大無量寿経講話【第10回】 2012/ 11/ 16 一楽 真 師
勝報段
聖典で云いますと30頁、31頁のところですね、ここに阿弥陀仏のお姿が説かれているわけです。説かれているという云い方はおかしいかもしれませんが阿弥陀仏はもと法蔵のときに私は光をもってはたらきたい、我が光がありとあらゆるところに届くようにということを誓われました。それが完成している、その願いに応えたということが勝報段と云われるこの一段であります。要するに本願に応えた、報いたという意味ですね。だから光をもってはたらきたいという願いに応えた姿がここに詳しく説かれているわけであります。仏智の光
光というのは我々にものを見せて下さるおはたらきですよね。それはなぜかというと私たちこの目で物を見ているつもりですけれども、実は自分の欲望のフィルターがかかっておりまして正しくは見られていないんですね。今日も大学で3年生のゼミがあって、そこでいろんな話が出ておりました。若い学生と歎異抄を読むというそういう時間も有難いんですけれども、思ったより以上に若い人たちが傷ついているということを思います。成績で量られたりして将来どうなるかという、つまり役に立つか立たないかという価値観の中でボロボロになっている学生が結構いるんですね。片やまたお寺に生れて仏教に出会う縁は小さい時からあったのに、それをどう捉えるかというとなんでボクはお寺に生れて後を継ぐことが決まっているのかとか…これイヤでイヤでたまらなかったですね、ボクも…生まれたときから被害者であるような気持にもなっていました。でもこれは多かれ少なかれ誰にもあるかもしれませんね。自分の人生を有難いなあといだだけない間は誰かのせいにしたくなりますよね。恨みです。だから生まれたことも、生まれさせられたみたいなことになって、死んでいくこともそうですね、まだ死ぬつもりはないのに死なされるというような全部こちら側が受け身の被害の感情になっていくわけです。でもそんな物の見方本当なんでしょうか。生まれさせられたと、まあ喜べないときには親のせいにもします。こんな世の中に生れてきたこの世の中のせいにもしたい、そんな気持ちになりますけれど、どうなんでしょうか。実は誰とも代ることのできない自分の人生の現場ですよね。やっぱり自分の思い通りにならないことがあろうが、都合の善し悪しを超えて大事にしなければならないのが本当じゃないでしょうか。世の中もそうですし、自分の身体ひとつもそうですね、背が高いとか低いとか、病気がちだとか健康だとかいろいろ自分の思いを超えたことが起こっているんですけれど、それをこんな身体は嫌だと云えば云うほど自分の人生を自分で呪っていくことになる。それをここでは物が本当に見えていない、人と比べてしか量れないであの時代が良かったとかどの国が良かったとか云って、いつも自分のいる場所を自分でけなしていくということを離れられないわけです。その意味で云いますと仏教は救いということを語りますけれど、仏教の救いは自分の都合のいいものが手に入って助かるのではないですね、都合の悪いものを取り除いてもらうことじゃありません。都合の善し悪しを超えてそこに居ることが出来る。他の誰かに代るんじゃなくて私は私としてこの人生を生き切っていくことができる、それが仏教の救いなんです。だからはたから見て何も状況が変わっていなくても、この人は仏法に出会って生き方が変わったなぁ、なんか道が開けたんだろうかというようなことが起こるんですよ。それはここで云うと仏さまの光に遇うたからです。今まで見ていた物の見方は正しくなかった、仏さまの光の眼を頂戴してみれば善し悪しじゃない、人と比べて上か下かでない世界をいただいていくという、これが光として人々に働きかけていこうということを誓われた法蔵菩薩の願いであったわけです。
その光は12の光で語られていましたね。十二光。聖典30頁下の段の後ろから6行目の所です。12のはたらき方があるということです。479頁の讃阿弥陀仏偈和讃では2首目から13首まで十二光仏が順々に謳われています。この光に遇えば貪瞋痴の煩悩が消えて、身も心も柔らかになって歓喜して善心が生まれる。もし地獄餓鬼畜生の苦しみの真っただ中でこの光に遇えば少しの間ながら苦しみを離れることが出来る。そして人間としてのいのちを終えていく時に全てから解放されていくのである。ここで注意しなければならないのは「いのち終りて後」という言葉です。前は僕自身もいのち終わりて後というから浄土の教えが死んだ後の話のようになるのではないかと思ってました。でもこれは浄土教の厳しいところで生きている間に全ての苦しみや悩みから解放されるということは起きないんだということを私たちに教えてくれているんですね。つまり仏法を聞いたら問題が消えるとか、長年聞法をしたら根性が治るとかそんなこと云わないんです。生きてる限りは煩悩具足、問題は次から次へと起こってくる。そのことにはっきり目を覚ませばその問題の中をどう生きるかという、却ってたくましい生き方がそこから始まりますね。そこをはっきりしませんとこれだけ聞いてきた私がなんでまたこんな目に会わないかんのか、これだけお念仏してる私がまだこんな目に会わないかんのか、この年になってまだこんなことになるんかというんですよ。それは生きている間は決して離れることはないと、これはある意味厳しい話なんですけれど、その現実にしっかりと目を開いて生きて行くのが浄土教であります。聖道門というのはある意味でこの世を浄土にしていこうと、生きている間に全ての問題を解決する、解脱を生きてる間に得ようというのが考え方です。目標は非常に高いし理想は立派だと云わないといけないと思います。
でもそれが結局いつまでたってもそうならないと云って聖道門の人はみんな悩んだんですね。まあ前にご紹介したのは解脱上人貞慶という人ですが、あれほど修業に励んだ人はいないと奈良の仏教界のみんなが認めていた人です。でも最後の最後には今回の人生ではどうも達成できそうにないと云って来世に期待をかけてもう一遍生まれ直して修業を続けると観音さんにお願いをしていくというところに立場を置くんです。ある意味で痛ましい感じがします。一生励んだけれども結局は実現できなかったという思いでもう一回生まれ変わって修業し直さんならんというのです。真面目ですけれども親鸞聖人から見ればそういうことがやっぱり磨けば何とかなると思っている、いつかは必ずキレイな自分になれると思っているのが少し人間観とすればおめでたい感じがします。私が解脱坊貞慶さんのことをおめでたいと云っているわけではありません。そんなこと言えた立場にありませんけれども親鸞聖人ご自身の体験を踏まえて聖道門の人たちに阿弥陀の世界に出遇えというところには、生きている間に全て解決しようというのは少しおめでたすぎるということを云っておられます。
逆に生きている間は先ほどの「三塗・勤苦の処にありて」ですから、生きているまっただ中でしょう。そこで阿弥陀の光に遇えば少しの間ではあっても休むことが起るんですよ。でも、また娑婆に呑み込まれますからまたお念仏して阿弥陀の世界を頂き直さんならん、この繰り返しであります。そして生き切ってこの人生を終えていく時には全てのことから解放される。ですから死んだ後のことを云ってるのではなくて、命終わるとき、即、解脱であります。命終わりて後と云うとどうしても別世界があるように聞こえてしまうかも知れませんが、命が終わるまでは完全に解放されるわけにはいかないということを押さえた上で、命終わるときにもうすべての問題から解放されていくということなんですよ。でもこれは生きてるうちに教えを聞くということがなければ解脱坊貞慶のように、今回はもうひとつやったから次の人生にと云わんならんようになります。このままでは終われない。貞慶さんのように次に課題を持っているというのならまだ良いですけれど、怨みを残す場合もありますよね。今回はもひとつやった、次は絶対怨みを晴らしてやるぞとね、化けて出て来んならんことになりますよね。つまり命終わって安らかな静かな世界に還っていけないことになるんです。静かな世界に還るというのは、この人生で完結するんだということを教えてもらう。もう二度と生れ変る必要がないということを教えてもらう。こういう教えとの出会い、そこに今の生き方に変化が訪れるとボクは思うんですね。
聞光
そして聖典31頁の1行目「無量寿仏の光明顕赫にして、十方諸仏の国土を照輝したまうに、聞こえざることなし。」これがさっきの「聞光」ということと関ってきます。なぜか。それは諸仏によって証(あか)しされるからです。私だけではなく沢山の人々によって阿弥陀の光の大事さが褒め讃えられる。その声を通して光は伝わっていくんです。光がいきなりボクらの所に差し込んでくるんではなくて光に遇うたひとが、この光大事ですよ、この光に遇うことが我々の迷いを超えて行く道ですよということを口々に褒めて下さる。これによって伝わってくるわけです。実際に親鸞聖人がどのようにしてこの光に遇えたかと云えば、法然上人のお言葉ですよね。阿弥陀という世界がある。私たちは阿弥陀によってガンジガラメになっていることから助けられんならんということを法然上人がお勧め下さった。それが親鸞聖人が阿弥陀と出遇う、阿弥陀の光を知ることだったのです。では法然上人はどうしてこの光に出遇われたのか。阿弥陀の世界をずぅ〜っと、綿々と伝えてき沢山の方々がいるわけです。インド、中国、朝鮮半島、そして日本と、それを脈々と伝えて下さった人々がいたからこそ法然上人が阿弥陀の世界を語ってくださることになったわけです。親鸞聖人から云えば直接的には法然上人だけれども、その前の誰一人欠けても自分は出遇えなかった、こんな思いが親鸞聖人には強いと思いますね。報恩講に上がるご和讃がそうなってますね。「三朝浄土の大師等」インド、中国、日本の三つの国で浄土を伝えて下さった方々に報告しておられます。その方々のお力を頂いて道を踏み外さずに歩んで行くことを願っておられますよね。だからお釈迦さまお一人でもダメなんです。お釈迦さまの教えを次から次へと生きて下さった方々、名前が残っているのは七高僧ですが、七人だけじゃない、沢山の方々が、阿弥陀の世界が大事だと、阿弥陀に出遇わないと人間は危ういぞと云ってっ下さった。その時代時代で証しして下さった。これすごいなぁと思うのは民族が違っても、時代が違っても、このことが語り 継がれたことです。今どうですかね。民族が違うとなかなか話しも出来んということになってるようですね。始めから敵・味方というふうに人を見てしまっているのかもしれない。でももう一つ大きな眼で見れば、民族が違ってもみんな悩みを抱えている、不安な心もある。幸せになりたいと求めている。その意味で我々に先立って悩み道を求められた方々がおられた。それがお経で云いますと、お釈迦さまが私一人が阿弥陀の光明を褒め讃えるのではない、一切の諸仏、声聞、縁覚、菩薩衆、それらの方々が皆阿弥陀を共に褒め讃えておられる。これによって光を聞くということが起るわけです。光のはたらきは言葉を通してやって来るのです。
光明と名号
光は名号と離せない。これは親鸞聖人が本当に大事になさる所ですが、光明は沢山の人々によって語られる言葉、名号でありますが、言葉を通して我々に届いて来るわけであります。本願文では別々のところに出ますね。名号を誓う願は第十七願でした。我が名が十方世界に響いていくようにということを誓っています。光明は第十二願でありますが、これが別じゃないんですよ。例えば名号が、言葉だけが届いていってもそこにどういうはたらきを持つのかが分からなかったらやっぱり不思議な言葉というか、呪文のようになってしまうかも知れませんね。でも言葉に会うということは光明のはたらき、闇が晴れるということなんですよ。言葉を通して今まで見えていなかったことがはっきりする。でも闇は破られたからきれいさっぱりと明るくなったかというと、そうはいかないんです、また覆って来ます。だからこの光明と名号はずーっといただき続けていく、念仏というお言葉を通して光のはたらきを頂き続けていくことが実際の歩みになるわけです。光が聞こえるということです。それを受けて光まとめていますね、多くの人々が光明を褒め讃えるお言葉を聞いて自分もその道に立ってその光を仰いで行く。ここに何を中心に生きていくかということの転換があります。仏教の古い言葉で云うと、依り所の転換です。自分が依ってそこに立っているもの、「依止」という言葉がありますが、それが引繰り返るというんですね。人智の闇
光に遇うまでは何を中心にしているかと云えば、確かかどうかわからないけれども自分の考え方を中心にするしかない。生まれてこの方、世の中で身に着けてきた物の見方や考え方、これしかないわけですよ。本当かどうかわかりませんけど皆そうやって回っていますから自分もそれに乗っかるしかないわけです。でも言葉悪いかも知れませんが、みんなして迷っているということもあるんです。みんなしてどんどん苦しい方向に、傷つけ合う方向にのめり込んでいくということも起こるんです。例えばあの戦争状態に入っていく時の日本人、誰が考えてみても国にとってよかれと思ってやったんですよ、不幸になるためにやったのではない。しかしそれが自分たちを苦しめて大きな犠牲を強いることになった。これは後になれば分かりますけれど、やっている時はこれしかないというように思う。これが幸せの道だと考えるわけですね。で、時代が変わっても同じようなことになっているわけです。戦後は目が覚めたかと云えば、覚めずに今度は経済だと云うてやってきているわけでしょう。経済が右肩上がりで進むはずがないということぐらい、誰が見ても素人が見てもわかるんですけども、まだ止められないですね。今日解散したんですか?今度は誰に入れれば良くなるかと、これやっぱり夢を捨てられませんよね。勿論悪くなることを誰も望みませんけれど、どうでしょう。誰に入れても一緒やという冷ややかであれと云う意味ではありませんよ。今度こそ劇的に誰かが世の中を救ってくれるという程世間は簡単じゃないですよね。まぁ橋下さんやら石原さんを救世主のように扱うマスメディアもありますけれど、そうは見えませんね。それぞれがそれぞれの利害で動いているだけでしょう。すべての国民のことを本当に心に入れてなんてことは誰にも出来ないんですよ。ただ一部の人にとってはものすごく利益があるからその人を推すということはあります。それによって反動で別の人にとっては冷たい国になっていくという面があるかも知れません。云いたいのはそれをいつも今度こそ今度こそとやってきているのが人間の、自分の見方を中心にすれば間違いないという生き方なんですね。でもそこに仏さまの眼を頂いてみると、そんなことはとっくの昔に証明済みという世界があるわけです。時代が違っても国が違っても、いつでも今度こそと云いながらまた新たな争いを呼び込んだり、傷つけ合うことを繰り返したり、自分の考え方を中心にすれば何とかなるという、それです。今で云えば人間中心の世界、自然のことも忘れてますし、動物たちのことも見えてません。しかし私たちは動物たちあるいは植物たちによっていのちを支えられている、これ事実ですよね。人間だけが生きているように思っていますけれど、それは仏さまの眼から見たら本当に薄っぺらい。表面しか見えてないんですよ。そこに何を中心にするか。自分の物の見方、人間中心という見方をひっくり返して仏さまの教えを中心に生きていくという、これがここの光の功徳を聞いて、今度は自分自身もその光を褒め讃えて生きていく、仰いで生きていく。何を仰ぐかが大転換するということがここで云われていると思います。「もし衆生ありて、その光明威神功徳を聞きて、日夜に称説して心を至して断えざれば」ですから、ずーっと仏さまの光の功徳、そのはたらきを念じながら生きていくということですね。そこには人間の物の見方、薄っぺら〜い世界あるいは目先のことだけに振り回されているあり方を離れ続けていくということが同時にあるはずですよ。「意の所願に随いて、その国に生まるることを得て、」とこの無量寿仏の国に生れることを得ると書いてます。「もろもろの菩薩・声聞・大衆のために」これは「ために」とは読みにくいかもしれませんが、「…によって」という意味です。浄土の住人たちによって「共に歎誉してその功徳を称せられん」とある「その功徳」は浄土に生れた人々が具えている功徳なんです、今度は。
称名
阿弥陀の功徳を褒め讃えるとその国に生れることが出来るというのが前半でしたが、それによってその人自身が褒められていく。私にそんな資格はないと、あまりにも勿体ないと仰るかもしれませんが阿弥陀を念じて生きるということはそういう者たらしめられるんです。私が立派になった訳じゃない。偉くなったんじゃない。その仏の功徳をいただいて生きていくところに実は仏法を証明して下さるという大事な大事なお仕事があるわけです。具体的に云えば阿弥陀を念じながら生きている人はこの世に阿弥陀の世界をお伝えして下さる、そういうお仕事をして下さるでしょう。念仏をして下さる人がいなかったら、この世に念仏が伝わって来るという、そういう可能性すらないですよね。ボクも今はこういうお仕事をさせてもらっていますけれど、本当に長いこと仏教に反発し、お寺に反発して、ずっと来たわけですよ。特に子供の頃は、ボクは祖母といる時間が長くていろんなことも教えてもらいました。でも一緒にいるということは大体喧嘩するんですよ。一番よう喧嘩するのはボクはチャンネル争いをしました。今なら家にテレビ2台も3台もあるので孫とチャンネル争いする人もいないと思いますが、うちは1台しかなかった。そしたら夕方になると、両親共働きだったんですけれど、婆さんが一週間これを楽しみにしとるというのがあるわけですよ。ボクもこれを楽しみというのがあるんです。それでもうチャンネルの取り合いですわ、あんたは何でそんな我儘なんやと怒られたりね。年長者を大事にしたらどうやとか怒られたことがある。そんなときに婆さんももうちょっとボクのいうことを聞いてくれたらどうやと云うてね、まあひどいこと云うてました。そしたら最後にはボクが勝つというか、今から思えば婆さんボクに譲ってくれるわけです。その譲ったときに何と云うかといえば、ナンマンダブナンマンダブと云うんですね。そしたらボクはテレビを見ようと楽しい心やったのに、なんかあてつけで云われたように感じるわけです。つまり「この子は分からん奴や、ナンマンダブ」とボクは聞いていたんです。ほんで中学生の頃はっきりと云うたことがありますわ。婆ちゃんは都合悪なるとナンマンダブと云うやろうと。自分へのあてつけにナンマンダブが聞こえていたものですから、そんなひどいことを云うたりしていました。でも婆ちゃんがいる間にそのことを確かめずに終わりましたけれども、そのことをいろいろ思い出すようになりますと、あぁきっとあれは孫とチャンネル争いをして、いくつ何十になってもこんな根性かということを多分自分で振り返ってナンマンダブと云うとったんではないかと、今は思います。でもその時そうは聞こえませんでした。云いたいのは、婆さんがナンマンダブナンマンダブと口で云うもんですからナンマンダブは口で云うもんやということを一番身近な形で触れたわけです。その時は反発しかありませんでしたけれど、いろんな疑問が湧きましたよ。あんなこと口で云うて意味があるんかとかね。ナンマンダブ云うたくらいで何か変わるんかとかね。様々な疑問がありましたけれど、その疑問が後々自分が仏教を勉強していく時にやっぱり疑問として出て来てるわけです。それをはっきりしたいというか、ナンマンダブと云うてどうなるんやということを自分で尋ねずにおれないような気にもなりました。それは自分から起した疑問じゃなくて祖母がナンマンダブと云うてくれていたことへの疑問だと思います。それがボクには少なくとも婆さんを通してナンマンダブツという言葉が届いて来たということを今は実感してますね。だから隣でナンマンダブと云ってくれる人がいなかったらボクはいくつまでナンマンダブに出遇わなかっただろうかと本当に思いますわ。勿論お寺のね、父の手伝いもしてましたから自分でナンマンダブツと云うたりしてましたけれど、それはあんまり疑問起きませんでした。そういうもんやと思っておりましたから。逆に日常生活の中で祖母が云うナンマンダブの方がボクにとっては大きな引っ掛かりでした。だからこれはボクの身近な話ですけれど、称えて下さる人がこの世の中でナンマンダブツの世界を伝えて下さるわけですよ。勿論本人は人のために云ってるわけじゃないです。誰かを助けてやろうというそんなナンマンダブツやったら却っておかしいかもしれませんね。でも念仏して下さる人があるということがこの世に仏さまの世界が灯を点すと云うたらいいでしょうか、花開くというたらいいでしょうか、そういうことが起るんですよね。だから念仏する人のことを浄土の人たちが皆して褒めて下さると、ここまで云うわけです。
獲信見敬大慶喜
これも報恩講で上がるご和讃で云えば、「他力の信心うるひとを うやまいおおきによろこべば すなわちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまう」他力の信心うるひと、まぁ今の話で云えば阿弥陀が大事だと、阿弥陀を中心に生きるという人が生まれてきたら、その人を私の親友だとお釈迦さまは褒めて下さると云ってるご和讃ですね。すごい言葉ですね。お釈迦さまは私の弟子だ、よう聞いてくれたとそんなんじゃないんです。わがよき友、親友と仰います。他力の信心を得た人は敬うべき世界を持ってるわけです。おおきによろこぶ、そういう世界を持っている、大きな慶びを得ている人である。だからお釈迦さまはすなわちわが善き友だと云うてほめてくださるのでありますと、こういうご和讃であります。ここの経文はお釈迦さまが褒めるのではなくて先に浄土に行っている人です。浄土におられる人が、ようこの世界に出遇ってくれた、ようそういう生き方を見つけてくれたと喜んで下さる、褒めて下さるということですがお釈迦さまもやっぱり褒めて下さるんですよ。敬う世界を持ち、本人が喜びをもって生きていく人をお釈迦さまはよき友と呼ばれるんです。余談になりますが「うやまいおおきによろこぶ」というのも現代には縁深いことだと思うんですよ。「敬う」という言葉、どうです最近、尊敬という言葉はなかなか聞けないんじゃないんですか。ボク若い人を見とって思うのは敬うものが見付からないから自分も生き方に困るんです。あんな大人になりたいなあという人が一人でも見えていればものすごく生き方がはっきりすると思うんですが敬えないんですね。一番身近なところでは親父はいつも酒飲んで帰って来るし、みたいなもんですわ。だから口では立派なことを云っているかも知らんが、どうも姿を見てると敬う対象にはなれないというようなものです。仕事している大人たちを見ても、みんな愚痴を云い合うてるばっかりで、なんか誇りをもって仕事をしている大人にはなかなか出会えないわけです。そうすると就職するのはどうせ給料を貰えればいいのであって、そこに喜びを見出すのは無理やとなって打算になりますよね。まぁしんどい話ですわ。だから敬うものが見付からんということが自分の人生の喜びにもつながらないということがあると思います。
これは神戸女学院の内田樹先生がいつも云っている教育論の話ですが、学校までが、教育までが商品になってしまったと。つまりお金を納めているからなんぼサービスしてくれるのかということなのです。商品価値としてしか教育内容が見出されない。だからうちではこういう技術を与えますよ、こういう資格を取らせますよという話になってしまって人間として育てるなんていうことを云うてみても誰もあんまり見向きもしてくれないです。だから全部がメリットかデメリットか、得か損かになってしまうわけです。それが若い時からそうでしょう、うちの子供をどんなふうにしてくれるんやと云うてね。そのために金を払っているのだと親が云い出せば小学校や中学校の先生もなかなか尊敬されにくいですわね。そういう商品経済とでもいうのかな、全てがそういうもので回るようになってしまったところが敬いが見えにくくなったということやとボクは思います。だから敬うものが見つかりませんと喜ぶものは見つかりません。比べる世界しかありませんから。損か得か、上か下か、こればっかりです。だから敬いということがはっきりするところに大きな喜びも得られるんです。それをお釈迦さまは私の親友だとまで云って下さるのですね。この経典では浄土のありとあらゆる人たちが褒めて下さるといいます。
諸仏称名
「もろもろの菩薩・声聞・大衆によってともに歎誉しその功徳を称せられん」と。阿弥陀を褒めているんですが、次にはそこに生れた者もようこそこに立ってくれたとほめられるわけですね。浄土に生れた者が仏になっていく時には、今度は沢山の諸仏方から褒められると書いてあります。阿弥陀に出遇うということは、今度は阿弥陀の世界を証していく者になる。そこに十方の諸仏によって褒められるようなことが起ると、ここまで書いているわけです。この辺が阿弥陀仏によって助けられるというとなんかということじゃないかと一方的な関係ですが、阿弥陀によって生きる道を見出した者は今度はその阿弥陀の世界を証ししていくような人になっていくんですよ。一方的な助けられるというようなあり方ではなくて仏法を担っていくような、仏法を輝かせていくような仕事を頂くんです。安田理深先生がいつも仏法の救いというと問題を取り除いてもらう、なんか楽になるというように考えるというけれど、そうじゃないと仰っていました。救いというのは仕事がなくなることじゃなくて、何もせんでもよくなることじゃなくて、一生かけてし続けていける仕事を貰うことなんだと仰っていました。つまり苦労が消えてなくなるんじゃないんですよ。このためなら苦労しても構わんというような生き方を頂戴する。だから楽になると云ったら大間違いで逆に生きている間やり続けるようなお仕事を頂戴する、これが救われるということじゃないかと仰っていました。早く楽になりたいと思っている人間にとっては、そんな救いならいらんと思いがちなんですけれど、本当はやりがいのあるものに出会いたいということを人間は持っていますよね。それが見付からんもんだから目先のこと、あるいは世界に流行っていることにどうにも追いまくられることになるんですが、これが私のやるべきことだったのかということがはっきりすれば、そこに人生を懸けていくことができる。そういう人の誕生を周りの人たちも喜んで下さるということがここに書かれているわけです。そして改まってこう云いますね。「我無量寿仏の光明威神、巍巍殊妙なるを説かんに、昼夜一劫すとも尚未だ尽くること能わじ。」
私は無量寿仏のすぐれていること、山のように高くことに妙なることをどれほど説こうとしても、例えば昼も夜もずっと褒め続けて一劫という長い時間をかけたとしても、とても尽すことは出来ないであろうと。阿弥陀の功徳、これは阿弥陀の光のはたらきだけじゃありません。それによってどんな人が生み出されるのか、ここまで云ってますね。光がどこにでも届いていくということに終わらずに、光に遇ったものがどうなるのかという功徳がここに説かれています。どれほど説いても説き尽すことが出来ないと釈尊が仰っているところです。これが無量寿仏の光明の功徳、無量寿仏とはどんな仏さんであるかということを光の面から押さえて下さった一段であります。
寿命無量
阿弥陀仏の功徳「光明無量」のところを一応読み終えて、「寿命無量」に進みたいと思います。聖典では31頁、小さい番号の40です。まず阿弥陀仏の寿命は長く久しくしてとても我々が量ることは出来ないと云います。これは願文で云えば第13番目の寿命無量の願の成就を語っているわけであります。お経の中に明確に出ているわけじゃないんですけれど、古来からこれは一人も見捨てないという慈悲のお心を表わすと云われてきました。つまり寿命が長いというのは長生きしたいとそんな話と違いまして、一人でも苦しみ悩む者があるならば決して見捨てないという、そのお心を寿命の長さをもって表わすのですね。もうちょっと云うと寿命は長いという形で語られますけれど、長さで量れないいのちなんです。無量寿仏というお名前そのものがそうであります。我々の思いを超えている、そういう寿命を知らせようということであります。ここに一つの譬えが出ています。「汝むしろ知らんや」と。あなたはどうして知ることが出来ようか、と云うんですが「たとい十方無量の衆生、みな人身を得て」の無量の衆生というのは生きとし生ける者ですから別に人だけではない、ありとあらゆる者が皆人の身を得て、声聞縁覚というようなそれなりの覚りを得て、そしてその智慧のはたらきをもって無量寿仏を量ろうとしたとしよう。皆が集まってその力を集めて阿弥陀仏を量ろうとして、しかも「思いを静かにし心を一つにして」ですから精神を集中して全てを尽して百千万劫というものすごく長い時間をかけてその寿命を量で数えようとしても限界を知ることはできないと云うのです。この譬えは長い長い時間をかけてもとなっていますが、実は私たちの長いとか短いというような思いをはるかに超えていることを表わそうとするのです。古田和弘先生はこの「無」は人間の考える量と関係がないと読んだ方が良いのだと仰っていました。分量と関係がないという程の意味として読めということなんですね。無量をむちゃくちゃ長いというふうに読んでしまうと却って誤解を生じてしまうんですね。分量と関係がない。それを云うのにあえて身近な譬えから我々が想像もつかない長さの単位で語ろうとするのです。ここでちょっと願文に戻っておきましょうかね。
第13番目の願、聖典17頁です。「たとい我、仏を得んに、寿命能く限量ありて、下、百千億那由他の劫に至らば、正覚を取らじ。」たとえ私が仏を得るとしても寿命に限量があるとしたら覚りを取りませんと云っているわけです。量ではかれるようなことであれば私は覚りを取りませんというのですね。その譬えとして出ているのが「下」ですから、少なくともです。百千億那由他の劫と書いています。少ない方の譬えに百千億那由他の劫という滅茶苦茶長い時間を出してきて、そんなんで量れるとすれば私は覚りを取りませんと云ってるわけです。長さで量れないようないのちを云おうとしてるわけです。これが長い歴史の中で先人たちが読ん できてくれたように一人も漏らさないというお心を表わしているのです。だから無量寿仏というのはいついかなる時代にもはたらく仏さまです。時代がどう変わってもこの働きは失われない。こういう仏さまなんですね。これもお釈迦さまが褒め讃えなければならない理由の一つです。お釈迦さまはボクらお顔を見たことありませんけれど、2500年経った今でもはたらいているすごいお方でしょう。
でもそのお釈迦さまでも自分のはたらきには限りがあると仰るのです。そのうち私の教えは通じなくなる時が来るかもしれない。時代が変わって言葉も通じなくなる時がやって来るかも知らんと予め仰っているんです。でもこの無量寿仏のはたらきは決して色褪せることはないと。だから私の言葉をあてにしたり、私にすがろうとするんじゃなくて阿弥陀に出遇ってくれ、無量寿仏の世界に出遇ってくれということをお釈迦さまはこのお経の最後に遺していくんです。これすごいことやと思いますよ。これはお釈迦さまにすがって覚りを得ようとしている人からすればなかなかこのお経は頷けないでしょうね。そんなこと云わないでくださいお釈迦さまというわけでしょう。やっぱりお釈迦さまが私たちの希望の星ですと、お手本ですと。大体こうなるんじゃないですか。でもこのお経では少なくとも私の真似をするんじゃなくて阿弥陀に出遇えばいい。出家の修業とかその形にとらわれなくてもいいと仰るのです。阿弥陀に出遇えば、どこにおいても道は開けるということをお示し下さっているのです。お釈迦さまは本当にすごいお方ではありますけれど、そのお釈迦さまも無量ではないのです。無限というわけにはいかない。無限なのは阿弥陀なのだと仰るんですね。でもこれがね、さっき云っていたことと関係しますが阿弥陀が無限だというのはある意味で法則、決して時代が変わっても消えることのない真理だという意味ではなるほどと思いますけれど、それがどこで証しされるかということがとっても大事なんです。無限の真理があったとしても、それを頷く人あるいは証しする人がいなかったら、その真理は表に出ませんよね。これが法蔵の云い方で云えば「開法蔵」という言葉で云われますが、教えは今まで、長い間、蔵のように積み重なってきたんです。この大経で大事なのは法蔵菩薩は一人の偉い仏さんじゃないんですよ。昔々その昔から有名な人だけを挙げても53人の仏さまの名前でずうっと伝えられてきた、で54番目に出られた世自在王仏に法蔵は出会った。つまり時代が変わってもこれが大事だということを伝えてきた歴史がある。云い方を換えれば同じような失敗をしてきているわけですよ。力で抑えれば平和が訪れるかと思ったり、一人の王さまが出たら幸せになるだろうかといった時代もあります。あるいは皆平等に分配すれば良いと云ってね、共産社会に夢を抱いた時代もあります、そんなことは全部ありとあらゆる国で証明済みなんです。余談ですけど共産主義というのは話とすればその通りだと思います。ところが人間の根性がそれについていけない、皆な平等に分配することを許せない根性があるもんですから、共産主義は内部から崩壊していくんですね。主義として間違っているわけじゃないと思いますよ。でもそのことを支えてる人間が壊していくんです。だから理想の国と云った時代もありましたけれども、理想ではなかった。資本主義も一緒です。資本主義は資本を持っている者にとっては居心地いいかもしれませんが、持っていない者にはものすごい冷たい主義なんですね。どうなったら本当の安心できる国が出来るかを山ほど求めてきた歴史があるんです。これを54人自分に先立つ仏さまとして仰います。そして世自在王仏に聞いた、どうやったら誰もが安心できる国になりますかに出された国が何と二百一十億でしたね。二百一十億という国を見て、こんなことは止めねばならぬ、こういうことは痛ましい、どうやったらそれを超えられるかということを学びに学ばれたのが法蔵菩薩です。
法蔵菩薩のお仕事はありとあらゆる教えが溜め込まれた、それをこじ開けて下さったんですね。一人だけ偉い仏さんと違います。ありとあらゆる仏さまに学ばれた方です。これを親鸞聖人は「集仏法蔵」仏の法蔵を集めに集めて下さったと仰います。これば法蔵菩薩のお仕事なんです。そしてそれを私たちに施して下さった「施凡愚」と云われます。念仏正信偈の中のお言葉です(聖典410頁)。法蔵菩薩はご自分が集めて人々に与えたことがちゃんと証明されていくようにということを願っているんですね。これが沢山の仏によって自分の仕事が証明されたい、証しされたいということを願うんです。本願文では第17番目の願です。諸仏によって自分の名前が褒められるようにと云ってます。ちょっと聞くとなんか私を褒めてほしいというように聞えるんですが、そういう意味じゃありません。褒められることを通して法蔵があっちこっちに伝わっていくんですよ。この長い間かけて明らかになってきた道がどこへでも届いていくことになるということを云うわけです。まぁこういうことが「寿命無量」を考える時に法蔵菩薩お一人だけでは成り立たないということを思うんです。一人だけいつまでも変わらないと云ってもいいんですけれど、それは証ししてくれる人がいてこそ法蔵の世界を私たちは頂けるわけでしょう。さっきも云いましたけど、阿弥陀さんがポーンと飛んできたということはないんですよ。阿弥陀の世界を頷いている人、その人を通して私たちこんな世界があるんかと。阿弥陀とは何者やと疑問から入るかもしれませんが、そういう形で出会うことが始まる。寿命無量と云いましても一人だけ長生きしている仏さんがいるというような、そんな話じゃない。そこには脈々と続く、灯を伝えて来る伝統があるわけです。伝統とはだいたい仏教では灯を伝えることですね。伝灯と書きます。こういうように灯が灯もるということが仏さまが現れたということですけれど、その光を次々と灯して下さる方が生まれてくることを抜きに仏の世界は相続しないんです。でも念の為に云っときますが、 お釈迦さまのお覚りに関ってよく云われることで、お釈迦さまが覚っても覚らなくても真理は増えもしないし減りもしないというんですね。だからお釈迦さまが覚ったからといって真理は増えたわけじゃない。あるいはお釈迦さまが亡くなったからと云って真理が消えるわけでもない。法則というものはそのようにずーっと続いているものがあるわけです。しかしそれは私たちが縁を持つときには必ずお釈迦さまとなって現れたりね、インドで竜樹菩薩となって現れたり、中国で曇鸞大師となって現れたりということを抜きにしては、その法の世界はいただきようがないわけであります。これが脈々と伝えられてきた伝統の世界なのです。だから「寿命無量」は私はいのちを終えないぞと云っているようですけれど、それは十七願と合わせ、つづけていくて読めば様々な方によって証しされ、続けていく、灯がちゃんと灯り続けていくということと重なって読めてくるわけであります。なんでこんなことを云うのかと云えば、私自身が長いこと阿弥陀さんはお浄土に一人ポツンといる仏さんやと思っていたんですよ。でもずーっと読んでいくとそんなんじゃないですね。お浄土は大変賑やかな世界です。阿弥陀さんの回りにいろんな人がいるという世界です。でもボクはなんかイメージで阿弥陀さんが一人待っているところに自分が一人出かけてくようなイメージです。でも往った世界は実は無数のお方がおられる。お前も居ったんかと云わんならんかもしれないんです。あいつまで居るんかと云わんならんかも知れないんですが。要するに一人も漏らさないのが阿弥陀の世界ですから、いろんな方々によってそれが証しされていくんです。
曇鸞の浄土観
これをボクはここで何遍もお話ししていますが、実は何年前か知れませんが一度愕然としたことがあってね、曇鸞大師の浄土論註という本ですが、「一仏主領三千大千世界」一人の仏さまが主として全世界を治めていくなら、それは小乗仏教の考え方だ、狭い覚りを求めるあり方だと書いてあるんですよ。ボクは正にこういう考え方をしてましたからボクの考え方は曇鸞大師がいう大乗の仏教、誰もが仏になるという広い仏教じゃないということを教えられました。初め目を疑いました。だって自分の思っている仏教が正しいものと思ってましたので、頭を殴られた思いでした。もしかこんなふうに阿弥陀さんのことを考えるならそれは狭〜い受け止めだということなんです。尽十方無碍光如来、阿弥陀さんとはどういう仏さんかといえば「諸仏遍領十方無量無辺世界」と書いてあるんですね。一つの三千大千世界に止まらずそれがもっともっと広がり続けていく。どこまででも広がっていくような動きをもっているということを十方に限りなく果てがない世界だと云っておられます。それがどうやって成り立つかと云えば「諸仏」です。もろもろの仏さまが遍くありとあらゆるところを治めておられると書いてある。これが阿弥陀のあり方、はたらきなんですね。だから阿弥陀の世界と云えばどこかに固定した場所があって、そこで阿弥陀さんが一人待って下さっているというような、そんなんと違うんです。つまり念仏する人の居られるところにどこまでも広がっていく。裏を返せば念仏する方々が生まれなければ、阿弥陀は自分のはたらきを出してみようがない。だから阿弥陀と諸仏はどっちが偉いかという話ではなくて阿弥陀の世界を頷く方々、これを諸仏と云っていますが、諸仏を通して阿弥陀の世界はどこまででも広がって行きます。お経にはそれは西の方にあると一応書いてありますが、早とちりして西に行ったらいけませんよ。場所は選ばないんです。つまり念仏する人のところに浄土は来ると云ってもいいんです。そこに阿弥陀ははたらいています。前半でお話ししていたことから云えば阿弥陀がはたらくということは狭いものの見方にまた振り回されていたなぁと。見えてるようで何も見えていなかったなぁというのが光が届いた証拠でしょ。今から西の方へ行って光に遇うんと違うんです。教えをいただく、そこに届いて来る、そういうはたらきなんです。それが親鸞聖人にとって一番身近かなところでは法然上人を通してそのはたらきに出会うことが出来たんです。私が諸仏だとそんなことは誰も云えませんし、親鸞聖人も仰っておりませんが、親鸞聖人を諸仏と仰ぐ人はいるわけです。でも親鸞聖人はオレは昨日から仏さんだったとは絶対云わないです。でも親鸞聖人が念仏することによって親鸞聖人の周りにどんどんどんどん阿弥陀のはたらきが届いて行ってるんですね。だからどこまでと限定する必要はない。どこにあるというふうに決める必要のないのが阿弥陀のはたらきであり、お浄土なんですよ。ボクも自分が決めたところへ行くことが往生だと思っていたんです。でもそれは狭い狭い受け止めなんです。これらは広さ、空間のこととして云ってますが、これを時代のこと、時間的な表わし方をすれば寿命無量なんでしょう。いつになっても終らない。いつの時代になっても働き続けるのです。もう一回いいますが、それは阿弥陀さん一人では無理なんですよ。念仏に生きる方がおられる限りこの寿命は無量だということが証しされますよね。だから阿弥陀さんは自分ひとりが偉いと云ってるんじゃないんですよ。沢山の方々によって証明される、そこに阿弥陀ははたらき続けるということなんですね。阿弥陀を証しする凡夫
また安田理深先生のことを思い出しますが、ボクはこれを聞いたときびっくりしましたね。こんな云い方をされたんです。本願が成就するということは、それによって一切衆生がたすかるということである。でも一応そう云えるけれども、一人の人間が念仏者になるということは、今度は本願が生きてはたらくということを証しすることになるんだと。阿弥陀と凡夫ですけれど、凡夫が救われるというのは一応の話しであるが、救われた凡夫は今度阿弥陀のはたらきを証しするという大事な大事な仕事をあたえられるんです。だから阿弥陀さんは偉いけど凡夫は情けないもんやという関係じゃなくて、ある意味で凡夫の上にはたらく阿弥陀というのは凡夫しか証明できないんですね。これをはっきりしないと偉い人でないと阿弥陀さんを証明できないとかね、勉強した人でないと阿弥陀さんの世界を証明できないんではないかと思ってしまいますよね。でも煩悩を具えた凡夫が阿弥陀によって生きる道がはっきりしたとなったら、凡夫にはたらくということを証明するのはこの凡夫なんですよ。これはすごいことじゃないかと仰っていました。だから凡夫というのはダメなもんやという意味じゃないんですよ。凡夫が実は阿弥陀を証明するというすごい仕事を持っているわけですね。そこで本願に救われた、本願が成就したと云ってもいいけれども、却って本願を救うんじゃないかと、ここまで仰るんです。私が本願を救うなんてね、私が法蔵菩薩を成就させたなんて、そんなこととても云えたもんじゃありませんけれど、それぐらいの仕事があるんだと云われるのです。一方的に救う人と救われる者という関係じゃないと云うんです。まぁこれはあんまり真に受けて云わん方がいいんです。私が法蔵を救うんやとかね、私が本願を成就させてやるんやとか、そんなことあんまり自慢して云わんでもいいんですけれど、でも私が本願によって救われるということは、それぐらいのことなんです。つまり煩悩を抱えたこんな根性の者が教えによって生きることが成り立てば、あなたにも道は開けてますよということが出来ますよね。立派になってから救われるんじゃないんです。いろんな根性を抱えたままに念仏によって歩むということが始まるんですね。ですから寿命無量というと一応は何か時代が変わってもはたらき続ける法がある、阿弥陀さんはそういうお方なんだとも云えます。それはそれで間違いないと思います。でもそれは諸仏の証明によって寿命無量ということが確かめられていくんです。阿弥陀の世界に頷く人が名寿命はいのに無量だと威張っておられる仏さんじゃないいんです。人々と共にあるような仏さんですね。このことが次の話しとも重なると思うんですが、32頁まで戻ります。眷属長寿
下の段3行目までは阿弥陀の寿命が限りがないということが書かれてましたね。4行目からこう書いてあります。そこに生れた者の寿命もその長さは量ることは出来ないと。だから寿命無量というのは阿弥陀のお徳でありますけれども、阿弥陀の世界に生れた者にもこういう徳が与えられるということですね。これは本願文で云えば第十五願、眷属長寿の願と云われてます。全体の意味としては「たとい私が仏を得るとしても、私の国に生れた者が寿命に限りがないようにしたい。もしそうでなければ私も正覚をとりません。」ということです。そしてその条件として「その本願修短自在ならんをば除く。」とあります。その本願というのはそこに生れた者が願いを起こすんですね。生まれた者が持つ願いのことを云ってますが、修短は長いか短いか、それを自らが選んでいくことをここでは自在と云っています。浄土でのいのちは限りがない、ところがその浄土のいのちをじっとそこに居続ける、これが長いということでしょうかね。浄土のいのちを自分は長くなくてもいいと短く選んでいく者はその限りではないということを修短自在ならんをば除くと云っています。これはちょっと分かりにくいかもしれませんが、第十五願の時お話ししたように、これ実は浄土は行きっ放しの世界ではないということがこのお経では非常に大事なことになっています。だから浄土に行ってそこにしがみついているんではなくて、ひとたび生れた者はもう一遍旅立ちまして、浄土のことを知らない人のところへ出かけて行って、こんな世界があるぞという仕事をすることがここに示唆されているわけです。だから浄土は居たければずーっと居てもいい。でもそこから出かけて行くのなら、浄土のいのちは案外短かったねぇということもあるんです。だからこれは人々に阿弥陀の世界を伝える仕事を担う者はその限りではないということが云われているんですね。「除く」という言葉がありますので読むのがなかなか難しいところでありますけれども、浄土のいのちを捨ててまで他の世界に出かけて行く、そういう人を視野に入れてこの第15願は書かれています。長生不死の意味
この「除く」ということは、いまちょっと横に置いておきますと、私の国に生れた者はみな寿命が限りがないようにしたい。もしそうでなければ私も覚りを開きませんと云っているんですね。このことを受けて聖典32頁に声聞・菩薩・天・人の衆の寿命は算数譬喩の及ぶところではないと書かれているのですよ。これが眷属長寿の願の成就文ということになります。これがどんなことかということをもう一度考えてみないといけないと思うんですが、無限のいのちをいただくというのはどんなことなんでしょうね。例えば私たち寿命と云えば生れてから死ぬるまでを寿命と云ってますね。しかし死によって大事な人とお別れしたということは、もう二度と前のようにお会いしてお話しすることは出来ませんけれども、亡くなられたたところから始まることがありますね。哲学者の中にも「存在するのとは別の仕方で」という云い方をしている人がありますけれども、今まで居たということとは別の在り方がそこから始まりますね。お別れして終りじゃなくてそこから始まるものがある。となると死んでも終りじゃなくて、死んだところから逆にもっともっと出会い直す、あるいは聞き直すということがるわけですね。正にそうであって、亡くなったところから却って聞けることもあるわけですよ。ずーっと居てくれたらね、甘えてしまってね、文句ばっかり云ってるということもあるんですよ。亡くなられてみてその存在の大きさに気が付くとかね、亡くなられてみたらその方のいうことが響いて来たとか、そういうこともあるわけです。今日安田先生の話を何遍もしてますけれど、ボクは4年間しか先生のお話を聞く縁がなかったのです。月にたった3日です。相応学舎で2日と、真言宗の東寺でも教室をもっておられて十地経論を読んでおられたんですが、月に3日なんです。そこへ行くと勉強したような気になるわけですよ。今日はすごいことを聞いたなぁと。それに帰ってから復習しないんですよ。今日は勉強したなぁと云って満足して寝るだけでした。それにまた一ヶ月待ち遠しいわけですね。それにまた一ヶ月待ちどうしい訳ですね。そんなことをしていて、4年目に安田先生が亡くなってしまいました。そのとき真っ先に出てきた思いが、安田先生が亡くなっていなくなったら京都に居ても一緒やなあと、いる意味もないとここまで思って田舎に帰ることも考えたりもしましたね。そうこうしているうちに2・3か月したあたり、どんな根性が出てきたかと云えば、安田先生も居られんから今度は誰にしようかということです。その時にボクの根性をハッキリ見せてもらったような気がしました。つまり安田先生のところへ行ってるときは勉強したような気になるんですね、気になるんです。本物を聞いたような気になるんです。でも安田先生がおられんようになったら、この先生しかないと思っていた気持ちも嘘じゃないんですけれども、三か月ぐらいで今度は誰について行ったらいいんやと、またぶら下がろうとしてるんです。結局生きておられる間はぶら下がり続けていたんですね。利用していたと云ってもいいかもしれません。そのことをハッキリさせるために安田先生は亡くなられたのと違うかというぐらいボクは思いました。「目を覚ませ」と。まぁ直接呼びかけられたことは2・3回しかないんですけれど、「一楽、目を覚ませ」と云われた気がしました。そこから初めて先生の書き遺されたものを読むということが出来るようになってきましたし、それはもう次から次へと今度はこの人、次は誰やと云うような話じゃない。独り立ちをさせて下さったということが先生の死ということやとボクは思うんです。その意味で云うと生きている限り、ここに居らっしゃるとはとても云えないが、実感から云うとこの辺(首の後ろを指して)掴まれているような気がするんですよ。どっち向いとるんやと云うて襟首掴まれているような感じなんですけれども、こうやって話しさせていただくと安田先生がいつも出てくるんです。だから亡くなってお別れというのも確かなんですけれど、そこからいよいよ始まるということをそういう形で思い知らされたように思います。そういう世界が脈々と続いて来ているんです。歴史への参画
安田先生の話を思い出してみると、安田先生は一生涯曽我先生のお話をしておられました。曽我量深先生は一生涯清沢先生のお話をしておられたそうです。そういうように、立ち上がらされてその世界に引っ張り入れられたというのかな、自分で好んで入ったというよりはその世界に立たされたというのが近いですね。安田先生はそれを資格はないんだけれど加えられる、その仲間に入れられるということを仰ってました。先生は「歴史への参画」というようにそのことを仰ってましたね。仏法の歴史、お釈迦さまから数えて2500年。親鸞聖人からも800年です。でももっと云えば、法蔵菩薩からだったら十劫の昔でしょう。その歴史が自分のところまで脈々と来ている。その歴史に自分も加えられる、参画する。参画と云えば自分もやりますというように聞えるかも知れませんが、これは引っ張り込まれるです。教えに出会うということはそういう歴史に参画させられるということなんだと仰っておられました。ボクは英語は分からないですけど、英語の得意な人に云っておられました、「participation」という言葉があるけれど、あれは一部分を担うということかね」と。だから歴史上から云えばほんの一瞬かも知れません。一点かも知れませんけれども、その歴史に自分が参画していくのだ、それがさっきの話です。凡夫が阿弥陀の世界を証しするという。となると個人の名前は消えてもいいんですね。眷属長寿と云いますけども、私の寿命がちょっと延びたというぐらいの話しじゃなくて、無限の歴史に自分も連なっていくわけです。個人の名前を残すというようなことにこだわらなくていい。歴史の一部分になるということにおいてこれは続いていくわけなんですよ。だからこれは阿弥陀さんの教えを聞いたら寿命がちょっと延びるというような話じゃないですね。親鸞聖人が珍しいことに信心の利益として仰るとき「長生不死」とこんな云い方をなさいます。親鸞聖人にしては本当に珍しい云い方だと思います。これはどういうことか。長生きという字ではありますけれど、そして死ななくなると書いてますけれど、本願を信じたら死なんようになるとそんなんじゃないんですよ。死んでも終らんようなものがあるということなんです。これ霊魂が残るという話と違いますよ。そうじゃなくてこの歴史が残っていくのです。歴史に自分も召されていく、加えられていくという意味で親鸞聖人は長生不死というこんな言葉をお使いになります。
南無阿弥陀仏になる
ボクは20年以上前に平野恵子さんの本を読みましたが、本当に感動しました。この方は41才で全身に癌が転移しましてね、3人の子どもを置いてなくなって行かれました。闘病一年余りであります。その時に子どもたちに何とか自分の出会った世界を残したいといってノートを書き綴られたのが本になって出たんですね。『子どもたちよありがとう』という本でした。元々ノートには『百点満点の子どもたちへ』という題がついている。まぁ自分から見ると子どもたちにはどうしてもダメな子とか劣った子というような点数をつけていたけれども、実は一人ひとりが百点満点のいのちを生きていた。それを知らされたのであなた方にぜひとも出会ってほしいということを伝えるんですね。いよいよ亡くなっていくということを予感しながら、お母さんは平野恵子といういのちを終えていきますと云うんですね。この身体を脱ぎ捨てて、いろんなことにカンジガラメになって、癌をかかえているとか、そんな身体から自由になります。いのちを終っていくと。でも平野恵子といういのちは終っていくけれども、お母さんはナムアミダブツになりますと書いてありますね。ボクはそれを読んだときにハァーと思いました。だからナムアミダブツを称える時にあなたのそばにいつでもいるよと。南無阿弥陀仏という世界にあなた方も出会ってほしいと。平野恵子というこの宿業の身体、癌を抱えた41年のいのちは終っていくけれども、南無阿弥陀仏はどこにでもある。それにあなた方も出会ってほしいと書いておられます。お母さんは南無阿弥陀仏になりますというのが、さっきからいう安田先生の云い方では南無阿弥陀仏の歴史に自分も参加するということなんです。平野恵子といういのちは終っていきますけれども、終らない世界があるということです。だから不死といっても霊魂が残るんじゃないんですよ。そんな怪しい話じゃなくて南無阿弥陀仏がずうっと続いていくという意味で長生不死と親鸞聖人は仰るんです。本願文に戻れば眷属長寿ということですが、これは少しばかりいのちが長らえるという話じゃないんです。南無阿弥陀仏の歴史がずうっと続いていくということなんですね。阿弥陀経にも同じような言葉が出てきます。聖典128頁下の段小さい番号の82です。「舎利弗よ、あなたはどう思うか」と始まります。なぜ西方浄土の仏さまを阿弥陀と名付け奉るのかと。そして舎利弗の答えを待たずにお釈迦さまが自ら説いていかれます。どこにでも届いて行く光としてのはたらき、これが光明無量ですね。だからそれを阿弥陀とお名づけするんですよと。そしてもう一つ、かの仏の寿命もその人民の寿命も無量無辺阿僧祇劫なり。これが第13寿命無量の願と第15眷属長寿の願をまとめて述べてますね、これは呼び掛けとするとボクらも引き付けます。だけど引き付けられて出会ってみると、ちょっと寿命が延びるという話と全然違うんですね。さっきも云いましたように平野恵子という寿命が終っても南無阿弥陀仏があるという、そこに出会った時に41才で終っていくことにいろんな思いはあるでしょうけれど、私の寿命をこれで尽していきますということが平野恵子さんは出来たんだと思います。長い長い歴史に自分も還っていくわけです。親鸞聖人が還られた世界、あるいは蓮如上人が還られた私も還っていく、こういうことでしょうね。だから呼び掛けの言葉という意味ではボクらを非常に引き付けます。でも引き付けられて出会ってみると短くてもこれで寿命が尽きる時が来たと云えることがある。