大無量寿経講話【第8回】 2012/ 09/ 28 一楽 真 師
本願成就
すべての者を救うまでは私は仏にならないと誓った、これが法蔵菩薩の四十八願でありました。一番くわしくは本弘誓願という四文字の言葉で表されます。本は阿弥陀仏が本(もと)法蔵菩薩であったときに発した願というほどの意味です。弘は一人ももらさないということを”ひろさ”で表しています。弘願と云われます。誓はそれが完成しないならば私は仏になりませんということを約束してくださっている。これが誓願です。それらを全部まとめて本弘誓願といいますし、親鸞聖人は自分のお書物の中ではいろんな云い方をしていますね。弘誓と云ったり本願と云ったりしておられます。それぞれどんな意味がそこに託されているかということは私たちに残された宿題だと思います。親鸞聖人がどのような思いでこの言葉を使われたのかということを考えていくことも大事だと思うんですけれど、いま読んでいるところは一切衆生を救うまでは私も仏にならないとお誓いになったその願いがもう完成してるんですか、それとも今からなんですかということを阿難が聞いたわけなんですね、お釈迦さまはそれに対して完成していると云われたわけです。まぁちょっと聞くと私はまだ残っとるぞと云いたくなるところです。それが実は親鸞聖人の後々の大きな課題になりますが、とにかく物語の形とすると本願はすでに成就した。法蔵菩薩はすでに阿弥陀仏となられたということを確かめているのが聖典28頁のところでありました。ですからもういまから本願を一つひとつですね、完成するための行をするんじゃなくて、もう既に出来上がっているということです。何遍も申し上げていることですが親鸞聖人の譬えでいうと船はすでにあるということです。荒海をわたる船はすでに出来上がっている。後は私たちがそれに乗せて頂くかどうかという、これが残っております。船に乗って生きていくのか、それとも船に乗らずして、私はそんな船に乗らずに勝手に泳いでいきますというのか。ここに私たちが救いにあずかるか、もれていくかという問題が残っておるわけであります。云い方を変えればすべての衆生はすでに助かっておると云ってもいいんですけれども、しかしその恩恵にあずかった者しかこの恩恵はわからないという世界であります。これも曇鸞大師の有名な譬えでありますが、太陽は全ての人を照らしておる、ところが太陽を見ない人には太陽の恩恵はわからない。これは太陽の責任ではない、見ない方に問題があるという譬えであります。阿弥陀仏は全てを救うということはすでに完成されているんですけれど、それから漏れていくのは私たちの側の責任だということを突き付けてくることになります。これは大きな流れから云いますと、実は下巻の課題になっていきます。大経の下巻はすでに助かる道はあるのになぜこの私はまだ迷っているんですかといったら、それはあなたが本願の教えを聞かないからだというように呼び掛けていくわけです。船はあるのに乗ろうとしないからだと呼び掛けてくるわけです。その浄土に生まれるようなものになって下さい、その船に乗るような生き方をしてくださいということ、これをお釈迦さまが繰り返し繰り返しお勧め下さるという流れになっております。その下巻を生み出してくるような基点になっているのがこの本願成就ということを確かめる部分なんですね。松原祐善先生
昔、松原祐善という先生が大学にいらっしゃいました。大学院に入ったときは先生の授業が毎週あるという有難い時間を頂いておりましたが、それが有難いと思えませんでね。なぜかというと先週聞いたのと同じことを今週もお話になるんですね。先生それ聞きましたと心の中で思ってるんですけど先生は語りだしたら止まらないんです。必ずお語りになるのは一つは清沢満之先生がいかに大事かということ、清沢先生のお仕事を常に讃嘆なさる。もう一つがこの本願成就ということなんですね。法蔵菩薩の四十八願はすでに成就しておる、だから後は私たちがその道に迎えとられるかどうか、私たちがそれに頷くかどうかという信心の問題ですね、それが残っているんだということを語っておられました。話の内容とすると本願成就が浄土真宗の一番大事なことなんだということを毎回仰るわけですよ。僕らそれを聞くと先生それもう聞きましたとなるんですけれど、いま思いますと逆でして、これだけは云っておくぞということを毎週仰っていたんですね。そのことが僕ら分からなかったですよ。早く次に行ってほしかったんですよ。でも先生からするとこれだけは忘れるなと云って下さった、そのお蔭で僕はいま松原先生というとその二つを思い出すわけです。もっといろんなことも仰っていたと思い出しますけれども、松原先生といえばこの二つだけは絶対にゆずらないと。その意味で云うと、だれが来ても同じようにこのこと一つと仰っていた。これは法然上人がそうだったと恵信尼の手紙に書いてあります。善人が来ても世間から悪人といわれる人が来ても、修業している人が来ても、修業したこともない人が来ても、法然上人の云われることはなにも変わらなかったと云うんですよ。念仏申して下さいと。念仏申して阿弥陀に助けられなさいと、これしか仰らないわけです。これもすごいなぁと松原先生と重ねて思うわけです。普通なら物知りが来たら物知りに応答するような話とか、初めての人が来たら初心者に応答するような話とか、それなりに配慮するということがあるんですが、逆に云えばどこかで相手を値踏みしているわけでしょう。これはよう考えたら失礼な話ですよ。相手に応じてお話しするというは、こっちの計らいとしてあるかも知らんけれども、法然上人は頷いてもらおうがもらうまいがこれだけは云うておくぞと、念仏申して下さいそして阿弥陀に助けられてくださいということを仰ったのですね。これすごいなあと今は思います。だから自分のことに帰って、これ前回云うたから今回云うたらアカンみたいな計らいが動くとまた松原先生のお顔が出てくるわけです。本当に大事なことなら何遍でも云わんならんということですわ。前に云うたかもしれませんが、僕が大学の一年生か二年生の時でしたが、仏教学者の中村元という人が大谷大学に来てくれました。大学の開学記念日でして、著名な学者を呼んできて学生に触れてもらおうという、そういう会でした。当時中村元といえばサンスクリットの浄土三部経の翻訳にも関わっておられますけれども、言語にはものすごく通じておられました。これはちょっと揶揄するようで悪いですけれど、本人は仏教の信仰を持っておられたわけじゃないです。インドのありとあらゆる言葉には通じておられますけれど自分のスタンスから云えば思想家なんですね、インドの思想としての仏教を研究しているだけのことであって仏教によって自分が生きていかなければならないとは思っておられなかったようです。僕らそんなこと学生の時分かりませんから、中村元という超有名な人が来るらしいぞと云うて行きました。まず勤行があるんですね、その次に学長挨拶があってそして中村元先生の講演と全部で二時間ぐらいでお昼に終わるんですけれども、普通なら10時から始まったら、勤行が30分学長挨拶が10分から15分ぐらいで、あと1時間15分ぐらいが中村元先生の時間ですわ、誰もがそう思うていました。ところが松原先生、10時半ごろからお話になって11時10分過ぎてもまだお話終らないんですね。それで仰っているのが本学は他の学校と異なりまして清沢満之先生の大学ですと、あぁ始まった始まったと思いました。そしたら清沢先生がどんな大事な仕事をしたかと、これは云うてみたら僕らにも云うているんですけれど、中村先生に云うているような気がしました。仏教を研究するような大学は他にもあるかも知らんけれどもここは仏教に生きるものが育っていく学校なんやということなんです。単なる仏教の研究者とかね、ましてや研究してそれでメシを食うとかね、そんな話じゃないということを清沢先生の信念を通して松原先生は確かめておられたように思います。僕は中村先生は言語に通じた偉い先生だと思いますけれども、今思うとそのお話より松原先生の話は30年経った今でも忘れませんね。全人生をかけて語っておられるお姿が今も彷彿と蘇ってまいります。
誹謗正法と本覚思想
そういう意味で云いますと上巻では「弥陀成仏」というこの部分なんですが、これが下巻になると「本願成就」という言葉から始まっていきます。つまりすでに本願は成就している。すでに法蔵菩薩は阿弥陀になっておられる、これがスタートなんです。じゃあ何故私は救われていないのか、すべての者を救うという本願が完成したのになぜ私は苦しんだり悩んだりしているのか。それは教えがあるのに、それに出会っていないからなんです。救われる道がとっくにあるのに、それを聞こうとしてないからだ。こちら側の宿題というか、こちら側の問題が突き付けられているということです。だから阿弥陀さんがあなたを救わないんじゃないよと。とっくに救う道を明らかにして下さっているのにそれを聞かないからだと、こういう呼び掛けになると思います。しかしここで注意しなければならないのは十劫の昔にもう私たちは救われているんだということを固定化しますとね、私はもう仏になったんだと云い出す人が出てくるわけです。私は迷っているように見えるか知らんけど、私はもう十劫の昔から、法蔵菩薩が阿弥陀になったその時から、とっくに救われているんだと云い出すわけです。このままの救いと云ってね、なんにもせんでいいというような事を云い出すわけです。勿論仏教ではそのままの救いという言葉は非常に大事なことです。特に浄土真宗においては立派なものになって助かるんじゃないということを云うときに、そのままやと、凡夫のままで救われるのだということを云います。でもそれは何にもせんでもいい、ほっとけばいいという話じゃないんです。そうじゃないんですよ。僕らむしろ逆で、あれもしたい、これもしたいと気の休まる間もないですわね、せんならんことばっかりですわ。つまり積み上げて立派にならんならんとかね、これが出来なくなったら終わりだとか、そんなことから開放されなさいというのがそのままの救いという言葉なんです。そのままということを日頃のことに重ねて云うと必ずと云っていいほど自分の思いの計らいでくるくる動き回って止まることもない、休まることもない生き方になっていると思います。南直哉師
最近禅宗のお坊さんでよくものを云っている人の一人に南直哉(じきさい)という人がいます。直接お会いしたことはないんですけれど、この人は『語る禅僧』という本を出していて、これが非常に面白かったです。禅僧というと座禅を組んで語らないのかと思いますが、この南直哉という人は語る人なんですね。たまたま雲水として永平寺で20年ほど送られてその後結婚するご縁があって、その相手が恐山(おそれ山 青森県の霊場:編集註)の管主の娘さんだったそうです。恐山というのは宗派で云えば真言宗ですね。奥さんがその恐山の管主さんのお嬢さんであったこともあって、今は恐山の住職代理もしているという非常に変わった経歴の持ち主です。この南直哉という人は『恐山』という本を去年出していますけれど、その中で死者に会いたいという心は仏教とは云えないかも知らんけれども、この心に仏教がなんにも答えられないとすると、仏教の存在価値はないんやないかと、こんなことを云ったりもしています。その中で一つ面白かったのは座禅というのは何にもしないという、そのためのことなんだと仰っているんですね。普通は座禅をして覚りを開くと見られている、これだったら覚るための手段ですわね。それだったら日常生活と変わらないと云うんです。これをしてこれを手に入れよう、これを積み上げていってこうなろうというのと同じになるというのです。そうじゃなくて、なんにもしないというのが座禅なんです。でもこれが難しいんですと云うのです。考えない、執らわれない、無理でしょう。座った途端にあれこれ縛られていくわけです。だから何にもしないということが、いかに日常にないか。こういうことが座ってみれば分かるというんです。人間は何にもしないことに耐えられないんです、その訓練をするんだそうです。南さんも永平寺に20年位いらっしゃいましたから大分座禅が深くなったそうですわ。初めは自分というこれしか自分と思わないんですが、これが解体していくことが起こるんだそうです。部屋の隅がいたいと思ったりね、そういう部屋全体が自分になったような感覚になったりするそうです。まぁこれは感じでありますからね。ただ面白いのはそういう感覚を一回手に入れると、もう一回それを欲しくなったりする別の執着がまた起きるというんです。つまりそういう感覚を持ったからと云ってそれは覚りでもなんでもないんです。結局それをまた手に入れようとしたら、何かのためにすることになるでしょう。だから座禅を何年もやっているからと云って何にもしないということに到達したとは云えないんです、ということを仰っています。その意味で云うと念仏も似たようなというか、重なるところがあると思います。日頃いろんなことに追われたり、縛られたりしている、そのことを一遍立ち止まってどうなっているかということを見せて下さる、その鏡が仏からの教えですよね、その仏を念ずるということですよね。でも念じたからといって、もう執われなくなるんじゃない、次の瞬間にはまた執われている。だから念仏というのは念仏し続けなさい、お名前を称え続けなさいと云われるわけです。ところがまた何遍ぐらいやればいいのかとか、私も何年もやって来たとか、またこれに執われる。執われを離れるための教えがまた執われの材料になっていくという、禅宗の座禅もこれ似たようなところがあるなぁと思います。念仏即生活
この度、鈴木大拙先生の『英訳 教行信証』に手が入って再刊になりました。再刊といっても前は大谷大学から出ていたのですが、今度はオックスフォード大学の出版局から出ます。鈴木先生は「真実の行」の「行」をどう訳されたかというと、普通覚りに到達するための実践項目なら「practice」と訳すのが適当だと云われていますが、ところが先生は「true living」と訳された。これ生きることと一つであるようなお念仏ですわ。だから念仏してからどうかなるという話じゃないんですね。何かのための手段じゃなくて生きていくということが仏を念じながらの歩みそのものなんですね。どういう思いが訳されているのかよく分からないところもあるんですけれど、少なくとも何かのための実践項目とか、そのためのトレーニングというような意味じゃなくて、生きていくこと自体、それが仏を念ずるところに成り立つということを仰って下さっていると思います。これは他にない英訳のようであります。私たちにとって仏を念じて歩んでいくということが弥陀成仏の後に残されている課題なんです。だからもう道はあるぞということです。あとはそれを歩むのか歩まんのか、船はある、それに乗るのか乗らんのかという問題です。ただこれも云い方に気を付けておきませんと、乗るのか乗らんのかと云いますとね、自分が勝手に決めるようなふうに聞こえるとまた問題です。乗せてくれと云ったり、私乗らんわと云ったり、自分勝手なようなことに聞こえるかもしれませんが、乗る気になるのもお育てを受けないととても乗る気にならないんです。まず一番大事なのは身近なところでその世界に出会っておられる方、人との出会いですね。その人が信頼できる人だとなれば、あの人が云うのなら私も乗ってみようかとかね、こういうことが起こるんですよ。聞法会に座るということも非常に大きいでしょう。関心があってもなかなか行けないということもあります。その時に一緒に行って下さる人があれば、そこに身を運ぶということも起こったりします。船に乗ると云いますけれど、乗るまでになる、乗る近くまで行くというこれがものすごく大変なことなんですね。乗るというのも近くでそれに乗って生きている人に出会うということが要る。この本願の教えに触れている人がおられるということ、もっと云えば阿弥陀が大事だと、あるいは親鸞聖人の仰っていることが大事だということを私に先立って云って下さっている人があるということが、僕らが近づいていける初めなんですよ。だから乗る乗らんと云うても私たちの好き嫌いで選ぶ話では勿論ありません。
その辺のところをずうっとお話しておって、それを承けて次の段に進んでいたかと思います。聖典29頁3行目からです。
完成した浄土の相
まず法蔵菩薩は阿弥陀と成って成仏しておられるということを云った後に、その国の有様から簡単に語られていました。この次に仏のお姿あるいはおはたらきを述べるという展開になっております。まず本願はすでに成就したということを述べた後に、その国はどうなっておるのかという言葉が出ておりましたね。まず初めに七つの宝で出来上がっているということが云われます。これは私たちがイメージしやすいような形をあえてとって下さっているということでして、金目のものがあるということではありません。僕は長い間そう考えていました。欲深い僕を引っ張るために、ここへ来れば金銀財宝があると仰っているのかなぁと思っていました。でもどうもお経を繰り返し読んでいくと金銀財宝が沢山あるぞという話じゃないんです。それだったらどれほど沢山あってもね、また足りんようになります。使えば終わりです、そんな話ではなくてこれは宝でないものはないということを云いたいんですよね。後に出てきますけれど、食物の例で「百味の飲食」という云い方があるわけです、ありとあらゆる飲み物と食べ物が揃っている。これも僕は初めは実体的に捉えていました。勝手にそう思い込んで、そんないい世界があるなんて信じられるかと思ったりね、そういう自分のイメージで浄土を勝手に決めつけておったわけですが、大事なのは満足するということなんですね。不満はないということですわ。どうでしょう、今の時代これほどないというぐらい外国の料理も食べられるようにもなりましたけれども、結局食べてみたらこれもイマイチやと思うことも起きたりします。結局世界中のご馳走に巡り合うようなご縁があったとしても、それでももひとつやったと、期待したほどのことじゃなかったとなると満足してないわけなんですね。浄土は満足の世界だというのに百味の飲食があるという表現をするのですね。これも実体的に捉えたら千の味を知っている、万の味を知っているという人が出てくるかも知れませんが、これはそんな数の話じゃないんです。すべて心の底から満たされるということを云っているのです。云い方を変えると何を食べても美味しいといただけるというのが百味の飲食の中味なんですね。水を飲んでも有難い、ああ美味しいなぁと、そこに比べる必要のないようなものとの出会いがあるわけです。物質的な豊かさでは決してないんです、満足である。それをここに当てはめますと、金や銀で出来ていると書いてありますけれど、これは全てのものが光り輝いているということ、宝物でないものはないということです。裏を返せば、私たちは宝物をもらっていても宝に見えないということがあるわけでしょう。自分が良いものを持っていても隣の人のものがもっと良いものに見えたりする。これは外の世界だけじゃありません、自分の身体も含めてそうですね。宝物としていただけないということがあるわけです。ここにいろんなことに支えられながらいのちがあるということ自体の重さ、それも含めてこの浄土というものには宝でないものはないと教えて下さるのですね。恢廓曠蕩
「恢廓曠蕩」というのは広々として限りがない。どこまでも広がっていく。これもだだっ広いという話じゃなくて一人も漏らさないということを広さで表すんですね。誰が来ても、もういっぱいだということにならない、あの人は入れてやらないというような狭さがないということです。その広いところに七つの宝が入り混じっている。後に出てきますが、浄土の樹はやっぱり七宝で出来ていますが、幹が金であったり枝が銀であったり葉が珊瑚であったりと書いてあります。でも別の樹を見ると珊瑚の幹に銀の葉が出て金の実がなっているとか書いてあります。お互いが幹になったり枝になったり葉っぱになったりという、そういう状態なんですね。例えば金が私が大事だと威張っているわけじゃないんです。それは珊瑚にもとって代られるし、瑪瑙にもとって代られるし、お互いが譲り合いながら、なにが一番というランク付けもない。宝物すべてが輝いていく、しかも上も下もない、そういう状態なんです。悉相雑廁
「悉相雑廁」とありますが雑も廁も混じるという字です。混じり合って一つの定まった形じゃないんです。形は縁によってどんどん変っていきますね、それが融通無碍なんですよ。妨げ合いをしない。これがオレの場所なんだなんてガンバラない。これは今は浄土の大地の話をしていますけれども、実は浄土に生れる者にもそういう関係が開かれてくるんです。ここはオレの場所だからお前にはゆずらないなんてことはない。お互いに譲り合うたり一緒になったり、あるいは夫々が独立したりというようなことが起こる。そういうことを非常に象徴的に書いてある部分です。光赫焜耀 微妙奇麗
「光赫焜耀 微妙奇麗」ですからすべての物が光り輝いてなんとも云えない美しさであるというのです。「清浄に荘厳して」は清らかな世界としてかざられている。きれいばかりでなく清浄なのです。浄らかな物として形を取っている。「荘厳」という言葉がまた非常に難しいのですが、これを大事にして下さったのが天親菩薩と曇鸞大師の浄土の受け止めです。あえて形をとるというのは形をとって下さらないと私たちには何が本当の浄らかさであるかということが分らない。何が本当の奇麗なことなのか、何が本当の輝きであり、何が本当の宝物なのかということが分らない。結局目の前の欲望に対応するものしか宝にみえないとかね、価値があるものと判断できないということが起こるわけです。あえて形をとって下さることによって、これこそが本当の奇麗なものであり、浄らかなものであり本当の宝なんだということを形をもって示して下さるわけです。だから浄土は西の方にあると書いてありますけれど、西というのもお荘厳の一つですよね。私たちの生き方に方向を与えて下さる、その時に西に向けと仰るわけであります。前にも云いましたがイスラム教徒の生活というのは非常に規律正しくて、一日に五回でしたかね、メッカの方をちゃんと向いて毎日拝む。何があってもこれだけは守る。それを見てえらい形にとらわれているなぁと思った時期もありましたけれども、最近は西がどっちやということを云う人も少なくなりました。日本人は本当は西を向いて阿弥陀さんが向こうにおられるということを確認しながら生きてきたということがあるわけです。勿論西という方角に縛られる必要はありませんよ。そうじゃなくて日々の生活の中で私たちは何回仏さまの方を向いて生きんならんなぁということを思う瞬間があるのだろうかと思ったら、ないなあと思うわけです。ご本尊に向かって手を合わせる時かろうじて仏さんのことを思い出すということも起きますけれども、それが日本の古い文献でいうと『往生要集』にちゃんと出てくるのですね。唾を吐くのも、おしっこするのも西には向けないと書いてあるんですよ。僕はそれを読んだときは千年も前の人はこんなことに心を執らわれていたのかと初めは思いましたけれども、自分の今の生活を思うと、ああ恐ろしいことになっとるなと、つまり唾を吐いたりおしっこする時にさえ阿弥陀はどちらにおわしますかと云って瞬間瞬間に身を正していたわけです。念の為に云いますが、西に向けてしたらダメや,バチが当たると云ってるんじゃないんです。その瞬間西を思い出す。阿弥陀のことを思い出す瞬間が、鼻かんだり、おしっこしたりする度に思い出せたのはすごいことやとあるとき思わされました。自分はそんなことを一日のうちに何遍思うやろか。だからこの西というのも私たちの人生に方向を与える。仏さんの方を向いて生きていきなさいよという呼び掛けなんですね。それが荘厳の大事な意義です。それを実際に西にお浄土があると執われれば間違いますよね。僕は前まで本願を建てて下さったということについて「建立無上殊勝願」という言葉があるので、建立と荘厳という二つの言葉をゴチャゴチャにして使っていた時があるんですよ。本願を建てて下さったというときこういう字を使います。それを浄土を建設なさったと云う風におっしゃる方もいるのですね。でも浄土を建設するというと実際にやっぱりユンボかなんかで基礎から作っていくように聞こえるかもしれませんね。だから建設という言葉を使ったらあかんのやと最近思うんです。そういう工事現場で浄土を作ったのと違うんです。願いの方が建立なさったと云えばいいんですけれども、浄土はその意味ではあえて私たちのために形をとって下さったんですよ。ここをはっきりしておきませんと今度は形に縛られることになりますが、しかし形をとらないと私たちは西を向くということすらないわけですから。どっち向いて生きるのかもわからないようになってますから。あえて一つの方向を与えて下さったのです。そういうお心に出会えば西だけでなくてもいいんですよ。東でも南でもいいんですわ、もっと云うとお仏壇に向き合った時だけお念仏じゃなくていいんですわ。一歩一歩歩いている時ででもお念仏大事なんですよ。どこにでも働いて下さる仏さまなんです。どっかに行かないと、お寺詣りしないと会えない仏さまじゃないんですね。でもそれをまず形に示して私たちに働きかけてくる、これが荘厳功徳という天親菩薩と曇鸞大師が明らかにして下さったお浄土であります。それを通すとこの辺のところが漸く見えてくるわけでありまして、一つ一つが非常に具体的ですからこういう場所がどこかにあるのかと読むと勘違いするということが起こるわけです。でも私たちを導くために非常に具体的な表現までとっているということなんです。超踰十方一切世界
「十方一切の世界に超踰せり」ですからあらゆる世界をはるかに超えている。私たちの世界と比べるわけにいかない。私たちの世界よりちょっと勝れた世界だと、そんな意味じゃありません。私たちの世界と全く質を異にしている。そう云ってみても分からんもんですから宝物が揃っているとかね、奇麗だとか浄らかだという私たちに分かる表現、それを以て働きかけようとして下さっているということですね。衆宝中精
「衆宝の中の精なり」とありますから、ありとあらゆる宝の中の精粋であって、それより勝れたものはないということです。「第六天の宝のごとし」これは完全な譬えであります。第六天というのは「他化自在天」のことです。親鸞聖人のご和讃では「他化天」という言葉で出てきますが、これは欲望の世界では最高の天なんです。欲望がすべてかなえられる世界です、これ以上はないという譬えとしてここに出ているわけです。でも第六天の宝というのは欲望の中の話ですから、浄土はそんなものと比べるわけにいかないんですけれど、私たちに分かりやすく形をもって示そうとするためにここまで踏み込んで下さっているんです。常識的世界観の否定
次に当時の世界観を出して、阿弥陀の世界はこんなものではないと云います。世界の中心には高い須弥山があり、周りに四つの大きな海があって、そこに四つの島がある。それらの全体を囲っているのが金剛鉄囲、海の水が外へ漏れないように強固な囲いの山があるというのです。そんなものは浄土にはないんだと云っているんです。高い山もそれを囲っている世界の限界のようなものもない。大きな海も小さな海も谷も流れもない。しかし仏力によって山が見たいと思えば山が見える。これは安心と満足とは何かと云っているんですね。私たちは常識の世界でこの世を見ようとしてますから自分の物差しに合わないことに出会うと、予想外のことですから対応できないということが起きます。地獄餓鬼畜生等の難無し
しかし予想して決めていることの方が狭い世界を作っているのです。その決めている心が、次にありますように地獄を作り餓鬼のような生き方になったり畜生のように争って生きることを生んでいくわけです。それもないんだと云ってますね。これを本願文と対応させれば第一願、無三悪趣の願ですね。なぜ地獄餓鬼畜生がないかといえば浄土は比べ合う必要がないからですね。あるいは自己主張する必要がないからです。そういう世界なんですね。これがさっきから見てきた宝と云えば全部が宝だし、比べる必要もないという浄土の姿であります。これは私たちが思い込みや常識に縛られるということなんですが、だいたいそれが争いの種なんですよね。今一番新聞やニュースで出るのは中国との問題ですね。だけどどれを見てもあまり誰も云わないなあと思うのは、日本の主張には根拠があるんだと、日本は正しいことを主張しているんだという話からいつも始まる。まぁそれは当り前ですわね、日本の国内で流すニュースに日本も悪いところがあったなんて云えないでしょうから。でも毎日流れてくるのを毎日聞いていると、そんな狭いことでいいのかなぁと思わざるを得ないところがある。念の為に云いますが領土は中国にあげた方がいいと云いたいわけじゃありません。そうじゃないんですが、だいたい根拠になっているのはサンフランシスコの講和条約とかのね、太平洋戦争が終わってアメリカやロシアが入ってからの仲裁の中で国境が決まっていったわけでしょう、それで決めてもらっているから日本の領土はここまでですと、ある意味でそれを規準にすれば主張は正しいかも知れないですね。でも立つところが違えば全然違って見えてくるわけで、例えば中国から云えばですよ、なんでサンフランシスコ講和条約を結ばなければいけなかったのかと云えば、日本が長年中国を征服していたからですね、植民地になっていたわけです。まぁ日本は外国の植民地になったことがないから、その恐怖は分からないかもしれませんが、中国人の中で何人かテレビのインタヴューで云っていたのが、経済力と軍事力を身に着けた日本がもう一度東シナ海に出てきたと、そう見ている人もいるんですね。だけど日本はそんなこと云ってませんよね、また思ってもいなかったと云っています。それが中国には通らないということが分っていなかったんですね。やっぱりあそこに出て行って国有化すれば、また東シナ海に日本という国が出てきたと感じたと云っているんです。そう感じさせたのならゴメンねと云わないといけないんですが、そんな話はまだ出ていません。玄葉外務大臣がこの島を国が買わないで東京都が買ったらもっとひどいことになってましたよと中国で云ったのですが、こんな内部事情が中国に通るはずありません。そんなことはあなたの国の中で勝手にやってくれという話で、やっぱり中国との関係の中でどんな過去を持っているか、少なくとも明治以降残念ながら日本は大陸に進出した国だったのですから、怖い思いをさせてゴメンねと、そこから始まらなければいけなかったんだと思うんですけれども、それが全然正しさの主張から始まるもんですから、それなら中国にも云い分ありますわね。戦争はいつも正義と正義の衝突ですから、こういう硬直状態になると本当に厄介だなぁと本当に思います。いまここで地獄餓鬼畜生がない、そういう諸々の難がないと書いてありますけれど、これはこういう人が偶々ないということじゃないんです。そういうものを生み出していくあり方を超えさせるのが阿弥陀の浄土なんですよ、自己主張だけで押し通そうとすることを破っていく、自己主張しているだけでは世界は硬直化していくということを我々に呼び掛けて下さる、これが浄土の荘厳による働きだと思います。みんなが全部宝物だというのは、日本人だけが宝物じゃないんです。もっと云えば人間だけが宝物じゃありません。命あるものすべて、一切衆生とか一切有情という言葉がそうですが、宝物でないような存在は一つもないというのが阿弥陀が照らし出す世界ですね。それに触れたときに自分の都合の善し悪しだけで敵とか味方とか云ってることの如何に狭いかということが初めて教えられる。そこに地獄餓鬼畜生というあり方が超えられていく、それが浄土の世界として描かれているわけであります。だから私たちが喧嘩する根性のままでお浄土に行けると思ったら大間違いで、そんな者が浄土へ行けば向こうへ行っても喧嘩するだけですわね。あっという間に浄土を汚してしまう。浄土は浄らかだからそこに行けば喧嘩はないという話じゃない。浄土に生れる時には生れ方がある。地獄餓鬼畜生というあり方を痛ましいと感じて、そういうあり方を離れていくという、生き方がひっくり返らないと浄土の住人にはなれない。これが今日の最初に云っていた問題で云えば、本願はすでに成就していると云っても、そこへ私をすぐに連れて行ってくれというわけにはいかない。あなたはどういう生き方をしていきますかと、阿弥陀の本願に表されるようなすべてのものが宝物であるという世界を生きますか、それとも自分の根性を中心に宝物と宝物でないものを選り分けて、勝ったか負けたかの生き方をし続けますかと、これは全然違うわけですよ。生き方の転換が浄土の住人になっていく時に迫られるわけです。勿論ここではいちいち書いていません。浄土は浄らかで地獄餓鬼畜生がないと書いてあります。それは阿弥陀によって保たれているからです。阿弥陀の分け隔てしない心によって成り立っている世界だからであります。そういうことが我々の思いや常識を超えた世界としてここに語られているわけですね。
寒暖も無し
最後の方へいくと暑からず寒からず春夏秋冬もないというように表現されていますが、これはそういうことによって傷つくことがない、苦しみ悩むということがないという問題でしょう。前に出てきた満足という問題なんです。これも仏神力によって、春が良いなぁと思えば春が表れるわけです。季節によって苦しめられるということから解放されるというのが、いつでも和やかにして心に適っていると書いてあります。そこに落ち着くことが出来るというのです。考えてみれば春夏秋冬で私たちは喜ぶ日もあるんですよ。あぁ春が来たなぁ、秋はいいなぁという日もあります。でも秋になったというのにいつまで暑いんだと云ったりして、春夏秋冬を愛でてそのまま喜ぶというように、なかなか心が動かない。そんなあり方から離れるという問題でしょうね、これは。云い方を変えれば、私たちはどうなっても文句を云うんですよ。どうなっても不平不満だというあり方が破られるということ、これが大事なのです。この辺が法蔵菩薩の本願は成就した、法蔵はすでに阿弥陀と成られたということを確認した後に、その阿弥陀の国はどういう世界かということを述べ始める、そこを読んでいるわけです。仏法が聞けない八難
ここに「地獄・餓鬼・畜生、諸難の趣なし」(聖典29頁)とありますのは第1願に対応するお言葉と云われているのですが、「諸難の趣」は、我々はいろいろな困難に会うのだけど、仏法に遇い難い、これが一番の難であることを表すのに「八難」という云い方があります。これをここでは念頭に置いているのではないかというようなことが解釈でよく云われるところです。八難は仏法に遇い難いということですから、自分の生き方を照らし出して下さる教えに遇えない。ということは自分の思い込みでどんどん突っ走るということになるわけです。その代表がここでいう地獄・餓鬼・畜生でありますけれども、それに加えて「世智弁聡」というのがありましてね、世の中の智慧に大変聡い、世の中のことは何でもできて、何でも分かるということになると結局仏法なんかなくてもいいということになっていって自分を振り返ることが起きないというんですね。これが地獄・餓鬼・畜生に加えて難の一つであると云われます。その他長生きだけを楽しみとして仏道を求めようとしない「長寿天」、無仏の時代という「仏前仏後」、楽しみが多すぎる「辺地」、感受性の問題である「根欠」など仏法に遇い難い境界が八つ挙げられます。諸難の趣というのは誰とも通じ合えない苦しみを云っておられるのです。それがないのが浄土だと。浄土は回りが敵じゃないんですよ、同じ時代を生きるお仲間として見える。もっと云えば輝いていない人は一人もいない。宝物でないいのちは一つもないと見えてくる。ここに人を貶めたり、必要以上に自分を誇ったり、そんなことから解放されるんですね。親鸞フォーラム
私は先日東京での親鸞フォーラムというのに出さしてもらいました。私は司会だったんですが、六本木ヒルズというところでやるんですね。エレベーターに乗るでしょう、すると49階か50階しか押せないんです。1から48までどうなってるのか気になってしかたないんですよ(笑)。でも49で降りろと云われたのでそれを押したのですけれど1分もかからないんです。どんなエレベーターかと思いますわ。外が見えないので分かりませんがシューといって上がるんですね。上がったらね、東京の人は眺めがいいでしょうと云うんですけれどね、僕は気持ち悪くてね、落ち着かんかったですけれど。でもそこに500人の聴衆が集まって下さって親鸞という方が今おられたらどんなふうに問題を見るかということを共々に考えようというのが大きな主旨です。その時のテーマが、若い人たちが居場所がないというか、生きにくさを感じている、この問題をどう受け止めたらいいのかということを3人のパネリストに来ていただいてのお話でした。尾木直樹さん
一番有名なのは教育評論家の尾木直樹さんです。ニックネームは尾木ママです。あんなによくテレビに出ておられるので人気商売の人かと思っていたんですけど違いました。20年間現場の教員としての生活と、その上で教育評論家として、あるいは子どもを支援する場所を立ち上げたりして十数年の実績をお持ちですから出てくる言葉は適格に子どもが置かれている状況をよく押さえる言葉を発しておられました。中島岳志さん
もう一人は秋葉原事件で、あの加藤智大という被告が何故あんな事件を起こしたか明らかにしたいということで去年『秋葉原事件』という本を出した中島岳志さんです。この人はものすごい精力的な人で、1975年の生まれでまだ37才なんです。でもものすごくよう勉強してますわ。だいたいは大阪外大でインドのことを勉強し始めた、そこから国の成り立ちとか、社会の問題を見始めて、そこから見えてくる日本の問題について最近発言をされています。昨今は自分は仏教徒であると自ら名乗っておられます。ただあちこちに出て行きますので、節操がないとか云われたりしていますけれど、いま一番強いのは大阪の橋下市長と名指しで批判してますね。だからまた橋下さんから名指しで批判されてます。北海道のなんとかというバカ学者がとか云われてますね。でも中島さんはハッキリとアヤウイと思うとあちこちで発信しています。強者の論理、勝ち組の論理だと方々で云い続けています。あの人が改革をするかも知れないが、ひょっとするとそれは小泉さん以上のことをやってしまうかしれないと、このことを非常に心配しておられる人です。それでなんでそんなに大阪に関わるのですかと聞いたのです。だって北海道から飛行機で週に一遍ぐらい出て来てテレビに出ておられますね、なんで北海道からわざわざ来るんですかと聞いたら、関西の学者がなんにも云わんからやと。自分は実は大阪の福島の生まれやと。だから大阪のことをほっとけないという熱い思いもあってのことでした。この方は秋葉原事件の加藤智大がなんであんなふうになっていったのかということをベースにしてのお話でした。真城義麿さん
もう一人は大谷中・高等学校の校長先生を長らくして下さっていた真城義麿という先生です。この人がやはり教育の現場と、もう一つ愛媛県の島のお寺の住職でいらっしゃいますから、その現場から見えてきた問題を語って下さいました。真城先生の所はすごいことになっていまして、この島は明治までは海上交通でしたから船が潮を待ったり、嵐の止むのを待ったりするためすごく発展していたそうです。先生が子供の頃は小学校に600人の生徒がいたそうです。今は15歳以下の子供が16人だそうです。65才以上の年寄りが360人だと云っておられました。だから高齢者比率というのはひょっとするとギネスブックに載るかも知れないとも云っておられましたけれども、ひとつの現状として生きにくい状態になっているというこの世の中の話しをして下さったのです。「便所飯」という言葉
そこでひとつ、尾木さんが云ってた話をご紹介しておきたいのですが、尾木さんは法政大学で講義を持っておられるのですが、昼ご飯どきになると友達と学食で弁当を食べられないで便所の個室にこもって弁当を食べる、そのことを「便所飯(メシ)」というそうです。ボク初めてその言葉を知りましたが、汚くありませんよと云っておられました。皆なわ〜と云ってましたから。法政大学のトイレはめちゃくちゃきれいなんですと。でもきれいにしたのが具合悪かったのかもしれませんとも仰ってました。臭かったらそんなとこで食べられませんけれどきれいなんですよ。でもそれは友達がいない学生じゃないというんですね。友達がいないんじゃなくて、もしか弁当を持って学食へ行ったときにその日たまたま友達がいなくて一人で食べているところを誰かに見られたときに、あいつは友達がいないんだとレッテルを貼られるのが嫌なんだというのです。友達がいないことが問題なのではなくて、友達がいないと見られることが問題なのです。そういう学生がたまにいるんですよというお話しをしておられました。これはうちの大学でも聞いた話ですが、授業が始まるとホッとするというんです。これ何のことかというと、授業で先生の声を聞くとホッとするというんじゃないんですよ、授業を心待ちにしているんじゃないんです、授業が始まったら隣の学生としゃべらんでもいいからホッとするというんです。つまり隣の子から、あんた最近どうなのとか、突っ込んだ質問をされたらかなわんと思っている学生がいるんです。だから授業始まるギリギリに行って授業終ったらすぐに帰る、こういう学生もいるんです。それがもうちょっと度を越しますと教室の前まで行ったけれど入るのが怖いとなったり、もっとひどくなると家から出られなくなるという、引きこもり状態の子がいるというんですね。これは決して不真面目じゃないんです。本当に真面目にやろうとしているんですけれど、人からどう見られるかという、ある意味でいつも他人の評価に自分が量られているという辛さ、それが苦しみになっているんですね。だから周りに人がいっぱいいても、それは通じ合える仲間じゃなくて、逆に自分を孤立化させていくものなんですね。なんでかということをその後のお話しでお聞きしていたんですけれど、やっぱり考えてみると成果主義でしょう。成果を上げなければならない、そのために効率を上げないといけない。効率が悪かったり、結果が出なかったりしたらあいつはダメだとボク初めてその言葉を知りました。云われる。つまり○か×で量られる風潮にだんだん拍車がかかってきましたよねという話が出ていました。30年40年前まではこれが出来なくても別の道があるさというのはOKだったんです。今は、みんな大学に行けとか、みんな企業に行かなければいけない。例えば親にボクは職人になりたいんやと云うたときに、親はなかなか認めてくれないでしょう。とにかく大学ぐらい行っとけというわけですよ。職人で職を手に付けるというのも非常に大事なことなんですけれども、世の中の動きに大学ぐらい出ておくべきだとなったらみんなそうなって、今は7割ぐらいの人が大学へ行くようになりました。それ以外の道が許されないような雰囲気の中でレールにうまく乗れた人はあまり問題を感じないんですけれど、ちょっと外れた人はもう自分はダメだなとなっていくわけです。加藤智大被告
中島岳志さんが紹介していた秋葉原の青年はまさにそうでして、そのレールに乗れないときにヤケクソを起こしてしまったのですね。ネットの社会が最後の居場所だったらしいですが、そこもなりすましたヤツが出て来たりして居られなくなった。もうここに居る必要が全然なくなってしまったというのが彼だそうです。彼は一審の判決で死刑が出た後に手記を出したそうですね。「解」という字を書いてこれが答えだという風な本を出したそうです。それもあってか二審の裁判には一回も出廷しなかったそうです。これがまた遺族からしたらものすごい反撥を買うことですよね。だって説明しに裁判に出てこないんですから。なんという太々しい奴やということになってますけれど、彼からしたら裁判で何云っても結局もう話は決まってるから出たくないということがあって自分の本心はこの本に書くということでこの本を出したそうです。だからその本は一応反省を述べている形をとっているんです。自分のような過ちを繰り返す若者が出ないように自分の失敗例を明らかにしておきたいという筋は一応ない訳ではありません。でも最後の方を読んでいくと結局自分があの事件を起こしたのはネットの社会に居られなくした奴等に仕返しするためだったと云っているんですね。それを本の中で云っているということは、なりすました奴等にひと言云っとくぞという本になっているんですね。だから被害者の遺族の方々が読んだらとても読むに堪えない本だなあと感じました。彼は最後の方でもっと居場所を作るべきだったかもしれない、もっと人と会話をして人間関係をちゃんと作るべきだったかもしれない、ボクはその努力をしなかったのがいけなかったとも書いているそうです。だから求めてはいたけれどもどこにもないじゃないかと云ってるんですね。この辺が大きな分かれ道になります。彼は友達いなかったわけじゃないんですよ、いたんです。でもその友だちには心を許せなかったんですね。だから本当のことは何も云わずに、うわべだけの付き合いをしていた。だからさっきの便所飯の話と重なりますね。居場所がない訳じゃないんだけれど、そこは本当の居場所にならないという意味で、まぁここで云うつながりの喪失です。地獄・餓鬼・畜生、諸難の趣と云われる。そういうあり方を自分でいよいよ固めていくようなことになっていたんだろうなあと考えさせられました。その意味でこのことは身体の条件とか、時代の問題だとは決して解消できないので、いつの時代でも居場所が見付からなければ周りと切れていくということが起こるのです。実際、餓鬼とか畜生とかいうのは、回りをとことん利用して生きていこうというのは餓鬼の生き方でしょう。自分の欲望をかなえる手段にしていくんですよ。もっともっとと上にのし上がるために誰かを引き摺り下ろすことも起こるでしょうね。それがもっともっとの餓鬼の行きつく先の生き方です。畜生は怒りの心、憎しみの心、邪魔者扱いする心で生きていくからいつも衝突です。嫉み合ったり憎しみ合ったりの生き方、これがやまらないんですよ。だからそれを離れる世界、そういうものがない世界、これを法蔵菩薩はなんとか形にしたいと云って本願を立てられたわけでした。ですから阿弥陀の世界とはどんな世界ですかと、まずそこが三悪道がないその他の諸々の難もないと云っている、これが大事なことかなあと思います。