大無量寿経講話【第9回】 2012/ 10/ 19 一楽 真 師
如来浄土の果
今、上巻の方を読み進んでおります。これは一切衆生を救う願いを法蔵菩薩が起こされたという物語がずっと説かれておりまして、いま読んでおりますのはその願いが成就した、一切衆生の救いは完成したということを確認する部分に差し掛かっています。如来のお仕事が上巻に説かれていますが、なぜ浄土をお立てになったのか、その部分は一応読んできたわけです。出来上がった世界がどうなっておるのか、これは上巻には如来浄土の因果、阿弥陀如来の浄土の因と果について説かれている。その時に今は果の部分ですね。どのように浄土が出来上がったか、あるいはどのような仏様になられたのか、そういう部分に入っているわけであります。真宗聖典の30頁、下の段で5行目から読んでみましょう。無量寿仏
どんなことがここに語られているかといえば…無量寿仏、これ法蔵菩薩が仏さまになられた時のお名前で一般的には阿弥陀仏という名前で知られております、これはインドの言葉ですが、このお経は時に、阿弥陀仏を漢字で意味の判る言葉で表現しておられます。無量寿仏、寿命を量ることのできない仏さまという名前で何回も出て来ます。その威厳あるお光が最も、どんな仏さまよりも増して輝いておるということを「最尊第一にして諸仏の光明及ぶこと能わざるところなり」というように云うわけです。言い方をかえれば、阿弥陀仏とはどんな仏様ですかといえば光のはたらきなんですね。光とは物を見せてくださる、そういうはたらきです。我々もそうでして、目がどれほど良くても真っ暗闇では物が見えないわけです。普通はこの眼で全ての事が見えておるつもりですけれど、仏さまの光に照らされてみると見えておったつもりの事が本当は見えてなかったということがはっきりする。判ったつもりだったけど薄っぺらいところしか見てなかったなという事が教えられる。ですからまず、仏を光のはたらきとして説くのがこの部分であります。少し前のところ、前回読んだところでは、まず国の方からのお話でありました。その仏国土といいまして阿弥陀の国はどんな世界かということが書かれておりましたが、今日のところはど真ん中というか、どのような仏さまなのかということを語る一段であります。全体が限りのない光として語られます。今日表まで来ましたら、「仏光無量」と講題が掲げられてありました。あれで尽きているわけですよ、仏の光は無量である。つまり限りのないような光、その中身をここは詳しく説いてくださっているのです。無量と言いましても僕らはなかなか想像つきませんもんね。なんていうか、明かりというのはワットで測ったりルクスで測ったり、そういうことしか分かりませんので、これは無量じゃない。仏光無量ですからそのはたらきはどれほど照らしても終わることがないのですよ、どこにでもはたらいていく、時代も問わないし民族も問わない分け隔てすることもありません、どんなものの上にもはたらく。そういう光のことが後で詳しく出てまいりますが、一言申し上げておきますと阿弥陀仏は光のはたらきなんですね。私たちに物をみせて下さるお光であるということです。教主と救主
次の部分は、まず諸仏に対して阿弥陀仏の光が最も尊くて第一であるという言葉が出て来ます。このあたりを読むとすぐに仏さまを比べるような考え方になってしまうんですね、他の仏さまはもう一つで阿弥陀仏が一番偉い仏さまだと、こんなふうに聞こえてしまうんですね。そう言う意味ではありません。お役目がちがうんですよ。諸仏というのは沢山の仏さまを指しますが、一番思い描いていただきたいのはお釈迦様。仏教はこのお釈迦様から始まったことは常識ですが、お釈迦さまは実は沢山の仏さまがおられる中の自分は一人だというお立場に立っておられます。俺が仏教を作ったとは云わないのです。なぜかといえば、仏教というのは人間がなぜ迷っているかという法則なんですね。これを教えてくださるんです。言い換えればどうやったら傷つけ合うことを越えることができるか、この法則、道理と言い換えてもいいですが、その道筋を教えてくださるのが仏教なのです。お釈迦さまは自分に先立ってその道を歩んでくださった方があると仰る、これが過去の諸仏です。現在この世界だけじゃなくて、あちこち他方世界にも沢山の諸仏がおられると仰る。さらには未来にもたくさんの仏さまが出てくると仰る。仏教というのは他の宗教と違うと思うんですが、誰もが仏になる教えなんです。法に目覚めれば、お釈迦様と同様に誰もがブッダになっていくことができる教えなんです。一人だけ仏さまがいて、私たちは救われる側だという関係じゃないんです。法に目覚めてブッダになったお方、私たちもそのお釈迦様の目覚められた法に出遇うことができれば誰もが仏になれる、こういう道なんです。私は仏になりたくないという方もおられるかも知れませんが、迷いを超えて入涅槃なさいましたね、自分の人生を生ききって何の後悔も残されなかった、満足して生ききられた、これが釈尊の入滅という出来事であります。だから生まれ変わらしてくれと云う必要はないんです。満足するものに出会ったからです。自分の人生を完全燃焼して生ききることができたからです。その道をお釈迦さまは教えてくださった人で、過去にもそういう仏さまは沢山おられた。今も未来にも出てくるというところにお釈迦さまは立っています。諸仏というのはその時代時代に現れて周りを照らすという役目をしてくれるんです。お釈迦さまなら2500年前のインドにお出ましでしたね、そういう仏さまに対して阿弥陀というのは比べられない。阿弥陀は時代が限定されないということです。民族とか国も関係しません。どこにおいてもはたらく、そういう仏さまであることをその光は最尊第一だと、諸仏の及ばないところだという云い方をしているのです。御釈迦さんと阿弥陀さんとどっちが偉い?という話じゃないんです。極端に云えばお釈迦さまがお出ましにならなかったら阿弥陀という世界は明かされませんでした。逆に阿弥陀という世界に目覚めることによってお釈迦さまはお釈迦さまたり得たという関係です。実際に人の形をとって現れて下さるのはお釈迦さまとか具体的な人なんです。そういう人を生み出す法、それが阿弥陀という名前で呼ばれているのです。これを親鸞上人でいいますと一番近い仏さまは法然上人なんですね。法然上人がいなかったら私は阿弥陀という世界には出遇えなかったとう云うんです。法然上人を通して阿弥陀という世界に出遇えた、これを感謝し尽くせない言葉で述べておられます。じゃ、法然上人一人が偉いかといえば、そうではなくてその前に日本で云えば、源信僧都とか聖徳太子とか日本に仏教を広めて下さった方々の働きがあったから法然上人も出てきたんです。日本の仏教のないところに、いきなり法然上人が生まれることはないいんです。そういう代々伝えられてきた方々のお仕事を仏のお仕事として頂いておられる。キリスト教のことをあまり言えませんけど、いろんな宗教を見ますと救世主というか救い主が想定されているんです。自分がその救い主に取って代わることはない。救い主がいて自分は救われる側なんですね。でも仏教はこう考えるとわけがわからなくなります。お釈迦さまは救い主じゃない、人間が迷い苦しむ法則を教えてくれた、苦しみから救われる法則を説いた方なのです。ブッダ自身もその法則によって迷いを超えることが出来たんです。古い経典では、私は古い道の発見者だといいます。発明したんじゃない、迷いを超える道を発見したと云います。かつて歩んだ人がいたが、それが埋もれていたのですね、改めて掘り出したということです。代々代々これが大事だという人がいて仏教が今まで2500年続いていると思いますよ。上座仏教と大乗仏教
ある人は仏教は伝言ゲームのようだと云いました。お釈迦様の云ったことが現代まで一語一句間違わずに伝わっているのではないのであって、伝言ゲームのように途中で変わってきているという批判的な云い方です。でも僕は伝言ゲームと仏教が伝わってきたのは全然違うと思います。何故かというと伝言ゲームは最初に言ったことを一語一句間違わずに最後まで伝えるのが勝負を決めます。仏教はそうじゃない、先の方の言葉を大事だと思って本人がそこを生きていくことがなければ仏教を聞いたとは云えない。お釈迦さまの言葉を生きていくにはどこにポイントを置くか人によって違うのは当たり前なんです。国が変われば自ずと変わってくることがあるんです、云うたついでにお話させてもらいますと、仏教の伝播を考えると面白いですね。(インドからアジアの地図を描かれる)台湾、スリランカ・・・お釈迦さまが歩いておられたのはガンジス河の周辺です。スリランカ、東南アジアに伝わったのは南伝といいます、上座仏教ともいいます。ここはインドと気候も似ていますので元のインドの仏教がそのままの形で伝わったと言って良い、ボロ布一枚身につけて托鉢に回る。ところがもう一つ北側に伝わったのはインダス河の上流、この辺りがガンダーラ・パキスタン・アフガニスタン、これを北伝といいます。これは否応なしに仏教とは何かにさらされるんです。服装を南の方のままではダメでしょ、パキスタン・アフガニスタンって雪が降りますから、そんなとこで布一枚では死んでしまいます。そしたらもう一枚着る事を許してもらえます、一枚がOKなら二枚もとなります。もう一つは、あの辺はシルクロードですね。ですから西の方から来た文化や宗教と対話することが起こりますね。ぼくらでもお寺へ行って話を聞いてますって云ったら、何聞いてますか?ってなりますね。仏教ってどんな話?ってなったりするでしょ。問われて答えることがこちら側がどう聞いているかを確かめる大事な機会なんですね。そういうことが北の方では特に起こったと思います。その時、南の方は出家中心ですけれど出家者しか救われないかといえばそうじゃない、出家者によって在家者も救われると云うけど出家者の方が上かという問題になります。上も下もない、じゃ仏教の根幹は出家ではないのかとなります。それが一番問われたのは日本の親鸞聖人の時ですね。親鸞聖人は結婚もされましたし、たぶん酒も飲まれたことあるでしょう。酒のことを書いた言葉がでてきますから、魚を食べたとも思われます。そんなことをしたら仏教徒といえるのかという風あたりに合うておるのですよ、何をもって仏教というか、おのずと確かめられるということがありますね。もとのインドのお釈迦さまがなさっていた通りのことは南の方へはきちっと伝わっていますが、それだけが仏教とは決めつけられないものが必ずあります。時代と共に形が変わってきています。形を変えたら最早仏教ではないのかという問題も残るのです。もちろん元の2500年前の仏教の研究もあります。それはそれで大事な研究です。しかしそれだけが仏教だとすると、北に伝わって中国や朝鮮や日本で生まれた仏教は仏教と云えないのかという課題があるでしょう、親鸞という人はまさにそれに向き合った人です。特に北の方で伝わってきた仏教が大乗という云い方ですね、大きな乗り物、誰もが乗ることが出来る、これが仏教の基本的に大事な点ですね。仏教の東漸と展開
話戻りますと、元の形がそのまま伝わるということはできない、お経といえどもその内容が時代と共に増やされたり展開することが起こっている。その展開したものは仏教が変質したものと観る人がいますけれど、新たに仏教が膨らんだという見方もあります。沢山の先人がいらっしゃいますけどそれぞれが仏の教えとはこれだということを確認し、それが大事だと思って次世代へお伝えしようという形で脈々と流れてきたんですね。もし聞いた人がこんなもん大事じゃないとしたら仏教はそこでストップしたでしょうね。でもこれは人間の眼にはないこと、仏さまのお言葉としか云えない、仏さまの智慧として仰ぐしかない、こういうことを感じる人が代々伝えてきたのです。だから仏教とは何?ってひと言では云いにくいですね。これだけ形が違うものがありますから。でも根っこは一つだと思います。それは苦しんだり傷つけ合ったりするのをどう超えていくか、またそれが痛ましいということ、これから出発していることは間違いないと思います。それを云わない仏教があるとすれば、仏教という看板は下げた方がいい。宗教が先じゃなくて苦しみ傷つけあう痛ましい現実、これに応答しながら仏教は展開してきたのです。今から先も仏教はどんどん形を変えていくことは有り得ますね。いまどんなことが起こっているかというと、アメリカや南米の方へ行っています。日本人の移民とともに移っていったという事があるけれど、そんな中、いま大谷大学にマイケル・コンウェイという人が来ています。ネイティブのアメリカ人です。日系で云うと4世から5世の世代に入ってきています。移民のところで大事にされてきた仏教の中から、仏教に触れる人が出てきた、150年くらいかかってるわけです。インドから中国へ渡るだけでも500年かかってますね、中国から日本へ渡って来るのもまた500年経っています。500年とか1000年という単位なんです。いま大谷大学にいるマイケル・コンウェイという人は一人ですけど、また向こうの宗教と対応しながら仏教が更に展開するかも知れません。それくらい長い話です。日本の僕らが馴染んだ伝統文化で真宗教団はこうだとか、真宗の教えはこうあるべきだと云ってアメリカとか南米の仏教を批評するとしたらどうでしょう?出家仏教から在家仏教は許せないというのと同じ話になってしまいます。無量寿仏という名の法則
そこでもう一回戻ります。伝言ゲームのように最初の形を一語一句変えずに伝わってきたのが仏教ではなくて、民族や時代と呼応しながら膨らんできた面があるということです。今からどんな未来の仏が出てくるか分かりませんがその一番根っこを流れているものとして、過去の仏も阿弥陀という世界に目覚めて仏になったし未来の仏もそういう形で生まれてくるという法そのものの世界を阿弥陀と名付けているのです。どの仏さまが偉いかという文脈でここを読むと読み誤ります。ただここは阿弥陀仏によれ、無量寿仏によれとお釈迦さまがいうものですから、お釈迦さまのお言葉としてもう一回読みますね。「仏、阿難に告げたまわく」と、告げるとは告知の告ですね、古田先生が仰ってましたが、語りたまわくは云わはった位やけど、告は重いんやと。「無量寿仏の威神光明、最尊第一にして諸仏の光明及ぶこと能わざるところなり。」だから阿弥陀によらないといけない、無量寿仏の光によらないといけないという事です。これは親鸞聖人と法然上人の関係で云えば親鸞聖人が法然上人に帰依したら変な話になりますね、法然上人に一生ついて行きますという話じゃない。法然上人が教えて下さった阿弥陀という世界を私は拠り所にしますと親鸞聖人も云いますし、法然上人も望んでいますね。もしか阿弥陀を見ずに法然上人について行きますとなったら、法然上人は悲しまれるでしょうね。仰ぐものを間違うとるということはそういう文脈でいうと法然上人の言葉としても云えますね。最尊第一、仰ぐべきものは無量寿仏の光だと、この私ではない。 それと関係づけてお釈迦さまを思い浮かべればお釈迦さまだけが仏さまですと云うたら、そうじゃない私もたくさんいる仏の中の一人だと、どの仏も阿弥陀によって仏になったんだからあなたも阿弥陀に出遇えとここで云ってるんです。どの仏さまが偉いかという比べ合いではないんです。難しいのは、どうしても仏教はお釈迦さまからスタートしてますから多くのお経も仏説というはお釈迦さまがお説きになったとして伝わっています。その中に阿弥陀のことを説く経典も幾つか出てきます。この大無量寿経を読む限りお釈迦さまは私に依るのではなくて阿弥陀に出遇えということを何回も繰り返して云われるんですね。仏説諸仏…人道経
戻って続きですね。「あるいは仏の光の百仏世界を照らすあり。あるいは千仏世界なり。要を取りてこれを言わば、すなわち東方恒沙の仏刹を照らす。南面北方・四維・上下も、またかくのごとし。あるいは仏の光の七尺を照らすあり。あるいは一由旬・二・三・四・五由旬を照らす。かくのごとく転た倍して、乃至、一仏刹土を照らす。」ますます倍していって一仏刹土、一つの仏刹、仏の世界全体を照らす光もあるというわけです。ここでは大変短くまとめてありますが、これを親鸞聖人が取り上げられた別の訳を見ておきます。聖典302頁の2行目からですが、題名も非常に重視しておられます。題名から読みますと「仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経」といいます。諸仏と阿弥陀が並んで出てまいります。諸仏と阿弥陀のお仕事が違うんですね。阿弥陀は仏を産み出す法そのもの、はたらきそのものと云っていいです。そのはたらきによって生み出された諸仏というのは具体的な時代と場所をもって現れます。お釈迦さまなら2500年前のインドということです。その時代を生きられて2500年経ってもまだお釈迦さまの威神力というのは日本にまで届いていますね、すごい範囲です。お釈迦さまの教えを受けて生きた人の中にも阿弥陀の世界を生きた人もいるはずです。でも名前は残っていない人もいますね。さっきの例で云えば身の回りを照らされた人でしょう、遠くまでは届かなかったということです。でもどっちの仏さまが偉いかという話ではないことがここに出てきます。長いですけど6行ほど読んでみます。仏の言わく、「阿弥陀仏の光明は最尊第一にして比びなし。諸仏の光明みな及ばざるところなり。八方上下無央数の諸仏の中に、仏の頂中の光明七丈を照らすあり。仏の頂中の光明七条を照らすあり。仏の頂中の光明一里を照らすあり、乃至 仏の頂中の光明二百万仏国を照らすあり。」仏の言わく、「もろもろの八方上下無央数の仏の頂中の光明の炎照するところ、みなかくのごとくなり。阿弥陀仏の頂中の光明の炎照するところ、千万仏国なり。諸仏の光明の照らすところに近遠ある所以は何んとなれば、本それ前世の宿命に、道を求めて菩薩たりしに、所願を照らすに、功徳おのおの自ずから大小あり。それしこうして後、仏に作る時に至りて、おのおの自らこれを得たり。このゆえに光明転た同等ならざらしむ。」と書いてあります。つまり、もと菩薩であった時の苦労の度合いによるんですね。どれだけの経験をしているか、どんな痛ましいことに出会っているか、前世の宿名ですから、長い期間をかけて菩薩の修業をしている、その時にこの問題に答えないといけないとなったらその問題に答えていくような生き方が生まれますね。苦労の度合いというと、苦労したほうが偉いとなると厄介ですけど、でも自分一人だけの世界で生きてきた人とたくさんの人の悩みに向き合ってきた人とはおのずとひと言出る言葉でも違いますね。自分だけを規準にしている人は、人の悩みには冷たかったりします。でも本当に相手の苦しみは簡単じゃないと、一人ひとりのことに出会っていると軽々しく答えなんか言えませんね。それがその人の道を求めていく歩みを深くしていくのです。菩薩の時の修業の度合いという形でこういう言葉が出ています。仏になった後も相手に応じて答えられることが深いのです。
お釈迦さまを例にとると、お釈迦さまの応答のしかたというのは人間の悩みだけじゃなくて生き物、生きとし生けるものの悩みにお釈迦さまは通じておられるということを教えるために、お釈迦さまの前世は鹿の王様だったとか、ある時は兎だったとか、虎に体を与えた人だったとか、いろんな物語が出来ていくのです。それは実体的な話じゃなくて、そういう背景がなければあれだけ深いお釈迦さまの言葉は出るはずがない。動物たちの世界にまで目が行き届いている、植物たちの声にも耳を傾けている。これがお釈迦さまのジャータカ物語です。
そのお釈迦さまが阿弥陀には遠く及ばないというのです。ありとあらゆる悲しみと苦しみを 見尽くしている、これを阿弥陀の世界にお釈迦さまも仰いでいる。阿弥陀の照らす範囲が大きいということはそれだけ悩みが深い、人の痛みを見る眼が広くて深いと云えます。
もう一遍前から8行目を読みますと「おのおの自らこれを得たり、このゆえに光明転た同等ならざらしむ。」とありますが、同等ではない。照らす範囲が「諸仏の威神同等なるならくのみと。」このひと言は非常に大事です。照らす範囲は違うんですけど、諸仏の威神、つまり威厳を持っているということ、人間世界の悩みに対しては人間の眼を超えた世界を生きておられるという意味では仰ぐほかない、それは照らす範囲の大小に関係なく、仏という意味では同等だということです。照らす範囲、距離や時間もありますけどそれで仏さまをランク付ける話じゃない。それぞれのご縁によって身の周りだけ照らした方もある、生きている間だけ輝いた方もある、命終わった後も輝き続ける方もある。それぞれです。しかし仏の世界をこの世の中で見せて下さった、身をもって私たちに知らせて下さったという意味ではどの仏さまが上か下かという話ではない。恐れ多い話ですけど、念仏して生きるということはそういう仕事をいただくことなんです。日頃の勝ったか負けた、得か損という世の中の物差しはほっておいても渦巻きます。でもそれだけで振り回されることはどれほど痛ましいか、それは上っ面の味方なんだということを頷いて自分が生きるということは、自分もそれをいただいていくと共に周りの人にそれが伝わっていく可能性もあるのです。身の周りを照らすだけかも知れませんが、この世において仏法を輝かす、あるいは仏法を私の身において証するという大事な仕事があります。その辺りを踏まえて親鸞聖人は念仏者を諸仏と等しいとおっしゃるんです。弥勒と同じという言葉もあります。気を付けないといけないのは親鸞聖人がそう仰って下さったからと云って、俺は諸仏と同じだとはならないことです。念仏して生きるということ、この世で仏法を頂いてこの世に仏法を輝かせていくことが仏の仕事と重なるということです。私は生きている限り煩悩具足の凡夫であるということは何にも変わりません。でも凡夫が仏法によって生きる道が開かれるということを明らかに出来れば、凡夫において仏法が輝くわけです。これは長年修行して高貴な道を歩いている人にはできない仕事かも知れませんね。欲望輝いていろんな根性を持っている凡夫が仏法によって生きていく道があるということを人に示すことになるんです。
いま読んだのが2世紀ころに訳されたお経なんです。無量寿経より200年位先のお経です。大変詳しく説いてあります。今日読んだ無量寿経にはさらっと纏めてありましたが親鸞聖人は教行信証では古いほうのお経のお言葉も引用しておられます。これも親鸞聖人の念の入ったところでありまして一つのお経だけでは言い当てきれないと見ておられるのです。特にこのことばですね。「諸仏の威神同等なるならくのみと。」という言葉はさっき読んだ無量寿経にはなかったですね。これを外すと阿弥陀さまをランク付けする誤解が生じます。それをわざわざ古いお経から引いてくることによって、これはランク付けじゃないことが確かめられるのです。
十二光仏
30頁にもどりましょうか。無量寿仏の威神光明が最尊第一であるとは私たちが依るべきものは無量寿仏の光明、阿弥陀の光だということをお釈迦さまが念を押して確かめて下さっているんですね。その光の中味は次のところ聖典30頁の後ろから6行目「このゆえに無量寿仏を、無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・焰王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と号す。」12の光が挙げられています。仏さまの元々の名前は無量寿仏として一貫して出てきます。その無量寿仏がここでは12の光で抑えられているのです。12種類の名前を挙げるということは光の働き方がいろんな形を取るからなのです。「それ衆生ありて、この光に遇えば、三垢消滅し、身意柔軟にして、歓喜踊躍し善心を焉に生ず。」衆生とは迷い苦しむ衆生がこの光にお遇いするならば、三垢、貪・瞋・癡という三毒の煩悩のことですが、それが消滅していく、心も柔らかになるんですね。これが光に遇うところに起こる具体的な利益が掲げられているわけです。反対から云えば、この光に遇うことがなければ三垢、貪・瞋・癡、そういうものに振り回されながら生きているということも気付かないんです。なぜかと云えば、むさぼりの心というのは世の中それで成り立ってますからね。怒りの心もそうです、やられたらやり返せとは人間の世界では当たり前のことです。でもやられてやり返していれば、いつまで経っても安心した世界が出来てこない、次の世代に恨みを残してしまうんです。いつまでそんな生き方を繰り返すのかを照らし出してくださるのが仏の光に遇うということです。遇わなかったら、もっともっとというむさぼりの心、やられたらやり返せという怒りの心、これしかないわけです。それしかないんですけど、しかもその生き方が痛ましいとは思わない。光に遇うところに三垢消滅すると書いていますが、遇わないところでは三垢まみれなんです。仏と魔
安田理深先生の言葉を思い出しますが、欲望まみれになっている時というのは自分が持っていても一体になっていますから、近すぎて見えないと仰っていました。自分の顔みたいなものですね。自分と一体になっていますから近すぎて見えない背中とも仰っていました。一つになって生きているんですよ。親鸞聖人の例で云うと、人間を迷わす魔物と迷いを超えさせる仏さまと人間の中でごちゃごちゃになるというのですね。仏を仰いでいるようで自分の欲望を満たすようになれば、その仏さまは知らず知らずのうちに魔物のようになっていくんです。仏さまというのは傷つけあったり苦しめあったりするのを超える道を教えて下さっているのに、私の仏が一番やとか、あんたのはアカンと云いだしたら自分の欲望を満たすための魔物を頂いているだけになります。これもまた分からない魔物を仰いでいることが分からない、まともに一所懸命生きてるつもりですが、そういうあり方に光が差してくるんです。光が差した時に今まで見えていなかったということが初めて分かるんですね。光と闇
親鸞聖人は無碍の光明と無明の闇と対比して仰いますが、光明だけあることはないんですね。光明というのは闇が破られたところに、その光が明かされるんですね。今まで見えてなかったものが知らされるということです。逆に云えば、無明の闇の真ん中にいる時には闇にいることも分からない。これは嘗て宮城顗(しずか)先生が言葉を残してくださいました。「何でも知っているという闇、何でも分かっているという闇」と仰いました。真っ暗闇なら誰かに聞くことから始まるんです。どうしたらいい?でも聞かないんです。闇にいることすら分からん二重の深さを持っている。私、何も知りません、教えてくださいというなら、闇が破れてるんです。でも本当の闇というのはそこにいることすら気が付かない。それは電気の光でも太陽の光でも破れない。だから仏さまの光、超日月光という太陽や月の光では無明の闇は破れない。どれほど明るい電気でもダメ、こちらの眼が曇っていますから。こちらの眼も含めて破って下さるはたらき、これが無碍の光明。親鸞聖人のお言葉ですが、どんなものも妨げとしないということですね。これは曇鸞大師の言葉ですが、千年間の闇が破れるのに千年かかるかと云えば千年かからない。今まで千年間真っ暗闇のところにもマッチ一本の火がともれば一瞬にしてそこは明るくなるというんです。質が違うからですね。闇と光は勝負にならない、量で比べられない、質が違うから、マッチ一本の光でも闇は一瞬にして去るんです。見えているつもりだったけど見えてなかったことが分かる。その千年をもものともしないことが無碍という言葉で云われているんです。こちら側の闇がどれほど深くて厚くても、それをものともせずに破っていくはたらき、これが無碍の光明です。その中味が「この光に遇えば三垢消滅し」というところ、無明に覆われていたということが破られるのです。初めに戻って、法蔵菩薩は一切衆生を救いたいという願いを起こして仏になられたという、光としてはたらく仏さまなのですね。光が仏さまなのです。それがここで述べられているんです。 十二光仏については後でもう一度見たいと思います。
身意柔軟
30頁後ろから3行目「それ衆生ありて、この光に遇えば」遇(もうあ)うとは謙譲語で尊敬するものに対して遇うという。「三垢消滅し、身意柔軟にして」身も心も柔らかになる。さっきのことと対比すれば、光に遇わなければ柔らかでないんです、基本的に身も心も硬い。なんでも緩いのがいい訳ではないですけれど、私たち身構える、心許さない、人の言うことを容れない。一所懸命自分を守ろうとしているけど、それによって狭い世界で薄っぺらい世界でガチガチになっていく。初めてそうじゃない世界に出会える。これが阿弥陀の光に遇うというところに起こるのです。昨日も学生としゃべってたんですが一所懸命な人ほど念仏で救われるとか、仏教で救われるのはよくわかりませんと云います。有難いと思います。昨日来た子は22才、大学4年生で救いが分かりたいと云う。どこで引っかかっているか?観無量寿経で韋提希が自分の息子に裏切られて閉じ込められたでしょ、宮殿から出ることができなかったのに最後は喜んだって書いてあるんですが、なんで喜ぶのか分からない。僕らが思うのは自分の条件が自分の思うように変わって、救われると思っています。都合の悪いことが消え去って助かると云っているのですわ。このあり方は条件が良くなり続けないといけない、悪いことがあってはいけないという考え方にガチガチになっとるんです。韋提希がなんで助かったかと云えば、息子に裏切られて、家族バラバラです、でもボロボロなところにも生きていく道が開かれた。立派なお妃さまであることが全部崩れ去ったのです。崩れ去ったら意味がなかったか、そうじゃなくて崩れ去ったけれど誰とも変われない人生だと受け止めることが出来たんですね。そんな話をしてましたら、頭では分かりますが、病気」は好きになれんです。でも、病気を好きになるとか、死ぬのが怖くなくなるとは親鸞聖人は云っていない。その心は教えに出会ってもあるんです。病気は避けたいし人から悪く云われたくない。病気になったら終わりか?そうじゃない、病気になった体を保ちながらどう生きていくかがとても大事です。健康な時は病気になったらしまいと云っているがしまいじゃない、そこにちゃんと道がある。病気を好きになるとかではなくて、気持ちは何も変わりませんけれど、その現実に立ち上がっていけるとういうか、本当は終わりだと思っていたところが、広い世界があったという出会いがあるという話です。身も心も柔らかになるというのは、我々はこれしかないと決めてますね、頑ななんですがそれから外れたら自分に価値がないと思うけれど、それからほどけていく、その心が柔らかになる。それと同時に身の置き場所が見つかる。居場所がなくてみんな困っているんです。この身を安心してゆだねられる場所がない。順番が面白いです、身が先です、そこに心がだんだんほぐれていく。これが光に触れるところに起こると書いてあります。
善心
「歓喜踊躍し、善心を焉に生ず」善心が生じてくると書いてます。歓喜とは今までなかったような喜びですね。問題が良いように解決して喜ぶんじゃないです、解決できなかったらと思っていたことが砕かれるんです。そうじゃないところにも道はあったという、ここでもまだ生きていけるということです。だいぶ前に、塔を登っていく生き方だとキリスト教の牧師さんから教えられました。でも登っていく生き方とは、落ちたら終わりだとどこかで思ってるんですね、上がることはいいけど下がることは価値が否定されて、登りつめていく生き方とは、どこかで恐れていてという生き方と裏腹ですね。ところが親鸞聖人の教えは、落ちたところが何の心配もない広い世界なんです、落ちてみたらみんな凡夫としてはお仲間なんです。お互い教えを聞いていく仲間として出会います。そこに思ってもみなかった喜びが生ずるわけです。善心とは善き心、仏教では迷いを超える方向を善と名付けます。逆は悪と名付ける。善悪に縛られていた私たちを導く。導くためにこれが善と教えてくれます。本当の善とはそういう取り引きを超えていく方向、それが起きてくるんですね、ひと言で云えば世間的なあり方を越えていく出世間の心と云っていいと思うんですが出世間の心は人間からは出ない。教えに出会わないと出ない、教えに出会った人の生き方を通して教えられます。迷いを越えようとする心が自分に起こってくるのです。起こすのではなくて思ってもみない形で起こるんです。こんな根性が私にあったかということです。この間、石川県で自分の家を開放して道場にしていた人の一周忌を勤めるご縁がありました。石川県には道場と云いましてお寺じゃなくて、村々の集会場のような形の聞法場がいくつもあります。僕のとこもそうですが、明治になった時にお寺になりました。それまでの戸籍を見ますとうちは苗字がなかったです。明治以降になって苗字をつけるようになって一楽という村の名前を付けたらしいです。いま、道場はお寺になりましたが、その方のところは道場としてずっとあって、道場は弟さんが継いだ形になっているんです。定年になった後、自分の家を道場になさいました家ですからそんなに広い住居ではありません。全部の部屋を打ち抜いて30畳くらいの部屋を取れますかね、そこで毎年報恩講を勤め、年間6回位の法座をしておられました。その方がなくなった一周忌だったので有縁の人々が集まって、その30畳くらいのところに120人集まりました。どうやって座ったか分からないですけどすごい熱気を感じながらお勤めさせていただきました。その時に生前その方が仰っていたことを思い出しました。毎回そこへ行く度にたくさんのご法礼を頂戴するのでご法礼はいりませんと云うたら、やっとケチな根性の私が使いたい道が出来たんです、私を喜ばすつもりで受け取って下さいと一年前に云われたんです。つまり法座のために差し出すということは、私の今までの生き方や経歴からは出てくるはずのない心なんですと仰いました。そういうことを私にさせて頂けるようになったことを本当に喜んでいるのです。だから、命いつまであるかわかりませんがずっと来てくださいと。その後、10日後でした。別の方の話を聞きに行っておられて「じゃ先生、来年よろしくお願いします」と仰ったのを最後に脳内出血で逝ってしまわれました。最後は聞法会で来年の法座のお約束をしたというのが、その方の最後でありました。大きな声で人一倍大きな声でお念仏する人でした。京都の高倉会館にも今日は谷さん来てるなとよくお参りでした。いま申し上げたように「こんな根性はわしから出てくるはずがない根性なんです」と仰った、それが忘れられないですね。それがここで云う「善心を生ず」ということです。自分が起こすんじゃない、起こるはずのないような心が私に芽生えてきた、親鸞聖人はそれを無辜の心といういい方もしています。根拠のない、根のない素質のないものが私に起こるんです。それが阿弥陀の光に遇うところの具体的なこととして書いてあります。これは普通の利益と違うでしょ。この光に遇えばとあるのは三垢、貪・瞋・癡という三毒の煩悩が消えていく、そして身も心も頑なだったのが柔らかになる。そこに思ってもみなかった喜びが与えられる、そして起こるはずのないような心が起こってくる。これ人間的に云えば利益に当たりますかね、仏法を求めて歩み続けるような話です。利益とはそれを手に入れて、あぁ楽になったというのを利益と考えていませんか?聞いたおかげでやっと落ち着きましたとか、これで荷物が下りましたという話です。でもここに書いてあることは、光に遇えばそこから始まるものがあるんですね、却って歩みが止まらないようになる、動きが始まるんです。人間の考える利益とは逆方向です。問題がなくなって荷物が下りて、あぁやれやれと云うのが利益とすると、ここではいよいよいろんな問題の中に喜びをもって生きていけるということが起こるのだと思います。
三途で遇う光
聖典30頁後ろから2行目です。「もし三途・勤苦の処にありてこの光明を見たてまつれば、みな休息することを得て、また苦悩なけん。」三途とは地獄・餓鬼・畜生のことですが、これを火途・刀途・血途という云い方があります。火に焼かれる道、刃で切り合う道、お互い血を流しているような道、これを三途といいます、そんな真只中でこの光に遇うならば、みな休息するを得て、お経の厳密なところですね、苦しみが消えるとは書いてありません、休むというのです。一服ですね。そしてまた苦悩なけんですから、それによって苦しみに苛まれるということがないというのです。その苦しみの境遇から出たとは書いてないです。苦しみの境遇の真只中にありながら休むことを頂くんです。そして再び苦しみに苛まれることがないであろうという云い方ですね。それが終局的には「寿後わりて後、みな解脱を蒙る」とあります。寿終わるという言葉はお経の中では厳密に使われておりまして、云い方をかえますと、寿終わるまでは解脱したとは云えないんですね。この年になってまだこんな目に合うのかということがあるんです。だから寿終わるときには、寿命が尽きる時には全ての苦しみから一切解放されるというのが解脱を蒙るという云い方です。気を付けておかないといけないのは、やはり死んだ後のことかという話ではないんです、解脱するというところに立つか立たないかは今なんです。死ぬ瞬間に決まるんじゃないです。今、光に遇って歩みだすところにゴールは全てのことから解放されていくのです。このスタートが始まってなければ、寿終わる瞬間は誰の上にも来ますが、何に苛まれるか分かりませんよ、自分の人生これで良かったのかと云うかも知れません。或いは自分が今まで踏みつけにして来たことが出てきて、その苦しみに苛まれるかもしれません。恨みに恨み返していれば、その恨みは寿終わる時になっても収まらない。それを越えていく道に立つのは今です。光明に遇うという、それを終極点として寿終わりて後に全てのことから解放されるという云い方をしています。関係の中でいろいろ業をつくるわけでしょ、昨日光に遇いましたから、今日は苦しみはありませんとそんなわけにはいかないんです。お釈迦さまといえども35才で覚りを開かれた、その後は全ての苦しみから解放されておられたはずなんですけど、業を作るその中に生きておられますので、お釈迦さまが巻き込まれることが起きます。一番具体的なことは提婆達多によって恨みをかって殺されそうになります。もちろんお釈迦さまがそのことを悩むということはないです。それを自分の人生として受け止めておられますから、それを苦しみや悩みとはしてなかった。しかし提婆達多とのやり取りの中で業に巻き込まれていく、これは決して自由とは云えない。だからお釈迦さまが覚りを開かれたのは35才、涅槃に入られたと云っていいのですが、完全なる涅槃に入られたのは肉体を離れていかれる時です。これが大涅槃という言葉で確かめ直されるわけです。完全な解脱と云うのはお釈迦さまでも、この身を離れる時です。だからと云って死ぬ瞬間の話ではない、ましてや死んだ後の話じゃなくて35歳の時にお釈迦さま必ず涅槃に至るという道に立たれたのです。もうすべての苦しみから解放されていく道筋に立った、あとは自然に歩んでいけばいい。これは僕らで云うと往生浄土という云い方になります。僕らは浄土に生まれるということを課題に生きていきなさい、仏さまの世界を生きるものになりなさいと教えられます。その時に阿弥陀を念じて浄土に生まれるような者になれと呼び掛けられます。浄土に向かう人生が教えに出会うところから始まるんですが、出会ったからと云って昨日から私は浄土にいますとは云えないですね。浄土に向かう、仏さまの世界を、争ったり傷つけあったりすることのない世界を目指して歩んでいきますというのが今始まるだけで、いくらその教えに出会ったからといって一切の業と関係していませんとは云えません。安田先生の譬えですが、ちょうど行先を決めて旅行する時は出発点で切符を買うでしょというわけです。例えば京都駅で東京一枚と云う時にはどこに行くかが決まってなければ切符は買えない。だから東京に行ったとは云えないが、どこに行くか決まった人生は京都駅で始まるんだという云い方をしておられました。でも後は途上なんです。着いたとは云えません、あと何年かかるか分かりませんけれど、仏の世界へ向かう人生の途上なのです。安田先生が仰ってました、「仏法に遇うたからと云って毎日晴れの日とは限らんのや、雨の日も嵐の日もある」。でもどこに向かうかが決まっていれば、例えば汽車が止まろうが、脱線事故に合おうがあっち向いていくことは確実でしょ、決まるかどうかが問題なんです。どこに向かう人生かが決まればいいんです。このお経もそうですが、浄土に生まれるところに必ず涅槃に至るということを説いています。そのことがここでは光に遇うところに苦しみから解放されるんです。しかし全ての一切の業から解放されるのは寿終わりて後と書かれてあるのです。そういうようにここを一応読んでおきます。逆に云いますと、この寿終わるというのはお経には何遍も出てきますが、親鸞聖人は本当に気を付けておられます。観無量寿経でも捨身他世、身を捨てて他世界で救われるという云い方がしてあります。大経でも寿終の後、寿終って後と書いてありますが、その辺りを親鸞聖人は驚くほど引いてないですね。それを書いてしまうと、浄土の教えは死んだ後の別世界の話になると、そうとらえられる危険性があると親鸞聖人は思っていたんでしょう。親鸞聖人はどちらかというと今生きている問題、現生に正定聚に住するとか、今生きているうちに不退転に立つとか、そういう事を繰り返し強調なさいます。
再び十二光仏
いま読んだところが阿弥陀の光に遇うところに与えられる利益としてのべられているわけです。これを踏まえて12の光として、仏の名前が説かれる理由を考えてみたいのですが、他のお経では15であったり、原本のサンスクリット本では19の光になっていますから、12と云う数にこだわる必要はありません。光はいろんなはたらき方をするという意味で12方面から押さえられています。このお経の解説書で親鸞聖人が重んじられた述文賛があります、聖典322頁1行目教行信証真仏土巻に引用されています。新羅の国にいらした憬興という方のものです。年代は善導大師と同じくらい、今から1400年前位の書物と推測されます、無量寿経の解説書を書いてくださっています。読んでみます。「憬興師の云わく、無量光仏-算数にあらざるがゆえに、無辺光仏-縁として照らさざることなきがゆえに、無碍光仏-人法としてよく障うることあることなきがゆえに、無対光仏-諸菩薩の及ぶところにあらざるがゆえに、光炎王仏-光明自在にしてさらに上とすることなきがゆえに、清浄光仏-無貪の善根よりして現ずるがゆえに、また衆生貪濁の心を除くなり。貪濁の心なきがゆえに清浄と云う、歓喜光仏-無瞋の善根より生ずるがゆえに、よく衆生の瞋恚盛心を除くがゆえに、智慧光仏-無痴の善根の心より起これば、また衆生の無明品心を除くがゆえに、不断光仏-仏の恒に照益をなすがゆえに、難思光仏-もろもろの二乗の測度するところにあらざるがゆえに、無称光仏-また余乗等、説くこと堪うるところにあらざるがゆえに、超日月光仏-日は応じて恒に照らすこと周からず、娑婆一耀の光なるがゆえに、みなこれ光触を身に蒙るは、身心柔軟の願の致すところなり。已上抄要」
最後の身心柔軟の願と云うのは第33番目の本願文でしたね、光に触れるところに身も心も柔らかになるということでした。三十三願の成就文としてこの部分を読んでおられます。無量光仏というのは算数にあらざるがゆえに、計ることができないんですね、量を越えているというこれが無量光仏です。無辺光仏、縁として照らさざることなきがゆえに、照らさないところはない、届かないところがないということです。どこにでも届くというです。無碍光仏、人法としてよく障うることあることなきがゆえに、千年の闇を破るのに千年かからない、一瞬でいい、どんな分厚い闇も長い闇も妨げにならない、この光を妨げるものは人にも法にもないんです。無対光仏、諸菩薩の及ぶところにあらざるがゆえに、どんな仏さまも並ぶものがない。光炎王仏、光明自在にして更に上とすることなきがゆえに、王様の王というところを特に大事にしていますね。光が炎のように燃え上って一番だ、王様のようだということで自在なる光がそれ以上のものはないと云っています。
清浄光仏、ここから貪・瞋・痴という三毒の煩悩、三垢に対応してますが、むさぼりがないという善根から現れたゆえに衆生のむさぼりの濁りを除いていく、むさぼりの濁りの心がないから清浄だという。歓喜光仏は怒りの心がない。喜びと云うのは光に対するんですわ、喜びは悲しみに対するようですけど、笑っている時の反対は腹立ててる時ですね、怒りを離れた善根から生ずる衆生の腹立つ盛んな心を除いていく。智慧光仏は無痴の善根、愚かさがない善根から起こったのでまた衆生の無明の心を除いていく。不断光仏、仏の光は常であっていつでも照らす利益をなす、絶え間ないことを云っています。難思光仏、親鸞聖人は「なんじ」とお読みになりますが、「なんし」と読み慣れてますので「なんしこうぶつ」と云います。もろもろの二乗、声聞とか縁覚が計ることが出来ない、ですから人間はなおさらです、声聞・縁覚ですら計れない、我々は云うまでもないんですが、思い計ることが出来ない。無称光仏、また余乗、ここでは菩薩であってもということでしょうね、菩薩であっても讃えることが出来ない、言葉として云い尽すことが出来ない、どれほど褒めても褒めることにならない、我々の思いや言葉を越えているということですね。最後の超日月光仏は日は応じて恒に照らすこと周からず、朝が来たら夕方になって沈んでいきますね、一日中照らしていないという譬えです。娑婆一耀の光、昼間だけ照らすのが太陽であり月は逆ですね、夜だけ照らす、その意味ではいつでも照らして下さっているという意味で超日月光と云っています。太陽の光はどれほど明るくても私たちの心の闇までは見せてくれないんですね。眼が曇っていますから白日のもとに曝すと云いますけれど、曝されてもそこに明らかにならないものが残るんです。僕らの迷いと云うか、心の闇はそれほど深いというべきです。
光の和讃
これを更に私たちの上に何が起こるかということを本当に分かりやすい形で歌にまでして述べてくださっているのが聖典478頁の親鸞聖人の和讃です。 和讃を作られた宗祖のお心を改めて頂かないといけません。教行信証は漢文が読める人に浄土の教えを訴えかけるという本です。でも和讃は口ずさめば耳から聞いて入ってくるでしょ、文字が読めない人のことも親鸞聖人は視野に入れていたと思います。口ずさむということは日常生活のなかで口をついてでれば、ああそうだといただけるようになっているんです。昨今口をついて出るというのが難しいです。流行歌の節に乗せて歌ったらいいという人もいます。恩徳讃は「如来大悲の恩徳は・・・」って歌ってるでしょ、あれが歌えるということはどの和讃もあの節で歌えるということです。和讃全部同じ形式ですから、五百首も覚えるのは大変ですが、カラオケだったら何十曲もおぼえている人いるんじゃないですか、だから恩徳讃の節で歌えばどの和讃も耳に馴染んできます。一首目「弥陀成仏のこのかたはいまに十劫をへたまえり、法身の光輪きわもなし、世の盲冥を照らすなり」。これは阿弥陀仏のはたらきを光だとまず述べて、世の中、世間が見えていない、暗いという世の盲冥を照らすと云っています。これは個人個人、一人一人が見えていないだけではなくて世の中全体が暗闇に覆われている。それを照らし出して下さるのが阿弥陀仏の光だというんですね。この阿弥陀の光の中味を次の二首目から十三首目まで続きますが、先ほど読みました12の光が順番に出てくるわけです。大事なのは私たちとの関係で述べられているんです。例えば二首目、「智慧の光明はかりなし」これ無量光仏のことです、はかりなしですから計れないほどの光だと云うだけではなくて、「有量の諸相ことごとく光暁かぶらぬものはなし」と書いてあります。有量の諸相ということが明らかになるんですね、私たちは分量で量る世界を生きていますが分量で計って生きているとはあまり思っていないです。周りも全部そうですからそれが生きるということだと位にしか思っていないです。でも実際命と云うのは値段をつけられないです。何点を云う点数もつけられません。にもかかわらず人の人生を点数で計ったりしていると、愚かだったなと云うことが見えますね。有量の諸相、それがことごとく夜が明けるような形で物が見えてくるんです。それを真実明と仰っています。逆に云えば私たちが日頃見ている世界は、真実でないところを見ておったことが分かることですね。だからこちら側に何かが起こるか問うことを歌いこんで下さっている、これが親鸞聖人の和讃の有難いところです。無量光といわれても阿弥陀さんの光は計れないんかで済むかもしれませんが、それによってこちら側が見えるということです。清沢先生のことばでは「如来は私にとっても無限の智慧であり、無限の慈悲であり、無限の能力である」と遺しておられます。これに触れたということは、清沢先生は自分の智慧は有限であったということ、慈悲の心も限りがあったということ、できないことがあったという能力、これがはっきりと知らされたのを如来との出会いと仰っています。無限の如来がどっかにおるんじゃないですね、無限の如来に触れたことは有限が知らされたことです。無限の如来に遇うことがなかったら、自分の持っている智慧を一部分しか見てないとはなかなか思いません。私は結構見えているという話です。慈悲の心も私は人一倍慈悲深いというでしょ、如来の慈悲に触れるときにこちら側の慈悲はいかに自分の都合で条件が整った時しか持てないか、相手が限定されるわけです。誰に対してもなんて無理ですから。そういう無限の慈悲に触れたときにこちらの有限の慈悲がはっきりする。清沢先生は仏との出遇いは有限と無限の対応、出あうところに宗教を見ておられます。宗教と云うのは本の中や教会とか教団にあるんじゃないです。無限に触れた人のところに宗教の具体的なはたらきがあるんです。ひと言で云えば光に遇うたということです。こちら側の今までのものの見方が本当じゃなかった、上っ面しか見えてなかったことがはっきりしたということです。こちら側のことが全部出ているのは有難いですね。三首目は「解脱の光輪きわもなし」、無辺光ですね、果てがないということです。どこまででも照らし届かないところはない、端っこがないという意味です。親鸞聖人はこれに対して「光触かぶるものはみな有無をはなるとのべたもう」とあります。この光に触れると書いてあります、光は目で見るだけじゃない、耳で聞いたり体と触れたりするんです。光に触れるところに有無をはなると書いてます。有無とは端っこですね、偏見と云う言葉がありますが、偏ったものの見方です。あるかないか、勝ったか負けたか、損か得か、役に立つか立たないか、100か0か、○か×か、大体どっちかに決めるでしょう。特にこれが最近強いですね、中間がない。でも偏った見方で本当のことは何も見えてないですね。その偏ったあり方を離れる、だから無辺光と云う。先ほどの述文賛の憬興師の言葉ではどこまででも届くという云い方でしたが、親鸞聖人は有無を離れていくと云うのですね。端っこを作らないのです。お浄土、阿弥陀の世界は広大無辺際と書いてあり、この意味が分からなかったんです。辺際なしと書いてあるから阿弥陀の世界はだだっ広いどこまで行っても端っこがない世界をイメージしていました。ところが平野修という先生が、亡くなられて大分になります、いま生きておられたら70才くらい、52才でなくなられましたからね。平野先生は人間は自分を中心にして誰かを端っこに追いやるのだという主旨のことを仰っいますね。端っこがどこかにあるんじゃなくて真ん中を立てた途端に何かを端っこにしてしまうんですね。仏さまはそうじゃなくて中心は一人ひとりが皆中心、大事なのは皆大事という世界を照らし出してくださるのが、この無辺光です。端っこの人間なんていないよ、誰かが中心でお前は端っこなんてないよと云う世界を照らし出してくださるわけです。有無を離るです、何かにかたよる、こっちには価値があるとかあいつには価値がないとか、そういう事を離れることが起こるのです。言い換えれば、光に触れたときですよ、触れないと偏見に落ちていくんです。阿弥陀の世界が大事だと頷いたその時は、偏ることはおろかだとおしえられるのですが、次の瞬間には俺は勉強したから勉強せん奴より上だとやり出すわけです。すぐに端っこを作り出すわけです。その意味で阿弥陀の光には触れ続けないといけない、遇い続けないといけない、具体的には念仏を通してその光に遇うんです。
少し飛びますが、十番の和讃を読みたいと思います。「光明てらしてたえざれば 不断光仏となづけたり 聞光力のゆえなれば 心不断にて往生す」。光明照らして絶えることがない。だから不断光仏と名付ける、聞光力のゆえなればと親鸞聖人はここに書かれます。お経ではもう少し後のところに出てきます。光と云うのは目で見るもんやと思ったら大間違いで聞くということがここに出てくるんです。そこに響きを聴くのですね。光と云うのは私たちに対してものの見方をゆすってくる。念仏のはたらきと重なるものがあるんですね。その光を聞く力、はたらきの故に心不断にて往生すとあります。心不断というのは私たちの仏を念ずる心が絶えることがない、切れることがない、それによって浄土に往生を遂げていく、仏の世界に帰っていくことが成り立つんです。大事なのは、私たちの心が朝から晩まで阿弥陀様のことを考えるようになるのとは違います。その光を聞くから途切れることなく続いていくんです。反対に聞くことを離れれば阿弥陀様とは疎遠になっていくんです。私たちの心が迷わなくなるとか、方向を見失わなくなるのではなくて、その光を聞いていくはたらきです。具体的には念仏ということと重なってきます。もう少しお経の後ろのところまでいかないと聞という字は出てきませんけど、この光を聞くという云い方が大変大事だと思います。
全部はとても読めませんけど、次の頁、480頁の上の段13番までが十二光を親鸞聖人なりに受け止めて和讃してくださってるんですね、元は曇鸞大師の讃阿弥陀仏偈というのがあります。それにしても親鸞聖人の七高僧の歌によくぞして下さったと思います。これを頂くときに、いちいちお経まで遡らなくても、和讃を通してお経が述べていることを丁寧に頂戴することが出来ます。その意味で朝晩のお勤めは、蓮如さまがお勧め下さったことですけど、本当に大事ですね。なにげなく唱えておったことが向こうからこっちを掴んでくることが起こるんです。僕の場合お寺に生まれて父に否応なしに読まされたというのが先です、望んで読んでいたのではありません。しかしその否応なしにやらされていたことが、逆に言葉がこっち乗り上げてくるというか、こっちを掴んでくることが起こるんです。唱えることがなかったら疑問とも思わなかったかも知れません。僕はいろいろ反発もしてきているんですけど、反発したり批判してたこともまた逆に仏法を聞いていく大きな材料になっています。反発する出会いもなかったら素通りしてしまうかも知れませんね。
一番身近なところでは、石川県の谷田さんの話もしたんですけど、南無阿弥陀仏と唱えてくださる人の声、それを通して伝わる場合もありますね。唱える人が一人も周りにいなかったら、南無阿弥陀仏は本の中の話で終わるかもしれません。唱えて、そこからご本人がそれを頂き続けていく道なんだということを、お姿を通して伝わっていくような気がします。
途中ですけど、12の光のところ、ここをお読みいただいたことにして、一応今日はこの辺にしたいと思います。