曇鸞大師 【第1講】 古田 和弘 師
2009年1月10日
《開講にあたって》
再来年、平成23年は宗祖親鸞聖人の七百五十回忌です。ここ専念寺ではこの機会になるべく多くの方々が宗祖のお心に触れていただけるようにと、七高僧に学ぶ講座が計画されました。では七高僧とはどんなお方であり、その教えを学ぶということにどんな意味があるのでしょうか。その答は正信偈の中にあります。正信念仏偈、いわゆる正信偈は親鸞聖人が真宗の肝要を最も簡潔に述べられた百二十句から成る詩(うた)で、大きく分けて総讃と依経段と依釈段で構成されています。
依経段には大無量寿経の教えが説かれているのですが、最後の結誡とよばれる四句(彌陀佛本願念佛、邪見憍慢悪衆生、信楽受持甚以難、難中之難無過斯)が重要な意味を持っているのです。
教えは素晴らしいが私たちにはいったいそれを信じ、楽(ねが)い、受けとめ、持(たも)つ能力があるのだろうかという疑問が投げかけられます。邪見憍慢の悪衆生には不可能だと絶望の表明です。
そしてすぐさまその次にインド、中国、日本に七高僧がお出ましになって、と依釈段が展開されます。
その依釈段は、インドの龍樹菩薩、天親菩薩、中国の曇鸞大師、道綽禅師、善導大師そして日本の源信僧都、源空上人の七高僧の上に、困難の中でも最も困難であるといわれた本願念仏を信じるということがどうして顕現したのかを詳しくお述べ下さいます。それこそ私たちが此の度、七高僧を改めて学ばせていただく意義であります。
── 教行信証 信巻 ──
「また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん、これを名づけて『信不具足』とす、といえり。」
曇鸞大師 【第2講】 古田 和弘 師
2009年4月11日
唐の道宣著『続高僧伝・巻6曇鸞伝』には、「内外(ないげ)の経籍(きょうしゃく)は具(つぶさ)に文理(もんり)を陶(やしな)い、而も四論・仏性に於いて弥(いよいよ)窮研(くけん)する所なり。」とあります。
「曇鸞大師は仏教に関する書物も、仏教以外の儒教や道教の書物にも詳しく精通しておられ、文章を十分に理解すると同時にその文章によって表現されている道理をも良く汲み取っておられた。その上四論と仏性については他の書物よりはるかに深くきわめ尽くしておられた。」ということです。
つまり大師はその当時としては、学ぶべきことはすべて学んでおられた第一級の教養人であったということを表しています。大師が特に造詣が深かった四論とは龍樹菩薩がお書きになったと伝えられている『中論』『十二門論』『大智度論』とお弟子である聖堤婆菩薩の『百論』の四つの論をいいます。
この四つの論をもっぱらより所として研修する学派を「四論宗」といい、四論の学僧といえば曇鸞という定評がありましたから、龍樹の教えを聞きたかったら曇鸞に聞けといわれるぐらい著名なお方でした。
親鸞聖人は、高僧和讃に
「四論の講説さしおきて
本願他力をときたまい
具縛の凡衆をみちびきて
涅槃のかどにぞいらしめし」(聖典491ページ)
とうたっておられます。
『中 論』
釈尊の「縁起」の教えを「空」の思想として受け止め直し、大乗仏教を大成に導いた著作です。「縁起」とは「因縁生起」の略です。「因」は原因、「縁」は条件、「生起」は結果です。
ある原因は、ある条件に出会って、ある結果をもたらします。物事には必ず原因がありますが、原因があるからといって同じ結果になるとは限りません。条件次第でどんな結果になるかわからないのです。ですから物事を決めつけてはいけないという教えだったのです。
なぜなら人間は教えを聞かないでいると、自分の都合の良いように物事を決めつけて考え、事実と関係のないことをそうなるはずだと思いこみ、その上それにこだわるからです。そんな思いこみどおりにならないからこそ苦しんだり悩んだり怒ったりしなければならないのでしょう。だから早く目覚めなさいと釈尊はお説きになったのです。
ところが当時の人たちは「生起」をプラスの価値とした偏った受け取り方をしました。そこで釈尊は「諸行無常」「諸法無我」の教えによって否定的な面も併せてお説きになったのですが、今度はマイナスの方に偏ってとらえられてしまいました。これを修正されたのが龍樹菩薩です。
「有」と「無」を統合して「中」を説かれました。プラスでもないマイナスでもないゼロの発見といわれています。
『十二門論』
中論は非常にわかりにくいので項目的に整理して、十二の論点から空の思想を手短にまとめたもの。
『大智度論』
摩訶=大 般若=智 波羅蜜多=度 摩訶般若波羅蜜多経27巻を注釈した100巻に及ぶ膨大な論書、仏教の百科辞典ともいわれる。
『百 論』
龍樹菩薩が中論を世間に発表されたとき、それを十分理解できない哲学者や宗教学者が批判した。それに対して弟子の聖堤婆菩薩が一つ一つをとり上げ、中論に基づいて論破したもの。
── 仏性 ──
衆生に具わっている仏としての本性。『涅槃経』に「一切衆生に悉く仏性あり」と説かれている。『涅槃経の教え』(古田和弘・東本願寺)参照
冒頭の『続高僧伝』の記事は四論と涅槃経の所説をきわめておられたということになります。
曇鸞大師 【第3講】 古田 和弘 師
2009年5月9日
曇鸞大師は四論と涅槃経の学者としての名声を得ながら、さらに大集経 ※1 を読んでその註釈を書こうと思い立たれるのですが、仕事半ばで病に倒れられます。
しかし幸いに病が癒えて作業を再開しようとするときに、こんな大事業を成し遂げるためにはまず長生不死の法を計らねばならないと考えられました。
そのころ江南にいる陶隠居 ※2 なる者が仙術の秘法を究めていると聞かれて、ついに決意して遠路命がけの旅の末、彼について教えを乞い、仙経10巻を授かられました。
そして意気揚々として北に帰り、洛陽の都で高名なインドの僧、菩提流支三蔵 ※3 に出会って得意気に云われました。
「仏教の中に、長生不死を説いて、この仙経にまさるものはありますまい。」
とたんに三蔵はペッと地面に唾を吐いて一喝しました。
「なにをたわけたことを云われるのか。この国のどこに長生不死の法があるというのですか。仙経なんぞに説いているのは、真の長生不死の法であるはずがないではありませんか。たとえ長生きできたとしてもいずれは流転の苦しみを受けるのは自明の理でありましょう。もし真の永生、無量寿の仏国に生まれる道を知りたければこれを見られよ。」と観無量寿経1巻を授けられました。
ここにおいて大師は翻然と覚り、長い時間と労力を費やして得た仙経をおしげもなくその場で焼き棄て、浄土の教えに帰依されたのでした。
※1 大集経(だいじっきょう)
大乗の菩薩思想、空思想を説いた経。隋の僧就が60巻に編集した。曇鸞大師が見られたのは60巻のうち北涼の曇無讖が訳した前半26巻と考えられる。
※2 陶隠居
隠居は山などにこもって世間に出てこない仙人のこと。この場合陶弘景(とうこうけい 452~536)薬学・医学にすぐれ、長生不死の術を指導していたと伝える。
※3 菩提流支三蔵(ぼだいるしさんぞう)
北インド出身の僧。北魏の永平年間(508~511)に洛陽に来て、39部の経や論を漢訳した。特に天親菩薩の『浄土論』を翻訳したことが注目されている。
曇鸞大師 【第4講】 古田 和弘 師
2009年8月22日
前回まで曇鸞大師のご生涯やその時代背景等歴史的なご事蹟をざっと見てまいりました。しかし私たちが今ご遠忌を機縁として学ぼうとしているのはそれだけではありません。大事なことは、数ある中国の高僧の中から、宗祖がなぜ特に曇鸞大師をお選びになったのか、なぜ曇鸞大師なのかということであります。その答は正信偈にあります。
正信偈は長い間真宗門徒によって朝夕のお勤めに誦み継がれ、もはや単なる文字ではなく声に出して称える音の聖教にもなっています。しかし元々勤行のために宗祖がお造りになったわけではありません。主著教行信証の行巻と信巻の間におかれた、念仏の教えを喜ぶ偈(うた)なのです。
本願寺の第八代蓮如上人は当時さびれてしまっていた真宗の教えを恢復するためにこの教行信証を繰り返しくりかえし読まれました。そうするうちにご自身もご門徒も宗祖と同じように念仏を喜ぶ者になりたいとして、声明の作法に制定されたことから真宗の伝統となったものです。
ここで私たちが注意しておかなければならないのは、正信偈が始まる直前にある「正信偈の造意」といわれる短い文章(真宗聖典203頁)です。
大意は、曇鸞大師の浄土論註によって天親菩薩の一心帰命のお心に触れることができた。さらには天親菩薩の浄土論によって釈尊が大無量寿経に説かれた阿弥陀仏の本願に出会うことができた。ここに本願他力の教えについての七高僧のご了解を頂戴して、正しく念仏を信ずる偈(うた)を作る、というものです。
宗祖が曇鸞大師をいかに大切に仰いでおられたか、また釈尊の釈、天親菩薩の親、曇鸞大師の鸞をもって釈親鸞と名乗られた意味もここからうかがうことができます。
それでは正信偈の曇鸞章(勤行集21頁、真宗聖典206頁)をもう一度読んでみましょう。
「本師曇鸞梁天子」から「焚焼仙経帰楽邦」までは今まで学んだ曇鸞大師のご事蹟に関するものです。次の「天親菩薩論注解」以下が宗祖が曇鸞大師を尊敬されたいわれを述べられた部分になります。いよいよ来月はその核心ともいえるところに入っていくことと思います。
曇鸞大師 【第5講】 古田 和弘 師
2009年9月12日
前回は正信偈にある「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩禮 三蔵流支授淨教 焚燒仙經歸樂邦」の四句から曇鸞大師のご生涯の中でも有名な出来事を見てみました。
今回は次の「天親菩薩論註解」(真宗大谷派勤行集22頁)以下を読みながら曇鸞大師がどういう教えを残されたのか、宗祖は曇鸞大師のどのようなところに感銘を受けられたのかということを考えます。
インドの天親菩薩は仏説無量寿経のお心を正しく受け取るようにと註釈書をお残しになりました。それが『浄土論』(聖典135~145頁)です。その『浄土論』を更に註釈されたものが中国の曇鸞大師の『浄土論註』です。
つまり曇鸞大師は天親菩薩を通して釈尊のご真意をお示しくださったのです。宗祖が、釈尊、天親、曇鸞から一字ずつをとって釈親鸞と名乗られたのは、私はこのような仏説無量寿経に説かれる教えの流れに身を置く者であるということの表明でありました。その『浄土論註』の内容が次の「報土因果顯誓願」以下になります。
法蔵菩薩は私たちのような自分の力ではとても迷いを超えることのできない者のために、浄土を建立することを願い、もしそれが実現しないのならば仏にならないという誓いを立てられました。その願いと誓いが報いられてこそ法蔵菩薩は阿弥陀仏と成り、私たちを迎えとって下さる浄土(報土)が完成されました。
浄土が開設される原因も、すでに実現しているという結果も、そして私たちの往生の原因も、まちがいなく往生するという結果もすべて阿弥陀仏の誓願によることなのです。そのことを曇鸞大師が顕かにされたのだと宗祖は讃嘆されています。
次の「往還回向」は『教行信証』信巻(聖典233頁)に引かれている、「往相回向」と「還相回向」です。往相回向とは私たちを浄土に往かせようとする阿弥陀仏の本願のはたらきです。還相回向とは浄土に往生してもそこに止まらず、迷いの世界に還って来て他の人たちを導こうとさせる本願のはたらきです。どちらも私たちの思いや努力ではありません。
私たちは自分の力では往生の原因を作ることができません。原因を作れない私たちに代わって阿弥陀仏が原因を作り、その結果としての往生が無償で与えられるのです。そして往生した私たちは本願のはたらきかけによって、浄土を出て、迷えるものの教化に向かうという使命を与えられます。
このように自利利他を完成させる「本願力」を「他力」と云われた曇鸞大師を誉め讃えられたのがこの一句でした。
曇鸞大師 【第6講】 代講:武田未来雄師
2009年11月14日
今回は古田先生急用のため、愛知新城大谷大学准教授・武田未来雄先生に『浄土論註』の文から曇鸞大師の思想を学ぶことになりました。
『浄土論註』はいまさら言うまでもなく、天親菩薩の『浄土論』を註釈したものですのに「謹みて龍樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに・・・」(聖典167頁)で始まります。『浄土論』を読むに当たっては、龍樹菩薩の視点をもってしなければならないことを、まず確認されるのです。『十住毘婆沙論』の『易行品』は、五濁の世、無仏の時においては努力を積み重ねて覚りを得ようとする『難行道』は成り立たないと断定します。なぜでしょうか。その理由を五つ挙げられます。
1. | 仏道を歩んでいるつもりが、内を顧みない外道の善行になってしまう。我執に毒された善であることに気がつかない。 |
2. | だからといって内観に没頭して自分だけの覚りを求めるのは大乗仏教の精神に反する。利他行が欠落しているからである。 |
3. | 反省する能力を持たないで、恣に悪行を重ねるものは、罪のない人まで巻きこんで世の中を乱す。 |
4. | 目先の幸福を得るための善行を仏道修行と錯覚して仏法を破壊する。仏法は欲望からの解放を目指すのに反し、目先の幸福という欲望を追求するからである。更には欲望追求に仏道を利用することになる。 |
5. | どうして仏道を歩むつもりが1~4のようになってしまうのか。五濁の世であるがゆえに環境は劣悪で修行者の能力も低いからだ。また無仏の時で問うべき師がいないからだ。従って自分のはからいを指針にせざるを得ないから、自力に陥り迷ってしまうのだ。 |
以上のような不毛の修行ではなく、信仏の因縁によって本願他力の「易行道」を進みなさいというのが、曇鸞大師の結論です。
天親菩薩の『浄土論』はとりもなおさず龍樹菩薩の「易行道」であり、これこそがすべての人の救済を目指す大乗仏教の中でも、究極の教えなのであると、曇鸞大師は讃嘆されます。共に「空」と「唯識」という二つの重要な思想を大成されながら、願生浄土の仏道を特に宣揚された龍樹・天親の両菩薩を宗祖は「像法のときの智人も 自力の諸教をさしおきて 時機相応の法なれば 念仏門にぞいりたまう」(聖典503頁)と讃えられ、またそのことを曇鸞大師がお説き下さったからこそ本願他力の教えに遇うことができたのだと喜ばれたご和讃が「天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまわずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし」(聖典492頁)であります。
曇鸞大師 【第7講】 古田 和弘 師
2010年2月13日
おさらいになりますが、曇鸞大師は修学に傾倒するあまり病気に倒れられたとき、勉強を続けてゆくためには健康と長生きがなにより必要だと思われました。
そこではるばる長江の南まで旅をして、長生不老の仙術を学び、免許皆伝を取得されました。卒業の証である仙経を携えて意気揚々と帰国の途中、洛陽の都で菩提流支三蔵に会われます。菩提流支は得意満面の曇鸞を激しく叱りつけます。君はなんという心得違いをしているのか。有限な人間の命をいくら継ぎ足してみたところで所詮終りがあることに変わりはないではないかと。授かった『仏説観無量寿経』によって、量や長さに関係のないいのちのはたらきが無量寿仏であることに気づかれた曇鸞大師は仙教を焼き捨てて浄土往生の信心を戴かれたのでした。
正信偈では「三蔵流支授浄経 焚焼仙経帰楽邦」のところです。
菩提流支は天親菩薩の『浄土論』をサンスクリットから中国語に翻訳した碩学でしたから、曇鸞大師が『浄土論』を学び、その根據である『仏説無量寿経』に遡って本願念仏の教えに触れられたのは当然の帰結です。そして『仏説無量寿経』の註釈書である『浄土論』の更なる註釈書である『浄土論註』を著わされました。
その中で『浄土論』の一番のポイントはなにかを正信偈でお示し下さったのが「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願」です。
『浄土論註』は『浄土論』の註釈書でありながら「謹んで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるに・・・」(真宗聖典167頁)で始まります。これは、どんな者でも浄土に往生できるとする「易行道」に立場を定めて『浄土論』をお読みになっていることを意味します。
そもそも浄土は自分の力では往生できない者のために、つまり「難行道」に耐えられない者のために建立されたものです。この願いが成就しなければ私は仏にならないと誓われた法蔵菩薩が阿弥陀仏になられたのですから、誓願に報いられて実現した浄土を「報土」ともいいます。
あり得べくもない報土が実現したのも、往けるはずもない者が往けるのも、すべては弥陀の誓願のおかげであることを曇鸞さまがはっきりさせて下さった、と宗祖がよろこんでおられるところです。
次に「往還回向由他力」とあって、「往相回向」と「還相回向」ということがいわれます。「往相」とは私たちが穢土を離れて浄土に往生することです。しかし自分の目標を達成したことに満足しているだけでは大乗仏教とはいえません。迷いの世界に止まっている人をそのままにしておけないのが大乗だからです。ですから浄土に往生した人が穢土にはたらきかけることを「還相」といいます。往くすがたと還るすがたのことです。
ところがよく考えてみると私にとって「往相」というような努力による覚りはもとより、他人を覚りに導く「還相」などとても不可能なことです。その不可能が可能に転じられるのはなぜでしょうか。阿弥陀仏がその原因を作って、その結果を私たちに振り向けてくださったからです。そのことを「回向」といいます。そのような如来の回向がどのようにして私の身の上に実現するのでしょうか。
「ただただ信心です」これが宗祖のお答です。如来の回向をいただいて、今生において往生が確定するのが正信偈では「正定之因唯信心」です。
曇鸞大師 【第8講】 古田 和弘 師
2010年4月10日
正信偈の曇鸞章(真宗大谷派勤行集21頁)をふり返ってみましょう。
「本師曇鸞梁天子 常向鸞處菩薩禮 三藏流支授淨教 焚燒仙經歸樂邦」の四句は曇鸞大師のご生涯を決定づけた菩提流支三蔵との出会いの場面でした。観無量寿経に初めて触れ、不老長生を説いた仙経を焼き捨てられます。
次の「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願 往還廻向由他力 正定之因唯信心」は曇鸞大師のご領解の内容になっています。天親菩薩の『浄土論』こそすべての人に可能な浄土往生を勧めた教えであるとして、それを噛み砕いて『浄土論註』を著わされました。そこには浄土が建立された原因も結果も、私たちがそこに生まれる原因も結果もすべては弥陀の誓願によるものだ。だからこそ悩み苦しみを超えて仏になることが確定するのは、自力の修行ではなく、ただただ信心によるのである。しかもその信心は私が起したものではなく如来から賜ったものであると教えられています。
高僧和讃の中においても「天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまわずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし」(聖典492頁)と宗祖は曇鸞大師を讃え感謝されています。
そして最後の四句では他力の信心が私たちの上にどのように実現するかということが示されます。前のところで「往生の因果は阿弥陀如来が準備されたものであっても、それを確定させるのはあなたの信心だ」とありました。
「惑染凡夫信心發」は煩悩に汚染された人間の上に思いもかけない信心が“発(おこ)る”のです。“発(おこ)す”信心ならば「信心発」でなく「発信心」でなければならないからです。発るべくもない信心が本願他力によって発ればどうなるのか。
「證知生死卽涅槃」の「生死」は迷いの状態です。「涅槃」は迷いのない状態です。それが「卽」で結びつけられると「迷い」がそのままで「覚り」である、になります。これはどういうことでしょうか。論理学では A= non A は矛盾律です。ところが大乗経典では二つの相反することが対立の関係を離れてそのままで一つになる「即否の論理」がしばしば用いられます。これがむしろ大乗仏教の特徴でもあります。
「不斷煩惱得涅槃」(真宗大谷派勤行集9頁・出典 維摩経)もその一つです。「迷いを捨てて覚りに至るという思いが破れて、煩悩を抱えた迷いの身のままで浄土に生まれさせていただくのだということが『浄土論註』のお蔭で明確になったと宗祖は仰っています。そして往相回向のはたらきによって無量光明土に至れば、還相回向によりそこに止まることなく穢土に還って衆生教化の使命が与えられるのだというのが、次の「必至無量光明土 諸有衆生皆普化」(真宗大谷派勤行集23頁)の二句になります。
以上で一応曇鸞大師を読ませていただいたことにして、次は中国第2祖の道綽禅師を聞くことになります。