源空上人 【第1講】 一楽 真 師
2010年7月24日
「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。」
ご自身のことについては滅多に語られない宗祖が、『教行信証』にはっきりと残された回心の記録です。
1201年29才のとき、法然上人との出遇いが宗祖の生き方に決定的な転換をもたらしました。そのときの法然上人の生の声が「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」と『歎異抄』に書き止められています。
念仏のサンガに入門して、聞法の喜びに浸って過された期間はそう長くは続きませんでした。法然上人が主張された「念仏ひとつでたすかる」ということはその他の修行が無視されることになって修行そのものが目的化されていた旧仏教には受け容れ難いものでした。また「悪人でもたすかる」は、善人になってたすかろうとする人たちからは、倫理道徳を破壊するという口実によって論難されました。
そして6年後の1207年、興福寺の訴追によって、門下の4名が死罪、8名が流罪という断が下ります。ご自身は越後に流刑でした。比叡山で20年間研鑽された成果を惜し気もなく抛って参入された専修念仏が時の権力によって否定されたのです。
この人になら騙されて地獄に落ちてもかまわないとまで信頼する師、法然上人が罪人の烙印を押されたのです。
1211年、越後で宗祖は流罪を許されます。しかし翌年師法然の死を知り、すぐには京都へ戻ろうとはされません。『教行信証』の構想がすでに温められていたからかもしれません。課題は浄土によって真実の教行証を顕らかにすることにあります。風聞により無実の師を処断した、京を中心とする社会を迷いから覚めさせるためにも『教行信証』は完成されなければなりませんでした。この使命感を抱いて宗祖は関東へ旅立たれます。
七高僧を選ばれた出発点も法然上人でありました。私たちは本願念仏の教えが龍樹菩薩から年代順に伝えられたように思いがちですが、法然上人との出遇いによって、この阿弥陀如来とも勢至菩薩とも尊敬する師を送り出した浄土教の歴史の中に、七高僧を再発見し讃仰されたのでした。
『聖典』498頁をお開き下さい。源空上人の和讃です。
法名は「源空」とおっしゃいますが、房号が「法然」ですので、ふつう「法然上人」と申し上げます。
「本師源空世にいでて 弘願の一乗ひろめつつ 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらわれぬ」
本師(お釈迦さまの尊称)とまで仰ぐ法然上人が本願による一乗をお説き下さったからこそ日本に浄土の教えが根づくきっかけが出来上がったのです。
では法然上人以前はどうだったのでしょうか。6世紀に伝来した奈良の仏教は資質や努力によってさとりの差異があり、除外される者もあると説きました。
これに対して9世紀の初めに帰朝した伝教大師最澄は、仏のすくいはすべての者に平等に開かれており差別はないとする「法華一乗」を唱えました。
それ以来奈良と京都の間にお互いの教えを方便だと批判する論争が続きました。
200年後、源信僧都が『西方要決』を著して論争に決着をつけたかにみえましたが、実際は女性や教養のない者は排除される、限定された一乗にすぎませんでした。
更に200年経って法然上人が阿弥陀の本願によって初めて成り立つ一乗を説かれました。それを和讃では「弘願の一乗」といっておられます。
「智慧光のちからより 本師源空あらわれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまう」
宗祖は法然上人を単に肉体を備えた人間とは見ておられません。阿弥陀仏の力が法然上人という姿形をとって現れて下さったのです。それは浄土真宗をお聞きになるためでした。この場合浄土真宗は宗派名ではありません。浄土がまこと(真)のむね(宗)であるという教えです。本当の依り所であるという意味です。いかに状況が変ろうとも失われることのない本当の依り所こそが浄土であるとお説きになったのです。
「善導源信すすむとも 本師源空ひろめずは 片州濁世のともがらは いかでか真宗をさとらまし」
法然上人は比叡山で厖大な一切経を5回もお読みになりながら、その中のどれにも満足できず悩んでおられたのですが、43歳の時たまたま出会った善導大師の『観経疏』の言葉に出会って初めて眼が開けたといわれています。ですから善導大師は中国から500年を隔てた日本の法然上人に真宗を伝達された大切な方です。
源信僧都は天台宗の中にあって初めて浄土の教えに着目された、いわば日本浄土教の祖ともいうべき方です。そんなお二人がいかに浄土をお勧め下さっても、法然上人がお出ましにならなければ、とても仏教の辺境である日本に真宗が根づくことはなかっただろうとまで云われるのですから、法然上人の恩徳の深さを大切にされていたことがうかがわれます。
源空上人 【第2講】 一楽 真 師
2010年8月20日
宗祖が、尊敬や崇拝というような人間レベルの感情ではなく、仏とも菩薩とも仰がれた法然房源空上人とはどんなお方だったのでしょうか。
現存する資料としては(1)没後約100年の1307年に浄土宗によって編纂された「法然上人行状絵図」、(2)勢観房源智の「法然上人伝記」、(3)聖覚法印作と伝えられる「黒谷源空上人伝」、(4)親鸞聖人書写編集の「源空聖人私日記」があり、事例や年代に特定し難いところもありますので一番流通し権威があるとされている(1)の「法然上人行状絵図」を中心にして年譜をたどります。
9歳のとき、父上の遺言によって出家し、才能を認められて15歳で比叡山に登り天台を学ばれます。24歳には一時山を下りて清涼寺に参籠して民衆の中に浸透している仏教を体験したり、続いて南都に遊学して華厳、三論、法相など広く他宗派を訪ねておられます。このころ善導大師の浄土思想に触れられたのではないかとの推測もあります。
比叡山に帰られてからは一切経を五遍も読むくらい求道に専心されますが、43歳のとき善導大師の『散善義』にある「一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近、念々不捨者是名正定之業、順彼仏願故」の一節が深く魂にしみて涙が止まらなかったと云われます。「彼の仏願に順るが故に」の一言に改めて出遇い、行を積まなければさとりに至れない仏教を捨てて、ひたすら仏願に順じて専ら称名する専修念仏義を立て、山を下りられて吉水の念仏集団が出来上っていきます。
専修念仏の教えが勢いを得て大きくなるにつれて旧仏教側からは、なぜ念仏ひとつにこだわるのか、仏教には多くの入口があってそれぞれに修行の方法も用意されているのに偏屈ではないか、執着ではないかという声が上がっていました。この際法然上人にこのことを問い質そうとする集まりが開かれます。有名な「大原問答」です。主催者は後の天台座主に就く顕真です。300人くらいの参加者の中で主だったところでは三論の明遍、後年興福寺奏状を書いた解脱坊貞慶、東大寺の再建を担った俊乗坊重源等でした。
54歳の法然上人は質問に答えて、旧仏教が大切にしているお経を軽んじたり、修行を否定したりするのでは決してないと謙虚に語り、問題は教義にあるのではなく、いずれの行も及ばない我が身の側にあるのである、だからこそ弥陀の本願を信じ念仏する他ないのだと説明して多くの人を頷かせたと伝えられています。
こうして教勢の拡大と共に人数も増え、中には目にあまる行いをする者も出て来ました。天台宗内部からの批判に対して、無駄な争いを避けるためにも当局には『送山門起請文』を提出し、同時に190人の門弟が七項目の戒めに署名した『七箇条制誡』も添えられます。
これほどまでのお心配りにもかかわらず、政変も加わって、3年後の75歳のときには興福寺の主張が容れられて、教団の中の4名死罪、8名が流罪という「承元の法難」に発展していきます。
4年後、79歳の法然上人に帰洛が許されますが、翌年1月25日に80歳で示寂されます。
源空上人 【第3講】 一楽 真 師
2010年9月17日
『選択本願念仏集』に説かれる浄土の教えは興福寺に念仏弾圧の訴状を書かせて承元の法難を引き起こし、後に公刊されると栂尾の明恵上人が『摧邪輪』でこれは仏教ではないと憤慨するほど当時の社会にショックを与えるものでした。
題号の意味は「選択する本願によって選び取られた念仏を明らかにするために、お経や先人の言葉を集めたもの」です。一般にいう人間が称える念仏と区別して、本願のはたらきによって人間が称えさせられる念仏であることを強調しています。
「選択」の読み方は浄土宗では「せんちゃく」ですが、宗祖が「せんぢゃく」とお読みになったことから、真宗では伝統的にそう読み慣わしています。
題の次に「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」(岩波文庫本9頁)とあるのが「題下の十四字」と呼ばれる「総標の文」です。総じて内容を掲げる文で、これから南無阿弥陀仏のことを説きます、と仰っているのです。
割註で「念仏為先」とあるのは当麻奥院本(cf.岩波文庫本3頁)によったためで、浄土宗ではこれを採用していますが、宗祖が書写されたのが「為本」ですので真宗では念仏をもって根本となすとしています。
本文は十六章に分けられて、総標の文の内容を展開して詳説します。たとえば第一章教相章で浄土の教えの相(すがた)を道綽禅師によって説き、第二章二行章では行の問題を善導大師によって明らかにし、第三章本願章では弥陀の本願によってこそ真実の行信が成り立つと述べる、といった具合です。
そして最後は有名な「総結三選の文」で結ばれます。迷いを超えて正しく生きなさい。そのためにはなにを拠り所にすべきか、なにを中心とすべきかを説いたこの教えを聞きなさいと仰います。
宗祖が行巻(聖典189頁)に引用されるのはこの部分だけです。それは本文全体が要約してここに尽くされているからです。
内容が岩波文庫本210頁に図示されていますので参考にして下さい。
源空上人 【第4講】 一楽 真 師
2010年10月16日
法然上人は教えを求める人に対しては面と向かって法を説くのを常とされました。ですから著作も註釈書や、質問に答えるお手紙といったものが多く、思想を体系的にまとめ上げたのはこの『選択本願念仏集』一冊だけです。しかも九条兼実の要請がなかったならば、書かれなかったかもしれない一冊です。
親鸞聖人はここに念仏の奥義がつまっていると仰いでおられます。教行信証の後序には書写を許された感激を、あらためて記録しておられます。そういう書物であるということを念頭において読んでいこうと思います。
第一章は教えの相を明らかにする章で、道綽禅師の『安楽集』の引用から始まります。
『涅槃経』に「すべての人は必ず救われる。それは仏性があるからである。」と説かれているのに迷いを超えることができないこの現実はなぜか、とまず問いが立てられます。
道綽禅師は北周の廃仏というたいへんな時代をくぐって求道に専念された方でした。ところが涅槃経に則って修行を重ねても出口が見つからない、いつまでたっても挫折の繰返しである。そんな懊悩の中で偶々出遇われたのが曇鸞大師の碑文でした。40年以上にも亘る厳しい修行の末、ようやく先覚者の「他力」の教えに触れることができたという体験をふまえて、この問いは立てられ、また次の答も導かれています。
大乗仏教にはすぐれた二つの道がある。聖道門と浄土門である。しかし聖道門はいまの時代には成り立たない。理由は二つある。仏滅後時間が経ちすぎている。また教えは奥深いのに受け取る側の力が乏しい。このことは『大集経』が末法の到来と共に社会や人間がどんな状態になるかを予言しているとおりである。末法のいま残されたただ一つの道は浄土門だけになった。だからこそ聖道門を捨てて浄土門に帰すべきなのである。
宗祖は道綽禅師のお仕事を七首の和讃(聖典494頁)にまとめて下さっています。
1.安楽集の要点
2.曇鸞碑文による涅槃宗から浄土への転向
3.大集経の末法濁世
4.聖道門は自力と決判
5.末法濁世の悪衆生
6.7.道綽、善導、法然と伝統された念仏
続いて「私に云く・・・」と法然上人ご自身のご了解が展開されます。
各宗派がそれぞれの立場をどこに定めるかによって、仏教全体の見方も、区分の仕方も様々であるが、浄土宗は道綽禅師のお心によって聖道門と浄土門の二つに分ける。
聖道門とは自力の難行を積み重ねてこの娑婆世界で証りを得ようとする方法のことをいう。いわゆる歴劫迂廻の行、つまり限りなく達成不可能に近い行と呼ばれるのがそれである。これに対して浄土門は自力の諸行を否定し本願他力を信じ、専ら念仏して浄土往生を願う教えである。
安楽集がこれら二門を立てる目的は人々をして聖道を捨て浄土に入らしめることにあった。たとえすでに聖道門に入った人であっても、曇鸞大師が四論宗を捨てて浄土に帰し、道綽禅師が涅槃宗をさしおいて念仏を弘めたように、すみやかに聖道を棄てて浄土に帰入すべきである。
源空上人 【第5講】 一楽 真 師
2010年11月19日
『選択本願念仏集』第一章(岩波文庫本9頁)は「二門章」と呼ばれることもありますが、単に二門を並列的に挙げるに止まらず表題に道綽禅師の「聖道を捨てて浄土に帰せよ」が引かれていることから「教相章」の方がより相応しいと思われます。ただ安楽集の文脈では、聖道門がとるに足らないつまらないものだというのではなく、浄土門と並んで二つあるすぐれた教えの一つではあるが、今の時代には全く間に合わないものであるとして二つの理由を挙げます。
一は釈尊がお亡くなりになってからあまりにも長い時間が経って、教えの影響力が希薄になっている。そして曇鸞大師が『浄土論註』で「無仏の時」と云われるように行者の疑念に答え導いてくれる師がいないことです。二は教えが深く緻密であるのに対して五濁悪事の人間の理解力が微々たるものだからです。教えを受けとる側の資質が問題にされています。
安楽集はこの二つの理由によって、末法の時代に生きる者に残された道は浄土門だけしかないと結論します。
安楽集の引文に続いて、法然上人が初めて「浄土宗」と名告られた教えとはどんなものであるのかがご自身の言葉で述べられていきます。
中国仏教では諸宗の教相判釈が盛んに論じられたが、いまこの浄土宗は道綽禅師のお心を受けて一切の仏教は聖道門か浄土門のいずれかに摂(おさ)まるものとする。
聖道門とはこの世で迷いを断ち切り悟りを求める歴劫迂廻(聖典236頁参照)の行のことである。
往生浄土門とは無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の三経および往生論(浄土論)の一論を正依とする教えである。
これに対して華厳、法華等の諸教、大乗起信論、十住毘婆娑論等の諸論は浄土を説いてはいても中心とすべきものではないので傍依の教えというべきである。
こうして聖道浄土の二門を立てた理由は道綽禅師が安楽集に云われるとおり、人々をして聖道を捨てて浄土門に入らせるためである。とは云えこの教えは遠くインドの龍樹菩薩にまで遡ることができる。十住毘婆娑論の難易二道がそれである。この思想が天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師へと伝統されたのである。従って難行道は聖道門であり易行道が浄土門ということができる。
このように仏教の歴史を振り返ってみても浄土を拠り所とする教えはいまに始まったことではない。だから聖道門を学んできた人であっても、真に迷いを超えようとする志のある者は、聖道を捨てて浄土に帰すべきである。
曇鸞大師のような大学者でさえも、空の思想を捨てて浄土に帰されたではないか。
涅槃宗の碩学道綽禅師も教理を捨てて西方を願われたではないか。昔のすぐれた先人たちが聖道を経由しながらも、ついには浄土に帰入しておられるのである。末代の凡夫であるわれわれがどうしてそうしないわけがあるのだろうか。
源空上人 【第6講】 一楽 真 師
2010年12月18日
『選択本願念仏集』の第二章は標題が「善導和尚、正雑二行を立てて、雑行を捨てて正行に帰するの文」(岩波文庫本23頁)となっています。それは正行と雑行の二つを並べて説明するだけではなく、あるべき行の相を明らかにするために正雑二行を立てたことを意味します。ですから「二行章」というよりは「行相章」と呼ぶ方がいいと思われます。
まず「浄土往生を願う行に、正行と雑行の二種があり、正行の中にも正定業と助業の二種がある」という善導大師の観経疏の文が引かれます。
「私に云く、」(岩波文庫本24頁)と続けて、法然上人の解説が述べられます。
まず「二行の得失」に先立って「往生の行相」が明らかにされます。往生のための行はいろいろ沢山あっても、正行と雑行の二つに分けることができると善導和尚は云われます。正行は次の五種です。1.読誦・一心に専ら三部経を読誦すること 2.観察・一心に専ら浄土の功徳荘厳を観察すること 3.礼拝・一心に専ら阿弥陀如来を礼拝すること 4.称名・一心に専ら阿弥陀如来の名を称えること 5.讃歎供養・一心に専ら阿弥陀如来の功徳を讃歎し供養をささげること
これらの五正行はさらに二つに分けられます。第四の称名こそが正定の業であり、他の四つは助業とされます。正定業は正しく往生が定まる行為であり、それらが縁となって称名に導く行為が助業です。
ではなぜ五正行の中で特に称名念仏だけを正定の業とするのでしょうか。仏願に順ずるからです。仏願に順ずるとは仏の本願に誓われた行だからです。
ここでしばらく法然上人の伝記を振り返ってみますと、18歳で比叡山に上り、25年の間に五千数百巻といわれる一切経を五遍も読み通すというような厳しい勉強をしておられます。またこの間に清涼寺や東大寺まで出向いて法を求めておられます。こんな真剣な求道を重ねられたにもかかわらず、仏法の要が見つからないまま悶々としておられた43歳のとき、たまたま黒谷の報恩蔵で目に入った善導大師の「一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念々不捨者 是名正定業 順彼仏願故」の文が魂に沁みて涙が止まらなかったと伝えられています。
法然上人の心をここまで揺り動かしたのは末尾の「順彼仏願故」です。この言葉が法然上人に行の受け止めの転換をもたらしたのです。念仏は行ずるものではなく、行ぜられるものであったのです。
凡夫が決めた自力作善の行によって仏果に至るはずだという思いこみは、長く苦しくて結果は空しかったが、いまここに初めて仏が決め給うた行に出遇えた感激をもって「称名念仏はこれかの仏の本願の行なり」(岩波文庫本27頁)と仰います。
法然上人が念仏は本願のはたらきであるという意味をこめて仰ったこの言葉が後に親鸞聖人において「如来回向の行」とか、凡夫の行ではない如来の「大行」あるいは「本願招喚の勅命」というように展開されて行きます。
正行の次は雑行(岩波文庫本28頁)です。善導大師は雑行の内容については言及されませんが、法然上人は捨てるべきものとしての雑行を項目を挙げて強調されます。ここにいたって善導大師の「雑行」は法然上人によって「禁止事項」と云い変えられ、ついには六波羅蜜も雑行に入れるような激しい断定で締め括られます。
源空上人 【第7講】 一楽 真 師
2011年1月29日
法然上人が残されたお仕事は「浄土宗の独立」だといわれています。たくさんあるお釈迦さまの教えの中の一つに浄土の教えもあるのではなくて、浄土の教えこそが一代仏教の根本なのだと云われたからです。浄土の教えによらなければ、すべての人に一人のこらず迷いを超えさせるという大乗仏教の究極の願いが成立しないと主張されたからでした。
第一章は仏教全体を聖道門と浄土門の二つに分ける道綽禅師を引いて、聖道門を捨てて浄土門に帰せよという教相章でした。ここに捨てるべきものとされている聖道門が、それまで修行の積み重ねを常識としていた旧仏教の総称です。これに対して帰すべきは念仏往生を願う浄土門であると説かれています。
第二章は教えをいかに実践すべきかの方法、つまり行のあり方を説く章です。善導大師の説を引いて二種ある行の中の、雑行を捨てて正行に帰せよとする章です。おさらいになりますが、正行とは読誦、観察、礼拝、称名、讃歎供養の五つの行でした。浄土三部経を読誦し、弥陀の浄土を観察憶念し、弥陀一仏を礼拝し、弥陀の名を称え、弥陀を讃歎供養するこの五正行の中に称名を選んで正定業とし、他は正定業の縁となるべき助業であるとされます。正行とは結局称名ひとつであるということになります。
続いてこの文について法然上人の解釈が詳しく加えられます。
「なぜ五正行の中で称名だけが正定の業とされているのか」の問いには、「称名念仏はこれかの仏の本願の行なり。」(岩波文庫本27頁)が答えです。仏さまがわれわれ人間のために成就して下さった行だからだというのです。仏の本願が裏づけにあるある行だからなのです。
本願の意義については別に述べる(岩波文庫本28頁)といって一応打ち切られますが、願行具足の本願名号の六字釈がすぐ次の「不廻向廻向対」(岩波文庫本33頁)にも引かれて、如来回向の行だからこそ正定業であることが明らかにされています。
次には善導大師の文にはない五雑行をわざわざ立てて、捨てるべきものとしての説明が加えられます。最後には大乗仏教の基本行である布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜さえ雑行であると断じ去ります。法然上人は人間心から発(おこ)った自力の行では間に合わないと仰っているのですが、真意が通じずに旧仏教の反撥を買い、死罪四人流罪八人の承元の法難へとつながって行きます。
次の「二行の得失」(岩波文庫本30頁)では、正行によって得られるものと雑行によっては得られないばかりか失うものがあるということを対比して述べられます。
善導大師は正行が親近・無間であるのに対し雑行は疎雑・間断であると云われますが、法然上人はこのお心を受けて「五番の相対」を立てられます。
1.親 疎 対 td> | 常に仏を念ずれば仏もまた常に衆生を念じたまう故に「親昵」の関係を頂戴するのを「親」という。逆に雑行では仏との信頼関係が失われているので「疎」という。 |
2.近 遠 対 td> | 「親」である衆生が仏を念ずるところに、仏は目前に現れたまう。故に「近」である。逆に「疎」なる状態ではそうはならない。これを「遠」という。 |
3.無間有間対 td> | 正行は阿弥陀仏を念じて途切れることがない。間断することがないから「無間」である。間に雑行が混って一貫しないのを「有間」という。 |
4.不廻向廻向対 td> | 雑行の人は積み重ねた善根を往生のために振り向けることによって、浄土往生を果たすことができるかもしれないと考えているから「廻向」が必要なのである。対して正行は仏願に行ぜられる行であるからあらためて自力の廻向を用いなくともおのずから往生の因となる。故に「不廻向」という。 |
5.純 雑 対 td> | 善導大師の文にはないが、文意から法然上人がお立てになったものである。あれこれと揺れ動き、ある時は現われある時は消え、終始一貫しない人間心の正体を「雑」とし、逆に純粋で、混り物のない、無間である正行を「純」と表された。 |
源空上人 【第8講】 一楽 真 師
2011年2月19日
第二章は「行」の相を問題にする行相章です。それも単に行の説明をするのではなく、依るべきは正行であり捨てるべきは雑行であることをはっきり示すという手法で述べられます。
聖道門の修行を非難することが法然上人の目的ではなかったのはいうまでもありません。しかし修行という方法を用いて自分を磨き、仏に近づくことを目指す聖道門の修行はあっさり切り捨てられるのですから、聖道門に縁をもった人々、法然以前の仏教者にとっては許せないということになるのは当然です。このことは法然上人も予測しておられて、末尾に読後は壁に埋めて人目に触れないようにせよとあるように、『選択集』は公開するおつもりのなかった本です。ところが上人の没後開版されて大きな問題を呼び起こすことになっていきます。
テキストでは善導大師があらゆる行を正行と雑行の二つに分けて雑行を捨て正行に帰せよとされた『観経疏』の文が引かれます。(岩波文庫本23頁)
繰り返しになりますが、浄土三部経を読誦し、阿弥陀仏とその浄土を観察し、弥陀一仏を礼拝し、阿弥陀仏の名を称し、阿弥陀仏を讃歎供養するのが五正行であり、その中でも称名を正定業として他の四行を助業とされます。道綽禅師は仏教を念仏の教え(浄土門)とそれ以外のもの(聖道門)と大きく二つに分けて聖道門を捨てよといわれました。仏教が長い歴史を持ちながら実際には迷いを超えることにはなっていなかったからです。迷いを超える方法として行われてきた様々な修行は徒労ではなかったのか。それを雑行と名づけて捨てよ、捨ててただ念仏せよと善導大師はおっしゃっているのです。法然上人はそのお心を「順彼仏願故」(かの仏の願に順ずるが故に・岩波文庫本24頁)という言葉に読み取って雑行を捨てられたのでした。
次に『往生礼讃』が引かれます。(岩波文庫本37頁)『観経疏』は雑行を捨てて正行に依れといいました。今度は正行に立った上でもなお残る専修と雑修が問題になります。
釈尊が共々にすくわれる道として、仏の本願力をたのむ念仏行をお勧め下さっているのに私たちはどうしてもまず自分がという人間の側に根拠を置く努力意識あるいは向上心から抜け切れません。雑行を捨てて正行をといいながらこのような余習が混じるのを雑修と名づけられます。
「念々相続」という言葉で表されている専修とは混り気のない純粋な心で本願を憶念して絶やさずに人生を歩んで行くことです。
では専修を捨てて雑修する者はどうなるか。13の過失が挙げられます。(岩波文庫本37~38頁)
宗祖は始めの9失を教行信証に引いて(聖典337頁)念仏ひとつに定まらない第19願の問題と捉えておられます。残りの4失はご自釈(聖典335頁)で念仏ひとつに定まったところになお起こる自力心を「専修にして雑心(うちに雑修の心を抱いた外側だけの専修)」であると云っておられます。第20願の問題です。聖覚法印も専修と雑修のことについては注目しておられ、唯心鈔に懇切に言及(聖典919頁)されています。
要するに雑修の中身は自力の執心なのです。この捨てるべくして捨て難い心に死んで(前念命終)、信に生きる命をいただけ(後念即生)と善導大師は結んでおられます。
法然上人も千に一つも実らないような雑修雑行をやめて、百即百生の正行を専ら修せよと仰って第2章は終わります。
源空上人 【第9講】 一楽 真 師
2011年3月26日
厖大な仏教を「聖道門」と「浄土門」の二つに分けて聖道門を捨てて浄土門を取れ、そして沢山ある浄土往生の行を「雑行」と「正行」の二つに分けて雑行を捨てて正行を取れ、そしてまた五つの正行の中でも四つの助業を捨てて残る正定業を取れと勧めておられるのが第一章教相章と第二章行相章でした。結局法然上人は正定業すなわち仏名を称える称名だけが私たちにとってたったひとつの仏道であると言い切られたのです。
ではなぜ称名念仏なのか。阿弥陀如来がそれを本願とされたからなのだ(岩波文庫本40頁)というのが第三章本願章になります。
まず『無量寿経』と善導大師の『観念法門』『往生礼讃』の三文が引かれます。『無量寿経』の引文は第十八願(聖典18頁)で、他の二つは善導大師がこの願文にご自身のご領解を加えて自著に引かれたものです。
第十八願文から最後の「唯除五逆 誹謗正法」が抜けていますが、これは一人ももらさずすべての人がすくわれる道を説く『選択本願念仏集』の主旨にはそぐわないので、省略されたものと思われます。
善導大師の文は無量寿経を根拠にしながら「十念」を「十声」と読み換え、声に出して名を称えることが本願であり、その本願の力によって往生が約束されるのだとし、本願はすでに成就して法蔵菩薩は今現に阿弥陀仏に成っておられるのだから、称名念仏すれば往生はまちがいないと説かれています。教行信証の後序(聖典399頁)にこの往生礼讃の文が感激をもってそのまま引用されていることからも、法然上人と親鸞聖人の間でいかに大切にされていたかが伺われます。
続いて「私に云く」(岩波文庫本41頁)として、念仏往生を成り立たせている本願について法然上人自身が語り始められます。
すべての菩薩は願を発(おこ)し、願成就して仏に成られます。ですからすべての仏には共通の願があります。それを「惣願」といいます。四弘誓願(衆生無辺誓願度 煩悩無量誓願断 法門無尽誓願学 仏道無上誓願成)に代表される自利利他の完成を目指すものです。その惣願がそれぞれの仏において独特の形で表現されるのが「別願」です。阿弥陀仏の場合はわが国に生れよという願です。
では法蔵菩薩の願はどんな経緯で発されたのかが無量寿経に詳しく述べられています。遠い遠い昔、定光如来以来この方53仏が去られた後、54番目に世自在王仏がお出ましになります。この仏に遇い、国を捐(す)て王位も棄てて出家した国王がありました。これが法蔵菩薩です。
菩薩は仏に建立すべき国について教えを請います。仏は210億の国の長短所をお見せになります。菩薩は五劫という長い時間を費やして考えぬいた末、210億の中から浄土を選び取り願を発されます。正信偈では「法蔵菩薩因位時」以下の依経段です。
『無量寿経』に「摂取」といい、『大阿弥陀経』に「選択」といわれている意味を尋ねますと、210億の中から三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)のある国を選び捨て、三悪趣のない国を選び取るのが第一願(無三悪趣の願)、三悪趣がなくても寿命が尽きた後再び三悪趣に更(かえ)る国を選び捨て、悪道に更ることのない国をえら選び取るのが第二願(不更悪趣の願)、色で差別する国を選び捨て、無差別平等の国を選び取るのが第三願(悉皆金色の願)、姿形の美醜を問う国を選び捨て、あらわれた形によって分けへだてをしない国を選び取るのが第四願(無有好醜の願)です。
では第十八願はなにをどのようにして選びとられるのでしょうか。
源空上人 【第10講】 一楽 真 師
2011年4月16日
法蔵菩薩は世自在王仏のみ前で、210億の国の中から建立すべき浄土のあり方を選び取って願とされます。
第1願は地獄・餓鬼・畜生のある国を選び捨てて、無い国を選び取り、第2願は浄土往生を遂げながら再び悪道に転落するような国を選捨し、そんなおそれのない国を選取し、第3願は皮膚の色で差別する国を選捨し、それがない国を選取し、第4願は姿形の好し悪しで差別する国を選捨し、ない国を選取されました。清浄を取り、不清浄を捨てられたのでした。
さて48願中で最も重要な第18願では、なにを捨て、なにを取られるのでしょうか。
六波羅蜜、菩提心、六念、持経、持呪、起立塔像、飯食沙門、孝養父母、奉事師長(岩波文庫本47~48頁注参照)等、仏国に生れるための「行」として考えられていたありとあらゆる善根や善行を挙げて、これらのことを往生の行とする国は切り捨て、専ら阿弥陀仏の名を称える念仏行の国だけを選ばれます。
捨てるべきこととしてここに挙げられたのは、それまでは仏教界では必修の行、倫理道徳上も必須の善行ばかりです。仏さまはなぜこんな大切なことを捨てよといわれるのでしょうか。法然上人のお答えは「聖意測り難し、たやすく解せることあたわず」(岩波文庫本49頁)。私たちに理由など解るはずがない。仏さまがお決めになったことをどうして詮索できようか。とはいえ越権行為ながら試みに私なりに解釈をすれば、として二つの理由を挙げられます。「勝劣」と「難易」です。
初めの勝劣とは念仏行は勝れ、他の行は劣っているということです。なぜか。お名号には仏の自内証といわれるところの、お言葉になる前の証りの内容から、外に現れた功徳相まで、すべてがその中に摂まり籠められているからです。対して諸行の功徳には制限があるために一切ではなく部分でしかありません。お名号には諸行の功徳が全て内包されているのに対して、諸行は部分を表すにすぎないというのが理由です。
次の難易とは称名は修しやすいのに対して、諸行は誰にでもできることではないということです。精神を集中して仏を念じ続ける観想念仏などは常人にはできないことだから「難」なのです。反対に称名はどんな状況にあっても「南無阿弥陀仏」と口にみ名を称えることですから「易」です。だからこそ仏から授けられたみ名を称えよと『往生礼賛』はいいます。
次には『往生要集』を引いて難易の理由を尋ねていかれます。すべての善業にはそれぞれの利益があるのに、なぜ念仏ひとつなのか、と。そのとおりであって、諸行を非難するわけではない。しかし念仏以外の行はできる人とできない人がある。いつでも、どこでも、誰でもできるから念仏ひとつでいいのだ、というのが源信僧都の答えです。だから一切衆生が平等に救われるために仏さまは難を捨てて易を本願とされたのでしょうと法然上人はいわれます。
次は個々の境遇や条件の問題です。
「起立塔像」(寄進)、「智慧高才」(天性)、「多聞多見」(学問)、「持戒持律」(生活)のようなことが本願なら、この範囲に入るものは極く少なく、もれる人の方が圧倒的に多いのが現実ではないか。だからこの現実である一切衆生のために、仏さまは諸行を捨てて念仏の一行を本願にされたのだ、と法照禅師の『五念法事讃』(岩波文庫本54頁)をご引用になっています。
源空上人 【第11講】 一楽 真 師
2011年5月21日
第一章は釈尊一代の「教」を「聖道」と「浄土」の二つに大きく分けて、聖道を捨てて浄土に帰せよという「教相章」でした。聖道がダメで浄土の方が優れているというのでは決してありません。教えがいかに立派であってもそれを受けとるこちら側の方に問題があるといわれるのです。
第二章は浄土往生の「行」を「雑行」と「正行」に分けて雑行を捨てて正行に帰し、正行の中でも正定の業である「称名」を取れという「行相章」でした。声に出して仏名を称えること自体が重要なのではありません。称名はどんな人にも、いかなる状況にあるときにも可能であることを象徴しているからなのです。
いま読み進んでいる第三章は、なぜ称名念仏によらなければならないのかといえば、法蔵菩薩が私たち人間のために本願において選択して下さった行だからであるという「本願章」です。
「順彼仏願故」(かの仏願によるがゆえに)という善導大師の言葉に出会って涙が止まらなかった43歳の法然上人の感動はここにあったのです。
「造像起塔」「智慧高才」「多聞多見」「持戒持律」等の諸行を条件にするならば、救いの対象はごく限られます。資質に恵まれない、あるいはそのような環境にない多数の人々が除外されるのでは仏願ではありません。たとえ諸行が達成されることがあるにしても、そこから優越感や差別が生まれるならば仏の本意に背くことになります。だからこそ法蔵菩薩は無条件・平等の救いを願って称名念仏を本願とされたのでした。この本願のお心をよく表した言葉として、法照禅師の『五会法事讃』から八句が引かれます(岩波文庫本54頁)。富める者、貧しき者、学才ある者、ない者、よく聴聞して持戒の者、破戒にして悪業多く善根少なき者と、具体的な状況を列挙して、どんな人もえらばず、もらさないという意味の「不簡」がそれぞれにつけられて、弥陀の弘誓はいかなる者をも、ひとりももらさないということを表そうとします。
宗祖もこの文を大事にされて『行巻』(聖典181頁)に引かれ、『唯信鈔文意』(聖典550頁)では懇切な解釈を施しておられます。「但使回心多念仏」はふつう「心を廻して多く念仏せば」と念仏を行ずる人を主語に読むところを、「回心せしめられて」と読み変え、また多念仏とは自力による量ではなく、「大」「勝」「増上」の意味を持つ「多」であり、他力であるが故に質のすぐれたことをいうのだとしておられます。
続いて三つの問答が立てられます。
問1. td> | 法蔵菩薩が本願をお建てになったといってもその願いはすでに完成しているのですか?まだなのですか? |
答. td> | 48 願は全部完成している。例証のため第1願、第2願、第21願を挙げておく。中でも第18願には念仏往生の願成就文(聖典44頁)がある。それだけではなく、各願文でこの願が完成しなかったならば仏には成らないとお誓い下さった法蔵菩薩が、すでに十劫の昔成仏された(聖典29頁)のだから本願が成就しているのは疑うべくもない。善導大師も「かの仏、今現に世にましまして仏になりたまへり。まさに知るべし。本誓の重願虚しからず、衆生称念すれば、必ず往生を得」(岩波文庫本57頁)と云っておられるではありませんか。 |
問2. td> | 念仏とは心に仏を思い浮べることなのですか?あるいは仏の名を口に出して称えることなのでしょうか?『無量寿経』では「十念」(聖典18頁)、善導大師の『往生礼讃』や『観念法門』では「十声」(聖典175,177頁)となっていますが。 |
答. td> | 言葉は二つですがひとつのことです。『観無量寿経』の「下品下生」(聖典120頁)にそうあるではありませんか。 |
問3. td> | 前問の十念の前の「乃至」を、善導大師が「下至」と云い変えておられるのはなぜでしょうか? |
答. td> | 「乃至十念」はいま出る十念を含むところの一生涯の念仏の総称です。「下至十声」は一生涯の念仏を代表するところのいまの十声です。乃至と下至は言葉は二つでも心はひとつです。回数の問題ではありません。 |
源空上人 【第12講】 一楽 真 師
2011年6月17日
「聖道」ではたすかりません。だから「浄土」の教えに帰依しなさい。
浄土に帰するには「雑行」をいくらやっても無駄です。「正行」だけを実践しなさい。称名念仏ひとつを励むのです。
なぜなら阿弥陀仏が本願においてそうお決め下さっているからです。本願を素直にいただくことが仏意にかなうからです。あなたがなにかをしなければならないというその心こそが問題だからです。
このように第1章から第3章において法然上人は念仏往生の原理的な要点を情熱をこめて語られます。ですから選択本願念仏集16章の中で、この3章は重い意味を持つといえます。
これに対して第4章以下は論調が変わって、念仏を勧める文やそれに伴う利益の文が挙げられていきます。
第4章は「三輩念仏往生の文」(岩波文庫本60頁)として『無量寿経』(聖典44頁)の引用から始まります。
三輩とは上中下の三段階に分けられた人間の在り方のことです。
上輩とは菩提心を発し、出家して功徳を修して仏の来迎にあずかることができるような資質や状況に恵まれた人です。
中輩は、出家はできないまでも、在家で功徳を修することに努め、環境を整えて往生を願う人です。
下輩は一生の間善根や功徳を積むことが一切なかったとしても、最期にたった一声でも仏名を称えるご縁をいただく人です。
次にこの経文に対する疑念を除くために問答が立てられます。
問. td> | 上輩の文には捨家棄欲、中輩の文には起立塔像、下輩の文には菩提心等の念仏以外の余行を修せよとあるのは、念仏ひとつで往生するという趣旨と矛盾するのではありませんか。 |
答. td> | 善導大師の『観念法門』には、三輩それぞれの素質にしたがって無量寿仏の名を念ぜよという『無量寿経』の言葉が引用されています。だから三輩とも余行ではなく、念仏によって往生するのです。 |
「それでは答になっていないではありませんか。経文には余行も念仏も両方書いてあるではありませんか。」という問いには次の答が用意されています。
答. td> | 三つの理由があります。「廃立」「助正」と「傍正」です。 |
1. td> | 「廃立」は廃止すべきものと立てるべきもののことです。止めなければならない念仏以外の余行がわざわざ説かれているのは、なにが往生の行であるのかを明らかにするためなのです。 |
2. td> | 「正助」の正は念仏であり、助は正を完成させる助けとなる余行を指します。捨家棄欲、起立塔像、発心等ここに説かれている行は、念仏を修する助けになるからこそ説かれているにすぎないのです。 |
3. td> | 「傍正」の傍はかたわらという意味です。正行である念仏に精神を集中させるために視野の外におくべきものとして余行が説かれているのです。 |
源空上人 【第13講】 一楽 真 師
2011年7月15日
第5章「念仏利益の文」(岩波文庫本72頁)無量寿経の終りの方に、このお経を後の世に伝えるようお釈迦さまが弥勒菩薩に依託される「流通分」(聖典86頁)があります。ここには、この世から仏法が完全に消滅して暗黒の時代になっても、このお経だけが残されて、仏の名を聞く者はたった一度の念仏で救われるという無上の功徳を具えた利益が説かれています。
また善導大師の往生礼讃には「阿弥陀仏の名を聞いて喜びのあまりたとえ一度でも念仏すれば往生を遂げる」があります。法然上人はこの二文を根拠の文として引かれます。そしてこれらの引文に対する疑問を予測して問いが立てられます。
問. td> | お釈迦さまは「三輩の文」(岩波文庫本60~63頁)では、余行の利益も説いておられるのに、どうしてここの流通分では念仏の功徳だけしかほめられないのですか。 |
答. td> | お釈迦さまの深いお心は測り難いが、善導大師の『観経疏』を手がかりにするならばこういうことです。 お釈迦さまはもともと念仏の一行を説こうとされたのだが、それでは理解できない者や間違えて受取る者があるのを見越して説かれたのが「三輩」という一見ランク付けのように見える方便の教えです。それぞれの在り方に応じて菩提心等の諸行も一応説かれているだけであって、目的は念仏の一行に導くためにすぎなかったのですから、今さらほめることもないのです。だからここでは念仏だけを選んで讃歎されています。 |
宗祖は「化身土巻」の始め(聖典326~327頁)に第十九願(修諸功徳の願)はあらゆる人々を真実の教えに誘引するために、お釈迦さまが方便としてお説きになったものだと述べておられます。その中で、機に応じて諸の功徳を修する「三輩の文」はこれに当ると明確にお示し下さっています。
三輩という段階を念仏の方から見ると、一つは観想の浅深(質)、二つには回数の多少(量)になります。質の面では源信僧都が仰るとおり三輩に定められている行は上品上生に相当します。量が問題になるとすれば、下輩が「十念乃至一念」ですから、中輩や上輩は何万になるといってもいいのでしょう。
念仏が無限にすぐれた利益すなわち大利であり、回数が問題にならない無上であるのに対して、余行は限定された小利であり有限的回数に執われる有上であるといえます。
第六章「末法万年の後に、余行ことごとく滅し、特り念仏を留むるの文」(岩波文庫本77頁)
「私の滅後、教えがすっかり無くなってしまおうとも、このお経だけはこの世に留めましょう。この教えに値(あ)うことを得た人が私の国にうまれることができますように。」
冒頭に無量寿経(聖典87頁)が引かれますが、よく気をつけて見ると経文は「特留此経(特にこの経を留めて)」であるのに標題は「特(ひと)り念仏を留める」になっています。この点を問題にして問答が立てられます。
問. td> | お経の「特留此経」を標題で「特留念仏」と云いかえたのはなぜか。 |
答. td> | 無量寿経が説かんとするところは要するに念仏だからです。これは前の「第三本願章」で詳しく述べたので繰り返すことはしません。 |
善導大師、懐感禅師や源信僧都も仰っているとおりこのお経をとどめるとは念仏をとどめることに他なりません。
その理由は、無量寿経に菩提心や持戒の言葉はあっても行ずる方法等は説かれていません。だから末法一万年の後お経がすべて消滅すれば菩提心等の諸行を修することはできません。このときのために残された無量寿経によって念仏だけが成立つのです。
問. td> | なぜ特に留められるのが浄土の教えでなければならなかったのですか。 |
答. td> | どのお経を留めるにしても一経に限れば必ず批判は出ます。お釈迦さまが特にこのお経だけを留められたお心は測り難いにしても、あえて解釈を加えるならば、すべてをもれなく救う弥陀選択の本願には他の行ではなく念仏でなければならなかったのです。 |
問. td> | 念仏は法滅の時代のためだけにあるのですか。いまは関係ないのでしょうか。 |
答. td> | そんなことはありません。正法からいまの末法まで一貫してすべての者に開かれているのが念仏の教えです。ただ他のものがあてになるときは、念仏ひとつになれないこちら側に問題はあります。 |
源空上人 【第14講】 一楽 真 師
2011年8月27日
選択本願念仏集は全部で16章から成っていますが、第1章は道綽禅師の文によって浄土門を立て、第2章は善導大師の文により浄土に生まれるための正行は称名念仏であることが明らかにされるものでした。
このあと第3章から第6章は『無量寿経』、第7章から第12章は『観無量寿経』、第13章から第16章は『阿弥陀経』が引かれて、全体としては浄土三部経に依りながら浄土の教えが真実であることを明確にしようという構成になっています。
今回は第7章(岩波文庫本84頁)です。
冒頭に「弥陀の光明は無量であるが故に念仏すれば誰一人として照らされない者はない」と観経が引かれます。ところがその前にある標題では弥陀の光明は余行(念仏以外の行)の者は照らさないという表現になっています。
ここが大事なところなのですが、お経を読む私たちの方に問題があるからです。というのは原文にある「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」(聖典105頁)の中の「摂取不捨」と聞いて、何をしていても捨てたまわない弥陀に対する甘えを戒めるために、救われるのは「念仏衆生」に限られることを強調しなければならなかったのです。
次に弥陀の光明は無量・無限であり、これに触れたならば摂め取られるとする『観経疏』が引かれ、ここでも摂取の対象は「有縁」という言葉、つまり念仏する縁をいただいた者とおさえられています。
問. td> | 仏の光明は平等であるはずなのにどうして念仏の人だけに限定されるというのですか。 |
答. td> | 三つの理由があります。 1.親縁 念仏の人には仏さまと親しくなる関係が与えられます。私が名を称えるとき仏さまは聞いておられます。私が礼拝すれば仏さまは見ていて下さいます。私が念ずるとき仏さまはそれを知っていて下さいます。私が憶念すれば、「子の母をおもうがごとく」(聖典489頁 和讃参照)仏さまもまた私を憶念して下さいます。 2.近縁 念仏の人は仏さまがすぐそばに寄添っていて下さるご縁を賜ります。お目にかかりたいと願えばお姿を現して下さいます。 3.増上縁 常に念仏する人には仏さまとのご縁がますます高まり増大して、臨終に来迎にあずかる等の利益を頂戴します。 |
これに対して念仏以外の行は善であると云っても念仏とは全く比べものになりません。質が違うのです。ですから浄土三部経にも繰り返し「専ら念仏せよ」と勧められているのです。
次に『観念法門』から、仏身の光は念仏以外の雑行を修する人を照らすことはないという文(『尊号銘文』参照・聖典522頁)を引いて問答が立てられます。
問. td> | 仏の光明は念仏の人だけを照らして、念仏以外の行者を照らさないのはどうしてですか。 |
答. td> | 二つの理由があります。 1.前出の親縁、近縁、増上縁の文のとおりです。 2.念仏は本願の行だからです。念仏は二百一十億の中から仏が選び取られた行です。余行は選び捨てられたものですから光明を蒙ることはありません。 |
源空上人 【第15講】 一楽 真 師
2011年9月19日
ここまで法然上人はずっと余行を捨てて念仏せよと勧めてこられました。ではその内容はどうあるべきか、それが「三心章」と呼ばれるこの第8章(岩波文庫本89頁)です。
ただ念仏と聞いて口に音を出してさえいればなにをしていてもいいのだと間違えて受け取る人もありました。しかし法然上人の仰りたかったのは、いかなる人間の条件も問わない万人に開かれた行は念仏しかない、だからただ名を称えよ、ということだったのです。
このような師の心を受け継いだ方が法然門下で宗祖が尊敬されていた『唯心鈔』の聖覚法印であり、『具三心義』の隆寛律師であったのですが、このお二人を本流たらしめなかった誤解を正すためにも、懇切に善導大師の文を引いて、信心の欠けた念仏はあり得ないことが説かれます。
念仏に具わっていなければならない「三心」とは『観無量寿経』の十六観法の第14、上品上生の文(聖典112頁)にある1.至誠心 2.深心 3.回向発願心のことです。この三つの心がとりもなおさず信心のことですから、善導大師は上品上生の人ばかりでなく、全体に通じる必須の要件としてお読みになります。宗祖の「信心為本」は信心を往生の根本に据えた善導・法然両師の伝統を受け継がれたものに他なりません。
一番目は「至誠心」(岩波文庫本89頁)です。至は真であり、誠は実であると善導大師は云われます。仏道を歩むにはまずもって真実の心が最も大切です。しかしわが身を振り返ってみるとそこにあるのは貪りや腹立ちや偽りばかりです。こんな毒のまざったような心で浄土往生を願ったところで叶うはずもありませんし、内にあるいやらしさを隠してうわべだけ行ないすましたような顔をするのはなおさら不誠実です。ですから頼むべきではない人間心を捨てて、仏の真実を行ずることが大事なのです。
宗祖はここのところを『唯心鈔文意』(聖典557頁)で次のように読み変えられます。「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。」を「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ。内に虚仮を抱けばなり。」と。
善導大師の「このように行じなければなりません」をさらに一歩進めて「私たちには毒まじりの虚仮不実の心しかないのだから、弥陀の真実心を生きよ」と読まれます。
他にも愚禿鈔(聖典436頁)で*「必須真実心中作」や「施為趣求亦皆真実」を宗祖独特の読み変えをされているのに注意すべきです。
次は「深心」(岩波文庫本92頁)です。お経に深心と書いてあるのは深信のことだと善導大師は仰います。その深信に二種あって一つが「罪悪深重のこの私には絶対に救いはないと深く信ずること」、もう一つは「阿弥陀仏はこのような私を絶対に救いたまうと深く信ずること」です。
一見して絶対矛盾のようですが、そうではありません。信心の深いところにある二つの側面だからです。一方がなければ他方が成り立たないという関係です。凡夫の自覚なしに本願が信じられることはなく、摂取不捨の本願によらないと凡夫が自覚されることはあり得ません。
三番目は「回向発願心」(岩波文庫本103頁)です。自他共に積み上げてきた善根功徳を喜んで、独り占めすることなくすべてを仏法の方に転換して、往生浄土の道を歩み出そうとする心です。
「過去以来自分の努力で積み重ねた善根を仏に差し向けることによって、往生を願う心を発(おこ)すこと」が回向発願心であると『選択本願念仏集』で説かれているが、それは実は「如来から回向された真実心によって浄土に生まれたいと願う心が発(おこ)ること」を意味するのだと宗祖は『愚禿鈔』(聖典449頁)で仰ています。
至誠心、深信、回向発願心の三つはそれぞれがばらばらに発るのではなく、真実のお心を深くうなずけたところに歩み出そうとする覚悟と勇気が与えられるのだというのが宗祖のご領解です。
*
「必須真実心中作」
選択集:「必ずすべからく真実心の中になすべきこと」
愚禿鈔:「必ず真実心の中になしたまえるを須(もち)いんこと」
「施為趣求亦皆真実」
選択集:「施為趣求するところ、また皆真実なるべし」
愚禿鈔:「施したまうところ趣求をなすは、またみな真実なり」
源空上人 【第16講】 一楽 真 師
2011年10月15日
『選択集』の構成は、第3章~第6章が『無量寿経』によって阿弥陀如来が諸行の中から念仏を選び取られたこと、第7章~第12章が『観無量寿経』によって弥陀選択の念仏を釈尊がお勧めになっていること、第13章~第16章が『阿弥陀経』によって諸仏がその念仏こそがまことであると証(あか)しされていること、となっています。
前回は第7章と第8章を見ましたが、時間的に全章を読むわけにもいきませんので第10章(岩波文庫本126頁)に入ります。
最初に引かれるのは『観経』の「下品上生」の文(聖典118頁)です。
「上品」と「中品」は出家できないまでも在家で善根を積もうとする人たちをいいますが、「下品」は善行ができないばかりか悪行を重ねてしまう人はどうなるのかを課題にしています。善導大師はここに着目されました。「古今楷定」といわれる所以です。「三輩往生」といっても人間の優劣をランク付けしようというのではなく、縁のちがいで生き方にちがいが表れているにすぎないすべての人が往生するのだ、というのが善導大師・法然上人の受け止めです。
ここに引かれている下品上生の文では、お経を聞いた人と南無阿弥陀仏と称えた人を対比して前者は千劫、後者は五十億劫の罪が除かれるといいます。これを標題では「聞経の善を讃歎したまはず、ただ念仏の行を讃歎したまふ」と法然上人は云い切ってしまわれます。お釈迦さまは聞経をほめておられるのではなく、ただ念仏だけを勧められるのだという断定です。千と五十億の数字は、量を持って質の差を表わそうとしているのだという解釈です。
ではお経を聞いたこともない人はどうなるのかということが、さらに「下品下生」(聖典120頁)で問題にされてきます。そこでは仏を念(おも)う観想念仏と仏名を口に称える称名念仏が対比されます。
どれほど悪いことはしても、お経のことも仏さまのことも聞いたことがない、だから仏さまを思い浮べる念仏もできない。そんな人はどうすればいいのか。たった一つ道はある。仏さま自身が人間の言葉になって下さった「南無阿弥陀仏」を口に称えるだけでいいのだ。これが観経の結論であるとするのが善導大師の『観経疏』であり、法然上人の『選択集』でもあります。
観経といえば「日想観』に始まる観想を説くお経のイメージが強いのですが、そんなことができなくても大丈夫だ、南無阿弥陀仏という言葉をとおして分け隔てのない阿弥陀の世界に遇うことが成り立つのだと法然上人は仰っています。
次の第11章(岩波文庫本129頁)では念仏以外の善根功徳に比べて念仏の利益が比べ物にならないくらい素晴らしいことが述べられます。
「念仏者は、泥の中にありながら汚れに染まらず花を開く純白の蓮華のように、煩悩の濁世にあって覚りの花を咲かせる最高の妙好人である。この人には観音・勢至の両菩薩が同伴者となって浄土への道を共に歩んで下さるのだ。」と『観経』の流通分(聖典122頁)にありますし、善導大師も『観経疏』で「専ら念仏すれば観音・勢至が友達のように身近に寄り添って護って下さるから、まちがいなく浄土往生が決定するのだ。」と云っておられます。
第12章(岩波文庫本140頁)はお釈迦さまが観経によって何を教え何を伝えようとされたかということを明らかにされたところです。
浄土往生の原因となるべき16の修行の方法が延々と語り終えられた最後のところでお釈迦さまは阿難尊者にこう云われます。「汝好くこの語(ことば)を持(たも)て。この語を持てとはすなわちこれ無量寿仏の名(みな)を持てとなり。」
いろいろな修行ではなく、「無量寿仏の名」つまり「南無阿弥陀仏」だけをしっかりと持て未来の人々のために伝えよと仰ったのです。
観経の要点、目的とするところはここにあるのだと法然上人も断言されています。
源空上人 【第17講】 一楽 真 師
2011年11月18日
『選択集』第13章(岩波文庫本160頁)の標題は「念仏は多善根であり、念仏以外の雑善は少善根である」ということですが、その根拠は『阿弥陀経』の文(岩波文庫本160頁・聖典129頁)少善根福徳の因縁をもって、かの国に生ずることを得べからず」にあります。
善導大師はこの経文を「極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念弥陀専復専」(岩波文庫本161頁)と『法事讃』に解釈しておられます。
聖覚法印がこれに注目して『唯心鈔』(聖典920頁)に引いておられることから、親鸞聖人も『唯心鈔文意』(聖典553頁)で詳しく註釈をお加えになっています。「随縁の雑善」といわれているようなものは自力の善根・少善根だから浄土往生は不可能である。如来が選びたもうた名号こそが、五濁悪時・悪世界の悪衆生・邪見無信まですべてを平等に救いとることができる多善根である、とお示しになっています。
法然上人は「鳩摩羅什訳の『阿弥陀経』には無いが、襄陽の石碑の阿弥陀経には称名念仏が往生の因となる多善根福徳であることが省略せずに刻まれていると竜舒の『浄土文』を引いておられます。また「標題では多善根と少善根を対比させたが、それは比較にならないくらいの量の多少によって、質の差を表わそうとしたのであって、むしろ大小とか勝劣というふうに、すぐれているか劣っているかというべきであろう。」と私釈を添えておられます。
第14章は標題に「六方恒沙の諸仏が証誠されるのは念仏のみであって、念仏以外の余行は証誠しておられない」が掲げられます。その証拠として『観念法門』をはじめとする善導大師の註釈書が引かれます。これらの文は念仏が真実であることを六方あるいは十方の諸仏が証明されていることが述べられているだけで、余行については言及がないというのが標題の云いたいところです。無量寿経、観経が方便として諸行を説くのに対して、阿弥陀経にはそれがありません。
次いで法照禅師の『浄土五会法事讃』(岩波文庫本166頁)が引かれます。お釈迦さまがこれこそが真実であるとお説き下さったばかりでなく、十方の諸仏も念仏の教えだけがまちがいなく確かであると後の世にまで伝えて下さっている、という内容です。無仏の時にまことの教えに会えたとすれば、それは諸仏の伝証のおかげです。逆に云えば教えに触れさせて下さった方を諸仏と呼ぶべきなのです。
親鸞聖人も『教行信証』にこれをご引用(聖典180頁)になっていることから、浄土真宗に一貫して伝統されている諸仏の解釈がうかがわれます。
第15章は善導大師の『観念法門』および『往生礼讃』によって「諸仏の護念」が明らかにされます。第8章でみた「二河白道の譬」は「信心守護の譬喩」とも云われています。釈尊に往けといわれ、すぐ来いと弥陀に呼ばれて一歩を踏み出すことができたとしても現実はきわめてきびしい。群賊悪獣が妨害し、別解別行悪見の誘惑にさらされる。それでも辛うじて白道を進めるのは諸仏の護念に支えられてのことなのです。
宗祖の言葉とされている「一人いて喜はば二人とおもふべし 二人して喜はば三人とおもふべし その一人は親鸞なり」にも護念を実感させられますが、「現生十種の益」(聖典240頁)や「現世利益和讃」(聖典487頁)でも人間の上に具体的にはたらく護念証誠を詳しくお述べ下さっています。
第16章は善導大師の『法事讃』によって、釈尊が阿難尊者に名号を託されたことを確認されます。末法濁世にすべてが平等に救われる唯一の法は名号だからです。
そして三部経の究極の目的は、諸行の中から念仏が選択されたことを説くことにあったとして、次の私釈で「八選択」(岩波文庫本174頁)を展開されます。
《選択の主体》
┌ 選択本願 弥陀
無量寿経 │ 選択讃歎 釈迦
└ 選択留教 釈迦
┌ 選択摂取 弥陀
観無量寿経 │ 選択化讃 弥陀
└ 選択付属 釈迦
阿弥陀経 選択証誠 諸仏
般舟三昧経 選択我名 弥陀
源空上人 【第18講】
2011年12月17日/2012年1月28日
宗祖は「行巻」に『選択集』の最初と最後を引かれます(聖典189頁)。この二つが選択集のすべてを尽くしているからです。
最初の「総標の文」(岩波文庫本9頁)はまず南無阿弥陀仏を掲げて念仏を根本とすることを標榜します。
終りに位置する「総結三選の文」(岩波文庫本177頁)は全体を結んでいくに当って三つの選択を呼びかけるのですが、その前に置かれた「速やかに生死を離れ」るは重要な意味をもっています。18歳で叡空に入門された法然上人が43歳で善導大師の言葉に出遇われるまでに費やされた25年の歳月を振り返って、道を求めながら出口の見えない人のために念仏の捷径を勧められるお言葉です。
「三選」とは、「聖道門」をさしおいて「浄土門」を選び、浄土門に入っては「雑行」をなげうって「正行」に帰し、正行のなかでも「読誦・観察・礼拝・讃歎供養の「助業」をかたわらにして「正定業」すなわち称名を専らにすることをいいます。要するにただ念仏、他のものは一切必要ないという宣言です。これが後日あらゆる修行をこととしていた旧仏教の怒りを買うことになるのですが、法然上人はそのことを予見して巻末に読後は人目に触れないようにせよと注意しておられます。
次に「偏依善導一師」(ひとえに善導一師による・岩波文庫本178頁)ということについて問答が立てられます。
問1. td> | 諸宗派の諸師が浄土の註釈をしておられるのになぜ善導大師の教えだけを用いるのか。 |
答. td> | 諸師は聖道門を依り所にしているからである。善導大師は聖道門を捨てて、ひとえに浄土門に帰しておられる。 |
問2. td> | 浄土にも迦才・慈愍三蔵等の諸師がおられるのになぜ善導なのか。 |
答. td> | これらの諸師は浄土を宗としておられるが精神集中による観仏三昧(三昧発得)に至っていない。善導は三昧発得の人である。 |
問3. td> | 三昧発得をいうのならば懐感禅師も三昧発得しておられるではないか。 |
答. td> | 三昧発得といえども弟子の懐感は師匠に及ばない。 |
問4. td> | 師によって弟子によらないというのならば、道綽は善導の師でありかつ浄土の祖師ではないか。 |
答. td> | 道綽は師ではあるが三昧未発得のゆえに善導に教えを請うている。 |
法然上人がここまで他の諸師と比較して善導大師を誉め讃えられるのはなぜでしょうか。それは当時の仏教界に善導大師の存在があまり知られていなかったからです。
中国においても善導大師は知名度の高い方ではありませんでした。高僧伝に選ばれることもなく、5部9巻といわれる著作も大蔵経に入っていません。当然日本でも一般に名は知られていなかったと考えられます。しかし『観経疏』のたった一言が法然上人の25年間の闇を破る光となりました。師とたのむべきは善導大師をおいて他にないという表明であると同時に、ただ念仏を掲げて浄土宗の独立を目指した法然にとっては、世にも勝れた尊敬すべき師を知らない世間の蒙を啓く必要があってのことでした。
そして「古今楷定」すなわち、それまでの仏教解釈の誤りを正すために書かれた『観経疏』は、阿弥陀仏から直接善導に授けられた「弥陀の伝説」であるから、往生浄土を願う人は必ず大切にしなければならない、と結ばれてゆきます。迷いを超えるためには他のことは一切要らない、ただ弥陀一仏の名を称えよ、それだけで仏さまの願いが平等にすべての人の上に成就する、とするのが選択集です。
しかしこの教えはそれまでの仏教の常識を破るものでした。善根を積み修行を重ねる努力を教えるのが仏教である、というのが常識だったからです。当然のこととして猛烈な批判が起りました。せっかく法然上人がお開き下さった浄土真宗は弾圧され、正当に理解されるのは難しい状況にありました。
世間の誤解を正し、浄土の真実を顕らかにしなければならないということが宗祖の課題になりました。そうして著されたのが『顕浄土真実教行証文類』、いわゆる『教行信証』です。宗祖はその後序に「真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり」と『選択集』を讃えておられます。