大無量寿経講話【第6回】 2012/ 07/ 27 一楽 真 師
勝行段前半のまとめ
聖典27頁に不可思議兆載永劫のご修行という言葉が出てまいりましたが、法蔵菩薩の長期間にわたるご修行のどの一瞬をとっても邪念が混じっていなかったということであります。虚偽諂曲の心が混じっていない。全くないことを「あることなし」と表現しているのです。人間の心は逆で真面目そうな顔をして修行しているように見えても内実は人に負けたくないとか、誰それよりも上に立ったとか、こんな根性でやっているわけです。「諂」という字を親鸞聖人は大事になさいますが、これは「へつらう」という意味です。道を求めると云うてみても比べながらでないとやれない。昨今の教育事情のことをつかまえてある人がこんなことを云っていました。いつの頃からか学ぶことの楽しさが見えなくなってきた。そのかわりに全部が儲かるか儲からんかという物差しで量られるようになりました。儲けに繋がることなら頑張るけれども繋がらないことはあほらしくてやってられないと。こんな考え方が子どもたちにまで行った。それでどうなるかというと、子どもたちはある程度努力して合格点さえ取ればそれ以上頑張る必要はないと。60点が合格点ならば60点を如何に少ない努力で手に入れるか。これが効率のいいこと、ある意味で賢いことだというようになっているのですね。60点でいいものを人よりも何倍も努力して80点や100点取るやつのことをアホやというようになったというのです。学ぶことの楽しさは隠れてしまって全部が商品になる。儲かるか儲からんかという考えに支配された。これが昨今の教育事情だと云うのですが、お経を読むと昨今ではないですね。昔からそうだったんです。人間は結局打算で生きていて、まぁまぁこれでよしというところに腰を落ち着けてしまう。こんなことでは仏道ではない。うそ偽りでしょう。まわりを見ながら、おもねったりへつらったりする。これが虚偽諂曲と書かれています。正しい道なんてどの程度かという、結局、程度問題なのです。
親鸞聖人に返れば20年間一所懸命勉強なさったと云われますけれども、そこに満足はなかったのです。人から見てお前は立派な修行をしているとか、沢山お経を知っている偉いお坊さんやといくら云われてみても、本人の心が晴れてないことは疑いようがないわけです。人は騙せても自分は騙せませんね。お経を沢山憶えたからと云って、腹立つ心が消えたわけではないのです。人を妬む心もあるのです。20年やったけれど修行とは云えんなあということを見ておられたのです。そういう中で法然上人との出会いを通してでありますが、本当に迷いを超える修行に挑まれたのは法蔵菩薩だけだということを教えられるわけです。
人間は結局程度問題で、あの人よりは上かも知らんけれども比べているだけの話で、それはうそ偽りだということなのですね。そこに親鸞聖人は法蔵のお心あるいは法蔵のご修行を見たときに、人間が修行を貫徹できるなんてことは夢幻の話だということがはっきりしたのですね。念のために云いますが何にもせんでいいという話じゃありません。法蔵の歩みに導かれて生きていくのですよ。自分が法蔵菩薩に近づかなくてはならないというようなこととは違うのです。法蔵の願いに照らされていかに自分がうそ偽りかということが本当に見えれば、あとは法蔵の見出された世界を教えられながら歩んでいくだけです。この辺のことを長い長いご修行を重ねられた法蔵の説話から読み取られたのが親鸞聖人です。
普通はここのところ私のことと重なって読めませんね。ああ昔こんな人がいたんだという話になってしまいます。どこの国の話かと、そんなふうに読むのが関の山です。しかし法蔵のこの話は私たちのうそ偽りを白日のもとに曝すというか、明らかにするおはたらきだと受け止められたのが親鸞聖人なのです。阿弥陀さんがいてお前を助けてやるという、そんな話だけじゃなくて法蔵はありとあらゆる人間の苦しみの世界を見尽したのだと、法蔵菩薩に注目したという親鸞聖人のお仕事は非常に大きいのです。
正信偈も「法蔵菩薩因位のとき」とそこから始まるでしょう。そんなことをわざわざ云わなくても阿弥陀の世界があって阿弥陀さんが助けてくれるらしいと云ってもよさそうなのです。でもその阿弥陀さんは実は人間のありとあらゆる傷つけ合っている苦しみを見尽した人なのだ。そこから人間がちょっとぐらい修行しても助からんぞと見せて下さっているのです。法蔵と私たち人間の対比でこの物語を読み取られたのは他にはなかなかない視点ですね。
前回は聖典27頁の「三宝を恭敬し、師長に奉事す。大荘厳をもって衆行を具足し、もろもろの衆生をして功徳を成就せしむ。」まで読みました。親鸞聖人が教行信証の信巻に引用しておられるところで一点一画もどの瞬間をとってみてもうそ偽りがない。それを通して我々にとっての本当の功徳を成就して下さったと。だから法蔵菩薩は我々に自分と同じことをしなさいとは云いません。私も苦労したからあなた方も苦労しなさいとそんなこと云わないのです。本当の満足、本当の功徳がここにあるから、その国に生れてくれという形で呼びかけるのです。出し惜しみなさらない。ただ厄介なのは私たちの方がそういう世界を教えられても簡単にウンと云わない。近づけると思っている。法蔵がやったんだから私もやってみるかというように。そう簡単にいかんということを教えて下さっているのですけれど、自分も捨てたもんではないという心が根っこにあるものですから、素直に聞けません。でも法蔵は私たちに先立って本当の功徳を成就して下さった。私たちはその功徳をいただく、これが親鸞聖人の教えで云うと「回向」とか、仏の方から与えられる「回施」という言葉になります。だから私たちはその功徳をいただいていくことが大事なので、法蔵のマネを今から始めることではありません。その辺が自分をどう見るかということと深く関わっておりまして、自分に自信がある間は法蔵の教えでなくてもいいと思うのですね。法蔵の功徳をいただかなくても自分で功徳を掴んでやるとなるのですね。
勝行段の後半
今日はその次のところへ読み進みます。聖典27頁の10行目「空・無相・無願」から、14行目の「功を積み徳を累ねて」まで、ここで切って、この部分を「勝行段」と呼んで区分する習わしがあります。法蔵菩薩のすぐれた修行の内容を説く一節です。次の「その生処に随いて」以下は「勝果段」と呼ばれます。果を得るための行と、その結果得られた果がどんなものであるかとうように分けてみていたわけであります。住空無相〜無作無起
空・無相・無願は「三解脱門」と云われて、菩薩が覚りを得ていくときに三つの解脱を得るわけです。すべては空である、姿、形に違いがあってもその相に差別を見ない、それによって何かを得ようとする願望や欲望もないというのが、空・無相・無願です。これは何も大経で初めて出てきたのではなく、大乗の菩薩道として長く語られてきたことであります。つまり法蔵菩薩は菩薩としてのありとあらゆる徳行を積んでおられますので、そのことを一つひとつ当っていくわけです。一般的に云われる三解脱門についても、ちゃんと成就しておられるという確認なのですね。前回のところで「菩薩の無量の徳行を積植して」とあるのですから、これで全部が収まっているのですけれど、徳行の中味を具体的に挙げているということです。そのうちの一つが三解脱門であるというわけです。「作なく起なし」というのもちょっと読むと何にもせんみたいですけれど、そうではなくて、起しても何か起したと云わない、何かを為してもしてやったと云わない、ということなのです。やったことに執われないことを云おうとしているのですね。
観法如化〜人我兼利
「法は化のごとしと観ず」仮に形をとっているにすぎない存在の実態に執われない。次に長々と述べられている部分が興味深いですね。「遠離麁言…」荒っぽい言葉が自他共に傷つける。それを離れるのだと。「和願愛語」の逆を詳しく述べるのです。「麁言」の反対である「善語」を修めて自らを利し、人をも利するのだと。言葉が人を傷つけることもあれば、道が開けるきっかけにもなるのです。親鸞聖人の教えは言葉のはたらきを非常に大事になさいます。教行信証の総序は「難死の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」で始まります。これは本願と光明によって成り立つ仏道であるとまず云われますね。
ところが次の段にくると「円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を為す正智、難信金剛の信楽は、 光明といっても、どこかにあるようなものではない。名号という言葉として私たちに届くのです。言葉を抜きにして本願も光明もどこにもないということを押えておられます。本願と光明が名号と信心として展開してくるのです。名号は行巻に信心は信巻に詳しく述べられていくことになります。このように親鸞聖人の教えの根底には言葉の持つ力の重要性が説かれています。
不十分な言葉は人を傷つけるかもしれません。それが「麁言」です。しかし言葉を通してでしか大事なことを確かめたり、自分を振り返ったりすることは起きないのです。それが「善言」とここでは云われていますが、一言でいえばナンマンダブツでいいのです。言葉が持っている二つの側面、傷つけることもあれば人の心を開くことにもなる、こういう重要性が法蔵菩薩のご修行の中で詳しく云われているのです。
棄国捐王、絶去財色
「国を棄て王を捐てて」は法蔵の出家のときに、すでに述べられたことですが、ここでもう一度確かめられています。俗世間への執心を離れるということですが、これが「財色を絶ち去け」でもあります。そういう権威であるとか、立場であるとか、物の力であるとかそういうことによって人間が助かるのではないということを「棄てる(捐てる)」という字が表わしていますね。釈尊の出家は大いなる放棄と名づけられています。ただ捨てたのではありません。そこからもう一つ大きなつながりの世界に出遇われるのです。そして自らが六波羅蜜を行ずるのです。
自行六波羅蜜〜積功累徳
六波羅蜜とは菩薩の修行の一番基本と云われる六度の行です。波羅蜜はパラミータで悟りの世界に渡っていくということです。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の実践です。それを自らが行ずるばかりではなく人にも教えていった。言葉のところで出ていた「自利・利人」と同様に自らを利するだけではなく人をも利していく、人の迷いも超えさせていくということが行の中味として出ているわけです。このような菩薩の行を数えられないくらい長い時間をかけて積み、徳を累ねられたというのが勝行段の結びで、次の「その生処に随いて…」以下が勝果段、つまり行によって得られた内容になります。自力修行の限界
そこに入る前に振り返っておきたいのは親鸞聖人が勝行段を信巻にお引きになることによって人間の側の修行はどう云ってみても邪心、私心ばかり、一言でいえば名誉欲です。親鸞聖人は「名利心」と仰います。人からほめられたい。それによって利益を得たい。どこを切ってもこういう毒が雑っていると仰るのです。そんなことで仏道を歩んでいると云えるのか、と自らを振り返られたのが宗祖です。同じ時代に求道をされた人たちが多勢いらっしゃるのですが、人と比べて自分もまあまあいけているというところに腰を下ろしておられるんですね。だからそのやっていることが仏道と云えないんじゃないかという問いまで行かないのですよ。解脱房貞慶という人もそうであります。明恵房高辨という方もそうであります。当時右に出る人がないといわれるほど修行に邁進された方々でありますけれども、しかし迷いを超える道に出遇えたとは最後の最後まで云えないわけです。まわりからみればあんな立派な修行者はいないということで、まだやり方が足りないのではないかと思われたわけです。もうちょっと頑張れば出口があるんじゃないかと思われた。やっていることそのものを振り返るというところまでは行かなかった。この辺が親鸞上人との大きな分かれ道であります。大真面目にやっておられても自分のあり方を振り返るということが本当に難しいわけです。親鸞聖人はそれをたまたま法然上人と出会えて、それでは助からんのじゃないかということを向うから云われたのです。自分では薄々感じておられたでしょう。出口がないということを。でもそれは人間では成り立たないということを法然上人から云い当てられたのです。そこに自らを磨いて悟りに至る道ではなくて、法蔵菩薩の歩みに導かれながら進んでいく道に立たれた。それが本願の力、すなわち他力によって歩む仏道のスタートでありました。自力による仏道という云い方はありますが、それが本当に仏道と云えるかどうかが証明できないという問題があるのです。多分これでいけるだろうということでしょうね。云い方を替えると、曇鸞の云い方ですが、自力とは自分で自分を支えているわけです。自分で自分の正しさを証明しようとするあり方です。他力は違います、向うからなのですよ。いつも自分が正しいというふうに腰を下ろしたい思いを向うから破ってくれる働きなのです。これで良しなんて云わせないのが他力です。答えに腰を下ろすのが自力です。いつも自分の生き方を問い直しながら更に一歩を進めていく、こういう歩みになっていくのを他力というのです。だから他力といっても誰かの力によって補助してもらうことではありません。自分が決めていることをちょっと足りんから応援して下さいというのは実は自力です。自分の中に答があるからなのです。思ってもいないことが起るのです。求めたことが与えられるのではない。あるいは知っていたことをもらうのではない。全く知りもしなかったことが与えられる。これが他力の世界です。そういう意味では阿弥陀さんに頼めばなんとかなるかなあというのは、これ自分の求めていることが決まっているわけでしょう。だからどの仏さんが自力でどの仏さんが他力だということではありません。阿弥陀さんでも関り方によっては自力になるのです。明恵上人や貞慶上人に代表される仏教が親鸞聖人においては法然上人との出会いによって根底的に覆されたわけですね。そこに自分を固めて立派になってから助かるんじゃなくて、教えられながら一歩一歩歩んでいける道であります。だから私が立派になる必要はないわけです。立派になれないからこそ今日もお導きいただかなければならない。今日も教えを頂戴しなければならない。こういう道ですから全然方向が違うなあということを感じます。
ここは法蔵のご修行が徹底しているということを確かめることを通して、人間の側の修行がいかに不十分か、いろんな人間的な欲求に染められているか、そういうことを曝いて下さる経文になってくるわけです。
勝果段
次は勝果段(聖典27頁14行〜28頁8行)といわれているところです。修行が実を結んだ一段として読まれてきたところです。随其生処〜自然発応
「その生処に随いて意の所欲にあり。」行く先々に自分の欲するものがある。どこへ行ってもそこが自分の満足できる世界になる。松原祐善先生は折々に「随所に主となる」という臨済録の言葉を紹介しておられましたが、行ったところに従ってそこに主となるということですね。そこで一番になって威張っているという意味では決してありません。行く先々が自分の生き方と重なるということです。逆に私たちはここにいながら、なんでこんな時代に生れたのかとか、なんでこんな顔なんかとか、性別も選べませんし、選べないことばっかりです。だからいつもなんでこんな目に会わないかんのかと云うわけです。しかも自分を生きているつもりにもかかわらず世の中の価値観に呑み込まれているとすると、それは自分を生きているようで人の物差しに自分を合わせているに過ぎない、させられているに過ぎない。これが随所に主となるの反対です。いつまでたっても被害者のような顔をして自分の人生にならない。臨済録の言葉に重ねて云えば「生処に随いて」は「随所に」ですね、そして「主となる」という言葉はありませんが、いつでもそこが自分の欲するところになるのです。なかなかそんなことにはなれませんが、ここは法蔵菩薩のご修行の結果が説かれているところですから、我々は法蔵の得られた世界を頂戴すればいい。そのようになれというのではない。わが国に生れなさい、わが国に生れるところに法蔵の見出された世界に私たちも立つことができる、召されると云った方がいいかもしれない、その世界に立たしていただくことが成り立つのです。だからこういう心掛けでというふうに読むと厄介ですが、その辺は禅宗で使われる言葉使いとは文脈が変わってくる面があります。
「無量の宝蔵、自然に発応す。」必要に応じて起ってくるわけです。求めに応じて起きてくる。
教化安立〜正真之道
「無数の衆生を教化し安立して、無上正真の道に住せしむ。」相手の悩みに応じて教えが湧いて出てくる。どんな者も必ず安立させる。あえて云えば勝行段は菩薩の行を積み重ね、ここは結果として衆生を教化する。後にもでてきますが、諸仏を供養するという実践が成り立っているのです。願いと実践を分けて考えれば勝行段と勝果段は見えやすいかもしれません。数限りない衆生を教え導き迷いを超える道に立たせるということが云われているのです。或為長者居士〜一切諸仏
「あるいは長者・居士・豪姓・尊貴となり、あるいは刹利国君・転輪聖帝となり、あるいは六欲天主、乃至、梵王となりて、常に四事をもって一切の諸仏を供養し恭敬したてまつる。」人に恵みを与えていく者、長者・居士・豪姓・尊貴というようないろんな者に生れていく、いろんな姿形をとって人々に安心を与えていく。刹利国君は国の王様です。転輪聖帝は世俗での理想の王です。天上界の主とも宇宙を統括する大梵天ともなる。なれないものはない。そういう姿になって衆生を導いていくということなのですが、この康僧鎧の漢訳の元になっているサンスクリット本では、人々をこのような者に生れさせるとなっています。ここのところでは法蔵菩薩自身がいろんな者の形をとって、そこで仏道を行じて行くと読める文章になっています。サンスクリット本は衆生をそのような者にさせるという利他の面、漢訳はいろんなところにいろんな形で現れてという法蔵自身のお徳を述べるということになっています。「四事」は「衣服・飲食・臥具・湯茶」で着る物、食べる物、休む道具、お茶。これを差し出すのが供養には無くてはならない基本であり、これをもって尊敬の心を表わすことが供養なのです。後でも出てきますが、菩薩の修行としてなくてはならない二つのものに「供養諸仏」と「開化衆生」があります。供養諸仏とは仰ぐものが見つかった、尊敬する方に遇うことができた、そのような者に私はなりたいと道を歩んでいくのが菩薩です。それをもって人々に向き合っていく。まだその世界を知らない人たちにそれを伝えていく。その道に出遇ってほしいという願いをもって接していく。未来に必ず仏に成っていくお方だと見るわけです。この二つが菩薩の実践的な中味として云われるのですね。
自分に先立って仏になった世界を仰ぐ、同時に今からその世界を歩み出すという人を未来の諸仏として仰ぐ。言葉は二つですが、菩薩道とはこの二つが一つになったものです。
一番いい例がお釈迦さまです。どんな愚かな人が来ても、あんたには教えてやっても分からんわとは云わないのです。いつか出遇って下さる、気づいて下さるにちがいないという形で接し続けられる。待ち続けるのです。そういうことができるのは人間をランク付けしておられないからです。自分は偶々先に出遇うことができた縁があったということでしょう。縁起なのです。まだ出遇ってない人は出遇う縁がなかったというだけで、どっちが人間的に上か下かではないのです。必ず出遇って下さる人だと見ることができるから、待ち続けることもできるのですね。一応言葉を分ければ自分に先立つ方々を仰ぐということですが、衆生を仰いで必ず仏に成っていって下さる方だと見られるのです。そういう過去から現在、現在から未来のその中に自分が立っておられた。その代表がお釈迦さまです。
私たちもそんな仏道に出遇わしていただいているのですが、いまこのことを法蔵菩薩のお徳だと云っているのですが、難しいでしょう。尊敬する人が見つかりました、と云った途端に、私は○○先生に出遇ったとか、あんたは知らんやろとか云うでしょう。出遇ったことまで自慢の種にしてしまう。そうなると未来の仏さまと衆生を見ることはできない。私の方が一歩先に進んでいるとなってしまう。なかなか厄介です。ここは法蔵菩薩の修行とそれによってそこに開かれてきたあり方として読んでいくことが大事だと思います。
如是功徳〜而得自在
「かくのごときの功徳、称説すべからず。」法蔵菩薩の修行のお徳はどれほど説いても説き尽すことはできない。「口の気、香潔にして優鉢羅華のごとし。」口の息は青い蓮の花のように香りがきよらかである。「身のもろもろの毛孔より、栴檀香を出だす。」身体中からセンダンのようなよい香りがする。大事なのはその次なのですが「その香、普く無量の世界に薫ず。」いい匂いがしていたというだけではなくて、世界中に届いていくのですね。仏法を伝えるための縁として、人々を教化し導いていく縁となって香りがあらゆる世界に拡がっていくことを云っているのです。「容色端正にして、相好殊妙なり。」お姿もととのっていて、ことに勝れている。「その手より常に無尽の宝を出だす。」勝れたお姿ということに止まるのではなくてそこから宝が出てくる。我々の迷いを超えさせる仏法の宝がそこから出てくるのですね。その意味ではここでいう口の気、毛孔からの香り、お姿というのはどこまでも仏法に縁を結ぶものを云っているわけです。ここをはっきりしておきませんと私たちどうしてもかたちだけのところに止まってしまうのですが、形も大事な面を持っているのです。形から入るということも起ることがあるからです。「衣服・飲食・珍妙の華香」これは先ほどから見てきたように供養の道具ですが、それに加えて「繒蓋・幢幡・荘厳の具」仏具にかける絹布や旗ぼこは仏法の道場を飾るものです。それを整えることによって仏法に出会っていく縁が開かれるわけです。それらが一つも欠け目がないということを「かくのごときらの事、もろもろの天人に超えて、一切の法において自在を得たりき。」と云っています。たいていの参考書を見ると、一切の法云々というのは荘厳の道具が欠け目なく備わっていることだとする訳が多いのですが、ここはそんなに軽くないのです。法蔵菩薩のご修行とそこに得られたところのものを、一切の道具が欠け目なく備わっていたというぐらいに読んではいけません。ありとあらゆる迷いを超えていく法において自在を得られたのだと読むべきでしょう。
染香人の和讃
これは法蔵菩薩のお徳ということですけれど、私たちがそれをいただくということがないわけではありません。例えば口の気とか身体からの香りということがありましたが、これを宗祖が和讃にしておられます、聖典の489頁浄土和讃大勢至菩薩の6。香りに染まった人「染香人」には身体そのものに香りがあるようなものだと仰っています。その人自身が香りを出すようになったわけじゃない。しかしお徳の力でその人から香りが漂ってくるということはあるわけです。どこまでも仏法の力ですよね。法蔵の場合はご自身の力ですが、私たちはその教えをいただくところにそのお香に薫じられるということがあるわけです。そのことを忘れていると香りはなくなりますわね。だから日頃の世俗の香りが強ければ強いほど仏法の香りに触れることが大事なのです。ひと月にいっぺんでは足りないかもしれません。毎日香りをいただいていないと、昨日は香っていたのに今日は・・・、というような話になるかもしれません。安田先生の譬え
安田理深先生が常々こんな譬えを仰っていました。人間というのは炭団なようなものだと。炭の粉を固めたものだから芯の芯まで真っ黒なんだ。でも私たちは自分が炭団だと気が付かずに洗えばいつかきれいになるんじゃないかとか、磨けばそのうちダイヤモンドが出てくると思っている。でも自分が炭団だと知らずに洗ったり磨いたりしていると磨り切れてなくなるだけでしょう。しかし炭団がつまらないのではないと同時に仰いました。炭団は仏法の火が点けば真っ赤になって燃えるんだ。仏法の火が点くことが大事なんだと。その火は私の力じゃありません。外からの火です。本来真っ黒ながら火が点くことによって真っ赤に輝くことができる。これが凡夫の輝きなんですよ。炭団が白くなってきれいになるのではなくて、炭団は炭団のまま輝く道がある。そのためには自分が炭団なんだということを知る必要がありますね。つまり炭団がダイヤモンドになれると思って磨いていたら勘違いですから、そうではなくて炭団は炭団なんだと、同時に炭団がつまらんのではない。染香人も同じですね。私が香りを出すようになろうとするのではない。すぐに香りがなくなる私だからこそ、いつでも香りをいただき続けなければならないのです。それがはっきりするかどうかですね。法蔵のご修行を読むと大事なことがいっぱい出てくるわけです。少欲知足、和顔愛語とか。これは菩薩道の基本として非常に大事にされてきた言葉ですが、それを聞いた途端に今日から少欲知足にならんといかんとか、和顔愛語せないかんとかなるわけですけれど、なれるんなら親鸞聖人は比叡山を下りていないです。この浄土の教えになぜ帰依なさったかと云えば、少欲知足や和顔愛語がどれほど大事なことであっても、そう簡単にできないということがはっきりしたからなのです。でもその教えをいただきながら歩むということは成り立つのです。それはこういうことです。私が法蔵になるのではない、法蔵が私のところまで来てくれるのです。曽我先生の言葉によれば、如来が私となって私を歩ませてくれるのです。私の中にあるはずのないものが、私に起ってくる、これが本当の意味の他力のはたらきなのです。阿闍世の回心
親鸞聖人が大事になさる例としては阿闍世の話があります。阿闍世は父親を殺して自分は地獄へ落ちるんじゃないかと恐れ悩んでいたのです。親殺しの罰を受けなければならないことは半分承知の上ながら、それは恐ろしい。なんとかこの罰から逃れる方法はないかとずっと思っていた。しかしいろんな教えを聞けば聞くほど地獄落ちは免れないということに気が付くわけですね。自分がしでかしたことの大きさにだんだん責められていくことになります。でもお釈迦さまに出会って、―これは耆婆(ギバ)という人のお勧めを通して出これが大きなご縁なのですが―耆婆のお勧めを通してお釈迦さまに遇ってみたら何が起ったか。地獄が自分の居場所だということがはっきりするのですよ。落ちてもかまいませんという阿闍世が誕生するわけです。これは本当に不思議な話で、地獄に落ちないようになることを求めていたのです、それがお釈迦さまに会うてみたら地獄に堕ちても後悔しませんという生き方が開かれてくるのですね。求めたものが求めたように与えられたのではない。求めてなかったのですけれど与えられたものはもっと大きかったのです。地獄も恐れないというたくましい生き方が出てきた。願いごとが叶えられて助かる、都合の悪いことを取り除いて助かるのではなくて、教えに遇ってみると都合の善し悪しを超えて助かる道があった。都合のいいことを手に入れてから助かるんじゃない、都合の悪い中をなおも生きていける道があった。これが阿弥陀仏の本願との出遇いによって起るのですね。思ってもいなかったことが私に起るのです。あるはずのないことが「横超」と云われるのです。普通は予想しながら一段一段上がっていく。これなら分かるんです。「横」というのは予想してないような形でダーンと超えるわけでしょう。用意したのではない。積み上げたわけでもない。思ってもいないことが起る。安田先生が良く云っておられました。「横」というのはいい時には使われんわねぇ。横槍とか、横着とか、横死というのまである。でもこの場合は人間の思いを超えて起るような超越、これが横超なんですね。計算じゃない、計らいじゃない。それを不可思議ともいうわけでしょう。それが法蔵のご修行を通して我々に与えられることであって、私たちが法蔵のようにならねばならないとか、一歩一歩立派なものにならなければならないということとは違います。そういう予想の中に仏道を入れ込むというような教えではありません。仏法とはそもそも思ってもいなかったこととの出遇いなんですね。予想していなかったこととの出遇いは仏法には必ずある。その意味では全部他力というべきものかも知れませんね。法と出遇うことの大切さ
お釈迦さまに出遇うということがそうでしょう。思ってもいなかった世界に生きている人がいたということでしょう。それをボクも頑張ればお釈迦さまのようになれると仏法がだんだんなってきました。すごい出遇いをしたはずなのに自分の判断基準の中にお釈迦さまを取り込んでしまう。だから厄介なのです。仏法との出遇いが私たちの計らい、予想の中に位置づけられるものですから、あの人は修行が足りないとか進んだとか云いだすわけでしょう。それをもういっぺん突き破るようなことが要るのです。親鸞聖人にとっては出家の世界からもう一歩出たのです。世俗を超えて修行していたそこから、もう一回出直した。これが法然上人を通しての阿弥陀仏との出遇いだったのですね。阿弥陀仏と出遇ってみたら、今まで知っていたはずのお釈迦さまも違って見えてきた。どう違うかと云えば比叡山にいるときはお釈迦さまは修行なさった第一人者です、一歩でも半歩でも近づいて…と思っていた。でも法然上人を通して阿弥陀の世界に出遇ってみたら、お釈迦さまは私に近づけとは仰っておられなかった。始めから阿弥陀に出遇えと云っておられたのです。そういうお釈迦さまの教えには気が付かなかったのですね。理想にしてしまっていたからです。改めて阿弥陀に出遇えと云い続けて下さるお釈迦さま、『正信偈』では「唯説弥陀本願海」のお釈迦さまですが、お釈迦さまを見る見方も転換することになりました。このように仰る親鸞聖人が分かりませんという人もおられます。どう考えてみてもお釈迦さまに少しでも近づくということが仏教徒の目指すべきところではないかと云われます。そういう意味で基本の仏教というのは、インドに今でもその形を止めていますが、出家の修行が元々の形でしょうと。いま自分がやっている在家でしかも結婚しながらとか、そんなことは本来の形から外れているんではないかと。でも本気でそう考えるのならばインドに行くしかないのかもしれませんね。でも親鸞聖人はすでに実験済みなのです。ご自身20年間それをやって下さって、本当の仏教はどこにあるかと云ったら、形を整えてあるいは頭を剃ったりしてではなくて、形を問わず誰の上にでも成り立つ世界をお釈迦さまは説いておられたということが分かったのです。出家して托鉢している人だけが仏教徒じゃない、托鉢している人に布施を差し出す側にも成り立つ仏教がすでにあったのです。インドでもそうだった。それがいつしか托鉢している出家の修行者の方が本来というふうに見えてしまうようになった。かえってそちらの方がズレているとはっきり云われたのが親鸞聖人なのです。親鸞聖人は最終的には結婚もされ、子どもも設けられ、その中でここに仏教あり、生活の中にでも仏道ありということを身をもって仰られたわけです。そういう意味で親鸞聖人のあとの、私も含めてでありますが、僧侶方は親鸞聖人がなさったんだからなんでもあり見たいになって来ているのですが、これは親鸞聖人が一歩踏み出されたのとは全然違いますね。親鸞聖人は本当に自らの身をとして他からの非難を浴びながら、ここに生きた仏教ありと仰った。ボクら形ばっかりマネして、髪伸ばしていてもいいんですか、飲んでもいいんですとなっていると、それは言い訳しているだけです。形だけではないところに立ち続ける厳しさというのは本当に親鸞聖人の前にも後にもないと一遍云わなくてはなりません。法蔵菩薩のご修行とその立たれたところというのは、ここまで徹底なさっということを通して、人間は真似をするのではなくてその到達なさった世界をいただいていくことが大事なのです。ご本願の言葉に戻れば「我国に生れんと欲え」が法蔵菩薩の呼びかけです。私の国に生れたらこうなるぞと書いてあるのです。いわゆる菩薩道の目指していた課題も全部完成する。たとえば始めの方に六神通の願がありましたね。(5〜10願、聖典16・17頁)六神通という超能力を身につけなさいと云っているのではない。私の国に生れれば六神通が具わるようにしたいと云っているのです。だから我が国に生れなさいと云うのです。後の方(23,24願、聖典19頁)にいくと仏を供養する、そういうあなたになりなさいではないのです、私の国に生れれば諸仏を供養するようなことが起るようにしたいと云われるのです。ここを勘違いすると、一歩一歩私たちも法蔵菩薩に近づかないといけないということになりますから、それを一遍断ち切っておきたいのです。
勝報段
次は「勝報段」という名のついている科文のところになります。前の「勝行」「勝果」は菩薩の課題に応答しながらすべての行を修められ、それによってすべての果も得られたということでした。その全体が全ての衆生を一人も漏らさず救いたいという法蔵の願いに応えているという意味で勝れた報いの段と云われるわけです。本願に応えた果を特にそういうように見ているわけですね。前にもお話しましたが、この大無量寿経上巻の正宗分は勝因段、勝行段、勝果段、勝報段、極楽段の五つに分けられていましたね。誰が分けたんだということになるとややこしいのですが、分け方、読み取り方について視点を与えて下さったのは善導大師です。聖典では321頁の1行目です。韋提希夫人が私はいま阿弥陀仏の極楽世界に生れたいと発言します。私が生れたかったのはここですということが明確になった。十方諸仏の浄妙国土の中からとりわけ阿弥陀の世界を韋提希夫人が選んだ、そのことが弥陀の本国四十八願であるというのです。ちょっと文脈が繋がらないようですが、善導大師の云いたいのはこういうことです。韋提希が阿弥陀の国を選んだということを抜きにして阿弥陀の世界あるいは本願はどこにもない。ナムアミダブというのは阿弥陀仏に南無しなさいよという呼びかけです。それはどこにあるか、世界中にあると云ってもいいのです。でもそれは聞こえた人、あ、そうだなあと頷いた人のところにしかないのです。頷いた人がなかったら、それはただの呪文かもしれません。ただの音かもしれませんね。呼びかけを聞いて、はいその世界が大事ですとなったところに阿弥陀の世界もあるし、それを詳しく説く四十八願もあるし、無量寿経もあるのです。頷いた人がいなければ絵に描いたお話ですわね。あってもないのと一緒です。韋提希が私が生れたいのはここですと選んだこと、そこに阿弥陀の本国がある、あるいは四十八願があると善導大師は云おうとしているのです。このあとに『大無量寿経』を七段に分けて全部に名をつけています。「願願みな増上の勝因を発せり」から始まって「勝行」「勝果」「勝報」「極楽」が上巻に、「悲化」「智慧」が下巻にあてられています。続いて『観経』『阿弥陀経』から諸余の経典、ありとあらゆるお経にまで繋がっていくのです。ひと言に摂めれば弥陀の本国四十八願です。それを大経も説き、観経も説き、阿弥陀経も説き、諸々の経典も勧めていると善導大師は見ている。それがどこで身を結ぶかと云えば、韋提希が私が生れたかったのはここですと選んだ、私の求めていたのはこれだったんだということが明確になる、そこに一切のお経が籠っているのだと。こういうふうに善導大師が視点を与えて下さったのですね。
阿難の問い
元に戻りまして勝報段が始まるところで(聖典28頁)阿難がお釈迦さまに質問をします。「とやせん」と訓点が付いていますが、こちら側がどう心得ればいいのでしょうかという気持ちが入っている言葉だと云われます。「法蔵菩薩はすでに成仏しておられると心得てもいいのでしょうか」と阿難が尋ねます。阿難はこれまでも見てきたように大事なところで質問をしますね。これは後々の者が疑うことを見越して問うているわけです。一番近いところで云いますと、次の聖典29頁で、仏国土には山も谷もないのだということを聞いて、なぜそんな国が成り立つのですかと問います。するとお釈迦さまは丁寧にご説明なさいます。その後で阿難はこんなことを云うのですね。(聖典30頁)「私はお釈迦さまのお言葉を疑っているわけじゃありません。ただ将来の人たちが疑惑を生ずることが予想されるので、それを除きたいと思うだけなのです」と。あらためてこんなことを云うのですね。お釈迦さま亡き後、法をどう受け継いでいったらいいのかと責任を感じているわけです。ご存命中に聞いておかないと聞かれたときに答えられなくなる、これが質問の意図なのですね。法蔵菩薩は四十八の願を発して不可思議兆載永劫の修行をなさった、その結果成仏されたのですか、されていないのですか。まだ成仏されていないのだったら、いつ成仏されるのでしょうか。「滅度を取りたまえりとやせん」ですから、もうおられないのでしょうかという意味も含んでいますね。おさとりを開いてもう既に入滅なさったということになれば、私たちとどう関係するのでしょうか。法蔵菩薩は一切衆生を救うために願いを建てられたところまでは分かりましたけれども、その願いは成就したのでしょうかと聞いている。その仏は今もなお生きてはたらき続けておられるのでしょうか、こういう質問なのです。
お釈迦さまはこうお答えになります。「法蔵菩薩はすでに成仏して現に西方におられるのです。ただ十万億の仏土をこえた彼方にいらっしゃるのです。」遠いのです。これは私たちがそこに生れようとしない遠さです。実際の距離を云っているのではありません。距離なら時間さえかければいけますよね。だけど行こうとしなかったら、どれだけ時間をかけても永遠にたどり着けないのです。私たちが生れようとしない、その心の遠さを距離で表わしているのです。その国には本当の意味での安心があり楽があるから安楽という名の世界だとお釈迦さまは仰います。
阿難はまた聞きます。「成仏されてからどのくらい時間が経ったのでしょうか」
お釈迦さまは答えられます。「十劫という長い長い時が経っています」
昨日や今日というような話ではない。とっくの昔だと云われて阿難は驚いたと思います。そんな世界がずっと前からあったのに今まで知らずに来た、と。だれもが救われる世界がとっくの昔に出来上っていたのに私はウロウロと迷っていた、と。これを知らされたときの驚きはすごいものでしょうね。
親鸞聖人になぞらえていえば、親鸞聖人は比叡山で阿弥陀仏のことは知っておられたと思いますが、それが本当に救われる世界だとは聞いていなかった。救われるためにはどこまでも修行しなければならないと思っておられた。だから阿弥陀の世界も修行を完成させるためのものだと思っていたものですから、誰の上にも迷いを超えることを成り立たすみちとしては聞こえていなかったのですね。その意味では法然上人に出会ったのはビックリだったのでしょう。すでに、とっくに聞いていたにもかかわらず見過ごしていた、聞き逃していた。念仏ひとつで誰の上にも迷いを超える道があると、とっくの昔から聞いていたのに。親鸞聖人はこれを真仏土巻や化身土巻で云われるのですが、「すでにして願います」「すでにして悲願います」―法然上人と出会って、そこから本願との関係ができたと云ってもいいのですが―とっくにあった世界に改めて出遇うのですね。それを知らずに勝手に迷っていたと。本願の中にいながら殻を作って閉じこもっていた。そういう出会いを親鸞聖人はなさった。すごい驚きだったと思いますね。
ここで阿難は腰を抜かしたとは書いてありませんが、そういう感じがします。お経は淡々と描いてありますが、既に成仏されたのですかと聞くと、既に成仏して西方にましますと答えが返ってくるのでしょう。ではいつ成仏なさったのですか。十劫の昔やという話ですよ。お釈迦さまはそういう世界を説いて下さっていたわけです。
お釈迦さまが覚りを開かれたのは35歳のときです。そこから仏教が始まったと思っていたのでしょう。そんな何年か前の話じゃなくて遥か昔からある世界です。そういう世界を説いておられたのですかとう驚きです。阿難からすればお釈迦さまから仏教が始まったのではないことを確認する出来事だったんでしょうね。そこまではお経には書いてないのですが、大経はここで本願が成就していることを確かめます。
「勝行段」「勝果段」では法蔵菩薩がご修行にどのくらい長い時間をかけられたかということに重きを置いていたのですが、この「勝報段」では上巻の終りまでず〜っとアミダとはどういう仏であるか、その国はどう云う国であるかということが丁寧に述べられていくわけです。