僧都が他の諸教をさしおいて、ひとえに往生極楽の道に自らが帰依され、それを私たちにお勧めくださったのだという感動と謝念が感じられます。
また「教行信証」は、構成や引用で「往生要集」と照応するところが多々ありますので宗祖がいかに僧都の学風を大切にし、踏襲されたかがうかがわれます。
源信僧都 【第4講】 一楽 真 師
2009年4月24日
往生要集の構成を見てみると、次のように10の部門に分けられています。
【十門】
第一 厭離穢土・・・ | 穢土を厭い離れるべきこと |
第二 欣求浄土・・・ | 極楽浄土をねがい欣い求めるべきこと |
第三 極楽証拠・・・ | 極楽浄土が十方浄土や兜率天にすぐれている証拠 |
第四 正修念仏・・・ | 正しく念仏を修する方法 |
第五 助念方法・・・ | 念仏の助けとなる方法 |
第六 別時念仏・・・ | 特定の日時を限って行う念仏 |
第七 念仏利益・・・ | 念仏の利益を七種 |
第八 念仏証拠・・・ | 念仏によって誰もが往生する証拠 |
第九 往生諸行・・・ | 念仏以外の諸行および諸業 |
第十 問答料簡・・・ | 問答によって極楽往生についての疑問に答える |
→ | 第一から第三は阿弥陀仏の極楽浄土に生まれることを勧める。 第四から第六は生れるための方法である念仏について詳しく述べる。 第七・第八は念仏をすすめる理由が述べられ、 第九・第十で他の行との関連について述べ、総結している。 |
そして序文が終りいよいよ本文に入るに当って、いま居るこの穢土がいかに穢れいかに厭うべきかを七つの項目に分けて説明していこうと源信僧都は云われます。
1.地 獄 td> | 仏教以前からインドの人が考えていた世界 〈naraka〉 漢訳・音写されて「奈落」 無明が根拠となる孤独の苦しみが極まるところ 言葉の通じない世界 |
2.餓 鬼 td> | むさぼり(貪欲)が根拠となって現れる状態 もっと、もっとという心 どれほど与えられても満足できない ありがとうが云えない生き方 |
3.畜 生 td> | いかり(瞋恚)が根拠 他者をライバル意識で見る 勝ったか負けたかの世界 ごめんなさいが云えない生き方 |
4.阿修羅 td> | 斗争本能の世界 戦いをなりわいとする生き方 |
5.人 td> | 六道の中で唯一仏法が聞ける世界 悩むが故に求めるからである |
6.天 td> | 願いがかなった状態 しかし、飽きることもあれば果報が尽きて落ちることもある 長続きはしない 結局六道を輪廻する |
7.総 括 td> | 六道のしめくくり |
源信僧都 【第5講】 一楽 真 師
2009年5月22日
大文第一厭離穢土・一地獄
地獄は八つに分けられていて 1.等活 2.黒縄 3.衆合 4.叫喚 5.大叫喚 6.焦熱 7.大焦熱 8.無間 です。そのそれぞれに16の小地獄が付属しているので、全部で136あるといいます。
それらの地獄が1から順次地底の深い方向へ層をなして重なっており、その深さ、広さ、そこで苦しみを受ける時間の長さが天文学的な数字で詳述され、深くなればなるほど数字が増えていきます。一番浅い等活地獄でも、深さ1,000由旬(1由旬は14.4km 往生要集・岩波文庫)14,400km、広さ10,000平方由旬・144,000㎢、苦しみを受ける期間は(人間の寿命に換算して)1兆6653億1250万年です。
しかし数値そのものにはさして意味があるとは言えませんので、黒縄地獄以下については省略します。
等活地獄には「殺生の者が堕ちる」とあります。他のいのちを奪った者が罰を受ける地獄です。いのちを奪われた者の痛みを思い知らされる場所です。
ここでは身体を切り刻まれる苦痛を与えられながら、一陣の涼風が吹くと、バラバラになった部分がひとしくよみがえり(等活)、元の身体に戻ってまた初めから延々と同じ苦しみを受けなければならないのです。
私たちは大きな生態系の中で、他のいのちを糧にして自分の身を養いながら、殺生の自覚はありません。
だからといって無自覚に殺生を重ねた結果、死後に地獄で罪を償わなければならないという話ではありません。人間以外の殺生は殺生とも思わない傲慢さへの戒めと受け止めるべきだと思います。
以下、黒縄地獄は | 殺生+偸盗 |
衆合地獄は | 上の二つに+邪淫 |
叫喚地獄は | 上の三つに+飲酒 |
大叫喚地獄は | 上の四つに+妄語 |
焦熱地獄は | 上の五つに+邪見 |
大焦熱地獄は | 上の六つに+犯浄戒尼 |
無間(阿鼻)地獄は | 造五逆罪・撥無因果・誹謗大乗・犯四重禁・虚食信施 |
罪が重なり、地獄が深くなるのに比例して拷問は苛酷さを加え、時間は限りなく永遠に近づきます。
私たちは、こんな恐ろしい場所がどこかにあるかも知れないけれど私には関係がないと思うかもしれません。また地獄の責苦がいやなら浄土を欣えという教えだと受け取るかもしれません。
そうではなくて、もうすでに自分が自分で作った地獄に堕ちているではないかということを知らせようとするのが源信僧都の意図されるところなのです。
地獄を作った原因が自分の無明にあることに気がつけば、仏法を聞いて今を生きていかなければならないということがはっきりします。地獄を逃れて助かるのではなくて、地獄を自覚させる教えに会えて初めて地獄から解放されるということが起こるのです。
地獄から脱出するのが浄土の教えではありません。邪見にふりまわされ、おろかな生き方になってしまっている、そのことに眼をさませよというのが地獄をお説きになる源信僧都の真意ではないかと思います。
源信僧都 【第6講】 一楽 真 師
2009年6月27日
岩波文庫の『往生要集』をテキストに使うことになりましたので、前回までのところをざっと振り返ってみます。
まず序文(10頁〈以下『往生要集』[岩波文庫]のページ数〉)に、この論書の目的は弥陀の浄土に生まれるための教と行(念仏)を明らかにすることであり、またどのような人に説こうとしているのかといえば、難しい学解や厳しい修行に堪えられない凡夫のためのものであることが標榜されます。
そして本論は十門に分けて詳述されますが、その第一が厭離穢土、第二が欣求浄土です。この穢れた迷いの世界を厭い離れて、弥陀の浄土を欣い求めよと仰います。
宗祖の場合は「欣求浄土」と、まず阿弥陀如来の光に遇えと云われますが、「歎異抄 第九章」(聖典630頁)や「仏光照曜最第一」(聖典479頁)をご参照ください。
厭離穢土の第一は地獄でした。この地獄がまた八つの層に分けられて、浅い方から殺生罪の等活地獄があり、偸盗、邪淫と罪が重なるにつれて深くなって罰も厳しくなり、どん底の阿鼻地獄では仏教で考えられる限りのすべての罪が挙げられ劫罰を受けることになります。
常識で考えますと殺生が一番重罪で他の罪はより軽いように思えますが、実は逆なのです。犯した自覚のない罪ほど深いのです。わかっている罪は浅いのです。気がつかないで傷つけ合っていることがいかに痛ましいかを云おうとしているのでしょうか。阿鼻地獄に堕ちて燃え盛る業火の中に行きくれた人が叫ぶ言葉はあまりにも有名です。
「我、今帰する所なく 孤独にして同伴なし」(35頁)
自己中心的に関係を切り捨てた結果は、ともに歩む人もなければ帰る家もないのです。
以上、地獄道を復習して、今日は第二餓鬼道と第三畜生道に進みます。
まず餓鬼道(47頁)ですが、これはむさぼり、もっともっとという心が作り出す世界です。貪欲が餓鬼道を作っているのです。云い換えれば、いつまでたっても満たされない心で生きる者を餓鬼と呼ぶということです。
では、どのような者がこの世界に堕ちるのでしょうか。財を貪った者、食をひとり占めにした者、名利を貪った者、不正な手段で利益を得た者等々が詳細に挙げられます。持っている人をそねみねたみ、人をだましてでも物を奪い、一旦得ればものおしみをし、どうなれば満足なのかわからなくなり、常に飢渇状態におかれて苦しんでいること自体が、すでに餓鬼道なのです。
52頁には渇いた餓鬼がようやく水を見つけて飲もうとしたとたんに火になる有名なたとえがあります。手に入れたとたんにその物の価値が失せるわけですから、永久に幻の価値を追って走り続けなければなりません。その苦しみはどのくらい続くかといえば「人間の一月を以て一日夜となして月・年を成し、寿五百歳なり。」ですから人間の時間に換算すれば15,000年です。
源信僧都は、だからこそ速やかにそんな状態を離れよと仰います。
厭離穢土の第三は畜生道です。鳥、獣、虫の類であるとは云ってありますが、弱肉強食の世界です。いつ食われるかもしれない怖れに常におののいて、ちょっとの間も安らかであったためしがない不安です。これを智度論は「傍生」という言葉で表します。まわりに振り回されて自立できない者のことです。
なにが原因でここへ堕ちるかといえば「愚痴」と「無慚」だと往生要集(54頁)は云います。ひたすら食うことを求め、食われることを怖れ、その思いに手いっぱいで他のことが考えられない。それが愚痴でありましょう。
無慚とは羞じることを知らないのです。教行信証には涅槃経を引いて「『無慚愧』は名づけて『人』とせず、名づけて『畜生』とす。」(聖典257〜258頁)とあります。何をしてもはずかしいと思わないのが畜生である、人ではないとしています。無慚であるがゆえに父母・兄弟・姉妹のような関係まで切れて、食い合い殺し合う畜生道を作り出すことになるというのです。
切れた人間関係を回復し、畜生道を離れて衆生が救われる道はあるのか。
慙愧である──と涅槃経にはあります。
源信僧都 【第7講】 一楽 真 師
2009年7月18日
三悪道あるいは三悪趣といわれる地獄・餓鬼・畜生を終って阿修羅・人・天に進みます。
「阿修羅」は本来好戦的な鬼神なのですが、その戦斗能力を仏法の護衛に転じて、守護神になったとされています。少し前に東京でたいへん評判になった興福寺の阿修羅像がそれです。
ここでは前者の戦争に明け暮れ、攻撃しては反撃をおそれ、不安なるが故にまた攻撃する連鎖の中で、心の安まる暇もなく怖れ戦きながら生きなければならない阿修羅の業が問われています。
次の「人道」は私たちが今いる人間の世界です。生身を生きている人間の上には不浄・苦・無常の三つの特徴が見られると往生要集はいいます。
なぜ不浄なのでしょうか。
肉体を持って生きていかなければならないからです。この私たちが愛着して止まない肉体を内臓に至るまでえぐり出し、解剖学的な考察を加えて、これがそんなにきれいな物でしょうかと問いかけます。結論は「・・・高き眉、翆き眼、皓き歯、丹き唇といへども、一聚の屎に、粉もてその上を覆へるが如く、また爛れたる屍に、仮に繒彩を著せたるが如し。」(『往生要集』岩波文庫62頁)です。
なぜ苦なのでしょうか。
これもまた肉体を持つ者としてこの世に生れ落ちたからです。さまざまな身体的な病気を内苦とし、厳しい自然環境や人為的な迫害を外苦として人生を生きてゆかなければならないからです。
なぜ無常なのでしょうか。
肉体的ないのちには終りがあるからです。他のことはどうにかなるとしても、このことからは絶対に逃げることはできません。「当に知るべし、もろもろの余の苦患は、或は免るる者あらんも、無常の一事は、終に避くる処なきを。」(同67頁)
このように実際は不浄、苦・無常である人生を浄・楽・常であるかのように顚倒して妄想するところに人間界の迷いがあり、それが悩み苦しみを生み出してくることになるのだというのです。
いよいよ六道の最上界「天道」です。天人が住む天上界です。普通私たちが憧れ、素晴しい理想郷と思い込んでいる世界でありますが、此処も所詮六道輪廻の中であることにおいては三悪道となんら変るところのない厭い離るべき境遇の一つなのです。ここにも欲界、色界、無色界の三層があります。
欲界とは欲望に支配され、欲望を原理として動いている世界です。
色界は欲望は離れているが、なお物質(色)を媒介にしてものを考える芸術のような世界です。
無色界は一切の形ある物を捨象して、純粋な精神のはたらきに身を浸しているような、例えば、哲学や宗教の世界です。
芸術論や宗教論ともなればあまりにも奥が深く難解です。ですから欲界の話ならば同じ欲界にいるあなたにも解り易いでしょうと、源信僧都は六欲天の下から二つ目にある忉利天の天人五衰(同69頁)を例に挙げて下さいます。
欲しいものは全て手に入れ「快楽極りなし」というところまで上りつめた。しかしこれ以上目指すべきものがないとなれば空虚な倦怠が残るだけである。落ちる他ありません。そうなると人目にも知れるような五つのいやな前兆が現れます。まわりにいて阿諛追従していた者はそれを目にして掌を返したように離反し、ほしいままにしていた物事も意の如くならず失われていくばかりです。「我いま依るところなく怙むところなし。誰か我を救ふ者あらん。」と歎きますが、その苦しみたるや八大地獄で受ける苦毒の16倍以上だといいます。いかに欲望の究極に到達したとしても、無常を免れることは絶対にありえず、輪廻の苦からもまた逃れることはできません。
「当に知るべし、天上もまた楽ふべからざることを。」(同71頁)と僧都は結論されます。
源信僧都 【第8講】 一楽 真 師
2009年8月29日
大文第一の厭離穢土には六道輪廻の世界がいかに穢れていて、厭い離れるべきものであるかが繰返し執拗に描写されていました。
ではそこを離れてどこへ向かうべきか。それがこの大文第二欣求浄土です。その功徳の素晴らしさはいかほど言葉を重ね、時間をかけようとも説き尽すことはできないのだがと前置きしながら源信僧都は10の楽を挙げられます。岩波文庫本でも90~135頁の45頁にも亘りますので、更に簡要を一楽先生にまとめていただいたのがこのレジュメです。
大文第二 欣求浄土
- 一には聖衆来迎(しょうじゅらいこう)の楽
- 極楽を願うところに仏や菩薩が迎えに来てくださるという楽しみ
「念仏の功積り、運心年深きものは、命終の時に臨みて大喜おのずから生ず」 - 二には蓮華初開(れんげしょかい)の楽
- 極楽に生まれると蓮華の花が初めて開くという楽しみ
「初めて仏界に入りて未曾有なることを得」 - 三には身相神通(しんそうじんづう)の楽
- 身に神通力が具わるという楽しみ
「五通を具し、妙用はかり難く、心のままに自在なり」 - 四には五妙境界(ごみょうきょうかい)の楽
- 色・声・香・味・触のすべてが浄らかで勝れている楽しみ
「衆生の願楽するところ、一切みな満足す」 - 五には快楽無退(けらくむたい)の楽
- 喜びが尽きることがないという楽しみ
「一たび七宝荘厳の台に託しぬれば、長く三界苦輪の海を別る」 - 六には引接結縁(いんじょうけちえん)の楽
- 縁ある人を引接できるという楽しみ
「世々生々の恩所・知識をば心に随ひて引接す」 - 七には聖衆倶会(しょうじゅくえ)の楽
- 仏にしたがう聖衆にともに会えるという楽しみ
「互いに遥かに相瞻望し、遥かに語声を聞きて、同一に道を求めて、異類あることなし」 - 八には見仏聞法(けんぶつもんぽう)の楽
- 仏に会い、法を聞くことができる楽しみ
「かの国の衆生は、つねに弥陀仏を見たてまつり、つねに深妙の法を聞く」 - 九には随身供仏(ずいしんくぶつ)の楽
- 心のままに仏を供養できる楽しみ
「かの土の衆生は、昼夜六時に、常に種々の天華を持ちて、無量寿仏を供養したてまつる」 - 十には増進仏道(ぞうしんぶつどう)の楽
- 仏の道を増進する楽しみ
「この土の衆生は、所有の万物において、我・我所の心なく、去来進止、心に係るところなし。もろもろの衆生において大悲心を得、自然に増進して、無生忍を悟り、究竟して必ず一生補処に至る。乃至、すみやかに無上菩提を証す」
一の楽は、仏法に心をかけて生涯を送っていても、往生についてなお一抹の不安を拭い切れない私たちに、心配はいらない、あなたが往こうとする前に仏さまの世界の方から近づいて来て下さるのだということを、来迎という形で教えます。
二の楽は、蓮華の花に包まれて浄土往生を果たしたあなたは、花が開いた瞬間に今まで見たこともないような世界を目の当りにするでしょうと、未曾有の喜びと驚きが描かれます。
以上のように一と二の楽は自分の周りにひろがる世界のありさまでしたが、三から五の楽は自分自身に与えられる利益の内容になります。
浄土に生れた者には仏さまと同じ肉体的な特徴が備わり、不思議な神通力を与えられて意図したことが叶えられる身になります。そして私をとりまく色声香味触の五境、すなわち環境が素晴らしいものになります。従ってそこには好き嫌いや差別が存在するはずはありません。浄らかな環境が自分自身を浄らかにしてくれる楽しみです。仏さまから付与された能力と環境が自分の上に実現して、願いと事実が一つになった喜びと楽しみは絶えることがありません。
人間の欲望の結果である天上界の楽しみは必ず五衰をもたらし退転することはすでに学びました。
さて次の六~十の楽は自ら能動的に活動する力を与えられた楽しみです。三~五の楽は浄土に生まれた境遇を享受する楽しみでしたが、今度は仕事ができるよろこびです。
六は教えを共にし、七は良き師に会い、八は常に聞法に赴き、九は仏を讃嘆供養し、十は精進する楽しみです。なすべきことが見つかったよろこびです。五十年前の親鸞聖人七百回御遠忌テーマ「生れた意義と生きるよろこび」が見つかったのです。
浄土は往生してそこに腰をおろす場所ではありません。立ち上る力をいただいたならば、ただちに活動を開始するのを楽しみとすることができるのです。
源信僧都 【第9講】 一楽 真 師
2009年9月26日
大文「第一 厭離穢土」「第二 欣求浄土」は穢土を厭い離れて浄土を願い求めよという源信僧都のおすすめでした。今回の「第三 念仏の証拠」(岩波文庫本136頁)ではなぜ願い求めるべきは極楽なのか、つまり阿弥陀仏の浄土でなければならないかの理由をお示しになります。
1番目は「対十方」です。十方の諸仏にはそれぞれの浄土があります。それなのになぜ特に極楽だけを願えというのか。この疑問に対してはまず、多くのお経や論書に、極楽が十方諸仏の浄土に比べていかに優れているかが説かれているからだといいます。
次にそれでは釈尊が「浄土に優劣はない」と仰ったお言葉に矛盾するではないかと問います。この問いには、私たち五濁の娑婆を生きる凡夫は心を専一にすることができないからこそ仏願を頼んで西方を願うべきだと答えます。
更に心を専らにすることが問題ならばなにも極楽でなくても諸仏の浄土でいいのではないかと問います。これに対してはお経や中国の天台、法相、浄土の諸師の説が引かれます。それは中国においてすでにこのことが長い間問題になって来たということを意味します。
中国浄土教の中で、ここに引かれている懐感禅師より以前にこれを問題にされたのは曇鸞大師です。聖典491頁曇鸞和讃を見て下さい。
3首目の「世俗の君子幸臨し 勅して浄土のゆえをとう 十方仏国浄土なり なにによりて西にある」が俗人の問いで、4首目の「鸞師こたえてのたまわく わが身は智慧浅くして いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず」が念仏者曇鸞の答えです。論理的な解答を期待する問いに対して、そのような問いを向側に立てようとしている自分自身を問題としてお答えになります。他の浄土がダメだというのではないけれども、智慧の浅い私自身にとっては専ら西方浄土を願うのですと。
曇鸞大師の教えに感銘してそれを受け継がれたのは道綽禅師です。禅師は「浄土の初門」というお言葉によって仏さまの世界に触れる入口を西方にあるとお示しになりました。観無量寿経は道綽禅師から直接教えを受けた善導大師が深く究められた経典です。
ご存知のとおり王舎城の王妃韋提希は息子に背かれて牢獄に幽閉され釈尊に救いを求めます。この穢れた世界を離れて浄らかな仏国に生まれたいと訴えます。そこで釈尊は諸仏の浄土をお見せになります。お経には代表的に四つの国土が挙げられます(聖典93頁)。経済的に不自由でない世界、人間関係に煩わせられない世界、すべてが思い通りになる世界、人間の理性が絶対化される世界です。それはどれも私が願っている世界ではない、私が往きたいのは阿弥陀仏の極楽ですと韋提希はいいます。
なぜでしょうか。それらは王妃としてすでに経験し、裏切られ、絶望した世界だからです。十方諸仏の浄土は理想を掲げて幻想を見させる世界だったのです。理想が叶えば幸せになれるはずだというのは、とりもなおさず叶わなければ不幸せだということだからです。本当の安らぎはそこにはありません。これに対して西方浄土は摂取不捨の世界です。なにを追い求める必要もない知足の世界、自分がなにかになる必要もないそのままが認められる世界です。宗祖は選ばず、嫌わず、捨てずと仰いました。韋提希は牢獄から解放されて救われたのではありません。諸仏の浄土では助からないわが身に覚めたことが救いだったのです。
2番目は「対兜率」です。兜率天と極楽浄土が対比されます。現在兜率天で修業中の弥勒菩薩が56億74万年後に成仏してこの娑婆世界にお出ましになる、そのことを信じ、願い、待ち受けるのが弥勒信仰です。遠くインド・中国から伝わって当時にも盛んに行われていました。そんな背景を源信僧都は考慮されたのでしょうか。
私たちは「第一厭離穢土」で三界を輪廻する迷いの世界のことをすでに学びました。兜率天はその三界の中でも最下位にある欲界に属する天でした。この往生要集では玄奘三蔵以来の論書の検討に多くの紙数を費やして、兜率と極楽を比較しているように見えますが、迷いの三界と覚りの仏国の歴然たる差は明らかではないかというのが源信僧都のご真意です。
源信僧都 【第10講】 一楽 真 師
2009年10月17日
今回は大文「第四 正修念仏」です。
どのように正しく念仏をして浄土往生を果たせば、阿弥陀仏に相まみえることができるか。それを課題とします。実践に当たっては、天親菩薩の『浄土論』にある五念門をお勧めになります。1.礼拝 2.讃嘆 3.作願 4.観察 5.回向の各門です。
まず第一番の礼拝は、単なる体を動かす行為ではなく、心に起る仏への讃嘆が自然に身体の上に表れるのでなければなりません。回数にとらわれるような形式論は否定されます。
第二の讃嘆門は阿弥陀仏の徳を讃える心が聖教にある言葉を声にする行為です。ここでも、声を発する回数は問題でなく、誠の心を大切にせよといわれます。
第三の作願門は身口意の三つの行為の総てを挙げて仏に作(な)りたいと願うことです。その内容は上求菩提下化衆生(上に向かって悟りを求め、下に向かっては人々を教化する)であり、具体的には四弘誓願(衆生無辺誓願度 煩悩無辺誓願断 法門無尽誓願知 無上菩提誓願証(岩波文庫本160頁))として表明されています。宗祖は願作仏心が度衆生心であると和讃しておられます。(聖典502頁)
第四観察門は初心者に向けて、阿弥陀仏の一つ一つの身体的特徴や、総体的な姿や、あるいは特定の、たとえば白毫相といった特徴を心に思い描いて精神を集中する方法を勧めます。
最後は前四門で修した功徳を自分のものにするだけでなく、あらゆる人々と平等に分ち合い、自分も他者も共々に浄土に生まれようと願う第五回向門です。
念仏道が、自利利他が円満に完成された大乗の至極であるといわれる所以はここにあります。
源信僧都 【第11講】 一楽 真 師
2009年11月28日
源信僧都は晩年『一乗要決』を著して、南都仏教の「五性各別」(素質によって修行の結果が異なる)の教えに対して、「法華一乗」はすべての人が平等にたすかる道であることを確認しておられます。救いが平等であるためには浄土往生の教えによる他ないことを念頭において「第三作願門」(岩波文庫本159頁)をもう少し詳しく見てゆきます。
最初に『安楽集』の引用があります。著者の道綽禅師は曇鸞大師がお遺しになった碑文に深い感銘を受けて、仏教を「聖道門」と「浄土門」の二つに判別された方です。元来仏教は修行を重ねて聖者になってゆく道でしたが末法の時代にあっては自力聖道の修行は全く成り立たない。仏願に乗じて往生を願う浄土門がたった一つ我々に残された道であると仰いました。
『安楽集』は『大無量寿経』を引いて、往生を願うには「発菩提心(菩提心を発すこと)」が最も大事だと云います。また曇鸞大師の『浄土論註』を引いて「発菩提心」は「願作仏心(仏に作(な)らんと願う心)」であり、「願作仏心」は「度衆生心(衆生を度せんとする心)」であり、それはすなわち衆生を浄土にうまれさせようとする心だと云います。作願門とはつまり、「いそぎ仏になりて」(歎異抄第四章 聖典628頁)浄土を願う衆生に広く門を開く心であったのです。
『往生要集』はたいへんな紙数を費やして菩提心の意義を明らかにしてゆかれます。その過程で素質のない、修行に耐えられない凡夫はどうすれば良いのかというような問題についても丁寧に答を用意して下さっています。
宗祖の場合は正像末和讃(聖典502頁)にありますように菩提心は仏に属するものであって、凡夫が発(おこ)すものではない、念仏の衆生に発るものである。だから「浄土の大菩提心」なのだと極めて明快です。
浄土門の教えは道綽禅師のご苦労にもかかわらずその後の中国では、仏教はやはり修行だという大勢に押されて衰退し、修行道の中の一つに埋没していました。
こんな過程を経て日本に伝来した一代仏教の中に、天台学僧の俊才でありながら、曇鸞・道綽に伝統された浄土教に注目されたのが源信僧都でした。そしてそれが新しいエネルギーを得て花開くには更に200年を待たなければなりませんでした。
時は到り縁は熟して浄土教の独立を宣言されたのは法然上人であり、浄土の真宗を開顕されたのが親鸞聖人でした。
源信僧都 【第12講】 一楽 真 師
2009年12月19日
正しく仏を念じようとするのならば、天親菩薩の『浄土論』にある「五念門」を実践しなさいと源信僧都はお勧めになります。
「1.礼拝」 td> | 頭を下げることではありません。拝む心が身に現れて頭が下がることです。 |
「2.讃歎」 td> | 尊崇の念を捧げて仏の名を称えることです。 |
「3.作願」 td> | 菩提心を発し、成仏を願い、あらゆる人々と共々に浄土往生を願うことです。 |
今日は「4.観察」(岩波文庫本206頁)です。カンザツと濁って読みます。精神を集中して仏さまのお姿を思い浮べ、脳裏に刻みつけることです。とはいえまだお会いしたこともない仏さまをどうやって観察するのですかという疑問に答えるのが「色相観」です。お経や論書に描かれている仏さまの相を手がかりにせよというのです。
「色相観」はさらに三つに分けられて「1.別相観」「2.惣相観」「3.雑略観」になります。
仏さまは身体的に32の大きな特徴と80のかくれた特徴(三十二相・八十随形好)を具えておられます。その一つ一つを個別に観察するのが「別相観」です。
まず仏さまがその上に立っておられる蓮台を観じます。次の惣相観でも同じことが云われますが、観無量寿経の第七華座観(聖典102頁)、浄土論の座功徳(聖典137頁)に当たります。それが仏さまのお立場であるからです。汚泥の中からしか生じない蓮華は、穢土に浄土を実現させる本願の象徴です。
別相観は42項目ありますが、主なものを拾ってみます。
肉髻(岩波文庫本209頁)は頭頂の盛り上がりですが、天にまで通じているといいます。上に向かっては無限の空間に拡がっていることを意味します。これは父母、師、僧、和上を尊敬された結果として得られた相なのです。
舌相(岩波文庫本216頁)は仏さまの舌が顔を覆うどころか天に至るといいます。これは弁説つまりお説法が全世界に至り届くことを表しています。口に四過(妄語、両舌、悪口、綺語の四つの過ち)がないからです。だからこそあらゆる人々が疑いを抱かず素直に聞くことができるのです。
*まん網(岩波文庫本221頁)は一人ももらさず救いとるために指の間にある鳥の水かきのような美しい網です。四摂(布施、愛語、利行、同事)の利他行の結果である摂取不捨の相です。
*『まん』の漢字表記はネット上困難な為、岩波文庫本を参照願います
平満(岩波文庫本228頁)は踏むところに触れざる大地はないという足の相です。下に向かっては大悲の至らざる所はないことを表し、持戒の結果得られた相であるといいます。
このようにしてお相(すがた)を通して、相(かたち)に表れない仏さまの功徳を見ようというのが別相観です。
次に「惣相観」(岩波文庫232頁)は、別相観が初心者に説かれたのに対して、相(かたち)を離れて、用(はたらき)としての全体を観ずる段階に入ります。
衆生済度のため歴史的な人間界に現れた「応身仏」、修行を完成しその報いとしての功徳を具えられた「報身仏」、いろもなくかたちもましまさず(聖典554頁)の「法身仏」を三身一体として観察せよと仰います。
「雑略観」(岩波文庫本236頁)には、ここまでに述べられてきた行ができない人であっても、ねてもさめても浄土往生を願うまことの心、それさえあればいいのだ。摂取不捨の光明に包摂されているのだから心配しなくていいという僧都のお心が感じられます。
高僧和讃(聖典497~498頁)に宗祖が讃えておられるのはここのところです。
また正信偈の「我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(聖典207頁)は岩波文庫本237頁に読み下してある原文「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」からお引きになったものです。
源信僧都 【第13講】 一楽 真 師
2010年1月23日
「大文第五 助念の方法」とは、あらゆる手立てをめぐらせて観相念仏の助けとすることです。その方法に七つあります。
1. | 方処供具(岩波文庫本252頁) 方は西方浄土の方角、処は日常の喧騒を離れた閑かな所、供は香花、具は念珠です。まず環境を整えることによって、精神の集中と安定を図るための助けとします。 |
2. | 修行の相貌(岩波文庫本253頁) 念仏を修する相に四つあります。 |
(1) 長時修 td> | 菩提心を発したからには生命終わるまで弛(たゆ)みなく仏を念じ続けます。 |
(2) 慇重修 td> | 常に西方浄土を思い、尊重して生活します。 |
(3) 無間修 td> | 間断なく仏を念ずることです。具体的には4時間毎に、あるいは朝・昼・晩に、またあるいは朝晩だけでも作法通りに勤行し、それ以外の時であっても、形にとらわれることなく常に心に念じ、口に称えることです。 |
(4) 無余修 td> | 余業に心を奪われず、専ら弥陀を念じて、他の行業を混えてはなりません。もし在家で、どうしても世俗の営みを離れることができない人は西方を思い念仏するだけでもいいのです。 |
3. | 対治懈怠(岩波文庫本264頁) 怠け心を退治することです。修行の途中で、フッと心が萎えたり、挫けそうになったりすることがあるからです。(歎異抄第九章参照 聖典629頁)その方法は仏の功徳を念ずることです。略して20項目あります。 |
(1) 四十八願 | 大無量寿経にある法蔵菩薩の願 |
(2) 名号の功徳 | 仏の名を聞くことができた功徳 |
(3) 相好の功徳 | 仏の相を見たてまつる功徳 |
(4) 光明の威神 | 群萠を照らす光の力 |
(5) 無能害者 | 仏の徳を害う者はいない |
(6) 飛行自在 | 仏はどこにいても働いて下さっている |
(7) 神力無碍 | 救いのお力はなにものにも障えられない |
(8) 随類化現 | 仏は相手の問題に応答して形を変えて現れて下さる |
(9) 天眼明徹 | 人間の眼を超えたすべてを見通す仏の眼 |
(10) 聞声自在 | 悩み苦しみの声をもらさず聞いて下さる |
(11) 知他心智 | 他人の心を知る智慧 |
(12) 宿住随念智 | 過去にあった背景を知る智慧 |
(13) 智慧無碍 | これらの智慧を障えるものはない |
(14) 能調伏心 | 迷いを能く調え抑える心 |
(15) 常在安慧 | 大海のように安穏な仏の念(おもい) |
(16) 悲念衆生 | 大悲の念をもって衆生を見そなわす |
(17) 無碍弁舌 | 自在なるお説法 |
(18) 観仏法身 | 仏さまは法であると観ずる |
(19) 惣観仏徳 | 仏さまは徳であると観ずる |
(20) 欣求教文 | 教えを求めつづける |
4. | 止悪修善(岩波文庫本308頁) 仏教でいう「悪」は苦しめ傷つけ合うことであり、これを超えることを「善」と名づけます。法律や道徳でいう善悪ではありません。ここでは邪まな考え、驕り高ぶる心、怒り腹立ち嫉み妬む心(悪)を断ち、戒を持ち勇猛精進する(善)ことだと云います。結局はこの悪に満ちた娑婆を厭い、いくら託(かこ)ってもなんの利益もない言葉を止め、口に称名念仏するのが止悪修善になるのです。(岩波文庫本319頁) またこんな疑問にも答えます。(岩波文庫本328頁) 「発心しても永年この身に沁みついた煩悩は抑えようとする意思に関係なく起ってしまいます。どのようにすればいいのでしょうか。」 「氷と水は形こそちがえ本性は一つです。迷いと悟りも同じです。氷が溶けて水となるように、煩悩を転じて菩提とすればいいのです。」(曇鸞和讃20参照、聖典493頁) |
5. | 懺悔衆罪(岩波文庫本329頁) 自分が犯した罪をひそかに悔いるのではなくて、人に向かってさらけ出すのが本当の懺悔です。そのことが仏法を戴いてゆくご縁になります。 |
6. | 対治魔事(岩波文庫本341頁) 魔事とは仏道修行を妨げようとする誘惑のことです。対治するにはただ念仏することです。信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することはありません。(歎異抄第七章 聖典629頁)また現世利益和讃(聖典487頁)には宗祖がこのことについて詳しく述べて下さっています。 |
7. | 惣結要行(岩波文庫本346頁) 総まとめとして、最も要となる行はなにかといえば「往生之業 念仏為本」です。このお言葉は法然上人が非常に大切にされて主著『選択本願念仏集』の開巻劈頭に掲げられています。ここまで「念仏」を助ける方法としての「助念」が延々と述べられてきましたが、念仏を助けるのもまた念仏より外にないと結論されているのです。 |
源信僧都 【第14講】 一楽 真 師
2010年2月20日
大文第一 厭離穢土、第二 欣求浄土、第三 極楽の証拠、第四 正修念仏、第五 助念の方法と読んできましたが、今日は第六 別時念仏です。岩波文庫本では(上)を終って、これから(下)になります。
大文第四~第六は念仏そのものについて述べられている部分です。中心は勿論正修念仏にありますので、源信僧都もここには最も力を注いでおられます。次の助念の方法は正しく念仏を修するという困難な行を側面支援する方法のことです。まず環境や道具を整えてみてはどうかということでした。たとえば静かな所で念珠を持てば、仏を思い出し、念仏する心が起ってくるからです。しかし場所や念珠そのものが大切だということが云われているわけではありません。
次には修行を持続させるために、修行のあり方に言及したり、修行を放棄させないための心得が説かれたりしています。しかし遵守すべき項目そのものが大事なのではありません。これらによって修行が正しい方向に進むということが大事なのだという事を主張されます。
私たちは凡夫性を抱えて生き、その上、生れや育ちにより各々一人ずつが違います。また社会や家庭のつながりを生きている以上それぞれの事情によって、必ずしも定められた修行の形を守れるとは限りません。それを僧都はお見通しの上で、形だけにこだわる必要はないと仰って下さいます。そんな私たちのことはとっくにご存知の上で建てられたのが阿弥陀仏の本願だからです。形を守れるか守れないかが問題なのではありません。阿弥陀仏の本願を信じることが一番大事だからです。
別時念仏もこの流れで読んで行かなければならないと思います。別時念仏とは日常の行とは別に時を定めて行う念仏のことですが、これもまた二つに分けられて、第一は「尋常の別行」です。文字通り日常における特別の行法です。源信僧都がことさらにこのことをいわなければならなかったのは日々の行法が難しいからなのです。365日弛まずに集中して念仏できる人に尋常の別行は不要です。しかしわが身を振り返ってみるとどうでしょう。いろんな誘惑に流されて修行をおろそかにする心の弱さを持っています。それにもまして日常が手強いのは、私たちが自分の身体や家族や社会との関係の中を生きているために、そのような外的な要因が道を遮るからです。
なかなかできないのであれば特別に念仏する日を設けてはどうかというのが「尋常の別行」です。それに対して「臨終の行儀」は誰にでも一度はある臨終を尋常(日常)と区別して問題にします。念仏と縁のなかった人に対しても、臨終のきわには仏を念じて人生を終えてゆくことが大事なのだと教えておられます。
「尋常の行儀」の中でも、最も厳しいのは「九十日の行」ですがとても常人の及ぶところではありません。「一日乃至七日」の行でさえも現代人にはとても不可能です。『往生要集』はこんな厳しい行法を定めているにもかかわらず、それができない者を排除していません。
「楽(ねがい)の随(まま)に」(岩波文庫本(下)10頁)と僧都は仰います。
私には不可能ですと申し上げればそれでいいのです。なぜならば私の努力で念仏して仏にお会いするのではなくて、念仏するところに仏の方から来て下さるからです。
源信僧都 【第15講】 一楽 真 師
2010年3月20日
「大文第四 正修念仏」、「第五 助念の方法」、「第六 別時念仏」は念仏そのものを論じた章で、『往生要集』の中で一番中心になる大切なところでした。これに対して第七以下はまとめとして全体を締め括る部分になっていきます。
今回は「第七 念仏の利益」です。全部で七項目あります。第1は「滅罪生善」の利益です。
ところで罪が消滅するといわれても私たちにとってはどうでしょうか。私に罪はないから滅罪は関係ありませんと云うかもしれません。罪の意識のないところに「滅罪」は「利益」の意味を失うからです。自己関心が膨張して対他的な責任感が希薄になりつつある現代にあってはなおさらのことです。
それでは源信僧都はなぜ「滅罪生善」が利益だと仰るのでしょうか。理由は『往生要集』全体に流れる文脈にあります。
大文第一の「厭離穢土」にしても、穢土を穢土とも思わず愛着し続ける者に、早くそのことに気づきなさいというお勧めでした。俗世間の価値観を対象化して見ることができる視点は仏のものです。念仏はこの仏の眼差しをいただくことに他なりません。そうすることによって穢土が穢土本来の相(すがた)を露(あらわ)にするとき、穢土を厭い離れることが同時に実現するのだと教えられます。
大文第二「欣求浄土」に挙げられる10項目の「楽」にしてもそうです。欲望を原理として生きる者にとってはとても楽とは思えないようなことが、念仏の道に一歩を踏み出したとき、思いもかけなかった楽として与えられるのだと教えておられます。
この章もその流れで読みますと、罪を罪とも思わないのも、利益を利益と思えないのも立場を穢土に置いているからだ。そこにこそ問題があるとも考えず、怪しむことすらしないで、無自覚に傷つけ合い苦しめ合って生きていることが罪なのだと経典は断言します。「八十億劫の生死の罪」(岩波文庫本下55頁)がそれです。煩悩が煩悩を呼び、罪業が罪業を生む果てしない悪循環の中にあって脱出不可能な状態を八十億劫という長い時間の単位で表します。
そんな者であってもたった一つだけ脱出のチャンスは与えられている、それは「白毫を聞く」ことだと観仏経を引かれます。全く異質のものに出会い触れることを意味しています。そこで初めて延々と繰り返してきた負の連鎖が断ち切られて、正の連鎖に転ずることを罪が却(のぞ)かれると観仏経は表現し、源信僧都のお言葉では「滅罪生善」となります。
第2項目「冥得護持」(目に見えない形の加護を受ける)、以下第3「現身見仏」(この身のままで仏に遇う)、第4「当来の勝利」(今すぐではないが必ずあたえられることが約束された勝れた利益)、第5「弥陀を念ずる利益」(阿弥陀如来の特別な利益)、第6「引例勧信」(具体的な例を列挙して信を勧める)、第7「悪趣の利益」(悪道に堕ちたとしても得られる利益)、となっており、常識の利益とは結びつきにくいものが並んでいますが、内容には一貫した流れがあります。
「利益は期待すべきではない。念仏して、回向された利益を享受する者になりなさい」これが僧都のご主張です。
源信僧都 【第16講】 一楽 真 師
2010年4月16日
善根功徳を積む行には、それぞれにそれぞれの利益があって、それを修めていけば往生を得ることができるのに、どうして念仏だけを勧めるのか?という問いで「大文第八 念仏の証拠」(岩波文庫本下109頁)は始まります。
「修業は当然のこととして尊重されるべきであるが、それができる人は限定される。これに対して念仏は、いつでも、どこでも、だれでも、どんな状況にあっても修し易いという利点があるからだ。」と答えます。
念仏一つではなく、他の修行も認めた上で念仏を勧めていかれるのはなぜでしょうか。時代が仏教に修行を要求し、仏教は修行を目的化して、それが常識になっていたからです。人間の努力を信じて難行に励む人たちにも、どうか信仏の因縁でたすかる本当の仏教に出会ってほしいいという僧都の深いお心がうかがえます。
初めに引かれる木槵経では、もし修行することが困難であるのなら、仏法僧の名を称えるだけでいい。ただし断えることなく生涯を尽くして百万遍に至るまで続けよ、と説きます。百万遍といわれると回数にこだわるのが私たちの常です。次に十例を挙げて、説かんとする真意は回数にあるのではなく、例えば無量寿経にある「一向専念」のような行者の姿勢であることが示されます。
念仏の量によって往生すべき浄土がランクづけられるのでもなく、修行ができないからといって救済から除外されるのでもありません。たとえ善根功徳を積み重ねることが困難であっても、百万遍の念仏が無理な人であっても、たった一度でも南無阿弥陀仏と称えて仏のお心に触れれば、みな等しく往生を得るのです。
最後に『大乗起信論』(岩波文庫本下115頁)が引かれて、諸行は行者の努力による「往生の業」であるのに対し、念仏が如来の勝方便(如来から回向されたすぐれたお手立て)を蒙って浄土に導かれる「往生の要」であるとして、この章は締め括られています。
「大文第九 往生の諸行」(岩波文庫本下117頁)ではあらためて念仏以外の諸行がとり上げられます。念仏以外にも敬意を払われるのが源信僧都の態度です。また念仏一つと定めると諸行の人がもれていく恐れがある、そのことに対するご配慮でもあります。
前に「正修念仏」を助ける手段としての「助念の方法」を学びました。念珠や花香や方角等が役に立つのならばそれを用いよということでした。「正修念仏」と「助念の方法」の関係はそのまま「念仏」と「諸行」の関係に当たります。諸行は「往生の要」である念仏門に入る縁となるべき「往生の業」なのです。
宗祖は諸行で往生しようとする立場を「要門」(言葉としてはまぎらわしいかもしれません)とか「仮門」という言葉で表されました。
いうまでもなく仏教の基本は「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(七仏通戒偈 もろもろの悪をなすことなく、もろもろの善をなして、心を浄くせよ、これが諸仏の教えである)です。これをモットーにするのは簡単ですが、いざ本気でやろうとすれば、とてもできるものではありません。たとえばそれを具体的な行とした六波羅密(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)などもそうです。大事なことは真剣にやってみて、できない自分に気がつくことなのです。そのことを知るために必ずくぐらなくてはならない門という意味で「要門」と名づけられました。
そしてそれはまた本当の教えに入る道を指し示すための仮の門でもあります。「助念の方法」で手段としての“物”を目的と取り違える錯覚はままあることです。そんなことのないように、そこは通過点ではあっても、止(とど)まるべきところではないという意味で仰られたのが「仮門」です。
この章はそれぞれの人がそれぞれの方法で往生をとげることを勧めながら、最後にこんなことを云います。
自分の努力である諸行はどこまでいっても自己関心を離れることができない。たとえその行が完成されたとしても、完成した自分を超えることはできない。だから念仏しかない。
源信僧都 【第17講】 一楽 真 師
2010年5月14日
源信僧都は『往生要集』の中で一貫して阿弥陀仏の浄土に生まれることを勧め、その方法として念仏せよと教えられてきました。しかしそれまでの奈良仏教や平安仏教ではあらゆる諸仏の世界が説かれ、いろいろな修行の方法が並列的に掲げられています。そうするとなぜ阿弥陀仏の国でなければならないのか、諸行に比べてなぜ念仏が一番大事なのかということが疑問として残ります。天台の大学者として、天台ばかりではなくあらゆる教義に精通しておられたからこそ僧都ご自身の中に問題となっていたことを、問答の形式にしてお答えになっていかれるのが「大文第十 問答料簡」(岩波文庫本下130頁)です。
十あるパートの第一は「極楽の依正」です。極楽浄土とそこにおられる阿弥陀仏のことです。天台教学では浄土を四種に分類するのですが、極楽浄土はそのうちの「報土」(仏願に報いてあらわれた浄土)なのか、それより劣った「応土」(衆生の機縁に応じてあらわれた浄土、化土ともいう)なのかが問題にされます。6世紀中国仏教界の権威、慧遠、智顗、吉蔵らがこぞって応土に位置付けていたからです。ということはそれが常識だったのです。そしてお経によっても極楽を「報身報土」とするものもあれば、「応身応土」とするのもあるという矛盾に議論を誘導して、最後に「迦才」(唐代の人、道綽の後、善導の前のころ)の『浄土論』によって次のように結着をつけられます。
「衆生が行なう実践に千差あれば、往生して見る浄土も万別である。だから経文にあるときは報土といい、またあるときは応土といわれることもある。お経は衆生の機に応じて説かれているからだ。報も化も我々を完成に導くためのお手立てであることをしっかり認識して、どちらが上か下かというように、論理として対象的にみることはつつしまなければならない。そんなことにかかずらわっている暇があるのなら専ら念仏すべきである。」と。
前の「極楽の正依」では往生する先の浄土が問題になりましたが、第二の「往生の階位」(岩波文庫本下148頁)は往生する人間の側を問題にします。
多くの経典や論書では浄土に生まれることができるのは菩薩かあるいは秀れた素質の人に限るとされていますが、ここでは浄土教が一切衆生の往生を説く論拠を示すと共に、教えではそうなっているのにもかかわらず、往生をとげる人があるとも思えない現実に対する疑問にこたえていきます。
「その理由は第1に信心が深くないからです。あるかと思えばまた消えるようなしっかりしない信心だからです。第2に信心が一定しないからです。決定を欠いた信心だからです。第3に信心が続かないからです。他の思いが間に入ってくるようなとぎれとぎれの信心だからです。理由は信心の如何にあるのです。」と道綽禅師(岩波文庫本下156頁)は仰います。
また善導大師(岩波文庫本下157頁)は「念仏以外の行業がまざるからです。もっぱら念仏すれば必ず往生します。」といわれます。
さらに僧都が「報土」に対して「化土」と呼ばれる「懈慢界」が『菩薩処胎経』(岩波文庫本下158頁 cf.聖典497頁源信和讃4~6)から引かれます。浄土でありながら快楽に満ちた自己満足の世界です。ここにはまり込むとあまりの居心地の良さに求道心を失い、脱出できる者は百兆人に一人といわれています。懐感禅師(岩波文庫本下159頁)も化土に生まれる人は多いのに真実の報土に生まれる人が希(まれ)なのは、おこたりなまけて執心牢固でない、つまり集中力に欠け意志が軟弱だからだと、往生を願う側の信心に問題があることを指摘しておられます。
では専修で執心牢固でない大多数の者は往生から見離されるのでしょうか。いやそうではありません。宿善によりすべての者が往生するのです。宿善により往生するのなら第十八願の十念も要らないことになるではありませんか。いやそれは違います。「明らけし。臨終の十念はこれ往生の勝縁なり。」(岩波文庫本下161頁)これが僧都の結論です。
如来からふり向けられた宿善によって、ようやく阿弥陀仏に遇うことをえたこの一瞬に、このことを願い求めていた自分にうなずいて申す念仏こそ往生のすぐれた縁なのです。
最後の「助道の人法」(岩波文庫本232頁)では導いて下さる師、共に歩む仲間、受持すべき聖教がいかに大切かを説き、自分一人ではとても難しいけれど、人や法に助けられて可能になる念仏生活をお勧め下さいます。
そして、この書がたとえ世の中の批判を受けるようなことがあっても、それがすべての人にとって仏に遇うご縁となるのならば本望である、として全巻を閉じられます。
源信僧都 【第18講】 一楽 真 師
2010年6月18日
源信僧都の最終講です。
親鸞聖人は9才から29才までの20年間比叡山でご修行されましたが、ご自身ではこの間のことをなにも語っておられません。
奥様の恵信尼公のお手紙に「殿の比叡の山に堂僧つとめておわしましける」(聖典618頁)とあることから、「修行僧」として励んでおられたことがうかがわれるのみです。ちなみに当時の言葉で「学生(がくしょう)」は教学の研究者、「堂衆」は堂宇の警護役を云いました。
また『御伝鈔』には、「しばしば南岳天台の玄風をとぶらいて、ひろく三観仏乗の理を達し、とこしなえに楞厳横河の余流をたたえて、ふかく四教円融の義に明らかなり」(聖典724頁)とあって、修行と共に天台の教理にも通じ、特に源信僧都の教学の流れを汲まれたことがわかります。
比叡山延暦寺は伝教大師最澄が、五性各別説(行者の資質によりさとりに差異がある)の奈良仏教に対して、法華一乗(さとりの平等性)を掲げて設立されたお寺です。
その二百年後、源信僧都は奈良対京都の教学論争に終止符を打った『西方要決』を著して一乗真実の義を強調されました。つまり比叡山に通底するのは一乗の思想でした。
源信僧都から更に二百年たって親鸞聖人がついに「誓願一仏乗」を宣言されました。一乗は阿弥陀如来の本願によってのみ成り立つものであることを明らかにされたのです。聖典196頁の「『一乗海』と言うは、「一乗」は大乗なり。大乗は仏乗なり。一乗を得るは、阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。阿耨菩提はすなわちこれ涅槃界なり。涅槃界はすなわちこれ究竟法身なり。究竟法身を得るは、すなわち一乗を究竟するなり。如来に異なることましまさず、法身に異なることましまさず。如来はすなわち法身なり。一乗を究竟するは、すなわちこれ無辺不断なり。大乗は、二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は、一乗に入らしめんとなり。一乗はすなわち第一義乗なり。」は『一乗要決』に引用された『勝鬘経』の文に依っており、「ただこれ誓願一仏乗なり。」と締め括られています。
『往生要集』から『教行信証』へのご引用は8ケ所(行巻5、信巻2、化身土巻1)ですが、その他にも化身土巻のご自釈(聖典330頁)では『往生要集』大文第八念仏の証拠で、『大無量寿経』の第十八願を別願中の別願と指摘し、『観無量寿経』の定散諸機に「極重悪人唯称弥陀」が勧められていることを讃嘆されています。
また真仏土巻「『不空絹索神変真言経』に言わく・・・」(聖典303頁)は『往生要集』にひかれた経題(岩波文庫本上137頁)の中の一つである密教系のこのお経でさえも阿弥陀の浄土を真実の報土と示していることを確認されています。
そして『教行信証』最後にひかれる『華厳経』の偈文(聖典401頁)と『往生要集』末尾に引用されたそれ(岩波文庫本下287頁)とは同じです。論文の構成、結語の所信にまで影響が及んでいるほど親鸞聖人は源信僧都を尊敬しておられたと思われます。
『尊号真像銘文』首楞院厳源信和尚の銘文(聖典525頁)では『往生要集』の「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」を釈して讃えておられ、一句七字にしてそのまま正信偈になっていることは周知のとおりです。
高僧和讃では、源信大師8「煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」(聖典497頁)となっています。これが親鸞聖人が仰がれた要の言葉であり、弥陀大悲のはたらきを光で表しておられます。
それに対して次の9「弥陀の報土をねがうひと 外儀のすがたはことなりと 本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」は光明に照らされ続けている人間の側が問題にされています。法に照らされてこそ明らかになる機の自覚と、機の自覚によらないと決して見えない法の光との関係です。
正信偈はこれら全体のまとめのような形になっています。
「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」
源信僧都はお釈迦さまが一生涯かかってお説きになった教えのすべてに深く精通されていながら、その中からひとえに安養浄土に自らが帰依されて、一切の人々にもお勧め下さったのです。
「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」
専ら念仏する「専修」の人と、それだけでは物足りずに念仏以外の行も併せて修める「雑修」の人では生れる浄土がはっきりと違います。「真実報土」と「方便化土」です。それは行の根底にある信心がゆらぎなくしっかりしているか否かによるのです。善根功徳を積む心から離れることが極めて難しい「機」の問題です。
和讃では「専修」と「雑修」が聖典497頁5で、「報土」と「化土」が同頁6で詠われています。
「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」
この四句は源信僧都のお言葉を七文字にされたものです。「極重悪人」は和讃で「極重深重の衆生」(聖典498頁10)とも云われ、源信僧都がご自身を極重悪人と位置づけられた上で悪人でもたすかるのではなく、悪人だからこそ弥陀の本願に導かれなければならないのだとするお心が、法然上人、親鸞聖人へと伝承されたことがうかがわれます。